心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年04月20日(日) Jさんの物語(その10/おしまい)

さらに半年後(それはもう今年ですが)にJさんからメールが届きます。
まだ二人が別れていないとしても、僕には「こういう関係では、そのほうがありがちなこと」だと理解できてきた以上、驚くことはありませんでした。ちょうど、アル中さんのご家族からのメールが、半年後も「まだ飲み続けています」という話であるのが普遍的であるように。

AAで何年間か酒をやめた「彼」は、Jさんとの交際の中で酒を飲み出し、そして当然のように加速度的に悪くなって、悲惨な状態になっていました。メールには彼がJさんを思い通りに操ろうとした、あるいは支配しようとしたエピソードが多数うかがわれます。その行動が、彼のもともとの性格から来ているのか、それともボーダーの彼女に振り回された結果の反応なのか。あるいはアルコール乱用による精神の荒廃の結果なのか。止まらない暴力癖の一面なのか。僕には分かりません。

一方彼の言い分としては(それはJさんのメールを通してしか知れないのですが)彼女に「いままでどれほど譲歩し、負担に感じてきたか」と憤ります。そうして彼女を拒絶しながら、別の日には「すぐに来てほしい」と呼び出すのです。

そうした彼に対して、Jさんは、好かれるように、嫌われないように、捨てられることのにないように、懸命に努力してきたと主張します。しかしながら、ボーダーの人と接したことのある人ならご存じだと思いますが、接することで「まるでこちらが操作されているかのような」感覚を味わいます。ボーダーの人は決して人を操ろうなどと意図していないのでしょうが、結果としてその行動が人を操るかのような印象を与えます。しかもその操作の基準がころころと変わります。Jさんが、そのことを自覚していないのであれば、一切その記載がなくても不思議ではないはずです。邪推がすぎるでしょうか?

彼の態度はアルコール問題の否認へと変わり、Jさんは家族のグループに出たりしましたがなじめず、それでも共依存について考え出したところで、彼が仕事で遠方に行き、電話で彼女の家族まで激しく非難を始め、Jさんは「一時的にせよ別れます」という決断を下したのが現状です。

その後のメールのやりとりは、僕がこの件を雑記に書きたいとお願いし、許可をいただいたりする事務的なことが数通あるのみです。

摂食障害の人の約半数、薬物乱用者の半分以上はボーダー(BPD)だそうです。AAにもボーダーの女性は結構います(男性もいるけど女性ほど目立ちません)。彼女たちの評判は(飲んでいなくても)概して悪いものです。「何を考えているか分からない」「わがまま」「回復していない」「回復する気がない」などなど、ひどい言われようです。それは、アルコール依存症に対する理解のない世間が、飲んでいるアルコホーリクに浴びせる言葉とそっくりです。

改めて掲示板でこの件を取り上げたスレッドを読み、BPDにも12ステップが有効だという話を伺いました。確かにそうかも知れないと僕も思います。しかし、今の日本のAAにBPDの人をも回復させるしっかりしたステップが普遍的に存在しているのかどうか、あるいはアルコール以外の(BPDを含めた)メンタルな問題に対する理解や受容が広がっているのかどうか。そういう疑問には否と答えざるを得ません。
なにぶん問題に取り組むには、問題の存在を認めなくてはならないのですが、それを促す雰囲気は今のAAにはありません。これからオンラインでもリアルでも、いろいろなグループが出来ていくのでしょう。
AAはアルコールの問題専用ではあるものの、アルコールと他のメンタルな問題の両方を抱える人に対する理解は必要不可欠だと思います。

Jさんと彼の幸せを祈ります。それぞれ別の人生を歩くのが幸せへの道だと思うのですが、回復しなければ他の人を相手に同じことを繰り返すだけかもしれません。実はそれが二人にとって一番耐え難い未来予想図だったりして。

末筆になりましたが、Jさんに改めましてお礼申し上げます。ありがとうございました。お幸せに。


2008年04月19日(土) Jさんの物語(その9)

このときの僕からの返信は10日以上遅れています。

――――――

Jさん、ひいらぎです。

ずいぶん遅くなりました。

知り合いのあるアルコホーリクは、家を飛び出してアルコホーリクの彼女と暮らしだし、そして二人で飲んでいます。母は殴っても、彼女は殴らなかった彼もいまでは立派に彼女を殴っています。
それでも彼女は彼の元にとどまり続けています。彼を助けたいという一念で。

男がアルコールに取りつかれ、依存しているように、また暴力というパワー幻想に取りつかれ、依存しているように、女もまた「私ならいつか彼を助けられる、いま面倒を見られるのも私だけ」というパワー幻想に取りつかれ、依存しています。
男が酒をやめるためには、酒に対する敗北を認めなければならないように(暴力も同じ)女が男の元を去るためには、敗北を認めなければなりません。それをお互い嫌うのです。

ようするに、面倒を見る方も、酒を飲むのと同じ依存症の心理に陥っているのです。だから、アル中の家族のグループアラノンでは、AAと同じ12のステップを使います。

いかなる人間的力も、取りつかれ病んだ心を救済することはできず、それができるのは(その人の)神様だけ。

敗北を認めなさい。あなたに彼は救えないし、彼もあなたは救えない。
無力を知り、助けを求めなさい。

酒と暴力はイコールですから、そのことを忘れないように。進行性ですよ。

――――――

数日後のJさんからの返信は、彼への依存を認めつつも、やめられない心情を吐露しています。そしてまたまた半年経つのであります。


2008年04月18日(金) Jさんの物語(その8)

さて、彼と別れて、EAのミーティングに行ったという報告から半年後。Jさんから「めでたく私たちは本当のDVのカップルになったようです(笑)」というメールをいただきました。

(ああ、やっぱり)

それ以外の何の感想を持てるでしょう。

「殴る側の辛さの訴えをどう受け止めたらいいのでしょう」

暴力も、やめたいのにやめられない、ということではないでしょうか。自分自身に経験がないことですので知識でしか語れませんが、病的であることは確かです。

そして僕のかつての忠告を受け止めていなかったことを詫びる文面が続いていましたが、酒をやめられない人に「やめろ」と言ったのと同じことですから。

そして、これから彼とドライブに行くのだが、その誘いに従うことは、従わないことより若干安全だろうという言葉で結ばれていました。


2008年04月17日(木) Jさんの物語(その7)

慣れないことをしているので胃が痛い状況が毎日続いていて、もう体重を量るのも嫌になってきております。メールをいくつか頂いていますが、返信が遅れていてすみません。すこし余裕ができるまで時間をいただきます。

さて、Jさんの話の続きですが、この時期の僕もどたばたしていて、Jさんからもらったメールに一通一通まめに返信していません。なので、多少はしょる部分もあります・・・。

――――――

Jさん、ひいらぎです。

お酒の影響が完全に抜けるまでは、男性で3〜5年、女性で5〜7年はかかると言われています。女性のほうが長いのは、生理的な原因によると言う人もいます。
もちろん、医学的な検査の話ではないのですが、そう信じる人も多いのです。

あなたも彼も、男女のつきあいをするには、まだ早かった。
結論はそういうことではないでしょうか。
結果がそれを示していると思います。

あなたはあなたの道を歩めば良いのです。
診察室では、自分の行動を正直に伝えることをお勧めします。

それから、これは心からの忠言として申し上げますが、
「なにがあっても、よりは戻さないように」
であります。

仮によりが戻って、さらにつきあいが長く続いて、さらには結婚ということになったとしても、おそらく彼は「殴る夫」になり、あなたは「殴られる妻」になっただけのことでしょう。

神さまは、あなたに必要なものを与えてくれ、不要なものは取り去ってくれます。
あなたに彼は必要なかった。ということでしょう。

ひいらぎ

――――――

この時点で暴力があったか、という確認をしたのですが、彼からの暴力はもっぱら言葉によるだけで、わずかに顔を叩かれたことがあるものの、それは彼女の「殴って」「何でもして」という懇願によって行われたものだと返信がありました。
でも、女に殴ってと言われたって、普通殴れないもんじゃないか? と思うんですけどね。

さて、一週間後にJさんからまたメールがあり、自分を保つために意図的に忙しくしていたこと、冷静になって彼にメールしたものの、彼からの返事も冷静な別れの言葉だけだったことなどが告げられてありました。
そして初めてEAに行き、シェアリングから得るものがあった、という報告をいただいたあと、何もないまま半年経過したのでした。


2008年04月16日(水) Jさんの物語(その6)

さて親密だったはずのJさんと「彼」。
しかし彼は突然限界を越えてしまったかのように、Jさんに暴言を吐き、拒絶の態度を取るようになりました。彼女を置いて一人で帰ろうとする彼を、彼女は「帰らないで」と言って抱きつき、30分から1時間泣きわめいて止めたのです。

実はこうした事態は数ヶ月前にもあった、とJさんは告白します。だからその二の舞は避けたいと、彼の側は冷静を努めていました。ところがJさんほうは、「自分がとたんに幼児のようになり、『見捨てられる事がその瞬間死ぬ程の恐怖』に変わってしまったのだ」と言います。

その時彼女の頭の中には、ずっと以前に彼女が離婚を経験したときの混乱が再現されていたそうです。それでも彼は、Jさんを無理矢理引き離して帰って行くのでした。

AAメンバーでもある彼は、数年間飲まないでいる生活を維持していたのですが、Jさんとの交際を初めて数ヶ月後に再飲酒し、加速度的に悪くなって精神科に入院を勧められるほどになってしまいました。だから、彼の飲酒による心の荒廃が、この修羅場をもたらしたと考えることもできます。

ところが、飲んでいる彼との交際続行を希望するJさんのスタンスは、「そんな彼を助けてあげたい」という共依存的なものではなく、拒絶されても捨てられたくないというしがみつきです。

おそらくJさんにアルコール乱用の時期があったとしても、それは依存症ではなく、ボーダーの「自己破壊的行為」の一つにすぎなかったのではないか、という考え方もできます。

まあ、メールという狭い窓から覗いた風景で、全体を判断するのは誤りのもとかもしれません。しかしながら、二人とも男女のつきあいをするには回復が足りなかった・・ということは確かに言えると思います。

明日は、僕がこのときに返信したメールの内容です。


2008年04月15日(火) Jさんの物語(その5)

さて、Jさんは経済的に恵まれている人のようです。心が乱れているときにメールを書いているので文章に一部混乱はあるものの、基本的には知性の高さ、学歴の高さを感じさせる文面です。

僕が2通目のメールを送ってから1ヶ月半は、何も音沙汰がありませんでした。しかし、メールというものはいつだって前触れなく突然やってくるものです。

そのメールで彼女は、彼との関係に突然破局が訪れたことを告げていました。数日前までとても親密であったはずなのに、彼がいきなり我慢の限界を超えたかのように拒絶の態度を示し、Jさんに対して暴言の数々を投げつけたのでした。それだけならば、単純な男女の愛憎劇に過ぎなかったでしょう。

Jさんは知識のある人らしく、それに続いた自身の病的行動を「境界例」という言葉で説明していました。境界例とはすこしふるい言葉ですが、現在の境界性パーソナリティ障害(BPD)を含むすこし広い範囲を示す概念です。どちらもボーダーライン、あるいはボーダーと略されます。

ここでBPDとはどんなものか、簡単な説明を入れる必要があると思います。もちろん僕は素人に過ぎないので、説明が正しいとは限りませんので、鵜呑みにしないようにお願いします(と免罪符を張っておきます、話があれば掲示板へ)。

ボーダーの人の根底にあるのは、強烈な「見捨てられ不安」です。それは、人とどんなに親密な関係を築いても「必ず人は最後には私を見捨てるのだ」という根源的な不安です。研究者の本では、母親の養育態度に原因を求めています。
見捨てられ回避の行動として、相手が離れていきそうなときに、強烈にしがみつくという形は分かりやすいものです。別れが想像上のものに過ぎなかったとしても、相手を感情的に振り回すことで、わざと嫌われる行動を取り、「それだけのことをしたのだから捨てられて当然だ」と先手を取ることもあります。

他者を「良い人(味方)」と「悪い人(敵)」に分けてしまいがちなのも特徴です。同じ人が優しい態度を取ることもあれば、冷たい態度を取ることもある、とは理解されません。たとえ99回優しい態度を取ったにしても、最後に取った一つの冷たい態度によって「裏切り者」にされてしまったりします。そして別の機会には「良い人」に格上げされることもあるわけです。

自分の本当の姿を知られることを極度に恐れるのも、真実を知られたら皆から見捨てられ、誰も相手にしてもらえなくなる・・という恐怖からです。だから良い面を見せようと人に良く見られたい努力するものの、裏側では自分にはそれだけの価値がないと感じています。

強い怒り、コントロールを無くした怒りも特徴です。これは子供の頃、親の関心(愛)を自分に振り向けてもらうためには、一番強い感情である怒り(かんしゃく)を爆発させるしかなかったからだと解釈されています。この行動様式が大人になっても保たれ、人の関心を振り向けたい、優しくされたいときに、憎しみや怒りを相手にぶつけることによって、相手の罪悪感を呼び起こして目的を達成しようとするのだといいます。

「自分は幸せになる価値のない人間だ」という思い込みも強烈で、幸せな関係が続くと不安になり、自分からその幸せを壊すこともします。

ボーダーの人がこの特徴をすべて持っているわけではないでしょう。それはJさんについても言えることです。そして、non-BPDの人にも多かれ少なかれそうした傾向はあります。

ともあれ確かに言えることは、ボーダーの人と親密でいるのは大変だということです。さまざまに振り回されてへとへとになり、仕方なく距離を取るようになります。すると本人の見捨てられる不安はかき立てられ、さらに激しい態度で人を遠ざけて、例の絶望的確信をさらに強める結果となります。こうした行動は本人が望んでしていることではなく、子供の頃に身につけたパターンが捨てられないでいるのが原因なのです。親密な相手が、たまたま回復途上のアルコホーリクであった場合には、再飲酒を招いても不思議なことではないでしょう。

以前はボーダー(BPD)は治らないと言われました。しかし最近では、経験を積んだ精神科医やカウンセラーのもとで根気強く自分を変える努力をするとか、あるいは支持的で安定した配偶者との生活によって変わるとされています。一時期親密になって、あとで逃げ出すのは悪い関わり方なのです。

Jさんがボーダーだというのは自己診断に過ぎないのですが、こうした一般的な説明をふまえた上で、続きを読んで頂ければと思います。と言いつつ続きは明日なんですけど。


2008年04月14日(月) Jさんの物語(その4)

さて、僕からの2通目のメールは今から読むとピントを外しています。物質依存とプロセス依存に共通するものは何かという話をするはずなのに、一つの依存をやめて他の依存に走るという文脈になってしまっています。

――――――

ひいらぎです。

孤独感とか虚無感とかを、酒で埋めていた人が、酒を飲まなくなると、別のものでそれを埋めようとすることはあります。

よく見るのが仕事中毒です。あとは買い物依存、ギャンブル、恋愛、拒食過食、処方薬などなど。依存対象が変わっただけなんですがね。
この中にはある程度までなら必要不可欠なものもあります(買い物とか食事とか)。だから、アルコールのように100%避ければいいというわけにもいきません。

孤独感、虚無感やストレスは、誰にでもあるものですが、それがあまりにも強すぎ、それの癒し方が下手だということが、依存症者の根本の問題です。
ある人は、その状態をアダルトチルドレン(AC)という文脈で語るし、AAでは霊的な病気といったりします。宗教とか心理学にも、同じ問題を解決しようとしている部分もあります。

自立は目標であって、いきなり依存体質を止めて自立するのは無理だから、健全なもの(ハイヤー・パワー)に依存しなさいというのが、AAの知恵であります。
AAにいるアル中は、何か高尚なことをしようとしているのではなく、糖尿病患者がインシュリンを使うように、自分に必要な治療をしているに過ぎません。

僕も一人の回復途上のアル中に過ぎず、ただ人より多く苦しみや悩みを見聞きしてきただけの話です。

AAのハイヤー・パワーは my Higer Power とよく言います。自分専用の神様です。あなたには、あなたの Higher Power があって、その存在はあなたが生まれてからずっと、あなたを見守ってきたし、あなたのことを一番に愛しているのです。

精神科医の話を紹介しておきます。
http://www.h7.dion.ne.jp/~dansyuan/newpage117mizusawa.htm
終わりのほうに、酒以外のものへの依存の話がでています。

自立への道は、日々の作業であって、完成はありません。
でも、その道を歩くってことではないでしょうか。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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