心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年06月23日(月) 電話番号確定

大学入学のために上京した時は、一人住まいのために電話を引いている学生は少数派でした。友達に電話するにしても、アパートの大家さんに電話して呼び出してもらうのが普通でした。
その後、パソコン関係でアルバイトをするようになって金回りが良くなり、アパートに電話を引くことにしました。民営化された直後のNTTに、7万2千円の工事負担金なるものを払った覚えがあります。

アパートを引き払って長野に戻ることになると、実家では親の電話を使えばいいわけですから自分の電話は不要になり、加入権は休止という扱いにしておきました。そして結婚して二人で住む時に電話が必要になったので、その権利を使ったわけです。元妻は一人住まいをしたことがないので、電話の権利を持っていませんでした。なので、離婚して僕が家を出る際、電話の権利も持って出てしまうと、彼女は加入権を購入しなければならなくなります。

NTTが民営化する頃から加入権が無料になるという話がありましたから、もう加入料なんて廃止されないまでも、数千円ぐらいになっているだろうと思ったのですが、まだ3万6千円もするので驚いてしまいました。携帯電話もPHSも、最初の頃は加入料を徴収していましたが、次第に値を下げてゼロ円になっています(2〜3千円の事務手数料を取っているところはあります)。ドコモが加入料をゼロ円にした時の、資産価値減損の訴訟もドコモ側が勝って終わったはずですから。

仕方ないので、加入権を妻の名義に変更(譲渡)することで落ち着きました。自分のほうは新しい住まいに電話を引くのに、加入権の不要な「ライト」というのを選ぶことになります。3万6千円が不要な代わりに、月々の支払いが250円多くなります。
なんだぁ250円だったら、これを彼女に押しつけちゃって、自分が加入権を持っていた方が良かったかと思うのですが、まあそこは誠実にやるって事で。

ところが実際にADSLを引いてみると、リンクは不安定で通信が切れるし、IP電話は調子が悪い・・。それは我慢するにしても、じゃあもっと安いところはないのか・・。というわけで、電話もADSLもKDDIに変えることにしました。これで月々600円ほどの節約になります。加入権などと面倒なことを言わないのも嬉しい。

それで、IP電話の番号はもちろん、固定電話の番号もまたまた変わる可能性があったのですが、26日に工事が終わって無事開通すれば、それで決着するはずです。これでようやく転居のお知らせハガキやメールを出したり、新しい名刺を作ったりできるようになります。

日曜、夜食/カップうどん
月曜、朝/コーヒー・トースト・ヨーグルト・サラダ、昼/ジャージャー麺・ミニおむすびセット、夕/具のないラーメン(生タイプ)、夜食/ヨーグルト
火曜、朝/コーヒー・トースト・ヨーグルト・サラダ、昼/こだわり和風ミニ弁当・コロッケバーガー


2008年06月22日(日) 頭では分かっても

「自分は入院したことがないから、入院した人の気持ちが分からない」というAAメンバーが増えてきたように思います。そのぶん自分は軽症なんだというエクスキューズの場合もあれば、新しい人の体験に共感できないぶんだけメッセージを伝える障害になっていると嘆く場合もあると思います。

軽症だという雰囲気を作りたい人には、「入院してない人のほうが重症なんだ。だって助けを求める能力がそれだけなかったんだから」と言ってあげます。経験に共感できなくてと嘆く人には、慰めの言葉は特に要らないでしょう。

入院経験の無さは、AAでは問題にならないと思います。

ただ(これを言うと物議を醸すかもしれませんが)、スリップ(再飲酒)した経験の無いのは、メッセージを伝える上では大きなハンディキャップかも知れません。
「真面目に酒をやめようとしたのに、しばらくしたらやっぱり飲んでしまった」
「一生懸命AAのプログラムをやっている(つもり)だったのに、また飲んでしまった」
熱いストーブに触れて何度もヤケドをしたのに、その経験を忘れてまたストーブに触りたくなってしまう。ストーブ=アルコールです。その狂気こそがアルコホリズムの(ひとつの)本質なのですが、その経験がないのは結構大きい欠落じゃないですか?

「ある時に酒をやめようと思って、それからずっとやめている」とか、「AAに来てからは失敗したことがない」とか。そういう人は、再飲酒する人、AAに真面目に取り組めない人に対して、若干冷たいような気がします。また飲んでしまう病気であるとか、なかなか断酒に真面目に取り組めない「そういう病気である」ことに対して、体験を元にした共感がないから冷たいんじゃないか。そう思ってしまうのは、僕の偏見でしょうか。

僕としては、入院したことが無い人より、AAに来てから失敗したことのない人のほうが、メッセージを伝える上で大きなハンディキャップを抱えている、と思っています。まあ僕は、入院もスリップも経験が豊富にあるので、人の心配などせずともいいわけなんですが。(と自慢してみる・・いや自慢できることなんだろうか)。

金曜・夜食/回鍋肉の残り・ごはん・おみそ汁の残り
土曜・朝/コーヒー・トースト・ジャム・ヨーグルト・アカディ、昼/肉野菜炒め・キュウリの塩もみ・冷や奴8分の1、夕/うなぎ・お吸い物・マカロニサラダ・グレープフルーツジュース。夜食/ヨーグルト・チーズ
日曜・朝/コーヒー、昼/カレーライス・おみそ汁(もやしと豆腐)・マカロニサラダ、夕/カレーライスの残り・おみそ汁(ぶなしめじ)・マカロニサラダ


2008年06月20日(金) かびるんるん

といっても、僕はアンパンマンは見たことがないので Wikipedia で調べないと分からなかったのですが・・・。

東京で一人暮らしをしていた頃は、風呂なしのアパートに住んでいました。まだ銭湯がわりとたくさんあった時代です。例え毎日銭湯に通ったとしても、ひと月の銭湯代のほうが、風呂付きのアパートとの差額より安かったのです。実際には、銭湯に毎日なんて通いませんでしたし、連続飲酒に陥ってしまえば、それこそ何週間も風呂に入らないことすらありました。

という話がしたいのではなくて、水場が少ないアパートに住んでいたので、湿気の心配などありませんでした。

つい先頃まで婿一家だという理由だけでタダで住まわせてもらっていたアパートは、(無論風呂付きでしたが)とっても風通しが良いところでした。別の表現で言えば、すきま風ぴゅーぴゅーでした。なので、石油ファンヒーターを何時間連続で使っても、換気など無用。掃除不足でフィルターが目詰まりして「換気サイン」が出てヒーターが泊まると、娘たちは「故障したよ〜」と父親に訴えるのでありました。
ともかく、そんな環境なので湿気がこもることもありませんでした。

鉄筋の密閉製の良い建物に住んでみて、初めて湿気に悩まされています。

風呂の残り湯で洗濯をすることを目論んだわけですが、毎晩洗濯をするわけでもないし、翌朝タイマーをかけておく場合もあります。つまりバスタブの中には暖かいお湯が入りっぱなしになります。そこから湯気が上がって、風呂場の壁に水滴がびっしり。これを数日続けたら、壁にカビが広がり出しました。
「これはいかん」と思って、慌てて風呂の蓋を買いに行きました。意外と高いんですね、これが。

洗濯物も、なるべくベランダに干していますが、室内干しも多くなります。盗られる心配はないけど、下着は中に干しますから。蒸発した水分は室内に留まるわけです。おまけに、最初の頃は炊事の際に換気扇を回すことを忘れていました。

というわけで、まめに換気していないと、押し入れにしまいっぱなしの冬用掛け布団がジメっとしてしまったり、ドライフラワーが柔らかくなってしまったり・・。

まあ、そんな暮らしです。

話変わって、事務的な連絡も必要なので、元妻とは時々電話のやりとりがあって近況も多少分かります。学校のPTAに行ったり、町内会の子供遠足に付き添いで行って他の家族と一緒にバーベキューをしてきたり・・。対人恐怖があるから他のお母さんに会うのが怖い、とか言って全部僕が代行してきたのですが、やればできるじゃん。
彼女の病気からの回復とか成長を阻害してきたのは、僕の手助けだったのかもしれません。いや多分そうでしょう。

次の振り込みまでもう数日だというのに、前回の養育費にはまったく手をつけていないそうです。それは子供の将来のために全額貯金して、彼女の収入の範囲内で暮らしているとか。今まで12年余り、自分の稼ぎで女房子供を食わせていると思っていましたが、それもアル中特有の妄想だったのかも知れません。いや多分そうでしょう。

それから彼女は一生懸命(?)髪を伸ばし始めているそうです。もうダンナの好みに合わせる必要もないというわけです。市役所に出生届を出すと、どこで情報が漏れるのか、数年後にはきっちり七五三の着物やひな人形のセールスが来るように、離婚届を出した彼女の元にもしっかり結婚相談所の勧誘が来ているそうです。なぜ僕のところには来ないのでしょう。男は余っているのかも知れません。いや多分そうでしょう。

木曜・朝/コーヒー・トースト・ジャム・チーズ・ヨーグルト、昼/おにぎりセットと単品おにぎり、夕/鯖の塩焼き・解凍ホタテ・キュウリの塩もみ・ごはん・みそ汁・トマト(実家)、夜食/チーズ・ヨーグルト

金曜・朝/コーヒー、昼/回鍋肉・ごはん・豆腐ともやしのみそ汁、夕/冷やし中華とドリンクバー(アフター)


2008年06月18日(水) AA80ページ

AAの80ページ。
「男にも、女にも、子どもにも、一人一人のおおもとの深いところに神の意図がある」
for deep down in every man, woman, and child, is the fundamental idea of God.

誰でも心の一番奥深いところに「根源的な神の概念」、つまり根源的な信仰心を抱えているはずです。身に降りかかってくる不幸や、虚栄心や、即物的な金や人への信仰が、神への信仰を覆い隠し、否定してしまいがちです。でも必ず心の奥深くに信仰心は存在しているのです。
誰もが「自分より偉大な力」への信仰を持っていて、時にそれが人生に奇跡をもたらしてくれます。

次のページには、そこ(おそらくは心の奥深く)に「神」が見つかると書いてあります。信仰心が見つかれば、神も見つかるのでしょうか。

さて、ハビエル ガラルダの『自己愛とエゴイズム』に、こんなくだりがあります。

<落ち着き、勇気、知恵を求めること>
R・ニーバー先生は、昔アラビアのテレジアが書いた言葉を、ある有名な祈りにしたのである。
ところで、祈るということは深く望むということである。いわゆる正式な信仰がなくても、奥深い自分に向かって祈るのは非常によいことであると思う。その「奥深い沈黙の我」が、いつの間にか「我の奥深い沈黙の汝」に変わった事実を何となく感じられるようになった気持ちを、正式な信仰と呼びたいが、しかしその気持ちにならないうちにでも、深く何かを望むという「祈り」は大変良いことであると思う。
(引用終わり)

祈るためには、祈る相手がいります。願いを聞き届けてくれる相手が必要です。虚飾によって自分の信仰心を見失っている僕のような人間の場合、誰に向かって祈り願ったらいいのかわかりません。それでも祈りたければ、提案通りに「自分の心の奥深く」に向かって祈るしかありません。これだけでも、ずいぶん進歩だと思います。

僕は宗教的な信仰心を抱いたことがないので、「沈黙の汝」という存在を感じたことはありません。けれど、自分の最深部には「神さま」と呼んでよい存在がいて、僕の人生のシナリオを書いていると信じています。時になんらかの触れ合い(みたいなもの)を感じる時もあります。そしてその存在と、たとえば「創造主」という存在とは、どこかでつながっているのじゃないのかな、と思ったりもするのです。

水曜・朝/コーヒー・トースト・ジャム・とんかつの残り・アカディ・チーズ、昼/コンビニのねーちゃんがレシートをくれなかったので不明な小さい弁当・おにぎり一個、夕/すき家の牛丼並サラダセット・ケーキとマンゴージュース(アフターで)・カップそば(夜食)。
金使ったなぁ。


2008年06月17日(火) 風邪、納期

月曜の朝、起きようとすると異様に体がだるかったのです。
(また、うつかな。しかし、何でまた)
ともかく起きられず2時間ほど仕事に遅れていきました。前の晩、夜更かししたのがいけなかったのか、いや夕方からもう調子が悪かった様な気がしました。
火曜日は納品なのですが、プログラムはまだ完成していませんでした。いざとなったら会社に泊まり込んででも・・と思っていたのですが、夕方になると体がふらついてきました。机から体温計を取り出して測ってみると、37度台。低体温で平熱が低い僕にとっては高い熱です。車を運転できるうちに帰ることにしました。

ドラッグストアで風邪薬を買いました。ふと右の棚を見るとブロンが置いてありますが、箱の中身は空っぽで、レジで渡してもらう仕組みのようです。左の棚をみるとドリエルがあり、これも箱は空です。ブロンもドリエルも万引きが多いのでありましょう。役に立つ(?)薬ですからね。

体力をつけるために牛乳を飲むとお腹を下してしまうため、アカディを買いました。以前より甘みがなく、飲みやすくなっていると思います。食事をすませて、薬を飲み、風呂で汗を流して早く寝ることにしました。

まだ暗いうちに目が覚めたのですが、薬の効果が切れて熱がまた上がっていました。薬を飲んで熱が下がったら仕事開始。納品する事業所は自宅から車で5分です。なのに車で片道1時間近くかかる職場まで往復するのは、ばからしい限り。その2時間が惜しいので、上司に電話して午前中休み、昼に直行すると伝えました。
もちろん、その理由は「かぜ」です。機密保持の都合上、自宅で仕事をこなしているとは口が裂けても言えません。当然午前中はただ働きです。
真面目に仕事をしていると、やぎさんが救援物資を届けてくれました。

納品は順調にはいきませんでした。ソースファイルだけ持っていって、実行ファイルを忘れていきました。ノートパソコンでビルドしようと思ったら、コンパイラが入ってなかったので、念のため持っていったデスクトップでビルドしました。
ノートパソコンを開けたら猫の毛が舞い上がったりとか・・・。あわわ。

手持ちぶさたな時間に、同行してくれた営業部長と離婚の話をしました。僕より年若の彼は、一昨年離婚して、昨年結婚したのだったかな。「風邪を引くと孤独が身に染みます」、「売薬の買い置きもなくて」という話など。

夕方上司に電話して直帰にしたものの、実はその電話は自宅からでした。また熱が上がっているものの、気にせず入浴。風邪薬をのみつけると、風邪が治った後、不眠の時期がやってきます。

月曜、朝/ヨーグルト・コーヒー、昼/かつ重弁当、夕/中巻きマグロたたき・バナナ・アカディ・レタス・焼きそばパン・栄養ドリンク・オレンジジュース
火曜、朝/ヨーグルト・おにぎり・チーズ・アカディ・栄養ドリンク、昼/レンジで温めるだけのスパゲッティ、夕/とんかつ・サラダ・ワカメスープ・オレンジジュース・アカディ


2008年06月15日(日) 食べ物事情

この週末はアパートの住民たちはほぼ皆出払っていて、駐車場がスカスカでした。単身赴任のオトーサンたちは週末に家に戻って妻の手料理を食べ、彼女のいる若者は、今度は彼女のウチにお泊まりだったのかもしれません。いいなあ、ちくしょう。

あるAAミーティング後の雑談の中で、独身女性のメンバーに「毎晩食事はどうしてるの? これから帰って、ちゃんと食事を作って食べてるんですか?」と尋ねたところ、「ちゃんとしたものは食べてないですよ。ラーメンだとかで簡単にすませて、週末にちゃんと食べてます」という返事でした。

週末にしかちゃんと食べないなんて、やっぱり食べ方が異常じゃないか。と、摂食持ちの人にヒドいことを言ってしまいました。ごめんなさい。

「ひいらぎは、ちゃんと食べてるんですか?」と聞かれたので、「ちゃんと食べてるよ。最近は朝だって毎朝ちゃんと食べていくんだぜ!」とエッヘンという感じで返答しました。

「それが普通ですよ」と一刀両断でした。普通のことをイバった僕がバカでした。

ええ、僕の食べ方は異常ですよ。だいたい、異常に食べるのが早いのも、ゆっくり食べていると途中でお腹が一杯になってしまって、必要な量を食べられなくなってしまう恐れがあるからです。満腹中枢が刺激される前に、ともかく詰め込んでしまわなくては・・・。
普段はゆっくり食べても大丈夫なんですけど、ストレスフルなときは途中で食べられなくなっていけません。それに過敏性大腸炎ですぐにお腹を下します。おまけに生活が過労気味で、そのせいで便秘と下痢の繰り返し。ちゃんと噛んで食べてないから、消化も不十分で、大腸にも負担がかかっているかもしれません。

偏食とは言われませんが、食べ物の好みもかなり狭いです。転職したときはストレスで過食(気味?)になり、業務時間中までボリボリ何か食っていて、いまより20Kg近く重くなりました(薬のせいだよきっと)。もちろん今では仕事中は食べてませんが、糖分のある飲み物を飲んでいないと、脳がエネルギー不足になって仕事にならなくなってしまいます。

そんな僕ですが、自分が摂食障害だとは認めていません。だって過食嘔吐はしたことがないから、という理由だけです。「一歩手前まで来てるじゃん」とは言われますが。

先週は月曜から土曜までAA皆勤賞でした。病院メッセージとか委員会とかも混じってましたし、普段のミーティングも開始に間に合ったのは2回だけでしたから自慢できません。節約のために「帰ってからラーメンでも煮ようか」と思いながら、ずっと外食続きでした。で、週末に料理してちゃんと食べたのです。それを「異常」と呼んだんだのでした。


2008年06月13日(金) 幸福の追求

十数年前、東京での一人暮らしの中で、酒で行き詰まって自殺未遂をやらかした僕は、長野の実家へと引き取られていきました。精神的にも、肉体的にも、経済的にも失敗して帰ってきた人間が、実家でのびのびと暮らせるわけもなく、肩身の狭い思いをしていました。

当時、兄は(今僕が住んでいる)市内に家を建てて、サラリーマンに専念していました。兄はその生活を続けることを望み、実家の農業を継ぎたがりませんでした。そして、兄は弟である僕に「お前がそのまま家を継げばいいよ」とことあるごとに言っていましたが、僕は「この古い家に住み続けるのも、農業をやるのも嫌だ」と思っていました。

やがて僕が結婚してその家を出て、父が死んだために兄がその家に戻ることになりました。その古い家に住むのは、兄自身も兄の家族も望まなかったため、兄は市内の家を売り、実家で再度家を新築しました。けれど、前の家を売っても金が足りません。そこで、叔父など親戚にも相談の上で、先祖代々の土地がいくつか売り払われて、母と兄一家が住む二世帯住宅の頭金になりました。

その様子を見ていて、僕は兄に羨望や嫉妬を感じました。「お前はいいよな、ずっと働いてこれて経済的信用もあるから借金もできるし、跡取りという理由で土地を売って金も作れる。俺のほうは病気でケチがついてしまったし、この先も安定して仕事ができるとも限らないから住宅ローンなど組めるはずもない」と、そんな理屈です。
僕にもいくらか土地は相続されていましたが、その土地を自分自身のために売ってはマズイと思われました。

そもそも、家付き娘のところに婿入りしてしまったので、自分で家を建てることなど不要でした。だがその道を選んだ動機の一つには、毎月「家賃」を払う生活にうんざりしていたこともあるのです。実際その後の経済生活も不安定でしたしね。

今回離婚を進める中で、母から「お前も家を建てたいなら、あの土地は処分したっていいよ」と言う言葉が出てきました。そうなのか? そうだよな。僕だって、自分の家を建てて、そこに自分の家族と一緒に住み、その生活を守るためにこつこつ働く、という夢を持ってもいいのではないか、と思い始めました。

もちろん、土地は売れるかどうかわかりません(可能性は低いでしょう)。それ以前に、自分自身の稼ぎを安定させなければ主な借金もできません。いやそんな家という箱物の話以前に、一緒に住む家族をどうするのか、ということを決めねばなりませんね。結局50才ぐらいになったときに、「夢は夢にすぎなかったね」と諦めることになるのかもしれません。

それでも、「これが私の幸せである」というイメージを持って、それを実現するために努力をする。その努力そのものがもう「幸せ」なのではないかと思うのです。だから、夢は夢のままで終わっても、それはかまわないのです。

「自分は幸せな夢を見ることなど許されない人間なのではないか」。いろいろと人に迷惑をかけ、期待を裏切ってきたから、贖罪の人生を送らねばならない・・。そんなことを言葉にして考えていたわけではありませんが、それに近い人生を送ってきました。

僕は若い頃の十数年を酒で無駄にしました。酒をやめてから人生経験を積み出したと言っても過言ではないでしょう。二十歳ぐらいで働きだした男が、三十代前半ぐらいで結婚やら仕事やらの人生の大枠を選んでいくとすれば、僕は十数年遅れ、つまり一週遅れのトラックランナーみたいなものかもしれません。
もちろん、スタートが遅かったからと言って、人生の時間がその分延びるわけでもないし、体も心も年を取っている現実は受け入れざるを得ません。

まあ、家を建てるのは一つのたとえ話です。本質は、「自分は幸せになりたい」「幸せになってもいいんだ」「そのために今の努力がある」と思えるかどうか、それは生きる意味とも、人間の存在のスピリチュアルな部分にも深く関わることのような気がします。

昨日東京まで行って1時間カウンセリングを受けながら、そんなことを考えました。通い続けることは時間的にも、体力的にも、経済的にもキツいのですが、今は歯を食いしばっても続ける必要があると感じています。なにしろ「あなたのおかげで、私は幸せになれたわ」と言ってもらえることを目標に頑張っているようでは、自分自身が消えて無くなってしまうわけですから。何が自分の幸せなのかを、誰かに決めてもらうのではなく、自分で決める、という慣れないことを始めているのです。

それができた上で、あらためて自分の子供との関係を考えればいいことだと思っています。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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