心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年06月29日(月) 努力して

52.9Kg, 9.8%

NHK教育で摂食障害を取り上げた番組を見ていました。
オーガーラ先生が「ふつうダイエットは成功しないものだが、摂食障害の人はそれを成功させてしまう」という話をしていました。

一ヶ月半で10Kg落とした二郎さんは努力家として飛び抜けていると思います。けど、薬でもアルコールでも依存症になる人、摂食障害になる人は、誰でも努力家だと思います。

最初から気持ちよく酒が飲める人は少数派です。大酒が飲めるようになるためには、相当な訓練が必要です。二日酔いで激しく苦しんだこともあったに違いありません。なのに、それでめげて酒をやめることなく、気持ちよく飲むためにと、酒の種類を変えたり、店を変えたり、飲む時間帯を変えたり、いろいろ考えたことでありましょう。お金も時間もたくさんつぎ込んで、他の楽しいことを犠牲にして、立派な大酒飲みになったわけです。ついでにアル中にもなりましたけど。
(そうやって「大酒飲みになる」のに大きな努力をしたのに、「大酒飲みをやめる」のには努力は要らないという心理がどこから来るのか?)

薬だって上手な使い方が出来るようになるには、かなりの努力が必要です。

努力して依存症になった、ということは見落とされがちな視点なのかもしれません。


2009年06月26日(金) 適正飲酒?

53.0Kg, 7.2%

さて、節酒というか適正飲酒の話。
アル中さんは飲み過ぎるからいけない。ほどほどに飲めば良し。
それが出来ないから病気であって、飲み過ぎないためには「もっと飲みたい」という気持ちを抑え込まねばなりません。例えその欲求が飲酒再開後それほど強くなかったとしても、何ヶ月、何年と飲酒を続けるうちに制御できなくなってしまいます。
アル中ではない普通の酒飲みたちは、飲んだくれを見て「なぜ、ほどほどにしておけないのか?」という疑問を持ちます。

では、アル中でない普通の酒飲みは、適正飲酒をしているのでしょうか?

酒席で普通の酒飲みと一緒になったら、酒をもっと飲むように勧めてみてください。勧めに応じて多く飲む人もいるでしょう。その場合には、もっとしつこく勧めてみてもいいです。いずれ必ず「もうこれ以上勧めないでくれ」とか「いらない」と言い出すでしょう。

つまり普通の酒飲みは「もっと飲みたい」という気持ちを抑え込んではいません。彼らは飲みたいだけ飲みます。これ以上いらないというところまで飲み、満足して帰って行きます。その満足の量が、人によってはビールたった一杯だったりもします。彼らは「ほどほどに飲む」ために、意志の力もいらないし、努力もいりません。

つまり飲みたいだけの量を飲んでいる、という点では、普通の酒飲みもアル中さんも変わらないのです。結果が違うだけ。

結局の所、アル中さんを普通の酒飲みに戻すためには、トラブルが起きない程度の少量の酒で十分満足できる陶酔感が得られるよう脳を戻す必要があるのでしょう。

適量の飲酒に戻れたとしても、それを保つために努力や気配りが必要なら、それはアルコール依存症が治癒したことを意味しません。単に症状が小康状態を保っているだけなのでしょう。


2009年06月25日(木) 適正飲酒?

53.0Kg, 7.2%

さて、節酒というか適正飲酒の話。
アル中さんは飲み過ぎるからいけない。ほどほどに飲めば良し。
それが出来ないから病気であって、飲み過ぎないためには「もっと飲みたい」という気持ちを抑え込まねばなりません。例えその欲求が飲酒再開後それほど強くなかったとしても、何ヶ月、何年と飲酒を続けるうちに制御できなくなってしまいます。
アル中ではない普通の酒飲みたちは、飲んだくれを見て「なぜ、ほどほどにしておけないのか?」という疑問を持ちます。

では、アル中でない普通の酒飲みは、適正飲酒をしているのでしょうか?

酒席で普通の酒飲みと一緒になったら、酒をもっと飲むように勧めてみてください。勧めに応じて多く飲む人もいるでしょう。その場合には、もっとしつこく勧めてみてもいいです。いずれ必ず「もうこれ以上勧めないでくれ」とか「いらない」と言い出すでしょう。

つまり普通の酒飲みは「もっと飲みたい」という気持ちを抑え込んではいません。彼らは飲みたいだけ飲みます。これ以上いらないというところまで飲み、満足して帰って行きます。その満足の量が、人によってはビールたった一杯だったりもします。彼らは「ほどほどに飲む」ために、意志の力もいらないし、努力もいりません。

つまり飲みたいだけの量を飲んでいる、という点では、普通の酒飲みもアル中さんも変わらないのです。結果が違うだけ。

結局の所、アル中さんを普通の酒飲みに戻すためには、トラブルが起きない程度の少量の酒で十分満足できる陶酔感が得られるよう脳を戻す必要があるのでしょう。

適量の飲酒に戻れたとしても、それを保つために努力や気配りが必要なら、それはアルコール依存症が治癒したことを意味しません。単に症状が小康状態を保っているだけなのでしょう。


2009年06月24日(水) AAの有効性

53.6Kg, 9.7%

雑記のタイトルが短くなる前は「たったひとつの冴えないやりかた〜飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常、あるいは自助グループへの諦念混じりのつぶやき」でありました。

AAに100人のニューカマーが来たとして、そのうち10年20年と酒をやめ続けられる人は、おそらく数人でしょう。一回顔を出しただけの人も母数に入れれば、その比率はもっと下がり一人未満になってしまうかもしれません。
そういう現実からすれば、僕が今の日本のAAに対してシニカルな見方しかできなくなっているとしても、仕方ないではありませんか。

だからといって、僕はAAに対して失望しているわけではありません。信頼を失ったわけでもありません。

それは僕のソブラエティの2年目の夏でした。3年のバースディを済ませた「先ゆく仲間」が再飲酒してしまいました。彼は週に6日ミーティングに通っていました。当時はこちらでは会場がまだ少なく、毎晩出席するのは実に大変なことでした。そして毎週末のように遠方のAAイベントに参加していました。
そんなに熱心にAAをやっていたにもかかわらず、彼は飲んでしまったのです。

ミーティングでよく読まれる第5章に、「私たちと同じことを徹底的にやって、それでも回復できなかった人はほぼ絶無だった」とあります。それは誇大表現ではなかろうか、と思ったわけです。

幸い今では、考え方が違っています。
僕はAAの中で見聞が広いわけではありませんが、少なくとも「あんなに熱心にステップに取り組んだのに、なぜ彼は飲んでしまったのだろう」という例はひとつも見聞きしたことがありません。ステップは(ほぼ)常に有効で、取り組んだ人がほぼすべて回復するというのもウソではありません。

もちろん、ステップをやったのに飲んでしまったと言われたなら、「そりゃやり方が不十分だったのだよ」と言えば済む話ですから。

まあミーティングだけでやめられている人は、それでいいのかもしれません。でも、その一方で、ステップが伝われば助かる人たちに手が届かずに終わっているのが現実です。

ステップセミナーをやろうという話になっても、「ステップの話が出来るメンバーが少ないから無理だよ」という理由でボツになってしまうのです。シニカルにならざるを得ないじゃないですか。


2009年06月23日(火) 能力の上限

携帯電話の料金を照会してみたら、今月の無料通話がまだ一万二千円以上残っていると表示されたので、スポンシーに電話してみることにしました。(またauの計算ミスかも)。

最近ミーティングに行く回数が減って、ホームグループにもなかなか顔を出せないでいる、という話でした。

さもありなん。

酒をやめて1年、2年、3年と経っていくと、いろいろ周囲の期待も高まってきます。最初のうちは断酒優先で、仕事も軽減されているというパターンが多いでしょう。というか、さんざん酒で同僚や上司に迷惑をかけた結果、「大事な仕事はあいつにはやらせるな」という雰囲気になるのが普通です。

それが「今回は断酒が軌道に乗ったかもね」ということになると、いつまでも戦力外に置いて無駄飯を食わせておくわけにもいきません。次第に仕事の量が増やされて、いままで定時退社していたのが、残業しないと間に合わなくなってきます。あるいは出張やらなにやら。

本人のほうも、いままで職場に迷惑をかけたという意識もあるし、期待されてないのも悔しい、みんながまだ働いているのに「お先に」と帰るのも気まずい。それに、自分だって仕事の能力では人後に落ちない(はず)という意識もあったりする。
だから、仕事が増えるのが本人大歓迎だったりします。

そこで、「酒をやめるのが大事なのではない、やめて何をするかが大事なんだ」とかなんとか、もっともらしいエクスキューズを思いついちゃったりして。

そうやって会場へ行く回数が減り、次第にAAから遠ざかり、いつの間にか何ヶ月もミーティングに行ってなくて、今さら行きづらいし、別に飲みたいとも思わないし・・、そうやって何ヶ月か何年かは飲まずに過ごすんだけど、気がついたらまた飲んだくれていて、と螺旋を一回りするわけです。

などと言うことは、いちいち説明しなくても分かるはずなので、

「仕事を任せるほうも期待していて、あなたもその期待に応えたいと思って、でもやっぱりその仕事を断ってミーティングに行くことは必要なんだよ」

という話もしました。そういう制限も合わせたのが「自分の仕事の能力」なのだということです。


2009年06月22日(月) 片棒担ぎ

半年ぐらい前のGrapevineを読んでいます。
斜め読みなのですが、特集は再飲酒後のAA復帰について。

記事を読むと、「10年間のcasual membershipのツケはとっても高くついた」とか「最初にAAに顔を出したのが1972年、それから飲むたびにAAに顔を出していたけど、最終的にしっかり酒が止まったのは1999年」などと書かれていました。

カジュアル・メンバーシップというのは、たぶん「うわべだけの(おざなりな)AAメンバー」というほどの意味でしょう。その時は真剣にAAをやってみようと思わなかったものの、後になって後悔にほぞを噛むハメになった、というような話の特集なわけです。まあ、たいていこういう話は「とはいえその○年間は無駄ではなく、私にとっては必要な苦しみだったのだ」みたいなまとめ方がくっつきます。

初期のAAでは新人の半数が酒をやめられたが、現在ではその数は1割にも満たないという話があります。それはそうだろうと思います。世間のアルコール依存症への理解は少しずつですが進んでいます。様々なところでAAを紹介してくれるおかげで、まだまだ酒が飲み足りない人たちがたくさんAAにやってくることになりました。
その結果、AAには来たけれど、まだ底をついていない人たちの比率が増えたのでしょう。

カジュアルなメンバーというのは、AAにとってはあまり有り難くない存在だと思います。彼らはさほど努力しなくても酒をやめられています。それが一時的な断酒にすぎないかどうかは、その時には分かりません(飲むまで分からない)。
一方、もっと病気が進んで真面目にやるしかない状態の人にとって、カジュアルなメンバーはやる気を削がせる存在です。「彼らは楽して酒をやめているのに、なぜ俺のスポンサーはこんなに厳しいことを言うのだろう」とかなんとか。

あるオープンスピーカーズミーティングで、壇上の人が「私は棚卸しもやっていないが、ミーティングに通うだけで何年も酒が止まっている」と話しているとき、僕の隣の仲間が吐き捨てるようにつぶやきました。

「ああいう連中は、人殺しの片棒を担いでいるだけだよ」

その通りだと僕も思うのです。


2009年06月20日(土) ビッグコミックオリジナル発売日

52.4Kg, 9.9%

ホームグループの会場へは高速の側道を通っていきます。
測道の脇には田んぼが広がり、5月には麦が実っていました。おそらくこれは転作奨励金目当ての麦作であって、真面目に耕作するつもりはなく、麦を収穫した後は冬まで荒れ放題にされるだろうと予測していました。
しかし先日そこを通ってみると、ずらりと稲が植えられているではありませんか。きちんと麦と稲の二毛作をしているのです。僕は勘違いを恥じねばなりません。

最近ネット上での露出が減っているのは、意欲が減退したからです。
他のことが楽しくなって、ネットが面倒になっているだけです。この週末も、nLiteをいじくり回しているうちに半分過ぎてしまいました。

今週はビッグブックの3章(ステップ1)の前半でした。僕の心に響いのは「ゆがんだ考えが身についているために、自分の力でやめられる人もほとんどいないだろう」という一節でした。精神病院の中で、ケースワーカー室からこの本を借りて読んだとき、この一節に対してとても腹を立てたことを思い出します。

「お前の考え方は歪んでいる」と言われて腹を立てない人はいないでしょう。だが僕の考え方は歪んでいた、と今では思えますし、そんな自分を笑うことも出来ます。自分の失敗、自分の愚かさを笑うことができる、これは大切なことだと思います。
過去を振り返れば、「あの頃の自分の考えは歪んでいた」と常に思うのですから、きっと5年後に現在を振り返ればやはり歪みを見つけるでしょう。

最近つくづく思うのは、酒はあまり早く止まらない方が良い、ということです。
早すぎる断酒は、しっかりした断酒にならないことが多く、自分の力で酒をやめられるという誤解を生む元になるだけに思えます。精神病院の患者さんの中には、3年、5年自力で断酒できたと主張する人も多いのです。そして彼らの多くは、再び自力の断酒に果敢に挑んでいくのです。繰り返すごとに困難になっていくとも知らずに。

「底付きの底を浅くする」という話もナンセンスに思えます。病気の進行を遅らせるよりは、たっぷり飲んでもらって、最短コースでどん底に到着した方が、酒をやめた後の人生が長くて良いでしょう。それが真の底上げなのでは?

だから僕は「自力で酒がやめられる」と主張する人の意見を覆して、ハイヤーパワーを押しつける気にはなれません。というか、「自力断酒だなんて、無駄な我慢しないで早く酒を飲んだら?」と思っているのがホンネです。
だって、それが思いやりというものでしょ?


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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