心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年10月10日(水) 高すぎる目標設定

最初の頃は日常の記録など書いていたこの「雑記」ですが、次第に現実生活から乖離していっています。一番書いていておもしろいのは、AA関係の出来事です。けれどあまり生々しいことを書けば「私のことを書かないでくれ」と言われることになりますし、それを言われないなら言われないで恐ろしいことです。かといって、AAネタを避けても、家の中や仕事にそれほど変化があるわけでもありません。
AAミーティングでは、なるべく生(なま)の話をしようと思っていますが、この雑記では逆へと指向して、実際にAAでどんな活動をしているか具体は避けて書くしかありません。

ある人から(AAの)「ネットの巨人」「ネットセレブ」と揶揄されました。悪意があっての言葉ではないと分かっています。ただまあ、ネットの片隅でひっそりとやっている頃のほうが、気楽で良かったと時々思います。背負うものが重くなったなと。それと、アクセスカウンターが景気よく回っていたとしても、実際に雑記を読んでくれているAAメンバーの数が実は二桁だったりしないか、と検証しようのないことを考えたりします。

さて本題。

志が高いのは結構なことですが、高すぎる目標を設定するのは「挑戦」の気概ではなく「逃避」の心理だといいます。仮に目標を実現できなかったとしても、自分が傷つかないための「安全装置」であると。

年収10億円になるとか、100人の男に見せびらかしたら全員が羨ましがるほど「いい女」を手に入れるとか、文学賞を取って一躍人気作家とか、ニートだけど司法試験勉強中でいずれ弁護士だとか。

その夢に届かなかったとしても、周囲が(そして自分も)「所詮無理な夢だから」という一言で済ませてしまいます。

年収○百万、ともかく一人の異性の獲得、発表しなくても一本の小説を最後まで書く、どこでもいいから就職、という程度の実現可能な目標を設定するのは、実はしんどいことです。

この夢に届かなければ、自分はこんなこともできないのかと、落ち込む羽目になります。だから高い目標を設定することは「逃避」なんだそうです。

欽ちゃん(萩本欽一)が「若者は夢を見てはいけない」と言っていました。若いころに成功できるのはほんの一握りで、その他はこつこつ努力を続けて、やっと中年になる頃に夢への階段がおぼろげに見えて来るのがせいぜいだ。若い頃から夢を見すぎると、夢のとばくちすら見えてこないのにうんざりして、努力をやめてしまう人が多いのだそうです。

ま、今日一日。


2007年10月09日(火) 1円の謎

またアマゾンで本を買ってしまいました。
マーケットプレイス(つまり古本屋)のを2冊。いずれも1円のやつです。1円とはいえ、送料は各340円かかるので、支払総額は682円となります。

果たして、アマゾンと契約している古本屋が、1円で本を売って儲かるのか否か。真偽のほどは定かではありませんが、以下のような説があります。

1円の本でも340円の送料がかかり、そのうち260円がアマゾンから業者にわたる仕組みだそうです。宅配便の業者には、受け付け件数の多い顧客に対して、大幅に運賃をディスカウントする仕組みがあるそうです。今月もう少し売ればディスカウント運賃に達する古本屋が、1円でもいいから本を売れば大幅に利益が増すというケースがあるようです。すべて伝聞情報なので、確認のしようがありませんけれど。

それにしても本を読んでるヒマもなし、仲間と分かち合う時間も必要最低限という感じです。no input, no output であります。

Sobriety Medallion
これを注文すると、裏面の日付の刻印がない状態で届きます。同封の申込書に日付を入れてエアメールで送ると、同じくエアメールで刻印されて返送されてきます。
"The Day My New Life Began" とは「私の新しい人生の始まった日」。
無闇にプレゼントすると無駄にされるので、慎重に見極めて・・。

それにしてもHazeldenって、だんだん高くなりますな。


2007年10月08日(月) ばちが当たる

「ばちが当たる」という言葉があります。元は「仏罰が当たる」という言葉で、天罰覿面(てんばつてきめん)という言葉もあります。

世の中には、間違ったことをしているのに、その制裁を受けていない人というのがいます。どうかその人にバチを与えてくださいと、(神にでも仏にでも)祈るのは、ある意味正直なことだと思います。自分には相手を罰する能力がないものだから、代わりにより大きな力に罰して欲しいと願うわけです。懲らしめを願っているのは、この場合自分です。その願いは我意です。

いっぽう、「ああいう間違った事をやっている人には、いずれバチが当たるのだ」と思っている場合には、我意が巧妙にごまかされています。正義を望んでいると言い訳しながら、実は懲らしめてやりたい自分の願望がちゃんと陰に存在しているはずです。

正義が行われて欲しいと願っていても、それは所詮「私の正義」にすぎません。あいつにはバチが当たって当然だと考えるのは、神様仏様が「私の正義」に賛同してくれるという根拠のない自信(つまり思い上がり)の現れです。自分が神様と同等レベル、あるいはより上になっているわけで、AAの言葉で言えば「神を演じている」状態です。神様には神様の正義があることを認めようとしません。

世の中に、悪行の報いを受けていない人間がうようよいたとしても、それは単に「自分の正義」が「神仏の正義」と一致していない事を示すだけのことです。憎しみを正義感にすり替えないように気をつけましょう。


2007年10月07日(日) 欲望

たまには本から引用して雑記を書きましょう。

『12のステップと12の伝統より』

151ページに、私たちが持つ欲望について羅列してあります。

・感情的な安定や富に対する欲望
・名声や権力に対する欲望
・恋愛に対する欲望
・家庭が充実するようにと言う欲望

これが同列に並べてあります。
12&12の考え方では、欲望とは人間が生存していくために神が与えた本能です。しかし、本能も行き過ぎると(犯罪を含む)トラブルへと発展します。本能そのものは悪くなく、良いものですが、行き過ぎないように制御する必要があります。
ところがアルコホーリクは全般に「自己規制力を持たない」ので、簡単に欲望が暴走してしまいます。

「名声を求めすぎる」のは良くないよ、とAAでは教えてくれます。また、金を求めすぎても自分が苦しくなるばかり、というのも経験から知ります。そうやって、いくつかの欲望については、「行き過ぎは良くない」と納得することはできます。

けれど、ある程度ソーバーの長い人間でさえ、「感情的な安定」や「家庭の充実」に行き過ぎなどあるはずがない、と思ってしまいがちです。心の平和を求めて何が悪い? 家庭が安定して何が悪い? そう言いながら、平和や安定がないことを嘆いているのは、やはり欲望が過度なんでしょう。
お金がない、名声がない状態を「あるがまま」で受け取るように、平和がない、安定がない状態も「あるがまま」で受け取るのが12番目のステップ、ということでしょう。


2007年10月05日(金) メールアドレス

メールアドレスも長く使い続けていると、どうしても「汚れて」きます。
つまり、SPAMと呼ばれるような、勝手に送られてくる広告メールが増えてきます。10年以上前から使っているメールアドレスなど、ユーザー登録やアンケートなどにも使っているので、汚れまくっており、多い日には100通以上のSPAMが届きます。

それでもパソコン用のメールアドレスは、迷惑メールのフィルターを入れれば済むので、まだマシです。接続プロバイダーのメールアドレスなら、有料無料でメールフィルターの機能を提供しています。僕は余計な金を払うのが嫌なので、自前でPOPFileというWindows用のフィルタリングソフトを使っています。精度はあまり良くないのですが、Thunderbirdにもフィルタリング機能があります。

問題なのは携帯電話のアドレスで、こちらのフィルタリングは電話事業者まかせにするしかありません。僕は、携帯電話のメールはほとんど使っていないので、それほど苦労はしていません。(とは言え、買ったばかりのソフトバンク携帯に、さっそく架空請求メールが届いたのにはげんなりしましたけど)。

パソコン用であれ、携帯用であれ、迷惑メールが届くようになって困っている・・という相談はたまーに受けます。いろんな手段がありますが、完全にシャットアウトしたければ、メールアドレスを変更するしかありません。

しかし、メールアドレスをお手軽に変更しちゃうタイプの人は、そもそも迷惑メールに困っていないわけで、相談してくる人というのは「お気に入りのメールアドレスなので変更したくない」というこだわりがあるのか、それとも「私には何も落ち度がないのに、なぜ自分がアドレス変えて逃げるようなことをせねばならんのか」という怒りがあるのか・・・、変えたくないという人が多いですね。

メールアドレスを変える以外に、何とかならないか、と言われてもねぇ。


2007年10月04日(木) 愛するということ

仕事が炎上してしまいました。
と言っても、ある程度は確信犯だったのです。9月に雨が降り出して涼しくなった頃から体調を崩し、どんどん仕事が遅れていったにもかかわらず、策も打たずにきたわけですから。

昨日の晩「今夜は深夜残業、徹夜かもね」という話をしていたら、隣の同僚が「去年の秋は、毎週会社に泊まっていた」という話をしてくれました。金曜日の晩は夜2時まで仕事をして、そのまま椅子を並べて就寝、土曜日は休日出勤ということにして夕方まで勤務。それを8月から11月まで続けたのだそうです。
仕事できない人だと思っていたのに、「あっという間にWindowsプログラマになったな、意外と楽勝で壁を乗り越えたもんだ」と侮っていたのですが、陰でそんな努力をしていたとは知りませんでした。

それに比べて、最近の自分は過去の実績にあぐらをかいていて、職業人として失格であろうと反省しました。12時間後の来客までに、歯を食いしばって仕事を完成させなくては・・・と思ったのですが、もう若くはないので1時過ぎに体力の限界が来て帰宅してしまいました。

風呂に入って、6時に起こしてくれと妻に言い、3時間ほど寝ることにしました。妻は「6時に起こさなくては」と緊張してしまって、一睡もできなかったそうです。3時間後、布団から体を引っぺがすのに苦労しましたが、なんとか起きて出勤しました。

週末のAAのイベントだと、睡眠時間が短かろうが、朝5時だろうが、自分で起きていくのであります。それはひとえに、僕がAAを愛しているからです。もっとAAのことに積極的に関わっていこうと、なんだかんだ忙しくしています。
ところが、仕事となると、いつまでも布団の中でぐずぐずしています。そういう態度の違いが、結局は自分の首を絞めているのです。もっと仕事を愛さなければならない、愛が足らないから仕事が苦しいのである、そう思うと気分が楽になって、朝の高速道路を走っていきました。

家を出る前に、起きてきた子供たちと話をしました。ママは本格的に寝ることにしたらしく、もう起きてくる気配がありません。「ご飯どうするの?」ときいたら、「自分で何か用意して食べていくからいいよ」と事も無げでした。僕はいつも遅くまで寝ているので、詳しくは知らないのですが、たびたびそう言うことがあるのでしょう。

昼過ぎに来客が到着しても、仕事はまだ完成していませんでした。最大の問題は、画面に何も表示されないことでした。何も表示されなくても、きちんと動作していることを説明するのは骨が折れました。その種の「本来無用な苦労」をする人は少ないはずです。宅急便を集荷してくれない時間まで仕事がおすので、夜のヤマト運輸営業所に駆け込むのも僕だけでしょう。
とりあえず、大トラブルが、中トラブルか小トラブルぐらいに収束したので、ほっと胸をなで下ろしました。

愛することによって、その対象に支配されてしまうことは、ままあります。僕は耽溺しやすいタイプですから、それには気をつけなければなりません。それでも・・
仕事を愛すれば、仕事が楽しくなり、生きることを愛すれば、人生が楽しくなる。それは真実だと思います。そして、愛するか愛さないかは「自分で」決められます。仕事が楽しいかどうか、人生が楽しいかどうか、決めているのは自分であって、環境とか他者ではないはずです。


2007年10月02日(火) ステップという治療

まあ何というか・・・、という感じであります。

AAでアルコホリズムのことを、身体の病気・精神の病気・霊的な病気、と三つ並べたときの「身体の病気」。それは肝臓や膵臓が悪くなるとか、血圧が上がるとか、大腿骨頭壊死とか、そういう身体の病気という意味ではないのです。

どうにも次の一杯が飲みたくてたまらない、あの強迫的な飲酒欲求のことです。酒をやめ続けていれば、飲みたい気持ちは次第に薄れていきます(ゼロにはならないと思いますが)。が、再び飲み始めると、どうにも飲みたくてたまらない状態に逆戻りしてしまいます。

あの飲みたくてたまらないのは、気持ち(心)の問題ではなくて、肉体的な問題だよというのがAAの考え方です。それは根性がないとか、だらしないという問題とは違うんだということです。

この「身体の病気」というのを、別の言葉で表現すれば「脳の病気」です。脳の中で酒の飲み方を司る部分が壊れてしまって、それは一生治りません。だから、まともに酒を飲めるようには一生戻りません。

ともすると、AAミーティングでも、この脳の機能障害という問題から離れて、依存症とは心の持ちようの解釈へと流れていきがちです。

でも、生き方の問題だとか、謙虚だとか正直というのも、根底は「壊れた脳という体の病気(というか障害)」に対処するための手段であります。何のためのステップなのか、それはアルコールをコントロールできないから、それを忘てしまったらAAも怪しい啓発セミナーと変わらなくなってしまうと思います。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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