心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年08月21日(金) ダウナー・アッパー

53.5Kg, 9.6%
子供の夏休みの宿題用に天気を記録してきましたが、それも無用になりました。

「アルコールはダウナーなんですか? アッパーなんですか?」と聞かれました。

ダウナーとは沈静系の薬の俗称です。アヘン、コデイン、モルヒネ、ヘロイン、処方薬では精神安定剤や睡眠薬など。アッパーは覚醒系の薬のこと。アンフェタミンやヒロポン、カフェインなど。

アルコールはダウナーです。飲むと気分が落ち着いてほぐれるはずです。飲み過ぎれば眠くなります。ただ、人間の脳は不思議なもので、ダウナーによって抑え込むと、その分興奮してバランスを取ろうとします。そこでダウナーの重しが取れると(酔いがさめると)には、かえって覚醒した状態になります。
普通の酒飲みが、二日酔いしない程度に適度に酒を飲むと、翌朝スッキリしてバリバリ仕事ができたりするのは、この覚醒効果によるのでしょう。

大量飲酒によりアルコールで抑制された状態が続くと、脳は興奮状態が続き、各種センサーの感度はとても敏感な状態になります。そのくらいでなければ、麻酔薬を連続投与されている状態で日常生活を送ることができません。
そこで一気に断酒をすると、抑えが外れて敏感になりすぎたセンサーが、あるはずのない信号を感じ取ってしまいます。その結果、幻視、幻聴、幻臭が起きる、というのがひとつのモデルですね。

そこまでいかなくても、酒の量が多すぎて(脳の興奮が取れなくなり)不眠になるのはよくある話です。

アッパーの薬は使うと覚醒作用で過活動になります。そして効果が切れるとぐったりと無気力になります。だから、カフェインの摂りすぎは「うつ」の外乱要因となって良くないのですが、アルコールもニコチンもやめてしまって、甘いものも制限して・・・せめてコーヒーぐらい自由に飲めなきゃ、やってられねーぜ、という気分はありますな。


2009年08月20日(木) オールドパワー

53.8Kg, 8.5%
晴れ。

前日より2℃低く、わりと過ごしやすい。

断酒会に出席した彼に「どうだった?」ときいたら、答えは

「野菜をいっぱいもらいました」

でした。よかったね。

以前に病院のOB会で、院長が「県内の断酒会では高齢化や後継者不足が深刻化している」という話をしていました。確かにジジババばかりです。40代で断酒してもう10年になるという会員さんが、「俺なんか若いからまだペーペー扱いだよ」と嘆いていました。まあそれはたぶんにご本人の問題かもしれませんが。

一生懸命やっている会長さんが引退されたり、亡くなったりすると、会が衰えて消えてしまうこともあるとか。後継者の育成が急務だと聞くと、まるで農業や林業の話のようです。アメリカのアディクションの歴史を書いた本によれば、かの国の19世紀にも後継者の不在によって消えていったグループはたくさんあったとか。

先日東京から来たAAメンバーの話を聞きましたら、都会のAAは若者と年寄りが多く、中年のおじさんたちは少ないのだそうです。他からは都会の断酒会は中年男性が多いという話も聞きました。都会と田舎ではずいぶん違うものです。

老年のアル中には二つのタイプがあるのだそうです。
ひとつは若いうちに依存症になったタイプ。若くて依存症になった人は、中年の坂を上るうちにバタバタと死んでいくのですが、中には飲みながらしぶとく生き残って、老人アル中になる人がいます。
もう一つは、退職後に暇をもてあまして酒に溺れるタイプ。こちらは比較的予後がよいのだそうです(へえそうなんだ)。

団塊の世代は田舎の断酒会の救世主になるのでしょうか。


2009年08月19日(水) ぐつぐつ

54.7Kg, 10.0%
晴れ

便秘っぴ。

煮詰まっていたので、前のホームグループのミーティングに行ってみました。
ある人と話をしていて、肝臓の数値がなかなか下がらないと聞いたので、それは睡眠薬や安定剤の副作用だろうと言いました。安定剤を多めに使っている人には独特の雰囲気があります。抗酒剤にも肝臓の数値を高止まりさせる副作用があります。
ただ、精神科医が何年も薬を処方し続けるにはそれなりの理由があるので、素人がむやみにやめろとは言えず、医者に相談してくださいと助言するのがせいぜいです。

ミーティング後に東京から久しぶりに来た人と立ち話をしました。
僕らの来た頃には、AAは本当に酷い状態の連中ばかりでした。退院後にほうっておけば一ヶ月もしないうちに飲み始めて当然で、だからこそ毎日のミーティングが当たり前、仕事より断酒優先というのも理にかなった助言でした。
その後、この病気も早期発見早期治療とか、「底付きの底を浅くする」とか言われ、いろんな人の努力で、それほど酷くなっていない人たちもAAに来るようになりました。おかげで、早めに断酒できる人たちも増えました。
彼らは月に数回程度のミーティングでも十分飲まないでいられるし、AAを離れてもすぐに飲むわけじゃありません。(将来はともかく)彼らが現在困っていない以上、僕らにできることはない、という話をしました。

それから、田舎ではAAと断酒会を掛け持ちするのが当然なんだよね、という話もしました。片方だけにしたくても、回数が少ないのですから。

何年かぶりにミーティングに戻ってきた仲間に、「ステップをやる正式なスポンサーが見つかるまで臨時のスポンサーをやろうか?」と聞いたら、Yesという答えだったので、やることになりました。木曜日に行くミーティングが近くにない、というので保健所に電話してたずねたら、隣町で断酒会の例会があるので、それを紹介しておきました。
会長さんの名前は僕が退院したころと変わっていないようでした。


2009年08月18日(火) ACの親として?

53.2Kg, 9.3%
晴れ

あ、いかんいかん、雑記を書いてなかった。

ACというのは成人した人のことだから、僕の子供はまだACではないわけだ。
まあそれはともかく、「アルコール依存症の親を持った子供」の親として(つまり依存症本人として)、子供のために特別何かできるでしょうか?
答えはたぶん「何もない」でしょう。

子供の問題は子供の問題であり、親の問題とは違います。人様の問題に首を突っ込んで結果が良かったためしはありません。つまり、親だから子供の問題を代理解決できるわけじゃありません。よく言われるように、子供は子供のハイヤーパワーが何とかしてくれるのであって、親のハイヤーパワーに代理は務まりません。

ただ今は依存症じゃない人たちでさえ、子供に何が出来るか悩んでしまう時代です。そういう意味ではフツーの親としてやるべきことはたくさんあるでしょう。

女に生まれるのが不幸な時代がありました。今でもそうかも知れませんが、それはともかく。「私は女に生まれたかったわけじゃない」と言ってみたところで、誰も責任を取ってはくれません。女に生まれたからには、女としての幸せを求めて生きるしかない。ACもしかりです。

親としては、回復に努める自分の姿を見せるぐらいのものでしょう。

それから、依存症は遺伝の要素が大きい病気ですから、子供が依存症になる確率は高いし、子供がならなけりゃ孫に出たりします。回復の資源を次世代に残すのも、親としての役割でありましょうな。


2009年08月17日(月) 昨日の続き

53.3Kg, 8.3%
晴れ

お盆休みが明けて久しぶりに仕事・・ですが、休み中もけじめ無く仕事をしてしまう在宅勤務。そして勤務日もけじめ無く休んでしまうのでした。

人は何かを理解するとき、頭の中にモデルを作り上げます。そのモデルは現実とは微妙にずれていますが、そのズレは後日の経験によって修正されるのが普通です。

たとえば、東京でテレビのリモコンの1はNHKです。そこで世界中どこでも1はNHKだというモデルを頭の中に作ります。関東に住んでいる限りこのモデルは破綻しません。しかし名古屋に行って1を押すと民放が映ります。そこで、頭の中のモデルに修正が加わります。
こうして、時に恥をかいたりしながらモデルが修正され、現実に即したものになっていきます。

しかし、何かの拍子にモデルが修正不能になったとします。すると、モデルを守るためには現実をねじ曲げて理解しなければなりません。

先ほどの例で言えば、どこでもNHKは1だというモデルが修正不能になると、1は民放だという事実をねじ曲げる必要が生じます。例えば「名古屋ではNHKが悪意ある何者かに乗っ取られて民放になっている」という理解をする。こうすれば、1=NHKというモデルは修正せずに済みます。

外から見れば、現実を曲解することが「妄想」なのですが、妄想の本質は修正不能になったモデルそのものなのだ、という話でした。


2009年08月16日(日) 世の不公平に敏感

53.2Kg, 9.8%
晴れ

借りてきたレッドクリフ2を見ました。風が吹いてからが長く、油がまるで爆発物のように燃えるのでした。

精神分裂病の息子を持つ父親の文章を読んでいて、素人の立場での病前性格の解釈に「なるほどな〜」と思ったので、ちょっとそれについて書いておきます。

世の中の不公平に敏感な人。ニュースで報じられる不公正に憤るタイプ。
こういう人は正義感が強いのではなく、実は自分の現在の処遇に満足していない。もし世の中が公平で、皆がきちんとルールに従っていれば、自分はもっと良い評価を受けるはずである。(アル中さん的に)個々の人間関係の中で相手を恨むのではなく、社会システムを批判する方向に進む。

損得勘定に敏感であり、目の前の勝敗にこだわる。ちょっとした誤解もその場で解かないと気が済まないとか、すべての議論に勝とうとするとか。「あの時、こう言い返せば良かった」と後でほぞをかみ、自分をふがいなく感じる。
これは自分の弱さの自覚から来る。努力を続ければ後日必ず失地回復できるとか、長い目で見ればマイナスではない、と考えられないのは、自信のなさから来る。
弱い自己像への補償作用として、大きすぎる夢を抱く。

「人間関係が苦手」といっても、いろいろタイプがあるんだと思いました。


2009年08月15日(土) 記録を取ること

53.7Kg, 9.0%
晴れ

実家にスイカを持って行き、墓参り、桃と野菜をもらって帰る。TSUTAYAでレッドクリフ2を借りる。

スポンシーやビギナーにお勧めしているのが、ミーティングに出席した記録を残すことです。それはカレンダーに、出席した日は○、遅刻した日は△、行くはずなのに行かなかった日は×と印を付ける単純なやり方でもオーケーです。

人間の記憶は曖昧なものです。僕は一昨日の晩に何を食べたかも思い出せません。自助グループではミーティング(や例会)に出ることが大切だと言っていても、どれぐらい出ればいいか基準はありません。でも確実に言えることは、出席回数が減ってくるのは悪い徴候だってことです。

しかし、本人は回数が減っていることに気がついていない場合が多いのです。断れない残業や用事で休んだ日を、無意識のうちに分母と分子から除いてしまいます。そうすれば出席率は悪くなりません。けれど、もし自助グループに効能があるとするなら、理由は何だろうと休めば受け取る恩恵が減るはずです。自分が徐々に悪化していることに気づきづらいのです。

逆に陰々滅々としているときは、自分の努力を否定したがります。そういう時には客観的なデータを見て、自分が続けた努力をほめることも必要です。

例えば「よく眠れない」という人には、寝た時間と起きた時間、睡眠の質を◎○△×の評価で記録するとか。すると、最近ずっと眠れないと思っていたのが、不眠は最近二日ばかりのことに過ぎないことに気づいたりします。

他にも金銭の出納とか、むかっ腹がたった相手の名前とか、なんでも記録を取っておけば自分を客観視するのに役に立ちます。ステップにも内観にも役に立ってくれる(といいな)。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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