心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年09月19日(水) 仲間の力じゃないんだよ

ソーバー1年目に一冊の本を何度も読みました。
(いや、ビッグブックじゃなくて)

加藤諦三という人の本で、巻頭にこんなことが書いてあります。

人間は二つのことが大事である。
一つは、自分を尊敬し、自分を大切にすること。人にどう思われるかではなく、自分が自分をどう思うかが大切だ。
もう一つは、人間は他人との関係が大切である。意欲の源泉は他人との関係にある。

それに続いて、「この二つのことは、お互いに矛盾するではないか」と主張する若者の話が出てきます。僕もこの若者と同じように感じていました。自分を大切にすれば他者との関係はぎくしゃくするし、関係を大切にすれば自分を犠牲にするしかない。だから二つのものを同時に大事にはできない、と感じていたのです。

わがままを貫き通すか、そうでなければ自己犠牲の連続。そういう二者択一の人生を生きるのはとても辛いことです。でも、子供の頃からずっとその生き方を続けてきたので、ほかの生き方があるなんて知らなかったのです。
だが、知ってしまいました。知ってしまえば、別の生き方がしたくなる。要するにステップ1と2です。

関係ない話ですが、ステップ2をすっ飛ばして、ステップ4・5を済ませた人は、その次のステップ6に至ったときに、矛盾を抱えます。「性格上の欠点を神に取り除いてもらう」と書いてあるのですが、ステップ2を迂回してきていますから「神に取り除いてもらう」事ができません。
しかたないので、一生懸命「自分で取り除こう」とします。それも無駄にはならないでしょうが、いつの間にか人生が「自己犠牲の連続」になりがちです(経験者は語る)。そのうち「ステップって辛い」とか言い出しますから。
その時には、いったんステップ2まで戻った方が良いです。

例えば「仲間のおかげ」という言葉を使うのをやめる。だって「神様のおかげ」ですから。


2007年09月18日(火) 燃費の話、薬の話

ハイオクとレギュラーガソリンを混ぜて給油し、燃費の変化を探る実験の途中報告です。まだ7回しか給油していないので、何かハッキリしたことを言えるほどのデータは集まっていません。それでは面白くないので、無理に何か言うとすると・・。
ハイオクとレギュラーの価格差は、僕の近所では約7%です。そしてレギュラーガソリンにすると、燃費が7%ほど悪化しています。つまり、経済的効果は出ていません。普段の走行には影響ないものの、ここ一番では出力の低下を感じることもあります。
これから冬に向かって気温が下がっていくと、空気の密度が上がり、吸入酸素量が増えるので燃費が向上します。だから、毎回ハイオクとレギュラーの比率を変えながら、データを積み上げていきたいと思います。

うつ病の治療のために飲んでいる薬は、昨年10月の記録が残っています。
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20061018

トレドミン(塩酸ミルナシプラン)については変化がありません。たぶん一生この量(50mg×2回)を飲むのでしょう。
レスリン(塩酸トラゾドン)の量は半分に。
ロラメット(ロルメタゼパム)は減らした後に、ワイパックス(ロラゼパム)に変更。さらに1mg錠を半分に割って出されるところまで減っています。
アタラックスP(パモ酸ヒドロキシジン:通称アタP)は、50mgから25mgに半減し、実は勝手に服用を中止しています。次回止めてもらいます。

夜は5時間眠れればせいぜいで、あとは目が覚めてしまって眠れません。けれど、昼休みに机に突っ伏して寝ているのを除けば、仕事時間中に眠くて困ることは無くなりました。精神状態が悪いと寝付けないこともありますが、棚卸しと祈りが効いてくれます。睡眠の質が改善してくるのが分かります。

医者はだいぶ薬が整理されてきたとは言うものの、最終的には寝るための薬(残ったロラメット)を廃し、トレドミンとレスリンをうつ病の再発防止用に維持量飲み続ける状態に持っていきたい・・・しかも来年あたりまでに。と自分で勝手に治療計画を立ててしまっています。

睡眠薬を切ってうつ病がぶり返しては元も子もなかったので、減薬には霊的状態の改善がどうしても必要でした。長い時間がかかったものの、ようやく睡眠薬と手の切れる未来が、実現可能なものとして見えてきた感じがします。
これも霊的な道具のおかげです。


2007年09月17日(月) 自分の頭で考えろ!

改めて別に書いてもいいのですが、忘れないうちに。

まずルールを求めるのはやめなさい、ということです。
法律という社会ルールは、確かに犯罪を減らすけれど、犯罪常習者を更正させる能力には乏しいものです。依存症者も同じで、酒を飲まないというルールを守れた試しがありません。そもそも、何でそのルールを作る必要があったのか、原理原則のところから根気強くやっていかなければなりません。

ステップや伝統も、ルールではなく、原理原則です。守らなくても、処罰はされません。ただ、AAメンバーが大きくステップからそれ続ければ再飲酒と死が、AAグループが大きく伝統からそれ続ければ、グループの消滅が待っているだけです。

だが、人はルールを求めたがります。その方が簡単だからであり、考える手間を省けるからでしょう。

AAのオープンミーティングで、AAメンバー以外(アル中以外)の人に話をしてもらうかどうか、って問題もその一つです。

「アルコール以外の人には、オープンミーティングといえども、話はしてもらわない」のが正しいという人もいます。でも、それはルールですね。

アメリカのAAミーティングでは、話し出した人がアルコール以外の人だと分かった途端に司会が話を遮り止めてもらうところがある・・ていう論拠を出す人もいます。でもそれは、アルコールとそれ以外で分けているのと違うのです。

伝統5ではAAはアルコールの問題に専念しろと書いてあります。アルコホリズムと、そこからのAA流の回復手段だけを分かち合うのであれば、家族の人や別の依存症の人にAAの回復の話ができるわけがない、というのは分からないでもありません。(そう主張する人でも、なぜか医者の話はありがたく聞いたりする不思議)。

だが、それを言い出すのなら、AAメンバー自身も話の内容を吟味しなければなりません。アルコホリズムとその解決=ステップです。昨日も書きましたが、決して「今日辛いことがあって、ここへ来て打ち明けて楽になった」という癒しの話じゃありません。そこまで厳しい基準を自らに課して初めて、「それ以外の人」にも厳しい態度で臨めるのではないでしょうか。これがルールでない原理原則です。

前述のアメリカの話は、AAメンバーであろうと無かろうと「アルコールの話に限ってくれ」といって遮られてしまう、という話であります。

だが原理に100%沿って生きられる人はいません。AAメンバーだってヌルい話はしてしまいます。だからこそルールはナンセンスなのです。少なくともAAの中では。

まあ、ルールを作るのは個々のグループの勝手で、「自分に甘く人に厳しいルール」で原理から外れたからといっても、処罰がないのもAAであります。

常に伝統やステップの原理に照らし合わせて考え(Think! Think! Think!)、同時に現実は原理どおりにはできないことも受け入れる。清濁併せ呑むことが求められる、それがAAでしょう。てゆーか、世の中なんでもそうでしょうけど。


2007年09月16日(日) 後からついてくる

埼玉のサービスフォーラムから帰りました。
明日は町内会のバスハイクで、三鷹のジブリ美術館であります。

「ステップは後からついてくる」と良く言われたものです。
これは、ステップは意識的に取り組まなくても成し遂げられる、という意味ではなく、AAの中で飲まない生活を続けていれば、いつか必ずステップに取り組もうという意欲が生まれるはずという約束の言葉です。言外に、AAの中にいる限りステップは避けて通れないのだよ、という脅しも含まれている気がします。ともかく、AA=ステップであるという合い言葉です。

最近その言葉が聞かれなくなった、と言う人がいました。
ステップなんぞやらなくても、とりあえず酒をやめていることはできますから。そして、ミーティング場に「回復」ではなく、「癒し」を求めて集まってくるのかも。今日こんなことがあって辛かった、でもここで話せて楽になれました、なんて話ばかりしているのかも知れません。まあ僕の想像に過ぎません。
それにしても、いつか必ずステップはやらねばならない、という覚悟というか、共通理解が失われつつあるのだったら、怖いことです。

話変わって、AAスポンサーから
「誰もあなたを縛り付けて、無理矢理口に酒を流し込んだ人はいない」
と言われたことがあります。

誰かのせいで酒を飲んできたのではなく、自分で飲んできた、ということです。
じゃあ、好きで飲んできたかというと、病気だから飲んできたわけです。

誰かのせいにしたがる、あるいは自分は酒が好きなんだと言い張る、そういう逃げ口上を防ぎ、病気と正面から向き合うための助言だったのでしょう。

仲間の訃報が届きました。僕が初めてAAミーティングに行ったときに、その会場にいた一人です。僕が知っている頃、彼はいつも「ここじゃないどこか」を探しているように見えました。その彼もついに行くべきところを見つけたのかもしれません。

「自分に正直になる能力さえあれば回復する」(第五章)


2007年09月14日(金) 疲れたのでテキトー

HA、肥満アノニマスは、経験と力と希望を分かち合って共通する問題を解決し、ほかの人たちも肥満状態から回復するよう手助けしたい、という男女の共同体である。
HAのメンバーになるために必要なことはただ一つ、肥満をやめたいという願いだけである。会費もないし、料金を払う必要もない。われわれは実質的に何も活動していないのである。
HAは、いかなる宗教、宗派、政党、組織または施設にも縛られていない。また、どのようなダイエット方法にも、治療方法にも、支持も反対もしない。
われわれの第一の目的は、肥満の解消であり、他の人たちも適正体重を達成するよう手助けすることである。
(HAは某メーリングリストミーティング上に存在する、AAメンバーの有志の会です。実質的活動はありません)

閑話休題。

ここの下のニュース検索が、またまた偏りを見せている気がします。チューニングをやり直さなければ・・と思いながらもほったらかしです。それにしても、いろいろマイナーなニュース媒体から記事を引っかけてくることに感心します。
ライブドア・ニュースが、ホリエモン騒動の時に、あちこちのニュース媒体から契約を解除されてしまい、困ったあげくにマイナーな媒体と多く契約し、その影響がまだ残っているってのが真相のようです。
次の改造では、どこの検索で引っかけたのかも表示する予定。

閑話休題。

世の中には二種類の人間がいる。片方は、世の中の人間を「〜する人間」と「〜しない人間」の二つに分類したがる人であり、もう一方はそんな分類をしない人。もちろん僕は後者。

閑話休題。

サービスフォーラムは土曜午後一時開始のようです。午前九時に出れば間に合いそう。明日は天気が良さそうですから、運動会は土曜日に済んでしまいそうですね。


2007年09月13日(木) try levitation

「人生は近くから見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」
Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.

人の不幸は蜜の味、という言葉がありました。
笑いの本質は、偏見と差別である、という言葉もありました。

他人事だから笑っていられるのであって、当事者であれば(あるいは巻き込まれていれば)笑ってなどいられません。

でもそれは言葉を変えれば、自分が悲劇の主人公である間は、笑っている余裕なんか生まれないってことです。自分が苦しいときには、自分しか見えていない、クローズアップで見ていますから。もう少し自分から離れて見てみなさい、ということです。

「神の視点から見る」というのは、なかなか難しいことです。
その代わり、10メートル上から、今の自分を見下ろしてみます(try levitation)。実際それをやるには幽体離脱でもせにゃなりませんが、気持ちの上ならいつでもできます。
そうやって見てみれば、つまらないことにカリカリして、きりきり舞いしている自分が見えてくるでしょう。それが神の視点です。

ロングショットで見れば、自分自身のことだって喜劇です。つまらないプライドさえ捨てれば、昔のことを笑って話せるようになるのと同じで、今の自分のことだって、離れて見ればもっと余裕を持つことができるはずです。眉間にしわを寄せていれば、運だって逃げていきますから、緊張を解いてゆっくり寝ることです。

そんな理由で、僕らはミーティング場で気楽に自分の話ができて、また人がくすくす笑っても気にならないのです。辛いときは、自分のことを笑えるようになるために行くのでしょう。

冒頭の一行は、チャップリンの言葉です。


2007年09月12日(水) テレビとラグビー

ラグビーのワールドカップフランス大会。フィジー戦を見ていましたが、途中で眠くて寝てしまいました。

国別ランキング18位の日本ですが、本大会ではもう十数年も勝ったことがありません。そもそもアジア地域でラグビーは盛んではないので、予選突破はほぼ確実なのですが、強豪国との力の差は明らかです。一つ前のオーストラリア戦は3−91の大敗でした。
起きてニュースを見たら31−35で惜敗。残念です。
NFLも開幕して、深夜の放送から目が離せない日々が始まりました。

話は変わりますが、テレビを買ってしまいました。
これまで使ってきたのは、妻が抽選で当てたものです。10年ほど前、近所に葬祭センターができたときに、見学者全員に粗品プレゼントというキャンペーンをやっていて、その粗品目当ての義父母に連れて行かれました。葬式費用を生前に分割払いしておく制度の宣伝をやっていましたが、当面死ぬ予定のない僕は契約する気などさらさらありませんでした。
が、妻がくじ引き景品一等の21型テレビデオを引き当ててしまいました。
もちろん、生前分割払いの契約もせざるを得なくなりました。もう払い終わりましたけど。
あそこが倒産しない限り、僕の葬式はあそこでやるんだろう、ということは分かります。

そのテレビ、数年前にチューナー部が壊れてビデオ再生専用機になってしまいました。
チューナーを外付けしてテレビを見ていたのですが、だんだんそれも調子が悪くなってきました。で、ジャスコの家電売り場で液晶テレビを見ているうちに、買い換えることになってしまいました。来週末に届く予定です。

さてさて、AAミーティングの参加ってのは、スポーツで言えば基礎トレーニングみたいなものでしょうか。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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