心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年09月19日(土) ブログの使い方と精神状態

ブログはエントリを書くと、それにコメントやトラックバックが追加されていく仕組みになっています。それをどんな風に使おうが、その人の勝手なのですが、なんとなく傾向がある気がします。

コメントが多いブログは人気のある証拠です。
ところがエントリが追加されずに、コメント欄がまるで掲示板のように賑わっているブログがあります。ブログ主が多忙で、ブログなんか書いているヒマがないというパターンはともかくとして、中にはブログ主が新しい話題をコメント欄で提供し、それを軸に新しい話が展開しているのを見かけたりします。
こうなると、何日もエントリが追加されていないのに、コメントの列が伸びていきます。

で、たいていそうしたブログ主は「お加減が悪い」。つまり精神状態があまりよろしくない印象です。なんででしょうね?

考えるに、新しいエントリを追加するが面倒なので、すこしでも楽をしようと自分もコメント欄で次の話を始めてしまうのか。わずかな面倒でさえ避けたくなるぐらい、精神的エネルギーが尽きているのかもしれない。

ブログの使い方を見ると、その人のリアルな人間関係の有り様も見えてくる気がします。ネットだからリアルとは違う自分になれるというのは、多くの場合幻想です。違う自分を演出するためには、かなりのエネルギーを必要とするのですから。


2009年09月18日(金) 回復の速度

この雑記に生活感がないのは、たぶん生活に変化がないからです。

さて、回復にどれぐらい時間がかかるか、と聞かれるときがあります。
特に根拠はありませんが、男だったら3〜5年、女だったら5〜7年がメドでしょうと答えています。この数字は、僕がAAに来た頃に聞いた数字ですが、今でも事情は変わらないと思います。
AAメンバーだったら、その間ミーティングに通うことを続け、ステップをやっていれば、就労や人間関係の修復が安定するのが上記の3年〜7年ぐらいかな、という感じです。
ステップは8・9まで済ませるのが大事だと思うようになりました。埋め合わせを通過すると、恐れ、卑屈さ、その裏返しである傲慢さが取れてきて、精神状態や人間関係が安定してきます。それは聖人(理想的な人間)になるという意味じゃなくて、もともと持っていたその人らしい人間性が出てくる感じです。その人間性が好ましいかどうかはまた別問題として。
逆に言えば、そこに至るまではまだまだアルコールの影響が抜けず、アル中的性格に支配されている感じで、個性は陰に隠れてしまっています。ACでアル中という場合には、アル中的性格が主で、AC的性格が従(というか陰に隠れる)なのですが、そのことになかなか気づかないものです。

3〜5年かかると言ったら、うちの息子はもう5年AAに通っていますがまだ良くならないと言われたことがあります。5年の間には良くなる努力を続けたこともあったけれど、飲んだくれて努力を帳消しにしていた時期もあったわけで、プラスマイナスゼロか、病気が進行してかえって悪くなってますよ、と言っても納得されませんでした。

早く回復する手段はないか、と聞かれても、回り道は避けられても近道はないと思います。今回復していたかったら、3年前、5年前に始めているしかなかったわけで、今努力を始めなかったら、3年、5年後に今と同じ後悔をすることになります。

ステップは1から12まで順番にやるのか、できるところからやればいいのか? という話もありました。順番にやるように設計されているのですから、順番にやった方が「おいしい」でしょう。
別に順番にこだわらなくてもいいかもしれませんが、それは例えば、カップラーメンを取り出して乾麺をバリバリ食べ、粉末スープを舐めてから、お湯を飲んで3分待ってみました、みたいな感じかな。
それでも空腹は満たされるから良し、というのならそれでいいのかも。


2009年09月16日(水) 精神依存温存手段としてのキリンフリー

AAとほぼ同じ頃に誕生したある団体の「回復のための規則」です。

1. 最初の一杯を決して口にしない。
2. 試して飲んでみようとは思わない。
3. アルコール症は病気であることを忘れるな。
4. アルコール症は個人の短所だと思うな。
5. 酒を挑戦だと思うな。
6. 自分には酒が必要でないことを示せ。
7. 他のはけ口を見つけよ。
8. 働き過ぎるな。
9. 適切な人生哲学を持て。
10. 断酒できていることを誇りに思え。

ドン・キホーテのレジ前に電子タバコが陳列してありました。
実際に電子タバコを吸っている同僚の話を聞いたこともあります。当然ながら禁煙のための電子タバコではなく、タバコが吸えない環境での代用品だそうです。そりゃそうだ。

禁煙したければ「タバコみたいな何か」ではなく、ガムでも噛んでいた方がいい。未練たっぷり禁煙草を吸うのもいかがなものか。依存物質を遠ざければ身体依存は減っていきますが、代用品を使っている間は精神依存が温存されるでしょう。

最近は完全ノンアルコールのビール飲料が流行っていますが、あれも電子タバコと同様でしょう。一時的に飲めないときの代用品で、一生飲めない依存症者が手を出す代物じゃありません。

6番の「自分には酒が必要でないこと」を自他に示す、というのは大事なことだと思います。キリンのフリーとか飲んでいる姿は、精神依存の露出でしょうか。

ちなみに禁煙草の依存症というのも報告されています。


2009年09月14日(月) 乗り物酔い

月曜の夕方、京都駅でみどりの窓口に行ったら「どちらまでいかはれますか?」と聞かれ、おお!ここは京都なのだと実感しました。名古屋駅で乗り換えの待ち時間が30分あり、京都で30分時間をつぶして帰るか、名古屋の駅内で30分待つか、選ぶことになりました。
そこで生八つ橋だけ買って、すぐに新幹線に乗車し、名古屋のエキナカで軽い食事と買い物をしよう・・・と考えたのですが、名古屋駅の改札内にはキヨスクときしめん立ち食いしかありませんでした。なんてこったい。
途中下車で改札を出るためには人がいる改札口を探さねばなりません。エキナカの文化は箱根の峠を越えていないのでしょうか。

珍しくノートパソコンを持参していたので、データ通信カードを使ってネットサーフィンを試みました。名古屋から長野に向かう特急は、木曽谷の中を走っていきます。電波状態が悪く、ときどきデータリンクが途切れます。かんた弁護士のブログが表示されるまで7〜8分を要しました。

振り子電車の中でパソコンの細かい字を読んでいたら、乗り物酔いになってしまいました。やっぱりリニアはBルートにしてもらって、岡谷で乗り換えになったほうが楽でいいかも。


2009年09月11日(金) ハッピー?

福岡市で職員が飲酒運転で事故を起こし、子ども3人が死んだのは3年前でした。
それから飲酒者への早期介入プログラム(福岡市方式)が始まりました。その基本は飲酒量を減らすHAPPYという手法です。

HAPPYは Hizen Alcoholism Prevention Program by Yuzuriha(肥前式アルコール依存予防プログラム)の略。Yuzurihaというのは、このプログラムを作った肥前精神医療センターの杠(ゆずりは)という先生の名前の模様。

まずカウンセリングとフォローアップがあり、そして「週に二日の休肝日」と「飲んだ日は飲酒量を記録」が続き、参加者がそれを相互に報告し合うしくみです。

酒を飲んだ量を記録していくだけで効果があるのか? これはあるらしいのです。

アメリカでは節酒を目指すグループ(MM)が活動しています。彼らは日々の飲酒量を記録し、お互いに報告し合います。ネットでも活動していて、日々の飲酒量を世界中に公開しており、以前それを見た時には節酒に苦労している様子がうかがわれました。
それで節酒は実現できたのか? 彼らの多くは節酒を諦めて飲んだくれに戻るか、あるいはAAなどの断酒のグループに移ったそうです。自分の飲酒量を客観的に見つめた結果、節酒ができない現実を知ったわけです。
MMは創始者が飲酒運転で二人を死なせた事故以来下火になったものの、現在でも続いているようです。

HAPPYの場合も、参加者相互で飲酒量を報告するから意味があるのであって、これが上司やらケースワーカーに報告してチェックを受けるという形式だとおそらく役に立たないでしょう。

アメリカでは禁酒法以前にも節酒のグループがありましたが、十数年で消えています。アル中さんが「紳士のように飲む」夢を追いかけるのは、今も昔も変わらないようです。


2009年09月10日(木) 薬が原因のストレスとうつ

人の脳はストレスを感じると、ストレスホルモンを分泌して、体がストレスに対応できるように準備します。このストレスホルモンは感情には良くなくて、不安が強まったり、抑うつになる効果があります。

さて、アルコールなどの「気持ちよい薬」を摂った時も、同じようにストレスホルモンが出て、気分を落ち込ませます。これはホメオスタシスの機能が働いて、脳がバランスを取ろうとする(気持ちよくなりすぎないように)からだと考えられています。

薬の陶酔感は短時間で消えますが、ストレスホルモンは残り、気分を落ち込ませる力は長く続きます。

ですから気分の落ち込みを感じて、酒で紛らわそうとしても、酔いが醒めた後は、さらに気分が落ち込んでしまいます。気持ちよく酔うためには、さらに多くの酒が必要になり、落ち込みもさらに大きくなっていく・・・アルコールとうつのデフレスパイラルです。

つまり、うつの時に酒を飲むのは、うつを悪化させるだけです。

依存を形成するおよそすべての物質に、この図式はあてはまります。アルコール・覚醒剤・大麻・あへん・精神安定剤・睡眠薬。

もちろん医者は必要があって安定剤などを出しています。それが危険だとは言えません。けれど、安定剤や睡眠薬を「陶酔感を味わうために」つまり酒のかわりに使い出すと、アルコールと同じようにうつを悪化させ、落ち込みやいらだちが強まることになります。
そこで医者に薬を増やしてもらう・・・処方薬乱用者のできあがりです。
薬の影響が昼間も残って仕事に差し支える程度の人もいれば、普段の服用量は適当なのに周期的にODを繰り返すタイプなどいろいろ。いずれも「依存」と言えるレベルなのかはわかりませんが、乱用(abuse)なのは間違いありません。

薬も多すぎれば、うつが悪くなります。
もちろん、少なすぎてもいけないので、難しいところです。
世間でうつの人間は1割程度。アル中でもうつの人はやはり1割程度。残りの9割の人には薬はゼロでいいのです。


2009年09月09日(水) 飲酒欲求について

酒をやめていて「飲酒欲求がなくなった」と言う人がいます。

おそらくその人の言う「飲酒欲求」とは、AAの基本テキストで言う craving(渇望)のことなのでしょう。compulsion(強迫性)という言葉を使うグループもあります。
それは、抑えがたい強い欲望、という意味です。

僕は初めて参加したAAグループで、ある女性のメンバーが「酒をやめて半年経ったときに、自分が酒のことを考えていない瞬間があることに気づいた」と話しているのを聞き、自分も酒をやめ続ければ飲みたい欲望から解放される時がくると思えて、ほっとした記憶があります。
つまり、その頃は目覚めているあいだじゅう(いや寝ている時も)酒への渇望に支配され続けていたのです。

「酒は遠ざかる」とAAのスポンサーに言われたとおり、月日が経つに連れて渇望は下火になっていきました。おそらくゼロにはなっていないのでしょうが、意識されないレベルになっています。だから、「飲酒欲求」(実は渇望)を気にしているすべての人に「それはいずれ消えるから心配するな」と伝えたいです。

ただ、渇望がなくなったから安心はできません。もともとAAのプログラムは渇望を解決するものではなく、もう一つ obsession (飲酒への囚われ)を解決するためのものです。

ある程度時間が経ってから再飲酒した人の話を聞いてみましょう。彼らは「強い渇望に屈して酒に手を出してしまった」わけではありません。「まったく気にせずに」あるいは「飲んでもかまわないと思って」飲み始めます。
過去に精神病院に入ったり職や家族を失った経験を、その時に100%忘れてしまったわけではありません。過去の体験はぼやけているものの、きちんと憶えています。けれど、それが酒へのブレーキにはなってくれません。

それは油断とも違います。きちんと働いているはずの理性が「飲んでもかまわない」という判断を下す、これが囚われです。その瞬間狂気に支配されるわけです。

一度酒に囚われた人間のほとんどは、どれだけ長い間酒をやめようとも、この囚われから無条件の自由を得ることはできないようです。

だから、「飲酒欲求」がなくなってもちっとも安心できません。別の意味の飲酒欲求に一生支配されていくのですから。だから無力なのです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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