心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年11月11日(日) ああ、イライラする。

うつも底をついて、回復へと向かいつつあるようです。

だんだんうつが酷くなっていくときもイライラするのですが、良くなってくるときは輪をかけてイライラします。これはこの病気の症状の一つだそうです。

良くなってきたというのは自分でも分かります。だから早く活動を開始したい・・・とは思うのですが、まだ完全には良くなっていないので、いろいろ思い通りに自分が動けません。体もしんどいし、頭も考えがまとまりません。けれど、遅れた仕事のことなど考えると、気持ちばかりが焦ります。焦った結果がイライラです。

このイライラは要注意で、事実うつ病の人の自殺も、悪化していくときや、最も症状の酷いときではなく、良くなってくるときが一番多いのです。気持ちの辛さも、実はこの段階が一番辛いのかも知れません。
ここで無理をするとぶり返すので、明日は多分仕事は休みにします。社長肝いりのプロジェクトで、メインのユーザーインタフェースができてないと、立場がなくなりそうな感じですが・・。そんなことは心配しても仕方ありません。御身お大事であります。

仕事や経済の点ではちっとも僕は安定しません。感情もいつもふらふらしてばかりです。とてもトラブルの多いソブラエティで、周囲から見て「立派なソブラエティ」とは言えたもんじゃないと、自分でも思います。
けれど、「立派なソブラエティ」を送ることが目的なのではなく、ふらふらよろめきながらでも、次から次へとやってくる問題を、ひとつひとつ乗り越えていくことが、ソブラエティの目的とか価値ではないかと思います。

ともかく今は、焦らない、焦らない。


2007年11月10日(土) すでに限界を超える

今週は久しぶりにうつの波がやってきて、二日休んでしまいました。
医者に行ったところ、「あなたは、数日会社を休むための診断書を買いに来たのか、それとも追加の薬を買いに来たのか」と選択を迫られ、「うーん、薬ですね」と答えてしまったために、半年かけて減らしてきたレスリンの量が3倍になってしまいました。本当に必要なのは休みの方だったのかも知れません。
薬のおかげで、うつは楽になったものの、昼間ぼうっと眠い状態になりました。

で、この一週間ドタバタしている間、次女もお腹が痛いとか言いながら、しばしば学校を休んでいました。まあ登校拒否であります。

二人の娘は、ときどき「学校行きたくない」と宣言して、実際学校を休んでしまうこともたびたびです。親の方にいろいろ事情が重なり、精神的に辛いときに限って、子供の「学校行きたくない」が始まるので、「こっちがイッパイいっぱい限界状態なのに、ここでさらにトラブルを増やすなー」と思わず叫びたくなってしまいます。

でも、親がイッパイいっぱいの限界状態だからこそ、子供も学校が嫌になるのが真実のようです。「学校行きたくない」と言われると、すわ「学校で何かあったのか!」と原因を学校に押しつけたくなってしまいます。けれど、過去に先生に問題があったのが一回、同級生に問題があったのが一回。残りの全部は家庭の側の問題(だと思われます)。

大人が仕事に行って疲れるみたいに、子供も学校に行けば疲れるみたいです(当たり前か)。家に帰ったら、精神的にも肉体的にもゆっくり休んでくつろぎたいのは当たり前。ところが、家で大人たちが「限界ギリギリ」の緊張状態だったら、やっぱり子供も休めなくて、心に疲れがたまり、学校に行くエネルギーが枯渇してしまう、という仕組みではないかと・・・。

こういうときは、子供を責めずに、今やっていることを放り出してでも、「親が」のんびりするしかありません。子供に症状が出てからでないと、自分が(限界ギリギリではなく)すでに限界を超えていることに気づけない、そういう親でごめんねであります。

というわけで、この週末は休日出勤届を出してあるものの、今日に続いて家でゴロゴロするのであります。


2007年11月09日(金) 研修会メモ(自然的回復)

さて、アメリカではアルコール医療も自助グループも(少なくとも日本と比較すれば)充実しています。

アルコール依存症治療の調査研究を進めていくうちに、医療ともサポートグループとも無縁に酒をやめ続けている人が想像以上に多いことが分かってきたそうです。こういう一人で酒をやめているケースを、ナチュラル・リカバリー(自然回復)と呼びます。

医者も嫌い、自助グループも嫌い、酒をやめるぐらい一人でできる・・と主張する人はたくさんいますが、ある程度の年数継続できたという人は数えるほどしかいません。では、アメリカでの調査で「意外とたくさんいた」という自然回復者は、どんな人たちでしょうか?

その人たちは、主に都市部にいるのだそうです。そして「個人的な脆さ」を抱える人たちです。
たとえば、親がアルコホーリクで、小さい頃から飲酒の過酷な現実を見せつけられ続けた人たち。あるいは長年DVの被害を受け続けた人。小さい頃から性的虐待を受け続けた人など。講師の先生は、回復のための内部資源(internal resource)と呼んでいましたが、その内部資源が少ないために、誰とも人間関係を結ぶのが難しく、結果として医療の現場にも、自助グループにも登場できない人たちです。
つまり、一人で回復=自然回復を好んで選んでいるわけではなく、それしか選びようのない人たちが、やむなくアルコールや薬物の依存から自然回復の道を進むというのです。

また外部資源という意味では、あまりにも過疎地に住んでいるために、医療もサポートグループも存在しない条件の人もいるそうです。

回復のための内部資源、外部資源というアイデアは、いままで考えたこともないものでした。


2007年11月08日(木) 研修会メモ(自然的回復)

さて、アメリカではアルコール医療も自助グループも(少なくとも日本と比較すれば)充実しています。

アルコール依存症治療の調査研究を進めていくうちに、医療ともサポートグループとも無縁に酒をやめ続けている人が想像以上に多いことが分かってきたそうです。こういう一人で酒をやめているケースを、ナチュラル・リカバリー(自然回復)と呼びます。

医者も嫌い、自助グループも嫌い、酒をやめるぐらい一人でできる・・と主張する人はたくさんいますが、ある程度の年数継続できたという人は数えるほどしかいません。では、アメリカでの調査で「意外とたくさんいた」という自然回復者は、どんな人たちでしょうか?

その人たちは、主に都市部にいるのだそうです。そして「個人的な脆さ」を抱える人たちです。
たとえば、親がアルコホーリクで、小さい頃から飲酒の過酷な現実を見せつけられ続けた人たち。あるいは長年DVの被害を受け続けた人。小さい頃から性的虐待を受け続けた人など。講師の先生は、回復のための内部資源(internal resource)と呼んでいましたが、その内部資源が少ないために、誰とも人間関係を結ぶのが難しく、結果として医療の現場にも、自助グループにも登場できない人たちです。
つまり、一人で回復=自然回復を好んで選んでいるわけではなく、それしか選びようのない人たちが、やむなくアルコールや薬物の依存から自然回復の道を進むというのです。

また外部資源という意味では、あまりにも過疎地に住んでいるために、医療もサポートグループも存在しない条件の人もいるそうです。

回復のための内部資源、外部資源というアイデアは、いままで考えたこともないものでした。


2007年11月07日(水) 医者の妻

高校卒業25周年で同窓会をやるという案内が来ました(年がバレますな)。
案内が届いたのは実家です。高校の同窓会には、今の名前、住所などは伝えていません。同窓会名簿に掲載されてしまうと、株やら先物やら英会話やらの勧誘の電話がうるしさいし、同窓会の記念事業の寄付願いもうっとうしいので、実家の住所に戻しておいたのです。

昔の同級生(女性)がわざわざ実家まで持参してくれたそうです。彼女はいわゆる幼なじみですが、小学校の途中で親の転勤で転校していきました。その後、高校で偶然同じクラスになります。上野にある芸術系の大学に進学したそうですが、その後郷里に戻って精神科医と結婚したと噂で聞きました。

母が転送してくれた案内のはがきを見ると、確かに返信先の名字が、いつもAAの病院メッセージでお世話になっている精神科の医者と同じでした(いまは独立して開業している)。かように田舎は世間が狭いのであります。

普段は土日は確実に休みなのですが、同窓会のある週末は仕事が忙しくてつぶれる可能性大です。お断りの返事だけでなく、わざわざ葉書を届けてくれたお礼も伝えることにして、はがき記載の携帯番号へと電話してみました。声を聞いても昔の彼女の顔はおぼろげにしか思い出せませんでした。「30周年には会えますよね」と言われたので、5年後にまた彼女にはがきを運ぶ役をさせるのも悪いと思い、はがきに現住所を書いて差し出しておきました。

同窓会へ行くと、どうしても人と自分を比較してしまうので、あまり行きたいとは思いません。けれどその判断はまた5年後まで延期されたというわけです。そういえば、もう一人の幼なじみも医者と結婚したんだっけ。

ミーティングテーマ「狂気」。

きちんと酒をやめていても、なぜか「また酒を飲んでも大丈夫」という気持ちに、いつかなってしまう。これを知識とか理性では防げないからこそ「アルコホリズムの狂気」です。もちろんAAの仲間という人間的な力でも、ミーティング場という時間や場所に制約のあるものでも、それは防げないでしょう。

ステップ2は契約の機会だと思います。その契約の結果、僕はステップ3〜12を行う責任を負います。一方神様の方は、僕を正気に戻すという責任を負ってくれます。
自分を正気に戻すのは僕の責任ではないし、余計なことをする必要もありません。僕がきちんと自分の側の作業をしていれば、神様もきちんと僕を正気に戻してくれます。
だから、将来また狂気の瞬間が訪れて、ふたたび酔っぱらってしまうのではないか・・という心配は無用で、自分がステップをできているかどうかを心配すれば済むのです。


2007年11月06日(火) 研修会メモ書き(霊的・宗教的・世俗)

とある若い女性に「どうしてAAの人たちって、初対面でもこうなれなれしいのか」とチクリとやられてしまいました。・・・あいかん、さっきの態度はなれなれしすぎたかと、内心反省しました。

考えてみると、初対面の女性になれなれしすぎる話し方をするなんて、自分がいかにこの10年で変わったかを感じました。10年前の自分は、女性を目の前にすると何を話していいのか分からなくなるくらい緊張していたのですから。(女好きの本性が現れてきただけじゃん、という話もありますが)。

相手が男であれ女であれ、自分がどう思われているか気にしすぎている頃は、初対面で話をするのには極度の緊張がありました。でもそういう心理的障壁を乗り越えなければ、寂しい思いをさせられるのが今の日本のAAであります。トレーニングを積まされたということでしょう(なんか絶妙な自己正当化かもしれない)。

さて、アメリカにはアルコールにも様々なグループがあります。

まず、スピリチュアル(霊的)な系統として、12ステップを使うAAがあります。

より宗教的なグループもあります。キリスト教系(Alcoholics Victorious, 1948, 150グループ)、イスラム教系(Millati Islami, 1992)、これはどちらも12ステップを使います。

宗教とも12ステップとも無縁な「世俗の」グループもあります。Secular Organizations for Sobriety(断酒のための世俗組織、1986、2万人)、Women For Sobriety(女性のためのソブラエティ、1976、150グループ)。アンチAAとして(?)有名な Rational Recovery(理性的回復)はグループを組織せず、人数も公表された数字がありません。

面白いのが Moderation Management(節酒管理、1993、20グループ)で、これは節酒を目指す人のグループです。これがなぜ広まらないのか、なんとなく分かる気もするのですが・・・。
このMMグループに参加すると、最初の30日は禁酒を言い渡されるのだそうです。が、たいていのアル中さんは30日の禁酒ができずに、諦めてAAに向かうそうです。30日後からは決められた少量の飲酒へと移るのですが、ここでも失敗してAAに向かうのだそうです。節酒を成功させる人は少ないのでしょうね。

MMが全米に広がれば、それはAAへの良いインテークになるだろう、という皮肉な見方も紹介されていました。日本でもMMグループができて広まると良いですね^^)。MMのホームページに行くと、メンバーが毎日何杯飲んだかネットに公表していたりして、中には節酒は諦めた方が良さそうな人もいて面白いです。

日本には断酒会という世俗系の大きなグループがあるので、その名前も何度も出てきました。先生は Danshukai を「デーンシュケーイ」と発音していました。


2007年11月05日(月) 研修会メモ書き(ジキル博士とハイド氏)

しばらく前に妻から聞かされたのですが、義姉(妻の姉)が「将来両親が没した後には、(今僕らが住んでいる)土地を更地にして売り、妻と義姉で折半して相続したい」という話をしていたそうです。
僕がこの家に婿養子に入る際、嫁に出ていた義姉は将来の相続を放棄するという約束だったはずですが・・・まあ義姉さんのところも、最近は経済的にずいぶん苦しいらしいので、そういうアイデアが出てくるのも理解できなくはありません。
とは言え、義姉さんもずいぶん気が早い。まだまだ義父母は健在で、この先に介護などの問題が待ちかまえていて、それがキーポイントです。その更に先の話でありますから、今心配したところでどうなるものでもないでしょう。

さて、アルコホーリクはジキル博士かハイド氏か?

酒に酔うと理性のタガが外れて本音が出ると言います。そうなると、始終酔っぱらって迷惑ばかりかけているアル中は「ハイド氏」となります。依存症は内なる悪を暴く、シラフの時は理性による制御が効いているが、酔っぱらってしまうとダメ人間ぶりが表に出てくるという捉え方です。

しかし、依存症治療の分野では「ジキル博士」と見ます。例えば12ステップの考え方では、人間性の根底には「善なるもの」が必ず存在しているという揺るぎない信頼があります。つまり本当のその人とはシラフの時であり、依存症によってその人の内なる良さが堕落してしまっただけという捉え方です。

不思議な話ですが、アル中本人は、周囲からどちらに思われているか敏感に察知する能力があります。

散々迷惑を被ってきた周囲(たとえば家族)が、ハイド氏解釈に傾くのはやむを得ない事かも知れません。結果として、酒をやめたアル中は家族の中で居心地悪く(針のむしろに)感じるでしょう。居心地が悪いから逃げ出すのか、居心地の悪さに怒りを覚えるか、本人の反応は様々でしょうけど。

AAグループがきちんと機能していれば、メンバー同士はお互いに「霊的な病気」であり、性格上の欠点ばかりが目立っていたとしても、それぞれの人の奥底には善(その人のハイヤー・パワー)が宿る事を認めているでしょう。それが仲間意識です。
だからこそ、AAに行ったときに「ふと気の休まる思い」を得ることができるのだと思います。

お互いの善性を信じることができないグループは機能不全状態であり、ミーティングは続いていても「ヨロイを着て風呂に入る」ような不自然が行われているわけです。メンバー一人一人が、ハイヤー・パワーへの信頼を持つことが「ひきつける魅力」につながるのでしょう。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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