心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年08月27日(月) 手遅れの提案

ヘイゼルデンの施設を退所した後、スリップ(再飲酒)して再び施設に戻ってきた人を調べたところ、80〜90%の人が(強く勧めたにもかかわらず)
 ・AAミーティングに参加していない
 ・短期間のみ参加しただけ
 ・せっかく参加していたのにやめてしまった
であったそうです。

ソブラエティにAA(や断酒会)が必須というわけではありません。世の中には、ミーティングなしでソブラエティを楽しんでいる人が確かにいます。自分もその人たちの一員であれば、ミーティングに通う手間も暇も金も要らないので楽です。

でも、自分がその一員であるかどうか、どうやったら確かめられるでしょう?
それは試してみるしかありません。

つまり、ミーティングに通うのをやめてみて、自分がスリップするかどうか試してみる方法です。ずっとスリップせずに過ごせたならば、自分にはミーティングは必要ないと証明できます。

一方で(そちらの確率の方が高そうですが)スリップしてしまった場合には、必要なものが不足していたことが証明されます。が、その証明はあまりにもコストが高い気がします。

でもその実験をやってみたいのなら止めません。試してみたくなっているときには、もう人の言うことに耳を貸す精神状態ではなくなっていますから、何を言っても無駄です。である以上、スリップを防止するためには、まだ聞く耳を持っているうちにチェックを入れてあげることが必要です。

聞く耳を持っている段階ならば、周りからの「提案」というのも、それほど気に障ることはないでしょう。「そうだよな」と部分的にでも納得するでしょう。すでに一線を越えている場合には、「うるせえな」と感じ、干渉を受けまいとかえってAAから遠ざかる結果になるかもしれません。
もうその時は一線を越えているのですから、去っていった人に対して「俺の一言があいつをAAから遠ざけてしまった」などと気に病む必要はありません。もうその時には手遅れだったのですからね。

あるいは「まだ準備が出来ていなかった」ということかもしれません。いずれにしろ、アルコールがその人を説得するでしょう。


2007年08月26日(日) 最近の出来事

妻がビリーズブートキャンプを買ってきました。
半年前に「これを買って試せばぁ」と言ったときには買わなかったのに・・・。深夜のテレビでNFLの試合を見ていたのですが、その頃流れていたブートキャンプのコマーシャルでは「効果がなかったら全額返金します」と言っていたのに、売れはじめた後はそういう宣伝文句を使わなくなったようです。
最初のストレッチをやっているところで、「もうだめ、ついていけない」そうであります。無駄遣いも甚だしい。

車検に25万円かかりました。予想より高かったので、土曜日はあっちの銀行、こっちの銀行と回って、少ない残高を空にして金を集めてきました。
ロッカーカバー・ガスケット交換、プラグ交換、フォグランプ・アセンブリ交換、ATF交換、デフオイル前後とも交換、ブレーキパット交換、ブレーキフルード交換、エンジンオイルとフィルター交換(これは無料)。
貧乏なのに、分不相応な車を意地になって維持している・・という気が自分でもします。

プリンターのインクを買いに行きました。毎月どれかのプリンターのインクを買っている気がします。ある人は、プリンターのインクが切れても、交換インクを買ったりしないそうです。かわりに9千円ぐらいで売っている新しいプリンターを買ってきてしまうのだとか。新品のプリンターにはインクが付いてますからね。そして、古いプリンターはオークションで売り払ってコストを回収するんだそうです。毎年最新のプリンターが使えれば快適でしょうね。

この週末は、ホームグループの仲間のバースディミーティングでした。
このサイトを見てくれた彼の奥さんから、メール(だったか掲示板だったか)で相談を受けたのは何年前だったのか。今の彼はAAであちこち出かけて楽しそうです。が、そのうち「もういい加減にしてよ」と本気で怒られるときも来るでしょう。それも信頼されることのひとつの現れです。

そしてそのミーティングで思ったのですが、僕のバースディミーティングに毎回出ている人はいません。毎度メンツが少しずつ違います。それだけ、僕があっちへふらふら、こっちへふらふらしてきたということでしょう。
来年の自分のバースディは、また違った会場でやりたいものです。


2007年08月25日(土) サイクルを回すエネルギー

昔の友人、同級生、過去の同僚などに会うことがあります。たいてい彼らは自分より順調な人生を歩いているように見えます。すると僕も「もし依存症という病気にならなっていなかったら、自分は今のようにはならなかった」という考えが浮かぶことがあり、もし・・だったらという別の人生を思い浮かべてしまいます。

想像上の人生を歩いている別の自分は、今の自分より明らかに幸せそうです。その自分と現実の自分を比べれば、マイナスにしか感じません。そして切なさや劣等感や焦りを感じてみたりします。

しかし、僕の心がある程度健康なときには、もう一つの比較対象に目を転じることが出来ます。アルコールが原因で、希望もなく精神病院に入院していた頃の自分です。そちらの自分と比べれば、今はプラスばかりです・・・年齢とか。
あのころ解決不能に思えた問題が、どれだけ多くは解決されたか、感謝することが出来ます。

感謝することは大切です。

ミーティングに行けば、ステップに取り組めば、ハイヤー・パワーを信じれば、「楽になるよ」と経験ある仲間は言います。でも、最初からそれを信じられる人はいません。信じられなくても、だまされたと思ってやってみるしかありません。
きっと最初のステップ2は「だまされたと思って」、つまり半信半疑が精一杯ではないかと思います。

行動のない信仰は死んだ信仰だ、とAAの言葉にあります。逆を言えば、行動することは生きた信仰です。

だまされたかも知れないと思いながら、半信半疑でやってみたら効果があった・・・そこで初めて本当の意味で「信じる」事が出来るのでしょう。まあ深夜の通販番組みたいですが、世の中の多くのことは効果が実感できてこそ信じることが出来るのでしょう。

しかし効果が出ていても、それを感じることが出来なければ、信じることも出来ません。過去の自分と現在を比較して、回復していることを実感できなければ、ミーティング、ステップ、ハイヤー・パワーの効果を信じることが出来ません。効果を蒸ししているのですから。それはステップ2が出来ないことを意味します。

行動する→効果が出る→信じる→さらに行動する・・というサイクルを続けるためには、目盛りのゼロ点をあのどん底の時に置いて、解決された問題に対して感謝するという行動が欠かせません。


2007年08月24日(金) 怪しい診察

スルーしようかと思ったのですが、一応書いておこうと思います。
それは横綱朝青龍のうつ診断の怪しげ度です。

事情を知らない人もいると思いますので、ざっくりと経過を説明しておきましょう。
朝青龍はモンゴル相撲の出身で、2003年に横綱に昇進しています。ちょうど貴乃花、武蔵丸が引退した頃で、その後は4年近く一人横綱を努めてきました。
大相撲は年間6場所ですが、この間の優勝回数が実に15回ですから、その強さは圧倒的です。その成績と、一人横綱の重責を果たしてきた実績には重みがあり、横綱に身勝手な行動があっても、相撲協会から大目に見られてきたのは確かです。
ただ横綱に対する批判の中には、単に外国人力士だから気に入らないという感情がこもったものも感じられました。強いからこそふてぶてしいというのも、格闘技選手としてはアリなのではないかと、僕なんかは思うのですが、それは置いておきましょう。

今年になって、もう一人のモンゴル出身横綱が誕生すると、相撲協会もくるりと態度を変えます。この夏の間、朝青龍は腰を痛めた診断書を出して、モンゴルへ帰国して静養しているはずでした・・・が、向こうで元気にサッカーをしていることがばれてしまいました。
急遽日本に呼び戻されて、協会に出頭した横綱が何を言われたのか分かりませんが、おそらくガツンと言われたのでしょう。それがショックだったのか、横綱は釈明の会見をすることもなく、自宅に引きこもりになってしまいました。

その状態を診察した精神科医は、道を歩きながら報道陣に「うつ病になる一歩手前の状態」で、すぐに帰国させて療養すべきだと話したので、これが大ニュースになりました。

この先生は横綱の友人だそうですから、横綱の身を案じての行動だったのかも知れません。ただこれが「これ以上ストレスを与えて、本物のうつ病になったら相撲協会のせいだからな」と聞こえなくもありませんでした。

だいたいちょっと1回診察しただけで、ろくに会話も出来ていないのに「うつ病になる一歩手前」だとか「今後の治療方針」だとかが判断できてしまうのも、なんだかすごく怪しい気配がします。僕の記憶が確かなら、この先生は包茎の治療をする男には精神科的治療が必要と言ってた人じゃなかったかな。

だいたいこれを聞いて、うつ病で苦しんだ経験のある人は「一緒にするなよ!」とツッコミを入れたい気分になったのじゃないでしょうか。立場を利用してわがままに振る舞っていた人間が、ガツンと言われたのがショックでふさぎ込んでしまった、そこをさらに責めらるとうつ病になる・・・うつ病がそんな病気だと世間に理解されたら、ウツで休んでいるサラリーマンの立場はどうなるというのか。

相撲協会が指定した精神科医は、いったん解離性障害という病名をつけた後で、命に別状はないので急性ストレス障害という病名に変更しました。会見した医者は「数十分の診察で正確な診断は出来ない」と言い、うつという言葉はニュースから消えました。

苦痛な出来事から4週間以内のを急性ストレス障害と呼び、それ以上続けばPTSDに名前が変わるそうです。精神科の病名は診察の推移とともに変わっていくものですが、あまりに未確定の状態で公表してしまう行為は疑問に感じます。
最初の精神科医が語るニュース映像を見たときに感じたことは、「この医者の言うことは、ひどくうさんくさい」ということでした。疾病利得を得に行っていると言いましょうか。

治療のために引退するのも仕方ないでしょうが、無事短期間で心的外傷が癒えて復帰するというのなら、それも良いことでしょう。横綱にあるまじき精神的弱さなどと責めるのは酷なことです。またふてぶてしく優勝するところを期待しています。


2007年08月23日(木) AAの源流

オックスフォード・グループ運動(Oxford Group Movemnt)というのがありました。(19世紀のオックスフォード運動とは別のものです)

アメリカ人の牧師でブックマンという人が、イギリスを旅したときに宗教的回心を経験し、その手法を伝えていくことを目的とした集まりでした。その手法というのが、罪の自己点検、告白、償い、信仰の証という手順でした。これがAAのステップの源流です。

ブックマンはこれを宗教運動と位置づけていたようで、この運動に「第一世紀キリスト者共同体」という名前を付けていました。オックスフォード・グループという名前は、彼が最初にイギリスのオックスフォード大学の学生相手に広めたことから、メディア側がつけた名前でした。

ビル・Wのスポンサーであるエビーや、ドクター・ボブもこのグループのメンバーでした。ただ、少なくともドクター・ボブの回復には、オックスフォード・グループだけでは不十分であり、ビルとの出会いが必要でした。
ビルはアル中相手に宗教を説くことに疲れていましたし、その後二人の周りに集まったアル中は大部分が無神論者だったこともあって、数年後にこの人たちはオックスフォード・グループを去り、AAという名前のグループをはじめます。その過程で宗教色は可能な限り薄められていきました。

その後オックスフォード・グループのほうは、道徳再武装(Moral Re-Armament)運動と名前を変えて全世界に広がっていきました。その性格は平和運動へと変化して、人種や宗教の壁を越えた道徳的集合を掲げるようになります。その後下火になり、現在ではまた名前を変えて活動しているようです。

このグループは「四つの絶対性」というものを信条にしていました。絶対正直、絶対純潔、絶対無私、絶対愛の四つです。この四つの絶対性は、直接にはAAに受け継がれませんでした。かわりにAAでは、絶対性に相対する「四つの性格的欠点」という考え方を選びました。わがまま・不正直・恨み・恐れの四つです(P121)。


2007年08月22日(水) 淋しくなる

当然のことですが、僕がAAにやってきた時には、まわりのAAメンバーは全員僕より長いソーバーの人ばかりでした。周りの人はみなが「先ゆく仲間」だったわけです。

飲まない期間が長くなるにつれて、「後から来た人たち」が次第に増えていきました。一方で「先ゆく仲間」は、様々な理由でその数を減らしていきます。飲まないままで県外に移った人もいれば、飲んで県外でやり直している人もいます。もちろん、飲んでしまった人もいます。

やがて「先ゆく」と「後から」の比率が逆転し、地元のAA共同体の成長とともに、僕も相対的にソーバーの長い方へと移っていくことになりました。

AAでは長く飲まないからといって「偉くなる」ことはありません。基本的に、ソブラエティの長短というのは、いつAAにつながるチャンスを得たかの違いに過ぎません。回復の度合いも、年数の長さだけで計れるものではありません。たとえ経験は浅くても、熱心にステップに取り組んだ結果、僕よりはるかに回復しているメンバーだってたくさんいるでしょう。現にきらりと光るものを見せるメンバーはたくさんいます。

ではあるものの・・・。やっぱり10年の経験をするには10年を要し、20年の経験をするには20年を要します。これは変えられない事実です。「年数が長くても回復が足りない人はたくさんいる」という主張もあるかも知れません。でも、努力しても20年が2年にはなってくれないものです。

だからこそ、自分より「先ゆく仲間」の経験は貴重なものです。僕のスポンサーは、「ひいらぎも5年になれば分かる」「10年になれば分かる」という言葉を使いました。その時に何を意味していたかは分かりませんが、なるほどその地点に到達してみなければ見えないものがあることは納得しました。
だから、この先も15年、20年、30年と続けていけば、きっとその時にならなければ見えないものを、神様は明らかにしてくれるだろうと思っています。

でも、そこまで待ちきれないので経験を分けて欲しい時もあります。そういうときには「先ゆく仲間」しか頼るものがありません。だんだん離ればなれになって、会いに行くことすら思うように出来ないわけですが、心情的にはとても頼りにしているのであります。(その割には悪口ばかり言ってないかって?)

ソーバーが長くなるにつれて偉くなるのではなく、長くなるにつれて淋しくなるのです。


2007年08月21日(火) 日常の出来事

職場のトイレの水タンク内で、配管が破れたらしく、トイレ室内が水浸しになってしまいました。運悪く(?)その時トイレを使っていたのが僕だったので、雑巾で掃除をする羽目になりました。
配管は応急処置をしておいたのですが、しょせんその場しのぎに過ぎず、夕方にはまたトイレが水浸しになってしまいました。同僚が絶縁テープでもって補修してくれました。その同僚によれば、ホームセンターなどに行くと、タンク内部用のビニール管を売っているのだそうです。いつもながらに変なことを知っているので驚くのであります。
僕はと言えば、キッチンシンクの排水のところにあるゴミキャッチャーが、交換可能な部品で、やっぱりホームセンターで売っていることを、この年になるまで知らなかった人間です。

残業した後、まっすぐ家に帰らずに、職場近くの総合病院で開かれていたアルコール依存症のセミナー(?)に行ってみることにしました。前回のAAミーティングの時にチラシをもらっていたのです。
なにしろ2時間のセミナーに1時間半遅刻していったので、確かなことは分かりませんが・・おそらくそのセミナーは、依存症が専門でない一般病院の医療スタッフに、依存症者への対応方法(つまり初期介入の方法)を伝える主旨だったようです。

介入の手法として「この方法は2/3の成功率だった」と言われると、2/3というのはすごい数字だと思ってしまいます。が、そもそも介入の成功という概念が、治療の成功とは違っている事に気が付きました。断酒に到達するのが成功ではなく、アルコール依存症の専門治療に結びつけるところが目標なのでした。

考えてみると、依存症の治療にはまず「初期介入」というフェーズがあって、次に専門機関での「治療」のフェーズがあり、最後のところで自助グループでの「断酒維持」というフェーズに到達するのでしょう(こうきっちりとは分割できないでしょうけど)。

いつの間にやらAAは「酒をやめる気のある奴だけ相手をする」という姿勢になってしまった感じがします。僕は「よくまあ飲んでいるスポンシーの相手なんかしますね」と感心されることがあります。そんなときには「どんなふうに12番のステップをやるかは自由だ」と答えることにしています。結果として僕のスポンサーシップは失敗続きなのですが、それはそれでかまわないと思っています。

まだ酒をやめる気がなさそうな人の家族から相談を受けても、僕には良いアドバイスが出来ない悩みがあります。時間と金に少しでも余裕が出来たら、ASKのインタベーションのセミナーでも受けてみたいと思うのですが、「余裕が出来たら」と言っている人間はいつまで経っても実行に移せないのであります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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