心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年02月07日(日) RDPワークショップ参加

ジョー・マキュー(Joe McQ)はアメリカのアーカンソー州リトルロックのAAメンバーでした(州で最初に回復した黒人のAAメンバーだそうです)。彼は1973年にアラノンのコンベンションにスピーカーとして招かれたチャーリー・Pと出会います。ちなみにチャーリーは白人のAAメンバーです。

お互いにビッグブックに関心を持っていることがわかると、二人は親しい友人になり、225マイル(360Km)離れていたにもかかわらずお互いの家を訪問しあい、ビッグブックについて自分が学んだことのメモを持ち寄り、理解を深めていきました。

彼らは各地で行われるAAのカンファレンスに参加する際にも、ホテルの一室で分かち合いを続けたのですが、ある時トニーというメンバーがそこに加わりました。そして次第に加わるメンバーが増え、カンファレンスのたびにホテルの一室でビッグブックを使った非公式のステップミーティングが行われるようになりました。

この「ジョー・アンド・チャーリーのビッグブック・スタディ」というスピーカーミーティングは年に約8回行われていましたが、1977年にこれがテープに録音されました。1980年にウェスレイという人が、このテープをAAの国際コンベンションで配ったところ、これが実に好評で、あっという間に全米に広がりました。

もともとAAイベントのスピーカーとして招かれることの多かったジョーですが、これ以降チャーリーと二人に「ビッグブック・スタディ」の依頼が全米から来るようになります。彼らは以降二十数年間に渡ってこれを続け、アメリカとカナダのすべての州、オーストラリア・ニュージーランド・イングランド・スコットランド・アイルランド・ドイツ・スイス・オランダ・アイスランドで週末のビッグブック・スタディを行いました。

これがAA共同体に与えたインパクトは強烈で、英語圏のAAメンバーに「あなたはどんなふうに12ステップをやったか?」と尋ねると、「ジョー・アンド・チャーリーのやり方で」という答えがしばしば返ってくるのです。

この二人のビッグブック・スタディは1999年が最後になり、しかもジョーは2007年に亡くなってしまったのですが、「もう一人のジョー(Joe McC)」というやっぱり黒人のメンバーによって、今でもジョー・アンド・チャーリーは続けられているそうです。

この二人は本も書いており、ジョーの書いた本のうち2冊はすでに日本で出版されています。

さて、ジョーはリトルロックにあった治療施設に1970年代から関わるようになり、そこでもジョー・アンド・チャーリーのやり方を応用していくのですが、施設という制約の中で12ステップをクライアントに効率的に伝える方法として「リカバリー・ダイナミクス(RDP)」という治療プログラムを開発します。

今回奈良ダルクの招きでジョーの後継者のラリー所長が来日し、RDPの講習会が行われたので参加してきました。土曜朝からだったので、金曜晩のミーティングを済ませてから車で移動し車中泊、という中年には無茶なことをしてしまい、疲れが取れず居眠りをするかも、と心配だったのですが、大変に中身が濃く、二日間集中を続けてぐったり疲れて帰ってきました。

大学ノートにこんなにたくさんメモを取ったのは何年ぶりだよ、と自分でもビックリです(それだけ勉強嫌いなんです)。それにしてもあれだけ金を払ったのにメモのひとつも取らない人って、何を考えているんだろうね。

それと英語だと通訳の品質が心配だったのですが、今回通訳をしてくださった方は回復の用語にも詳しくてとてもわかりく、本当に助かりました。

宿舎では国内の回復施設のスタッフの方と一緒になり、一時間ほど話を聞かせて頂きました。当然施設のスタッフ向けのプログラムだったのですが、いろんなグループから自分のスポンサーシップの参考にしたいというメンバーが参加していました。

得がたい機会を作ってくださった皆さんに感謝。僕は今後とも回復の分野で仕事をする予定はありませんが、今回得た知識を自分の回復と、スポンサーとしての活動に生かして経験を積み重ねていきたいと思います。

ともかくこの業界(?)は、知識と経験の少ない者が、より多く持つ者からそれを渡してもらうことで動いています。5年経ち、10年経てばもう学ぶべきことがなくなるわけじゃなくて、ますます得るべきもの、やるべきことが増えてくる感じです。回復を始めたばかりは万能感に満ちていますが、年を経るごとにいかに自分の知ることが少ないかを知っていくわけです。

いままでのスポンシーにも、改めて機会を作って今回僕が得たものを渡し直さなくてはと思っています(が、どうせずるずると先に延びるんでしょうな)。


2010年02月05日(金) ネットのabuseとうつ

ブログに載せたこの記事について

インターネットの過剰使用とうつに関連性
http://www.ieji.org/dilemma/2010/02/post-241.html

どういう基準でインターネット依存症(IA)と診断しているのかは不明ですが、ネットの過剰使用とうつの間には密接な関係があるという話です。

自分のうつ病の経験からすれば、うつの酷い時にはネットどころかパソコンの電源を入れる気にもなれず、携帯電話をいじる気にもなれませんでした。しかし、そういうメランコリー型のうつばかりではなく、非定型のうつもあれば、他の病気のうつ症状もあり、先日まで書いていた発達障害に起因するうつもあります。当然、アルコールその他の依存症によるうつ症状もあるわけです。

そして、そうしたうつの中には、(メランコリー型と違って)うつの症状が酷くてもパソコンでインターネットができたり、携帯でネットにアクセスできる人もいるわけです。精神科医のブログには、精神状態が悪化するとネットのアクセス量が増える(例えば携帯のパケット代が増える)例が書かれていました。

とすれば、ブログや掲示板で「うつだ」と書いている人の中にも、実際に重いうつ状態の人がいても不思議じゃありません。けれどその人たちが(定型の)うつ病だとはちょっと信じられません。その人たちはネットや本で調べた「うつへの対処法」を実践して、仕事を休んだりしているのでしょうが、その割には何年経っても良くなっていません。遷延性のうつがそんなに大量に存在するとは思えないのです。

ともかくヘビーなインターネットユーザーには精神を病んだ人が多い、ってことは分かりました。断酒板も含めたメンヘル系掲示板では、ともかく具合の悪そうな人が多いわけです。どう見ても、ネットの掲示板にいる人たちよりも、断酒会やAAに通っている人の方が精神的の健康度が高いのは確かです。それは、具合の悪い人は人と接したがらず、でも寂しいからブログや掲示板には出てくる、ってことを考えれば当然なのかも知れません。

ネットで対人トラブルを起こしている人も、リアルで接すれば「悪い人じゃない」こともあります。けれど、それは期待される社会的役割を「演じて」いるので、人間関係が苦手だったり、人と接すると疲れてしまうわけです。だとすれば、ネットでトラブルを起こしている姿が、その人の「仮面の下の本当の姿」なのだと思われます。


2010年02月02日(火) 酒類販売管理協力員

昨年の5月に市の広報誌を見ていたら、酒類販売管理協力員募集という記事を見つけました。募集元は国税庁。何をするかというと、酒の売り場に行って「ここは酒の売り場である」「未成年に酒は売らない」という表示がきちんとされているかチェックする仕事です。

ちょうど会社から賃金カットが提示され、それに応じて休日が支給され、減収分のアルバイトを許可するという話があったところなので、税務署に電話をかけて応募の手続きを尋ねました。ウェブから申込用紙をダウンロードし、記入して郵送するだけでした。

一ヶ月ほどしたら、税務署から電話で採用の通知があり、説明会をやるので来てくれと言われました。念のためネクタイを締めて出かけることにしました。

会場に着くとすでに20人ほどの人が集まっており、定年後のおじいさんや主婦らしいおばさんがメインでした。署長の挨拶の後、一人一人に依頼書が手渡され、説明が始まりました。自分が選んだ酒類販売場(酒屋やコンビニやスーパーの酒売り場)に行って、注意書きが正しく書かれているかチェックするのが仕事です。チェックポイントは、酒の売り場がちゃんと他と区分けされているかどうか(酒以外の商品とのごちゃまぜは不可)、そこにはお酒の売り場と表示されているか、年齢確認をして未成年には売らないと表示があるかどうか。そういう表示の大きさとか、商品で隠れてないかとか。あとは酒の自動販売機のチェック。説明書を捨てちゃったので、細かいところはうろ覚えですが、ざっとこんなところです。仕事はチェックと報告だけで、是正指導は税務署の仕事なのでやってはいけません。

説明が終わると、管内の酒売り場から自分の調査したいところを選びます。みんな自分が買い物にいくスーパーなどをチェックするので、選ぶ順番が後になると、遠くのコンビニなどを選ぶ羽目になります。選び終わるととっとと帰ってしまう人がいましたが、きっと毎年やっていて手慣れているのでしょう。

調査一件あたり報酬は千円。そして一人あたり11件だから、僕の実入りは11,000円。件数は税務署によって違うようですが、国がこの調査員に用意した予算が2,000万円、募集する調査員が2,000人ですから、平均すれば一人あたり1万円ということになります。ちょっとしたアルバイト感覚ですね。

僕はスーパーを4件、ドンキとヤマダ電機とドラッグストア各1、残りはコンビニを選びました(ヤマダ電機で酒を売っているとは知らなかった)。店を回ってチェックして、調査票に書き込むだけだから簡単な仕事です。店に入って何も買わずに出てくるのは、ちょっぴり強心臓を要求されるかも知れません(なにせ1件あたり千円ですから、下手に買い物をすると報酬が減ってしまいます)。

どの店も非常に真面目にルールを守っていらっしゃる。たまに表示が商品で隠れちゃっている程度です。・・・ところが、近所のドラッグストア1軒だけは、全然違っていました。商品は酒と酒じゃないのが混じって展示され、表示も何もなし、まるっきりルール無視なのです。当然×印ばかりの調査票を提出しました。

報酬は忘れた頃に銀行に振り込まれました。最初に申込書を書くのに1時間、説明会に2時間、調査に3時間、調査票の提出に1時間、合計7時間とすると時給千五百円ぐらいの仕事でした(当然その収入は税務署に捕捉されるでしょう)。

それから例のドラッグストアに行くたびに、酒売り場を覗いてその後どうなったか確かめているのですが、数ヶ月経った現在もルール無視のまんまです。未成年の飲酒を防止するには、未成年に酒を売らないのが一番で、警察よりも国税庁がその施策の中心を担っているだとか、酒類販売管理協力員制度を活用して販売店を強力に指導している、などとどこかに書いてあったりしますが、この例を見る限り実際にどれだけの指導が行われているのか大いに疑問です。事業仕分けで消えていっても構わない施策だったりして。
本気で未成年者の飲酒を減らしたければ別のことをしなくちゃね。

今年も募集があるでしょうから、時間がある方はチャレンジしてもいいかも。でも、酒売り場に出入りするのはお薦めできないか。ま、奥様にやってもらえばいいのでは。


2010年02月01日(月) たまには共依存について

共依存というのは、依存症の家族に見られるある種の傾向を示す言葉です。

本来アル中本人が取るべき責任を肩代わりしてしまうことによって、本人の回復を遅らせてしまい、家族も不幸になってしまうのに、それがやめられないのです。

共依存は(ACと同じで)医学的な意味での病気ではありません。しかしなぜそれに「依存症」という名がついているのでしょうか。それがco-dependency(共依存症)と呼ばれる前は、co-alcoholism(コアルコホリズム)と呼ばれていました。共依存の人というのは単なる「世話好き女房」ではなく、アル中本人に似た行動の特性を持っているのです。対比してみましょう。

(本人)酒を飲み続ける自分の行動がどのような結果を招いているか考えない。
(家族)本人を世話する行動が、どのような結果を招いているか考えない。

(本人)アルコール以外のことへの関心が薄い。
(家族)誰かの問題で頭がいっぱいで、他のことへの関心が薄い。

(本人)酒なしの生活では落ち着かず、酒のある生活に戻りたがる。
(家族)トラブルのない平和な生活だと落ち着かず、トラブルを起こす人の元へ戻りたがる。

この他にも、ノーと言えない、怒りをうまく表現できない、被害者意識に取りつかれている、そのくせ罪の意識が強い、辛抱強く待てない、ほどほどではなく極端になりやすい・・などなど、依存症本人と共依存の人の行動パターンは似たところが多いのです。

では共依存の人はどうすればいいのでしょう。本人が「酒を手放せば良い」ように、家族も「本人を手放せば良い」わけです。そこで、僕らは相談を受けると、ついついこんなことを言ってしまいます。

「あなたが旦那さんの病気を治そうと思っても無理です。世話をしたり、尻ぬぐいをするのはやめて、本人に責任を取らせなさい。あなたは時間を自分のために使って、自分の楽しみを見つけて下さい」

二郎さんの掲示板なんかでも、僕もこんなことを書いていたことがありました。そして、また尻ぬぐいをしてしまいましたという告白があると、それをしているから旦那さんが回復できないのです、と責めてしまったりしたわけです。
しかしこれは、依存症の本人にこう言っているのと同じです。

「酒をやめなさい。酒を手放しなさい。酒以外のことに時間やお金を使って、別の楽しみを見つけるのです」

あげくに再飲酒を責めているのと同じことです。アル中本人が酒をなかなか手放せないように、家族もまた本人を手放せず、また世話を焼くという再発を繰り返します。なぜなら、酒を飲まない本人がイライラ落ち着かないように、世話をしない家族もイライラ落ち着かないからです。

アル中さんが周囲から酒をやめるように圧力を受け、自分だけの力でなんとかやめようと無駄な年月を過ごすように、共依存の家族も関わることをやめるように圧力を受け、なんとか自分の力でやめようと再発を繰り返してしまいます。

自分の力では再発を防げない、その点でまったく無力なのだ、と認めることから「回復」が始まるのは、本人も家族も同じです。

ある施設からのニューズレターの記事を読んで、その原点を思い出しました。


2010年01月31日(日) 一段落

久しぶりにのんびり雑記でも書こうと思ったらもう夕方です。
深夜までに書類を一式準備しなければなりませんが、とりあえず雑記を先にしましょう。

スポンシーと月に二回のペースで続けてきた、ステップの受け渡し作業が一段落つきました。終わったわけではありませんが、ステップ8の表ができたので、あとはご本人があちこちで埋め合わせをしていく過程を見守ることになります。

一回のセッションは6時間ぐらい。短いときは3時間ぐらい。月に二回のつもりでしたが、お互いのスケジュールがあわず月に一回だけになったことがあったので、7回のセッションを終えるのに4ヶ月半かかりました。

僕は、初版に寄せてから始めて、「医師の意見」、1章、2章、3章でステップ1、4章でステップ2、5章の途中まででステップ3をやり、そこでいったん12&12のステップ4に移って、安全・社会的・セックスの三つの本能について理解した上で、ステップ4に進むことにしています。今回はステップ3が終わったところで「あとは次回」ということにしてしまったため、それが辛かったとスポンシーの人に指摘されました。

ステップ3で「なんだってやってやる」と決心したのはいいけれど、じゃステップ4は次回ねということになったために、具体的な行動が何もできずにただ次のセッションを待つしかない「ヘビの生殺し」状態になってしまいました。幸い今回はスポンシーがその間もモチベーションを保ち続けてくれたから良かったものの、そうでなかったら、そこでしくじっていたかも知れません。次からはそこで区切らないように気をつけることにします。

それから、なぜ恨みの表→恐れの表→傷つけた人の表という順番で書くと良いのか、それもスポンシーから教えてもらいました。人を傷つけたことや、人を恐れていることは、いきなり表にしづらいのですが、人に傷つけられたこと(恨んでいること)は比較的書きやすい。それが首尾良くできたら、自分では書きづらいと思っていた表もハードルが低くなっているわけです。

表を見て、話を聞きながら、本当はその人の何が傷ついたのか、かわりにいつどうすればよいのか、その人の特徴的な行動パターンは何か、それはどこから来たのか、一緒に考えていくのはなかなか疲れる作業です。今はスポンシーが帰った後で布団を引いて1〜2時間休んでいるのですが、そのうちこれにも慣れていくのかどうか。

僕は彼の回復の役に立てたのでしょうか。
それは分かりませんが、是非そうであって欲しいと願っています。僕は誰かの回復の役に立てることもあるでしょう。でも逆に回復の足を引っ張ってしまうこともあるでしょう。自分が「誰にでも良い影響を与えられる奇跡の人」でないのはハッキリしています。

短期的に見て誰かが傷つかないように配慮すると、長い目で見ればその人の足を引っ張っていることが多いようです。厳しく接することが最善ということを僕も学ばねばなりません。僕のソブラエティの初期の頃に、厳しく接してくれた人たちへの恩義を改めて感じます。


2010年01月28日(木) 発達障害について(その14)

Dr.KOBAのブログが閉じてしまって残念です。

アスペルガー症候群の人の起こした殺人事件がニュースで大きく扱われたこともあり、アスペルガーの人に犯罪性向があるという誤解があるようです。もちろん、アスペルガーの人が全体として犯罪に絡むわけではありません。しかし、犯罪を犯してしまう人がいるのも事実です。杉山先生の本では触法行為がある割合は約5%だとされています。

まずひとつは自閉症圏の特性が原因になっているもので、例えば放火の事犯を取り上げると、その動機が恨みやむしゃくしゃしたからではなく、「火をつけたらどうなるか知りたかった」というシングルフォーカスの特性や結果を想像する力の障害から起こってくるものです。
(それが人を傷つける結果になるとは予想できないから)。

もうひとつは、未診断・未治療のまま経過したケースで、いじめや虐待という迫害体験から周囲から孤立し、家族とのあいだにも強い葛藤がある場合です。あるいは、家族が子供の行動を修正する努力を放棄してしまい(要はネグレクト)、不適応が社会的問題として噴出した最初がたまたま犯罪だった、というケースです。

どちらであれ、早期に診断、介入が行われれば防げることで、アスペルガーそのものに犯罪性向があるわけではありません。

併発症について書いておくと、アスペルガーの併発症でもっとも多いのは気分障害(うつ病)です。アスペルガーもうつ病も、セロトニン系の機能不全が関係するところが共通しているので、これは当然かもしれません。
近年、メランコリー型のうつ病(本来のうつ病)以外のうつが増えてきています。そうした非定型のうつ病は器質的な色彩を帯びているという指摘があります。そうした器質的うつ病の背景には、(アスペルガーに限らず)発達障害が存在しているのではないか、と考えればつじつまは合います。

統合失調症も多いのですが、自閉症圏の人が持つ「心が触れあわない印象」は、統合失調の人の持つ「硬い印象」と共通するのかもしれません。実際、アスペルガーとせず統合失調症と診断する精神科医もいるそうです。これにはメリットもあり、高機能発達障害では障害年金がもらえませんが、統合失調ならもらえるのです。

強迫性障害も多く、ひとつは子供の頃の不適応の結果としてなるもの。もうひとつは社会的適応が悪くないグループで、大人になってから周囲に適応しようと努力しすぎて強迫性障害になってしまう人たちです。

不登校も多いのですが、これはいじめがあれば当然かも。解離性障害が多いのも、記憶にフラッシュバックが起きやすい特性と関係あるのでしょう。

意外なのは性同一性障害の多さです。小学生の頃に心の理論を獲得した後で青年期にさしかかると、自分と周りの(同性の)人との違いに気づくようになります。自閉症圏の人は、対象との心理的距離を保てないという特性があります(これが想像力の障害へとつながっている)。自分について他者からの視点を欠いてしまうため、どこが問題なのかわかりません。自分の抱えている違和感の原因を、性的役割に求めてしまうと、男の子が女になりたい、女の子が男になりたいと思うようになります。
(しかしこれは本質的な性同一性障害とは違うような気がします。性転換手術後に自殺する人たちは実はこういう事情があるのかも。あるいはアスペっぽい性同一性障害の人は、実はアスペだけなのかも)。
これを防ぐためには、思春期になるまでには、本人に告知をする必要があるわけです。

考えてみると、性同一性障害も発達障害の一種と言えるのかもしれません(器質的問題だから)。

統合失調にしても、うつ病にしても、はたまた社会不安障害のようなものでも、その病気の標準的な従わない「非定型」があり、しかもそれが往々にして遷延性とか難治例であったりするわけです。そういう例の根底には発達障害があるという話が出ています。例えば(自閉症でなくても)子供の頃に虐待を受けた人が、大人になってうつ症状や不安障害を発症したとして、大人になってからの症状だけに着目して治療しているだけでは、なかなか根治に至らないのもうなずける話です。

大人を診る精神科医たちは、患者の生育歴に着目する習慣を持ちませんから、発達障害の存在は見過ごされがちです。21世紀の精神医学は、発達障害を抱えながら大人になった人たちのさまざまな併発症に対応していくことになるのでしょう。

21世紀の発達障害は、20世紀の精神分析のような大きなジャンルになっていくのではないか、と想像するのです。

さて、自閉症圏の話はここら辺にして、次回からADHDと虐待のことに移るつもりなのですが、星野先生がADHDと依存症についての本を書いているので、その本を読んでからにしようと思います。星野先生は、アルコール依存症をはじめとした各種依存症と、ADHDを含めた各種発達障害は重なっていると考えているようです。つまり依存症の人には、多かれ少なかれ発達障害(被虐待も含む)を抱えているのではないか、ということかも。

というわけで、いったん発達障害についてはこれで終わりにします。僕は自分が調べたことと考えたことをごちゃ混ぜにして書いているので、この雑記を鵜呑みにせずクリティカルな視点を持って読んでください。それから、発達障害そのものに興味があるわけではなく、あくまで依存症との関わりの中で調べているだけの話です。

(ひとまずおしまい)


2010年01月25日(月) 発達障害について(その13)

このアスペルガーについての雑記を読んで、「自分もあてはまるかもしれない」とスポンシーの人に言われました。僕は素人なので診断を下す立場じゃありませんが、その人を見てアスペルガーだとは思わないわけです。

子供の臨床に関わっている医療従事者が、発達障害のことを勉強したところ、来る患者全員が発達障害に見えてきてしまった、という話がありました。

なぜそう感じてしまうのか。

発達障害で問題になるのは、各能力間の発達の凹凸であり、凹の能力がその人の能力全体の足を引っ張ってしまうことだ、という話を思い出して下さい。発達障害でないことを定型発達と言いますが、この定型発達はすべての能力が均一に発展することを意味しません。

人間というのは得意なこともあれば、苦手なこともあります。発達障害を見る目を養うということは、能力間の凹凸に目を向けることですから、誰でも持っている得手・不得手にも目が向いてしまい、結果としてみんな発達障害に見えてしまったというわけです。

自閉症にも重度の人もいれば、軽度の人もいます。アスペルガーでも深刻な人もいれば、軽微な人もいます。発達障害と定型発達は白黒はっきり区別できるものではなく、つながっているものです。定型発達の人の中にも、アスペっぽい人がいることになります。とってもアスペっぽい人もいれば、少しだけアスペっぽい人もいるはずです。
前述の彼は、ひょっとしたら少しだけアスペっぽいのかも知れません。

アスペ度合いがどの程度であったとしても、(もしそれが本当にアスペから来ている障害であるのなら)障害の特性は修正しようがない、という点に着目する必要があります。

例えば大人のアスペルガーの人の悩みから「人からの誘いをうまく断れず、険悪になる」を取り上げてみると、人付き合いがうまくなるという目標ではなく、誘いを上手に断れるようになることをまず目標とすべきです。

このように障害といえるレベルでも、そうでなくても、人間の特性には変えようがない部分があることを考えねばなりません。

とはいえ、障害に対して何もできないわけではありません。子供のころに出来ることはたくさんあります。大人数の普通学級で逸脱行動を続けているより、少人数の特別支援教室でこまめに面倒を見てもらうべきですし、薬で衝動性を抑えて学習に取り組めば成績も伸びます。また虐待やいじめ、周囲の無理解からの保護も必要です。
そのためには何よりも、早期の診断が必要です。それも小学校入学前に。

自閉症圏の人は、概念化や一般化が苦手です。人間関係のルールを場面場面に適用していくことが苦手で、これが社会性の障害となります。場面に合わせて何が正しい行動かわからないので、紋切り型で不適切な行動をしてしまうわけです。しかし、彼らは記憶力が良いし、ルールを守ることは得意です。場面に合わせて細かくルールを学んでいき、失言をして恥をかくことを恐れずに質問していけば、適切な行動を取れるようになっていきます。

このように本人の努力と周囲の協力によって、社会や人間関係のトラブルは減らしていけます。また二次障害は防ぐこともできます。

つまり、障害には変えられる部分と、変えられない部分があります。変わらない部分は本人も周囲も受け入れ、変えられる部分は積極的に変えていくことが、障害への対応なのだと思います。

(まだ続く)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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