心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年08月12日(火) トクホン並み

理屈とトクホンはどこへでもひっつく、という名言があります。

まず自分の主張したいことがあって、それを正当化するための理屈なんて、後から幾らでも考え出せるという意味です。だから、理屈に理屈で対抗して、つまらぬ議論を繰り広げてみても疲れるだけです。それよりも、なぜ相手がそんなことを言い出したのかという動機の部分を探ったほうが、よほど良策です。

そして、理屈が後付けになる主張の大半は「○○が気にくわない」というような個人的な憎しみだとか、プライドの傷だとかが原因ですから、なおさらその理屈に耳を傾けても仕方ありません。

「AAの伝統からすると、どうのこうの」「そもそもAAとはこういうもの」みたいな議論は、たいてい何かが気に入らなくて始まっていますから、「理屈とトクホンはどこへでもひっつく」とつぶやいて放置プレーが正解だったりします。だって、理屈じゃなくて感情の問題なんですから。理屈が好きな人の理屈は「理屈っぽい」と感じるものですが、感情的な人の理屈にはそういう印象がないものです。

もちろん「○○○○は放送禁止用語だから」というのも同類だと思いますよ。

ビートたけしが作った映画の最後のシーンで、主人公が「どいつもこいつもキチガイだ」とつぶやいて立ち去るってのがありました。僕もそうつぶやいて立ち去りたいところですが、あいにく映画と違って人生にはその後も続きがあったりします。

さて、僕は夏でも冬でもジーンズは二日続けて履いて、毎日洗ったりしません。でも月曜日はジーンズが汗でびっしょり濡れていたので、さすがに一日で洗うことにしました。別に暑い場所にいたわけではありません。空調しない環境にいたのは2時間あまりだけでしたし、そこも風が通って気持ちいい空間でした。あとはエアコンの環境にいたのですから。それでも汗をたくさんかいたのは、緊張していたからでしょうね。

明日から二日間、娘二人と実家へ行ってきます。実家も1日目はともかく、二日目は緊張が高まったりするかも。


2008年08月10日(日) この子誰の子

僕の携帯電話のかな漢字変換には「予測変換」という機能がついています。
例えば「あ」と一文字入力すると、「あ」で始まる単語のうち、僕の使用頻度が一番高い「明日」という単語が候補に表示されます。先ほど「ひいらぎです」と打とうと、「ひ」と一文字入力したら、最初に出てきた候補が「非嫡出子」でした。なんだかなー。なんか変だなと思って、「あ」から全部チェックしてみることにしました。

あ・・愛してる
い・・忙しい
う・・受け止めてね
え・・エッチ
お・・お風呂

なんじゃこりゃ。いったいこの携帯電話は、持ち主である僕のことをどんなメールを打つ人間だと思っているのでしょう。きっと電話のバグでしょうね。

土曜日。東京へ行くのに高速バスではなく、特急電車を使ったのは、帰りの高速道路が入り込みと重なって混み合うことを恐れたからです。それに特急だって指定席を予約しておかないと、混み合った自由席に2時間以上立っていなければならないのではないかと。

でも、帰りの特急は1/3ぐらいしか席が埋まっていませんでした。高速道路も混んでいなかったようです。そして高速バスだけが混んでいたようです。世の中思ったより不景気なのですね。

日曜日。転居の通知を兼ねて残暑見舞いを50枚発送。焦らずとも、旧盆をすぎてからでもよかったようですが、

家路もなにか更新しようと思いながらも、ずるずる先へ伸びます。


2008年08月08日(金) 夏休み

お肉を食べると、その晩はいつもより眠くなるような気がするのは気のせいでしょうか。しかも、牛肉>豚肉>鶏肉>魚のような気がします。考え過ぎかも知れませんけど。まあ、思い過ごしも恋のうちと言うことですし。

転居のお知らせのハガキを出しそびれていたので、暑中見舞いを兼ねて出すことにして「かもめーる」を買ったのですが、暑中見舞いではなく残暑見舞いの時期になってしまいました。旧盆が始まるまでには出さないと、情けないことになってしまいます。

明日は東京。


2008年08月06日(水) ニュース検索

「えんぴつ」や「さるさる」ではなく、「家路」においてある雑記 http://www.ieji.org/journal.shtml には、下にニュース記事を検索した結果を載せています。

ひさしぶりに、このニュース検索のメンテナンスをしました。
いつの間にか Google と Livedoor しか検索できなくなっていたからです。検索結果の表示形式が変わると、それを拾い出すこちらのプログラムも変更しないといけませんが、手間がかかるので面倒がってほったらかしだったのです。
検索エンジンである Google や Livedoor は、検索結果を再利用することも考えてくれているのでしょう。表示形式は滅多に変更されません。ところが Yahoo は、何を考えているのかしょっしゅう変更をやかしてくれます(さすが孫さん)。

新聞社のサイトにとってみれば、検索結果の表示ページですら「貴重な広告スペース」であり、売り上げのもとです。だから結果表示を機械的に使われては困るわけです。なので、しょっちゅう変更があっても文句の言いようがありません。

asahi.com はいつの間にか検索ページにAjaxが導入されて、面倒なことになっていました。読売は外部の検索エンジンを使っているのですが、それを Goo から Yahoo に変えていてくれました。そんなことに一つ一つ対応していくと、だいたい半日は過ぎてしまいます。

でも、おかげでまたニュース検索がにぎやかになりました。

いままで引っかからなかった記事をひとつピックアップします。

自立支援施設 住民ら署名合戦 (朝日)
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000120807310002

(愛知)障害者自立支援施設建設が暗礁(読売)
http://chubu.yomiuri.co.jp/tokushu/dounaru/dounaru080405_1.htm

名古屋マックのことだそうです。


2008年08月05日(火) 閑話

寂しいときにはその「寂しさ」を、切ないときにはその「切なさ」を、そのまま抱えて生きていけばいいのだ、と自分に言い聞かせる日々です。

職場は毎日朝から最後の一人が帰宅するまでエアコンがつけっぱなしです。温度設定は27℃。僕の場所は冷えにくいところなので、自前の扇風機を併用しています。通勤の車の中もエアコンはつけっぱなしです。7月下旬からは、自宅でもエアコンを使うことが増えました。夜中に窓を開けっぱなしのまま電話で話をしていると、声が外から回り込んでお隣に迷惑になるのを心配します。そして窓を閉めればパソコンの熱もあって温度が上昇するのでエアコンです。
こういう生活を続けていたら、すっかり冷房病になってしまいました。

気象庁の発表する注意報・警報を携帯のメールで受信しています。以前、大雪警報を知らずに残業していたら、帰宅できなくなりかけたので、注意を払うようにしているのです。でも、ここのところ毎日毎日大雨の注意報あるいは警報がでていて、もうすっかりそれに慣れてしまい、危機感を感じません。

さて、掲示板で公務員の話が出ていますが、僕は「行政というのは集めた税金の再分配役に過ぎない」と思っています。お金が再分配される過程で、消防や警察や教育というサービスに変わる場合もありますし、道路や箱物に形を変える場合もありますが、助成金や補助金という名目でお金のまま分配されることもあります。

行政が効率化しない最大の原因は、競合相手がいないことでしょう。より安価で良質のサービスを提供する業者が新規参入してきたりしませんから危機感が生まれません。逆に、努力したところでマーケットシェアが増えるわけでもありません。さらには、金を払ってくれる人間と、金銭やサービスを受け取る人間が必ずしも一致しないのも、問題を複雑にしています。たくさん税金を納める人が、市役所ではVIPラウンジに通され、市民課の待ち行列を飛び越して書類を交付してもらえる・・なんてことはありません。

この金の払い手とサービスの受け手が異なる現象は、テレビやラジオの民放にも見られます。放送局にとってのお客様はあくまでCM枠を買ってくれる企業であって、視聴者は客ではありません。じゃあNHKはどうなんだ、とか。どうしてNHKの著作物は視聴者みんなの共有物にはならないのでしょう。大河ドラマのDVDとか、実費で売ってくれても良さそうなものじゃないですか。

話がどんどんそれました。


2008年08月04日(月) 仕事

高校生の時にアルバイトしたことがあります。夏休みの間に、S○NYの工場でスピーカーの組み立てをやりました。体を動かすアルバイトは、それが最初で最後です。大学に入ってからは、コンピューターソフトのアルバイトしかしていません。
例外として、人から頼まれて「おもちゃショーに出品するおもちゃの半田付け」という仕事を3日だけやったことがありました。半田不良でショーの当日動かないおもちゃばかりで大トラブルだったそうです。あとはひたすらソフトの仕事ばかりしています。
雑誌に原稿を書く仕事もしましたが、すべてパソコン関係ばかりですから、ソフト関係の仕事にくくっています。それらのアルバイトが本業になって、そのまま来てしまいました。書いたソフトは様々で、パソコンのワープロソフト、ゲーム各種、ワークステーションのCADソフト、保育器の温度制御、スキャナーのドライバーなどなどあって、今は工場で使う特殊用途のソフトを専業にしています。
「手に職がある」と言えばよく聞こえますが、「ほかの仕事はできない」ということでもあります。仕事があるところにしか住めないわけです。

ソフト書き(プログラマー)の人材は慢性的に不足しています。
それほどハードルが高い仕事じゃないと思いますけどね。僕がこの業界に入った頃は、大学中退どころか高校中退の連中もいっぱいいましたし、40過ぎてからこの仕事を始めた人も少なくありませんでした。英語をおぼえるより、C++言語をおぼえる方がずっとずっとず〜〜っと楽だと思います。でもこの仕事は人気がないみたいです。
やっぱり http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=50495 みたいなことになっているからでしょうか。
(これはある出版社の情報処理技術者試験の参考書に挟まれていたしおりだそうです)。
僕も若い頃は、職場のデスクにお風呂道具が入れてあり、下着は近くのコインランドリーで洗ったものですが、昨今は毎日家に帰っております(午前様だったりしますけど)。

世の中の不景気が続くと、就職に有利な理系の学部の人気が高くなる・・ということを昔は言いましたが、今はどうなんでしょう。


2008年08月03日(日) 食べること

生きることは食べることだな、と最近つくづく思います。

食べている時間はもとより、その前後には、食材を買いに行っている時間、調理の時間、後かたづけの時間があるわけです。人によっては満腹でごろごろする時間なども加えてもいいかもしれません。

それらを足しあわせると、人生のかなりの部分は食事をするために費やされています。そもそも、働いて金を稼ぐことも、その金で食事をするためでもあります。

食べるために生きているのか、生きるために食べているのか。

それはともかく、一人暮らしになって食べることが大きな時間を占めるようになりました。食べるためにすることは、すべて自分のための事です。何でも自分のコントロールが及んで楽しくもあります。いままでその部分は、ほとんどが妻の役割でした。その時は、すべてが妻のコントロール下にあって、こちらは食事に不満があれば文句を言うことしかできないわけです。でも不満ばかり並べ立ててるわけにもいかないので、黙って食べるしかありません。

その忍耐が、「お弁当は毎日ちゃんと作ってよね」とか「からになったお弁当箱は、嫌がらずに洗ってよね」という不満として吹き出していったのでありましょう。

調子が悪い妻に替わって、自分が料理をしていたときは、それは子供たちのためであって、決して自分のためではありませんでした。

いま一人で暮らして、自分以外に食べる人がいない環境で、自分が食べることに時間を使いながら、生きることは食べることだと実感しています。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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