心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年12月04日(火) 安易な癒しに逃げない

朝から雪がちらついていました。
夕方職場を出ると、駐車場の車の上に雪が積もっていました。
2週連続で火曜日のミーティングへ。2週連続でバースディなのでした。悪いとは言わないけれど、まとめることはできなかったのだろうか・・・と思ってしまいます。
中山道で有名な、信州の木曽谷にはAA会場がありません。断酒会ができたのもそう古い話ではありません(10年ぐらい)。木曽と伊那を結ぶトンネルが開通したのが去年の2月。今日の人は、そのトンネルを通ってAAに通った人でした。恵みを得た人です。

ぶっちゃけAAミーティングはアルコホーリクを回復させないと思います。
少なくとも、ステップが与えてくれる回復を、ミーティングは与えてくれません。

それから、生きることが楽なときには人は回復しません。生きることが辛いときに、楽になろうと何か(この場合はステップを)することで、人は回復します。

実はミーティング通い続けることで、生きることが楽になってしまうのは、大変困ったことです。だって、人は楽なときにステップをやろうとは思いませんから。そして「鉄は熱いうちに打て」の言葉ではありませんが、時間が経って楽になってしまった後では、いくら叩いても膨らみすぎた自我は凹みません。

うまくしたもので、楽だと思っていても、生きていれば辛いことはやってきます。そこで、ミーティングの数を増やしたり、AAのイベントに行って楽しんだり何かして、楽になってしまう・・とせっかくのチャンスが台無しです。そこで変わる努力ができたのに「安易な癒し」に逃れてどうする?
そんなだから、男に(女に)逃げたり、薬に逃げたりするんでしょ?

じゃあミーティングは何のためにあるのか? そりゃ多分ステップをやる力をつけるためですよ。辛いときしか回復しないとしても、辛くて飲んでしまったら元も子もないですし、前進のためのエネルギーを得る場所は必要ですから。

とはいえ、僕もAAイベントには遊びに行っているだけですが(家族には内緒だよ、美味しいものを食べていることも内緒だ)。


2007年12月03日(月) 10 years ago (16) 〜 手遅れだと言われても、口笛...

10 years ago (16) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃

さて、新婚の僕と妻は、僕の実家で年を越すことになりました。
当然、妻にも、母にも、兄にも、僕は酒を止めたことになっていましたから、何らかの手段で酒を持ち込まなければ苦しいことになります。僕は酒のディスカウントストアの店内をしらみつぶしにあたった後で、ドイツ製のビールを一箱買い求め、それを「ノンアルコールビールだ」と言い張って、家族の前で飲むという作戦に出ました。

父が亡くなった後の家で、母を一人暮らしさせるわけにはいかない・・・それには兄一家がローンの残る家を売り払って実家に戻るしかない。けれど、江戸時代から建っている古い家屋敷に入るのは、義姉が納得するはずもありません。そこで、新しい家を建てねばならないのですが、兄にはそんな金もなし。先祖代々受け継いできた土地を売って家を建てる金を作ったとしても、「俺たちは反対しないから」と叔父たちが兄を説得したとか、しなかったとか。

そんな相談が行われている最中、僕は確実に酔っぱらっていきました。

年が明けると、今度は妻の姉夫婦の家に挨拶に行かねばなりませんでした。ところがもうその日の自分はピキピキの禁断症状の真っ最中で、見知らぬ家で笑顔らしきものを顔に貼り付けているのは半日が限界でした。
帰りの車の中で、妻に八つ当たりしていると、「やっぱりあなた飲んでいたのね」と逆に責められることになりました。

正月休みが終わって、仕事が始まっても、当然まるで仕事になりませんでした。職場の椅子に座りながら、「なぜここで席を立って、すぐそこの酒屋の自動販売機でビールを買って飲んではいけないのだろう」という考えが、繰り返し繰り返し浮かんできました。

この時期に、仕事で浜松へ出張に行っているはずです。一人で行かせるには不安だからと、同僚がお目付役に付いてきました。だが、僕は名古屋に着いたことと、そこから新幹線に乗ったことは憶えているものの、浜松のことはまるで思い出せません。夕刻、名古屋から特急しなのに乗って帰るとき、僕と同僚は喫煙車両と禁煙車両に別れました。僕はさっそく車内販売でウィスキーを買って一息つきました。そのことだけははっきり憶えています。

仕事を放り出して入院するしかないのは分かっていました。けれど、なかなかその道を選べませんでした。プロジェクトは逼迫し、簡単に逃げ出せる状態ではありませんでした。もう家庭から新婚の喜びは消えていましたが、それも入院してしまえば、良い雰囲気を取り戻すチャンスはもう二度とないでしょう。
だから、なんとか入院しないで、現状のままで良くなりたい・・・そう言いながら、飲んだり止めたりを繰り返して、日にちだけが経っていき、状況がずるすると悪くなっていきました。良くあるパターンであります。

あの時に、誰が何と言っても、僕は入院しなかったでしょう。けれど、アルコールは偉大な説得者でした。とは言え、僕が入院を決意するまでは、まだその先二ヶ月飲み続ける必要がありました。

(続く・・かなぁ)


2007年12月02日(日) 10 years ago (15) 〜 手遅れだと言われても、口笛...

10 years ago (15) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃

10年前というタイトルで書き始めたこのシリーズですが、続きを書かないでいるうちに、もう12年前ぐらいになってしまいました。

さて、新婚旅行中にまた飲み出してしまった僕ですが、妻が「日本に戻ったらもう飲まない」という空約束を信じたおかげで、新婚早々夫婦げんかをして過ごすということは避けられました。けれど、たった数日の飲酒生活を送っただけで、酒が切れれば禁断の苦しみという依存症の症状もぶり返してしまい、身体の不調はごまかすことができませんでした。

まだ、日本に戻る飛行機の中は良かったのです。機内サービスの酒を飲み、なんとか禁断症状をなだめすかししていましたし、苛立ちの対象は、ただでさえ狭いエコノミークラスの座席に、妻が空港で買い込んだおみやげを手回り品で持ち込んだため、手足を満足に動かせないことに向かっていました。
けれど・・日本に着いてしまえば、もう言い訳はできません。成田から東京へ、東京から長野へと戻る列車の中で、早くも悪寒と震えがやってきました。

新居のアパートで過ごした翌日。僕はこの症状を和らげてくれる薬を処方してもらおうと、精神科医の診察を受けました。「やっぱり飲んだのですね」と尋ねる医者の言葉に、「ええ、飲んじゃいました」とためらいなく答える僕。その言葉を聞いて、初めて妻は「これは困った人と結婚したのかも知れない」と悟ったそうです。

二人でAAミーティングにも行って「スリップしました」と報告しました。けれど、それで何が変わるわけでもなく、僕は断酒後の抑うつ状態を抑える薬を飲みながら、ノンアルコールビールと普通のビールをかわりばんこに飲んでいました。

遅れに遅れていた仕事に復帰したものの、酒が止まっていない状態ではまるで仕事になりません。なんとか仕事をしなくては・・と1日2日酒を切ってみるものの、アルコールを体から抜いてみたところで、バランスを崩してしまった脳の調子は、すぐには戻りません。どんどん追いつめられていくものの、結局半月まるで仕事ができないままに年末の休みに入ってしまいました。

(そのうち続く)


2007年12月01日(土) オカマ計画失敗の巻

久しぶりにエレキネタ。

ソニーのFelicaリーダーライターが届きました。
これがあれば、どこにいてもパソコンさえあればSuicaの残高が確認できます・・って全然実生活に意味を成さないし。パスモもトイカもイコカも持ってませんし。

実はEdyのチャージが出来まして、JALのマイレージがつくクレジットカードでチャージして、飛行機に乗らずにマイル数を稼ぐという「オカマ計画」(丘マイラー計画)を立てていたのですが、何度やってもカードが登録できません。
パソコンの画面には「エラー:現在センターが混み合っています。時間をおいて・・・」と表示されるのを信じて、30分おきに5回くらい試したのですが、ちっとも混雑が解消しません。苛ついてカスタマーセンターに電話してみたら、「ああその会社のカードからはチャージできませんよ」とあっさり言われてしまいました。
Edyにチャージできるカードは、ANAマイレージしかつかないのか・・・。

話は変わりますが、減薬中なのでイライラします。アルコールの離脱症状に比べれば軽微なものですが、毎度毎度イライラさせられる体験です(当たり前か)。

さて、スポンサーシップはスポンサーを回復させない、と思います。
自分の回復は自分でステップをやらねばなりません。スポンシーに関わることで、自分がステップをする代わりにはなりません。いくらスポンシーが回復しても、それでスポンサーが回復するわけではありません。

それでも、スポンシーを持つことは大切だと思います。

鉄は熱いうちに打て、という言葉の通り、酒の止め始めの苦しい時期は「苦しさ」がステップに取り組む動機になります。その時期を過ぎてしまうと、なまじミーティングに通い続けるだけで、半年・1年・2年・・と飲まない生活が続いてしまい、ステップをやる動機が失われてしまいます。冷めた鉄を打っても形は変わりません。
そういう意味では、何年経っても苦しいままってのは福音ですね。

僕はスポンシーを持って、初めて自分が「伝えるべきもの」を持っていないことに気がつきました。そこで再び自分がステップをやる動機が与えられたのです。実は苦しいままだったってのもありますけどね。

「自分がまだ手にしていないものを人に手渡すことができないのははっきりしている」P240。


2007年11月30日(金) 恋愛上下関係論

今日はお休みの日であり、午前中布団の中で一日の計画を練っておりました。
ここのところずっと職探し中だったスポンシーから、正社員採用されたという知らせが先日届きました。彼とは毎週ミーティングの前にビッグブックの分かち合いを続けている、毎回4ページぐらいしか進みません。細切れになると、どうも集中力を欠きます。しかも、来週から彼が勤務を始めてしまえば、それが続くかどうかも不確定です。

これはどうも良くない。

「よし、自宅まで押しかけてやろう」(ヤサは知っていることだし)と思いついて、携帯にかけてみると、あに図らんや、わずか5分ほどの距離にいることが判明しました。こういうのを偶然と呼ばず、神の意図と呼び習わすのだ、と先ゆく仲間から教えられているのです。

そんなわけで、平日昼間のカラオケボックスで、中年男二人が、歌も歌わずに3時間半、ビッグブックの分かち合いをしたのであります。第2章途中から第3章のお終いまで一気に進めました。ここは結構厳しいところですね。「お前は酒に関しちゃマトモな判断のできないキチガイだ」って言っているところです。厳しいスポンサーで申し訳ないとは思うのですが、ヌルいことは言っていられません。

夕方は精神科のクリニックへ。昼間眠くてたまらないので、増えた薬を元のように減らしてもらいました。最近ずっと患者の注文どおりの処方になってませんか、先生?

さて、ステップはドミノ倒しという話を書こうと思ったのですが、今日は真面目な話はもう飽きたので、「恋愛の上下関係」というヌルい話にしましょう。

恋愛依存症の人に教えてもらったのですが、「恋愛とは上下関係」なんだそうです。ここで、男女は平等であるとか、恋愛はお互いのリスペクトが大切なんていう話は脇に置いておいて、単なる恋の駆け引きの話です。

デートでもセックスでも、お互いの合意がないと成り立ちません。
「今度の週末デートしようよ」と誘っても、相手に「ダメ」と言われたらそれっきりです。この場合「ダメ」と言っている方に主導権があり、これを上とすれば、誘う方は下です。
逆のパターンもあり、「今度の週末デートしようよ」と誘われたときに、都合が悪くて断ってしまうとこの先当面デートできないような場合は、今度の週末は万障お繰り合わせの上デートにはせ参じなければなりません。ここでは誘っている方に主導権があります。
たいてい「より愛してしまった」方が主導権を握られ、愛された方が主導権を持つことになります。もちろん、恋愛の気持ちには波がありますから、この主導権は男に移ったり、女に移ったりしていきます。プレゼントを贈ったり、体を許したりなどなどして、主導権の奪い合いをするのが「恋の駆け引き」の楽しさでもあります。
だから、天にも昇る気持ちになるときもあれば、○| ̄|_ になるときもあるのが恋愛です。恋愛だってストレスなんですよ。

ところが精神的ストレスに対する耐性が低い人の場合、相手に主導権を握られた恋愛に耐えられません。なんとか主導権を奪い返し、望むときにデートし、望むときにセックスしたい・・でも回りくどい手順を踏んだり、時機の到来を辛抱強く待つのも嫌だとなれば、あとは力づくの解決しかありません。
というわけで、デートの時に暴力をふるって相手に言うことを聞かせようという「デートDV」になってしまうわけであります。
いつも心地よい思いだけしていたい・・という点では依存症と似ているのかも知れません。

砕けた話をしようと思ったのですが、最後はなんとなく真面目な締めになってしまいましたね。あなたも、いつもだらだらと長いこの雑記を、よく最後まで読んくれますねぇ。それは結構すごい能力かも知れませんよ。


2007年11月29日(木) 我が役者

さすがに社長肝いりのプロジェクトが佳境の時に、一週間休職したら、大事な仕事からは外されてしまい、毎日定時で帰れる身分になってしまいました。まさに神様は必要なものを与えてくれる、という仕組みになっております。

そもそも神様は、僕に「そのままでオッケーだよ」と言っていてくれるのですが、僕はそういうポジティブなメッセージが耳に入らないのであります。
例えば一日会社を休んでしまっただけで、「ああああ、また休んじゃったよ、俺ってダメ人間」という自己嫌悪と落ち込みの沼にズブズブとのめり込んでしまいます。そういう自虐的、自罰的なところから、実は歪んだ満足を得ていたりもします。
ようやくその泥沼を脱して、「調子が悪いんだから、休んでも仕方ないじゃーん」と開き直れた頃、仕事を休んだついでに、母と実家で夕食を食べる約束もすっぽかしたことをすっかり忘れていたせいで、実家からの電話に間抜けな声で出てしまったりすると、母が、
「お前、また仕事休んでるんだろう?」
と、ダメ出しが出てしまい、せっかく退けた自虐の心がぶりかえして、一からやり直しだったりするのであります。かように親というのは、60歳、70歳になり、よぼよぼになっていようが、恐ろしいものは恐ろしいのであります(いろんな意味で)。

神様の愛は無条件なので、「ステップを使って回復しなければお前を愛さない」というような条件(値札)はついていません。それは「回復しなかろうが、酒を飲もうが、浮気をしようが、人を殺そうが、お前を見捨てはしない」という深く揺るぎない愛情なのですが、未熟な僕はそうした無条件の愛をついつい生身の人間に求めて、結果お互いダメになってしまったりするのであります。

他方、神の愛の無条件が信じられず、常に誰か(何か)の役に立っていなければ、品行方正でいなければ、自分は無価値な人間なのではないか、だから辛くても頑張らないと・・という強迫観念の虜でもあります。そりゃ生きるのに疲れ果てたりもするって。

結局の所、自分が神の役を演じている間は、どうにもなりません。

別段そんなことは「神」というコンテクストを使わなくても説明できることなんですが、「生身の人間からは得られない深い愛情を与えてくれる存在」というのを説明するのに「神」という言葉が一番分かりやすくて便利なのであります。


2007年11月28日(水) 奇妙な安定

例えば旦那さんが飲んだくれのアル中で、奥さんが一生懸命旦那の世話をしているとします。この関係は不健康ながらも、奇妙な安定のもとにある場合が多いのです。だから、現状維持の圧倒的なパワーが働き、なかなか事態が変わりません。

奥さんが、これではいけない、と思って、医者へ行ってみたり、断酒会やアラノンへ行ってみたり・・・そういう行動を始めると、奥さんに変化が訪れます。すると、不健康ながらも安定していた関係が不安定になってきます。健康な関係に変化するためには、これは避けて通れないフェーズのようです。
そこで(おそらくは意識せずにでしょうが)旦那さんが以前より大きなトラブルを起こして、奥さんの変化を止めようとする行動に出ることがあります。それによって、奥さんが引き戻され、ふたたび夫婦は以前の不健康な安定を取り戻す・・というパターンが繰り返されます。

逆もあって、旦那さんが酒を止め始めたら、奥さんがうつ病になったり、浪費に走ったり、男に走ったりして、旦那が安心して家を空けられないということになり、またずるずると酒を飲む生活に戻っていく、というパターンもあります。

奥さんがアル中の場合には、シラフで家を空けがちな奥さんよりも、飲んだくれでも家にいる奥さんの方が良い、っていう旦那はいっぱいいそうです。なので、旦那が奥さんの回復の足を引っ張る引っ張る。結局離婚するまで回復が始まらない場合もしばしばです。

同じことは親と子でも起こります。この場合の abuse な関係も、不健康ながらも奇妙に安定しています。子供が多少回復して、精神的に自立しようとすると、親の方がなんだかんだと圧力をかけて、元の abuse な関係に引きずり戻そうとするのもよくあります。
酒を止めるのと親子の関係の整理が同時進行する場合、親と同居ってのは、実は大きなハンディキャップだったりします。ただ、金銭的にも不安定な時期なので、親のすねを囓れるだけ囓るってのも必要だったりします。
けれど、優先順位からしたら、多少経済的に無理をしても(つまり生活保護を受給する羽目になっても)、親元から離れた方が順調にいくと思います。まあ、酒が止められなければ孤独死しちゃうかもしれませんけど。
(僕は見たことがありませんが、親の回復の足を、子供が引っ張るっていうケースもあるそうです。その場合引き離すべきかどうかは、専門家でも意見が分かれているようです)。

アル中の奥さんがやっと離婚して回復が始まると思ったら、実家に戻って今度は親に足を引っ張られたり・・・。回復を応援しながら、同時に足を引っ張る人間は多いのであります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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