心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年04月15日(火) Jさんの物語(その5)

さて、Jさんは経済的に恵まれている人のようです。心が乱れているときにメールを書いているので文章に一部混乱はあるものの、基本的には知性の高さ、学歴の高さを感じさせる文面です。

僕が2通目のメールを送ってから1ヶ月半は、何も音沙汰がありませんでした。しかし、メールというものはいつだって前触れなく突然やってくるものです。

そのメールで彼女は、彼との関係に突然破局が訪れたことを告げていました。数日前までとても親密であったはずなのに、彼がいきなり我慢の限界を超えたかのように拒絶の態度を示し、Jさんに対して暴言の数々を投げつけたのでした。それだけならば、単純な男女の愛憎劇に過ぎなかったでしょう。

Jさんは知識のある人らしく、それに続いた自身の病的行動を「境界例」という言葉で説明していました。境界例とはすこしふるい言葉ですが、現在の境界性パーソナリティ障害(BPD)を含むすこし広い範囲を示す概念です。どちらもボーダーライン、あるいはボーダーと略されます。

ここでBPDとはどんなものか、簡単な説明を入れる必要があると思います。もちろん僕は素人に過ぎないので、説明が正しいとは限りませんので、鵜呑みにしないようにお願いします(と免罪符を張っておきます、話があれば掲示板へ)。

ボーダーの人の根底にあるのは、強烈な「見捨てられ不安」です。それは、人とどんなに親密な関係を築いても「必ず人は最後には私を見捨てるのだ」という根源的な不安です。研究者の本では、母親の養育態度に原因を求めています。
見捨てられ回避の行動として、相手が離れていきそうなときに、強烈にしがみつくという形は分かりやすいものです。別れが想像上のものに過ぎなかったとしても、相手を感情的に振り回すことで、わざと嫌われる行動を取り、「それだけのことをしたのだから捨てられて当然だ」と先手を取ることもあります。

他者を「良い人(味方)」と「悪い人(敵)」に分けてしまいがちなのも特徴です。同じ人が優しい態度を取ることもあれば、冷たい態度を取ることもある、とは理解されません。たとえ99回優しい態度を取ったにしても、最後に取った一つの冷たい態度によって「裏切り者」にされてしまったりします。そして別の機会には「良い人」に格上げされることもあるわけです。

自分の本当の姿を知られることを極度に恐れるのも、真実を知られたら皆から見捨てられ、誰も相手にしてもらえなくなる・・という恐怖からです。だから良い面を見せようと人に良く見られたい努力するものの、裏側では自分にはそれだけの価値がないと感じています。

強い怒り、コントロールを無くした怒りも特徴です。これは子供の頃、親の関心(愛)を自分に振り向けてもらうためには、一番強い感情である怒り(かんしゃく)を爆発させるしかなかったからだと解釈されています。この行動様式が大人になっても保たれ、人の関心を振り向けたい、優しくされたいときに、憎しみや怒りを相手にぶつけることによって、相手の罪悪感を呼び起こして目的を達成しようとするのだといいます。

「自分は幸せになる価値のない人間だ」という思い込みも強烈で、幸せな関係が続くと不安になり、自分からその幸せを壊すこともします。

ボーダーの人がこの特徴をすべて持っているわけではないでしょう。それはJさんについても言えることです。そして、non-BPDの人にも多かれ少なかれそうした傾向はあります。

ともあれ確かに言えることは、ボーダーの人と親密でいるのは大変だということです。さまざまに振り回されてへとへとになり、仕方なく距離を取るようになります。すると本人の見捨てられる不安はかき立てられ、さらに激しい態度で人を遠ざけて、例の絶望的確信をさらに強める結果となります。こうした行動は本人が望んでしていることではなく、子供の頃に身につけたパターンが捨てられないでいるのが原因なのです。親密な相手が、たまたま回復途上のアルコホーリクであった場合には、再飲酒を招いても不思議なことではないでしょう。

以前はボーダー(BPD)は治らないと言われました。しかし最近では、経験を積んだ精神科医やカウンセラーのもとで根気強く自分を変える努力をするとか、あるいは支持的で安定した配偶者との生活によって変わるとされています。一時期親密になって、あとで逃げ出すのは悪い関わり方なのです。

Jさんがボーダーだというのは自己診断に過ぎないのですが、こうした一般的な説明をふまえた上で、続きを読んで頂ければと思います。と言いつつ続きは明日なんですけど。


2008年04月14日(月) Jさんの物語(その4)

さて、僕からの2通目のメールは今から読むとピントを外しています。物質依存とプロセス依存に共通するものは何かという話をするはずなのに、一つの依存をやめて他の依存に走るという文脈になってしまっています。

――――――

ひいらぎです。

孤独感とか虚無感とかを、酒で埋めていた人が、酒を飲まなくなると、別のものでそれを埋めようとすることはあります。

よく見るのが仕事中毒です。あとは買い物依存、ギャンブル、恋愛、拒食過食、処方薬などなど。依存対象が変わっただけなんですがね。
この中にはある程度までなら必要不可欠なものもあります(買い物とか食事とか)。だから、アルコールのように100%避ければいいというわけにもいきません。

孤独感、虚無感やストレスは、誰にでもあるものですが、それがあまりにも強すぎ、それの癒し方が下手だということが、依存症者の根本の問題です。
ある人は、その状態をアダルトチルドレン(AC)という文脈で語るし、AAでは霊的な病気といったりします。宗教とか心理学にも、同じ問題を解決しようとしている部分もあります。

自立は目標であって、いきなり依存体質を止めて自立するのは無理だから、健全なもの(ハイヤー・パワー)に依存しなさいというのが、AAの知恵であります。
AAにいるアル中は、何か高尚なことをしようとしているのではなく、糖尿病患者がインシュリンを使うように、自分に必要な治療をしているに過ぎません。

僕も一人の回復途上のアル中に過ぎず、ただ人より多く苦しみや悩みを見聞きしてきただけの話です。

AAのハイヤー・パワーは my Higer Power とよく言います。自分専用の神様です。あなたには、あなたの Higher Power があって、その存在はあなたが生まれてからずっと、あなたを見守ってきたし、あなたのことを一番に愛しているのです。

精神科医の話を紹介しておきます。
http://www.h7.dion.ne.jp/~dansyuan/newpage117mizusawa.htm
終わりのほうに、酒以外のものへの依存の話がでています。

自立への道は、日々の作業であって、完成はありません。
でも、その道を歩くってことではないでしょうか。


2008年04月13日(日) Jさんの物語(その3)

さて、最初のメールは彼の行動に一抹の「奇妙さ」を感じながらも、Jさんが「アルコホーリク候補生」である前提で書いたものでした。

しかし、その後の彼女の返信は、彼女がアルコールを手放せないことをキッパリ否定する内容でした。AAメンバーである彼と過ごす時間は、酒なしであることが当たり前で、自分一人の時も自然に数日飲まないことはある、と彼女は書いてきました。

「アルコールに問題がないのならば、では何が問題なのか」と疑問に思った僕は、返信をしないでいるうちに、Jさんの次のメールが届きました。

そこには、人が薬物や飲酒などの物質的なものに依存するのと同じように、Jさん自身が「彼」に依存していることが告白されていました。そして、その「堂々巡り」からの脱出には二種類のジリツ、「自律(依存対象へのコントロール)と自立(他者からの精神的自立)」が必要だと考えているとも書かれていました。

彼女にとってアルコールは些末な問題であり、彼との関係のほうがずっと重要だ、という言葉を信じるとするならば、逆にいくつかの疑問が僕の心に浮かんできました。

なぜ「彼」は、Jさんの飲酒をことさら大げさに取り上げ、指弾したのか。何年もAAにいた彼でであるならば、彼女の飲酒に問題がないことは理解していたはずで、そうした根拠のない「ゆさぶり」をしかけねばならないほど、この男女関係は殺伐としたものなのであろうか。

であるのに、このカップルの間には強烈な引力が働いていて、お互い離れがたく感じているように感じられる。しかしそれが平穏な関係ならば、決して彼女はそれを「堂々巡り」とは表現しないであろうこと。

そして彼からの「ゆさぶり」に対し、彼女は怒りを覚えているようであるが、同時にそれが別れ(彼から見捨てられる)の原因になることを恐れているような印象が感じられる。しかし、関係を揺さぶっているのが彼の側だけとは考えにくい。

まあ、短いメール数通から、これらのことを鮮明に描き出したわけではありませんが、なんとなくそんなイメージを持ちました。激震の時期と(おそらく短い)和解の時期が繰り返される男女関係。それを「恋愛依存」と呼んでいいのかどうか。依存対象が物質でなく、プロセスになっているだけの違いで説明できるのか。

いずれにせよ、Jさんがアルコールに問題がないと確定したわけでもないので、物質依存・プロセス依存両者に共通するような事柄を書いた、あたりさわりのない返信をしたためることにしました。

その内容はまた明日。


2008年04月10日(木) Jさんの物語(その2)

さて昨日の続き、以下は僕からJさんにあてて最初に出した返信(一部抜粋)です。

  ――――――――

ひいらぎです。

返信が遅くなりましたことを、まずお詫びします。

たとえば嗜好品のことを考えます。
チョコレートが大好きだという人のことを考えてみましょう。
毎日チョコレートがないと気が済まないという。
けれど、運悪く内臓の病気になって、医者からチョコレートを食べることを禁止されたとします。
哀れなその人は、大好きなチョコレートを諦めねばなりません。
あなたは、この人の立場をどう思いますか?

チョコレートぐらいなくたって、生きていけるのです。
チョコレートがないと、ちょっと淋しい、あるいはとっても淋しいけれど、生きていけるのです。
それが「嗜好品」です。

でも、依存症の人の対象物は、嗜好品とは違います。それがないと生きていけないぐらい思い詰める。あるいは、諦められるけれど、それが辛くて辛くて仕方ない。
やっと、諦めても、またそこへ舞い戻るのです。

僕は医者じゃないので、あなたが依存症なのかは診断できません。

ただ、気にかかることがあります。
あなたは、飲酒には、他に原因があって、それによる心の悩みとか辛さを癒してくれる道具として酒を使っているのじゃないですか?
そして、それが嗜好品ではなく、毎日なくてはならない「生活必需品」になっているのではないですか?
もし、大災害が起きて、辛い生活の中で何ヶ月も酒なしで生き延びることになったら、悪夢のようだと感じませんか?
そういう飲酒はとても危険なんです。

あなたが抱えている問題が何なのかは分かりませんが、心を酒で癒すのはやめるべきです。
おっしゃるとおり平日はビール一本、週末二日は完全に禁酒するということが、できるのだったら、僕はあまり心配しません。でもたぶん、あなたは週末二日を完全に禁酒することはできないでしょうし、毎日ビール一本では足りなくなるでしょう。

それと、もしあなたが「彼を選ぶか、チョコレートを選ぶか」をせまられたら、チョコレートを捨てて、彼を選ぶでしょう。けれど、あなたは「彼か、酒か」で悩んでいる。それはどうしてでしょう。

(中略)

僕は、あなたがAAに入るべきだとは思いません(少なくとも現時点では)。
だけれども、酒をやめられるのなら、やめるべきだと思います。
やめるのが無理なら、(たとえば週末二日は飲まないように)酒をコントロールすることを試してみるべきです。
そして、コントロールできなかったら、医者の判断を仰ぐことをお勧めします。

(中略)

あなたが酒をやめても、あなたは何も失うものはないのですよ。

ひいらぎ


2008年04月09日(水) Jさんの物語(その1)

こうやってWebをやっていると、見ず知らずの僕にメールで相談事を持ちかけてくる人がいます。たいていは飲酒中の人に巻き込まれて困っている人です。内容は深刻なものが多いのですが、メールの往復は2〜3回で終わるのが通例です。話を聞いてもらうだけである程度の満足を得て、具体的な行動を起こすところまでなかなかいかないのだと思います。

そういえば、ある精神病院の看護師長さんが、「家族の方がよく病院まで相談に見えるけれど、ほうぼうあたった挙げ句に、ようやく悩み事を理解して聞いてもらうことができた、というだけで力尽きてしまう、満足されてしまって、その後の行動が続かないパターンばかりだ」とおっしゃってました。

基本的に問題を起こしているのは飲んでいる本人ですから、なぜ巻き込まれている側の人間が、慣れないことを始めなくちゃならないんだ、という憤りの気持ちは今の僕にはよく分かります。困ってはいても、困っているなりに問題が安定してしまっているのです。

Jさんとも、そんなふうにメールの往復が始まったのですが、珍しく1年半もの長きにわたって、散発的にやりとりが続いています。雑記も書くネタに苦労しているので、雑記に書いてもいいかと尋ねたら許可をいただきました。数回に分けてやりとりを書いていきたいと思います。

もちろん相手のプライバシーにも配慮しなければならないので、内容は僕側から送ったメールが主になるでしょう。

Jさん(女性)は断酒中の彼との交際中。彼はAAに通い、数年飲まない生活を続けていました。最近二人の仲がギクシャクしだしたのは、Jさんの飲酒が原因なのだと彼は主張します。Jさん自身は適正飲酒だと思っているものの、彼は彼女をアルコホーリクと決めつけ、AAミーティングに通い酒をやめなければ、いずれ精神病院か刑務所か墓場に入るくだり一方のエスカレーターに乗っていると主張するのでした。そして、Jさんが今度飲酒でトラブルを起こしたら、彼は別れると宣言したのです。
Jさんの疑問は「AAとは、本人だけでなく周りの人にも断酒を勧めるところなのか」というものでした。

僕は、彼の主張にも「奇妙さ」を感じていましたが、Jさん自身の「酒で苦しんでいないのに、なぜ酒をやめなければならないのか」という疑問に焦点を当てて返信を書きました。

ひいらぎからの返信は次回(たぶん明日)。


2008年04月08日(火) ナルシスト

えーと、昨年度末の有給残が14日、新年度支給が10日で、合計24日のはずなのだが・・もう22日に減っているのはなぜだ?

さて、僕はナルシストです。

ナルシストというのは、「俺ってかっこいい」とか「私ってキレイ」と思っている人のことだけを指すのではありません。心の問題、精神的なナルシストというのもあるのです。

自分を美しいと思うナルシストは薄化粧です。濃い化粧で自分の美しさを消してしまったらつまらないですからね。同じように、心のナルシストも心の化粧を拒みます。
心の化粧というのは表現が変ですが、心のヨロイと言ったらいいでしょうか。

心のナルシストになりきれない人は、自分の心の醜さ汚さを隠そうと、心にヨロイをつけます。ヨロイで心の醜い部分を隠し、ヨロイの強さを身につけることで、ようやく人と対等になれる自信を身につけるわけです。
ところが心のナルシストには、ヨロイは必要ありません。もちろん、自分の心にも、汚さ弱さがあることは承知していますが、別にそれを隠さなくても、ヨロイなしの生身のココロで勝負になると踏んでいるからです。

だから、自分の汚さ弱さを人に見せてしまっても(かなり)平気です。「それで僕のことを好きになるも嫌いになるも、あなたの勝手です」と、相手に下駄を預けてしまいます。それで相手が傷つくかもしれない、とはなかなか考えないわけです。ナルシストは自分のことで手一杯で、人に対する思いやりがありません。

ところが、相手との関係によっては「そのことは黙っていて欲しかった」と言われてしまうことだってあるわけです。別に苦しさを吐き出すことで楽になろうするのじゃなくて、さらけ出すのが一種の習性みたいなものなんですけど、相手にしてみれば違いはありません。

だから、やはりナルシストはやめて、思いやりを持たねばならないな、と思うのですが、努力はすれども人はなかなか変われません。それでも、日々「無用なことは沈黙する」という努力は続けているわけですが。


2008年04月07日(月) ニュース検索分割

ニュース検索ですが、
http://www.ieji.org/journal.shtml
最近は依存症関係のニュースも増えたため、ページがとても長くなってしまいました。二百数十キロバイトもあったりします。

そこで、雑記の下には最新72時間以内のニュースのみを載せ、「アルコール依存」・「薬物依存」・「ギャンブル依存」・「摂食障害」のページは、それぞれ別に設けました。
http://www.ieji.org/misc/news-al.shtml
http://www.ieji.org/misc/news-drug.shtml
http://www.ieji.org/misc/news-gamble.shtml
http://www.ieji.org/misc/news-eat.shtml


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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