心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年11月04日(日) さすがに疲れました

二日続けて「アディクション・カウンセリング」という分野のセミナー(研修会)に参加させてもらいました。おまけに宿泊は仲間の家に泊めてもらいました。

カウンセラーを職業にする予定は、今後も一切ありません。カウンセリングというのは、あくまでもプロフェッショナル対クライアントの関係です。一方、AAのスポンサーシップはアマチュアの関係です。しかし、AAのスポンサーシップを大事にしていくために、今回は何か得るものがあるかも知れないと思って行ってきました。

アメリカのアディクション治療250年の歴史を振り返るところから始まり(その本の出版記念も兼ねていました)、アディクション回復者がその分野のプロとして働くことの意味、現実にその分野で働いている人たちによるパネル、アメリカの現状の問題点とそれを克服する動きと続きました。

今は自分の頭の中に知識ばっかり詰め込まれた状態です。
この知識を何かに生かしていけるかどうかは、今後の自分次第です。

パンパンにふくれた頭の中で、ちゃんと残って使われていく知識はわずかだと思います。それでもすべてを経験から学んでいけばいいほど、人生は長くありません。経験という教師は「授業料」が高すぎるのであります。

久しぶりにメモをたくさん書いたので、右手が痛くなりました。その中身についても、折々取り上げていきたいと思います。

酒をやめた後も「気分を変える薬」の乱用が続くなら、それはシラフとは呼べません。不要な薬は使わないのが一番です。しかし、様々な精神科の薬が必要な人はたくさんいます。質問の機会があったので、そこらへんを尋ねてみました。
アメリカでもそういう「薬を使いながらのソブラエティ」という人は増加傾向で、それは世界的な傾向なのだそうです。またそういう人たち専門のグループも複数あるのだとか。
薬が必要な人もいますが、一方で不要な薬を処方されている危険な状態の人もいます。それをどうやって見わければいいのか・・という素人丸出しの質問に対し、高名な先生は簡潔に答えてくれました。
「それは解毒してみなけりゃわからんね」(とかなんとか)

どういう意味なんでしょう、とほかの方に解説を頼みました。
「薬も断ってみて、それで問題が起これば、やっぱり薬が必要だったんだって分かるんじゃないですか」

なるほど、まずいったん薬も断ってみなければ分からないということですか。考えてみれば当然ですね。


2007年11月02日(金) アンコン(とは略さないか)

早く寝たいので、ネタはテキトー。
テレビをつけたらアンガー・コントロール(怒りのコントロール)についてやっていました。

物をつかんでいたら離す
 →それで叩いたり、投げつけたりするのを防ぐ。

握っている拳を開く
 →殴らないようにね。

手を後ろ手に組む
 →同じく。

おしりに力を入れる(尻の割れ目で鉛筆をはさんでいるかのように)
 →前のめりにならない。

ともかくその場から離れる 10分避難する
 →現場から離れる。

叩かなかった自分を褒める
 →これは大事。

しゃがみ込む
 →もはやどうしようもない時の緊急対処法。

相手より目線が上(見下ろす感じ)なのは、怒りをコントロールする側にとって不利。例えばしゃがむことで、子供と同じかより低い視線にする。

土日と、代々木で研修会に出てくるので、更新はお休みです。


2007年11月01日(木) また仕事に救われる

6時間はぐっすり寝たはずですが、7時半に目が覚めたものの、そのまま10時半まで起きられずにいました。死んでしまった人のことよりも、生きている人間のドタバタのほうが、どうにも心に引っかかっていけません。

よっぽど仕事を休みたいと思いました・・が、客先に行ってデバッグするという約束があったので、仕事に出ないわけにはいきません。11時半に出社し、車に機材を積んで出かけたものの、どうにも集中力がありません。抑うつ状態というやつです。

この車で自宅へ帰って、布団で寝たいと心底思いましたが、おそらくそうして寝ていても、いろいろな事がぐるぐる頭の中を回るだけで心が安まらないでしょう。そうこうするうちに、車は客先の工場に着いてしまいました。

僕のやっている仕事は(野球で言えば)エースピッチャーや四番バッターの仕事ではありません。どちらかと言えば、守備固め要員、ピンチランナー、バント職人みたいなもんであります。取引量の多い客によっては、わがままで無理っぽい注文を出してくるところもあります。主要メンバーが本来の仕事に集中できるよう、嫌な注文を片づけるのが僕の仕事です。

手渡された防塵着に着替え、エアシャワーを何度かくぐって、工場の奥へ奥へと潜っていきました。騒音の中で、持参したノートパソコンを開いてデバッグを始めると、不思議と気持ちがプログラムに集中されるのがわかりました。絡まったスパゲティーを解きほぐすように、ひとつひとつの問題を解決していく、この過程が一番好きです。

3時間後にそこを退出する頃には、昼まで僕の頭を支配していた様々なことは、僕の頭の中で本来あるべきサイズまで縮んでくれたようです。「今回は仕事に救われたな」とつくづく思います。

出社があまりに遅かったので、夜9時まで働いても1時間の残業にしかなりません。まだ働いている人もいましたが、僕は携帯電話で話ながら職場を出て、AAミーティングに出ていた仲間と落ち合って一緒に食事をしてから帰りました。僕はいろんなものに恵まれています。

そんなわけで、日本シリーズは全く見ていませんでしたが、帰ってニュースを見て「やっぱり落合ってすげえ」と思いました。やはり勝つために全力の野球が素晴らしい。

1996年のオールスターゲーム、すでに点差が大きく開いていたため、全パの監督仰木は9回裏ツーアウトの打者松井秀喜に対して、投手としてイチローを登板させました。これは仰木の遊び心だったのでしょう。しかし、これを勝負に対する侮辱と受け取った全セの監督野村は、高津臣吾を代打に送りました。これで高津がヒットを打っていたら人々に名勝負と記憶されたかも知れません。が、結果はショートゴロ。

もちろん、松井がイチローからホームランを打っても、イチローが松井を三振に取っても、どちらも名勝負にはなり得ないわけです。


2007年10月31日(水) めげめげ

仲間の奥さんから、ご本人が亡くなったという電話を受けました。
連絡に忙殺されました。ミーティングの日で、普段より自由な時間が短く、さらには自分の心のケアもしないといけません。
昨日から、失踪する人、ODする人、顔がむくんでいる人、足を引きずっている人などなど、いろいろな現実を突きつけられて、少々メゲていたところへ、さらに追い打ちです。みなさんお酒は止まっている(いた)人たちです。
ちょうど今日のミーティングは第3章の後半でした。3章最後の文章。
「その力は、ハイヤー・パワーだけが与えてくれるのである」

仲間の笑顔に依存して酒をやめていてはいけない、と自分に言い聞かせる夜であります。


2007年10月30日(火) Windowsと同じで・・

感情の乱れを物理現象として捉えれば、それは脳のバランスの乱れです。
つまり感情が乱れている時は、脳内の化学物質の比率や、神経細胞の興奮ぐあいが偏っているということです。「心」の実体とはそういうものです。

人間の体には恒常性(ホメオスタシス)があって、崩れたバランスはある程度自動的に修正されるようにできています。脳も体の一部なので、脳内の偏りも時間が経てば元に戻っていきます。

人にはたまたまどこかの器官の復元力が弱いってことはあり得ます。私は胃が弱いとか、腸が弱いとか、肩が凝りやすいとか、人によって違いはあるでしょうけれど。

で、うつ病の人というのは、脳の復元力が弱いのです。脳内のバランスが崩れやすく、元に戻るまでに時間がかかるので、復元前にまた新たな乱れが加わって、さらにバランスが(つまり心の乱れが)増していきます。結果がうつです。だから積極的に脳の乱れをリセットし、バランスを取り戻していく必要があります。

その具体的な行動の提案が「祈りと黙想」です。これを朝晩、あるいは日中のどこかで行うことを習慣として身につけると、やがて違いが明らかになってくると思います。心を静かに落ち着ければ、どんな方法でも脳のバランスは戻ると思いますが、自分の経験からすれば「祈りと黙想」ほど効果的な手段は他にありません。しかも無料。
ですから、薬を飲み続けてもなかなかうつ病が良くなってこない、という人にはこの手段がお勧めであります。

また、うつでなくても、アル中の人たちは、脳のバランスの乱れを翌日に持ち越しがちです。「感情の二日酔い」というヤツで、昨日の怒りや恨み、自己憐憫を今日も引きずって悩む癖があります。これにも「祈りと黙想」は有効です。

ともかく、「祈りと黙想は脳に効く」「バランスのリセット」ということは憶えておいて損はないと思います。


2007年10月29日(月) 金銭と性欲

5月ころに「最近金遣いが荒くていけないな」と思いました。
要するに金がない、困ったぞってことです。

以前、金がなくて困ってます、という相談をスポンサーにしたら、家計簿をつけたらどうかなという提案をもらいました。なぜなのか、どうしてなのか、という説明はあまりしてくれないスポンサーでしたから、どんな提案であっても、その理由や理屈はこちらで考えねばなりませんでした。
家計簿をつけることで、自分がどんな使い方をしているか気づくことが必要でした。「金銭の正しい使い方が終わるところから、誤った使い方が始まる」と本にあります。自分のことは分かっているようで分かっていない。表にしないと分からない。棚卸しの理屈に似ています。

今回はエクセルのシートで自分の小遣い関係だけ毎日記録し、集計するのを続けることにしました。そうすると見えてくることがあります。たくさん金を使っていると思ったパソコン分野には、実はあまり使っていないこと。性欲関係には実は自分の予想以上にたくさん使っていたことなどです。
(どこまで性欲関係に含めるのかとか、具体的に何に使ってるの、という質問にはお答えできませんので、あしからず)
男ですから、それはゼロには出来ません。

家計簿の提案のころ、別のすごくソーバーの長いメンバーから「男のAAメンバーがソブラエティを続けていくためには、性の問題をなんとか処理しなくちゃならない。そのとき綺麗なことは言っていられないんだ」というシェアをもらいました。後年、女性のメンバーから「それは女だって同じよ」と教えてもらいましたけど。

「自分は性の問題を一つ解決した」という話を聞くこともありますが、ひがみっぽい僕は、そりゃ年取って衰えただけじゃないの? とか思っちゃったりして、いけませんね。

珍しくマイ・スポンサーに電話したついでに、「もう一人別のスポンサーを持とうと思う」と話したら、すごく良いアイデアだと言われました。そして奥さんから「あなたがひいらぎさんのスポンサーなんじゃなく、ひいらぎさんがあなたのスポンサーしたようなものよ」と言われたと笑っていました。いやいや、そんなことはない。
マイ・スポンサー、あなたの一番のスポンサーは奥様だと思いますよ。グランドスポンサーも、そう言っていたような・・・。


2007年10月28日(日) ごちゃごちゃ

夏の終わりに居間のカーペットを交換したのですが、古いカーペットが捨てられずに置いてありました。さすがに可燃ゴミでは出せないので、市のゴミ処理場まで処分に行きました。ついでに、家庭ゴミでは出せないもろもろも持っていきました。
ノートパソコンを一台処分。掃除機購入。
雨の週末、ユニクロへ行くものの駐車場へなかなか入れず、やっと入っても試着室が長蛇の列で諦めました。AAミーティングにも遠来の訪問者。

9月に二台目の携帯電話としてソフトバンク・モバイル(SBM)のを契約しました。ホワイトプラン月々980円というやつです。それを買うときの条件として、Wホワイト契約とか、パケット定額、その他いろいろのオプションを契約させられました。そうしないと売ってあげないと言うのだから仕方ありません。
最初の2〜3ヶ月は、そうしたオプションは無料サービスになっているので、その間に自分で不要なのを解約してください・・・と言われていたのですが、面倒なので放置してきました。来月からさまざまな課金が始まってしまうので、あわててこの週末に細々とキャンセルしたところです。
自分でオプションを解約するすべも知らず、高い料金を払わされて続けている人もいるんじゃないかと思います。

SBMは様々な手段で顧客数を増やしています。事業は順調に見えるのですが、それを支えるインフラの脆弱さは隠しようがありません。すぐ圏外になりますし、ネットワークは常に混雑気味です。それでもSBMしか使ってなければ、それが当たり前だと思うのかもしれません。

会社更生法を申請した例の英会話学校も、顧客数、店舗数を伸ばしているうちは順調でした。けれど、それを支える英会話講師(インフラ相当?)の整備が追いつかずに事業が回らなくなったのが破局の始まりでした。SBMにも同じ危うさはないのでしょうか。事業が破綻して携帯は使えないけど、割賦販売の請求だけが月々きたら嫌ですよ。

さて、以前にミーティング会場を借りたとき、その部屋は30人ぐらい入れる会議室でした。もっと狭い部屋もあったのですが、狭いのは会議室をパーティションで区切って二つに分けているような部屋だったので、隣室に会話が筒抜けになって、プライベートな話をするAAにはふさわしくありません。
だから、人数はごく少なかったものの、毎回30人用の部屋を借りていました。その施設の最上階には100人収容の大会議室がありましたが、平日夜にその部屋が使われることはまれでした。
そのうちに30人の部屋が人でいっぱいになるんだ・・いやいや、そんなもんじゃない。100人部屋を毎週満員にするぐらいになるぞ、とアル中らしい誇大な妄想を抱きました。しかも、それを実現するのは「俺だ!」ぐらいに思ってましたから、スポンサーに「お前はキチガイだ」と言われて当然であります。
個人の力でそんなことできるわけがない、というのが一点。もうひとつは、夢は夢でどんな夢を見てもいいけれど、誰とでも、本当に誰とでも協力できる自分にならなければ、夢は夢のままに終わってしまうということ。

あのころはスポンサー以外にも、いろんな仲間がひいらぎに、ごちゃごちゃアドバイスをしてくれました。ありがたいことでした。そういうのを言われなくなるのは淋しいものです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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