心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年12月13日(日) 微妙な話題(その2)

AAでなぜ白人は助かり、黒人やヒスパニックは助かりにくいのか? AAで人種差別が行われているわけではありません。実はこれは教育レベルの問題なのです。

どこの国でもそうですが、裕福な人たちは教育レベルが高い傾向があります(逆に貧乏人は学歴が低い)。貧しいがために高い教育が得られず、それがために低収入の職業に就き、生活に余裕がないので子供にも高い教育が与えられない、という悪循環が形成されます。貧困の固定は貧困の遺伝とも言われ、さまざまな政策が取られていますが、すぐに解消できる問題ではありません。とりわけアメリカのような低負担・低福祉の国では難しいのですが、フィンランドのような高負担・高福祉の国でも低所得層に教育を施すのは簡単なことではないようです。

アメリカでは過去の人種差別の影響から、黒人やヒスパニックに貧困が多く、しかもそれが増加しつつあります(貧困率が白人の3倍程度)。黒人の貧困の多さと、AAにおける黒人の少なさはどう関係しているのでしょうか?

AAのサーベイの数字には出てきませんが、実は白人でも教育程度の低い層はAAで助かりにくい傾向があることが知られています。アメリカはWASPの国(白人でアングロ・サクソン系でプロテスタントの人の国)と言われますが、AAも同じと言えなくもない。極論すれば、AAは白人の中流階級以上で知識層のためのものというわけです(ここらへんは本来すこし冗談交じりにしておかなければならないところですが)。

なぜ、こんなことになってしまったのか。
それを理解するには、AAが始まった頃のメンバー構成と、メッセージの運ばれ方がヒントになると思います。ドクター・ボブは3つの大学に行った人で、ビル・Wもとりあえず一つは出ています。初期のAAメンバーたちは、経済的に成功していたものの、世界恐慌とアルコールで地位を失った人たちでした。
ビッグブックの文章(原文)は格調高いと言われますが、それは当然修辞が理解できる読者を期待してのことです。彼らがメッセージの受取り手として想定したのは、自分たちと同じ階層の人たちでした。(それは「第四版に寄せて」から読み取れます)。

12のステップ自体にしても、例えばステップ4・5で行われる自己分析は(正直なところ)容易に習得可能とはとても言えません。「自己中心と身勝手はどう違うんだよ」みたいな質問はそれを象徴しています。「簡単な霊的な道具」と言いながら、ちっとも簡単でない小難しいプログラム、という印象を持ったとしても、あながち間違いとは言い切れないわけです(だが全般的には間違いで難しくはないのだけれど)。

12ステップにしてもAA共同体にしても現実は(ぶっちゃけな表現で)「頭の良い人たち向け」になっている。これがAAプログラムの「欠点」であることは明白で、サーベイの数字はその反映です。

AAの中でもそれは意識されていて、特にマイノリティにリーチアウトするためのパンフレットを作ったり、AAを紹介するコミックを作ったりしました。しかし、12ステップを「たやすい形」に翻案することは、公式には一切行われませんでした。

(たぶん続く)


2009年12月12日(土) 微妙な話題(その1)

2007年のアメリカ・カナダのAAメンバーシップ調査がここにあります。
http://www.aa.org/pdf/products/p-48_07survey.pdf
この中の「人種」の分布を見ます。

白人 85.1%
黒人 5.7%
ヒスパニック 4.8%
インディアン 1.6%
アジア系他 2.8%

ではアメリカとカナダの全体の人種人口比はどうなっているのか?
ちょっと古いのですが、2000年のアメリカの国勢調査と、2001年のカナダの人口調査の結果を使います。アメリカの人口調査では、白人・黒人・先住民・アジア系という分類と、ヒスパニックか否かという分類は別になっています。なので、ヒスパニック系の中の各人種の数を勘案し、さらにそこにカナダの人口を足します。するとこんな感じ。

白人 72%
黒人 11%
ヒスパニック 12%
インディアン 1%
アジア系他 3.6%

この二つを比較するために、AAでの%を人口の%で割ります。

白人 1.18
黒人 0.50
ヒスパニック 0.41
インディアン 1.60
アジア系他 0.79

この数字から何を読み取るか・・1.0以上の数字は「その人種がAAで助かりやすい」ことを示します。逆に1.0未満の数字は「AAで助かりにくい人種」です。

AAで白人は助かりやすく、アジア系は助かりにくく、ヒスパニックや黒人は最悪です(原住民系は数が少ないのでおいとくとして)。

AAでなぜ白人は助かり、黒人は助かりにくいのか? AAで人種差別が行われているわけではありません。実はこれは教育レベルの問題なのです。

(続きます)


2009年12月11日(金) ピンチ!

社用の携帯が鳴ったので、出てみると本部長でした。上司を二人も飛び越してくるからには、どうせロクでもないことに違いありません。
「韓国へ行ってくれ」
ああ、やっぱり。
今週、韓国からの事案が二つあったのに、他を優先させて後回しにしたのがいけなかったのか。業を煮やした韓国人たちが人身御供を要求したようです。
「行ってもかまいませんが(いや行きたくないけど)、身柄を拉致られると他の件が止まります。今日中に解決を送りますから、それで韓国人たちが納得しなかったらにしてください」
というわけで、行く・行かないの結論は来週に持ち越しです。
本音は面倒だから行きたくないだけの話ですけど。
「ところで、パスポートの期限は大丈夫か?」
「あと2年残ってます・・・あっ!」
「何だ?」
「今年名字が変わったので、パスポートが無効です」
(へっへっへ、再取得には最低6日間必要だから、少なくとも来週の出張はこれでなくなった。あとは来週末まで逃げ切れば年末年始の休み、来年になれば風向きも変わるだろう)
それにしても、再取得の費用は会社に出してもらおうかな・・・などと甘いことを考えていると、本部長からのメールが着信しました。
「旧姓で飛行機のチケットを取ってください」
くそ、その手があったか。
追いつめられるひいらぎであった。

日付が変わって、今日(土曜ね)はスポンシーの恐れの表を聞いていました。前回は恨みの表を聞いたのですが、これは過去まで遡っての表になりました。対して恐れの表は現在の人間関係が中心で、過去のものはありません。これは、過去の恐れの中で恨みに転化したものが、現在まで残って恨みの表に載り、転化されずに去った恐れは時間とともに忘却された、ということかもしれない、という話を二人でしました。
ステップ5の相手をするといつもそうですが、脳みそが疲れました(仕事よりも)。


2009年12月10日(木) 翻訳権の十年留保

交野市断酒会 をリンクしました。

「翻訳権の十年留保」というのは、先進国から後進国への文化の輸入を促進するために、先進国側の著作者の翻訳権を制限したものです。日本はこの規定の適用を前提にベルヌ条約に参加しており、国際的に認められた権利?です。主要国では日本にだけ認められていますが、それは欧米の言葉から日本語への翻訳の難しさを考えてのことだそうです。

1970年までの旧著作権法では、海外で発行された著作物が発行後10年間日本で翻訳出版されていなければ、翻訳権は消滅し誰でも自由に翻訳出版できることになっていました。これが「翻訳権の十年留保」です。1970年に新著作権法が施行され、この規定はなくなりましたが、1970年以前に発行されたものにはこの規定が有効です。

さらに、著作権の戦時加算というものがあります。第二次大戦中に戦勝国側の著作物の権利が尊重されなかったことを理由に、戦勝国側の著作権の有効期間を10年ほど延長しました(国によって長さが違います)。翻訳権の十年留保に対しても戦時加算が有効であるため、戦勝国側の著作物に限っては、1980年頃までに本国で出版されたものが対象となります。

したがって「一日二十四時間」の例で言えば、Twenty-Four Hours a Day は1954年に初版であり、これが1964年までに日本で翻訳出版されていなければ、日本での翻訳権は消滅しており、誰が翻訳出版しても問題ありません。したがってP神父が翻訳を出版することに問題はありませんでした。

しかし翻訳されたものには新たに日本語での権利が発生しますから、P神父の翻訳である「一日二十四時間」をそのままリプリントして出版してしまうと、P神父の翻訳著作物の権利を侵害することになります。別に新た日本訳したものであれば、この問題は発生しません。

「翻訳権の十年留保」というのは、原著作者にとってみれば勝手にどんどん翻訳されてしまい、印税も入らないので面白くないはずです。実際日本の出版社では、翻訳出版に当たって原著作者への連絡をしていないそうです(無用なトラブルを避けるため)。しかし、戦後の日本ではこの項目のおかげで、多数の翻訳出版が行われ、一冊の原著に複数の訳本が出版されることも珍しくありませんでした。その競い合いによって日本の翻訳の技術は向上し、現在の出版文化を支える基盤となりました。


2009年12月09日(水) 自助グループは必須か?(その2)

僕はある種の人たちに対しては「自助グループに行け」とうるさく言わないことにしています。自助グループは人と交流する場所なので、精神状態が悪く人との交流でさらに悪化してしまう人の場合には行かない方がいい場合もあるからです。うつ病や統合失調の具合が悪い場合、性被害などの重いトラウマがある場合です。そちらが悪化して入院した、自殺したとなると断酒どころではありません。

ただ、飲酒によって生じた抑うつ(アルコール性抑うつ)の場合にはそういう配慮は必要ありません。これは断酒後1年以上続くこともあります。となると、アルコール性抑うつと本来のうつを鑑別する必要がでてきますが、それほど難しくはありません。本来のうつの人は、「うつだからミーティングに行けない/行けなかった」という話はまずしません。これはアルコール性抑うつの症状を自助グループに行かない言い訳に使っていると思ってほぼ間違いありません。自殺しちゃうほど危ないのは、「会場にいるだけでとても辛いのですが、いつか良くなると思って毎日通っています」と言う人のほうです。辛いことでも行かねばと思って続けてしまうところが、いかにもうつなのですが、これを見落とすといきなり自殺されてしまったりします。

過去に自殺未遂のあるケースはリスクが高いのはわかるでしょう。それから、アルコール性抑うつの場合には抗うつ剤の効きが良くないので、他の薬が使われます。となると、抗うつ剤を飲んでいてその効果が出ている場合は、本来のうつ病について気をつけた方が良いことになります。うつ病が悪い場合には自殺する気力も出ませんから、自殺はある程度良くなってから、例えば働きだしてから起こることが多いのです。「元気になってきたあたりが危ない」ということは肝に銘じておいて欲しいことです。

医者もそういう事情を勘案して、自助グループに行かせる・行かせないの判断を下しているでしょう。医者だって患者に自殺されたくはない。アルコール依存症は死に至る病気とはいえ、一回の再飲酒で死ぬ確率はそれほど高くありません。「行かなくて良い」と言われる人の場合、再飲酒のリスクより、自殺を防ぐベネフィットのほうが大きいわけです。そういう人に無理に自助グループを薦めるのは禁忌で、症状が改善したときに改めて判断されるでしょう。

そちらの症状が改善すると、医者が自助グループを薦めるようになります。これをご本人は症状が悪化したと判断されたからと勘違いして医者ともめた例がありました。良くなっているのに追加の治療が必要だといわれて不本意だったのでしょう。しかし、良くなったからという根拠があってのことです。


2009年12月08日(火) 自助グループは必須か?(その1)

アルコール依存症者はAAや断酒会という自助グループに通うべきなのかどうか。
もちろん、ここで僕は「通うべきだ」としか言いようがありません。そういう立場でここにいる以上、それ以外のことは言えません。そういう僕に対して「私はこのような事情で自助グループに行きません」と言われても、「ああそうですか」としか答えようがないのです。間違っても「わかりました、そういう事情なら行かないのも当然ですね」という肯定的な返事は期待してはいけません。

しかしながら、行くのも行かないのも、まったくその人の自由だと思います。
もちろん、行ったほうが断酒の維持率が高いことはデータが示しているのですが、それも分かった上で行かない選択をするのもありだと思います。なにぶんにも、その人の人生はその人のものなのですから。

もし自助グループに行かずに何年も断酒が継続していて、いまの生活に満足していて、今後も再飲酒の不安がないのだったら、「断酒の三本柱」とか「自助グループへ通いなさい」なんて言葉に惑わされずに、自分のやり方に自信を持っても悪くないと思うのです。

であれば「行きたくないから行かない」とか「自分には合わないから行かなかった」とあっけらかんと言って朗らかにしていられるはずなのです。裏返して言えば、自分のやり方でよいと思っていながら、自助グループへ通わないことへのエクスキューズ(言い訳)が出てくるのは、やはり自然ではないのです。防衛機制、再飲酒への不安を表している可能性があります。

まとめると、自助グループなしでも断酒が順調だと自信が持てるならそれでオーケーだし、自助グループが気になるのは不安のある証拠ですからもう少し自分の状態に正直になった方が良いということです。

僕はある種の人たちに対しては「自助グループに行け」とあまり勧めないことにしています。それはどういう人たちで、理由は何か、ということは明日。


2009年12月07日(月) 偏食

普段のミーティングでは、説教くさい話になるのを避け、なるべく自分の酒やステップの体験を話すようにしています。しかし、いつもそうできるとは限りません。
昨夜は仲間のバースディミーティングで、本来であれば少しおめでたい話でもして、(誰だって自分の酷かった頃のことは忘れるので)以前のその人の姿を知るものとしてチクリと一言クギを刺すぐらいにしておこうかと思っていたのです。ところがご本人の話が「○年AAをやっても、自分はこれしか回復していなくて・・」という暗ぁ〜い話だったので、思わずむかっ腹が立ってしまい、僕の順番の時に「今日はお説教(をする)ね」と断って始めてしまったわけです。

アラカルトというのはメニューの中から自分の好きな料理を選んで食べます。またバイキング料理(スモーガスボード)では、セルフサービスで自分の好きな料理を取り分けて食べます。最近は安ホテルの朝食はもっぱらこれです。AAもそんな風に自分の好きなことを選んで楽しむ?ことも可能です。好きな仲間とだけ付き合い、お気に入りのミーティングやイベントにだけ参加していても、それなりのボリュームが確保されていれば、十分努力しているように見えます。
けれど好きなものだけ選んで食べていると偏食になります。体は正直なので、必要な栄養素が足りなければ不健康になります。AAも同じです。病気は正直なので、必要な栄養素が足りなければ心が失調します。真面目にAAをやっているつもりでも、結果を見れば不足があるのは明らかで、それを自己憐憫のネタにしていては、今後も同じことが続くばかりです。

何年か前、僕は東京で一人のメンバーと会いました。彼は「何年経っても惨めなソブラエティを送っているヤツは人殺しだ」と言うのです(彼はどこでもはばからずにそれを言うようです)。
僕はAAに来るまでは最高でも一ヶ月半しか断酒が続きませんでした。「いつでも酒がやめられる」と思っていたものの、心の奥では一生酒をやめるなんて無理だと思っていました。そんな自分にとって2年、3年酒をやめ続けているAAメンバーは天上の人みたいなもの。もしその天上人たちが「何年酒をやめてもちっとも回復せず辛いばかりだ」と話していたら、僕は「ほらやっぱり酒をやめても何も解決しない」と諦めて、死んでも構わないから飲み続けることにしたでしょう。東京で彼と会ったころの僕は、酒はやまっていたものの、会社が倒産し、子供は不登校になり、自分はうつが悪化して酷い状態でした。避けられない運命があるにしても、それを乗り越えていくステップの強さと希望が話の中になければ、「他の人が酒をやめる手助け」どころか「人殺し」のスピーチである、これがおそらく彼の言いたかったことでしょう。

酒を飲んでいると不幸が押し寄せてきます。回復すれば自業自得の不幸はなくなりますが、誰にでも訪れる不幸は酒をやめてもやってきます。幸せとは不幸が訪れないことではなく、不幸を乗り越えられる手応えみたいなものではないかと思います。栄養の足りた肉体が病気を乗り越えていくように。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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