心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年03月13日(木) ボロボロの一冊

「ビッグブックのやり方」でステップをやっている人には、一冊のビッグブックを愛用している人が多いように思います。いつも持ち歩いていれば、必然的にその一冊はぼろぼろになります。
そういう人のビッグブックには、スポンサーから「ここは大事だ」と言われたところが蛍光ペンでマーキングしてあったり、仲間と分かち合った部分にはボールペンで書き込みがあったり、すぐページが開けるように付箋が貼り付けてあったり・・・。ボロボロになっても、新しいのと取り替えるわけにはいかない事情というのがあるのでしょう。

僕もビッグブックを回復の指標として使い始めた頃の最初の一冊は、ちょっとだけボロボロになりました。それは文庫版でしたが、今のより一つ版の古い、ページ番号が32ページずれているやつでした。僕には「ビッグブックのやり方」を伝えてくれるスポンサーはいなかったのですが、別の事情もあって蛍光ペンのマーキングは山ほどしてありました。少ないながらも書き込みもありました。

持ち歩いて読んでいたので、小口が手あかで汚れて、角が丸くなっていました。ハンドブックを使っているミーティングでも、わざわざ文庫版を取り出して読んでいました。

あるミーティング会場でのビッグブックミーティングに参加したとき、そのグループで使っている本に混ぜてしまい、忘れて帰ってしまいました。帰宅して「手元にない」と気がついたときは、単純に「次にそこに行ったときに返してもらえばいいや」と思っただけでした。

次にその会場に行ってみると、たしかにちょっとボロい僕のビッグブックはそこにありました。が・・、ある一人のメンバーが「この古びたのは私のものにする」と決めたのか、すでに自分用として愛用されている様子でした。僕は「返してくれ」とは言いづらく、新しいのを一冊買うことにしました。

あれから何冊のビッグブックを買ったのか数えていません。人に差し上げたのが多いですね。今は3冊を使い回しています。そのうち一冊には一部に蛍光ペンでマーキングもしてありますが、結構面倒な作業なので他の二冊は「まっさら」のままです。

別にまっさらでも恥ずかしいとは思いませんが、ボロボロになった一冊を携行している人を見ると、なんとなくうらやましく感じることもあります。

人にあげたものの中には、もう捨てられてしまったものもあるでしょう。本を渡すだけではダメで、一緒に中身も渡さなけりゃダメなんだ、と最近つくづく思います。


2008年03月12日(水) チューリング

メールを受信拒否にしておいて、「返事がこない」と怒られて焦ってみたり。

さて、僕はプログラマー(あるいはSE)という職業をしていて、この二十数年だいたいいつも仕事にありついてきました。仕事を見つけるのに苦労している人からは「手に職があっていいねぇ」とうらやましがられることもありますが、実は逆で「この仕事しかできない」のです。だから、働ければどんな仕事でもかまわないと言える人をうらやましく思ったりします。

世の中就職難だと言われる割には、理系大学の人気は長期低落傾向です。情報数理系の学科の偏差値も以前ほど高くはありません。高校生に夢を与えられる仕事ではなくなっているのかもしれません。まあ、大学で学ぶ知識と、仕事で使う知識が、かけ離れているのは、どの分野でも良くある話であります。

チューリング・マシンという概念を学んだことを思い出しました。外部からの情報に応じて、マシン内部の状態が変わり、外に出てくる情報が変わってくる・・・コンピューターの基礎概念です。
これだけ書いていると、人間と変わりませんね。外部からの情報(人から何を言われたか、何をされたか)によって、内部の状態(心の状態)が変わり、外に出てくる情報(自分が何を言うか、どんな行動をするか)も変わっていきます。

昔は、機械は単純であり、人間は複雑であると割り切ることができました。でも、昨今のコンピューターは複雑になってきて、人間と同じように扱いづらく、予測不能になりつつあります。チューリング・テストという考え方は、十分に進化した機械が計算した「思考」は、人間の思考と区別できなくなるだろうと予見しています。

アラン・チューリングは計算機科学の父と呼ばれていますが、40才の時に同性愛の罪で逮捕され、ホルモン治療を受けた結果、自殺で亡くなっています。1954年のことでありました。


2008年03月11日(火) 内在する原因

ミーティングには行かなかったのですが、原因不明の熱で入院した仲間のお見舞いに行き、1時間半も話し込んだので、結局ミーティングに行ったのと変わらない時間に帰宅することになりました。

さて、親の望むとおりの職業に就いていたら、今頃どうなっていたのだろう、とふと考えることがあります。おそらく地元の大学の教育学部へ行って、中学校の先生になっていたことでしょう。先生にならなくて良かったなと思います。自分の子供を学校に行かせるようになると、やっぱり学校の先生は、やりたくない人が無理してやる職業ではないと思います。
どんな職業を選んだにせよ、人生のどこかでアル中になっていたことは変えようがなかったと思っています。

僕も最初は、人生の分岐点のどこかで別の道を選んでいれば、酒におぼれる生活にはならなかったのじゃないか・・という「もし・・だったら」の自己憐憫にはまりまくっていた時代もありました。でも今では、環境の違いは僕の病気を進めたか遅らせたかの違いしかもたらさなかったと思っています。どの職業を選んでいても、僕は遅かれ早かれこの病気になったことでしょう。

多くの人が、依存症になった原因を最初は外に求めます。選んだ職業が悪いのであり、選んだ旦那(妻)が悪いのであり、はたまたそれに付随したジジババが悪いのであり、あそこで胃の手術をしたのが悪いのであり、仕事を失ったのが、借金をしたのが・・・。

でもそれは「単なるきっかけ」にすぎず、病気の原因は人に内在していると思います。その人の外の環境は、中の原因を引きずり出して明るみにさらしただけでしょう。

「とにかくミーテイングに行く、祈る、スポンサーと話す、そして仲間と一緒に笑う、これしかないです」とメールをいただきました。その通りだと思います。


2008年03月09日(日) 14年前

ちょうど14年前の今頃で、僕はまだ酒を飲んでいる頃のことです。
僕はその半年ほど前から地元で就職活動を始めたのですが、長野の田舎では車が運転できないと通勤にも支障がある・・ということで最初の何回かの面接は空振りばかりでした。そこで、まず車の免許を取ることにして、3ヶ月ほど教習所に通いました。
もちろん、僕の乗る教習車内部の空気は、前の晩に飲んだ僕の酒ですっかり酒臭くなるのが通例でした。今のご時世なら、教習所からたたき出されていたことでしょう。
教官に嫌われ、普通の人より時間はかかったものの、なんとか免許を取り、親に金を出してもらって中古車を買い、それでなんとか面接に合格して仕事にありつくことができました。
正社員として働くのは10年ぶりぐらいでした。

勤めだして数日後に、近所のパチンコ店で殺人事件が起きました。景品交換所の人が殺され、現金が強奪されるという事件でした。さっそく刑事が聞き込みに会社にもやってきました。僕は刑事の聞き込みを受けるのは初めてでした。刑事の姿は噂に聞いていたとおりでした。一応きちんとスーツを着ているのですが、疲労が服にも表情にも及んで「よれよれ」の印象を与えます。けれど、眼光は鋭いのでありました。

刑事はたびたびやってきました。数人しかいない社員をまとめて、あるいは個別に話を聞いていきましたが、むろん僕らがめぼしい情報を持っているわけがありません。僕などパチンコをしたことすらないので、景品交換所なんて本の知識でしかありませんでした。

結局犯人が判明しないままに、時間が過ぎ、事件は人々の記憶から消えていきました。昨日地元の新聞に「公訴時効まで1年」という記事がでて、それで14年前を思い出した次第です。


2008年03月08日(土) 乗り越えてねーよ

ここのところしばらく、僕は喪失の悲しみの中にありました。いや、別に肉親を亡くしたわけでも、仕事を失ったわけでもないので、心配は無用ですが、それでも人生にたびたびはない(あって欲しくない)ことでありました。

過去僕は喪失の乗り越えるためには、なるべく悲しみに振り回されない方が良いと思っていました。取り乱して深く悲しまない方が、乗り越えるのが楽になると思っていたのです。でもそれは深い抑うつを長引かせることにしからならないそうです。

僕も多少は進歩をしたいと思っていますので、今回は何も手につかない状態ならば、無理に動かずに布団の中で悶々と考えていました。机の前でぼうっとしながら心の中で人を責めてみたり、それを口に出してみたり、「もし・・じゃなければ」と自分をひたすら責めてみたり、泣き言をメールしてみたり、いきなり罪深さを告白してみたり、ごちゃごちゃしていたのです。

一方で、前から組まれていた予定は変更せずにこなしていましたし、人と会って話をしたり食事をしたりもしていました。そこは取り乱すことを自分に許せませんでした。けれど何を食べても味はしないし、相手の吸うタバコの煙さも感じない状態でした。

今はただひたすらに悲しい状態で、まだ光は差してきません。しばらくは暗い顔をして暗い話を続けているでしょう。いずれ雲の隙間から青空が見える日も来ると信じていますが、まだその時ではありません。何かを忘れることはできないし、忘れる必要もないと考えています。

悲しみの感情も含めて、僕に与えられたもので不要なものなどないと信じていきたいものです。ああ、それにつけても、自分の愚かさよ。


2008年03月06日(木) ステップ3

ステップ3:
「私たちの意志と生きかたを、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をした」

ここに書くことは本の受け売りですが、僕の深く納得することでもあります。

ステップ3には「神」という言葉が出てきますから、そこに注意が向いてしまうことは仕方のないことかも知れません。けれど、理解しがたいのは「意志と生きかた」とはいったい何であるか、ということかもしれません。

ジョー・Mによれば、「意志」とは考え方であり、「生きかた」とは行動であるそうです。

例えば僕は、人間関係の悩みを抱えていたり、金銭の悩みを抱えていたりします。そうした悩みは、自分と自分の外(他者や環境)との関係性にあるのですが、そもそもその悩みの原因は「自分の行動」にあるわけです。
もし、自分に非がなかったとしても、他者や環境は自分の思い通りには変わってくれないので、自分(の行動)を変えるしかありません。

そこで僕は短絡的に、自分の行動さえ変われば良くなると結論づけます。たとえば、酒を飲むことが問題ならば、酒を飲む行動を変えて飲まなければ良いと考えます。ところが人間の行動を支配しているのは、その人の考え方です。行動だけ修正してみても、考え方が変わらなければ、いずれその人は元の行動に戻るだけです。僕は自分の行動だけを修正しようと努めていたので、結局いつまでも酒は止まらず、人間関係や金銭の悩みを抱えていたのでした。

考え方(意志)を変えれば、行動が変わる。行動が変われば、結果として他との関係が変わってくる。だから、まず修正すべきは考え方ということになります。

ここでもう一つ問題なのは、考え方は自力で修正できるか、ということです。世の中は良い道徳や理念であふれています。良い理念を説く人はたくさんいます。あなたが(僕が)そうした理念に従って、考え方と行動を修正できていたならば、今頃こんな文章を読んだり書いたりしていないはずです。自力で修正できなかったからこそ、今の場所にいるのです。

そこで私たちは自分を修正できる力を持った存在を必要とするのです。


2008年03月04日(火) 問題なのは

「問題は酒を止めてからの期間の長さよりも、次の一杯を飲むまでの期間の短さである」

眼精疲労で頭がガンガン痛かったのですが、思うところがあって普段行かないミーティングへ行きました。ビッグブックの箇所はステップ3のところでした。

僕は飲んでいた頃、「自分の意志で突っ走ろう」という人生でもなかったと思っていたし、ましてや自分が「神のように振る舞う役者さん」だとは思ってもいませんでした。「自分で何もかも取り仕切っていれば、申し分のない満足と幸福とがつかみ取れる」とも思っていないつもりでした。

どちらかと言えば、いつも周りの目を気にして、どう思われるか、どう評価されるかばかり気にしていました。「こんなことをしたらどう思われるか」という恐れが行動を規制していました。だから自分はエゴイストなどではなく、状況の哀れな犠牲者だと思っていました。

けれど、相手にどう思われるか気にし、自分の振る舞いによって評価を上向かせ、相手が自分に接する態度を変えよう・・というのは、自分の行動を変えることで相手の気持ちを支配しようとしていることです。僕は怒りや攻撃によって相手を変えようとするタイプではなかったものの、もっと受動的にであれ相手を(自分を取り巻く世界を)自分の思い通りに変えようとしていたのでした。

つまり僕も、「自分の意思で突っ走る取り仕切りたがり屋」で「神の役を演じる役者さん」だったのです。そして、そんなことはうまくいくはずがなく、酒におぼれる原因のひとつでもありました。

そんな苦しい生き方はやめたいと思っても、自分の力でやめられたなら、AAにたどり着くほど道に迷うことはなかったのです。道徳心や自己規制などというものは僕の役には立たず、自分が神さまを演じる代わりに、自分の主(あるじ)である存在が必要なのでした。

AAの仲間のバースディミーティングに、僕はプレゼントを持って行く場合もあれば、手ぶらの場合もあります。以前は「ある人にはプレゼントをして、別の人にはしなければ、いったいその人に何と思われるだろうか」なんて真剣に心配していました。だからしたくもないプレゼントをするために悩んだりしていたのです。まさに、bondage of self(自我の束縛)でした。(セルフ・ボンデージというと違う意味だな)。自分を苦しめているのは自分でした。

僕は酒をやめようと言うメンバーに対して平等な敬愛を持っている(つもり)ですが、その上で、僕も弱くて愚かな人ですから当然人間に対しても「好き嫌い」があって当たり前です。なんであの女性のバースディには花束を持って行くんですか、などと聞かれても、そんなの言葉で説明しなくても分かるだろうに、ということです。

なんか久しぶりにミーティングで言いたいことを腹蔵なくしゃべれた気がします。僕は話は下手なので、聞きやすい話ではなかったとは思いますけど。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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