心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年09月16日(水) 精神依存温存手段としてのキリンフリー

AAとほぼ同じ頃に誕生したある団体の「回復のための規則」です。

1. 最初の一杯を決して口にしない。
2. 試して飲んでみようとは思わない。
3. アルコール症は病気であることを忘れるな。
4. アルコール症は個人の短所だと思うな。
5. 酒を挑戦だと思うな。
6. 自分には酒が必要でないことを示せ。
7. 他のはけ口を見つけよ。
8. 働き過ぎるな。
9. 適切な人生哲学を持て。
10. 断酒できていることを誇りに思え。

ドン・キホーテのレジ前に電子タバコが陳列してありました。
実際に電子タバコを吸っている同僚の話を聞いたこともあります。当然ながら禁煙のための電子タバコではなく、タバコが吸えない環境での代用品だそうです。そりゃそうだ。

禁煙したければ「タバコみたいな何か」ではなく、ガムでも噛んでいた方がいい。未練たっぷり禁煙草を吸うのもいかがなものか。依存物質を遠ざければ身体依存は減っていきますが、代用品を使っている間は精神依存が温存されるでしょう。

最近は完全ノンアルコールのビール飲料が流行っていますが、あれも電子タバコと同様でしょう。一時的に飲めないときの代用品で、一生飲めない依存症者が手を出す代物じゃありません。

6番の「自分には酒が必要でないこと」を自他に示す、というのは大事なことだと思います。キリンのフリーとか飲んでいる姿は、精神依存の露出でしょうか。

ちなみに禁煙草の依存症というのも報告されています。


2009年09月14日(月) 乗り物酔い

月曜の夕方、京都駅でみどりの窓口に行ったら「どちらまでいかはれますか?」と聞かれ、おお!ここは京都なのだと実感しました。名古屋駅で乗り換えの待ち時間が30分あり、京都で30分時間をつぶして帰るか、名古屋の駅内で30分待つか、選ぶことになりました。
そこで生八つ橋だけ買って、すぐに新幹線に乗車し、名古屋のエキナカで軽い食事と買い物をしよう・・・と考えたのですが、名古屋駅の改札内にはキヨスクときしめん立ち食いしかありませんでした。なんてこったい。
途中下車で改札を出るためには人がいる改札口を探さねばなりません。エキナカの文化は箱根の峠を越えていないのでしょうか。

珍しくノートパソコンを持参していたので、データ通信カードを使ってネットサーフィンを試みました。名古屋から長野に向かう特急は、木曽谷の中を走っていきます。電波状態が悪く、ときどきデータリンクが途切れます。かんた弁護士のブログが表示されるまで7〜8分を要しました。

振り子電車の中でパソコンの細かい字を読んでいたら、乗り物酔いになってしまいました。やっぱりリニアはBルートにしてもらって、岡谷で乗り換えになったほうが楽でいいかも。


2009年09月11日(金) ハッピー?

福岡市で職員が飲酒運転で事故を起こし、子ども3人が死んだのは3年前でした。
それから飲酒者への早期介入プログラム(福岡市方式)が始まりました。その基本は飲酒量を減らすHAPPYという手法です。

HAPPYは Hizen Alcoholism Prevention Program by Yuzuriha(肥前式アルコール依存予防プログラム)の略。Yuzurihaというのは、このプログラムを作った肥前精神医療センターの杠(ゆずりは)という先生の名前の模様。

まずカウンセリングとフォローアップがあり、そして「週に二日の休肝日」と「飲んだ日は飲酒量を記録」が続き、参加者がそれを相互に報告し合うしくみです。

酒を飲んだ量を記録していくだけで効果があるのか? これはあるらしいのです。

アメリカでは節酒を目指すグループ(MM)が活動しています。彼らは日々の飲酒量を記録し、お互いに報告し合います。ネットでも活動していて、日々の飲酒量を世界中に公開しており、以前それを見た時には節酒に苦労している様子がうかがわれました。
それで節酒は実現できたのか? 彼らの多くは節酒を諦めて飲んだくれに戻るか、あるいはAAなどの断酒のグループに移ったそうです。自分の飲酒量を客観的に見つめた結果、節酒ができない現実を知ったわけです。
MMは創始者が飲酒運転で二人を死なせた事故以来下火になったものの、現在でも続いているようです。

HAPPYの場合も、参加者相互で飲酒量を報告するから意味があるのであって、これが上司やらケースワーカーに報告してチェックを受けるという形式だとおそらく役に立たないでしょう。

アメリカでは禁酒法以前にも節酒のグループがありましたが、十数年で消えています。アル中さんが「紳士のように飲む」夢を追いかけるのは、今も昔も変わらないようです。


2009年09月10日(木) 薬が原因のストレスとうつ

人の脳はストレスを感じると、ストレスホルモンを分泌して、体がストレスに対応できるように準備します。このストレスホルモンは感情には良くなくて、不安が強まったり、抑うつになる効果があります。

さて、アルコールなどの「気持ちよい薬」を摂った時も、同じようにストレスホルモンが出て、気分を落ち込ませます。これはホメオスタシスの機能が働いて、脳がバランスを取ろうとする(気持ちよくなりすぎないように)からだと考えられています。

薬の陶酔感は短時間で消えますが、ストレスホルモンは残り、気分を落ち込ませる力は長く続きます。

ですから気分の落ち込みを感じて、酒で紛らわそうとしても、酔いが醒めた後は、さらに気分が落ち込んでしまいます。気持ちよく酔うためには、さらに多くの酒が必要になり、落ち込みもさらに大きくなっていく・・・アルコールとうつのデフレスパイラルです。

つまり、うつの時に酒を飲むのは、うつを悪化させるだけです。

依存を形成するおよそすべての物質に、この図式はあてはまります。アルコール・覚醒剤・大麻・あへん・精神安定剤・睡眠薬。

もちろん医者は必要があって安定剤などを出しています。それが危険だとは言えません。けれど、安定剤や睡眠薬を「陶酔感を味わうために」つまり酒のかわりに使い出すと、アルコールと同じようにうつを悪化させ、落ち込みやいらだちが強まることになります。
そこで医者に薬を増やしてもらう・・・処方薬乱用者のできあがりです。
薬の影響が昼間も残って仕事に差し支える程度の人もいれば、普段の服用量は適当なのに周期的にODを繰り返すタイプなどいろいろ。いずれも「依存」と言えるレベルなのかはわかりませんが、乱用(abuse)なのは間違いありません。

薬も多すぎれば、うつが悪くなります。
もちろん、少なすぎてもいけないので、難しいところです。
世間でうつの人間は1割程度。アル中でもうつの人はやはり1割程度。残りの9割の人には薬はゼロでいいのです。


2009年09月09日(水) 飲酒欲求について

酒をやめていて「飲酒欲求がなくなった」と言う人がいます。

おそらくその人の言う「飲酒欲求」とは、AAの基本テキストで言う craving(渇望)のことなのでしょう。compulsion(強迫性)という言葉を使うグループもあります。
それは、抑えがたい強い欲望、という意味です。

僕は初めて参加したAAグループで、ある女性のメンバーが「酒をやめて半年経ったときに、自分が酒のことを考えていない瞬間があることに気づいた」と話しているのを聞き、自分も酒をやめ続ければ飲みたい欲望から解放される時がくると思えて、ほっとした記憶があります。
つまり、その頃は目覚めているあいだじゅう(いや寝ている時も)酒への渇望に支配され続けていたのです。

「酒は遠ざかる」とAAのスポンサーに言われたとおり、月日が経つに連れて渇望は下火になっていきました。おそらくゼロにはなっていないのでしょうが、意識されないレベルになっています。だから、「飲酒欲求」(実は渇望)を気にしているすべての人に「それはいずれ消えるから心配するな」と伝えたいです。

ただ、渇望がなくなったから安心はできません。もともとAAのプログラムは渇望を解決するものではなく、もう一つ obsession (飲酒への囚われ)を解決するためのものです。

ある程度時間が経ってから再飲酒した人の話を聞いてみましょう。彼らは「強い渇望に屈して酒に手を出してしまった」わけではありません。「まったく気にせずに」あるいは「飲んでもかまわないと思って」飲み始めます。
過去に精神病院に入ったり職や家族を失った経験を、その時に100%忘れてしまったわけではありません。過去の体験はぼやけているものの、きちんと憶えています。けれど、それが酒へのブレーキにはなってくれません。

それは油断とも違います。きちんと働いているはずの理性が「飲んでもかまわない」という判断を下す、これが囚われです。その瞬間狂気に支配されるわけです。

一度酒に囚われた人間のほとんどは、どれだけ長い間酒をやめようとも、この囚われから無条件の自由を得ることはできないようです。

だから、「飲酒欲求」がなくなってもちっとも安心できません。別の意味の飲酒欲求に一生支配されていくのですから。だから無力なのです。


2009年09月06日(日) BSアンテナ

今住んでいる家にはCATVのケーブルが来ていないので、BSを見たければ自分でアンテナを立てるしかありません。

なぜBS?

それは、NFLが始まるから。

というわけで、電気店でBSアンテナを買ってきました。スカパー!に加入する設定で5千円でした。別に加入しなくてもかまわないと言われたので、その言葉に甘えることにします。

ベランダの手すりに金具を取り付け。ケーブルを引き回し。ここまでは順調でした。
室内への引き込みはエアコンのダクト穴を使う予定でしたが、穴がコーキングで密閉されているではありませんか。仕方ないので手持ちの工具で穴を開けるのに、かなり時間がかかりました。

テレビに接続し、アンテナを南西仰角40度に設定。これでオーケーのはずですが・・・映りません。アンテナを上下左右に動かしても、テレビの信号強度の数字はぴくりとも動きません。ケーブルの接続は問題ないし、電源の供給も確認しました。

急に不安になってきました。だいたい、今頃BSアナログのアンテナを立てているのは自分ぐらいかもしれません。ネットを検索してもBSアナログの情報はほとんど見あたらないのです。

アナログとディジタルで衛星の方向が違うんじゃないだろうか?
アンテナも違う製品を間違えて買ってきたのじゃなかろうか?

いや「悩み事はご飯を食べてから」の格言通り、とりあえず夕食を食べて一休みしてから仕切り直しにしました。とテレビのチャンネルをBSにあわせたその時。ノイズだらけで歪んだBSの画像が映っているではありませんか?

おおなんだ、やっぱりこれでいいんだ。あとは方向の微調整だけだ。

自分の歩んでいる道が正しいかどうか分からないときは、誰でも不安になるもの。道が正しいと分かっていれば、先の道のりの長さは気にならないものです。

調整が終わったときには、BSアンテナを買いに出てから6時間が経過していました。

夜中に昨年のプレイオフの再放送をやっていたので、遅くまで見てしまいました。


2009年09月04日(金) 8月が終わって戦争について考える

あーりーめー、またかよ。
押し出し、押し出し、ホームランじゃ試合にならんぞ!
しかし西武が負けたのでそれも帳消しか。
これからは楽天の勝利よりも、西武の負けを期待しようか。
他人の不幸を願う戦略というやつです。

話は変わって、好き嫌いの問題で言えば、僕は反戦を声高に叫ぶ人が嫌いです。
アフガニスタンの時もそうだし、朝鮮半島がきな臭くなった時もそうですが、軍事衝突が現実に見えてきたときだけ、まさに「にわかに」という感じで表れ、ともかく戦争だけはやめろと声がデカイ人たちが嫌いなのです。

それはまるで、生徒の校内暴力に悩む校長が、あるいは息子の家庭内暴力に悩む父親が「ともかく警察を呼ぶのだけは避けたい」と言っているのに似ているからです。戦争さえ避けられれば問題がなくなるかのようです。

戦争が終わった日本に各国から援助があって復興したように、戦争が終わったアフガニスタンにも復興援助が続いています。日本も参加していますし、その費用はもちろん日本の税金から出ています。今後何十年とかかるでしょう。
そういう関与をやめてしまうと、ソマリアみたいになってしまうわけです。

戦争というのは問題解決の一つの手段です。その手段に反対しても問題はなくなりません。平和なとき(それは平和に見えているだけなのですが)に問題を地道に解決する努力が必要です。

そんなわけで、僕は駅前でマイクを握って戦争反対と叫んでいる人は好きになれません。それよりも、アフリカで井戸の掘り方を教えて回っている人を尊敬するのです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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