心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年08月04日(火) 人の集まり

53.8Kg, 8.9%
晴れ

断酒系の掲示板って、メンヘル(精神病)の掲示板なんですよね。
だって依存症は精神病だもの。
頭や心を病んだ人ばかりが集まる掲示板なんだから、トラブルがあって当たり前。
中傷や非難もある程度はしかたないじゃないのさ。
だって、それも病気の「症状」なんだから。
「具合の悪い人」「お加減の悪い人」がいるのは仕方ないこと。
酒さえ飲んでなければマトモってわけじゃなくて、シラフでも変なのがアル中さん達ですから。それに巻き込まれて自分まで具合が悪くなっちゃたまらんです。
テキトーに受け流していきましょう。

リアルの断酒グループでも同じことです。
「お加減の悪い人」を何とか良くしてやろうと、自分まで巻き込まれてはグループの意味がありません。
Live and Let Live
というスローガンがAAにあるでしょ。
「人は人、我は我なり」
ですよ。人の問題に首を突っ込んでなくて、自分の問題に集中しましょう。
それが一番嫌なのは分かりますけど。

かといって「具合の悪い人」をグループの中でほっておいて良いわけでもなくて、スポンサーになった人に面倒をまかせるわけです。だから、きちんとデタッチできないうちにスポンサーをやると、スポンシーの問題に巻き込まれて大変です。

それでも、誰かからうるさいことを言って貰えるうちが華(はな)です。いくら言っても聞く耳を持たない、と思われたら誰も何も言ってくれなくなるからね。ひらたく言うと見放されたと言うこと。そういう状態で何年も過ごしている人がAAには一杯いるんだよね。事情を知らない新しい連中が次から次に来て巻き込まれるので、ご本人は意識してないんだろうけど。

うるさく言われなくなったから良くなった、なんて思うのは大勘違い。皆が関わり合いを避けてるだけだってば。お互い気をつけようね。


2009年08月03日(月) 禁煙について

体重は計測なし。
晴れ。

僕の禁煙については「家路」本体にも書いてあるので、興味のある人だけそちらを読んでもらうとして、今回は禁煙補助薬のことを。

僕がやめた当時、医者が使えた補助薬はニコチンパッチのみでした。当時は禁煙に健康保険適用がなかったので全額自己負担で、一週間分が約1万円でした。これが約4週間分。後半はパッチのサイズが小さくなる分だけ多少安くなり、診察料ともあわせて総額4万円ほどでした。

その後しばらくして、ニコチンガムが使えるようになり、禁煙治療にも健康保険が使えるようになりました。

最近登場した「チャンピックス」という服用薬は、なかなか良い薬のようで、禁煙成功の話もたくさん聞きます。このチャンピックスとはどんな薬なのか、ちょっと調べてみました。

依存症の治療に使う薬は、アゴニスト(作動薬)かアンタゴニスト(拮抗薬)のどちらかです。

人の脳には、依存物質ごとにそれを受け止める受容体があります。この受容体が(例えばアルコールで)刺激されれば、渇望感が消える仕組みです。そこで受容体を別の薬(アゴニスト)で刺激してやれば、渇望が消えて楽にやめられる、という理屈です。

アゴニスト(作動薬)としては、オピオイド(ヘロインやモルヒネ)の依存症に使うメサドンが有名です。オピオイド受容体を別の薬(メサドン)で刺激してやれば、楽にヘロインがやめられるわけです。これをメサドン置換療法といい、ヘロイン依存をメサドン依存にしているだけなのですが、ヘロインよりメサドンのほうが害が少ないわけです。このメサドンがやめにくい薬なのだそうですが、それは別の話。

「依存」と「寛解」という言葉を知っている人は、「アゴニストによる治療中」という分類もあることを知っているでしょう。アゴニスト投与が終わってからが寛解時期のカウント開始です。

アンタゴニスト(拮抗薬)については詳しく書く必要はないでしょう。アルコールで言えば抗酒剤のことです。受容体を邪魔して気持ちよくさせない(気持ち悪くさせる)ことで、依存対象を忌避させようというアイデアです。

前述のチャンピックスは、ニコチンパッチやガムのようにニコチンを含んだ薬ではなく、アゴニスト&アンタゴニストの薬だそうです。まずアゴニストとしての機能があってタバコへの渇望感を減らしてくれます。同時にアンタゴニストとしての機能もあり、タバコを吸ってしまったときの満足感を減らす効果もあります。

チャンピックスは依存性の少ない薬のようで、「タバコはやめられたが、今度はチャンピックスがやめられなくなった」という話はないようです。再発率も高いようですが、これは依存症全般に言えることで、仕方のないことなのでしょう。

チャンピックスの3ヶ月分で、自己負担が2万円弱だそうです。いまは良い薬があってうらやましい。ああそうだ、副作用にうつ症状が出る場合があり、うつ病持ちの人は要注意(禁忌なのかどうか)だそうです。


2009年08月02日(日) 「間違い」と「間違え」

53.5Kg, 8.9%
曇り時々雨

ある人のブログを読んでいたら、「〜の間違えではないか」という文章に出会いました。僕は「間違え」という言葉は使わないので、すこし奇異に感じました。

「間違い」と「間違え」はどちらも名詞のようです。
言い間違い・言い間違え、というふうに、〜間違い・〜間違えのペアはいくらでもありそうな気がします。はたしてどちらが正しいのか?

調べてみました。

「間違い」は「間違う」という動詞が、「間違え」は「間違える」という動詞が、それぞれ名詞化したものです。

間違う、は五段活用で、意味は誤ること。
間違える、は下一段活用で、意味は取り違えること(例:姉と妹を間違える)。

例えば、「間違われる」は「間違う」+「れる」、「間違えられる」は「間違える」+「れる」。

はてさて「言い間違い」の場合には、Aと言おうとしてBと言ってしまうのですから、「間違え」が起きているわけで、「言い間違え」が正解です。

しかしながら、行為としての「間違え」(取り違え)があれば、結果として「間違い」(誤り)は発生しています。つまり「間違い」は「間違え」を包含しているとも考えられます。ならば「言い間違い」も誤りとは言い切れません。

また「間違う」という動詞にも、誤るという意味があるので、両者の意味的な境界は曖昧です。

「間違い」と「間違え」、「間違う」と「間違える」は、場合によってどちらかがより適切ではあるものの、他方が誤りであるとも言えない関係なのだ、ということがわかりました。


2009年08月01日(土) 根拠のない自信

54.4Kg, 10.7%
くもり時々雨

自動車の車検。代車としてダイハツの軽自動車を借りました。チョイ乗り中心なら軽自動車を維持して、家族みんなで遠出するときはレンタカーというスタイルでもいいのかもしれませんね。

ニュース検索に引っかからなければ、ダイアモンド・オンラインなんて絶対読まないサイトなんですけど、そこにうつ病と自信に関する話がありました。既知の話ですが、あらためて書いておきます。

自信とは自分を信じることです。そして、信じることには根拠は要りません。よく人を揶揄するために「根拠のない自信」という言葉を使いますが、そもそも自信に根拠は要らないのです。

親にとって子供とは「生きてさえいればいいもの」です。勉強が出来なくても、学校に行かなくても、人に迷惑をかけても、子供は可愛いものです。そういう無条件の承認を得てこそ、子供は自己信頼を育てることができます。

親の愛情が「〜であれば」という条件付きであった場合、子供の自己信頼も条件付きになります。大人になって人が認めるような実績がないと、自信を持てなくなってしまいます。学歴とか仕事の成果とか良い配偶者とかね。

では、どちらのタイプのほうが逆境に強いでしょうか。努力が習慣になっている後者でしょうか? 実はこのタイプは将来の見通しが暗くなり、不安が大きくなるとくじけがちです。親から無条件に愛され、根拠がなくても自信を持ち続けられるタイプのほうが、失敗にめげずに仕事を続けられます。

ダ〜の記事では信仰についても触れていました。人は神の存在証明があるから神の存在を信じるわけではありません。この場合も信じることに根拠は要りません。信じたいという気持ちがあれば十分です。

自分に対しても、他の人に対しても、神に対しても、懐疑主義を捨てる(努力をする)のが、うつ病再発防止に有効なのだと思います。


2009年07月31日(金) まずは自分を

53.4Kg, 7.4%
晴れのち雨

NHK教育で児童虐待の番組を見ました(これも結構古いの話)。
虐待されて育った子供は、感情に歯止めが効きません。例えば怒り出したら、相手が謝罪しようがお構いなしに、徹底的にやっつけてしまいます。怒りの感情を親に(も他の大人にも)受け止めて貰えなかったために、どこで矛を収めたらいいのか分からないのだそうです。
番組では施設(病院?)に預けられた中学生の女の子が、スタッフに「もうお風呂に入ったの?」と聞かれただけで、ブチ切れ暴れ続けている場面を流していました。お風呂に入る準備をして順番待ちをしていたのに、「もう入ったの?」と聞かれ、それが「まだ入ってないんだ!」と責められる理不尽と受け取ってしまったようです。
スタッフは彼女の感情の爆発に時間をかけてつきあい、話を聞き、暴れることではなく言葉によってコミュニケーションすることを学ばせていました。

こうして、(親はしてくれなかったけれど)感情を受け止めてくれる大人「も」いること、話を聞いてくれる大人「も」いることを知っていき、それが大人に対する、社会に対する信頼と絆を取り戻していく過程であるという話でした。

例え傷ついていたとしても、子供の心は柔らかく、傷を乗り越えて成長する余地があります。虐待する生き方を何十年も続けてしまった親のほうが変わりにくいのだそうです。そうした親自身、子供のころに虐待を受けているわけですし。

とはいえ「私は子供のころから親に虐められてきたので、いま問題行動を起こしても仕方ないのです」と開き直られても、周囲にとっては迷惑でしかありません。(こういう人に限って、正直な自己開示と「イタい私自慢」を混同する)。

傷ついたまま大人になった人は、なぜか「治療者」になろうとする人が多いのです。それが医者や看護婦として社会的に実現されればまだしも、自称カウンセラーというのは見ていて痛々しいです。自分の問題を放っておいて、人の問題に首を突っ込もうとしているわけです。

これを「傷ついた癒し手」というのだそうです。想像してみてください。満身創痍で血をだらだら流している看護婦が、他の人の擦り傷にバンドエイドを張ろうとしている構図を。まず自分の傷の手当てをお願いしたい。クライアントよりカウンセラーのほうが重症で具合が悪くては治療になりません。

カウンセリングの講座を受けるほど積極的でなくても、集団の中でカウンセラー的立場に身を置きたがっている人も大なり小なり同じでしょう。

病気を治す医者は、患者より健康でないと困ります。これはカウンセラーでも同様。そして子供の世話をする親についても同じでしょう。まずは自分の回復なのであります。


2009年07月30日(木) 寝る2009夏

53.4Kg, 8.5%
曇り

金曜は会社の健康診断。
ということで、木曜晩から絶食になりました。
夜9時以降は飲食禁止。
夕食が夜9時頃だった気がしますが、気のせいです。
夜12時頃サプリメントその他の錠剤をもりもり飲んでいた気がしますが、それも気のせいです。
「きらきらアフロ」を見るのを諦めて早寝(?)。

夢を見ました。
床に丸まっている毛布のようなものをめくると、下からバケモノがガバっと現れました。

(これはいかん、蹴り飛ばさなくては)

と、反射的にキックしてしまいました。
その瞬間、リアルでは「ドン」という音がして、左のかかとが柱の角にめり込んでいました。

痛った〜〜〜〜。

かかとをさすって、もう一度寝ました。

健康診断は問題なく終わりました。血圧も血糖も肝臓の数値も問題なし。レントゲンと心電図は後で専門の医者が見るそうです。胃カメラの画像をプリントしたのをお土産に持たされて、帰宅したらもうお昼でした。


2009年07月29日(水) mil この病気を何と呼ぶか(その2)

53.1Kg, 7.2%
曇り時々雨

日本では長年「慢性アルコール中毒(症)」の名前が使われてきました。これを略して「アル中」という言葉は現在でも使われています。おそらく1980年ごろからでしょう、専門家の間でWHOの提案に従って「アルコール依存(症)」という名前に変えていこうという風潮が高まり、今では新聞やテレビなどのマスメディアが使う言葉は、ほぼ「アルコール依存症」で統一されています。

「アルコール症」という言葉も一部で使われています。この言葉の発祥ははっきりしませんが、元になったアルコホリズムという言葉が、「アルコール」に病気の状態を示す「イズム」をくっつけた言葉であったため、それを直訳して生まれたものと思われます。ただ、アルコール症も、それを略した「アル症」という言葉も一般化してはいません。

新しい病名に変えることで、古い病名につきまとう偏見を取り除こうという意図は、海外でも日本でも成功したとは言えません。今では「依存」も「アル症」も人間のだらしなさというニュアンスを帯びてしまっています。世間に偏見がある以上、どんな新しい病名を使っても同じことの繰り返しでしょう。偏見を取り除くには、病名を変えるのではなく、もっとこの病気の回復率を上げていく努力が必要なのだと思います。

さて、「心の家路」ではこの病気を何と呼ぶべきか、という問題に移ります。
一般になじみのない名前を使うメリットはありません。これで、アルコホリズム、アルコール症が候補から落ちます。「中毒」と「依存」は、どちらも病気の一面しか示していない欠点がありますが、決して間違った名前ではありません。そして一般に浸透しているのは大きな利点です。

メディアがアルコール依存症という言葉を使う以上、この病気のことを知ろうとする人は「アルコール依存症」でネットを検索するでしょう。そして「心の家路」がネットで検索を受けやすくすることは大事です。なので、ここでは「アルコール依存症」という言葉をメインに使い、気楽な文章では一般に最もなじみのある「アル中」という言葉も混ぜていくことにします。

僕はAAのメンバーなので、AAの使うアルコホリズム/アルコホーリクという言葉にも未練があります。けれど、上記の理由でなるべく使わないでおこうと思います。あえて使うとすれば、(特にAAの文脈で)意味があって使っているということになります。

この病気
 アルコール依存
 アルコール依存症
 アルコール中毒
 アルコール中毒症
 (略して)アル中

この病気の人
 アルコール依存症者
 (略して)依存症者
 アルコール中毒者
 (略して)アル中

付記1:発音について
英語の alcoholism/alcoholic の発音をカタカナ表記すれば、それぞれ「アルコホリズム/アルコホーリク」となるので、ここではそのままカタカナにしています。同じ理屈で言えば alcohol は「アルコホール」と聞こえるので、そう書くべきかもしれませんが日本語のアルコールをそのまま使っています。アルコールに揃えてアルコリズム/アルコーリクにするのは変だと思うので採用していません。

alcoholic の末尾の lic は、カタカナにするときは「リック」にするのが一般的です。例えば metabolic → メタボリック、public → パブリックなど。これからすると alcoholic は「アルコホリック」、Alcoholics Anonymous(AA) はアルコホリックス・アノニマスが適当ですが、単に「日本のAAが30年以上アルコホーリクを使い続けている」という理由でアルコホーリクを採用しました。

付記2:アディクション/アディクト
アディクション(addiction)という言葉は、薬物依存(とりわけ麻薬依存)を示す言葉として使われることがありますが、このサイトでは「アルコールを含むすべての種類の依存」という意味で使います。

 アディクション→アルコールを含むすべての種類の依存症
 アディクト→アルコールを含むすべての種類の依存症の人


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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