心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年11月04日(火) ETCは必需品?

朝/コーヒー・バナナ・ヨーグルト
昼/シャケ弁当(前の日のスーパーの見切り品)
夕/トンカツ弁当
夜/ケーキの残り

入浴前 53.5Kg, 11.2%
入浴後 53.2Kg, 9.4%

体重の減少は「汗をかいた」で説明できるにしても、体脂肪率の減少は湿り気による電気抵抗の低下が原因でしょう。

朝/コーヒー・トースト・バナナ
昼/高菜明太ご飯(弁当295円)

商標権の問題でほっかほっか亭が、ほっともっとになりました。略称はやっぱり「ほも」なんでしょうか。愛らしい略称ですな。
マクドナルドの略称は、関西の一部では「マクド」、そのほかでは「マック」です。個人的にはマックはパソコンの名前でもあるので、ハンバーガー屋は「マクド」を使っています。パソコンは昔はマッキントッシュと呼んでいましたが、オーディオと紛らわしいのと、製品名がMacになったので「マック」と呼ぶようにしています。

ちなみに、ケンタッキーフライドチキンは「ケンタ」、ミスター・ドーナッツは「ミスド」。ロイヤルホストは「ロイホ」。

さて、高速道路のETC割引きですが、従来は通勤時間帯の割引きと、深夜早朝の割引きだけでした。そのうちに、社会実験と称して、平日昼間の割引きをすることで、国道から高速道路に大型車を誘導する試みも始まりました。
しかし、休日(土日祝日)の昼間の割引きはありませんでした。仕事で高速道路を使う連中はともかく、レジャーで使う連中に割引きしてやる必要はない・・という考えなのでしょうか。

しかし、今年の春から夏へかけてのガソリン価格急騰によって、休日に高速道路を使って遊びに行く人はだいぶ減ったようです。それどころか、都市部では車を手放してしまう人も増えたのだとか。日本の屋台骨である自動車産業の将来に暗雲が広がるばかりか、未来永劫高速道路を造り続けるための大前提「交通量が増え続ける」が崩れてしまいます。

そこで、休日昼間の割引きが9月から始まりました。ああ泥縄。うれしいけど。

ガソリン価格は下がっても、今度は不景気で仕事で車を使う人が減ってきました。そこで、某与党では「休日は千円で高速道路乗り放題」という公約まで掲げました。一日に何度使っても千円ぽっきり。すると、野党の方は「高速道路無料」と言い出しました。それはちょっと無理かも。

いずれにせよ、割引きを受けるためにはETC装置の取り付けが必要で、最近の週末のカー用品店のピットサービスは待ち時間がやたら長いそうであります。


2008年11月03日(月) 怒りや吐き気による否認

夜/カップワカメそば・ウィルキンソンのジンジャーエール
朝/コーヒー・ヨーグルト・バナナ
昼/五目チャーハン
夕/焼きそばパン・五目焼きそば
夜/ケーキ一切れ

「だからといって、今さら年老いた両親に育てなおしてもらうわけにも、いかないじゃないですか!」
とスポンシーが気色ばんだとき、僕は内心手を叩いて祝福しようかと思いました。実際パチパチと手を叩いてもよかったのですが、嫌味にしかならないのでやめておきました。

「親に育てなおしてもらうこともできないし、いったいどうすればいいのか」

という悩み方は、親に充分育てられてこなかった、という自己認識が生まれたからです。いままでそういう自己像を持っていなかったものが、酒が抜けて素面になって、いろいろ気づく(aware)ようになってきたわけで、回復の一つの段階です。スポンサーとして進歩を喜ばないわけにはいきません。

実をいうと僕も、ソブラエティの最初の何年間かは、自分は親に充分愛されて育って、そんなに出来は悪くない大人になった、という自己像にしがみついていました。大人になったあとで、自分でひねくれてアル中になってしまった、という解釈の方が「楽」でよかったのです。しかし、自分の実像は元来が出来の悪い大人です。両親なりに子育てしてくれた結果なのですが、いろいろ足りなかったのは確かです。

しかし「親が悪い」と言うと、気分を悪くする人が(世の中にもAAの中にも)いっぱいいます。他人の親が子供をどう育てようと、子供が親をどう責めようと、他の人には関係ないはずなのですが、なぜか「親が悪い」話を聞くと気を悪くする人がいます。

おおむねそういう人は、「自分の親は悪くない」という理屈にしがみついている人です。「悪くない親に育てられた自分も、そう悪くないはず」という展開で、自分を守っているのです。でも、本心ではそう思っていません。親への恨みや、生きづらさの原因に気づいているはずです。それが、「親が悪い」話を聞くと、抑圧していた本心が刺激されて落ち着かないのです。
そこで「親のせいにしているやつは回復しない」などと言って、「親が悪い」話をする人を責めたりします。抑圧を取り、徹底的に自分に正直にならないと、回復しないプログラムなのにね。要は気分が悪くなる方が回復していないのです。

前のAAホームグループは、完全オープンで、アル中さん本人だけでなく家族の人もほぼ毎回ミーティングに混じっていました。それだけでなく、順番を回して話してもらっていました。
当然のことながら、家族の人の話には(意識的に・無意識的に)アル中本人から「いかに傷つけられたか」という話が混じります。別に目の前にいるアル中さんを責めているわけじゃないのですが、その話を聞いてまるで自分が責められているように感じ、居心地の悪くなるひともいました。
要するに、自分がいかに家族を傷つけてきたか、から目を背けている人は、被害者の立場の人から話を聞くと、抑圧に成功していた?罪悪感がぶり返して苦しくなるのです。
こちらも、気分が悪くなる方が回復していないのです。

酒や薬の影響が脳から抜けるには3〜5年かかります。自分のしたことに向き合えるようになるのも、それぐらいはかかるでしょう。それまでずっとミーティング場が「針のむしろ」状態でも辛くなってしまうでしょう。ということで、グループは方針を変えて、クローズドは本人だけというAA本来の姿に立ち返ることになりました。家族の人は家族のグループに通われています。

AさんがBさんの話をしているのに、なぜか自分の気分が悪くなったり、腹立たしい気分になるのは、たいていは自分の恨みや罪悪感を抑圧していたのが、刺激されて表に出てくるからです。それは否認の態度の一つ。自分の問題なのです。


2008年11月01日(土) 天然さん

夜/スタバのポテトチップス・ヨーグルト・ミニッツメイド
朝/コーヒー・おにぎり×1
昼/さんま塩焼き・おくら・みそ汁
夕/おにぎり×1・ホイップロール
53.3Kg, 11.4%

土曜の午後はチョコレートをいくつか食べたら、夕方にはお腹が空いたのに食欲がない状態になってしまいました。

夜/スープ春雨(えびワンタン入り)
朝/コーヒー
昼/レトルトのビーフカレー
夕/アジの開き・フランクフルト・ツルヤの99円サラダ・シジミのみそ汁
52.6Kg, 11.0%

昨年の今ごろに一泊二日で受けたセミナーの資料を斜め読みしています。
アメリカには、AA以外にもアルコール依存の自助グループがたくさんあります。あるものは宗教的(キリスト教やイスラム教)であり、別のあるものはまったく世俗的で、AAはその両者の中間とも言えるものです。
あちらでは、自助グループで本当にたくさんの人たちがお酒を止めていますが、調査の結果、逆にまったく自助グループに通わずに酒を止めている人たちも結構たくさんいることがわかってきました。自助グループどころか、依存症の治療もカウンセリングも受けておらず、まさに「自力」で酒を止めています。これを Natural Recovery (自然的回復)と呼ぶのですが、こういう人が意外と多いわけです。
自然的回復をする人は、そもそも依存症じゃないんじゃないか、という疑問もありますが、診断基準は満たしているのだそうです。

では、なぜすべてのアル中さんが自然的回復をなし得ないのでしょうか?

というか、自助グループに通う人は、なぜ自然的回復を遂げられないのか。観察によれば、自助グループが必要な人たちには、ある種の弱さがあると言います。その弱さとは、例えば家族歴(家族の他のメンバーも依存症である)とか、若いころから酒を飲んできたとか、子供のころに虐待を受けたなどなど、遺伝、環境、社会経験に脆弱性があるわけです。
こういう人は、回復の内的資源の不足を、外的資源(自助グループや治療やカウンセリング)で補う必要がある、というのが観察結果です。

これを読んで「では、私も自然的回復を目指そう。そうすればうっとうしい自助グループに関わらずに済む」と思った人もいるかもしれません。でも、僕はそれには懐疑的です。なぜなら、自然的回復を遂げられるほど内的資源が豊かな人が、わざわざインターネットで依存症のサイトを読んでいるとは思えないからです。もう、この雑記を読んでいる時点であなたの負けです。諦めてください。

まあ、家族親戚に依存症の人がおらず、親に程よく愛されて育ち、酒を飲み始めたのはずいぶん年がいってからで、それまでに十分社会経験を積んで危機に強くなっていたのなら、酒の問題ぐらい自力でなんとかなるかもしれませんね。


2008年10月31日(金) お先真っ暗

昼/鮭いくらわっぱ飯弁当
おやつ/チョコホイップロール
夕/焼き餃子・きのこ入りひじき煮・インスタントのみそ汁
夜/おにぎり(お昼の残り)
朝/コーヒー・バナナ・ヨーグルト
昼/マーボー豆腐丼
夕/味噌タンメン
53.3Kg, 11.4%
増えてる。

職場のお昼休みは部屋の明かりを消すことになっています。最近の「エコ」ブームに乗っているのもありますが、単なる経費削減であります。

お昼ご飯を食べるのに多少暗くても差し障りはありませんが、気分も少々暗くなってしまうのが難点です。少年マンガ誌を読む人などは、ブラインドを開けて対処しています。逆に、机に突っ伏して寝るにはちょうどいいぐらいの暗さで、雨の日などは熟睡しすぎて困るぐらいです。

今日の午前には、「環境」なんとかという題名の付いたメールが来ていましたが、例によってタイトルだけ見て開封しませんでした。そういえば僕は「エコ・リーダー」などという役割ももらっているんでしたっけ。まあいいや。

そのうち上司から、「先ほどの環境のメールにもありましたが・・・」というメールが来ました。ほらね、書類読むのは、それが仕事の人がしてくれるのよ。いや、それはともかく、メールの文面が問題です。

「来週から、朝9時から午後4時まで、部屋の明かりを消すことになりました。ブラインドを開けて対処してください」

それを読んで、フロアが静まりかえりました。最近のエコの厳しさに沈黙せざるを得なかった・・のではなく、最近の不景気風で、経営環境もここまで厳しくなってしまったのか。お先真っ暗な気分が広がってしまいました。

午後1時になって、外に飯を食いに行っていた人たちが帰ってきました。彼らが照明を点けようとするのを、誰かが「午後4時まで消灯なんだそうです」と制止しました。

「いや、いいじゃないか。来週からなんだから、せめて今日の午後くらいは明るく過ごそうよ」

うん、そうだね、せめて今日ぐらいはね。と、一同しんみり。士気の低下は目を覆わんばかりであります。

午後3時ぐらいになって、また上司からメールが配られました。

「先ほどのメールは削除してください。正しい内容は昼休み消灯の徹底でした」

ああ、よかった。なんだよ勘違いかよ。
いかんいかん、僕が環境のメールにさえ目を通していないのが、ばれちゃったじゃないか。


2008年10月30日(木) できの悪いやつ

昼/鮭いくらわっぱ飯弁当
おやつ/チョコホイップロール
夕/焼き餃子・きのこ入りひじき煮・インスタントのみそ汁
夜/おにぎり(お昼の残り)
朝/コーヒー・バナナ・ヨーグルト
昼/マーボー豆腐丼弁当

ご飯を炊かなくなっています。
朝1合炊いたからって、食べて出て行くとは限らないし、夜帰ってきて食べるとも限らないからです。12時間保温したご飯を冷凍するのもできれば避けたい。
だからといって、夜帰宅してからお仕掛けをして、炊きあがるのを空腹のまま待つのも辛いものです。

というわけで、炊きたてを冷凍しておくことにしました。いままでラップでくるんでいたのですが、専用の容器×5を西友にて398円で購入しました。ツルヤに行けば299円らしいのですが、当面ツルヤに行けそうにありません(涙)。

ともかく、これで冷凍ご飯+レトルトカレーという組み合わせもオーケーです。二合炊いたご飯を5つの容器に入れ、冷凍庫の半分を占領させています。

親鸞については詳しくは知りませんが、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という言葉は知っています。

ここで善人は、ハンドブックに出てくる聖人ということばと同じような意味でしょう。悪人とは凡人(できの悪い人)というほどの意味です。とびっきり素晴らしい人であれば、善行を積んで往生できるかも知れない(でもやっぱ無理かも)。ましてや僕らできの悪い凡人には自力で往生するなんて無理だよ、という話ですねきっと。

自分が「そこそこできの良い人間」であり、だいたいこのままでも天国や極楽へ行けそうだと思っている人に信仰は無理なんです。信仰には、自分が悪人であり、悪行を働いていて、このままだと地獄に堕ちそうという自覚が必要です。

「あいつがやっていることより、俺の方がまともだ」という比較では、魂は救済されません。

地獄に堕ちる前に、死なないうちから生き地獄。いや本人はお気楽でも、周りが・・・。

ウィキペディアって便利ですね。


2008年10月29日(水) ともかく5年は

昼/幕の内弁当(コンビニ)
夕/ラーメン・プリン・ドリンクバー
夜/カップ天ぷらそば
朝/コーヒー・バナナ

初めて入ったラーメン屋は、おいしかったけれど、好みの味ではありませんでした。

さて、回復の努力を、山を登ることにたとえます。回復を重ねても、山頂に達することはないのですが、ともかく登るわけです。

登り始めは、麓の森の中です。木々に覆われた道を歩いていきます。目標とする山頂も見えなければ、自分がどれぐらい登ってきたかも見えません。その割に、道は上り坂できついわけです。努力しても成果が目に見えない時期で、つい嫌になって回復をあきらめてしまう時期でもあります。

でも、辛いのをこらえてもっと登っていくと、やがて木々が途切れだして、目標である山頂が見え始めます。自分が何を目指しているのか、目標が明確になってきます。

さらに中腹まで登って振り返ると、意外と自分も高度を稼いでいることに気がつきます。見下ろしてみると、麓には森が見え、自分がかつてそこで迷っていたことや、そこから歩いて登ってきた道も分かります。自分も確かにある程度の回復を得ていることを実感できるようになります。
見上げれば山頂は遙か遠くだし、相変わらず上りはきついけれど、最初の頃のような「なんでこんな辛いことを」という思いは消えていくでしょう。

じゃあ、そこまで登るのにどれぐらいかかるか。

目安は5年でありましょう。アメリカで5年飲まなければ、その後も8割は飲まないとう調査があるそうです。日本の断酒維持率のグラフも同じです。

僕の最初のスポンサーも「ともかく5年続けろ」と行っていました。それは彼がミーティング場を5年維持し続けたという経験から言っているのですが、たまさか偶然なのか、ここでも5年という数字なのであります。


2008年10月28日(火) 泡風呂

夜食/唐からしの種・ミニッツメイド(健康レシピ)
朝/トースト・バナナ・コーヒー
昼/デミグラスハンバーグ弁当
夕/ハヤシライス・串カツ・ポテトサラダ(ツルヤ)
53.0Kg, 10.8%
夜食/唐からしの種・ヨーグルト・グレープフルーツジュース
朝/コーヒー・バナナ

夕方になったら頭がガンガンして、とても仕事になりません。定時で仕事を切り上げて帰ることにしました。
スーパー・ツルヤは8時閉店なのですが、閉店間際に行っても陳列棚ががらがらだったりします。1時間以上前に着けたので、お弁当なども見切り価格なのにまだ残っていてくれました。疲れたからゆっくりお風呂に入ろうと思い、入浴剤を買うことにしました。
お湯が泡々になるという入浴剤を発見し、それを選びました。

帰ったら、本当に泡々になるか、早速実験です。
説明書き通り、湯船に5センチほどお湯を溜め、入浴剤を溶かします。あとは、蛇口からでなくシャワーを使って給湯。おお、水面を叩くシャワーから、泡がぶくぶくと出ています。それはいいんですけど、湯気も盛大に上がるので、換気を続けないとサウナになってしまいます。

10分後、給湯完了。トイレに行く、体重を量るなどの儀式を終えた後に入浴。
「あわあわだぁ〜、うふふふ。厚さ10センチ」
などと遊んでいるうちに10〜15分経過。
頭と体を洗っているうちに、泡が減ってしまったので、ふたたびシャワーで泡作り作業をし、お風呂で暖まってから出ました。

体がすごくだるく、おまけに気持ち悪くなりました。
おそらく、筋肉中にたまっていた疲労物質が、温めのお湯に長く浸かったことで血中に流れ出したのでしょう。疲れたときは、ぬるいお湯に長く入るのが良いと言いますが、飽きっぽい僕は湯船に浸かっていると、すぐに飽きてしまうのです。今回は泡々のおかげで長く入っていられた、というわけです。

お風呂にラジオを持ち込んだり、テレビを取り付けたりする人の気持ちが分かりました。翌朝は、わりと疲れが取れた感覚でした。ストレッチもすれば、もっとよかったかも。

これからの季節、残り湯は早めに捨てて、昼間部屋にいないときはずっと換気扇を回していないと、お風呂の壁がカビるんるんになってしまいます。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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