心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年07月20日(月) ステージに立たない

53.4Kg/8.0%

しばらく前のことですが、AAの病院メッセージに行くのに、別のグループのメンバーの車に行きも帰りも乗せてもらいました。ガソリンも使ったでしょうし、途中高速道路も使いましたから、降りる寸前に暗算して「これはちょっと少ないですけど」と千円札を差し出しました。

すると車に乗せてくれた人は、「私が自分の責任だと思ってやっていることです。だからそれは不要です」と断って、受け取ってくれませんでした。

僕は浮いた千円で、駅そばを食べ、西友まで遠回りしてバナナとジュースとヨーグルトを二個買って帰ったのでした。・・・なので、これからその人のことを褒めるわけです。

人に褒めて貰うこと、人によく評価されること、人に認めて貰うこと、こういうことばかり求めている人がいます。「私はこんなに頑張っている」というアピールがうるさい人々です。

例えばAAで「遠くのどこそこのAAに参加してきた」とか「AAの用事で時間を使っている」などという話をする人がいます。自慢とはちょっと違って、私はこんなに一生懸命AAをやっているというアピールです。「へぇ、すごいね」と言われることを求めているのでしょう。僕はそんなアピールを聞きたいのではなく、それでその人が何を得て、何を感じたのか知りたいのですが・・・。

子供は褒めて伸ばせとか、部下は褒めて仕事をさせろと言います。なるほど人は褒められる必要があります。でも、褒められることを目標に行動するのはいただけない。そういう人は、人に認めて貰えない努力はしたがらず、目立つことを好み、陰で地道にやることを好まないものです。

自分で自分の努力を褒めてあげるだけで不十分なのは、それだけ自分に対する自信を失っているのでしょう。子供のころに親から「もっと頑張らねばダメだ」と言われ続けたのかも知れません。部下に持つと(使えなくはないが)面倒くさいタイプです。

僕は車に乗せてくれた人と半日行動をともにして、彼がその病院メッセージを自分の責任だと思ってやっていることを感じました。褒められること、認められることを求めているわけではないと。一緒に行く人がいようがいまいが、彼は続けてきたし、おそらく今後も続けるのでしょう。

今度地元でメッセージフォーラムという企画があって、病院メッセージについての経験の分かち合いが行われるのですが、地道にメッセージ活動をやっている実績を評価して彼をスピーカーに推薦しても、おそらく彼自身に断られてしまうような気がします。

AAの中にあってもステージに立つことを求める人をスポンサーに選んではいけない、と思うのですよ。


2009年07月18日(土) アル中的性格

53.0Kg, 9.6%

アル中というのは、皆が同じ性格を持っています。
元の性格は千差万別なのかもしれませんが、そのベースの上に乗っかった「アル中性格」のほうがはるかに目立つので、アル中は皆が同じ性格傾向を持つ、という印象になるわけです。

アル中的性格とはどんな性格か、ということについては、たくさんのことが書かれているので、いまさらここに挙げる必要もないでしょう。

でも、一つぐらい例を挙げておきましょうか。

例えば、「アル中は誰もが似たような性格的欠点を持っている」と言うと、

「そんなことはない、ひとくくりにしないでくれ!」

と反論が返ってきたりします。要するに「自分は例外である」という主張であったり、「アル中的性格」が存在することそのものへの挑戦だったりします。いずれにせよ、ひとくくりにされることを嫌うことが、性格的欠点の露呈であることに気がついていないのです。陰気にムキになってしまうのですな。

マイナスな評価に対して過敏なんだよね。自分に自信がないからですけど。

せめて陽気にムキになるよう努めなくては。


2009年07月15日(水) 車検でちょちょ切れる

54.0Kg, 8.6%

またまた車検がやってきました。ビンボー人には辛い試練であります。
いつもはディーラーにお任せ車検なのですが、前回請求書を見て涙がちょちょ切れました。不景気のあおりをモロに受けている今回は、整備工場に見積もりを頼むことにしました。頼んだのは、怪しい絵とか光速デジタルが描かれたところであります。

見積もりに1時間半ほど待たされました。その間、茶も出されずに待つのであります。宣伝文句は「拘束デジタル」に変えた方が良いような気もします。

見積もり結果は・・・フロントのブレーキパッドがあと2mmしかないので泣く泣く交換。切れたブーツは交換しないと車検を通過しないので、これも交換。あとは油脂類の定期交換、ブレーキオイル、エアクリーナ、ATF、ギアオイル、パワステオイル。それとナンバー灯と右のスモールが切れているので交換。
これだけで整備費用が7万円近く(検査代込み)。

一方、エンジンオイルとエレメントは、あらかじめオートバックスで換えておくことにして、フェルフィルタの交換は次回に、バッテリーも「まだ大丈夫だから」と交換しないことにして、節約節約。

長距離通勤を続けたおかげで、すでに走行14万キロ。エンジン各所からオイルがにじみ、ラジエータからは冷却水が漏れます。ブレーキのディスクは錆び、ドライブシャフトのカバーにはヒビが入っています。でも今回は見なかったことにしてパス。来年お金の余裕が出来たら、ちゃんと整備しようと心に誓うのでした(ついでに板金もやろう)。

心配していたタイヤの残り溝は十分あったので、タイヤを調達しなくてすんだのは幸いでした。

これにさらに重量税と自賠責と印紙代か。前回より安いのは確かであるが・・。

「あなたが一番影響を受けた本(book)は何ですか?」

という質問に対し、バーナード・ショーはこう答えたそうです。

「銀行の預金通帳だよ」

支払い後の預金残高を見て涙がちょちょ切れそうな悪寒がします。


2009年07月13日(月) 病院メッセージ

53.9Kg, 7.8%

2年ぶりに出身病院へのAAメッセージ活動に行ってきました。
日本のAAで「メッセージ活動」というと、病院などの治療施設を訪問してAAミーティングみたいなことを定期的に開催することを指すようです。

なんで「メッセージ」というのかというと、ステップの12に「このメッセージをアルコホーリクに伝え」carry this message to alcoholics、とあるのが由来です。実際海の向こうでは、メッセージ活動とは呼ばず、12番目のステップ活動と言うそうです。

ただ、日本のAAが病院内でやっているミーティングは「霊的なメッセージを運ぶ作業」とは違っていて、単なる「オープンミーティングの出前」というかAAの広報活動なんだと思います。広報活動も12番目のステップに含まれると言われれば、そうかもしれませんが。

AAが外部との接触を断ったら、秘密結社になってしまいます。病院メッセージは大事なリクルートの場です(でも無理な勧誘は御法度)。私たちは常に「新しい人」が必要なのです。「私たちには私たちを必要としてくれる人が必要」ですからね。

昨年の4月に作った新グループは、ミーティングは何とか続いています。施設から人が来てくれるおかげで、参加人数は常に十人を超えています。でもグループメンバーは創設時の3人のまま(減りもしないけど)増えもしません。そろそろ新しい血を混ぜないと、よどんでしまいますな。

個人的には病院メッセージでステップの話をする奴はお間抜けさんだと思っています。ステップがやりたくてAAに来る人はおらず、たいていはアルコールの問題をなんとかしたくて来るのですから、病院では酒の話をするのが相応でしょう。

一回や二回病院を訪問したぐらいで、いきなりメンバーが増えることもないでしょうから、これから地道に続けるしかありません。


2009年07月12日(日) 子供をAAに?(その3)

54.6Kg, 10.4%

子供をAAの会場に連れて行くのは是か非か? という話を締めておかないといけませんね。

「子供の面倒をみなけりゃいけないのでAAには行けない」というのなら、子連れでAAに行った方がいいのだが、それは次善の策であって、会場で子供の面倒を見ているとどうしても人の話を聞くことはお留守になりがちだ、という経験が、前回までのお話でした。

では、連れて行かれる子供にとってはどうでしょうか。

お父さん、お母さんが家で飲んだくれているよりは、飲まないでいてくれる方が余程マシですから、そのために連れて行かれるのなら仕方ないか、という諦めもあるでしょう。まるで飲酒防止の監視役をやらされている気分かもしれません。

問題なのは、AAの会場にいる大人たち(AAメンバーたち)は、素面になったとはいえ、まだまだバランスを欠いたアル中さんたちである、ということです。バランスを欠いていないAAメンバーはいないし、それはAAメンバーに限らず酒をやめたアル中さんに共通の問題であります。
一般社会の中に素面のアル中さんが少し混じっている、という状態ならまだしも、自助グループというのは問題を抱えた人たちばかり集まっているわけです。当然理想の状態からはかけ離れた場所になります。AAで他の人に対する「配慮」が強調されるのは、皆がそれを欠いているからに他なりません。

小学一年生の男の子にコーヒーを勧めた人がいました。これは笑い話で済みますけど。
子供に聞かせるのはまずい話を平気でしてしまう人もいます。それも自分が飲まないために必死なのかもしれません。自分が子供に会えなくなったので、子連れの人に嫉妬を抱く人もいます。単に酒が切れて間もないので、イライラを自分より弱いものにぶつける人もいます。
ミーティング会場は自分を守れない者にとっては、けっこう厳しい場所なんですよ。

これが大人のアル中本人なら、人間関係のスキルがなくて対人関係で傷ついてばかり、だからAAに行くのが辛いと言われても、そりゃ飲まないためには乗り越えられる壁だよとか言っていられるのですが、相手は子供ですから。

それでも子連れで行くしかない時もあるでしょう。それが現実というものです。理想がすべて実現できないからと悲観する必要もありません。100か0かの白黒決着をつけないと気が済まない硬直した思考ではなく、「しょうがないよね、あはは」と笑ってすませられるグレーゾーン許容も、回復の一つの指標だと思います。


2009年07月10日(金) 子供をAAに?(その2)

子供をAAの会場に連れて行くのは是か非か? の続き。

AAのイベント会場に奥さんと子供を連れてきたメンバーに、「ご家族の理解があってうらやましいですな」という話をしたら、家族と一緒に来ると、どうしてもそちらの相手で時間を取られてしまい、仲間との分かち合いの時間が減ってしまうのが難点だ、とおっしゃっていました。

前妻は僕がAAに関わることに不満たらたらでしたし、子供たちも幼かったのでAAとは無縁に育ちました。

ある時、泊まりがけのAAイベントに行ったところ、大人達がバーベキューに興じる脇で、連れてこられた子供たち十人ほどがきゃーきゃー遊んでいるのを見て、和やかな気分になりました。おそらくあの子達はお互いに面識もないか、ほぼ初対面なのでしょうが、それでも一緒に遊べるところが子供の素直さでしょう。
それは、バーベキューというリクレーションのイベントだったからうまくいったのでしょう。

別のある時、日曜の朝、隣県のステップセミナーに出かけようと準備していると、子供たちが起きてきて「パパだけお出かけするのはずるい」と言うのでした。パパは遊びに行くのではないのだが、それでも一緒に来たければどうぞ、と連れて行くことにしました。しかし、真面目なセミナーに連れて行くのは失敗でしたね。

会場の中に連れ込んでも、子供たちは長くおとなしくはしていてくれません。スピーチ一人分もまともに聞けませんでした。しかたなく、会場の外で仲間とおしゃべりしたのですが、それも1時間が限界でした。
しつけが悪いと言われれば反論の余地はありません。ただまあ、仲間の姿を見ると、子連れで会場に来てゆっくりスピーチを聞いている余裕はなかなか無いようです。会場の外で雑談をするのは楽しいけれど、何のためにセミナーに来たのかわかりゃしない。とはいえ、僕も「遊びに行くわけじゃない」と言いながら、事実上遊びにいったに等しい時もあるわけなので、本人の中で遊びに行っているという意識があるなら、それはそれということなのかも。

まあ、中には1〜2時間は子供をおとなしくさせることに成功している親もいて、うらやましい限りです。僕はダメですね。結局あの時もセミナーは諦めて、近くの公園で夕方まで遊び倒んだっけな。

(まだ続く)


2009年07月09日(木) 子供をAAに?(その1)

子供をAAの会場に連れて行くのは是か非か?

原則論から言えば、AAはアルコール本人の集まりなので(子供がアルコホーリクでないならば)クローズドに連れてきてもらっちゃ困るわけです。でも、原則は原則として、小さい子供を預けられる人がいないとか、子供だけで留守番はさせられないならば、連れて来ちゃうしかないと思うのです。これが現実論というもので、原理原則ばかり語っていたって、現実問題を克服できなきゃしょうがないわけです。

アメリカの某所のミーティング会場リストを見せてもらったら、"cc"という記号があちこちに書かれていました。child careの略で、親がミーティングに出ている間は、別室で子守をしてもらえる印だそうです。子守役はメンバーが輪番でやったり、高校生をアルバイトで雇ったりするとか。グループがそういう子連れの需要に応えられるまで成長しているのでしょう。

以前県内で泊まりのイベントをやったとき、ミーティングの間は子供を別室に集めてみたことがありましたが、子守役のメンバー(♂)はへとへとだったようです(さもありなん)。

日本では、個々のグループがそうしたサービスを行うところまで進んでいないでしょうから、ミーティング会場内に子供が座っているのも仕方ないと思います。本を読んだり、DSをやったり、宿題をやったりして、おとなしくしていてくれればありがたいのですが、まあ子供ですから多少ドタバタするのはガマンしなくちゃならないでしょう。

ただ会場に子供を連れて行くのは、あくまで現実問題に対処するための次善の策に過ぎません。とーちゃん、かーちゃんが家で飲んだくれているよりは、子供と一緒にAAに行った方がいいというレベルの話です。

「ときとして善は最善の敵となる」というのもAAの言葉であり、これにも当てはまると思うのです。

(続く)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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