心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年11月13日(木) Dependence - 頼みにする(依存)

夕/和風ハンバーグおろし定食
夜/男前クリーム
53.4Kg, 9.4%
朝/コーヒー・トースト・ヨーグルト・チーズ
昼/四川風麻婆豆腐丼(コンビニ弁当)

体重は増加中なるも、体脂肪率減少中。

さて、

Suggested Topics #6, Dependence - 頼みにする(依存)

「つまり、仕事があるかどうか、妻がいるかどうかにかかわらず、神をではなく、誰かを頼みとしているうちは、私たちは決して飲むのをやめないということだ」p.142

最初にAAにつながったとき、僕には「酒をもう飲むな」という強い圧力が加わっていました。なにしろ3回も入院しているのに、ちっとも酒の飲み方はマトモにならず、会社では安心して任せられる仕事もなく、家では両親が「こいつがまた何をやらかすか」という心配ばかりしている状態だったのです。

なので医者に勧められるままに、自宅で何とか解毒の苦しみを乗り越え(30過ぎの男が母親に手を握ってもらっていたのはナイショ)、毎週AAミーティングに通うようになって、飲酒欲求をこらえつつ、なんとか断酒生活が始まりました。

すると、飲まないで仕事に行って、素面で帰ってきただけで、家族が褒めてくれるようになりました。帰宅早々「飲まなかったか?」と聞かれるのは嫌なものですが、「そうか偉いな、よく頑張ったな」と言われるのは少し気持ちがいいのです。断酒の苦しみは、普通の人はする必要のない苦労です。それを引き受けて耐えているのだから、せめて褒めてもらえないと割が合わない、これは当然であると思っていました。

しかし、数週間もすると、本人が酒をやめているのは家族にとって「当然のこと」になってきます。本人は周りにたくさん迷惑や苦労をかけたのですから、酒をやめたぐらいで一生褒め続けろというのも無理な話です。アル中本人さんが、よく「自助グループとか医者とかの特別なことをせずに、自然に酒をやめたい」と言いますが、家族だって「褒めるとか気を遣うとか特別なことをせずに、本人にやめ続けてもらいたい」と思うのが当然でしょう。

でも僕は、褒められなくなってとても寂しい思いをしていました。辛さだけが残った格好です。それが原因で飲んだわけじゃないですが、再飲酒の言い訳の一つになりました。

僕は外からの圧力で酒をやめ、褒めてもらう(努力を認めてもらう)ことで断酒を継続しようとしました。それは「誰かを頼みにする」断酒そのもので、結局酒をやめられていなかったのです。酒をやめるのが良いことだと自分が思い、やめている自分の価値を自分で認めてあげられることが必要で、それを人に依存してしまうと、断酒の基盤がすごくもろくなると思います。

しかし、僕はソブラエティの価値をしょっちゅう見失ってしまう人です。だからこそ、酒をやめる人の集まりに参加して、「やっぱり酒をやめているって良いよね」と再確認する必要がいつもあります。それはきっと、より健全な依存でしょう。

でも、所詮AAも人の集まりで完全ではありません。やはり完全無欠な存在への依存が欠かせないと思うのです。


2008年11月12日(水) ××禁止例

夕/牛丼並+サラダセット(すき家)
夜/カップ天ぷらそば
53.4Kg, 10.4%

朝/コーヒー・ツルヤの99円サラダ・ヨーグルト・チーズ
昼/かき揚げ天そば

AAの評議会・理事会であれJSOであれ、グループやメンバーに対して、何かを禁止できないのははっきりしています。でも、なにかトラブルが発生するたびに、○○会やオフィスに「権威」を期待して、××を禁止してくれという要請が出されたりします。

どうしてそういう要請が出てしまうのか、原因の一つは過去の経験だと思います。

十数年あるいは二十年以上前、日本のAAは『スツールと酒ビン』とか『一日24時間』というAA以外の本を出版し、ミーティングでも使っていました。また、日本独自のAAメダルを作って、プレゼントに使われていました。

ところがある時点で、方針を急展開させ、それまで使っていた本やメダルを「禁止」してしまったのです。オフィスはそれを売らなくなり、在庫は処分されました。それどころか『一日24時間』を使っているミーティングに対しては、「それはいけないよ、やめなさい」という指導?まで行われたと聞きます。
まさにそれは「禁止」でした。

東南アジアや南米などには、しばらく前まで独裁政権がうようよ存在していました。民主国家ではなかったのです。しかし中には独裁が国の発展に寄与した例もあります(インドネシアとか)。これを開発独裁と言いますが、権限を集中した方が経済成長にはプラスだったのです。とはいえ、そうした国々も徐々に民主化が進んでいきました。

AAも過去の発展の途上では、強権的なことも必要だったのかもしれません。そのときに命令的に行われたことが、10年経っても20年経っても人々の記憶に残り、AAでも「上から何かを禁止できる」という幻想が残ってしまったのかも知れません。

しかし評議会もできて10年以上経っているのですから、AAの本則に立ち返るべきだと思います。


2008年11月11日(火) 耳鳴りアワー

夕/天ぷらうどん+エビ天・ミニいなり×2・ツルヤの99円サラダ・エビフライ
52.9Kg, 10.7%
朝/ミニいなり×2・チーズ・コーヒー
昼/アサリのスープスパゲティ(コンビニ弁当)

先週水曜日のミーティングで、話の前振りに「男の更年期なのか、最近耳鳴りが取れなくなって」という話をした記憶があります。だからその数日前から、耳鳴りが続いていたのでしょう。

以前から、体調が悪くなったり、過労だったり、うつが悪化したりすると耳鳴りが気になる時がありました。でも、このところ朝から晩までずっと聞こえています。
おそらくは加齢による難聴の一種なのでしょうが、内耳の感染症や脳の良性腫瘍という可能性もありますので、来週仕事がヒマになったら耳鼻科に行ってみようと思います。

近くに耳鳴りの医者はないかな? と「長野県+耳鳴り」で検索すると、ハチノコが効くという話ばかり引っかかります。

ハチノコは文字通り蜂の幼虫です。子供の頃、蜂の巣を見つけると、棒でたたき落として蜂たちが飛び去るのを待ち、中の幼虫をピンセットで取りだして、フライパンで炒めておやつに食べました。味付けは塩です。見た目はウジ虫そのままですが、味は虫食の中では一番マトモだと思います。

長野県の三大虫食はイナゴ・ハチノコ・ザザムシですが、イナゴとザザムシは虫の形そのままなのが嫌われ、しかも佃煮という調理手段もいま一歩です。それに比べてハチノコは炒めればおいしく、ご飯に振りかけたり、量が多ければチャーハンにしても良し。ただ炊き込みご飯はどうかと思いますけど。あと瓶詰めで売っているのも、理科準備室の標本みたいで気持ち悪いし。

マンガ『エースをねらえ!』に、宗方コーチが少年の頃、病弱な母親に栄養をつけてもらおうと地蜂の巣を探そうとするストーリィがあります。近年まで、農家のひとが採ったジバチの巣が八百屋で売られていたりしましたが、食品に対していろいろうるさい世の中になって姿を消しました。野生キノコも取り扱わなくなってしまったと聞きます。

家の軒先にできちゃったスズメバチの巣の駆除も、昔は食べられるように煙で燻蒸したものですが、最近は殺虫剤を使うので食べられないそうです。

というわけで、ハチノコを買ってくるわけにもいかないので、おとなしく来週耳鼻科に行こうと思います。


2008年11月10日(月) Contempt prior to investigation - 調べもしないで頭から軽蔑する

昼/五目炊き込みご飯(コンビニ弁当)
おやつ/玄米パン
夕/ホタテのクリームスパゲティ(サイゼリア)
夜/クラムケーキ

炭水化物ばっかり。

朝/コーヒー・バナナ・ケーキの残り
昼/こだわり和風御膳(コンビニ弁当)

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Suggested Topics #5, Contempt prior to investigation 調べもしないで頭から軽蔑する

「人間を永遠に無知にとどめておく力をもった原理がある。それは、調べもしないで頭から軽蔑することである」ハーバート・スペンサー (p.268)

僕の生まれたところは、ここから20キロほど離れた田舎ですが、高校はこの市内の学校に通いました。この市はアメリカのソールト・レイク・シティと姉妹都市になっています。ソールトレイクには、モルモン教というキリスト教傍系の本山があり、姉妹都市の縁でたくさんの教徒さんが、わざわざ日本語を勉強して、この田舎都市に布教にやってきました。

交差点で信号が変わるのを待っていると、金髪青い目で背の高い外人さんが、「アナタハカミヲシンジマスカー」と話しかけてくるのです。それを無視しながら「はぁ〜、ウザ!」とか内心思うわけです。

当時から、成人して酒におぼれる頃、宗教について何を考えていたかというと、「神に頼るやつは弱いやつだよ」という軽蔑です。その軽蔑はどこからやってくるか。それは「俺は神頼みは不要な強い存在である」という、強烈な(でも根拠のない)自信です。でも、本当は自分に自信がないので、頼るもの、信じるものを持たずに生きていくことが、しんどくてたまらなかったのですが、それは口にできませんでした。

神頼みが不要な強いはずの自分が、なぜ酒に頼るのか。
素直な人間であれば、酒に溺れることもなく、自分の弱さを認めて助けを求めることもできるでしょう。また、僕がもしそこそこ素直であったなら、精神病院1回の入院で、その後自助グループに通い続けて酒が止まり続けたかもしれません(昨日のバースディ・ミーティングの人はまさにそんな感じの人でした)。だが、否認の強い僕は、何度も入院を重ね、こてんぱんにされるまで、自分の弱さを認め助けを求めることができませんでした。

助けはどこから来るのか? 「どのような人間の力も、私たちのアルコホリズムを解決できない」とあるわけですが、僕はいまでも自力救済して強さを誇りたかったり、人に甘えたがったりします。でも、結局は自分も他も、人は弱いものであり、比類なく強いものに頼るしかないのだと思います。

神を頼る人たちへの軽蔑は、自分の強さへの妄執から来ていました。それは自分に自信がないことの裏返しだったのです。軽蔑によって自分を守っているようでいて、実は最初から負けていたのです。イタい奴だったわけです。

SUGGESTED TOPICS FOR DISCUSSION MEETINGS
http://aa.org/en_pdfs/smf-56_en.pdf (PDF)

過去のトピックス
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/search?idst=19200&key=Topics/a>


2008年11月09日(日) ハンドブックぐらい読めよ

昼/豚バラとトマトのパスタ・小松菜のピッツァ・コーヒー
夕/お湯で温めるハンバーグ・謎の鍋物(実家)
朝/コーヒー・バナナ・チーズ

AAメンバーであれば、おそらく黄緑色の「ミーティング・ハンドブック」という薄い冊子を手にしたことがあるでしょう。ふだんのミーティングでもあれを使っているところはたくさんあります。

その11〜12ページに「12の概念」が載っていて、12番目にはこうあります。

概念12:
評議会は、

1) 危険な富と権力の座に決してなることはなく、
2) 財政原則は十分な運営基金と準備金とをもった慎重なものとし、
3) 評議会のだれひとりとして、他のメンバーに対して絶対的な権威の地位に着くことはなく、
4) その重要な決定はすべて、討論と投票とによって、できる限り事実上の満場一致に至るようにし、
5) その決議はいずれも個人を罰するものであったり、公の論争を引き起こすものではなく、
6) 政府の役をするどのような行為もなく、

評議会が奉仕するこの共同体と同様に、その思想と行動において、常に民主的であり続ける、ということに留意してAAの伝統の精神を必ず順守すべきものである。

とあります。この6つは「6つの尊守事項」と言われ、評議会を始めとしたAAサービス組織の行動を規制しています。

来年の評議会の議案のひとつに「こういうことをさせないように規制して欲しい」という議案が出ていました。こんな議案が出てくること自体が、かなり恥ずかしい。

評議会は「政府」ではないので、命令もできないし、取り締まりもできないし、もちろんAAメンバーやグループが何をするのか規制もできません。もちろん評議会は、実行機関である理事会やJSOに対して「勧告」を出すことはできますが、JSOのスタッフにお役人みたいな仕事をさせようというのは、いかがなものか。

しかし、この議案が通ってしまわないか心配だ、という声が聞こえてこないのは、結構みんな評議会の良心を信じているからなのかもしれません。(あるいは単に無関心なだけか)。余計な心配は無用でしょう。

ただ、ミーティング・ハンドブックぐらい読めよ、と言いたいわけです。たいして厚い本じゃなし。


2008年11月08日(土) ツー・ステップ・サービス活動

昼/和風弁当(コンビニ)
夕/牛焼肉定食(松屋)
夜/バナナ・チーズ

朝/コーヒー
昼/カップラーメン(野菜タンメン)
おやつ/パインブロックカット
夕/回転寿司(8皿)
夜/バナナ・チーズ
53.0Kg, 10.4%

朝・昼/コーヒー・スパゲティ(野菜クリーム)・ツルヤの99円サラダ
夕/エビフライ・メンチカツ・うず玉フライ・アサリのみそ汁・ツルヤの99円サラダ
夜/カレーうどん
52.5Kg, 11.4%

朝/コーヒー・トースト・チーズ・メンチカツ(昨夜の残り)

雑記をサボると食事の記録が長くなってしまいます。さて、3日ぶりの雑記なので少々気合いを入れて?参りましょう。

こと回復の現場においては、自分の世話をするより、人の世話をしていたほうが楽です。

たとえば子供が不登校になってしまった場合、たいてい問題は親、とくにお父さんにあるわけです。「原因がお父さんだから、お父さん自分の問題を見つめ直してください」と言われるのがお父さんにとって一番辛いわけです。そこから逃避して、一生懸命子供の世話をしてみたり、あるいは母親に押しつけて自分は仕事にかまけてみたりします。

自助グループでも、自分の回復をしているより、人の回復を手助けしていたほうが楽です。例えばステップ4・5(棚卸し)でも、人のステップ5をいくらたくさん聞いても自分は回復しません。自分が4の表を書き、5で人に話さないと「自分が」回復しません。スポンサーシップはスポンシーを回復させるけれど、スポンサーは回復しないのです。
自分の回復より、人の世話を焼いているほうが楽だから、ついつい易きに流れてしまうのです。人から褒められたり、感謝されたりする機会も増えて、回復したような気にさせられるのも、世話焼きの魔力です。実は回復してないのにね。

さて、AAのサービス活動は、ステップ12の一環です。サービスというのは、日本語にすれば「奉仕」です。つまり、人の世話焼きです。
AAのサービス活動をやって「忙しい、大変だ」といっている人は、実は人の世話焼きに充実感を感じてしまう困ったちゃんたちです。自分がステップに取り組んでいる時間を削って、サービスをするのは、そのほうが回復作業にくらべて、楽で楽しからに他なりません。

「人の世話はいいから、自分の問題に取り組んでいなさい」と言われるのが、こういう人たちにとって一番辛いのです。ツー・ステップに陥りやすい、それがサービス活動のわなです。

というわけで、僕も地元の委員会で来年の役割を仰せつかってしまった「困ったちゃん」の一人なのであります。


2008年11月05日(水) すっぱいぶどう?

夕/マッシュルームバーガー+オニポテセット(モスバ)
夜/バナナ・カップうどん
朝/コーヒー・トースト・バナナ

さすがにハンバーガーひとつではお腹がすいて、夜カップ麺を食べてしまいました。反省。

金曜日のミーティングを終えたあと、仲間と夕食をともにするのが通例です。
その日もファミレスで食事をしていました。すると、どこからかかすかにテレビの音声のような音が・・・。隣のテーブルで、ワンセグのテレビを携帯電話で見ている人たちがいました。

あれ? 隣って確か、平日デートらしい男女のカップルじゃなかったっけ。うん、確かにそうだ。二人は携帯の小さな画面をのぞき込んで、黙ってドラマかなにかを見ています。
世代の違いを感じてしまいました。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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