心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年12月06日(木) われをすくいし

ミーティングも残業もなく、とっとと帰るつもりだったのですが、自宅に電話しても「ご飯がないよ」ということだったので、喫茶店に立ち寄って夕食にしました。パスタと珈琲のセットで1,600円というのは、一人で食べる夕食にしては豪華すぎましたが、たまにはのんびり珈琲でもすすりながら本を読みたいのであります。

店内ではピアノの生演奏をしていて、手元に曲のリクエスト用紙もありました。けれど何でもいいというわけでもなく、いくつかの曲から選ぶ仕組みでした。店内の人はあまり熱心に聞いている様子でもなく、拍手があったのはリクエストに応じてハッピー・バースディの曲が終わったときだけでした(たぶんピアノへの拍手ではなかったのでしょう)。
曲目の中には「アメージング・グレース」もあり、別にリクエストしなくても待っている間にその曲になりました。なにせ初めて入った店なので、ピアノの生演奏が「12月だから」なのか、木曜日だからなのか、年中やっていることなのかは知りません。

それにしても、投げたブーメランがとんでもない方角から帰ってきたものです。1月14日は代々木にいるつもりですが、イグナチオにも行かないとダメですかねぇ。え? 朝から来い?

 アメージング グレース
 何と美しい響きであろうか
 私のような者までも救ってくださる
 道を踏み外しさまよっていた私を
 神は救い上げてくださり
 今まで見えなかった神の恵みを
 今は見出すことができる

賛美歌として歌われていますが、AAでは宗教とは関係なく信仰の歌として、国際コンベンションなどで歌われているそうです。この前の福岡でも使われたはず。


2007年12月05日(水) AV

「どうして殿方はアダルトビデオが好きなのか?」

えーと、詳しいことは忘れましたが、要は男は頭でセックスするからだそうです。だから、想像ですることもできるわけです。

じゃあ、女性はああいうビデオは好きなのかどうか? 私はああいうのは絶対見ない、と頑なな人もいます。男と一緒なら見るという人もいます。いや一人でも見るという人もいますが、これは少数派でしょう(たぶん)。
ちなみに妻はスカパーのPPV枠をたっぷり使ってくれたことがあります。
まあ、それはともかく、特定分野を除けば、ほとんどのアダルト映像商品は、男性によって消費されているのは間違いありません。

ただ男性でも、映像が無料で手にはいるのと、有料なのでは、消費行動にずいぶん違いがあるようですが、今回はそっちの話ではありません。

1980年代に、ホームビデオの普及を、アダルトビデオが牽引したのは間違いありません。それまでは8ミリフィルムで「ブルーフィルム」などという手間のかかるものしか存在しなかったのですから。

VHSとβの規格競争でVHSが勝利したのには、様々な理由が言われていますが、一番大きい理由は「VHSのみで発売されたアダルトビデオが多かったため」でしょう。だから、当時βのビデオデッキしか所有していないというのは、男としてかなり潔い態度でした(いや、アニメしか見ない危ない人たちだったのかも)。

家庭用ゲーム機も、ファミコンの時代にはアダルトが結構ありました。市場が立ち上がったスーファミ以降はアダルト禁止になってしまいましたけど。

DVDの普及もアダルトあってこそでしょう。パソコンのハードディスクの大容量化だって、ビデオ映像以外何を入れるんですか何百ギガも。光ファイバーだって、大容量高精細のビデオファイルの伝送に使ってるのじゃないんですか? 液晶画面の色再現性だって、どうしてそんなに人肌にこだわるんですか?

それにしても、ハイビジョンのテレビを見ながら思うのは、なぜ次世代DVDでアダルトが出てこないのか、という疑問です。次世代DVDがなかなか普及しない・・と、ハードメーカーも、コンテンツホルダーも悩んでいます。Blu-rayとHD-DVDと、どちらの陣営が勝利するか・・なんて報道されていますが、先にアダルト解禁した方が勝ちなんじゃないんですか?

やっぱハイビジョンだよねー。


2007年12月04日(火) 安易な癒しに逃げない

朝から雪がちらついていました。
夕方職場を出ると、駐車場の車の上に雪が積もっていました。
2週連続で火曜日のミーティングへ。2週連続でバースディなのでした。悪いとは言わないけれど、まとめることはできなかったのだろうか・・・と思ってしまいます。
中山道で有名な、信州の木曽谷にはAA会場がありません。断酒会ができたのもそう古い話ではありません(10年ぐらい)。木曽と伊那を結ぶトンネルが開通したのが去年の2月。今日の人は、そのトンネルを通ってAAに通った人でした。恵みを得た人です。

ぶっちゃけAAミーティングはアルコホーリクを回復させないと思います。
少なくとも、ステップが与えてくれる回復を、ミーティングは与えてくれません。

それから、生きることが楽なときには人は回復しません。生きることが辛いときに、楽になろうと何か(この場合はステップを)することで、人は回復します。

実はミーティング通い続けることで、生きることが楽になってしまうのは、大変困ったことです。だって、人は楽なときにステップをやろうとは思いませんから。そして「鉄は熱いうちに打て」の言葉ではありませんが、時間が経って楽になってしまった後では、いくら叩いても膨らみすぎた自我は凹みません。

うまくしたもので、楽だと思っていても、生きていれば辛いことはやってきます。そこで、ミーティングの数を増やしたり、AAのイベントに行って楽しんだり何かして、楽になってしまう・・とせっかくのチャンスが台無しです。そこで変わる努力ができたのに「安易な癒し」に逃れてどうする?
そんなだから、男に(女に)逃げたり、薬に逃げたりするんでしょ?

じゃあミーティングは何のためにあるのか? そりゃ多分ステップをやる力をつけるためですよ。辛いときしか回復しないとしても、辛くて飲んでしまったら元も子もないですし、前進のためのエネルギーを得る場所は必要ですから。

とはいえ、僕もAAイベントには遊びに行っているだけですが(家族には内緒だよ、美味しいものを食べていることも内緒だ)。


2007年12月03日(月) 10 years ago (16) 〜 手遅れだと言われても、口笛...

10 years ago (16) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃

さて、新婚の僕と妻は、僕の実家で年を越すことになりました。
当然、妻にも、母にも、兄にも、僕は酒を止めたことになっていましたから、何らかの手段で酒を持ち込まなければ苦しいことになります。僕は酒のディスカウントストアの店内をしらみつぶしにあたった後で、ドイツ製のビールを一箱買い求め、それを「ノンアルコールビールだ」と言い張って、家族の前で飲むという作戦に出ました。

父が亡くなった後の家で、母を一人暮らしさせるわけにはいかない・・・それには兄一家がローンの残る家を売り払って実家に戻るしかない。けれど、江戸時代から建っている古い家屋敷に入るのは、義姉が納得するはずもありません。そこで、新しい家を建てねばならないのですが、兄にはそんな金もなし。先祖代々受け継いできた土地を売って家を建てる金を作ったとしても、「俺たちは反対しないから」と叔父たちが兄を説得したとか、しなかったとか。

そんな相談が行われている最中、僕は確実に酔っぱらっていきました。

年が明けると、今度は妻の姉夫婦の家に挨拶に行かねばなりませんでした。ところがもうその日の自分はピキピキの禁断症状の真っ最中で、見知らぬ家で笑顔らしきものを顔に貼り付けているのは半日が限界でした。
帰りの車の中で、妻に八つ当たりしていると、「やっぱりあなた飲んでいたのね」と逆に責められることになりました。

正月休みが終わって、仕事が始まっても、当然まるで仕事になりませんでした。職場の椅子に座りながら、「なぜここで席を立って、すぐそこの酒屋の自動販売機でビールを買って飲んではいけないのだろう」という考えが、繰り返し繰り返し浮かんできました。

この時期に、仕事で浜松へ出張に行っているはずです。一人で行かせるには不安だからと、同僚がお目付役に付いてきました。だが、僕は名古屋に着いたことと、そこから新幹線に乗ったことは憶えているものの、浜松のことはまるで思い出せません。夕刻、名古屋から特急しなのに乗って帰るとき、僕と同僚は喫煙車両と禁煙車両に別れました。僕はさっそく車内販売でウィスキーを買って一息つきました。そのことだけははっきり憶えています。

仕事を放り出して入院するしかないのは分かっていました。けれど、なかなかその道を選べませんでした。プロジェクトは逼迫し、簡単に逃げ出せる状態ではありませんでした。もう家庭から新婚の喜びは消えていましたが、それも入院してしまえば、良い雰囲気を取り戻すチャンスはもう二度とないでしょう。
だから、なんとか入院しないで、現状のままで良くなりたい・・・そう言いながら、飲んだり止めたりを繰り返して、日にちだけが経っていき、状況がずるすると悪くなっていきました。良くあるパターンであります。

あの時に、誰が何と言っても、僕は入院しなかったでしょう。けれど、アルコールは偉大な説得者でした。とは言え、僕が入院を決意するまでは、まだその先二ヶ月飲み続ける必要がありました。

(続く・・かなぁ)


2007年12月02日(日) 10 years ago (15) 〜 手遅れだと言われても、口笛...

10 years ago (15) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃

10年前というタイトルで書き始めたこのシリーズですが、続きを書かないでいるうちに、もう12年前ぐらいになってしまいました。

さて、新婚旅行中にまた飲み出してしまった僕ですが、妻が「日本に戻ったらもう飲まない」という空約束を信じたおかげで、新婚早々夫婦げんかをして過ごすということは避けられました。けれど、たった数日の飲酒生活を送っただけで、酒が切れれば禁断の苦しみという依存症の症状もぶり返してしまい、身体の不調はごまかすことができませんでした。

まだ、日本に戻る飛行機の中は良かったのです。機内サービスの酒を飲み、なんとか禁断症状をなだめすかししていましたし、苛立ちの対象は、ただでさえ狭いエコノミークラスの座席に、妻が空港で買い込んだおみやげを手回り品で持ち込んだため、手足を満足に動かせないことに向かっていました。
けれど・・日本に着いてしまえば、もう言い訳はできません。成田から東京へ、東京から長野へと戻る列車の中で、早くも悪寒と震えがやってきました。

新居のアパートで過ごした翌日。僕はこの症状を和らげてくれる薬を処方してもらおうと、精神科医の診察を受けました。「やっぱり飲んだのですね」と尋ねる医者の言葉に、「ええ、飲んじゃいました」とためらいなく答える僕。その言葉を聞いて、初めて妻は「これは困った人と結婚したのかも知れない」と悟ったそうです。

二人でAAミーティングにも行って「スリップしました」と報告しました。けれど、それで何が変わるわけでもなく、僕は断酒後の抑うつ状態を抑える薬を飲みながら、ノンアルコールビールと普通のビールをかわりばんこに飲んでいました。

遅れに遅れていた仕事に復帰したものの、酒が止まっていない状態ではまるで仕事になりません。なんとか仕事をしなくては・・と1日2日酒を切ってみるものの、アルコールを体から抜いてみたところで、バランスを崩してしまった脳の調子は、すぐには戻りません。どんどん追いつめられていくものの、結局半月まるで仕事ができないままに年末の休みに入ってしまいました。

(そのうち続く)


2007年12月01日(土) オカマ計画失敗の巻

久しぶりにエレキネタ。

ソニーのFelicaリーダーライターが届きました。
これがあれば、どこにいてもパソコンさえあればSuicaの残高が確認できます・・って全然実生活に意味を成さないし。パスモもトイカもイコカも持ってませんし。

実はEdyのチャージが出来まして、JALのマイレージがつくクレジットカードでチャージして、飛行機に乗らずにマイル数を稼ぐという「オカマ計画」(丘マイラー計画)を立てていたのですが、何度やってもカードが登録できません。
パソコンの画面には「エラー:現在センターが混み合っています。時間をおいて・・・」と表示されるのを信じて、30分おきに5回くらい試したのですが、ちっとも混雑が解消しません。苛ついてカスタマーセンターに電話してみたら、「ああその会社のカードからはチャージできませんよ」とあっさり言われてしまいました。
Edyにチャージできるカードは、ANAマイレージしかつかないのか・・・。

話は変わりますが、減薬中なのでイライラします。アルコールの離脱症状に比べれば軽微なものですが、毎度毎度イライラさせられる体験です(当たり前か)。

さて、スポンサーシップはスポンサーを回復させない、と思います。
自分の回復は自分でステップをやらねばなりません。スポンシーに関わることで、自分がステップをする代わりにはなりません。いくらスポンシーが回復しても、それでスポンサーが回復するわけではありません。

それでも、スポンシーを持つことは大切だと思います。

鉄は熱いうちに打て、という言葉の通り、酒の止め始めの苦しい時期は「苦しさ」がステップに取り組む動機になります。その時期を過ぎてしまうと、なまじミーティングに通い続けるだけで、半年・1年・2年・・と飲まない生活が続いてしまい、ステップをやる動機が失われてしまいます。冷めた鉄を打っても形は変わりません。
そういう意味では、何年経っても苦しいままってのは福音ですね。

僕はスポンシーを持って、初めて自分が「伝えるべきもの」を持っていないことに気がつきました。そこで再び自分がステップをやる動機が与えられたのです。実は苦しいままだったってのもありますけどね。

「自分がまだ手にしていないものを人に手渡すことができないのははっきりしている」P240。


2007年11月30日(金) 恋愛上下関係論

今日はお休みの日であり、午前中布団の中で一日の計画を練っておりました。
ここのところずっと職探し中だったスポンシーから、正社員採用されたという知らせが先日届きました。彼とは毎週ミーティングの前にビッグブックの分かち合いを続けている、毎回4ページぐらいしか進みません。細切れになると、どうも集中力を欠きます。しかも、来週から彼が勤務を始めてしまえば、それが続くかどうかも不確定です。

これはどうも良くない。

「よし、自宅まで押しかけてやろう」(ヤサは知っていることだし)と思いついて、携帯にかけてみると、あに図らんや、わずか5分ほどの距離にいることが判明しました。こういうのを偶然と呼ばず、神の意図と呼び習わすのだ、と先ゆく仲間から教えられているのです。

そんなわけで、平日昼間のカラオケボックスで、中年男二人が、歌も歌わずに3時間半、ビッグブックの分かち合いをしたのであります。第2章途中から第3章のお終いまで一気に進めました。ここは結構厳しいところですね。「お前は酒に関しちゃマトモな判断のできないキチガイだ」って言っているところです。厳しいスポンサーで申し訳ないとは思うのですが、ヌルいことは言っていられません。

夕方は精神科のクリニックへ。昼間眠くてたまらないので、増えた薬を元のように減らしてもらいました。最近ずっと患者の注文どおりの処方になってませんか、先生?

さて、ステップはドミノ倒しという話を書こうと思ったのですが、今日は真面目な話はもう飽きたので、「恋愛の上下関係」というヌルい話にしましょう。

恋愛依存症の人に教えてもらったのですが、「恋愛とは上下関係」なんだそうです。ここで、男女は平等であるとか、恋愛はお互いのリスペクトが大切なんていう話は脇に置いておいて、単なる恋の駆け引きの話です。

デートでもセックスでも、お互いの合意がないと成り立ちません。
「今度の週末デートしようよ」と誘っても、相手に「ダメ」と言われたらそれっきりです。この場合「ダメ」と言っている方に主導権があり、これを上とすれば、誘う方は下です。
逆のパターンもあり、「今度の週末デートしようよ」と誘われたときに、都合が悪くて断ってしまうとこの先当面デートできないような場合は、今度の週末は万障お繰り合わせの上デートにはせ参じなければなりません。ここでは誘っている方に主導権があります。
たいてい「より愛してしまった」方が主導権を握られ、愛された方が主導権を持つことになります。もちろん、恋愛の気持ちには波がありますから、この主導権は男に移ったり、女に移ったりしていきます。プレゼントを贈ったり、体を許したりなどなどして、主導権の奪い合いをするのが「恋の駆け引き」の楽しさでもあります。
だから、天にも昇る気持ちになるときもあれば、○| ̄|_ になるときもあるのが恋愛です。恋愛だってストレスなんですよ。

ところが精神的ストレスに対する耐性が低い人の場合、相手に主導権を握られた恋愛に耐えられません。なんとか主導権を奪い返し、望むときにデートし、望むときにセックスしたい・・でも回りくどい手順を踏んだり、時機の到来を辛抱強く待つのも嫌だとなれば、あとは力づくの解決しかありません。
というわけで、デートの時に暴力をふるって相手に言うことを聞かせようという「デートDV」になってしまうわけであります。
いつも心地よい思いだけしていたい・・という点では依存症と似ているのかも知れません。

砕けた話をしようと思ったのですが、最後はなんとなく真面目な締めになってしまいましたね。あなたも、いつもだらだらと長いこの雑記を、よく最後まで読んくれますねぇ。それは結構すごい能力かも知れませんよ。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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