心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年11月28日(土) mil 原点回帰運動について(その2)

さて、1990年代のビッグブックにまつわる話をしましょう。

ビッグブックはAAのステップのやり方や伝え方を書いた本で、一番基本的な本なのですが、当時のAAではビッグブックはほとんど使われませんでした。かわりに使われていたのは、ミーティング・ハンドブックというわずか16ページの小冊子でした。多くのメンバーは、それがビッグブックの抜き書きだということも知りませんでした。
(現在でもミーティング・ハンドブックは広く使われ、それしか使っていないグループもあります)。
ビッグブックの代わりに使われていたのは、12&12という本で、この本はビッグブックの補遺であるために重要な事柄が抜けている難点がありました。さらに、日本のAAで現実に行われていたステップのやり方が、(ミーティングで12&12を読んでいるにもかかわらず)この本の内容からも外れていたのです。その点で、日本独自のステップのやり方を「12&12のやり方」と称するのは正しくありません。

日本のAAが12&12をメインに据えたのは、日本でAAを始めたM神父とP神父の選択の結果だったことは明らかです。しかし彼らはその動機について語らずに亡くなったので、その真意を知ることはもうできません。ビッグブックが最初に訳出されたのが1977年、12&12は1979年なので、「12&12しかなかったから」という伝承は誤りです。
日本語版ビッグブックの初版にP神父が加えた「訳者註」は、その後の版から削除されていますが、それを読むとP神父がまだ酒をやめてないのに宗教にかぶれたアルコール中毒者に手を焼いていた様子がうかがえます。これはP神父が伝道組織で活動していたことと関係あるのかも知れません。依存症者が宗教に走ってもろくな結果がでないことは、現在の僕らも経験することです。P神父は、信じることよりも酒をやめることを優先するように、とその文章で勧めています。(宗教ではないけれど)信仰を強調しているビッグブックを使用をP神父がためらったのは、そうした事情があったのではないか、と思われます。

ビッグブックを使うあたって、その翻訳の品質が問題となりました。12&12のほうが後に訳されたということは、それを訳したP神父の頭もより回復し、翻訳にも慣れていたことを意味します。おまけに12&12は1990年代に翻訳が改定され、読みやすい文章になっていました。
一方ビッグブックは初期の訳のままで、これを何とかしようという話になりました。原文の持つニュアンスや雰囲気をより正確に伝える文章が望まれました。ちょうど日本のAAが始まって20年を迎える節目に、評議会という意思決定機関が作られ、その第一回でビッグブックの翻訳改定を進めることが決まりました。
それから紆余曲折がありましたが、担当者の努力もあって2000年に翻訳改訂版が出版されます。これによって多くのAAメンバーがビッグブックの存在を知り、実際それを手にしました。その影響は無視できません。この翻訳改定がなかったならば、現在のビッグブック・ムーブメントもなかっただろうと断言できます。

また別の努力もありました。
1990代の終わり頃、ある埼玉のメンバーが「ハンドブックという狭い窓を通してではなく、ビッグブック全体に触れよう」と提唱し、各地のAAラウンドアップでビッグブックを読んで分かち合う一連のミーティングを開催しました。この運動はそれほど長続きしなかったものの、一部のメンバーの中に「やはりAAはビッグブック」という意識を植え付けました。

こうして、現在のビッグブック・ムーブメントの種は1990年代に蒔かれました。


2009年11月27日(金) mil 原点回帰運動について(その1)

現在日本のAAや、他の12ステップグループで広がりつつある「ビッグブック・ムーブメント」について、なぜそれが起こってきたか、という観点からまとめて書いておこうと思います。

僕がAAにやってきたのは1995年、再飲酒を経て翌年からAAのメンバーとしてアイデンティファイしています。だから、それ以前のことは、伝聞や資料から得た情報を元にしています。

1990年代は、日本のAAが停滞を始めた時期です。日本のAAは1975年に東京で最初のグループがスタートし、関東から全国へと順調に広がっていきました。しかし、10年、20年を経ると、ある傾向がはっきりしてきました。それは、AAグループの数は増えているものの、1グループあたりのメンバー数は増えておらず、逆に減ってきている可能性が指摘されたのです。
もちろん、大きなグループも小さなグループもあって良く、どのサイズが適切だとは言えないのですが、グループとしての成長がないのも困りものです。
その原因はどこにあるのか、はっきりしていました。

AAを知ってやってきても、1回か数回ミーティングに出席しただけで来なくなってしまう人はいつの時代にもたくさんいます。AAにずっと残る人のほうが少数派です。変化はそのAAに残った人たちに起こりました。5年、10年とAAを長く続けられる人が減り、せっかく酒が止まったのに1年、2年ぐらいでAAから去っていく人が増加したのです。

AAから離れた人たちがすぐ再飲酒するわけではなく、中には長期間断酒が続く人もいます。けれど多くは長くとも数年までの間に再飲酒し、ふたたびAAに戻ってくるか、あるいはAAと無縁の飲んだくれに戻ります。
こうしてAAのドアを1〜2年単位で入ったり出たりする回転ドア現象が起こるようになりました。グループの中に長く残る人は一握りで、他のメンバーは1年か2年で総入れ替え、ということが起こりました。またいったんメンバーが増えたグループも、数年後にはすっかり数が減ることもありました。
これでは、グループあたりのメンバー数は増えていきません。

数年でAAを去り、しばらく後にまたAAに戻ってくる。それは自己選択の結果であり、本人の責任だという考え方がありました。要するに彼らが本気になれないのは、「まだ苦しみ足りないから」だと考えられていたのです。実際、何度もAAを出入りして、人生の時間を無駄にしたあとで、ようやくしっかりしたAAメンバーになった人たちの存在が自己責任論を後押ししました。

しかし、AA側にも責任があるのではないか、と考える人たちがいました。ただ、AAが以前とは変わってしまった、悪くなった、と嘆く長老たちはいても、何が問題なのか、どう改善すればいいかはハッキリせず、「ともかく今まで以上に一生懸命AAをやるしかないだろう」という根性論が多かったように思います。

1990年代というのは、あることが指摘され始めた時期でもありました。
日本の大多数のAAメンバーは、日本のAAしか知りません。しかし中には、仕事や家族の都合で海外と日本を行き来する人もいれば、外国のAAメンバーが日本に長期滞在することもあります。その人たちから「どうも日本のAAは、他の国のAAとは違う」という意見が出されました。中には「日本のAAはAAとは呼べない別物だ」とまで極論する人もいました。

僕は1980年代に日本でソーバーを得た人たちを何人も知っています。彼らはAAをやりながら、なにより人生を楽しんでいる(つまり「回復」している)のは確かだと感じられました。彼らのやった12ステップに効き目があったことは確かでしょう。ただし、そのステップがなかなかうまく他のメンバーに伝えられなかったのだと思います。

1〜2年で人がAAを去っていくのは、彼らがAAで酒はとまったものの「回復」を得られなかったからです。逆に言えば、それはAAが彼らに回復を提供できなかったからであり、彼らの後の再飲酒はAAの怠慢と責められても仕方ありません。海外と隔絶し独自の進歩を遂げた日本のAAは、(酒をやめさせるということはともかく)ステップを伝え回復をもたらすという点で、その有効性を失っていたのです。
回転ドア現象とグループメンバー数の停滞はその現れでした。

(続く)


2009年11月24日(火) 燃える○○

人体発火現象というのがあります。
人間の体が突然燃え上がるというオカルト現象で、人間の体だけが燃えて周囲は火事にならないあたりがますますオカルトな話です。現在では否定されていますが、少し前までは真面目に信じている人がいたようです。詳しく知りたい人は「人体発火現象」なり「人体自然発火現象」でググってください。

19世紀のアメリカでは、この人体発火現象はアルコールが原因だと考えられていたようです。つまり、燃えたのは飲んだくれ(つまりアル中)だったという説です。

小学校や中学校の理科でアルコールランプを灯けたのを思い出すまでは、アルコールが燃える液体だってことを忘れていました。そういえば飲んでいた頃、角砂糖にウィスキーを染みこませて燃やして遊んだことがあったっけ。

燃える液体であるアルコールをたっぷり含んだアル中さんの人体は燃えやすい、と考えたのでしょう。実際には寝タバコや消し忘れの照明ランプを倒して火事になったものの、主の周辺しか燃えなかった(でも主は焼死)ってパターンが多かったようです。

エチルアルコールは代謝によって断酒後数日で体から排出されていきますが、その影響は長く残ります。断酒後1〜2年は「まだエチルアルコールが体内にたっぷり残ってるんじゃないか」と思わせるぐらい燃えやすい人もいるわけです。
そう、ちょっとした一言ですぐカァ〜っと燃え上がっちゃって、断酒系掲示板なんかすぐ炎上です。みっともないったらありゃしない。まあメンヘルの板はどこもそうか。
しかも揮発性の悪い掲示板だと、その炎上痕が5年も10年も残ったりして。

ひいらぎ、お前も以前は恥ずかしいこと書いてなかったかって?
そうですな、掲示板に書くときは5年後10年後にその文章を自分で読む可能性も考えなくちゃいけません。それ以前に飲まずに生き残らなくちゃなりませんけど。


2009年11月23日(月) mil 禁酒法とAAと霊性(その2)

アルコール依存症の本を読むと、まるでAA以前にはグループが存在しなかったのように書かれていることもありますが、AA以前にもたくさんのグループが存在しました。それが消えていったのは何かの欠点があったからです。「12の伝統」はそうしたグループの経験が反映されています。

AA以前のグループは、二つに大別できます。とても宗教的なグループと、宗教性を取り除いたグループです(AAはその中間です)。

何をやっても酒がやめられなかった末期のアルコール依存症者が、(例えば留置所の中で)突然の衝撃的な宗教的体験を経て神の存在を実感し、人格が作り替えられて酒の必要をまったく感じなくなり、以後実際に飲まずに過ごす・・ということが、あちこちで起きていたようです。この宗教的体験による人格の再構成を「回心(reform)」と呼びました。宗教的指導によって他のアル中さんに回心を作り出そう、というのが宗教的グループの骨子です。

AAのビッグブックでも、精神科医のユングがローランド・ハザードに対して「君のような見込みのない患者は、宗教的体験しか治療法がない」と言って見放す場面があります(彼は後にオックスフォード・グループに参加して回復し、その経験がエビー・Tを通じてビル・Wにもたらされる)。

神が嫌いな(つまり大部分の)アル中さんたちにとって、宗教というだけでハードルが高くなります。また宗教者の立場からも、熱心に宗教に取り組んだ善人にもごく一部にしか起きない宗教体験が、だらしない飲んだくれに普遍的に起こせるはずがない、という批判が浴びせられました。

AAも創始者ビル・Wの「霊的体験」というのが発端になっています。タウンズ病院の個室に入院していたビルが突然白い霊光に包まれ意識が作り替えられる体験は、「ビルのホットフラッシュ(あるいはホワイトフラッシュ)」と呼ばれ、ビッグブックでは第1章に書かれています(成年に達するにも再度書かれています)。ビルも先達たちと同じように宗教的体験によって目覚めてグループを始めたわけです。

ただし、現代の研究者たちは、このビルのホットフラッシュは「病院の薬の副作用で幻覚を見た」と結論づけています。当時アルコールの離脱治療に使われていた薬(ベラドンナなど)には有害な副作用が多く、幻覚を見ることは珍しくありませんでした。

幻覚を見て「自分は気が狂ったのではないか」とビルに相談を受けたシルクワース医師は、何が起きているか重々承知の上で(!)「これは私も本で読んだことがある。霊的な体験でアルコールから解放される現象だ」と元気づけてビルを励ましています。もしここで医師が「ああそれは薬の副作用ですね。別の薬を出しましょう」と言っていたら、AAは絶対に始まらなかったのでしょう。ビバ!シルクワース博士。

ビルは後年、シルクワース博士が「それを幻覚だと言わなかった」ことに対して謝辞を述べています。女性最初のメンバーであるマーティ・Mも、ティーボウ博士から同じ説明を受けています。う〜ん、ナイス。時代が下るとともに劇的な霊的体験をするAAメンバーの比率は下がっていきますが、それは向精神薬の進歩が反映されているのでしょう。

ビッグブックにも名前が登場するウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』は、20世紀初頭のベストセラーでした。僕はこの本を最後まで読めていませんが、霊的(宗教的)体験には決まった形がなく「なんでもあり」なんだということが分かります。ビルはこの本をエビーから渡されて読んでおり、自らの体験を霊的なものと解釈する根拠になったと思われます。

AAがオックスフォードグループから受け継いだプログラム(降伏、告白、自己点検、賠償、人の手助け)は、ビルのような霊的体験を人為的に引き起こすための手段だと考えられました。実際現在でも12のステップを行っていく過程のどこかで(たいていはステップ5か9)、神の存在を感じるメンバーは少なくありません。ただしその震度はビルの体験とは比べものにならないほど穏やかで平凡なものです。

ビルのような「突然の、天地がひっくり返るような変化」はごく一部の人に限られ、大多数は「いろいろな教育」によって「時間をかけてゆっくりと」変化が与えられていきます。AAでは前者を「霊的体験」、後者を「霊的な目覚め」と呼び習わしています。

ビッグブックの初版では12番目のステップは「これらのステップを経た結果、私たちは霊的体験をし」だったものが、「私たちは霊的に目覚め」に変更になっています。また、巻末にゆっくりとした変化が普通であるという文章が付け加えられました。

AA以前のグループでは宗教体験がアルコール依存症者を救済すると考え、伝道と回心に重点を置きました。しかし、宗教体験が起きる人が限られているという難点がありました。AAでも初期のメンバーには似たような体験があったものの、時代が下るとともにそれは脇に押しやられ、メンバーの大多数は12ステップによるゆるやかな効果によって回復するようになりました。

AAのプログラムの特色は、劇的な宗教体験がもたらす回心と同質のものを、12ステップに取り組む日々の努力によって徐々に(やる気さえあれば)誰にでも実現可能とした点にあるのだと思います。そしてプログラムを宗教から完全に切り離した、ということも大事だと思います。


2009年11月19日(木) mil 禁酒法とAAと霊性(その1)

アメリカの禁酒法は1920年に施行され、1933年に廃止されるまでの間、酒の醸造、移動、販売が禁止されました。所持したり消費するのは禁止されていなかったので、今の日本で麻薬や覚醒剤が禁止されているほど厳しくはなかったわけですが、法律を作った動機は似たようなものでした。

例えばイスラム教が飲酒を禁じているように、どんな飲み方であれ飲酒そのものを悪と捉える道徳観念が当時のアメリカにあり、それが禁酒運動や禁酒法を作っていった、と僕は思っていましたし、僕以外にもそう思っている人が意外に多いこともわかりました。

たしかにそういう側面も確かにありました。しかし、禁酒運動が当時社会的問題になっていたアルコール乱用への対策として誕生したことも見過ごせません。アメリカは建国以来ずっとアルコール禍に苦しんでおり、19世紀後半には酒のせいで治安が悪化するほどになっていました。今の日本が麻薬や覚醒剤を禁止するのと同じ動機で、(清国がアヘンを禁じたように)アメリカはアルコールを禁止したわけです。

それはまるで「親戚のアル中おじさんが酒をやめられないので、親戚一同で禁酒した」という感じで、問題なく酒を飲んでいた人々には迷惑この上ないわけですが、それもやむなしと思わせるだけの社会情勢だったのです。

「禁酒法を作ってもアル中はなくならない」と言う人もいます。実際ゼロにはならなかったのですが、相当減ったことは確かです。物理的に酒から隔離すれば断酒が継続できる人は結構いるのですね。それに新規にアル中になる人を減らすだけで十分効果があったのかもしれません。

禁酒法が何をもたらしたか? それは依存症治療施設の衰退です。禁酒法以前はアル中さんが多く社会でトラブルも多かったので、彼らを「何とかする」ための病院や収容所や治療産業が存在しました。効率的な治療をしていたとは限らないものの、困った人たちが頼るあてがあったわけです。しかし、禁酒法によってアル中さんが減ると、そうした施設もほとんどなくなってしまいました(社会資源の消失)。

酒の移動が禁止される中で、活躍したのはアル・カポネに代表される密売人でした。その商売は当然非課税で、そのぶん儲けも大きかったのです。1929年の世界大恐慌から始まった不景気からアメリカはなかなか抜け出せず、景気対策のためにすこしでも税収を必要としていました。税金は「取れるところから取る」のが基本ですから、贅沢品である酒の販売に課税するのは当然でした。こうして禁酒法は、たいした理念もなく段階的に廃止されました。
(と言っても、廃止されたのは連邦レベルの話で、今でもアメリカには「ドライ・カウンティー」と呼ばれる酒の販売が禁止されている地域がたくさんあります。また公衆酩酊(屋外で酒を飲むこと)は相変わらず禁止されています)。

アル中さんたちが「好きなだけ飲める」時代が戻ってきたわけですが、今度は彼らが困っても頼れる病院も当事者組織もほとんどなくなっていました。残っていたのは、一握りの金持ちだけを入院させる離脱治療の病院と、得体の知れない治療薬の通信販売、それと環境劣悪で治療などろくにない州立の精神病院だけでした。

誰も頼りにできない状況の中で、自分たちで何とかするために始まったのがAAです。つまり、禁酒法という社会的圧力があったからこそAAが生まれたと言えます。

しかし、アル中の当事者団体としてAAは初めての存在ではありません。建国以来アルコールの問題に悩んできたアメリカには、様々な団体が生まれては消えていきました。AAはそうした先駆者たちの経験の上に成り立っています。その中にはAAが大事にしている「霊性」ということも含まれています。

AAの霊性については、一般的には宗教の影響だと思われています。少し詳しい人はブックマン運動(オックスフォード・グループ)だと言うでしょう。しかし、AAが霊性を獲得するのは、もうすこし複雑な経緯が存在します。というわけで、この話は続きます。


2009年11月18日(水) ネガティブな認知バイアスの解除

今日の雑記は、こちら
http://blogs.yahoo.co.jp/psykoba/33667251.html
の文章の焼き直しなので、専門家の文章がお好きな方はそちらをどうぞ。

認知のネガティブバイアス、というのは、物事をネガティブに捉えてしまう傾向です。ちょっと前に二郎さんの水色の掲示板にも書きました。

人の顔写真をたくさん用意します。ある写真の顔は明らかに笑っていたり、優しそうで機嫌が良さそうに見えます。別の写真は、明らかに怒っていて不機嫌です。他の写真はその中間の様々なレベルです。つまり、曖昧な表情を機嫌が良い・悪いのどちらに読み取るか、という実験をします。

認知にネガティブバイアスがかかっている人は、曖昧な表情を「機嫌が悪い」と受け取る頻度が高くなります。

例えば、AC(アル中さんの子供たちが成人した後)の人たちには表情の読み取りにネガティブバイアスが観察されます。親(アル中)のご機嫌は変わりやすく、先ほどまで機嫌良くしていたかと思うと、些細なことで怒り出しみるみる機嫌が悪くなって、嫌なことを言われたり、夫婦げんかが始まったり、果ては暴力をふるわれたりします。だから、機嫌が悪くなりそうな徴候をいち早く察知して、逃げ出すなり親のご機嫌を取るなり対策を取らねばなりません。そのためには親の表情の些細な変化も見逃してはいけません。子供の頃からそういう鍛錬を積んだ結果、大人(AC)になってもその癖が抜けず、親でない他人の表情を見てはハラハラする日々を送ってしまいます。
(親の機嫌急降下癖は、酒をやめてもすぐには改善しない、ということもあります)。

表情だけに限らず、他の人の言葉や行動全般にネガティブに受け取ってしまいます。たとえば出勤して同僚に「おはよう」と言ったのに、相手が返事をしてくれなかった、あるいは返事が生返事だっただけで、同僚がこちらのことを嫌っているのではないか、と恨みを持ってみたりします。

ネガティブバイアスは、アル中さん本人にも、その家族にもあります(だからこそ些細なことで機嫌が急降下するわけです)。また、うつ病の人など、他の精神の病気にもあります。不安障害なんて認知バイアスそのものかも。

で、上記の記事では、抗うつ薬を飲み始めると2〜3週間なんて言わずに、すぐにもこのネガティブバイアスの改善が見られるという話になっています。そして、そのバイアスの消失がうつ病を改善するという説を立てています。
(昨日のダウンレギュレーションの話は、この話の前ふりでした)。

自分の認知にネガティブなバイアスがかかっている、ということを意識することは大切だと思います。相手の表情・言葉・行動をネガティブに(悪意を持っていると)解釈してしまうと、心の中に恐れ(不安)が発生します。恐れは恨みを呼び、恨みが外に向かえば対人攻撃になって人間関係を険悪にし、内に向かえばうつ症状となって、ネガティブバイアスを強化する悪循環となります。

掲示板やブログのコメント欄などでつまらぬ争いが起こるのも、発端は些細なコミュニケーションギャップであることがほとんどです。つまりネガティブな認知バイアスを持った人たちがトラブルを起こしているわけです(メンヘル系の特徴)。

相手の言葉や態度に「カチン」と来たときも、不安に襲われたときも、相手が悪意を持っている(こちらを嫌っている)わけではない(かも)と相手の言動を評価しなおしてみることが必要です。そして「なぜカチンと感じたのか」を自分の側の問題として探ってみます。それは例えば相手の態度に「上から目線で嫌な印象を感じる」程度のことでも、試してみると効果があります。

そして、相手に多少の悪意があったとしても、それを受け流すだけの余裕があればよりベターです。暁仙和尚が言ったように「人には馬鹿にされていよ」というぐらいでちょうどいいわけです。


2009年11月17日(火) ダウンレギュレーション

人間の体内では神経細胞から隣の神経細胞へと刺激が伝達されていきます。
隣の細胞へと刺激を伝達してくれる機構が「シナプス」です。伝達する側の細胞のシナプスから「神経伝達物質(ニューロトランスミッター)」が放出され、受ける側のシナプスの「受容体(レセプター)」に吸収されることで、細胞をまたがって情報が伝達されていきます。

ホルモンの場合には、伝達物質を放出する細胞とそれを受け取る細胞が離れているのに対して、神経伝達物質の場合は隣り合った細胞(つまり局所的)に働きます。

脳は神経物質の塊で、そこで活躍する神経伝達物質がモノアミン類。合成経路で書くと
ドパミン→ノルアドレナリン→アドレナリン
セロトニン→メラトニン
ヒスタミン
(他にもある)

覚醒剤を使うと脳内でドパミンがさかんに放出されます。(なので覚醒剤中毒の症状は、同じようにドパミンの調整障害である統合失調症の陽性症状に似て幻覚などを伴う)。このドパミンシャワーが覚醒感の元であろうと推測されるわけです。

覚醒剤に限らず、人が気持ちいいと感じる物質(アルコールや麻薬や向精神薬)、あるいは行動(買い物やギャンブル、山登りでも!?)で、ドパミンが放出されます。この頻度が高いと、情報を受ける側の細胞(シナプス後細胞)が受容体の数を減らして、刺激を受けにくくなります。するとドパミン神経系全体が興奮しなくなり、以前ほどの快感を感じなくなります。そこで人はより強い刺激を求めて、より多くの酒を飲んだり、より多くの買い物をしたり、より高い山に登ったりします(そして高尾山じゃヤダと言い出します)。

これが依存症の「耐性」の形成です。病気が悪くなる過程。その実体は、シナプスの受容体の減少(これをダウン・レギュレーションと言う)です。

ダウン・レギュレーションが起きていると、依存物質が体内にある状態でバランスが取れているので、酒が体から抜けると不調になります。これが離脱症状です。週末に山歩きに行けないと不調になるのもそうでしょうね、きっと。

話は変わって、うつ病には抗うつ薬という薬が出されますが、抗うつ薬が効果が現れるまで2〜3週間かかると説明されます。なぜすぐに効果が出ず、2〜3週間かかるのか? その説明にダウン・レギュレーションが使われます。

うつ病の人の脳ではセロトニンの量が減少しています。抗うつ剤はセロトニンがたくさん出るようにする薬・・・ではなく、セロトニンの再吸収を阻害する薬なのだそうです。
シナプス前細胞から放出されたものの、受容体に結合できなかった(余り物の)神経伝達物質は、再びシナプス前細胞に吸収されて再利用されます。(つまり、シナプス間隙の伝達物質濃度は自動的に下がるようになっている)。
セロトニンの再吸収を阻害することで、シナプス間隙にはセロトニンがたくさん存在する状態が続きます。それが続くと、セロトニン受容体にダウン・レギュレーションが起こり、受容体の数が減ります。このダウン・レギュレーションが起こるまでに2〜3週間かかるのではないか、と考えられています。

クライマーズ・アノニマスの創始者になったりしないよう、山登りもほどほどにしてくださいね。二郎さん。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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