心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2008年04月04日(金) 新グループ

いつかはアクセス数500をと思っていましたが、まさかこんなネタで突破してしまうとは・・。やはり他人の不幸はなんとやらでしょうか。そういえば、たまちゃんのところも、オットォ!(・o・ノ)ノ〜のご乱行ネタだとアクセス数が増えるのだとか。

妻の回復を引き出すべく本気で動き出すのか、それとも「もういい加減にしてくれ」ということにするのか、こればっかりは人生の選択として自分で決めねばなりません。そんなことに悩まなくても、変化を望まなければ、だいたい同じような毎日が続いていってしまうわけで、それが「ぬるま湯の不幸」というものでありましょう。
そもそも自分が何を望み、何を目標とし、何を動機としていくのか。それを明らかにするためにも専門家(カウンセラー)の手を借りる必要があるのでしょう。でも、今は忙しいから、それは来月からにしようかな、とか言うのは「明日から酒をやめるアル中の論理」と同じですな。

さてさて、暗い話はおいといて、新しいAAグループが始まりました。
まだミーティングが始まっただけで、地区やオフィスには登録してありません。次回の地区委員会まで無事にミーティングが続いていたら、登録することになるでしょう。
すでにあるグループは形が定まっていて、それを変えていくのは大変なことです。そして変えようとすることが常に正しい方向とも限りません。しかしながら、新しいグループというのはまだ形がないので、いかようにも自由に形を作っていけます。それが新しいグループの魅力でもあります。

数年ぶりに長野に帰ってきた仲間と一緒にやるのですが、その仲間が地元に落ち着くまで1年間ほど期間をおいたらどうかという意見はずいぶんありました。それを急かせたのは、彼の持っている情熱とも無謀ともつかないものが「落ち着いて」しまったら、新しいグループの意味が薄れてしまうからでもあります。僕はその情熱を支える役割をしていこうと思ったのですが、ここ1〜2ヶ月の準備段階を振り返ってみれば「足をひっぱてんじゃねーよ」と言われても仕方ありません。反省。

ともかく新しい会場には今夜12人の参加者がありました。AAでは吉兆の数字であります。このグループが神さまに愛されて続くのかどうか、それは今から心配しても始まりません。正式なAAグループとは何を示すのか、僕には分かりませんが、ともかく1ヶ月あまりに及んだ、僕のホームグループなしの状態は解消されました。

3月はドタバタしていたおかげで、「月末まで」の仕事が4月にはみ出しています。というわけで明日も仕事です。

「おしつぶされそうな、むずかしいときにも、生きる喜びはある」


2008年04月02日(水) 12の伝統

今夜中に出荷コードを出さなければならないので、会社で徹夜になるかと思ったのですが、お客さんから来週頭でいいよと連絡をもらったので、8時過ぎに仕事を切り上げてAAミーティングに行くことにしました。
ビッグブックミーティングで「12の伝統」のところ。最後に余った15分を二人でシェアしました。

アメリカで始まったばかりの頃のAAは二つの大きな不安があったと書かれています。ひとつはメンバーの再飲酒(これは当然ですね)。そして、当時のAAは本人も家族も一緒にやっていたので、しばしば三角関係が起こり、それがグループを破壊するのではないかという不安が二つめです。けれど、AAでのセックスの問題は、他の社会集団以上に深刻ではないことが次第に明らかになっていきます。

もっと深刻な問題は、権力や支配、そして金銭の問題です。だから、12の伝統はおもにこちらを扱っています。

AAメンバーは全員が平等だと言っても、人間はどこでも上下関係(序列)を作りたがる物です。ソブラエティの長さなんて、ただひとより早くAAにつながったというだけで、人間的優秀を示す基準ではないのですが、ソーバーの長い人間が偉いということになりがちです。

グループのビジネスミーティングで決めごとをするときに、意見を決めかねると、なんとなく皆が顔色をうかがう人がいます。それはグループの長老と言われるような人たちです。鶴の一言によって、意見が雪崩を打ったように変わってしまうこともあります。劣勢に立たされた側が、長老の意見によって優勢に早変わりとか。

本当の長老とは、余計な口を差し挟まず、グループの皆が「間違える経験を積む権利」を行使するに任せ、事態の推移を辛抱強く待ち、本当に危なくなったときだけ適切な助言をするために静かに待っている人のことです。

ところが人間とは弱いもので、「皆のために良かれ」「新しくつながる仲間のために」といいながら、トラブルの芽を摘んでいきます。転ばないように大事に育てられた子供は、転ぶことに弱く、起きあがれなくなると言います。AAグループでも「自分たちで間違える経験」を積まなかったグループは、「死にかけの執事」が去った途端に崩壊の危機にさらされます。

先ゆく仲間の責任とは、自分がいなくなっても、後から来た人たちが自分たちでやっていけるようにすることではないでしょうか。伝統12の言う「本当の謙遜」とは、なかなか難しいものであります。


2008年04月01日(火) 幻の姉

僕と兄とは6才離れています。実は2才年上の姉が存在するはずでした。が、生まれてすぐに亡くなってしまいました。その後に僕が生まれることになったのですが、姉が順調に成長していれば、僕は存在しないはずの子供で「幻の姉の代わり」でした。

農家ですから、男手が多いのは喜ばれますが、女の子だって必要です。かあちゃん、ばあちゃんが野良仕事から疲れて帰ってきた後で、家事の手伝いをしてくれる子がいれば楽です。

そんなこともあって、小学校時代の僕は「お前は女の子の代わりだから」と言われながら、食事の準備やかたづけ、掃除や、風呂の火の番などをさせられていました。今の時代であれば、男の子がこれぐらいの家の手伝いをしてもおかしくないかもしれません。けれど、当時の農村ではそれは明確に女性の役割でした。比べられる対象も、従兄弟ではなく、従姉妹たちでした。
僕は「女の子の代わり」であることに大きな疑問も持たず、「優しい子になれかし」という周囲の期待に応えるのが当たり前だと思っていました。まあ、別の女装させられたわけでもないし、不都合はなかったのです。
ただ、心の中では「生きているのは幻の姉ではなく、次男の僕なんだ」という強い思いがあり、それが時にはわがままな行動として噴出しました。「6才も離れていれば、兄弟ではなく一人っ子が二人のようなものだ」と母がよく言っていました。

中学生になって人間関係が変わると、僕はいじめられるようになりました。それは現代の小中学校にあるイジメのような残酷なものではなかったにせよ、僕は毎日くらい顔をして過ごすようになりました。それを見た両親は話し合った結果、「これからお前は男らしく強くなりなさい」と養育方針を変えました。

しかし、いきなり男らしくと言われてできるものではありません。体力や気力が人より優れないと知るや、お前は頭が良さそうだから一生懸命勉強しなさいということになりました。それは親の愛には違いないのでしょうが、問題のすり替えにしか過ぎず、問題は僕の中に温存されました。

アルコール依存症のパーソナリティ特性の研究では、自己愛性パーソナリティ障害が必ず挙がります。また性同一性について問題の指摘する報告もあります。僕はどっちもど真ん中なわけです。

男らしく強くと言われてもしんどいし、じゃあ女として暮らせてと言われても困るし。わがままを抱えながら優しいフリをする男をやるのが精一杯という感じです。


2008年03月30日(日) むずかしいときにも

毎年その年のテーマを決めています。
昨年一年は Keep It Simple でした。その指針どおり生きることが単純になったかと言えば、全然そんなことはなかったわけですが、まあ一応目標は掲げておかないといけません。
今年は「おしつぶされそうな、むずかしいときにも、生きる喜びはある」p.23
The joy of living we really have, even under pressure and difficulty.

安楽を人生の目的にしてしまえば、それが叶わないときには生きる喜びが失われます。

さて、人が変わろうと努力するときに、どのように変わりたいかという目標は大事であるように思います。たとえば、酒を飲んで苦しんでいても、酒をやめる行動を取れるとは限りません。酒をやめた自分という目標像をまず設定して、その目標に向かって努力するから、人は変わる努力ができるのだと思います。
何度も酒をやめることを失敗していると、酒をやめた自分の姿が想像できなくなり、それに向かった努力も虚しく感じられるだけです。だから、飲み続けている自分の悲惨な現状と、酒をやめた理想像とのギャップを明らかにして意識させてあげれば、人はおのずと変わりたいと思ってギャップを乗り越える努力を始めてくれるものだ、という考え方に僕も賛成です。

自助グループというのは、酒をやめた人間という一つの理想の像を提供することで、そこへやってきた人がその像を自分自身に投影するチャンスを与える場所になっているのではないでしょうか。

話が逸れました。

さて、どのように変わりたいのか自分でも分からない。変わった自分の姿が想像できない。そういう重苦しい局面が人生にはあります。そんな時にも、きっと「生きる喜び」はあるのだと思います。それは快晴の空の下のようなスカッとした喜びではないかもしれませんが、重く垂れた雨雲しか見えなくても、その上の太陽の存在を感じることに似ていると思います。

ま、しょうがねぇよ。


2008年03月28日(金) 孤独か衝突か

人間関係の悩みを解決する一つの方法は、孤独を選ぶことです。
そもそも人間関係がなければ、それで傷つくこともありません。
だから人は、アパートの一室に、あるいは二階の自分の部屋に、引きこもってみたりするわけです。

僕も飲んでいた頃は非常に孤独でした。自分で選んだ孤独なのですが、一方で淋しい気持ちも強く、誰かと親しくなりたいと思っていました。けれど、誰もこんな自分とは本当の意味で親しくなりたくないのではないか、と恐れていました。
孤独な人間にとって、自分から親しさを求めて拒否されることほど恐ろしいことはありません。だから、単調な孤独が続くほうを選んでしまいます。
実際には、自分が他者と親しくなるのを拒否しているだけなのですが、それを自分の落ち度として認めたくはありませんから、相手に「私とは親しくなりたくない」という責任転嫁しているのです。

どんなに親しい人であっても、いつも思い通りに動いてくれるとは限りません。どんなに信頼した人であっても、裏切られることはあります。人間関係を持てば、傷つくこと(傷つけられること)があるのは避けられません。
それでも多くの人たちは、孤独よりは、人間関係の悩みを選びます。

つまるところ、絶え間のない孤独か、それとも人間関係の悩みか、そのどちらかしか選びようがないのでしょう。時には出入りの少ない人間関係の中で、波風の少ない安定した状態が続くことがあり、孤独ではないが悩みもない平穏が続くこともあります。しかし、人はわがままなものですから、いつかはその平安も破綻します。

実は孤独であっても人間関係の悩みが無くなるわけでもなく、自分を拒否している(親しくしてくれない、思うようにしてくれない)誰かを恨むことは避けられません。だとすれば、わがままな自分とわがままな相手が付き合って、傷つけあっても孤独よりはましだと思うのです。


2008年03月27日(木) 副作用

僕は遷延性うつ病を患っていて、向精神薬を飲み続けているAAメンバーです。
そうしたことを明らかにしているAAメンバーは少ないので、今日は薬の副作用の話をしてみたいと思います。

どんな薬にも副作用はあります。副作用のない薬なんて無いと言っても過言ではありません。

向精神薬全般に言われる副作用は、めまい、ふらつき、吐き気、だるさ、口の渇き(による口臭)などが主ですが、他にもいろいろあります。副作用は必ず出るとは限りません。100人同じ薬を飲んでいても10人にしか出ないとか、一人とか、あるいは千人に一人とか。

新しい世代の抗うつ薬(SSRI/SNRI)は、副作用が少ないのが特徴です。けれど、まったくないわけじゃないし、古い世代の薬と違って現場で使われた経験が蓄積されていません。

以前飲んでいたパキシルという薬は、下半身に影響が出ました。専門用語で言えばオルガズム機能不全、平たく言えば遅漏です。頑張っているのに、なかなかイかない。これは不満がたまります。最初は、どうしてこうなったのか戸惑いましたが、やはり同じように薬を飲んでいる仲間と話したとき「おー、なんだお前もかよ」と肩をたたき合った覚えがあります。それから、医者に相談したところ「少ないながらも報告がある。臨床試験でも、こうした症状の申告がでてきづらいから、実際にはもっと多いのかもしれない」という話でした。
インポや早漏の人から見ればうらやましい状態なのかもしれませんが、これはこれでストレスの元ですし、セックスパートナーにとっては負担になります。もちろん、同じ薬を飲む全員に出る症状ではなく、少数派でしょう。そして、そんなことは気にならない人もいるでしょう。ですが、僕の場合にはクォリティ・オブ・ライフをかなり下げる副作用でした。
女性でも同じようにオルガズム機能不全が出るようで、相手の男性にかなりの「がっくり感」を与えるんだよと聞いたことがあります。それはとてもよく分かるよ。

その後、トレドミンというSNRIに変えたのですが、こちらは「胸が締め付けられるような不安感」という副作用が出ました。これもなかなか辛いものがあります。ちょっとしたことで、なんでこんな強い不安感に悩まねばならないのかと。それでパキシルに戻したこともあったのですが、今はトレドミンを飲んでいます。

オルガズム機能不全と強い不安感を天秤にかけた結果、「胸が締め付けられるような不安感」のほうがまだマシだと思ったのです。不安感も、これが薬の副作用だと分かっていれば、受け入れやすいものですから。

だから、薬は怖いものだという印象をあたえたいわけではありません。きちんと医者とコミュニケーションを取って、副作用に対処していくことが大切だと言いたいのです。必要な薬を勝手にやめてしまったり、あるいは欲しい薬を何でも出してくれる町医者や、自己処方での売薬の長期連用、いずれも薬のトラブルへの入り口です。


2008年03月26日(水) ちょっと長い話

父が死んだ葬式の席。僕は前の晩まで飲んでいた酒の離脱症状に苦しんでいました。かすかに震える手で、集まった人々に酒を注いで回りながら、僕は酒を飲みたくてたまりませんでした。家の中の人目につかないところで一杯飲もうと思うのですが、田舎の葬式は、親戚やら近所の人やらで家中人だらけになってしまいます。
斎場で父のお骨を拾うとき、母は顔をぐしゃぐしゃにして泣いていました。けれど僕は悲しいという気持ちよりも、早くこれを終わらせて精進上げの席で一杯飲めないものだろうか、と考えていました。

翌日医者に行って薬を出してもらい、一時的に酒をやめました。
3週間後は自分の結婚式でした。僕は乾杯のシャンパンから飲み始めました。皆の顔には、咎める気持ちと、仕方ないかという諦めの気持ちの両方が浮かんでいました。そしてそのまま新婚旅行に行ったのですが、当然僕の酒は加速度的に増え、旅の後半には、僕はすこし酒が切れただけで離脱症状に悩まされる状態に逆戻りしていました。
その国のデパートはもう全館禁煙が当然でした。真夏の炎天下、デパートの外でタバコを吸いながら、僕は暑さとは違う理由で吹き出る汗をかきながら、酒の自動販売機のないその国の制度を恨んでいました。新婚の妻など放り出して、その街のどこかへ酒を飲みに消えてしまい気持ちで一杯でした。

親の死の時は、人生最悪の時の一つでしょう。でもその時僕の心を占めていたのは、酒を飲みたいという渇望だけでした。新婚旅行なんて、人生最良の時の一つでしょう。でも僕はやっぱり飲みたい気持ちに支配されていました。底に当たりつつあったのです。

AAに来て、ミーティングに通い続け、仲間に会い続けて、僕の酒は止まりました。僕はAAで酒をやめ続ければ、だんだん自分に自信がついてくるものだと思っていました。酒さえやめれば、それなりに立派な人間に戻れるのだと。けれど、正直になるにつれ、自分は自分で思っているほど立派な人間ではなく、本当の自分は醜く弱い存在だと分かってきました。だからこそ、生きていくためにアルコールが必要だったのです。自分はアルコールが入っている状態が「自然な状態」だったのです。だから、いつもその「自然な状態」に戻りたがっている自分がいました。いつも再飲酒は目前でした。

ある時、経験の長いAAメンバーに、信用できるAAメンバーと、信用できないメンバーをどうやって見わけるかという質問をしました。その人は、いつも「ミーティングに出続け、仲間に会い続けることが大切だ」と説き、それを実践していました。だから当然、そういう活動を一生懸命やっている人が信用できるメンバーだ、という答えが返ってくるものだとばかり思っていました。
ところが彼の答えは違いました。「ハイヤー・パワーを信じている、神を信じている人は信用できる」。普段神という言葉を使わない人だけに、僕は驚き、「やっぱりAAってそれが本質なんだ」と思い知らされました。

僕は自分が頭がいいと思っていました。うぬぼれですな。もし神さまがいるなら、僕は神さまと同じぐらい頭がいい。だから神さまの考えることは、自分にも分かるはずだと思っていました。
ところが、世の中には悲惨なことや、理不尽なことがたくさん起こります。もし、善意の神さまがいて、皆のことを考えながら運命を操っているのなら、そんな辛く悲しいことが起こるはずがありません。ところが、ニュースは悲惨な事件ばかり報じ、自分の回りにも、自分自身にも、辛いことはいっぱい起こります。
これで神さまがいないことが証明できるではないか、と思っていました。

今は、単純に、自分は神さまほど頭が良くない事実を受け入れています。
生きていればいろいろ辛いことは起こります。僕も辛いことは嫌だし、楽しいことが好きです。けれど、やはり辛いことは起きます。それがたとえ僕の目には何のメリットも何の意味も感じられない出来事であったとしても、僕を含む世界を司っている神さまの目から見れば、きちんと意味があるはずだと、今は信じられるようになりました。ただ、小さな僕にはその意味が分からないだけなのだと。

こうして僕の人生にも、なにがしかの意味が与えられました。無軌道に、無目的に進んでいた僕の人生にも、目的が与えられました。その目的というのは、あんまり自分でこだわって考えなくてもいいことが分かりました。ようやくアルコールが不要な生き方が始まったように感じています。

長いこと闘病生活を送っていた仲間が亡くなりました。彼は「生きる喜びを伝えなければならない」と言っていました。「新しい仲間が、私たちの生き方に何の喜びも楽しみも見つけられなければ、彼らは私たちのように生きることを望むはずがない」と本にあります。なるほど、経済的に恵まれること、健康に恵まれること、高潔な人物であること、人から見て分かりやすい指標はたくさんあります。
けれど、安楽こそ人生の目的、悲惨は無意味という価値観に立ってしまえば、それは僕の飲んでいた頃の生き方と何も変わりがありません。
成功を拒まれ、人からも評価されず、苦しいことばかり重なるときでも、やはり確実に生きる喜びは存在しています。その喜びを知るためにこそ、苦しさが存在しているのかもしれません。

もちろん辛さに涙がにじむことはありますが、誰のためにもならないことが、起こるはずがない、と信じています。

僕の生きる喜びってわかりにくいのが難点だよね。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加