心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2007年10月16日(火) 謙虚以前の問題

小学校から中学へ進むときには、同級生がみんな一緒でも、高校になるとバラバラです。いや、小学校から中学への進学でも、慣れた場所を離れる辛さはあるでしょう。
僕は18で親元を離れ、大学を中退した後は、仕事は転々と変えてきました。AAのホームグループも、今のところが延べで5カ所目(実数だと3カ所)。来年はまた別のグループでバースディをやりたいと思っています。父親はすでになく、母親も老齢、夫婦といってもどちらかが先に死ぬのが通例です。

かように人生とは、誰かと親しくなっては別れ、場所に馴染んではそこを離れるという、別離と喪失の連続です。どうにも孤独であるのが人生の実態だと思います。

自分を愛せない人は、その孤独に耐えられないと思います。耐えきれず辛いからこそ、人を愛してみるものの、そもそも自分を愛せず、尊敬できず、信頼できない人間が、他の人を愛し、尊敬し、信頼できるわけがありません。結局、自分を満たす道具として相手を利用したあげく、喪失の嘆きを真の愛と勘違いしてみたりします。

孤独の人生にも、最初から最後まで自分につきあってくれる友人がいます。最も近しいその友人、つまり自分自身を最良の友として、愛し、尊敬し、信頼する。謙虚だ謙遜だなどという話は、それができた後の話であります。

世の中には自分を愛することが自然にできる人がたくさんいますが、アル中さんには少ないように思います。自分を愛する能力のない者が、その能力を獲得するのは大変です。でも、その能力の有無が人生の質を大きく左右するのですから、意識的な努力をしてみる価値はあると思います。

ニュース検索を更新しました。MSN毎日→毎日.jp、産経新聞→MSN産経への対応。検索元が空欄になるバグ修正。Googleニュースのチューニングなどです。


2007年10月15日(月) 300:100000000

初めて300bpsのモデムを買ったのは1985年だったと記憶しています。
値段の記憶は曖昧ですが、5万円と10万円の間だったと思います。それでも安くなったからこそ手が届いたのでした(bpsはビット/秒)。

ちなみに、初めて買ったプリンターは信州精器製で15万円ぐらい。初めて買ったパソコンは、本体20万・フロッピーディスクドライブ30万・白黒モニタが10万でした。だんだん年寄りの昔話になってきたので、ここらへんで止めておきます。

300bpsだと、調歩同期で1秒間に30文字。全角だと15文字伝送できます。読むのが早い人なら、秒間15文字は読めるでしょう。だから当時の電子掲示板システムには、記事を伝送表示ししている最中にスペースキーを押すと、その記事の表示をスキップする機能が付いていたりしました(つまらない記事を読まずにすますため)。

その後に1200bpsと4倍になり、2400bps、9600bps、14.4Kbps、28.8Kbps、33.6Kbpsとどんどん高速化していきました。電話回線がディジタルになって64Kbps。ADSLが1.5Mbpsあたりから始まってどんどん高速化。現在光回線を使っている人は100Mbpsでしょうか。

100Mbps=100000000bpsです。300bpsと比べるとものすごく高速で、ビデオ映像をリアルタイムで伝送できたりします。

でも、なぜかその高速回線を使って、300bpsの時代と変わらない電子掲示板という仕組みを使っていたりします。不思議と言えば不思議な話です。

疲れたので早く寝ます。


2007年10月14日(日) ヒューマン・ファクター

病院メッセージの輪番。この病院は3ヶ月ごとの輪番なのですが、4月は「ド忘れ」、7月は埼玉にいたので、9ヶ月ぶりでした。

さて、僕が日常で顔を合わせる人はせいぜい十数人でしょうか。生活の中ですれ違う人は多くても、コミュニケーションを取っているわけではないので、人間関係のあるには十数人ぐらいです。AAのミーティングに行っても数人〜十数人増えるぐらいです。

ところがコンピューターネットワークを介すると、その人数は飛躍的に増えていきます。そうすると、日常生活の十数人との間では、大きなトラブルのなかったコミュニケーションが、勢いトラブル含みになってきます。
僕は相手を知らないし、相手も僕を知らない、そう言う人たちが僕があちこちに書き散らした文章を読んで、さまざまな事を感じたり、考えたりします。そうすると、僕の予想を大きく越えて、さまざまな反応が起こってきます。良いことも悪いことも起こります。それがネットの醍醐味でもありますし、同時に怖さでもあります。

その怖さから「ネットの無名性」を使って逃げる人もいます。ある意味卑怯な手段ではありますが、やむを得ない自己防衛だってあるでしょう。ただ、逃げているのは、相手からではなく、自分からですね。たぶん。

日常生活で出会うわずかな人たちと、一見うまくいっているように見える人間関係も、実は潜在的にはトラブルの種を抱えているのでしょう。それがネットを介することで、相手の人数が一桁も二桁も、時にはもっと増え、試される機会が増えるだけ、潜在していた問題があぶり出される確率が上がるだけなんだと思います。

ネットの怖さといのは、実は日常の人間関係がうまくいっている(ように見える)のは単なる幻想であることを伝えてくれます。この場合も、危機が訪れたのではなく、幻想が終わっただけの話です。

1985年からネットに出ていますが、ネット上で起きる人間関係のトラブルは昔も今も変わりがありません。どんなに技術が進歩しても、おそらくそれは変わらないでしょう。なぜならそれは、ネットという技術の問題ではなく、それを使う人間の抱える問題だからです。


2007年10月13日(土) 自己決定

気に入らない仲間(AAメンバー)というのはいるものです。
僕は回復途上なので、たいていどこのグループに行っても「こいつは気に入らないな」という相手が一人はいるぐらいです(必ずいるわけではありませんぞ)。
でも、気に入らないのは、相手の問題ではなく、自分の問題です。

「気に入らない」と決めているのは、あくまで自分であって、相手ではありません。もし、相手の言葉や行動が自分に「気に入らない」という感情を呼び起こしているとするなら、それは相手に自分の感情を支配されているということです。
誰かに自分の感情を支配されるなら、それはおそらく不幸でしょう。
自分の感情ぐらい自分で決めたいものです。

というわけで、「気に入らない」のは自分の選択であって、相手の言葉や行動のせいではありません。「気に入らない」と思うのをやめることも、自分の自由な選択肢であるわけです。しかし所詮コントロール喪失なので「気に入らない」のを止めることも、なかなかできなかったりするわけであります。

今日は仲間のステップのお手伝い。でも、慣れないことなので、結構疲れました。緊張していたということでしょう。


2007年10月11日(木) AAで通用すれば・・

「AAでは通用しても、社会では通用しない」
という言葉があります。要するに、甘えているということでしょう。AAの仲間は甘えの行動を許してくれても、世間様は許してくれるとは限りません。

しかしながら、AAで通用すれば、社会でも通用するとも思います。
誰かが開けてくれているミーティングに通っているだけでは、その理屈は理解できないかも知れません。ひとたびAAを維持する側に回れば、「なんで俺はこんな苦労をしているんだろう」と思うぐらい、いろんな物事が発生してくるものです。

なにせAAは病気の人間だけで構成されている共同体です。ソブラエティの長短にかかわらず、性格の偏りは激しいし、「古い考え」ってのが染みついている人ばかりです(自分もね)。自分中心の人たちが一緒にやっていくわけですから、トラブルがないわけありません。

一方世間のほうは、おおむね健康な人間が(おそらく)半数以上を占めているでしょう。局所的な偏りもあるでしょうけど、それはおいといて。健康な人が多ければ、健康な論理で物事は進みます。

「自分がAAを出て行けば、飲んでしまい、やがて死んでしまう」と思っている人は強いですね。生き残りたいから、ミスを認めもするし、謝りもします。一緒にやっていかなければならないから、仲間を許します。ほのぼのした人間関係というボンドでくっつきあっているんじゃなく、プログラムに対する信頼という紐帯で結びついているからこそ、同じトラブルの繰り返しでも続けていけるのでしょう。

そうやって、トラブルから逃げ出さずに対処する訓練をAAで積んでいけば、世間の中で時折起こるトラブルにも対処していけるものだと思います。

日付が変わってから帰宅する日々が続くと、うんざりって感じなんですが、それでも高速バスで東京まで行って一日AAの会議に出てくるほうが、よっぽど疲れたりするのです。


2007年10月10日(水) 高すぎる目標設定

最初の頃は日常の記録など書いていたこの「雑記」ですが、次第に現実生活から乖離していっています。一番書いていておもしろいのは、AA関係の出来事です。けれどあまり生々しいことを書けば「私のことを書かないでくれ」と言われることになりますし、それを言われないなら言われないで恐ろしいことです。かといって、AAネタを避けても、家の中や仕事にそれほど変化があるわけでもありません。
AAミーティングでは、なるべく生(なま)の話をしようと思っていますが、この雑記では逆へと指向して、実際にAAでどんな活動をしているか具体は避けて書くしかありません。

ある人から(AAの)「ネットの巨人」「ネットセレブ」と揶揄されました。悪意があっての言葉ではないと分かっています。ただまあ、ネットの片隅でひっそりとやっている頃のほうが、気楽で良かったと時々思います。背負うものが重くなったなと。それと、アクセスカウンターが景気よく回っていたとしても、実際に雑記を読んでくれているAAメンバーの数が実は二桁だったりしないか、と検証しようのないことを考えたりします。

さて本題。

志が高いのは結構なことですが、高すぎる目標を設定するのは「挑戦」の気概ではなく「逃避」の心理だといいます。仮に目標を実現できなかったとしても、自分が傷つかないための「安全装置」であると。

年収10億円になるとか、100人の男に見せびらかしたら全員が羨ましがるほど「いい女」を手に入れるとか、文学賞を取って一躍人気作家とか、ニートだけど司法試験勉強中でいずれ弁護士だとか。

その夢に届かなかったとしても、周囲が(そして自分も)「所詮無理な夢だから」という一言で済ませてしまいます。

年収○百万、ともかく一人の異性の獲得、発表しなくても一本の小説を最後まで書く、どこでもいいから就職、という程度の実現可能な目標を設定するのは、実はしんどいことです。

この夢に届かなければ、自分はこんなこともできないのかと、落ち込む羽目になります。だから高い目標を設定することは「逃避」なんだそうです。

欽ちゃん(萩本欽一)が「若者は夢を見てはいけない」と言っていました。若いころに成功できるのはほんの一握りで、その他はこつこつ努力を続けて、やっと中年になる頃に夢への階段がおぼろげに見えて来るのがせいぜいだ。若い頃から夢を見すぎると、夢のとばくちすら見えてこないのにうんざりして、努力をやめてしまう人が多いのだそうです。

ま、今日一日。


2007年10月09日(火) 1円の謎

またアマゾンで本を買ってしまいました。
マーケットプレイス(つまり古本屋)のを2冊。いずれも1円のやつです。1円とはいえ、送料は各340円かかるので、支払総額は682円となります。

果たして、アマゾンと契約している古本屋が、1円で本を売って儲かるのか否か。真偽のほどは定かではありませんが、以下のような説があります。

1円の本でも340円の送料がかかり、そのうち260円がアマゾンから業者にわたる仕組みだそうです。宅配便の業者には、受け付け件数の多い顧客に対して、大幅に運賃をディスカウントする仕組みがあるそうです。今月もう少し売ればディスカウント運賃に達する古本屋が、1円でもいいから本を売れば大幅に利益が増すというケースがあるようです。すべて伝聞情報なので、確認のしようがありませんけれど。

それにしても本を読んでるヒマもなし、仲間と分かち合う時間も必要最低限という感じです。no input, no output であります。

Sobriety Medallion
これを注文すると、裏面の日付の刻印がない状態で届きます。同封の申込書に日付を入れてエアメールで送ると、同じくエアメールで刻印されて返送されてきます。
"The Day My New Life Began" とは「私の新しい人生の始まった日」。
無闇にプレゼントすると無駄にされるので、慎重に見極めて・・。

それにしてもHazeldenって、だんだん高くなりますな。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加