心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年10月29日(水) ともかく5年は

昼/幕の内弁当(コンビニ)
夕/ラーメン・プリン・ドリンクバー
夜/カップ天ぷらそば
朝/コーヒー・バナナ

初めて入ったラーメン屋は、おいしかったけれど、好みの味ではありませんでした。

さて、回復の努力を、山を登ることにたとえます。回復を重ねても、山頂に達することはないのですが、ともかく登るわけです。

登り始めは、麓の森の中です。木々に覆われた道を歩いていきます。目標とする山頂も見えなければ、自分がどれぐらい登ってきたかも見えません。その割に、道は上り坂できついわけです。努力しても成果が目に見えない時期で、つい嫌になって回復をあきらめてしまう時期でもあります。

でも、辛いのをこらえてもっと登っていくと、やがて木々が途切れだして、目標である山頂が見え始めます。自分が何を目指しているのか、目標が明確になってきます。

さらに中腹まで登って振り返ると、意外と自分も高度を稼いでいることに気がつきます。見下ろしてみると、麓には森が見え、自分がかつてそこで迷っていたことや、そこから歩いて登ってきた道も分かります。自分も確かにある程度の回復を得ていることを実感できるようになります。
見上げれば山頂は遙か遠くだし、相変わらず上りはきついけれど、最初の頃のような「なんでこんな辛いことを」という思いは消えていくでしょう。

じゃあ、そこまで登るのにどれぐらいかかるか。

目安は5年でありましょう。アメリカで5年飲まなければ、その後も8割は飲まないとう調査があるそうです。日本の断酒維持率のグラフも同じです。

僕の最初のスポンサーも「ともかく5年続けろ」と行っていました。それは彼がミーティング場を5年維持し続けたという経験から言っているのですが、たまさか偶然なのか、ここでも5年という数字なのであります。


2008年10月28日(火) 泡風呂

夜食/唐からしの種・ミニッツメイド(健康レシピ)
朝/トースト・バナナ・コーヒー
昼/デミグラスハンバーグ弁当
夕/ハヤシライス・串カツ・ポテトサラダ(ツルヤ)
53.0Kg, 10.8%
夜食/唐からしの種・ヨーグルト・グレープフルーツジュース
朝/コーヒー・バナナ

夕方になったら頭がガンガンして、とても仕事になりません。定時で仕事を切り上げて帰ることにしました。
スーパー・ツルヤは8時閉店なのですが、閉店間際に行っても陳列棚ががらがらだったりします。1時間以上前に着けたので、お弁当なども見切り価格なのにまだ残っていてくれました。疲れたからゆっくりお風呂に入ろうと思い、入浴剤を買うことにしました。
お湯が泡々になるという入浴剤を発見し、それを選びました。

帰ったら、本当に泡々になるか、早速実験です。
説明書き通り、湯船に5センチほどお湯を溜め、入浴剤を溶かします。あとは、蛇口からでなくシャワーを使って給湯。おお、水面を叩くシャワーから、泡がぶくぶくと出ています。それはいいんですけど、湯気も盛大に上がるので、換気を続けないとサウナになってしまいます。

10分後、給湯完了。トイレに行く、体重を量るなどの儀式を終えた後に入浴。
「あわあわだぁ〜、うふふふ。厚さ10センチ」
などと遊んでいるうちに10〜15分経過。
頭と体を洗っているうちに、泡が減ってしまったので、ふたたびシャワーで泡作り作業をし、お風呂で暖まってから出ました。

体がすごくだるく、おまけに気持ち悪くなりました。
おそらく、筋肉中にたまっていた疲労物質が、温めのお湯に長く浸かったことで血中に流れ出したのでしょう。疲れたときは、ぬるいお湯に長く入るのが良いと言いますが、飽きっぽい僕は湯船に浸かっていると、すぐに飽きてしまうのです。今回は泡々のおかげで長く入っていられた、というわけです。

お風呂にラジオを持ち込んだり、テレビを取り付けたりする人の気持ちが分かりました。翌朝は、わりと疲れが取れた感覚でした。ストレッチもすれば、もっとよかったかも。

これからの季節、残り湯は早めに捨てて、昼間部屋にいないときはずっと換気扇を回していないと、お風呂の壁がカビるんるんになってしまいます。


2008年10月26日(日) このごろブログばかりで淋しいの

朝/コーヒー
昼/お肉料理のランチコース
夕/一杯のかけそば
夜食/インスタントラーメン
朝/コーヒー
昼/ビーフライス・レタスサラダ
夕/おにぎり弁当(おかずは揚げ物ばかり)・ゴボウサラダ
52.8Kg, 10.9%

サラダと言えば生野菜ばかり食べていたので、ゴボウを選択してみました。

この頃はブログを始める人ばっかりで、個人でウェブサイト(ホームページ)を始める人がめっきり少なくなってしまいました。

発信したい情報が時系列に並んでいればブログは最適ですが、そうでない場合は検索性が悪かったりする難点があります。それでも面倒なHTMLを憶えたり、ホームページビルダーやらFTPやら使いこなすのは大変です。ともかくブログで始めるのは、そうした面倒を避けられるという利点があります。

ただ、何となく、最近はブログばかりで淋しいと感じるのです。「家路」を始めたころには、AAメンバーで個人のアルコール関連サイトを維持している人もいたのですが、みんなだんだん止めていってしまいました。それに比べれば断酒会の方は頑張っていらっしゃるようです。

バブル以前昭和年代の日経平均推移のグラフと、GDPの現在までの推移のグラフを重ね合わせてみると、日経平均は1万円前後が適正値ではないかと思います。例えば株価が適正値から±3割ぐらい振れるものだとすると、7千円〜1万3千円のレンジで動くもので、7千円ぐらいになってから買えば、必ず1万円まで上がるんじゃないかな・・という話を、株価が1万円台後半だったころにしたのですが、誰も耳を傾けてくれませんでした。株に興味がある人は、1万円まで下がるという話に耳を貸したくもないし、株に関心の無い人は意味のない話です。

不景気の間は1万円を上下する展開、好景気になればまた1万円代後半まで行くでしょうが、はたして何年かかることか。

ま、株など買えない貧乏人の僕には関係ない話です。


2008年10月25日(土) 日記風

昼/きのこ栗ご飯(コンビニ)
夕/パエリア・ガーデンサラダ・ドリンクバー(サイゼリア)
夜食/鮭いくらご飯(スーパー)
朝/コーヒー・トースト
昼/カレーライス・サラダ・おみそ汁
夕/ピザ

コンビニ弁当代を節約しなくては、と思ってスーパーで見切り品のお弁当を買い、冷蔵庫に保存しておいたのですが、翌朝忘れて仕事に行ってしまいました。帰宅してそれを夜食に食べる羽目になるのです。

さて、3時間しか寝られなくても、とりあえず起きて高速バスに乗り、東京まで移動してカウンセリングを受けました。今月からフルタイムの仕事になったので、平日だけの先生(カウンセラーさん)にはお願いできなくなってしまいました。引き継ぎをして頂いて、今回から週末に出ている別の先生にお願いすることになりました。

「やっぱり離婚して良かった」と少なくとも僕は思っている、ということが再確認されたこと。これから子供との関係をどのようにしていきたいか、自分の側の希望について。そして次回への宿題。

明治通りを歩いて渋谷駅まで南下しました。この秋の流行は黒なのでしょうか。モノトーンの服装の人ばかりという感じ。電車で秋葉原へ移動。秋葉原は6年ぶりです。
秋月電子があいかわらずそこにあることを確認。

せっかく来たのでメイド喫茶に入りました(もちろん初体験)。500円のジンジャーエールを頼み、チェキでメイドさんと写真を撮ってもらいました(これも500円)。
「しまったー、お昼ご飯を食べてこなければ、ここでオムライスを食べられたのに」
20分ぐらいで飽きたので、「いってらっしゃいませ〜」と言われながら退店。

さて、moral と言う言葉は「道徳的・倫理的」という意味の他に、もう一つ「精神的」という意味を持っています。moral support とは「精神的なサポート」という意味です。人間誰でもモラル・サポートが必要なんだと思います。孤独で生きていける人はいませんから。「心の支え」は必要なのです。
自分の子供も、父親によるモラル・サポートは必要としていると思います。直接は関与できなくても、毎日気にしている人がいるという心の支えは、役に立つのではないでしょうか。そして、僕自身も孤独に生きていけないので、モラル・サポートを必要としているのです。


2008年10月23日(木) 経験を積む

夕/ラーメン
夜/グレープジュース・ヨーグルト・紫のじゃがビー
朝/トースト・コーヒー・チーズ

ラーメン屋は初めて入ってみましたが失敗でした。でも入ってみなければ失敗かどうか分からなかったわけで「経験を積んだ」としておきましょう。

「経験とは、誰もが自分の失敗につける名前のことである」
 〜オスカー・ワイルド

前に年金の天引き額が上がった、と言う話を書きました。
そのことで、隣の同僚が怒って総務に電話しています。

気に入らないのは額が上がったことではなく、標準月額報酬の算定に交通費支給額まで含まれていることだそうです。彼は通勤距離が長いので、ガソリン代も高くなります。最近、ガソリン代を市価スライド制にしてくれと、会社と交渉中ですから、もしそうなるとガソリン価格高騰を受けて、支給額も上がるはずです。

「そうなったら、年金の天引き額まであがっちゃうじゃねーか」

というのが彼の言い分です。会社の近くに住む人はそうならないのだから不公平だと。総務の女性に電話をかけて文句を言ってみたところで、もとよりそういうルールなんだからしかたないでしょう。会社によっては経理どころか総務までアウトソーシングされていますが、ここはまだ両方とも内部処理ですが、総務も苦情受け付けで大変です。

電話を切ると彼は、「これは政府に文句を言わないといけない」と言い出しました。どこだ、と聞かれたので、「社会保険庁じゃねーかなぁ」と答えておきました。国の政策に関心を持つのは悪いことじゃないでしょうね。

反対側の同僚は給与明細を見て「この非課税って何ですかね」と聞いてきました。交通費は非課税なんですよ、と答えるとほくほく喜んでいました。彼はプリウスに乗っているので、交通費が黒字になります。プリウスが同クラスの車より100万円以上高額だってことは、彼の頭の中で合理化されてしまっているようです。

このように交通費一つとっても、人により立場により感じ方が違うわけで、人の気持ちを推し量ることは難しいことであります。


2008年10月22日(水) いつもウジウジ

夕/鶏肉のピリ辛マヨネーズ・ちくわの磯部揚げ・オクラのおかか和え・おみそ汁(定食屋)
夜食/チーズ・柿の種の残り
53.0Kg,10.7%
朝/おにぎり1個・ヨーグルト(コンビニ)
昼/ハンバーグ弁当(コンビニ)
体脂肪率が着々と上昇中です。

合理化は「節約する」という意味ではないし、感受性が高いのは「精神的に不安定」という意味ではないわけでして。説教は「叱る」という意味ではないし、信仰は「宗教」という意味ではありません。ふとそんなことを考えました。
「地雷を踏む」という言葉は騒動に巻き込まれるという意味より、「その騒動から抜け出せない」という表現です。地雷を踏んだ足を上げると地雷が爆発してしまうので、最悪を避けたければ事態に巻き込まれ続けるしかない、というある意味さらに最悪な状態を嘆く言葉です。

その人の基本的な性格
http://blog.goo.ne.jp/akatsuki10_001/e/dd0634f69658ef40eea419f02e7e4964
というお話をいただいているので、遅くなりましたが僕も書いてみたいと思います。

4才の頃の記憶は全くありません。
直接の記憶は5〜6才ぐらい、保育園での思い出から始まっています。
後に「親友」と呼び合うようになった近所の男の子とも、3才の時に出会っているはずで、あちらはそれを鮮明に憶えていたのですが、僕はさっぱり忘れていました。
間接的な記憶では、「小学生の低学年の頃に3〜4才のころを思い出していた」、という記憶があります。祖父祖母・父母・そして6才年上の兄との生活であり、たまに兄が遊んでくれる以外は、遊ぶ相手もおらずに寂しかった、と思い出したのを憶えているのです。そのくせ寂しいとはなかなか言えませんでした。

9才の頃というと、小学校3〜4年でしょうか。
初恋というのとはちょっと違うのですが、近所の同級生に美人で、頭が良くて、運動もできるという3拍子そろった女の子がいました。近所だという理由だけでそれなりに仲良くしてもらって、僕は彼女がずっと同級生でいてくれると思っていたのですが、彼女の親が教師だったため、4年生にあがるときに転校してしまいました。
3年生の終わりにクラスのみんなで寄せ書きをして送ったのですが、僕が書いた文章の詳細は忘れましたが、当時自分でも「本音を書いてない」と思いました。例えば「あなたがいなくなって寂しい」とは書けなくて、「遠くへ行っても元気でやれ」とか書いてしまうわけです。
自分を大きく見せたい、弱いところは見せたくない、良いところ?だけ見せていたい。そういう虚栄心、邪魔なプライド、高慢、不正直なところは、すでに9才の頃にはしっかり形作られていたわけです。
その後、偶然同じ高校に進学し、2年生の時に同じクラスになって消息を知ることになります。彼女は芸術系の大学に進学して、その関係の仕事をするのかと思いきや、田舎へ帰って今は開業医の奥さんです。栄養状態が良いのか、年賀状の写真に写るご本人は太っ腹であります。(現実なんてそんなものさ、ふっと遠くを見る)。

14才のころの記憶はたくさんありますが、印象に強く残っているのは恋心か。
同じクラスのいじめられっ子の女の子から、僕の親友(小学校の時とは別)にラブレターを渡してほしいと頼まれました。いわゆる「郵便屋さん」というやつです。ところが僕が手紙を届けると親友はあっさり断って、手紙は開封もせずに突き返してきました。
ところが、これがいじめられっ子の悲しさですが、彼女が告白して断られたという話は、僕が彼女に手紙を返すよりも早くクラス全員の知るところとなり、みんなのからかいの対象になってしまいました。
それから僕が彼女に手紙を返しに行ったのですが、追いつめられた彼女は「じゃあ責任取ってあなたが私とつきあってほしい」と言いだしました。え”?
実は僕は前々から彼女のことは「そんなに悪くはない」と思っていました。中学生の男の子は「彼女欲しい」が始まる時期でもありますから、邪魔なプライドを捨てれば「渡りに船」でも良かったんですね。でも、やっぱりあっさり断りました。
Aがダメだから代わりにB、という選択肢にされるのは面白くない、という以上に、皆が(いじめ対象として)悪い評価を与えている彼女を、あえて選ぶ勇気がなかったのです。自分の価値観よりも、周囲の価値観を優先してしまったのです。
二十才をすぎてから中学の同級会があり、彼女とはそこで再会することになります。まあすっかりキレイでかわいくなってしまって、自分の判断ミスに地団駄踏みましたとも。
その後彼女がどうなったのかは噂にも聞きませんけれど、きっと今頃は栄養状態が良くって、太っ腹になっているに違いありません。(現実なんてそんなものさ、ふっと遠くを見る)。

自分の奥深いところの気持ちを把握して、それに素直に従って、照れずに行動する・・・というスキルがなかったために、ずいぶんウジウジした人生を歩く羽目になりました。それらは若き日の過ちで済ませるにしても、今の自分はもうそんなに若くないのですから、「自分の奥深いところの気持ちに素直になる=自分に正直になる」ことを身につけねば、ウジウジした年寄りになってしまいます。


2008年10月21日(火) みそ汁世界・2

夕/野菜タンメン
夜食/グレープフルーツジュース・インスタントの野菜スープ・亀田のスーパーフレッシュ柿の種
53.0Kg/10.8%
朝/レンジでチンするエビピラフ
昼/オムライス(コンビニ弁当)

総務から封書が来て、今月から厚生年金の天引きが725円上がりました、と書いてありました。何でも毎年同じ率で上昇していって、ある所まで行ったら上がらなくなる仕組みなんだとか。その頃には年金徴収の税化とか言い出しているかもしれません。

社会保険庁のサイト
https://www3.idpass-net.sia.go.jp/neko/action/z0401
で、加入記録を調べてみると、現在のところ加入月数が235月。25年に達するまであと5年半。若い頃に飲んだくれて年金を払っていなかった時代があるので、人様より遅れています。また、実家に居候してアルバイト生活だった時代は国民年金加入になってますが、これは親が代わりに払ってくれたぶんです(ああ30過ぎていたのに恥ずかしい)。

それを親に返さなくちゃ、とも思うのですが、それよりも自分の娘が将来年金が払えない経済状態になったときに、黙って代わりに払ってやれるのかどうか、そっちの責任を重く感じます。

なんだかんだ親に文句を言ってみても、成人した後も親から金をむしって生きてきたわけです。子供を成人させれば、とりあえずの目標達成なのでしょうが、その後も「親が自分にしてくれたことを、自分も子供に同じようにできるか」と問われると、結構厳しいものがあったりして。

今回の離婚では親に経済的に頼ることは無しにしようと努めています。「じゃあ、保険が満期になったんだけど、その金はお前要らないだろうから、かーちゃん海外旅行に行く代金にしちゃうな」と言われると、え〜そんな〜って感じですけど。

実家で飲んだくれていた頃、僕が商店街の福引きで海外旅行を当てました。それで父母が初めてアメリカに海外旅行に行きまして、翌年自費でフランスへ行きました。そこで親父が亡くなってしまって、「一人の旅行は寂しい」と言いながらも母の海外旅行は止まらず、最近では「とーちゃんのぶんも倍行けるからいいや」と言っています。

夫婦が年老いて、ダンナの方が先に亡くなると、残された奥さんがストレスフリーの人生を謳歌して長生きする。奥さんの方が先に亡くなると、寂しくなったダンナは1〜2年で後を追うように・・って話はよくあります。夫婦ってどんなものか、真実を映す鏡のように思います。

先週末が関東のAAのラウンドアップで、今週はあちこちで「精神的に調子が悪い」という話を聞きます。そりゃたぶんラウンドアップで肉体的に疲れてきたからでしょうね。体が疲れれば心も不調になります。なので、ラウンドアップの後は、具合の悪いAAメンバーが増えるんですよ。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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