心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年12月30日(日) 休日の一日

土曜日に出たAAミーティングが今年最後になります。来年2日のホームグループのミーティングは(会場係であるのに)休ませていただいて、3日の病院メッセージがAA始めとなります。

たいした進歩ではありませんが、今年も自分は進歩したと思います。AAでも、今まで見えなかったことが見えてきた部分がありますし、今までにない習慣を身につけたりしました。仕事でも、去年よりは人の役に立てたし、収入も改善しつつあります。家の中も多少は落ち着いてきました。
けれどそれは、あくまで1年前の自分と比較しての話にすぎません。人と比べたら、決して威張れたものじゃありません。AAでは僕より回復した人はたくさんいるし、職場でも僕よりバリバリ仕事をしてたくさん稼いでいる人もいます。隣の芝生を見れば青々と茂っているようにしか見えません。
けれど、焦って背伸びをして歩いても疲れるだけですし、何かにつまづけばすぐに転んでしまいます。また焦って走り出しても、すぐに息が切れるのは、今まで何度も思い知らされてきました。

回復しなければ神さまに愛されない、ということは「決して」ないと思います。ハイヤー・パワーの愛は、そのような条件付きの愛ではありますまい。が、人より早く回復しようと焦る人は多いようです。

休みに入って年賀状作りも終わると、パソコンの前に座っている時間はぐっと短くなります。すると目の痛みも、肩こりも、腰の痛みも減ってきます。普段(仕事とはいえ)パソコンに向かいすぎなんでしょう。

大掃除は30日までに済ませる、という義父の規範があるので、一応掃除をしました。たぶん普通の家なら、普段しているぐらいの簡単な掃除ですけど。冬休みだからと言って、何も特別なことはなく、家族でゴロゴロ過ごしています。

子供たちの骨折は、もう痛みが取れたようです。不登校気味だった次女も、休み前には平気な顔をして学校に行っていました。子供の復元力はつくづく強いと思います。娘たちがパパ、パパとまとわりついてくるのも、あと数年のことでしょう。いずれキャッシュカードとしか思われなくなる日が来るはずです。

紅白でなく、第九を見たいのでありますが、大晦日ぐらいは婿養子らしくおとなしくしていなければならないでしょう。


2007年12月29日(土) 今年一年

毎年年末になると、自由なテーマを選ぶAAミーティングでは「今年一年を振り返って」というトピックが挙がるのですが、ここのところ僕が出たミーティングは、BBか12&12を読むところばかりだったので、一年を振り返る話はありませんでした。

アルコール依存症の人と一緒に暮らしている家族は、依存症の人の言動に一喜一憂することになります。酒を飲んで欲しくないし、もし飲んでも迷惑をかけて欲しくないと願っています。けれど、アル中さんはさまざま理由を付けて飲むし、飲んでやらかすことにも言い訳をします。そしてたいてい「それを人のせいにします」。
お前のせいだと責められて、自責の念を持たない人はいません。そしてそれが習慣になります。
だから家族は、何とかアル中さんを(飲まないように、暴れないように)コントロールするために、いろいろ考えたり行動したり、まさにジェットコースターに乗っているような気分が続く日々を送ります。

はたまた、ACと呼ばれる人たちは、親の言動次第で、自分の気持ちが上がったり下がったり、これもまたジェットコースターに乗っている日々を子供の頃から暮らしてきたわけです。

「目の前で起きている人の言動に、大げさに一喜一憂しない」という新しい行動原理を身につける・・これが、今年アラノンの人たちからいただいた回復の鍵でした。

別に誰かの気分(機嫌)に僕が責任を負っているわけじゃありません。機嫌が悪い人を明るい気持ちにさせてあげる義務もありません。その人の問題は、その人の責任です。けれど、怒っている人の話を聞いてあげたり、落ち込んでいる人を励ましてあげたりするのは、人としての当然の優しさであり、必要なことでしょう。
でもそれは、自分のことができていればこそ、できることです。

AAの仲間やスポンシーが飲んだとしても、それは別に「僕が飲ませている」わけでもありません。当然なんですけど。上司の機嫌を取るのは僕の仕事の責任の範囲外です。

その人の問題と自分の問題を、きちんと切り分ける作業をしていく。これは一生の作業なんでしょうね。


2007年12月27日(木) 自助グループと呼ぶのは誤り?

上の子が学校で階段から落ちてくるぶしを骨折。2週間のギブス。同じ日に下の子が学校の授業でスケートに行き、転んだ時に手首を骨折。こちらも2週間ギブス。なんとも仲がよい姉妹です。

車のタイヤを縁石にこすってしまい、見事にバースト。修理がきかず、買い換えになってしまいました。タイヤは4本単位で流通しているので、1本だけ買うには注文しなくてはいけません。泣く泣く4本まとめて買いです。昨年買ったばかりのスタッドレスなのに。その金があったらDSが何台買えるんだか。

他にもイロイロ「ついていないこと」だらけですが、へらへら笑いながらやっています。会社の同僚に誘われてボーリング。5ゲームやってスコアが517。

さてさてさて。

AAとか断酒会とかその他を合わせて「自助グループ」と呼びます。これは英語のセルフ・ヘルプ・グループを訳したものです。自ら助けるグループというわけです。

ところが、海の向こうでは5年か10年ほど前から self-help group という呼び名はやめようという動きが活発になってきたそうです。self-help という言葉が誤解を生みやすい、本質を現していない言葉だからだそうです。

そもそもアル中の人は「アルコールに対して無力」なのです(断酒会でも酒に対して無力だといいます)。AAは無力な人の集まりです。ところが無力なのに、自ら助かるのも変な話です。無力な人がいくらたくさん集まっても無力のままです。ゼロはいくつ足してもゼロですから。自ら助かる力は無いはずです。
ハイヤー・パワーという自分(たち)以外の「力」によって無力が解決されるのであって、自分ではありません。

そこで別の呼び方をするのだそうです。例えば mutual aid group。これを「相互援助グループ」とか「互助グループ」とか訳してしまっては、言葉を変えた意味がないのでしょう。でもなかなかよい日本語になりませんね。
単純にサポートグループという呼び名の方がよいのかも知れません。

いずれにせよ、今後日本でも「自助グループ」という呼び方が廃れ、より適切な言葉が使われるようになるにちがいない、なって欲しいな、というお話を、複数からうかがいました。


2007年12月25日(火) 人のせい

アル中的性格について、いろいろなことが言われていますが、僕なりの表現で言えばこうです。

「人から言われたやり方で成功するよりも、自分のやり方で失敗する方を好む」

挙げ句に失敗は人のせいにするのです。

さて、僕が初めて今のAAホームグループの会場に顔を出したとき、そこにいた人たちは全員ニックネームを名乗っていました。動物っぽい変な名前を使っていました。その中で僕だけが植物っぽいニックネームを使うことになりました。

そのうち、ニックネームを使うのは変だと言って、本名の名字を使う人たちが増えてきました。あるいはアメリカ風に、ファーストネーム(下の名前)を使う人たちも増えてきました。そこで、僕もニックネームを使うのはやめ、下の名前を使おうと思った時期もありました。

本名は「すすむ」と言うのですが、これをそのまま使うのは、どうも気恥ずかしい。そこで、ショートネームを考えることにしました。

例えばAAの創始者ビル・Wのフルネームはウィリアム・ウィルソン。ビルは「ウィリアム」のショートネームです。ドクター・ボブも、フルネームはロバート・スミス。ボブはロバートのショートネームです。

Susumu のショートネームは何でしょう? Susie(スージー)というのは女性名ですね。SとUとMが入った名前だと Samuel というのがあります。愛称はサムかサミー。というわけで、「サムと呼んでくれ」という事にしたのですが・・・。

「このアメリカかぶれめ、アンタのことをサムなんて呼べるものか!」

と怒られてしまったので、仕方なく「すすむ」にして、さらに1年後に元のひいらぎに戻してしまいました。そういう僕のバカな話とは無関係に、最近は下の名前を使う人が増えてきました。悪いことではないんですけどね。

それでつくづく思うことは、日本人の下の名前って、みんなよく似ていて憶えにくいということです。

えみ・えみこ・みえこ・みえ・りえ・りえこ・・・もはや誰が誰だか。

みんな変なニックネーム使っている頃の方が、憶えやすくて良かったなぁ。だからもし呼び間違えても、それは僕の記憶力のせいじゃありません。最近の風潮が悪いのです。


2007年12月24日(月) 飲酒のコントロール

アルコール依存症は「飲酒をコントロールできない病気」だと言います。
一番コントロールが効かないのが「飲酒の量」で、適量でやめておこうと思ってもやめられない、というのがその症状です。他に飲む時間(朝から飲む)とか、飲む場所とか、飲むシチュエーションなどなど・・コントロールできないことはたくさんありますが、ここではとりあえず量の問題に集中します。

では、依存症でない人は、はたして「飲酒をコントロールしている」のでしょうか?。ふつうの人は、もっと飲みたいのを我慢して、途中でやめているのでしょうか?

たぶんそうではないのでしょう。

宴会でもう少しビール飲みませんか? と勧めても、「いや、もう結構」とか「飲み過ぎると気分が悪くなるから」という答えが返ってくるのが通例です。つまり、ふつうの人は飲みたいのを我慢してなんかいないのです。彼らは、飲みたいだけ飲んでいるからこそ、2〜3杯でやめられるのです。

つまり、コントロールもしていないし、意志の力も使っていない、ただ満足するまで飲んで、もうそれ以上飲みたくないだけの話です。別に意志も強くないし、高潔なわけでもありません。人間満たされれば欲張りはしません。

一方、適量でやめられないアル中は、「意志が弱い」とか「意地汚い」とか道徳心がないとか責められます。しかし、いったん飲み始めてしまったら、体が次の酒を欲しがってしまい、それがあまりにも強いので途中でやめられないだけの話です。

いったん依存症になったら、もう満足するまで飲むことはできないのです。

これを聞いて「いや、俺はアル中ではないが、いつももっと飲みたいのを我慢して途中で切り上げているんだ」と話す人がいたとします。確かにその人は依存症ではないのでしょうが、すでに危険領域に入りつつある「プレ・アルコホーリック」(アル中予備軍)という状態でしょう。病気にならないうちに酒をやめるのが一番です。なってからじゃ遅い。

年賀状の準備で一日パソコンを見つめていたら、ドライアイになってしまいました。


2007年12月23日(日) なんだか面倒

その昔に言われた、オウム真理教とAAの共通点。

実名で呼び合わず、怪しげなホーリーネームを使っている。
イニシエーションと呼ばれる通過儀礼があり、それをやっていないと半人前だと言われる。
なんだか普通じゃない話ばかりしている。
奥義を究めると解脱し救済されるとか言う。
みんな「修行するぞ、修行するぞ」とうるさい。
怪しげな行政機構がある。
施設で修行してくるとポイントが高い。
まじめにやらないと地獄に堕ちるとか言われる。

こういう冗談を言っていると、ムキになる人がいて困ったりします。

今夜宅配のピザを食べ、明日ケーキを食べる作戦だったのですが、ピザ屋の予約が一杯でしたので、今夜ケーキで明日ピザとなりました。

年賀状やらなくちゃと思いながら手がつきません。というわけで雑記もテキトーです。

早く寝たいのですが、僕が寝る部屋にテレビがあり、まだ皆が見ているので布団を引いて静かに本を読むわけにもいきません。どうしてこんなにテレビばかり見るのでしょう? こいつらテレビホーリックじゃないかと思いますな。


2007年12月22日(土) 自然治癒?

ずるずると続けてきた病院メッセージをお終いにしました。あとは地元のグループのメンバーが続けていってくれるでしょう。もう自分が行くのはお終いにしよう、と決めてから、実際に実現するまで1年以上経過しています。
実は、今のホームグループが別の週の病院メッセージを冬場の3ヶ月担当するので、春までは通うのが続いちゃいますが。ちっとも終わってません。

10年そこへ通いましたから、数百人の依存症患者さんの話は聞いたでしょう。入院が初めてという人も少なくありませんが、2回目(あるいはもっと)という人が多かったように思います。
前回の入院からどれぐらい経過しているか、それも人さまざまで「一日持たずに即日再入院」という人もいれば、年単位という人もいました。たいていは、退院→シラフの期間→一見正常に飲めている期間→酷い飲み方の期間→再入院、という経過をたどります。病気がある程度進んでしまえば、飲まない期間は長くて数ヶ月で、飲んでいる期間が長くなるのですが、中にはシラフで長い時間を過ごす人もいます。

しらふの期間が10年以上という人は3人いました。3年、5年飲まなかったという人はザラです。実はそういう人は自助グループ(AAや断酒会)や医者にまったく通っていないか、通っていたとしても最初の数ヶ月だけだったりします。

断酒のために積極的な努力をしなくても、断酒が続いていく人が実際にいるのは確かです。しかしその人たちがまた飲んだからこそ、僕がお会いするチャンスを得たわけです。その人たちは再飲酒した理由は、短期間で再飲酒する人たちと変わりません。大きなトラブルが乗り越えられずに酒を飲む人もいれば、何気ない日常の中でふと飲んでしまう人もいます。

僕が2回目の入院の時に「生まれて初めて会ったアル中さん」は入院経験二十数回のツワモノでしたが、それでも十数年前には何の努力もなしに2年間酒をやめていた経験があると語っていました。

アル中はたまたま何年か酒をやめることがある。その事実は以前の僕を恐れさせました。自分はそれなりに頑張ってAAをやり、そのおかげで飲まないでいると思っているが、実はたまたま酒がやまる何年間かと、自分のAAの何年間が重なっているだけで、断酒は偶然の産物なのではないか・・と。

そういう不安を打ち明けると、仲間に「あなたのように努力している人がAAの恩恵を得てなかったとしたら、他の誰が得られるというのか」と諭され、それもそうだよなとテキトーに納得したのでした。

でも今では、僕の最初の何年間かの断酒は幸運によるものだと、はっきり知覚しています。あの頃は実に危なかったのだと。自分の力で酒をやめていましたからね。
ミーティングのあと、若いメンバーとお茶していてそんな話を思い出したのでした。たとえ何年酒をやめていても、飲んだときのみじめさに違いはないぞよ。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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