心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年06月28日(月) 日本には日本のAA?

localize(ローカライズ)という言葉があります。
病気をある地方に制限すること。宮崎県で口蹄疫を封じ込めようとしているのもローカライゼーションです。

一方、工業製品やサービスをその地方向けに合わせることもローカライゼーションです。日本の自動車メーカーであるトヨタは右ハンドルの車を作るのが基本ですが、同じ車でもアメリカ輸出用には左ハンドルで作ります。外国の車を日本に輸入する場合でも、本国仕様とはタイヤやサスペンションの設定を変えることで、混雑して速度の遅い日本の交通事情に合わせます(仕向け地仕様という)。
このように、その場所に合わせたものを提供することは必要です。

「AAだって日本人向けの(ローカライズした)AAがあってもいいだろう」、いやそうあるべきだ、と考える人もいます。例えば、12ステップに出てくる神という言葉は、宗教文化が根付いている欧米ならともかく、神を捨て去った(という設定の)日本人には邪魔である、という人もいます。

もしアルコール依存症が日本の風土病で、他の国の依存症と違っているのなら、違うやり方でもいいでしょう。けれど、アルコール依存症という病気は世界共通です。アメリカ人のアル中も、ロシア人のアル中も、中国人のアル中も、そして日本人のアル中も、おんなじアル中です。そして、AAの12のステップも、12の伝統も、世界共通です。日本のAAも世界と同じであればいいのです。

「日本には日本のAAがあっていいはずだ」と言っている人たちが、AAにローカライズが必要だ主張するのなら、わからなくもありません。「世界のやり方を日本に押しつけないでくれ」という主張ならば、理解できなくもありません。けれど、そう言っている人が実は関東の人で、関東のやり方を日本全国に押しつけようとしていたりします。(たとえばサービス機構の構成を関東と同じにするべきだと主張する)。

もし押しつけが良くないというのなら、関西には(関東と違う)AAがあっても良いし、名古屋には名古屋のAAがあっていいはずなのですが、こういう人に言わせると、関東と違うやり方があってはいけないらしく、「あそこのAAはおかしい」となり、その理由が「やり方が関東と違うから」なのです。

おそらく「日本には日本のAAがあっていい」と主張する人たちは、自分のやり方が日本中で(いやそれどころか世界中で)通用して欲しいのでしょう。自分を中心に世界を回したい、という主張には耳を傾けるべきものがありません。

自分たちが世界と違うやり方をするのを認めて欲しいのならば、日本の中で自分たちとは違うやり方をすることも認めなければ、話がおかしくなります。


2010年06月27日(日) 12ステップの治療成績

疫学的調査のアブストラクトを見ていると、AAは断酒にほとんど効果がない、とあったります。

「そりゃそうだろうな」と思うのです。

例えばProject MATCHでは、12週間のアルコール依存症治療の後、3ヶ月ごとに12ヶ月間追跡調査を行い、飲酒パターンに変化があったかどうか調べています。そして、認知行動療法・動機付け療法・12ステップ療法(ただしこれはAAそのものではない)のどれが有効か比べようとしたものです。結果、12ステップ療法が優れていると言える有意差は出ませんでした。

12ステップに治療効果がないと言われれば、AAメンバーはメゲるかもしれませんが、そんなに気にしたことはありません。

以前、こちらの県内でも古参のAAメンバーがこんなことを言っていました。

「病院にメッセージに行くだろう? 話をした患者の中で、退院後にAAに来るのは10人に一人さ。せっかく来た連中も、次々途中で来なくなって、残るのは10人に一人。結局助かるのは100人に一人いるかいないかだよ」

実感としてそんなものでしょう。

けれど、来なくなった人の中には、失敗を体験し「無力」を自覚して戻ってくる人もいます。そもそもAAに来なかった人も、次回の退院時にはAAに来るってこともあります。現在AAにいるメンバーのなかでも、AAの存在を知って一直線にAAに来て回復したという人は珍しい存在です。AAに来るまでさんざん回り道をして、AAに来た後もまだ回り道をして、最後にようやく助かるのが普通です。

AAは一生というスパンで結果を出すようにデザインされたプログラムであり、1年間で多くの断酒者を生み出す仕組みにはなっていません。そのかわり回復が成し遂げられれば、その後もそれが維持されると期待できます。一方、精神病院への入院治療は短期間に多くの断酒を達成させますが、その後の維持については期待薄です。

様々な治療方法を比較することは必要ですが、個々の治療法の特性を無視して条件を設定すれば、意味のある結果が出ないことだってあるわけです。

実は認知行動療法にしても、動機付け療法にしても、依存症の治療成績は惨憺たるものです(だから12ステップ療法と差が出ない)。断酒の意欲があるかどうかに関わらず短期間で断酒を達成させ、しかもそれを一生維持させる・・・そんな夢みたいな治療法があればいいのですが、残念ながらまだできていないわけです。


2010年06月24日(木) 回復=掃除片づけ

スポンシーの持ちネタのような気もしますが、スポンサーの特権で使っちゃえ。

ビッグブックでは回復を家の掃除にたとえています。家=自分、掃除=回復です。

いままで掃除をしてこなかった家は、とても汚れて散らかっています(いわゆる汚部屋状態)。自分の心の中も、不要なものを溜め込んで掃除をしていないのでぐちゃぐちゃになっているわけです。そこで「エイヤッ!」と大掃除をするのが、ステップ4と5です。汚部屋を掃除するのは一大事業です。

要るもの・要らないものを分別し、不要品は捨て、必要なものは整理整頓してしまっておきます。すると部屋はさっぱり住みやすくなり、それは心の中の掃除も同じです。

しかし人が生活している家ではゴミが発生するし埃も溜まります。一度きれいになった部屋も次第に散らかってきます。同じように人の心の中も次第に汚れてくるものです。だから一度大掃除をするだけでなく、その後も日常の掃除を続けていくのがステップ10です。

人は生まれながらに掃除のやり方を知っているわけではないので、人生のどこかでそれを教わらなければなりません。その教師役はたいてい親です。掃除のやり方を苦もなく覚えてしまう人もいて、こういう人は自分が親から掃除をやり方を習ったと意識してすらいないものです。

しかし何らかの事情で親から掃除のやり方を教わらなかった人もいます。たとえばそもそも親が掃除のできない人だったとか、親子のコミュニケーションに障害があったとかね。さらには親の代わりに教えてくれる人に恵まれないとなると、大人になって汚部屋の持ち主になってしまうわけ。それは心の掃除についても同じことです。

そこで(心の)掃除の仕方を学べなかった人のために、それを教える手順が12ステップだ、とも言えます。もちろん教え方は12ステップだけじゃないので、回復には別の手段もあり得るのですが、ここでは12ステップの話を続けます。

ステップ4・5をやるためには、スポンサーを自分の汚れた家の中に招き入れねばなりません。要るもの・要らないものを分けてもらい、不要品の処分の仕方や、必要なものの整理整頓のやりかたを教えてもらいます。自分の外面だけを見せて棚卸しをしても意味がありません。

人は羞恥心を持っているので、散らかった部屋は人に見せたくないと思うものです。せめて自分で少し掃除片づけをしてからスポンサーを招きたいと思うのですが、そもそも掃除する能力があればこんなゴミ屋敷にはなっていないわけで、いったん先延ばし戦法を採用すると、どこまでも先延ばしを続けなければなりません。これが「ステップ4・5の先延ばし」です。

要る・要らないの分別も、不要品の処分も、「エイヤッ」と思い切ってやることが大切です。というのも、掃除ってのは一生続ける作業ですから、エネルギーをつぎ込みすぎて掃除をするたびに疲れ果てていたのでは、他のことができなくなってしまいます。経済の持続可能な成長・・じゃないんだけど、持続可能な回復のやり方じゃないと困るわけ。

不要品のなかには思い入れの強いものもあるでしょうが、そこは政治家の事業仕分けじゃないですが、バッサバッサと仕分けしないといけません。それでも端から見ていれば、あんな仕分けじゃ生ぬるいよなぁ〜、と思われちゃうのも事業仕分けと同じです。


2010年06月19日(土) タバコそのものがストレスの元

ロイターのオンライン版を読んでいたら、こんな記事を見つけました。

禁煙で慢性ストレスが軽減する可能性=英研究
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-15870620100617魚拓

タバコを吸うことが「ストレスの解消になる」と信じている人は少なくありません。
それにはおそらく一抹の真実が含まれているのでしょう。
喫煙者の9割以上はニコチン依存の診断基準(IDC-10のF17)を満たすそうです。タバコ吸いは立派な薬物依存者で、依存というのは何かしらメリットがあるからこそ対象に依存するものです。アルコール依存の人だって、最初は酒によるメリット(ストレス解消とか)が大きかったはずです。それが依存症という病気が進行するにつれ、デメリットのほうが大きくなっちゃって、やめざるを得なくなったわけです。

タバコを吸う人も、タバコによるストレス解消効果より、吸うこと自体のストレスが大きいらしく、やめた方が2割ほどストレスが減る、という研究成果です。

元ネタがAddiction誌だというので、プレスリリースに出てないかと見にいったのですが、残念ながらオンラインには出ていませんでした。そのかわり、こんな記事をみつけました。

Smoking cessation treatments work and are safe for people with severe mental illness
http://www.addictionjournal.org/viewpressrelease.asp?pr=125魚拓
深刻な精神病の人への禁煙治療は有効かつ安全、という話です。

SMI=深刻な精神病(例えば統合失調症)の人は、タバコを吸う人が通常より2〜3倍多く、それが多くの健康被害をもたらし、死亡率の高さ(3倍)につながっているのだそうです。

統合失調症で荒廃が進んで長年入院している人など、タバコしか楽しみがない人もいます。医者はそういう人を禁煙させることに後ろ向きで、禁煙によるストレスで精神の状態が悪化することを心配していました。

こちらの研究では、そういう人にも禁煙治療(薬物療法・行動療法)が有効であること、また精神病を悪化させない(安全である)という結果が出ています。

荒廃した統合失調の人の寿命は25年短いのだそうです。それは統合失調そのものの影響よりも、タバコの影響のほうが大きいのではないか、というコメントがついています。

アルコール依存症の人の平均寿命は52才だそうです。これは日本人男性の平均寿命より25年は短く、おそらくその主因はアルコールそのものでしょう。しかしアル中にはタバコを吸う人が多い(AAのイベントは煙い)ことを考えても、タバコによる影響も無視できないはずです。きっと疫学的に調査すれば寄与危険度の数字が出ることでしょう。

アメリカでは酒をやめたアル中の死因も研究されていて、そのナンバーワンはタバコになっています。AAメンバーでも、もっと長生きしてメッセージを伝え続けて欲しいと思う人がガンで死んでいくのは残念なことです。

僕が酒をやめた人にタバコもやめることを勧めています。もちろん、酒とタバコ同時にじゃなくて、より深刻な酒のほうを優先し、それが安定してからタバコですけど。それが薬物依存だからというより、

せっかく酒をやめたのに、タバコで死んだのじゃつまらない

からです。
それに、「女性はタバコを吸っていると、明らかに早く老ける」からでもあります。


2010年06月18日(金) 問題の分かち合いばかりでは

6月3日の雑記「その概念を他の依存に拡張する」で、
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20100603
「問題」と「解決方法」の二つに分けました。

人それぞれ抱えている問題は違います。アルコールだったり、ギャンブルだったり。薬物だったり。共依存だったり。はてはACだったり。問題が違えば、ミーティングでそれを分かち合っても、共感できないことだってあります。

僕はアルコールの人なので、ギャンブルへの衝動がコントロールできないこととか、覚醒剤をやってセックスするといかに気持ちいいかとか、食べて吐いたときのちょっとスッとする感じとか、(頭では理解できても)体験的に知っているわけじゃありません。

けれど、問題は違っていても、解決方法(12のステップ)は共通です。

「私たち一人一人にとっての偉大な事実は、私たちが共通の解決方法を見つけたということにある」(p.27)

だからミーティングでは、問題ばかりでなく解決方法も分かち合う必要があります。どうやってその問題を解決したかという「経験」を分かち合うことで、将来へ向かう「力」や「希望」が生まれてくるからです。

逆に言うと、問題ばかりが分かち合われているミーティングには「希望」がありません。表面的に明るくても、裏にはいつまでも問題に屈服され続ける惨めさが潜んでいます。過去アディクションがひどかった頃にあんなことやこんなことをした、と笑いに転化して話すのは、一見楽しく明るい分かち合いに見えるのですが、それだけでは実は解決のない暗い暗い希望のないミーティングになってしまうのです。

依存の症状が止まっても、それだけで問題が消え去るわけではありません。日常生活の中で、問題はいくらでも発生してきます。人間や金銭への不満や不安にさらされ続けるのが人生なのですから。もちろん、人間にとってそうした心の中の問題を口に出すことは大切なことです。けれど、ミーティングは問題を分かち合う場所ではなく、むしろ、それをどうやって乗り越えたか(解決)を分かち合う場所です。

けれど、そうした解決の示されない(暗い希望のない)ミーティング会場でも、人はそこに何らかの心地好さを感じます。悩んでいる人は孤立しがちなので、悩んでいるのは自分一人だと思っています。けれど、ミーティングに行けば同じ問題、同じ悩みを抱えた人が他にもいることがわかり、その中に混じって「ちょっとホッとする」のです。

また悩んでいる人は孤立しがちなので、(酒やギャンブルが止まっていても)心の中を打ち明ける相手がいない(か少ない)のがふつうです。ところがミーティングに来れば、みんな黙って自分の話を聞いてくれますから、先週のミーティングから今日までこんなことがあったとか、会社や家でこんな目にあった、という話をして、それで「ちょっとスッとする」のです。

こんなふうに、問題ばかりが分かち合われるミーティングでも癒し(リリーフ)は与えられます。けれど、その癒しの効果は一時的なものに過ぎず、問題は解決されないまま残ります。せっかくミーティングにつながっても、そのことに失望して去ってしまう人もいます。あるいは、一時的な癒しを延々求め続ける人たちもいます。

ある人がミーティングに毎日通って酒をやめていました。回復優先で仕事はしていませんでした。三年経って仕事についたら、忙しくてミーティングに行けず、精神的に調子を崩して再飲酒、仕事もクビになってしまいました。この人に対して「ミーティングから離れるから再飲酒するのだ」と言って済ませていいものでしょうか。

一時的な癒ししか与えないミーティングに毎日通って、それによって断酒を続け、そこから離れたら酒を飲んでしまう・・忙しくてミーティングに行けない状況に、ただ流されてしまうだけの人を作る。これでは回復とは言えません。この人に、またミーティングに通えばいいよ、というのは、螺旋をもう一回転させるだけ、良くて問題の先延ばし、悪ければ「人殺しの論理」です。

だから、ミーティングでは問題だけでなく、解決(ステップ)の話をしなければなりません。ステップの話というのはどうしても堅苦しい雰囲気になりがちなのですが、でもそれが実は明るくて希望のある会場なのです。

けれど、それだと解決を経ていない、ステップをやっていない人はミーティングでの分かち合いに参加できなくなってしまいます。ステップをやっていないビギナーは、問題を分かち合えばいいし、それで「ホッとする」でも「スッとする」でもしてくれればいい。一時的な癒しでも何でも使って、ともかく酒やギャンブルをやめ続けることが大切です。なぜなら、酒に酔いながら、薬でラリリながらステップをやるわけにはいきません。ステップをやるまでの猶予期間です。

ビギナーには、問題だけを分かち合う自由が許されている。

のです。問題だけを分かち合っている人がビギナー(何年飲んでいなくても)、解決(ステップ)の経験を話せるようになればビギナー卒業、ということです。

問題だけしか分かち合われていないミーティング会場は結構たくさんあります。それが与える一時的な癒しが自助グループの効果のすべてだと思っている人もいます。けれど、それは誤解です。自助グループの真の実力はそんなものではありません。見くびってもらっちゃ困るってわけ。


2010年06月17日(木) 希少種

厚生労働省の行った患者調査(2008年)によれば、精神病(精神および行動の傷害)で治療を受けた総患者数は281万5千人。(ちなみに統合失調症が約80万、気分障害(うつ病など)が約104万)。
一方、アルコール依存症で治療を受けている総患者数は1万6,700人(患者調査2005)。

ということは、精神科医が診る患者のなかで、アルコール依存症の人は1.67万/281.5万=0.59%です。

KASTを基準にアルコール依存症の有病率を推定すると男性7.4%、女性1.5%。これだと450万人が依存症。IDC-10を基準にした場合は男性1.9%、女性0.1%。82万人がアルコール依存症です。決して依存症の人が少ないわけじゃありませんが、医者にいく人が少ないのです。

つまり、アルコール依存症の受診率はとても低いため、「精神科の現場ではアルコール依存症の人は珍しい」。168人の患者のうち1人だけなのです。

さらに、うつ病も併発している、しかもそのうつ病が難治性で何年も治療している、となると、そんな患者を複数抱えている先生って、どれぐらいいるんでしょう(きっとすごく珍しい、という意味)。


2010年06月15日(火) 優れていたから断酒できたわけではない

確かに僕は十何年間か酒を飲んでいません。
それだけ断酒が続くということは、僕に何か優れた点(例えば「断酒に向いた資質」)があると考える人もいます。
でもそれは大きな誤解です。

もし僕が再飲酒したとして、もう一度断酒できる確率はどれぐらいでしょうか?
「ひいらぎさんみたいな人だったら、きっとまた断酒できますよ」という人もいます。でもそれは誤りで、「他の人と変わらない」が正解です。

何年酒をやめていても、また飲んでしまったら今度は細かな再飲酒の繰り返しになってしまって、(今のところ)自助グループに戻ってきていない、という人はいくらでもいますし、中にはそのまま死んでしまう人もいます。

自助グループは確かに断酒に役に立ちますが、そのメンバーになっていることが(再飲酒後の)断酒に対する能力の高さを示しているわけではありません。もし、断酒会やAAのメンバーを100人並べて、全員を谷に突き落とし(酒を飲ませ)たとすると、谷底からはい上がってこれる(再度断酒できる)人の割合は、いま入院中の患者さんたちと変わらないはずです。

断酒が始まったときに、断酒会やAAに通おうと思ったのは、何らかの幸運に寄るところが大きいわけで、別のタイミングだったら同じ人でもダメだった可能性が高いのです。(AAメンバーであれば、その気にさせてもらえたのもハイヤーパワーのおかげと言うかもしれません)。

以前にも書きましたが
「行ったり来たり」
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20100503

再飲酒する人は、飲んでもまた酒をやめることができる、と考えているのです。
もし酒が毒薬で、飲んだらその場で死んでしまうなら、本物の自殺志願者しか再飲酒しないでしょう。アル中は緩慢な自殺だと言いますが、実際には生きるために飲んでいるのであって、再飲酒は自殺ではありません。再飲酒しても生き残れると思うからこそ、目の前の酒が飲めるのです。

今回の断酒(ソブラエティ)が、何らかの幸運(偶然)によって得られたもので、次もチャンスが与えられるとは限らない(今度飲んだらそのまま一生やめられないかも)という事実に思い至れれば、今飲まないで生きていられることの奇跡に感謝できるというものです。そう、ソブラエティは貴重なものだからこそ、大切にしなければならないのです。

「またやめればいいよ」というのは、飲んでしまった人を慰めて、またやる気を出してもらうためにかける言葉です。今やめている人間が自分に対して使うのはそれこそ自殺行為です。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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