心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年06月15日(日) 食べ物事情

この週末はアパートの住民たちはほぼ皆出払っていて、駐車場がスカスカでした。単身赴任のオトーサンたちは週末に家に戻って妻の手料理を食べ、彼女のいる若者は、今度は彼女のウチにお泊まりだったのかもしれません。いいなあ、ちくしょう。

あるAAミーティング後の雑談の中で、独身女性のメンバーに「毎晩食事はどうしてるの? これから帰って、ちゃんと食事を作って食べてるんですか?」と尋ねたところ、「ちゃんとしたものは食べてないですよ。ラーメンだとかで簡単にすませて、週末にちゃんと食べてます」という返事でした。

週末にしかちゃんと食べないなんて、やっぱり食べ方が異常じゃないか。と、摂食持ちの人にヒドいことを言ってしまいました。ごめんなさい。

「ひいらぎは、ちゃんと食べてるんですか?」と聞かれたので、「ちゃんと食べてるよ。最近は朝だって毎朝ちゃんと食べていくんだぜ!」とエッヘンという感じで返答しました。

「それが普通ですよ」と一刀両断でした。普通のことをイバった僕がバカでした。

ええ、僕の食べ方は異常ですよ。だいたい、異常に食べるのが早いのも、ゆっくり食べていると途中でお腹が一杯になってしまって、必要な量を食べられなくなってしまう恐れがあるからです。満腹中枢が刺激される前に、ともかく詰め込んでしまわなくては・・・。
普段はゆっくり食べても大丈夫なんですけど、ストレスフルなときは途中で食べられなくなっていけません。それに過敏性大腸炎ですぐにお腹を下します。おまけに生活が過労気味で、そのせいで便秘と下痢の繰り返し。ちゃんと噛んで食べてないから、消化も不十分で、大腸にも負担がかかっているかもしれません。

偏食とは言われませんが、食べ物の好みもかなり狭いです。転職したときはストレスで過食(気味?)になり、業務時間中までボリボリ何か食っていて、いまより20Kg近く重くなりました(薬のせいだよきっと)。もちろん今では仕事中は食べてませんが、糖分のある飲み物を飲んでいないと、脳がエネルギー不足になって仕事にならなくなってしまいます。

そんな僕ですが、自分が摂食障害だとは認めていません。だって過食嘔吐はしたことがないから、という理由だけです。「一歩手前まで来てるじゃん」とは言われますが。

先週は月曜から土曜までAA皆勤賞でした。病院メッセージとか委員会とかも混じってましたし、普段のミーティングも開始に間に合ったのは2回だけでしたから自慢できません。節約のために「帰ってからラーメンでも煮ようか」と思いながら、ずっと外食続きでした。で、週末に料理してちゃんと食べたのです。それを「異常」と呼んだんだのでした。


2008年06月13日(金) 幸福の追求

十数年前、東京での一人暮らしの中で、酒で行き詰まって自殺未遂をやらかした僕は、長野の実家へと引き取られていきました。精神的にも、肉体的にも、経済的にも失敗して帰ってきた人間が、実家でのびのびと暮らせるわけもなく、肩身の狭い思いをしていました。

当時、兄は(今僕が住んでいる)市内に家を建てて、サラリーマンに専念していました。兄はその生活を続けることを望み、実家の農業を継ぎたがりませんでした。そして、兄は弟である僕に「お前がそのまま家を継げばいいよ」とことあるごとに言っていましたが、僕は「この古い家に住み続けるのも、農業をやるのも嫌だ」と思っていました。

やがて僕が結婚してその家を出て、父が死んだために兄がその家に戻ることになりました。その古い家に住むのは、兄自身も兄の家族も望まなかったため、兄は市内の家を売り、実家で再度家を新築しました。けれど、前の家を売っても金が足りません。そこで、叔父など親戚にも相談の上で、先祖代々の土地がいくつか売り払われて、母と兄一家が住む二世帯住宅の頭金になりました。

その様子を見ていて、僕は兄に羨望や嫉妬を感じました。「お前はいいよな、ずっと働いてこれて経済的信用もあるから借金もできるし、跡取りという理由で土地を売って金も作れる。俺のほうは病気でケチがついてしまったし、この先も安定して仕事ができるとも限らないから住宅ローンなど組めるはずもない」と、そんな理屈です。
僕にもいくらか土地は相続されていましたが、その土地を自分自身のために売ってはマズイと思われました。

そもそも、家付き娘のところに婿入りしてしまったので、自分で家を建てることなど不要でした。だがその道を選んだ動機の一つには、毎月「家賃」を払う生活にうんざりしていたこともあるのです。実際その後の経済生活も不安定でしたしね。

今回離婚を進める中で、母から「お前も家を建てたいなら、あの土地は処分したっていいよ」と言う言葉が出てきました。そうなのか? そうだよな。僕だって、自分の家を建てて、そこに自分の家族と一緒に住み、その生活を守るためにこつこつ働く、という夢を持ってもいいのではないか、と思い始めました。

もちろん、土地は売れるかどうかわかりません(可能性は低いでしょう)。それ以前に、自分自身の稼ぎを安定させなければ主な借金もできません。いやそんな家という箱物の話以前に、一緒に住む家族をどうするのか、ということを決めねばなりませんね。結局50才ぐらいになったときに、「夢は夢にすぎなかったね」と諦めることになるのかもしれません。

それでも、「これが私の幸せである」というイメージを持って、それを実現するために努力をする。その努力そのものがもう「幸せ」なのではないかと思うのです。だから、夢は夢のままで終わっても、それはかまわないのです。

「自分は幸せな夢を見ることなど許されない人間なのではないか」。いろいろと人に迷惑をかけ、期待を裏切ってきたから、贖罪の人生を送らねばならない・・。そんなことを言葉にして考えていたわけではありませんが、それに近い人生を送ってきました。

僕は若い頃の十数年を酒で無駄にしました。酒をやめてから人生経験を積み出したと言っても過言ではないでしょう。二十歳ぐらいで働きだした男が、三十代前半ぐらいで結婚やら仕事やらの人生の大枠を選んでいくとすれば、僕は十数年遅れ、つまり一週遅れのトラックランナーみたいなものかもしれません。
もちろん、スタートが遅かったからと言って、人生の時間がその分延びるわけでもないし、体も心も年を取っている現実は受け入れざるを得ません。

まあ、家を建てるのは一つのたとえ話です。本質は、「自分は幸せになりたい」「幸せになってもいいんだ」「そのために今の努力がある」と思えるかどうか、それは生きる意味とも、人間の存在のスピリチュアルな部分にも深く関わることのような気がします。

昨日東京まで行って1時間カウンセリングを受けながら、そんなことを考えました。通い続けることは時間的にも、体力的にも、経済的にもキツいのですが、今は歯を食いしばっても続ける必要があると感じています。なにしろ「あなたのおかげで、私は幸せになれたわ」と言ってもらえることを目標に頑張っているようでは、自分自身が消えて無くなってしまうわけですから。何が自分の幸せなのかを、誰かに決めてもらうのではなく、自分で決める、という慣れないことを始めているのです。

それができた上で、あらためて自分の子供との関係を考えればいいことだと思っています。


2008年06月11日(水) 静かだ (again)

新しく越したワンルームは棟に6人の住人がいます。
夜10時半頃帰宅すると、3〜4つの部屋の灯りがついています。けれど僕が風呂の残り湯で洗濯を終え、夜半過ぎに洗濯物を干そうとベランダに出ると、もう他の部屋の灯りはすべて消えています。見渡せる限りの家々の窓も、明かりが消えて、辺り一帯真っ暗です。
裏にある廃屋の向こうは田んぼなので、今の時期は蛙の声がゲコゲコ聞こえてきます。かなり離れているはずの高速道路から、大型車が通る音が聞こえてきます。そうした音も、ドアと窓を閉めてしまえば消えてしまいます。

隣の部屋の住人は、ちょっと良さげな車に乗っていて、時々携帯電話で大声で話している様子がわかります。顔を合わせたことはありませんが、おそらく中年のおじさんでしょう。
真下の部屋の住人は、比較的若い男性で、週末には彼女が遊びに来ていることもあります。ベランダに布団が干してあったりしますが、本人がやっているのか、彼女がかいがいしいのか。
斜め下の住人は、最初に顔を合わせたのがおばさんだったので、中年女性の一人暮らしかと思っていました。しかし、週末にベランダに男物のワイシャツやズボンばかり何枚も干してあるのを見て間違いに気が付きました。どうやら奥さんとおぼしき人が、週末に掃除や洗濯に来ているのであって、住んでいるのは中年男性です。いやどんな事情なのか知りませんが。
他の二部屋にいる人たちについてはあまりわかりませんが、どうやらこの棟は男だけみたいです。

みなさん洗濯は週末にまとめてする主義なのか、完全室内干し主義なのか。
そういえば、僕の冬物の洗濯も峠を越しました。はんてんが破れっぱなしなので、お裁縫もしなければなりません(冬までには)。

ゴミの収集は火曜と木曜の午前中に業者が来るようです。入居する時に、大家さんに電話をかけたら「わざわざ電話もらっちゃって」と恐縮されてしまいました。ゴミの収集に来る日を聞きたかったのですが、「2〜3日おきに来るんじゃないの」と詳しく知らない様子でした。なので、自分で確かめました。
分別はあまり細かくしなくても良さそうです。少なくとも可燃物(生ゴミ)とプラスチック類は分けていません。PETボトルも混ぜてもいいかもしれませんが、一応分けています。パソコンのクズ部品も、古い衣類も、文句を言わずに持って行ってくれます。ただ、誰が出したのか壊れた掃除機はずっと放置されたままです。

それにしても、他の人たちはゴミの量が少ない。生活していれば生ゴミだとかいろいろ出るだろうに、と思うのですが、ゴミポートの箱の中に縛ったレジ袋がいくつか入っているだけです。みんなどんな生活をしているのか。夜9時頃になると出かけていく人がいるのは、晩ご飯を外食しにいっているのでしょう。
夜帰ってくれば、すぐに寝るだけの人が多いようです。

他の住民たちに挨拶もしていませんし、もちろんそばも配っていません。ともかくここは静かな暮らしなのです。


2008年06月09日(月) 第三版に寄せて

ビッグブックの『第三版に寄せて』は、とても短い文章ですが、いろいろと重要なことが書かれています。

まず「12のステップとは何であるか?」という疑問に対しては、「AAのプログラムを要約した十二のステップ」(The Twelve Steps that summarize the program)という言葉がありますから、「12のステップとはAAプログラムそのものだ」と言っても差し支えないでしょう。

「(AAの共同体の)核心はいたって簡単であり、個人を主体にしたものである」(At this Fellowship's core, it remains simple and personal)。つまりAAの核心は、とってもシンプルで個人的な12のステップのことだ、と解釈できるわけです。

2ページに満たない短い文章なので、ぜひ一度じっくり読んでみてください。

引っ越しに伴って、Bフレッツ(光ファイバー)からADSLに変えたら、IP電話の具合が極端に悪くなってしまいました。VoIPアダプタがハングしてしまうのは仕方ないとしても、ルーターまで巻き込んでLAN全体が停止してしまうのは困りものです。

VoIPアダプタを買い直すのは悔しいので、いっそのことNTTの加入電話・ADSL・IP電話の全部を解約して、KDDIと契約しなおすことにしました。NTTに支払った工事費、契約料、ADSLモデム代金など合計1万数千円はすっかり無駄になってしまいますが、月々の支払いの差額2年分ぐらいで元が取れるでしょう。

ソフトバンクBB(ヤフーBB)のARPU(加入者一人あたりの平均支払額)は四千数百円にもなっているそうです。数年前にはADSLの価格破壊などと言ってしましたが、いつの間にか業界一高くなったと言ってもウソじゃないでしょう。これに加入電話の基本料金やら、ナンバーディスプレイの加算額など加えていくと、Bフレッツ+ひかり電話とさして変わらない値段になります。

ただ、光ファイバーにして「何をするの?」と聞かれると、答えに詰まります。男性だったらムフフな用途も、えへへな用途もあるのでしょうが、それで家族を説得するのは難しいだろうしね。


2008年06月08日(日) 氷室冴子死去

氷室冴子が亡くなっています。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0606/TKY200806060232.html

さすがに高校生の頃はコバルト文庫なんて恥ずかしくて読めませんでした。
が、大学生になって少女マンガを読むようになりました。当時週刊少女コミックに、氷室冴子原作で、藤田和子が『ライジング!』を連載していました。宝塚歌劇団付属とおぼしき音楽学校で、主人公が「娘役スター」を目指して成長していくというストーリーでした。それより少し前の時代の少年マンガ誌は、汗と涙と友情のスポーツ根性もの(略してスポ根)で溢れていたわけですが、藤田和子がこの作品で目指したものは「部隊根性もの」でした(がそこは少女マンガなので、汗と涙と「恋」なんですけど)。

少女マンガが読めるなら、コバルト文庫も読めるだろうと、何冊か買ってみたんですが、やっぱり恥ずかしくて読めませんでした。

実際には氷室冴子の小説は余り読んだことがありません。『なんて素敵にジャパネスク』とか『ざ・ちぇんじ!』などをコミックで読んだだけです。手元に『海がきこえる』の小説がおいてありますが、一度も読んでいません。努力して技巧を磨いた人だと言われますが、やはり才能の人だったように思います。

新しい炊飯器でご飯を炊き、親子丼を作りました。休みの日に子供たちのためによく作ってあげたメニューです。

今日は子供たちが、こちらに遊びに来ました(といっても宿題をやりに来たのですが)。子供たちは僕の住んでいる場所を知らないので、迎えに行かなければなりません。アパートの三階まで一気に上ると、体がしんどく感じました。毎日そこを上っていたときには気にならなかったのですが、体はすぐになまるものです。

呼び鈴を押すと子供たちがドアを開けてくれました。ドアが開いたので、猫(くぅ)が外に飛び出していこうとしたのですが、玄関に「見知らぬ人」が立っているのを発見して、どどどっと走って奥へ逃げ戻ってしまいました。おぃおぃ、くぅよ。ほんの二週間前まで猫缶をあげていた人の顔を忘れたのかね。
「ママは薬を飲んで寝ている」そうなので、何も言わずに子供を連れ出すことにしました。話は前の日にしてありますから。

長女からは、学校の自転車クラブの大会の話、放送委員の役割の話などを聞きました。次女は太ったと言っていましたが、たしかに痩せていたのが普通ぐらいになりました。食べられるようになったのではなく、ストレスで食べているだけなのかも知れません。人間関係で悩みながらも人間関係が豊富な長女。対人関係といえば対母親がメインで、それで困ると父親に泣きついていた次女。
さて、長女のほうはさっさと宿題を終わらせて、買っておいた『ちゃお』を読み、次に少年サンデーに取りかかっていくのですが、次女のほうは相変わらず集中力に欠け、宿題が終わらないうちに、お姉ちゃんが読み終わった『ちゃお』に手を出しているのでした。

衣類がだいぶ片づいてきたので、冬のコートなどを洗いました。
美術館の展示が終わったので、母の絵を受け取りに行き、実家まで届けました。豚のショウガ焼きをごちそうになっていると、母が「すこし肥えたかね」と尋ねてきました。確かにこの二週間で1〜2Kg体重が増えているに違いありません。けれど、体重計がないのでわからないのです。

来月は体重計を買おうか。いやいや、もっと先に買うべきものがあります。子供が来たのにテーブルもなく、宿題を引っ越しの段ボール箱の上でやらせてしまいました。折りたたみのテーブルのほうが先でしょうね。


2008年06月05日(木) 片づかない

服の入っている段ボール箱の整理に取りかかった途端に、物事が進まなくなってしまいました。

例えばワイシャツだけで三十数枚あるのです(もっとあるかも)。半袖長袖あわせてですが。

といっても、僕が着道楽というわけではありません。いつだってタンスの中に入っていたワイシャツは数枚だったのです。残りのものはすべて押し入れの段ボール箱の中などに保管(?)されていました。
だいたい、洗濯機に放り込んだ衣服が、干されて畳まれてタンスに帰ってくるという過程の中で、とっちらかった部屋の中のどこかに行方不明になってしまうような家にいたのです。だから、夏から冬へ、冬から夏へ季節が変わる中で、タンスの中にしまわれた服が出てこなくなったとしても、不思議ではありませんでした。

それが引っ越しの時に全部出てきて、今この狭い部屋の中に積まれています。そのほかの服も大なり小なり似たようなもので、半分ぐらいは捨てざるを得ません。中にはボロボロになって、なんでこんなのまで取っておいたんだろうと不思議に思うものもあります。

結婚当初、僕は今よりずっとお金がありませんでした。働いても貧乏な上に、貧乏だからこそ貯金をしようと夫婦で決めて、毎月積み立てをしていました。子供も生まれて、自分の服を買っている余裕などなく、襟のすり切れたシャツだとか、肘や膝の抜けた服を着ていました。勤めていた会社の社長が「まるでウチがまともな給料を払えてないみたいでみっともない」と叱られても平気で、逆にボロの服を着ているのが自慢なぐらいでした。それでもたまに服を買えば、やっぱりその新しい服がお気に入りになって、そればかり着るものだから、せっかくの新しい服もすぐに古びてしまうのでした。
(元)妻は二十代の頃の時代遅れの服を着てダサダサでした。義姉のところは三人娘なのですが、その「三人目のおねーちゃん」の着た服を、うちの長女のためにお下がりでもらって着せていました。だから次女なんて五人目のお下がりです。
それでも、増えていく通帳の残高が夫婦の共通のよろこびでした。もちろん、押し入れの中に余分な服があったりしませんでした。

しかし、時間を経るうちにそれが変質してしまいました。
妻が妻で「どこにしまったかわからないのよ。着る服がないのなら、今度の土曜日に買いに行きましょう」という妻になれば、ダンナはダンナで「それではいけない、もう一度頑張って探してみなさい」と諭すことのできないダンナになってしまっていたのです。残高はマイナスになりさえしなければいいやという具合に。

段ボール箱が欲しければ、スーパーの隅へ行けばいくらでもタダでもらえます。今回の引っ越しではサイズの揃った段ボール箱をわざわざ買ってきました。衣装ケースのかわりに使って押し入れに服を整理してしまっておくためです。
が、しまう前に洗濯しなければならない服が多すぎます。そして梅雨空が恨めしいのであります。

元妻のことはもう書くまいと思っていたのですが、ついついまた書いてしまいました。


2008年06月02日(月) 静かだ

現在のワンルームを選んだ際に、不動産屋さんから「静かで良いところですよ。まわりも独り者ばかりで気楽でしょうし」と言われました。重鉄骨の建物を選んだのも、隣室の住民の生活音に煩わされたくないし、こちらも夜中に気を遣いたくないという動機からでした。

しかし、静かすぎます。

前に住んでいたところは、線路がすぐ近くを通ってしました。田舎とはいえふたつの路線が重なっているので、特急電車や深夜の貨物列車など、いつも踏切の音が聞こえている環境でした。それに数百メートル離れたところに複数の国道があって、生活音の背景にはいつも外環境の音がありました。

現在のところは住宅地の真ん中です。小さめの家がぎっしり並んでいるようなところです。大家さんはもとはここに住んでいたのですが、もっと田舎に引っ越して、跡地にこのアパートを建てたようです。夜中も10時となれば、灯りがついている家のほうが珍しい。アパートの前の道は狭く、奥へ行くと袋小路になっているので、ここに用のない車は通りません。夜中にパソコンを使っていると換気ファンの音が気になり、ペンをカーペットの上に落とせば音が響きます。

隣室の住人の生活音はほとんど聞こえてきません。重鉄骨とはいえ、本格的なマンションとは違いますから、多少は音が響くはずなのに。これは皆が静かに暮らしているのか、防音性が十分で聞こえないのか。もちろん、表のドアをバタンと閉める音は聞こえますし、窓を開けていれば音が外を回り込んできますけど。ともかく、深夜に風呂の残り湯を使った洗濯はしないことにしました。ポンプの音が響くからです。気にしすぎなのかも知れませんが。

ともかく静かなところで、静かに暮らしています。ここ1〜2年ほど、5時間ぐらい寝ると目が覚めてしまって、もうそれ以上眠くても眠れないことが続いていました。四十代ともなれば眠りも浅くなるのだろう、と無理に自分を納得させていたのです。ところが今朝は「6時間寝たのに、まだ眠くてなかなか起きられない」という体験をしました。悪いことではありません。人間7時間寝ても8時間寝てもいいのですから。それだけ安心して眠れる環境だということなのでしょう。

そのまま眠って午前中遅れていこうかと思いました。僕はパートさんとはいえフレックス勤務なので、いつもならそれも可能です(早退も可、ただ給料は減る)。だが、今日は本年度の査定目標設定の上司面談がありますから、遅れるわけにはいきません。面談で言われることはいつもどおり、「納期厳守」とか「自分で仕事を作り出せ」とかですが、来年度から正社員に復帰できるよう頑張って下さいとも言われました。その先も中間管理職目指して階段を上れと言うのです(現場を離れるのは嫌だな)。期待される役割は大きく、担う責任は重い。僕は仕事に生きるタイプではないですが、普通にさらりーまんとしての働きをしたいと思うのです。
まあ来年のことは来年のこと。今は足下のことをするだけです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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