心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年03月27日(木) 副作用

僕は遷延性うつ病を患っていて、向精神薬を飲み続けているAAメンバーです。
そうしたことを明らかにしているAAメンバーは少ないので、今日は薬の副作用の話をしてみたいと思います。

どんな薬にも副作用はあります。副作用のない薬なんて無いと言っても過言ではありません。

向精神薬全般に言われる副作用は、めまい、ふらつき、吐き気、だるさ、口の渇き(による口臭)などが主ですが、他にもいろいろあります。副作用は必ず出るとは限りません。100人同じ薬を飲んでいても10人にしか出ないとか、一人とか、あるいは千人に一人とか。

新しい世代の抗うつ薬(SSRI/SNRI)は、副作用が少ないのが特徴です。けれど、まったくないわけじゃないし、古い世代の薬と違って現場で使われた経験が蓄積されていません。

以前飲んでいたパキシルという薬は、下半身に影響が出ました。専門用語で言えばオルガズム機能不全、平たく言えば遅漏です。頑張っているのに、なかなかイかない。これは不満がたまります。最初は、どうしてこうなったのか戸惑いましたが、やはり同じように薬を飲んでいる仲間と話したとき「おー、なんだお前もかよ」と肩をたたき合った覚えがあります。それから、医者に相談したところ「少ないながらも報告がある。臨床試験でも、こうした症状の申告がでてきづらいから、実際にはもっと多いのかもしれない」という話でした。
インポや早漏の人から見ればうらやましい状態なのかもしれませんが、これはこれでストレスの元ですし、セックスパートナーにとっては負担になります。もちろん、同じ薬を飲む全員に出る症状ではなく、少数派でしょう。そして、そんなことは気にならない人もいるでしょう。ですが、僕の場合にはクォリティ・オブ・ライフをかなり下げる副作用でした。
女性でも同じようにオルガズム機能不全が出るようで、相手の男性にかなりの「がっくり感」を与えるんだよと聞いたことがあります。それはとてもよく分かるよ。

その後、トレドミンというSNRIに変えたのですが、こちらは「胸が締め付けられるような不安感」という副作用が出ました。これもなかなか辛いものがあります。ちょっとしたことで、なんでこんな強い不安感に悩まねばならないのかと。それでパキシルに戻したこともあったのですが、今はトレドミンを飲んでいます。

オルガズム機能不全と強い不安感を天秤にかけた結果、「胸が締め付けられるような不安感」のほうがまだマシだと思ったのです。不安感も、これが薬の副作用だと分かっていれば、受け入れやすいものですから。

だから、薬は怖いものだという印象をあたえたいわけではありません。きちんと医者とコミュニケーションを取って、副作用に対処していくことが大切だと言いたいのです。必要な薬を勝手にやめてしまったり、あるいは欲しい薬を何でも出してくれる町医者や、自己処方での売薬の長期連用、いずれも薬のトラブルへの入り口です。


2008年03月26日(水) ちょっと長い話

父が死んだ葬式の席。僕は前の晩まで飲んでいた酒の離脱症状に苦しんでいました。かすかに震える手で、集まった人々に酒を注いで回りながら、僕は酒を飲みたくてたまりませんでした。家の中の人目につかないところで一杯飲もうと思うのですが、田舎の葬式は、親戚やら近所の人やらで家中人だらけになってしまいます。
斎場で父のお骨を拾うとき、母は顔をぐしゃぐしゃにして泣いていました。けれど僕は悲しいという気持ちよりも、早くこれを終わらせて精進上げの席で一杯飲めないものだろうか、と考えていました。

翌日医者に行って薬を出してもらい、一時的に酒をやめました。
3週間後は自分の結婚式でした。僕は乾杯のシャンパンから飲み始めました。皆の顔には、咎める気持ちと、仕方ないかという諦めの気持ちの両方が浮かんでいました。そしてそのまま新婚旅行に行ったのですが、当然僕の酒は加速度的に増え、旅の後半には、僕はすこし酒が切れただけで離脱症状に悩まされる状態に逆戻りしていました。
その国のデパートはもう全館禁煙が当然でした。真夏の炎天下、デパートの外でタバコを吸いながら、僕は暑さとは違う理由で吹き出る汗をかきながら、酒の自動販売機のないその国の制度を恨んでいました。新婚の妻など放り出して、その街のどこかへ酒を飲みに消えてしまい気持ちで一杯でした。

親の死の時は、人生最悪の時の一つでしょう。でもその時僕の心を占めていたのは、酒を飲みたいという渇望だけでした。新婚旅行なんて、人生最良の時の一つでしょう。でも僕はやっぱり飲みたい気持ちに支配されていました。底に当たりつつあったのです。

AAに来て、ミーティングに通い続け、仲間に会い続けて、僕の酒は止まりました。僕はAAで酒をやめ続ければ、だんだん自分に自信がついてくるものだと思っていました。酒さえやめれば、それなりに立派な人間に戻れるのだと。けれど、正直になるにつれ、自分は自分で思っているほど立派な人間ではなく、本当の自分は醜く弱い存在だと分かってきました。だからこそ、生きていくためにアルコールが必要だったのです。自分はアルコールが入っている状態が「自然な状態」だったのです。だから、いつもその「自然な状態」に戻りたがっている自分がいました。いつも再飲酒は目前でした。

ある時、経験の長いAAメンバーに、信用できるAAメンバーと、信用できないメンバーをどうやって見わけるかという質問をしました。その人は、いつも「ミーティングに出続け、仲間に会い続けることが大切だ」と説き、それを実践していました。だから当然、そういう活動を一生懸命やっている人が信用できるメンバーだ、という答えが返ってくるものだとばかり思っていました。
ところが彼の答えは違いました。「ハイヤー・パワーを信じている、神を信じている人は信用できる」。普段神という言葉を使わない人だけに、僕は驚き、「やっぱりAAってそれが本質なんだ」と思い知らされました。

僕は自分が頭がいいと思っていました。うぬぼれですな。もし神さまがいるなら、僕は神さまと同じぐらい頭がいい。だから神さまの考えることは、自分にも分かるはずだと思っていました。
ところが、世の中には悲惨なことや、理不尽なことがたくさん起こります。もし、善意の神さまがいて、皆のことを考えながら運命を操っているのなら、そんな辛く悲しいことが起こるはずがありません。ところが、ニュースは悲惨な事件ばかり報じ、自分の回りにも、自分自身にも、辛いことはいっぱい起こります。
これで神さまがいないことが証明できるではないか、と思っていました。

今は、単純に、自分は神さまほど頭が良くない事実を受け入れています。
生きていればいろいろ辛いことは起こります。僕も辛いことは嫌だし、楽しいことが好きです。けれど、やはり辛いことは起きます。それがたとえ僕の目には何のメリットも何の意味も感じられない出来事であったとしても、僕を含む世界を司っている神さまの目から見れば、きちんと意味があるはずだと、今は信じられるようになりました。ただ、小さな僕にはその意味が分からないだけなのだと。

こうして僕の人生にも、なにがしかの意味が与えられました。無軌道に、無目的に進んでいた僕の人生にも、目的が与えられました。その目的というのは、あんまり自分でこだわって考えなくてもいいことが分かりました。ようやくアルコールが不要な生き方が始まったように感じています。

長いこと闘病生活を送っていた仲間が亡くなりました。彼は「生きる喜びを伝えなければならない」と言っていました。「新しい仲間が、私たちの生き方に何の喜びも楽しみも見つけられなければ、彼らは私たちのように生きることを望むはずがない」と本にあります。なるほど、経済的に恵まれること、健康に恵まれること、高潔な人物であること、人から見て分かりやすい指標はたくさんあります。
けれど、安楽こそ人生の目的、悲惨は無意味という価値観に立ってしまえば、それは僕の飲んでいた頃の生き方と何も変わりがありません。
成功を拒まれ、人からも評価されず、苦しいことばかり重なるときでも、やはり確実に生きる喜びは存在しています。その喜びを知るためにこそ、苦しさが存在しているのかもしれません。

もちろん辛さに涙がにじむことはありますが、誰のためにもならないことが、起こるはずがない、と信じています。

僕の生きる喜びってわかりにくいのが難点だよね。


2008年03月25日(火) おのれはおのれ、人は人

アルコール含有の食べ物で酔ってしまったために、ソブラエティをリセットした人がいました。ご本人の話では「間違いで食べたのではなく、アルコールが入っているのが分かっていて、食べたいと思って食べた」ので、スリップ(再飲酒)としたのだそうです。ちょっとストイック過ぎると考える人もいるでしょうが、本人が納得しているのなら、それはそれだと思います。
一方、出された缶ビールを一本飲んじゃったものの「間違いだったから」とスリップ扱いにしなかった人も知っています。その後無事に飲まない生活が続いてるのですから、とやかく言うことではないように思います。

粕漬けを食べる人もいれば、食べない人もいます。栄養ドリンクを飲む人もいれば、絶対ダメだという人もいます。魚の照り焼きには調理酒を使う人、みりんを使う人、ともかくアルコールは使わない人。おでんの汁にお酒を使う人、使わない人。
そういうことは「人それぞれ」としか言いようがありません。

問題はアルコールに限りません。
毎晩必要以上の薬を飲んで「気持ちよく」なっていても、酒さえ飲んでいなければソブラエティと呼べるのかどうか。ある人々に言わせれば、AAはアルコールの問題だけを扱うのだから、薬の問題は対象外なのだそうです。一方、じゃあ毎晩覚醒剤を打っていても、酒さえ飲んでいなければソブラエティなのかよ、と疑問を投げかける人もいます。
僕としては、そこで「酔いを求めているのかどうか」「気持ちよくなろうとしているのかどうか」を一つの基準にしたいのですが、これも僕の意見に過ぎません。

結局のところ、自分の物質的ソブラエティ(アブスティネンス)の基準をどこに置くかは、その人が決めるしかないと思います。AAとして、これはいいけど、これはダメという統一見解など出しようがありません。

大切なことは、人の基準を自分に当てはめようとしないことです。栄養ドリンクを飲んでも何も起こらない人もいれば、50mlのドリンク一本で飲酒欲求(渇望)のトリガーがかかってしまう人もいるのです。人の基準を自分に当てはめた結果、自分の守るべき一線が破れて酔っぱらってしまったとしても、それは人が悪いのじゃなく、自分の責任です。

もう一つ大切なことは、自分の基準をみんなに認めてもらおうとしないことです。人それぞれであるからには、中にはあなたの基準を批判する人も出てくるでしょう。その時に無理に相手を納得させようとしたり、逆に引け目に感じて押し黙ってしまうのは、結局自分が苦しくなってしまうことにしかなりません。

耳を傾ければさまざまな意見があることが分かります。時には自分の基準を修正することもあるでしょう。けれど「彼は彼なり、我は我なり」といういう基本を忘れないことです。

そもそも、僕らは毎日感情的にスリップを重ねていることもお忘れ無く。


2008年03月23日(日) 専門家の話

土曜日の教会は復活を祝う人たちで溢れていました。
最近は日系南米の人が増えて教会も賑やかですが、10年前はそれほどでもありませんでした。もちろん、AA会場のほうの人数も、今よりずっと少なかったのです。

10年前そこにいらした神父さまは、よく僕らのAAミーティングが始まる前に、会場に一緒に座って話をしてくれました。やっぱり信仰に関する話が多かったように思います。ミーティングが始まってもそのままに、僕らの話に最後まで付き合って下さったことが何度もありました。

してもらった話はほとんど覚えていません。けれど、その話が巡り巡って今の僕の栄養になっているということは、なぜか確信できます。

その頃別の会場は、クリニックの3階で開かれていました。そのクリニックの先生も毎回休日出勤?で僕らに付き合っていただきました。会場費はまともに払えた試しがなかったのですが、ミーティングが始まる前に、先生を囲んでそれぞれ持ち寄った昼お昼を食べるのが習慣で、先生のぶんのコンビニ弁当を買っていくのが、僕らの負担でした。

その昼食会(?)での話の中身は、実はあまり覚えていませんし、ミーティングの終わりに関係者の立場から話をいただいたのですが、その話もあまり覚えていません。
けれど、それもまた栄養になっているという確信があります。

それにしても「関係者」ってのは変な表現ですね。医療・保健・福祉などAAに関係ある分野の専門職の人の総称です。英語のAAではプロフェッショナル(専門家)という表現を使っていて、最初は日本でも「専門家」という言葉を使っていたのですが、ある人々から「われわれは専門家などではないよ」という意見が寄せられ(謙虚?自信喪失?)、以後関係者という表現を使うことになったのだそうです。


2008年03月22日(土) 安心して生きる

午後は、仲間のステップ5を聞かせてもらいました。
この棚卸しを聞くという経験も、ようやく指折り数えられるぐらいの回数になってきました。それで多少慣れてくるということもなく、相変わらずぐったりと疲れます。おそらく、話す方はもっと疲れたことでしょう。疲れるのは真剣にやっているからだと思います。

ただ真剣であっても、どうしても途中で眠くなるのは避けられないような気がします。それは疲れるからという理由ではなく、同じパターンの繰り返しに催眠効果があるのではないかと思っています。
自分の生き方を振り返ってみてもそうなのですが、年齢が変わり、場所が変わり、相手が変わっても、ひたすら同じパターンを繰り返して生きてきたことに気づきます。環境が変わっても酷い酒の飲み方が変わらなかったように、自分の本質も変わらなかったのです。
だから棚卸表も同じことの繰り返しが反映されます。現象面ではさまざまなバリエーションを見せていても、距離を取ってみれば一様にその人の「色」に染め上げられていることがわかります。だからこそ、自分以外の一人に聞いてもらう意味もあるのでしょう。
棚卸しに「興味深いドラマティックな展開」とか期待しても無駄だとわかりました。

その後、夜のミーティングに参加。ステップ12でした(今週2回目)。最後に5分時間をもらったので「安心して生きる」という主題で話をさせてもらいました。

さらにファミレスに移動してアフター。その途中で「顔を見かけたから」と家族のグループのメンバーが顔を出してくれました。最近AAのオープンにはいらっしゃらなくなったけれど、そちらのグループは続けていると聞いて安心しました。

帰りは失敗を経験した仲間と同乗してきました。時間が長かったので、いろいろ余計なことを言い過ぎたかと今頃心配になってきました。どうしても伝えておきたいことは、「失敗をやらかしたからといって、それで僕の中の君の評価は全然下がっちゃいねーよ」ということです。

帰宅後に、超夜更かし中の次女に一緒に遊ぶことを40分強要されました。疲れすぎて変な時間に起きてしまいました。


2008年03月21日(金) 一点に帰着

アダルト・チャイルド(AC)という概念では、子供の頃の親子関係が問題になります。人は生きるのが辛い人生を与えられても、そう簡単に諦めて死を選ぶわけにはいきません。だから何とか生きていこうと適応した結果、ちょっと他の人と違う大人になったということです。
ACは病気という概念ではありませんが、パーソナリティ障害(人格障害)は診断基準のある疾病です。こちらも、子供の頃の親子関係に端を発し、適応の結果、人と違う行動様式を身につけた結果だとされます。

ビッグブック後半の個人の物語は、子供の頃の親子関係の話ではなく、「自分の言葉、自分の見方で、いかに神との関係を打ち立てたかを述べ」、「それぞれの語り手が、自分より偉大な力にどう取り組み、どう理解していったかをさまざまに書いて」ということが主題です。第四版の個人の物語はまだ読んでないのですが、それ以前のストーリィには親子関係に関する言及が多かった(ように思います)。
ちなみに、第一版と第二版の物語は、こちらで読むことができます。
http://silkworth.net/bbstories/stories.html"
http://silkworth.net/bbstories/2nd/stories.html

いま自分がやっているステップのやり方では、ステップ4の表を書くときに、まず父親との関係、次に母親というふうに、原家族(生まれ育った家族)から始めるという指示があります。12ステップが対象としている「性格上の欠点」も、やはり子供の頃の親子関係を抜きには語れないのでしょう。

うつ病の本を読んでも、「うつの根は子ども時代に植え付けられる」と書いてあったりします。

こうして、僕の関心をひきつける事柄が、すべて「子供時代の親子関係」に帰着していくことに感慨を覚えたのですが、よく考えてみれば、それらはすべて「人の心」という一つの対象を扱っているのですから、一つの焦点に集まって当然なんでしょうね。

不遇な子供時代を送った人には、奇妙に人を惹きつける魅力があります。平凡な人たちに囲まれていると、僕はすぐ退屈してしまいます。それは僕自身に問題があることの徴候に過ぎないのですが。


2008年03月20日(木) 人生の選択

家庭生活を少々犠牲にしても、仕事に生きる選択をする人がいます。
逆に会社の歯車になんかなってたまるかと、家族と過ごす時間を最優先という人もいます。
海外の山へ登ることをライフワークにしている人は、仕事も長続きしないし、家族も長いことほったらかしで、それで何か世間に認められる偉業を成し遂げることもないけれど、それがその人の人生の選択なのだそうです。
私小説を書いた作家は、奥さんの気持ちとか考えたのかなとも思いますが、それを考えた上での人生の選択なのでしょう。
僕にしてみれば、残業続きの生活なんて自分を傷つけているだけにしか思えないのですが、犠牲を払うに足る価値があると感じる人もいるのです。仕事も家庭も大事にして、自分を犠牲にする人もいますが、犠牲に価値を感じる人でしょう。

どんな人生を生きるかは、その人の選択です。その選択を誰かに任せてしまうのは不幸の始まりです。

人の人生を決めたがる人には気をつけろと言われました。仕事に生きるのか、家族を大事にするのか。人に認められる生き方をするのか、さげすまれても自分の信じたことを貫くのか。その人にしか決められないことを、代わりに決めようとする人は危ない人です。世間にはそういう人がウヨウヨいるので避けようがありません。せいぜい、「はいはい」と受け流しておくしかないでしょう。

そもそも、そういう選択の押しつけをする人は、その人自身が自分で自分の人生を選択できていない、自分を喪失した人であることが多いようです。そんな人のアドバイスに従って自分の人生を決めて、いずれ後悔して文句を言ってみても、絶対謝ってもらえませんからね。

自分の人生の選択を、他の人がどう思うかと気にしてはいけません。平凡に生きるのか、アブナく生きるのか、選ぶのは自分の責任ですから。後で振り返って「あの選択で良かったのだ」と思えたならば、人から見てどうであろうと、自分にとっては最良の人生だったと言えるはずです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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