心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年12月21日(日) 私用で忙しい

昼/レンジでチンするリゾット
夕/鶏の唐揚げ・ツルヤの99円サラダ・ぶなぴーのみそ汁
53.3Kg, 10.9%

朝/コーヒー・ヨーグルト・チーズ。

いつも通りに起床して、食事(ただしパンを買っておくのを忘れたので、トースト抜き)。体の疲れは取れていないものの、頭はいつもよりスッキリしている感じがしました。
天気の悪い月曜日だというのに、道もいつもよりはるかに空いていました。やはり連休の中日で休みを取っている人が多いのか、休まされている人が多いのか。うちの会社も、雇用を守るためには支給額カット、そのために一時帰休という話が現実味を帯びてきました。とはいえ、今できることは今日の仕事だけです。ともかく、今朝も遅刻せずにすんでよかった。
しかし、ETCのゲートを抜けたとき、表示された値段は通勤時間帯割引きになっていませんでした。おかしい、システムの故障でしょうか(すぐ人のせいにする)。が、時計をみると、なんといつもの通勤時間より1時間遅かったのです。あうち! 職場に遅刻するって連絡してないし。
つらつら原因を考えてみるに、おそらく「ぴったり一時間二度寝をしてしまった」ので、時差が生じてしまったようです。どうりで頭がスッキリしているわけです。
遅刻の理由欄は「私用」にしました。他になんて書けばいいのか。

年賀状の準備がまったく進んでいません。
2004年より諸事情あって、家族の写真ではなく、なんとなくAAっぽい文章と写真を載せて送っています。04年がDr.ボブ夫妻の家、05年が「砂の上の足跡」、06年がビルとロイスの家、07年が魯迅の「故郷」、今年はマチャードの詩でありました。さて今回はどうしましょう。マチャードの詩の次は、似ている高村光太郎の詩でしょうか・・それではあまりに芸がない。
さて、どうしたものか。


2008年12月19日(金) 年末

昼/ミニ高菜明太ごはん・焼き鮭おにぎり・ファンタ(コンビニ552)
夕/お通し・刺身盛り・お吸い物・煮物湯葉盛り・天ぷら盛り・カニしゃぶ鍋・ミニステーキ・そば・フルーツ・ウーロン茶たくさん(忘年会7,200)
夜/ちっちゃいカップラーメン

朝/コーヒー・トースト・生野菜サラダ・ヨーグルト・チーズ
昼/焼きそば・みそ汁・杏仁豆腐
夕1/ペンネアラビアータ・ピッツァマルゲリータ・サラダ・ジンジャーエール
夕2/おにぎり×1・そば茶
夜/天ぷらそば
53.3Kg, 10.5%

朝/コーヒー
昼/レンジでチンするリゾット

食い過ぎである。

ホームグループのミーティングだったのですが、職場の忘年会を優先させてもらいました。例年なら本社からわざわざ忘年会に参加誌にやってくる人がいて賑やかなのですが、今年は経済情勢がこんな具合なので地元の人間ばかりで静かに進行しました。
忘年会とは、今年の嫌なことを忘れる会のはずなのですが、来年からこちらに戻ってくる部長さんが、「本社ではコスト削減のためにこの事業所を閉鎖する噂も出ている」などと暗い話を展開してしまいました。
風来坊になってしまった僕などは、クビにさえならなければ、本社に移って相模原に骨を埋めたっていいや、と気楽ですが、なまじ「うだつの上がってしまった」人たちは、虚空を見つめるお地蔵さんとなっていました。

翌日は東京でのカウンセリング。7回目かな。
このカウンセリングは離婚後の僕にとても役に立ちました。
「お前は離婚したくてしたのだから、気分は晴れやかだろう」と言う人がいますが、とんでもない。人生のなかで貴重な十数年間が無駄になってしまったのです。心にぽっかり穴があいたように虚しくて当然ではないですか。
北方領土が返ってくる可能性はあっても、僕の十数年は取り戻しようがありません。
そんな状態から、自分のコミュニケーション・スキルの欠点とか、感情表現の屈曲とか、そもそも自分の感情に対して素直じゃないところとか・・、それを変えたいと思い、また残された人生を少しでも良く生きたいと「願うようになれた」わけです。

ともかく、ハードスケジュールで疲れました。腰が痛いのです。


2008年12月18日(木) 病気を進行させるサイクル

昼/焼き肉弁当(コンビニ398)
夕/キハダマグロの刺身・しそ昆布の佃煮・ツルヤのレタスサラダ・インスタントみそ汁・ごはん一膳
夜/ミニカップラーメン
53.4Kg, 11.0%

朝/コーヒー・トースト1枚・レタスサラダの残り・ヨーグルト・チーズ

浮腫がとれたようです。
普段はコーヒーは朝の一杯と、夕方AAミーティングがあるときはそこで1杯飲むだけなのですが、仕事でテンションをあげる必要もあって、午前中に職場で1杯。カフェインの利尿作用のせいか、トイレに行く回数が増えました。

受験の季節がやってきました。
自分の場合はどうだったのか、思い出してみました。年末の模試で国語が半分取れなかったので、焦って古文・漢文・現代文漬けの年末でした。
共通一次(センター試験の前身)前夜は緊張して落ち着かず、ワンカップを2本買って近所の友人のところで1本飲み、寝る前にもう一本飲みました。翌日の試験は軽い二日酔いで、体調悪くて緊張している余裕もなかったせいか、それまでに受けたどんな模試よりも高得点を叩きだしてしまいました。
二次試験前夜は、新宿駅西口のビジネスホテルに泊まりました。受験生用に夕食付きの宿泊プランだったのですが、やっぱり緊張で少ししか食べられず、寝る前にホテル内の自動販売機で缶ビールを買って飲んで寝ました。翌朝は全く食べられず、やはり缶ビールを朝食にして、受験会場へ。トイレに行きたくて困りました。
ともかくそれでも受かってしまったから結果オーライなんですけど、「酒を飲みながらでも何とかなる」という誤った信念を十八で身につけたのが、後のアル中人生につながったと思われます。

さて、表ブログ で二回取り上げた記事をまだひっぱります。

日経新聞「甘いものにも依存性のあることが判明」
http://health.nikkei.co.jp/hsn/hl.cfm?i=20081218hk000hk

ここで注目したのが、「××をしばらく断った後に大量に与える、ということを交互に繰り返す」ということが依存を形成するというくだりです。

「AAにくる前はそれなりにマトモに飲めていたのに、AAにきてから急に病気がひどくなった」という話を聞くことがあります。たいていのケースは「それまで普通に飲めていた」という自己認識が間違っているのでしょうが、中には病気が急に進んだ印象を与える人もいます。
もちろん、AAにくる時点ですでに立派な依存症になっているわけですが、それまで断酒した経験のない人が、比較的短期間に断酒→再飲酒→断酒→再飲酒というサイクルを繰り返すことによって、病気が進んで重症化していくケースもありそうな気がします。

ただ、それが悪いことだとは限りません。その過程で仕事を失ったり、家族が愛想を尽かせて離れていったりするかもしれません。でも、悪い酒飲みとしてこの先10年20年だらだら飲み続けてしまうよりも、短期間で沈没して恒久的な断酒に早くたどり着いた方が良いでしょう。仕事を失っても肉体的に痛まないから稼得能力は温存されるし、家族を失っても埋め合わせのチャンスは長く残されるし。
仕事・家族・財産・社会的地位などを尺度にすれば「ショートで沈没」は底上げにはならないのですが、長い目で見れば、何を失っても人生の早い時期に酒をやめる以上の「底上げ」はないと思います。

日経の記事の元の英文記事には、OAのサイトへのリンクがあり food addiction and eating disorders についてより詳しい情報が得られると記述があるのですが、日経では削除されてしまっています。残念なことです。

今夜は職場の忘年会、明日は朝から東京というハードスケジュールなので、雑記を更新する余裕はなさそうです。なので、二日分まとめて書いた、ということで。かんべんしてね。


2008年12月17日(水) どの伝統も等しく重要

朝/コーヒー・トースト・ヨーグルト・野菜サラダ
昼/明太子パスタ・チーズパン(コンビニ)
夕/豚トロ角煮丼・みそ汁・サラダ(すき家)
夜/ミックスナッツ少々・栄養ドリンク
54.2Kg, 13.8%

朝/コーヒー・普通のトースト・ヨーグルト・チーズ

うーむ、浮腫みました。

以下は某所に送ったメールで、個人的なことは伏せて書き換えてあります。これを元に雑記に形を整え直そうと思ったのですが、面倒なので、そのまま使います。

−−−−−−−−

「現状では」あくまでも「現状では」という但し書き付きで、彼には去ってもらって良かったと思っています。

それは伝統3の「私たちの共同体は、アルコホリズムに苦しむ人すべてを含むべきであり、回復したいと願っている人はどんな人であっても拒んではならない」に反するのではないか、という意見も当然あるでしょう。

しかし、僕は伝統3が、他の11個の伝統に対して飛び抜けて優先されるべきだとは思っていません。伝統1の「私たちの全体の福利がまず優先される。しかし個人の福利がすぐそのあとに続く」ということも、同じように大事であると思っています。

あるグループでは、ニューカマーの3ヶ月以内のスリップはグループの責任、1年以内スリップはスポンサーの責任、それ以降は本人の責任と言っているそうです。スリップに限らず、グループとして責任というものも考えていった方が良いでしょう。

回復も共同体あってこそ、自分が回復したければ、全体の福利を尊重してもらわなければならない。それが出来ない人にはお引き取り願わねばならないと思っています。その厳しさをふまえた上での伝統3だと思います。
バランスが必要で、参加する権利だけが偏重されるのは伝統の精神にそぐわないと、考えています。

一連のトラブルで彼だけを責めるわけにはいかないと思います。こうしたトラブルは、どちらか一方が加害者で、他方が被害者ということはあり得ない。誰もが「自分は被害者だ」と言っているように聞こえますけどね。ともかく彼だけを責めるわけにはいかない。

しかし、やはり複数のトラブルの真ん中に彼がいて、それを改めることができないのなら、伝統1と3の間で難しい判断をしなければならない。その難しい判断から逃げないのが、責任ではないかと思います。

神さまならぬ人間の判断はいつも間違える危険がありますが、それでも判断から逃げるべきではないと思います。伝統は常に僕たちに厳しい選択を強いているように感じます。


2008年12月16日(火) 順調に製造中

夜/レンジでチンする高菜チャーハン

朝/コーヒー・トースト・ヨーグルト・バナナ・野菜サラダ
昼/ミニ明太高菜ごはん・おにぎり×1(コンビニ)
夕/牛丼並・野菜サラダ(吉野屋)
夜/エビせんべい×5
53.4Kg, 12.0%

つくづく、生きることとは食べることであると思います。

はたして、生きる意味とは何でありましょうか。
人間は、何の目的があってこの世に生まれてくるのでしょうか。
毎日うんこを製造することでしょうか。
(食事中の方、すみません)
結果的にはそうなるかも知れません。

「無力」とは、それについて私の出来ることが「何もない」ということでしょう。
「アルコールに対して無力」とは、再飲酒に対して私が出来ることは「何もない」ということです。

いや、そんなことはない、できることがある。とおっしゃるかも知れません。抗酒剤を飲んだり、酒のある場所を避けたり、自助グループに通ったり・・・。
それは確かに断酒の確率を上げてくれます。
でも、抗酒剤を飲んでもまた飲んでしまう人も、自助グループに通いながらまた病院に戻る人もいます。それは、その人が「だらしがない」からでしょうか?
それも病気のうちなんですよ。

つまり人間のすることで、100%の断酒成功を保証してくれることなんてないのです。しっかり目を見開いて歩いているつもりでも、落とし穴に落ちる危険は一生続きます。

無力は幸せな状態ではありません。ウンザリするような嫌なことが続き、不安からずっと解放されないということです。無力は「心の落ち着き」とか平安を与えてはくれません。だから人は、まだ自分がコントロールできる程度の「無力」を認めて済ませようとします。でもそれは認めたことにはなりません。

では深く無力を認めていくとどうなるか。誰かに助けてもらいたくなるでしょう。しかし他の人に頼ってみても、相手も無力なので救われません。そこで、有限な人間ではなく、人間以上の無限の存在を信じてみたくなります。何でも100%できる存在に、自分の断酒のこともお願いできれば、不安から解放されるわけです。

人はいろんなことに無力です。
例えば僕は、会社との雇用関係が安定していません。良い方向に向かって進んでいると信じたいのですが、この経済情勢では不安になってしまいます。雇用関係には会社という「相手」があり、その相手には「気持ち」があります。相手の気持ちは、僕にはコントロールできません。である以上、僕の雇用を100%保証するすべはありません。
ここでも無力であり、「大きな力」に任せるしかありません。

とはいえ、何もしないで「おまかせ」と言っているわけにもいきません。今夜もAA会場に行かねばならないし、それまでは働かないといけません。AAに行かないとソーバーが危ないし、働かないとクビになります。

人生の意味についても、僕は無力です。考えても何もわかりません。でも、何もしないわけにもいきませんから、とりあえず今日の食料を確保しなくてはね。

ジョージ秋山氏の描く浮浪雲のせりふ、「おねえちゃん、いいうんこしてますか?」は含蓄のある言葉に思えます。


2008年12月15日(月) 生活

夕/煮イカのわさび和え・ぶなしめじのみそ汁・ジャスコの100円サラダ
夜/ちっちゃいカップラーメン

朝/コーヒー・トースト・ヨーグルト・サラダ
昼/カキフライ定食
おやつ/あんまん
夕/インスタントラーメン(ぶなしめじの残り)
53.2Kg, 10.8%

やっぱりチューブのワサビではなく、生ワサビでないとダメなのか。味がいまいちでありました。あんまんは「濡れたふきんをかけて」チンしろと指示があったのに、それを省略したら乾燥してしまいました。

最近の電子レンジは「チン」などと言わないのに、チンするという言葉だけが残っている不思議。

スズキもWRCから撤退。


2008年12月13日(土) 恨み酒乱

夕/ジャスコのギョーザ・インスタントみそ汁・ごはん一膳
夜/カップきつねそば
53.0Kg, 9.8%
朝/コーヒー
昼/GooTaのチャーシューメン

生野菜サラダは買ってあるのですが、ドレッシングが切れています。
美容院に行ってみました。「確かに最近は男性のボブも流行ってますが、これだと絶対的に長さが足りませんね」と言われ、襟をカットし、横は左右の長さが違っていたのを整えてお終いでした。にしぇんえん。

F1からホンダが撤退。金がかかりすぎるのが理由だそうです。
FIAもF1の開発資金を抑えようと、エンジンやタイヤを一つのメーカーに作らせ、それを全チームが使うルールになりそうです。やがてトランスミッションもそうなるとか。
WRCのほうは今期からすでにコントロールタイヤ制が始まっています。いままでスバルが勝てなくなったのは、採用しているピレリのタイヤが、他のチームの使うミシュランより性能が劣っているから・・・と言われていたのですが、全チームが同じタイヤを使った今期も勝てませんでした。とほほ。

ところで、なぜタイヤメーカーであるミシュランが、レストランガイドを売っているのか? これはタイヤを売るためだったそうです。
三つ星★★★というのは「それを味わう為に旅行する価値がある」という店、二つ星★★は「遠回りをしてでも訪れる価値がある」。自動車でその店まで移動してもらえれば、タイヤが減って商売のチャンスが広がるというもの。
ところが、無料で配布していたガイドブックが粗末な扱いを受けていたことにショックを受け、有料化した後はタイヤとはあんまり関係なくなっていきました。

東京版のレストランガイドは「★を与えすぎ」という話があります。特に東京版の後で発行された香港版で少なかったせいで、余計に言われるようです。しかし、分母となるレストランの総数がパリやニューヨークや香港と比べて一桁多い事情があるのだそうです。
逆に、日本のレストランはそれだけ「はずれが多い」とも言えます。日本人はレストランに辛口の評価を与えるのが苦手なのかも。

レストランガイド以外に、旅行ガイドも発行されていて、日本国内の観光ガイドも出ています。観光地ごとに★がついていたりします。
ミシュラン三つ星観光地
三つ星がついた高尾山は、外交人観光客が急増したとか。

西原理恵子の『恨ミシュラン』のほうが面白い?
人の財布で飯を食っておいて、あれだけこき下ろせるのは才能かも。それだけ自分を信じられるということか。こっちの本のほうがアテになると言う話です。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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