心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年12月08日(火) 自助グループは必須か?(その1)

アルコール依存症者はAAや断酒会という自助グループに通うべきなのかどうか。
もちろん、ここで僕は「通うべきだ」としか言いようがありません。そういう立場でここにいる以上、それ以外のことは言えません。そういう僕に対して「私はこのような事情で自助グループに行きません」と言われても、「ああそうですか」としか答えようがないのです。間違っても「わかりました、そういう事情なら行かないのも当然ですね」という肯定的な返事は期待してはいけません。

しかしながら、行くのも行かないのも、まったくその人の自由だと思います。
もちろん、行ったほうが断酒の維持率が高いことはデータが示しているのですが、それも分かった上で行かない選択をするのもありだと思います。なにぶんにも、その人の人生はその人のものなのですから。

もし自助グループに行かずに何年も断酒が継続していて、いまの生活に満足していて、今後も再飲酒の不安がないのだったら、「断酒の三本柱」とか「自助グループへ通いなさい」なんて言葉に惑わされずに、自分のやり方に自信を持っても悪くないと思うのです。

であれば「行きたくないから行かない」とか「自分には合わないから行かなかった」とあっけらかんと言って朗らかにしていられるはずなのです。裏返して言えば、自分のやり方でよいと思っていながら、自助グループへ通わないことへのエクスキューズ(言い訳)が出てくるのは、やはり自然ではないのです。防衛機制、再飲酒への不安を表している可能性があります。

まとめると、自助グループなしでも断酒が順調だと自信が持てるならそれでオーケーだし、自助グループが気になるのは不安のある証拠ですからもう少し自分の状態に正直になった方が良いということです。

僕はある種の人たちに対しては「自助グループに行け」とあまり勧めないことにしています。それはどういう人たちで、理由は何か、ということは明日。


2009年12月07日(月) 偏食

普段のミーティングでは、説教くさい話になるのを避け、なるべく自分の酒やステップの体験を話すようにしています。しかし、いつもそうできるとは限りません。
昨夜は仲間のバースディミーティングで、本来であれば少しおめでたい話でもして、(誰だって自分の酷かった頃のことは忘れるので)以前のその人の姿を知るものとしてチクリと一言クギを刺すぐらいにしておこうかと思っていたのです。ところがご本人の話が「○年AAをやっても、自分はこれしか回復していなくて・・」という暗ぁ〜い話だったので、思わずむかっ腹が立ってしまい、僕の順番の時に「今日はお説教(をする)ね」と断って始めてしまったわけです。

アラカルトというのはメニューの中から自分の好きな料理を選んで食べます。またバイキング料理(スモーガスボード)では、セルフサービスで自分の好きな料理を取り分けて食べます。最近は安ホテルの朝食はもっぱらこれです。AAもそんな風に自分の好きなことを選んで楽しむ?ことも可能です。好きな仲間とだけ付き合い、お気に入りのミーティングやイベントにだけ参加していても、それなりのボリュームが確保されていれば、十分努力しているように見えます。
けれど好きなものだけ選んで食べていると偏食になります。体は正直なので、必要な栄養素が足りなければ不健康になります。AAも同じです。病気は正直なので、必要な栄養素が足りなければ心が失調します。真面目にAAをやっているつもりでも、結果を見れば不足があるのは明らかで、それを自己憐憫のネタにしていては、今後も同じことが続くばかりです。

何年か前、僕は東京で一人のメンバーと会いました。彼は「何年経っても惨めなソブラエティを送っているヤツは人殺しだ」と言うのです(彼はどこでもはばからずにそれを言うようです)。
僕はAAに来るまでは最高でも一ヶ月半しか断酒が続きませんでした。「いつでも酒がやめられる」と思っていたものの、心の奥では一生酒をやめるなんて無理だと思っていました。そんな自分にとって2年、3年酒をやめ続けているAAメンバーは天上の人みたいなもの。もしその天上人たちが「何年酒をやめてもちっとも回復せず辛いばかりだ」と話していたら、僕は「ほらやっぱり酒をやめても何も解決しない」と諦めて、死んでも構わないから飲み続けることにしたでしょう。東京で彼と会ったころの僕は、酒はやまっていたものの、会社が倒産し、子供は不登校になり、自分はうつが悪化して酷い状態でした。避けられない運命があるにしても、それを乗り越えていくステップの強さと希望が話の中になければ、「他の人が酒をやめる手助け」どころか「人殺し」のスピーチである、これがおそらく彼の言いたかったことでしょう。

酒を飲んでいると不幸が押し寄せてきます。回復すれば自業自得の不幸はなくなりますが、誰にでも訪れる不幸は酒をやめてもやってきます。幸せとは不幸が訪れないことではなく、不幸を乗り越えられる手応えみたいなものではないかと思います。栄養の足りた肉体が病気を乗り越えていくように。


2009年12月06日(日) mil 原点回帰運動について(その9)

最後にビッグブック・ムーブメントの他の団体への広がりについて。
僕自身は地元のACグループに出席したことがあるぐらいで、AA以外のグループの歴史も現状もわかりません。なので、これは伝聞情報です。

最近でこそNAでベーシックテキストが訳出され、OAではステップと伝統の本が、ACAでは「ACのための12ステップ」やアダルト・チルドレン・ビッグブック(ACBB)が出版されていますが、それまではミーティングでもスポンサーシップの中でも積極的に本を使っていくという話は聞きませんでした。

12ステップは、それを通じてハイヤーパワーとの関係を作っていくことが回復の基盤になるのですが、日本のAAでその部分が希薄になっていったのと同じ現象が、他のグループでも発生していたと考えられます。たとえば、このサイトに収録している新聞記事では日米のGAを取材してその違いに触れています。
http://www.ieji.org/archive/newspaper-clipping/ga-01-asahi.html
アメリカのGAでは「神の意志を理解し、自分の卑小さを確認することから始まる」のに対し、日本のGAでは自分の体験を語り、人の体験を聞くことで、人生のストーリーを再構築するとなっています。この外部からの視点を、自助グループ側の視点にてんかんすると、スピリチュアリティが重視されている状態と、仲間意識が重視されている状態の対比と言えないでしょうか。

日本のAAが、他の12ステップグループの成長の見本にならなかった、ということはよく言われることです。12ステップはAAが発祥だと聞き、ステップの話を聞こうとAAのオープンスピーカーズに行ったものの、そこでステップの話はほんの少ししか聞くことができなかった、という体験は少なからずあちこちから伝えられました。(オープンミーティングやオープンスピーカーズでステップの話をするべきか、というのは置くとして)。
また、援助職の人が生のAAの姿を知りたくてAAに行ってみたものの、本に書かれたことと現実があまりに違って驚いた、という話も実は珍しくありません。

12ステップの本質を「パワーゲームから降りること」と解釈し、必要なのは神を含む12ステップそのものではないとして10ステップを作ったり、「自己内部からの批判的な声に耳を傾けない」というグループ文化を作った麻布の先生の影響が、12ステップグループに及んでいました。

それぞれのグループが、始まりからしてステップが曖昧だったのか、AAと同じようなステップの希薄化が起きたのか、あるいは地理的な広がりによってステップの伝達が妨げられたのか。事情はそれぞれでも改めてステップを求める人たちと、AA内部のビッグブック・ムーブメントが相互につながるのは時間の問題でした。

BBF(ビッグブック・ファミリー)は、回復のプログラムとしてAAのビッグブックを使うグループとしてスタートしました。対象はアルコールや薬物依存者の家族の人たちです。このグループは結局アラノンに合流することを選んだのですが、現在でもBBFとしての活動も行っているようです。

秀眉はギャマノンで、基本テキストを持たなかったギャマノンのなかでビッグブックのステップのやり方が広がり、それが本人達のグループであるGAのメンバーに広がっていきました。同じ回復のプログラム、同じ価値観はGAとギャマノンの関係を(本人のグループと家族のグループとして)理想的なものとしている、と評する人もいます。

各グループでは、ビッグブックを読み合わせるときに、「アルコール」をそれぞれの依存対象に、「アルコホーリク」を自分たちの呼称に置き換えて読むのだそうです。例えば医師の意見をそう置き換えて読むことで、身体的アレルギーと精神的とらわれのモデルが自分の問題にもあてはまることを確認します。

ジョー・Mの功績を日本に紹介することを目的とした「回復研究会」には、各グループから横断的にメンバーが参加していますが、AA・NA・EA・GA・ギャマノンメンバーの姿を見ることができます。個人的には、AA以外のグループでビッグブックが回復のテキストとして使われるのは、それぞれのグループの基本テキストが有効に機能し始めるまでの限られた期間ではないか、と思っています。

ともあれ、現在日本の12ステップグループの中で「並列的に」ステップの(再)獲得運動が起きていることは間違いありません。たまたまAAのビッグブックがその手段として使われているために、ビッグブックの存在が目立っているのですが、焦点はあくまで12ステップそのものであることは強調しておきたいところです。

ステップを伝える「パケット」としてのビッグブックや、ジョー・Mについて、あるいは回復研究会についても書こうと思っていたのですが、長くなりそうなのでそれはまた別の機会にして、とりあえずこの文章はこれで終わりにします。


2009年12月05日(土) mil 原点回帰運動について(その8)

読んでいる方も飽きているかもしれませんが、書いているほうも飽きてきました。けれど、もう少しビッグブックのやり方全般の話を続けてみます。

「棚卸しのやり方がわからない」という質問をたまに受けますが、ビッグブックのp94〜95には見開きで棚卸表があり、その通りに書けばいいわけです。しかし、なかなか書けないのは、それが「誰を恨んでいるか」「何を恐れているか」「誰を傷つけたか」という表だからです。自分は誰も恨んでいないし、何も恐れていない、誰も傷つけてない、という否認が強いうちは棚卸表はなかなか書けません。
ビッグブックはその表に至るまで百数十ページありますから、それを分かち合ううちにスポンシーに自分を点検したい意欲を起こさせることが、スポンサーに必要な技量なのだと思います。

表の第一欄は「恨んでいる相手(恐れている相手・傷つけた相手)」、第二欄は「その理由」、第三欄は「自分の何が傷つけられたから恨んで(恐れて)いるのか」です。見開きの表は第三欄までですが、第四欄が付け加えられた表を使う人たちもいます(僕も)。第四欄は「自分自身の誤り」で、p.98とp.101の記載が根拠になっています。

僕は恨みの表・恐れの表・性の表(傷つけた表)の三つを使いますが、四つ表を作る人もいれば、一つで済ませる人もいます。

僕はスポンシーには「親に対しての恨みをたくさん書いて欲しい」と頼みます。人は幼い頃の親子関係から人間関係を学んでいきます。そして成人後、まるで親のコピーのように振る舞うか、あるいは親を否定して正反対の像になります(実際には両者がモザイクのように共存している)。いずれにせよ、現在のその人の対人関係のスキルや、性格上の欠点は、親から受け継いだものです。スポンシーの悩みは現在の家族(妻や子)に集中していることが多いのですが、親との関係を洗わない限り欠点が見えてこないと考えています。

親子関係にフォーカスをあてることは僕がスポンサーをやる中で身につけた技量であり、ビッグブックには書いてありません。いくつの表をどう使うかも書いてありません。つまり、ビッグブックの原理の部分と、スポンサー個人の技量の部分が存在しているのだと思います。

「棚卸しのやり方がわからない」という質問に対して、表だけ提示しても意味がないのは、それがスポンサーと一緒に動機を形成し、スポンサーと一緒に分析していくことが前提だからです。このサイトでも(ビッグブック関係の)棚卸し表はダウンロード可能にしていませんし、他でも積極的にやっていないはずです。


2009年12月03日(木) mil 原点回帰運動について(その7)

さらに続きます。

ビッグブックによる12ステップのやり方、という言葉を使うと、まるでそれにはたった一つのやり方しかないように聞こえてしまいます。
しかし、実際にはかなりバリエーションがあります。それは流派と呼んでも良いのかも知れません。B2Bやビッグフット、最近目立つジョー・マキューもそれぞれ一つの流派と呼べると思います。余計なものを使わずビッグブックだけという人たちもいます。棚卸表も少しずつ違います。「ビッグブックに書かれたやりかたをする」という点では共通でも、それぞれ特徴があります。「ビッグブックのやり方」あるいはビッグブック・ムーブメントというのは、それらの総称であり、決して一枚岩ではありません。

例えばドゥー・ザ・ステップというのを紹介します。

僕には経験がありませんが、これは元はドクター・ボブから始まったやり方だそうです。スポンサーとスポンシーが一対一でビッグブックを先頭から読んでいき、途中でスポンサーが大事なところに注釈を与えたり、スポンシーに質問をしたりします。その注釈や質問が「ドゥステ」のキモなのだそうで、ビッグブックへの書き込みは代々受け継がれているわけです。ぶっ通しでやっても2〜3日はかかるとか。
そしてステップの箇所に来ると、そこに書いてあることをします。祈るべきところでは祈り、棚卸表を書くところでは書きます。ドクター・ボブは約五千人の患者を治療したそうですが、患者たちはドクター・ボブの指導を受けながらベッドで棚卸表を書きました。スポンサーの目の前で棚卸しを書くのはプレッシャーが大きそうですが、ともかくそれをやり、すかさず性格上の欠点のあぶり出しが行われます。埋め合わせはその場ではできないので、スポンサーと一緒に誰にいつ埋め合わせをするか計画を立てます。
ドゥステは「次の人に渡し続けないとステップが腐ってしまう」と言われ、スポンシーの相手をすることによって、スポンサー側のステップが深められていきます。ステップのやり方はどれもそうですが、スポンシーよりスポンサーにご利益が大きい仕組みです。
ドゥステをやる人たちは、ビッグブックの表紙の裏にドクター・ボブから始まる系譜を書き、スポンシーはその一番下に自分の名前を加える習慣だそうです。
(経験がないのでドゥステについて違っている部分があったら教えてください)。


2009年12月02日(水) mil 原点回帰運動について(その6)

「バック・ツー・ベーシックス」や「ビッグフット」にどんな意味があったのでしょうか?

少なくとも僕は「これだけで回復できた」という人は一人も知りません。これらのビギナー向けのテキストがメンバーに回復をもたらさなかったのは明らかなことです。(回復した人はそれ以上のことをしています)。そもそもどんな形式であれビギナーズ・ミーティングとは、それだけで回復が達成できるものではありませんから、効果がなかったと非難するにはあたりません。

ある精神科医がビッグフットに対して「これは旅行のパンフレットのようなものだ」と評しました。私たちが旅行会社のパックツアーに申し込むと、旅行の日程を書いた紙が送られてきます。そこには何日にどこへ移動し、何を食べ、何を見、どこへ泊まるか書いてあります。それを見て私たちはどんな旅行になるのかおおよそ理解します。もし旅行に申し込んでも、集合場所しか知らされず、旅行の内容についてさっぱり情報がなかったら、あなたは大いに不安になるのじゃないでしょうか。

12ステップが旅行そのものだとすれば、ビッグフットは旅行の日程表のようなもので、旅行(ステップ)の概略を把握できる効果があります。けれどパンフレットを読んだだけで実際に旅行をしなければ、旅行の経験は得られません。しかし、旅行に行こうかどうか迷っている人には、旅行の中身を知ることは決断する上で大切です。

もし日本のAAがステップで回復した人の集合体であったならば、ミーティングではステップという旅行の経験談がたくさん話されていたに違いありません。その話はビギナーの人たちの耳にも入り、自分もどんな旅行をするのか(つまりステップは具体的にどうするのか)おおよそのところがはっきりと分かるはずです。
しかし現実のAAにステップをやった経験者が少なく、経験と力と希望が分かち合われていないとしたら、ビギナーの人たちには情報が与えられず、突然「ステップをやろうじゃないか。私がスポンサーになってあげよう」という人が現れても、知らないおじさんについていくのは怖いと感じて怖じ気づいて当然です。

こうして考えてみると、ビッグフットの果たした役割は、「ビギナーをステップにいざなう」という本来通常のAAミーティングが果たさなければならない役割であり、その機能を代行したにすぎなかったわけです。

「バック・ツー・ベーシックス」や「ビッグフット」を経験した人の中で、準備ができていた人たちはビッグブックのやり方でステップに取り組みました。ビッグフットは入り口として十分な役割を果たしたと言えます。ビッグブック・ムーブメントの成熟とともに、こうしたビギナー向けミーティングは下火になっていった感があります。しかし、何らかの形のビギナーズ・ミーティングは常に必要とされているはずです。いずれ新しい何かが始まるのではないか、と期待しています。

さらに続きます。


2009年12月01日(火) mil 原点回帰運動について(その5)

さらに続きます。

「ワリー・Pという一個人の12ステップの解釈を、AAの原理だとして広めてはならない」という批判を受けて「バック・ツー・ベーシックス」は1年あまりで使われなくなってしまいました。では本当にワリーの解釈は偏っていたのかどうか? 6年経ったいま再評価してみると、それはワリー個人の解釈ではあるものの、決してビッグブックの伝える内容から外れてはいません。ワリーの本もあくまでビッグブックを読むことを前提としていたわけで、AAの原理から外れようがなかった、ということでしょう。批判は的はずれでした。

しかしワリー・Pの本を日本で出版して使っていこうとしても、翻訳許諾のために提示された条件が厳しすぎてクリアできそうにありませんでした。そこで日本のメンバー達は一計を案じました。自分たちでテキストを書けばいいのです。
日本ではAAメンバー自身が回復のためのテキストを書くのはごく珍しかったのですが、アメリカではたくさんのテキストが広まっていました。ネットでダウンロードできるものもあれば、ヘイゼルデンで売っているものもあります。そこで日本のメンバーも自分たちが手にしたもの基づいてテキストを作ることにし、完成させたのが「ビッグフット」です。

ビッグフットはビギナー向けミーティング用で、「1時間のミーティング4回で12ステップすべてをこなす」というコンセプトは引き継がれました。これを使ったAAミーティングが行われるようになり、毎夏には一泊二日で12ステップを学ぶセミナーが開かれるようになりました。

当然予想されたことでしたが、これもワリーの本と同じように批判の対象となりました。AAのオフィスで売っている本ではなく、メンバーが書いた本をミーティングで使って良いのかどうか。かまびすしい議論が続いた挙げ句、その是非は常任理事会というAAの最終責任機関に持ち込まれました。彼らの判断は、賢明にも政府的役割を避けました。ビッグフットをAAミーティングで使うことの是非は判断せず(つまりそれは各グループの良心に委ね)、AAと外部の接点になる病院メッセージではメンバーが書いたテキストは使用しないで欲しい、という限定的な依頼の形を取りました。

それでビッグフットを使っていた病院メッセージで、ビッグブックだけを使うことになったわけですが、それで特に不都合は起きませんでした。ビギナー向けのミーティングでも本を二冊使うのは煩雑だと感じられるようになりました。こうして、独自のテキストを作って使う熱は徐々に冷めていきました。

現在でも「ビッグフット」の名前を冠したミーティングは行われていますが、すでに独自テキストは行われておらずビッグブックのみを使っているという話です。それでも、1時間のミーティング4回で12ステップを、というコンセプトは維持されたままです。

まだ続く。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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