心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年01月04日(金) 変わりたいのに

アルコールの専門病院に入院して分かったことは、やっぱり世の中のアル中の大多数は酒をやめられないのだ、という単純な事実です。
保護室に入れられたときには、こんなみじめな思いをするなら、もう二度と酒など飲むのかと誓いました。けれど、入院中に他の人の「また飲んだ」経験談を聞くにつれ、自分が酒をやめられる見通しも暗く感じられました。
人間はトラブルを抱えていても、そのトラブルが解決不能であると、問題を直視するのをやめてしまうものです。例えば、一生かかっても返済できない借金を抱えてしまえば、借金の残額がいくらかなんてチェックしたくもないでしょう。
だからその時の僕が、断酒という無理な話から目を背けてしまったのも、自然なことでした。

世の中には断酒会とかAAがあることも知っていました。でもそこは、酒がやめられる人が通うところであり、やめられない自分が行くところではないと思っていました。

人はなぜ変わることができるのか(例えば酒をやめることができるのか)の答えは、「そもそも変わりたいと思っているから」だそうです。変わりたいと思っていても、さまざまな心理的抵抗があって、変わることを拒んでしまうもののようです。だから、その抵抗をひとつひとつ外していく作業が必要なんでしょう。

あの時の僕は、AAには酒をやめられる効果はないと思っていました。AAの効果を否定していたわけです。

9ヶ月後にAAに行って、AAで酒をやめている人を見て、なるほどAAによって酒がやめられる人もいると思うようになりました。「AAの一般的効力を信じるようになった」ということです。

しかし、それだけでは十分でありませんでした。自分もAAで酒がやめられるかもしれない、という期待を持つ必要がありました。AAが自分にも効力がある(自己効力)と信じるようになって、初めて継続的な変化が始まりました。

こうして抵抗のひとつが取れたのですが、それには年月と、酒の破壊力と、人の言葉がたくさん必要でした。問題を抱えた人は、変わりたいという願望以上に、自分は変われないという絶望(抵抗)を抱えているようです。お前は変われない、という否定的な言葉は、内にも外にもいっぱいありますから。


2008年01月03日(木) 飲んでた頃の話をしようぜ

初詣に行って、おみくじを買いました引きました。
今年は「おおきち」です。上の子は「こきち」で、下の子は「まっきち」でした。パパは嘘ばかり教えるから全然信じてくれません。

待人:さわりあり来たらず
失物:出がたし下にあり
恋愛:将来幸福になる
病気:信神すれば治る

何年経っても「どのように酷く酒を飲んできたか」という飲んでいた頃の話は大切です。なぜならそれが基礎だからです。

年月の経過と共に、飲んでいた頃の悲惨な記憶は薄れていってしまうものです(スリップして更新しない限りはね)。だからといって、問題が解決したわけではありません。酒に対する用心深さがなくなったぶん、危なくなっているとも言えます。

いかに自分が酒をやめられなかったか=自分がいかに酒に無力だったか、です。

飲んでいた頃の話ができなくなっていくのは、だんだんアルコールに無力でなくなっていく過程です。やめ始めの頃は皆が真剣ですが、体や心や生活が楽になっていくと、無力であるという実感も薄れてしまうものです。要するにステップ1が抜けていってしまうのです。

ステップ1は人を回復させないと言います。それは「酒に対して無力」という大問題を抱えている現実を知るだけの話で、なにも解決していません。解決はその先のステップが与えてくれます。逆に言えば、ステップ1は、その先のステップをやるための「動機」を作ってくれるのです。

その先のステップができない理由には、おそらく二つの理由が考えられます。ひとつは単にステップに慣れていないという場合。もう一つは、ステップをする動機がない場合=ステップ1が抜けてしまった場合です。

ミーティングで飲んでいた頃の話しかしない人もいます。けれど、何年もするうちには不思議といろんな部分が回復しているように見受けられます。一方、飲んでいた頃の話ができない人には「何年経ってもアル中の否認は頑固だなぁ」という評価にしかなりようがありません。

苦しんでいなければステップをやる動機がありません。あの時ステップ1が入ったような気がしていたのは、実は体も心も生活も苦しかったから、無力になったような気がしただけです。それが証拠に、いろいろが楽になってしまった今は、飲んでいた過去のことなど思い出さずに日々を過ごしてしまってますから。

そんなことよりミーティングではもっと別の話がしたい・・ていう気持ちも分かりますが、ミーティング以外でそういう話ができる人間関係を築くぐらい回復しろよ、と言いたいですね。たくさんの人に聞いてもらわないと気が済まない、っていう心の問題も解決しましょう。

年数が経ってからステップ1をやるのは大変です。ステップをサボる癖だけはしっかりついちゃっていて。

いかに自分が酒をやめられなかったか=今も自分がいかに酒に無力「である」か。


2008年01月02日(水) 読むほどにわからなくなる(かもしれない)AA案内

AAの「伝統」はルールではないので、必ずしも守られているとは限りません。
でも、おおよそ守られていないとAAグループが存続できないという経験則です。

・AAは非組織。
AAの各部分の組織化は最小限にする(伝統9)。
肩書きを持った人は奉仕をするしもべであって、責任と同等以上の権限を持たない(伝統2・9)。
AAを職業にすることはできない(伝統8)。ただし奉仕のために専従者を雇うことはできる。

・AAは匿名。
AAメンバーとして名前や写真をメディアに公開しない(伝統11)。
無名であることによって全員が平等であることが確認される(伝統12)。
(メディアでないところ、例えばグループの中で実名を名乗ることは問題ない)。

・AAは献金・経済的自立。
AAの収入源はAAメンバーの自発的な献金のみで、外部から助成を受けない(伝統7)。
AAそのものは資産を持たない、事業を行わない(伝統6)。
献金をすることはメンバーの条件ではない(伝統3)。

・AAの目的は単一。
AAの目的は自分自身と他のアルコホーリクの回復のみ(伝統5)。
AAは外部の問題に口を出さない。社会改革運動はしない(伝統10)。
AAは他の組織に属さない(伝統7)。
AAで回復したいと願うひとはどんな人でも拒まれない(伝統3)。
自分たちはAAグループだと名乗ればそれはAAグループである(伝統3)。
AAメンバーだからといって何かの規則に服従することは求められない(伝統3)。

AAグループは何かの権威に対してではなく、自分たちの良心に対してのみ責任を負う(伝統4)。

・AAそのものの存続
AA全体が存続しなければ、AAグループもAAメンバーも存在し得ない(伝統1)。
したがって、個人よりも常にAAの原理が優先される(伝統12)。


2008年01月01日(火) とめて欲しくない心境

「一杯飲む前にスポンサーに電話しよう」というスローガンがあります。
これは、酒をやめたてで、酒に手を出したくてたまらない人が、なんとか努力して酒を切っていこう、というときには有効でしょう。一人で辛いときに、一緒に乗り越えてくれる人がいれば、心強いものです。

ところが、ある程度の期間酒をやめたあとで、再び酒を飲む=スリップと呼ばれる再飲酒には、どうもこの手段は役に立たないようです。個人的な経験でも、飲んだあとに電話してきた人はいても、飲む前にかけてきた人はいません。つまり、人はその時には、もうスポンサーに電話はできないのです。

おそらく、もう飲むのをとめて欲しくない心境なのでしょう。そうなってしまっては手遅れです。「なぜ飲む前に電話しなかった」と問いつめてみても、役に立ちません。だって、飲みたいのに、スポンサーに電話してしまったら飲めないのですから、電話するわけがありません。最初の一杯を飲むのが「狂気」と言いますが、その狂気はずっと前から始まっているのです。

一緒に暮らしている家族や、同じAAグループの仲間は、「危ない状態になってきた」と気づくものです。だから、危険を避けるように本人にアドバイスをするのですが、すでに精神状態が悪くなっているので、それを素直に受け取ってはもらえません。たいていは過度の干渉と受け止め、気を悪くするだけです。表面上の従順や感謝があったとしても、じゃあアドバイスを実行に移しているかと後でチェックしてみれば、話は耳から素通りしたがごとく無視されているのが通例です。
いや、本人はそれなりに真面目に取り組んでいるつもりかも知れません。でも、必要を満たすだけの真剣さは、すでに失われています。

自分の努力が認められていないと感じたり、周り人の言葉が小うるさく感じられるときは、すでに狂気へと踏み込んでいるのです。つまり飲んでいる状態と同じドライドランクというやつです。

飲まない以上の幸せを求め始めるとドライドランクになりやすいみたいです。飲まないだけで十分幸せでなければ、何を得ても幸せにはなれっこないのです。今が不幸せなのは何かが足りないせいだと思ってしまいがちですからね。ここでも、自分以外の誰か、何かのせいにするという悪い癖が出てしまうのです。


2007年12月31日(月) 今年もお世話になりました

「心の家路」は、今年も多くの人のアクセスに支えられました。
31日の午前5時までの1年間の統計です。

送出バイト数 81.2Gbytes
ビジター数 1,074,421
ページ送出数 5,181,450
ファイル送出数 5,895,213
ヒット数 7,041,617

以前海外の安いレンタルサーバーを借りた頃は、送出バイト数が数ギガ程度だったので、およそ10倍になりました。といっても、その半分ぐらいは掲示板に広告書き込みをしようとするスクリプトだと思われます。
8月のアクセスが突出して多いのですが、それはきっと「殿下」の影響でしょう。

数字の話はさておいて、今年も携帯電話対応には着手できませんでした。来年こそは、皆様が無用なパケット代を使わなくてもすむようにしたい、とは思っていますが、再来年になってしまうかも知れません。

メディアというのは、送り手がどんなに懸命になっても、受け手がいてくれなければ成り立ちません。「家路」も読んでくださる皆さんがあっての存在です。最近では更新の頻度がめっきり下がり、雑記ばかり書いている気がします。そもそも「日々の雑記」はおまけの存在でした。「家路」を見に来ても更新されていないければつまらないでしょうから、せめて雑記ぐらいは日記形式でちょくちょく更新しよう・・と思ったのですが、最近では雑記を書くだけでエネルギーを使い果たしている感じです。

ここ2〜3年ブログが流行っていて、それを使ってネット上で情報発信する人が増えてきています。好ましい傾向だと思います。依存症の人のブログもたいそう増えました。けれど、ブログを書くだけで終わってしまって、その先へと展開する人が少ないのは残念なことだと思います。やはり「ブログ」と「ブログ以外のもの」の間には、厳然たる境界線がある、と古いタイプである僕は思ってしまいます。

この雑記は、常に肩肘張らずに書こうと務めていますが、最近では知り合いで読んでいる人が増えたこともあって、人物が特定できるような話題は取り上げづらくなってきました。自分の生活の話をしようにも、それほど変化のある生活でもありません。いきおい観念的な話が増えてきています。

「家路」も、しょせんアル中のすることですから、いつまで続くか分かりません。けれど、読んでくれる人がいるうちは続けようかな、と思っております。
本当に一年、ありがとうございました。
来年もまた、僕のつまらない話におつきあいいただければ、これほど嬉しいことはありません。


2007年12月30日(日) 休日の一日

土曜日に出たAAミーティングが今年最後になります。来年2日のホームグループのミーティングは(会場係であるのに)休ませていただいて、3日の病院メッセージがAA始めとなります。

たいした進歩ではありませんが、今年も自分は進歩したと思います。AAでも、今まで見えなかったことが見えてきた部分がありますし、今までにない習慣を身につけたりしました。仕事でも、去年よりは人の役に立てたし、収入も改善しつつあります。家の中も多少は落ち着いてきました。
けれどそれは、あくまで1年前の自分と比較しての話にすぎません。人と比べたら、決して威張れたものじゃありません。AAでは僕より回復した人はたくさんいるし、職場でも僕よりバリバリ仕事をしてたくさん稼いでいる人もいます。隣の芝生を見れば青々と茂っているようにしか見えません。
けれど、焦って背伸びをして歩いても疲れるだけですし、何かにつまづけばすぐに転んでしまいます。また焦って走り出しても、すぐに息が切れるのは、今まで何度も思い知らされてきました。

回復しなければ神さまに愛されない、ということは「決して」ないと思います。ハイヤー・パワーの愛は、そのような条件付きの愛ではありますまい。が、人より早く回復しようと焦る人は多いようです。

休みに入って年賀状作りも終わると、パソコンの前に座っている時間はぐっと短くなります。すると目の痛みも、肩こりも、腰の痛みも減ってきます。普段(仕事とはいえ)パソコンに向かいすぎなんでしょう。

大掃除は30日までに済ませる、という義父の規範があるので、一応掃除をしました。たぶん普通の家なら、普段しているぐらいの簡単な掃除ですけど。冬休みだからと言って、何も特別なことはなく、家族でゴロゴロ過ごしています。

子供たちの骨折は、もう痛みが取れたようです。不登校気味だった次女も、休み前には平気な顔をして学校に行っていました。子供の復元力はつくづく強いと思います。娘たちがパパ、パパとまとわりついてくるのも、あと数年のことでしょう。いずれキャッシュカードとしか思われなくなる日が来るはずです。

紅白でなく、第九を見たいのでありますが、大晦日ぐらいは婿養子らしくおとなしくしていなければならないでしょう。


2007年12月29日(土) 今年一年

毎年年末になると、自由なテーマを選ぶAAミーティングでは「今年一年を振り返って」というトピックが挙がるのですが、ここのところ僕が出たミーティングは、BBか12&12を読むところばかりだったので、一年を振り返る話はありませんでした。

アルコール依存症の人と一緒に暮らしている家族は、依存症の人の言動に一喜一憂することになります。酒を飲んで欲しくないし、もし飲んでも迷惑をかけて欲しくないと願っています。けれど、アル中さんはさまざま理由を付けて飲むし、飲んでやらかすことにも言い訳をします。そしてたいてい「それを人のせいにします」。
お前のせいだと責められて、自責の念を持たない人はいません。そしてそれが習慣になります。
だから家族は、何とかアル中さんを(飲まないように、暴れないように)コントロールするために、いろいろ考えたり行動したり、まさにジェットコースターに乗っているような気分が続く日々を送ります。

はたまた、ACと呼ばれる人たちは、親の言動次第で、自分の気持ちが上がったり下がったり、これもまたジェットコースターに乗っている日々を子供の頃から暮らしてきたわけです。

「目の前で起きている人の言動に、大げさに一喜一憂しない」という新しい行動原理を身につける・・これが、今年アラノンの人たちからいただいた回復の鍵でした。

別に誰かの気分(機嫌)に僕が責任を負っているわけじゃありません。機嫌が悪い人を明るい気持ちにさせてあげる義務もありません。その人の問題は、その人の責任です。けれど、怒っている人の話を聞いてあげたり、落ち込んでいる人を励ましてあげたりするのは、人としての当然の優しさであり、必要なことでしょう。
でもそれは、自分のことができていればこそ、できることです。

AAの仲間やスポンシーが飲んだとしても、それは別に「僕が飲ませている」わけでもありません。当然なんですけど。上司の機嫌を取るのは僕の仕事の責任の範囲外です。

その人の問題と自分の問題を、きちんと切り分ける作業をしていく。これは一生の作業なんでしょうね。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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