心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年08月20日(月) 向こう側にも人間

「すべての人に同時に役に立つことはできない」
という言葉があります。

僕の投稿を読んで納得してくれる人もいれば、不快に思う人もいることでしょう。
若いころにモデムを買って通信を始めたときから、それは変わりません。
モラルとかマナーの問題もありますが、根本は「向こう側にも人間がいる」という単純な事実だと思います。

不快な思いが嫌で、心地よい思いだけしていたい。
人は誰もそうかも知れませんが、あまりそれが強いと不幸になるんでしょう。
心地よさを約束してくれる酒にはまり、時に不快な思いをさせる人付き合いが嫌いになる。
そうやって孤独に飲んできたわけです。

自分のために例会や掲示板に来ているのに、人のやることばかり気になる・・・。
誰かのためにやっていることじゃなくて、自分のためなのを忘れないでください。

例会や掲示板に「心地よさ」ばかり求めるのは、酒の酔いを求めたのと同じ心理だと思います。誰も不快にさせたくないというのは、その気持ちの裏返しでしょう。人を不快にすると、自分が落ち着かなくて心地よくないわけです。

人の役に立つこともあれば、傷つけてしまうこともある。助けてもらえることもあれば、不快にさせられることもある。それが「向こう側にも人間がいる」ってことでしょう。


2007年08月19日(日) Fear - 恐れ

ミーティング用お勧めテーマ #7, Fear - 恐れ

「私たちの欠点を増大させていたものは、自己中心的な恐怖――すでに得たものを失うことへの、あるいは求めるものを得られないことへの恐れだった。私たちは要求が満たされないままに生きてきたため、絶えず不安と不満の状態にあった。これらの要求を鎮める方法を見つけるまで、平和が訪れるはずはなかった」 12のステップと12の伝統 p100-101

飲んでいた頃の自分に取って一番大事なもの。それは「すでに得た」手元にある酒を失うことであり、これから「求める」次の酒、明日の酒を得られないことでした。それは恐れそのものでした。

楽しみであったはずの酒が、いつの間にか生活必需品になり、さらに水や食料のように足りなければ苦しみを呼ぶものになっていました。にもかかわらず、酒は飲むとどんどん減ってしまうのです。体から酒が抜けても次の酒が補充できなければ、禁断症状が起こるので、いつもある程度酒に酔っていなければなりませんでした。酒を失うことと、次の酒が手に入らないことは、不安の対象でした。

酒をやめて、そうした不安からは解放されたつもりでいました。でも、決してそうではなかったようです。

例えばどこで働いていても、いつかはこの職場を辞める羽目になるんじゃないか、という不安がこびりついて離れません。貯金がなければ、金のない苦しみがありますが、わずかな額でも貯金が出来れば、今度はそれを失う事への恐れが生まれます。

働く動機にしても、働かなければ手元のお金がいつかはなくなり、食べるにも困ってしまうからです。つまり不安と恐れを出発点として働いているので、病気や怪我や、あるいは倒産や解雇によって職を失うことへの恐れはなくなりはしませんでした。

今は酒がやめられて幸せだと言っていても、その幸せなはずの自分が、過去の友人に会いに行けませんでした。痛々しい過去に触れないことで保たれている現在の幸せが、過去を持ち出すことで壊れてしまうのが怖かったのです。ミーティングで正直に話しているつもりでも、会うのが怖い人がいる現実が、自分の回復の度合いを示していました。

現に存在している不安や恐れを、忘れることでしか幸せが保てないのが飲まない生き方ならば、不安や恐れを酒で忘れていた頃の生き方とどう違うのでしょうか。

結局のところ、人生はなるようにしかならないのです。僕が恐れるようなトラブルが持ち上がったとしても、きっとすべてのことは「なんとかなる」、つまり解決の方法があるのです。そこで示された解決方法が、僕の大嫌いな方法だったり、賛成できなかったりすることもあるでしょう。でも、神様の巨視的な視野で見ればそれが最善の方法に違いありません。それを信じることが出来れば、不安や恐れは小さくなります。

自分の利益ばかり考えていると、どうしても視野は小さくなり「なんとかなる」という信頼が薄らいで、不安が増えてきます。


2007年08月17日(金) 盆休みに思う

実家に二泊三日里帰り(?)してきました。子供は一緒ですが、妻は行きたがらないず家に残っていました。

今回は犬も一緒に連れて行きました。
というのも、子供たちが夏休みの自由研究に「犬の観察」をすることになっていて、しかも夏休み前にそう書いて先生に提出してしまったので、今さら研究テーマは変えられないと言うのです。ええい仕方がない、犬も一緒だ、とばかりに車の荷室に積み込みました。三日間、里へ山へと散歩に連れ出したおかげで、犬も足が一回り太くなるぐらい力強くなった・・ような気がします。

中日にプールに行った以外は、特にどこかへ連れて行くことはしませんでした。ニンテンドーDSは持参禁止、もちろんおばあちゃんの家ではアニマックスもテレビ東京もBSも映りません。パパは新聞を読み、子供たちは外で遊ぶか本を読むか。まあ、パパはときどきノートブックを広げては、ああPHSの電波が届かないと嘆いていたりしましたけど。

夜更けに24時間やっているスーパーへと、夜食の買い出しに行きました。ええ、子供も一緒です。一晩目は自動車で、二番目は街灯のない真っ暗な道を手をつないで歩いていきました。薄雲が出て快晴ではなかったのですが、明るい星はよく見えて「あれが木星、あれが大三角」などと話しながら懐中電灯を消して歩きました。ほんの30秒ほどでしたが北東から南西へと流れる天の川が、しかも暗黒星雲で二またに分かれているところまでよく見えました。

おばあちゃんが特別な料理をしてくれるわけでもないのですが、子供たちは普段の倍ぐらい食べ、宿題もあらかた片づいて、最後には「もう一晩泊まっていきたい」と言い出しましたが、予定どおり帰ってきました。

盆休みと言うことで、他の親子連れの姿を見ることもたびたびありました。
それを見て思ったことは、「やはり子供は子供らしい服がよい」ということです。子供は憧れが強いもので、テレビに出てくる人と同じ服を着てみたいと思うのも自然なことでしょう。でも、テレビの女の人たちの着る服は(特に夏場は)過度に露出が多くて「せくしー」なものもあるわけです。
それを子供が着たからってセクシーになるわけではありませんが、streetwalkerのドレスと同じものを、小学生の女の子に着せていいものなのかどうか。せめてセックスアピールが自意識の中に明確に入ってくる思春期まで、我慢させたらどうなんだろう・・と、まあそんなことを考えました。


2007年08月15日(水) 酒の席に出ることについて

結局の所、私たちは酒があふれかえっている世の中を生きて行かなくちゃならないのであります。いつの間にか、コンビニやスーパーで酒を売るのが当たり前の世の中になっています。生きていれば、ビールのCMを見てしまったり、誰かが飲んでいるところに出くわしたり、はたまた酒の席へ招かれたりします。
大なり小なり酒の誘惑はあって、それに対処できないのは、十分病気から回復していないからです(AA用語で言えば、霊的な状態をきちんと維持できていないのです)。

だからと言って、目の前に冷えたビールのグラスを置いて、自分がどれほど意志が強いか試してみるのは無謀というものです。無事に切り抜けられたからといって、何の勲章になるわけでもありません。

では、依存症である僕らは、酒がテーブルに出てくる場所には一生近寄れないのでしょうか。もちろん、そんなことはありません。

そこへいく「きちんとした理由」があるなら、パーティでも宴会でもバーでも行けば良いということです。きちんとした理由とは、生きていくうえで必要という意味だと僕は思っています。

そういうところで飲んじゃう人っていうのは、別にそんなとこ行かなくても生きていけるのに、わざわざそこへ行って飲んでいるわけです。飲めば命に関わるかも知れないのに。

「自分は回復が足りないから危険な場所には近寄らない」という方針は、自己の状態、世間の状態それぞれに、正しい認識ができているってことでしょう。これを「正気」と呼ぶのであります。

来月結婚式に呼ばれているとか、職場の忘年会に出ることになったとかで、近い未来に必ずやって来る酒席を、はたして飲まないで切り抜けられるか、不安を語る人がいます。そういう人に対するアドバイスは「そんな先のことよりも、今日一日飲まないことに集中しましょう」だと思います。


2007年08月14日(火) 終戦記念日に思う

例年(かな)8月のこの頃には、戦争について、あるいは戦争を生み出す経済についての文章を載せています。そういう意味ではちょっとばかり政治色を帯びます。

東西冷戦の結果、ひとつの国が二つに分断されていた(いる)ケースはいくつもあります。

有名なところでは、西ドイツ・東ドイツです。
国家分断後、共産国家となった東ドイツの計画経済はすっかり失敗し、貧しくなった国民は、国境を越えて西ドイツへと逃げ出していきました。そのせいで東ドイツの人口はどんどん減り、ますます経済が苦しくなったため、国民が脱出できないように国境を封鎖しました。有名なベルリンの壁も、国境封鎖のひとつです。

30年後、東ヨーロッパが民主化でざわざわしている頃、ハンガリー政府が民主勢力に押されて隣国オーストリアとの国境を開放します。ハンガリーと東ドイツって、ずいぶん離れている気もするんですが、東ドイツ→(チェコ・ポーランド)→ハンガリー→オーストリア→西ドイツという亡命回廊を通って、人々はぞろぞろと豊かな方へと逃げ出していきました。
時のホーネッカー政権にそれを止める力は既になく、翌年行われた自由選挙で民主勢力が圧勝、西ドイツへの併合が決まります。

南北イエメンの場合には、ソ連崩壊によって経済支援を失った南イエメンの経済が行き詰まり、これも豊かなほうである北イエメンに吸収されるかたちで決着していました。

南北ベトナムの場合には、戦争で決着がつきました。
あと残っているのは、二つの中国と、朝鮮半島です。

戦争で決着した例を除けば、豊かな方が貧しい方を併合しています。平和的手段で決着するとすれば、朝鮮半島の行方もだいたい見えていることになります。

ハンガリー・オーストリアが国境を東ドイツ国民に解放したように、北朝鮮→某国→韓国という亡命ルートが確立されれば、比較的短期間に事態は収拾するのではないでしょうか。もっとも、多くの東ドイツ国民が合法的に東側諸国(ハンガリー含む)に行けたのと違い、北朝鮮からは友好国である中国・ロシアに脱出するのもままならない状況ですから、まずそれが変わる必要があります。
隣接国が国境を開放して、難民の通過を許したとしても、それほど大きなコストは要らないはずですが、話はそう簡単には進みません。

ドイツの場合でも、ドイツが二つに分断されたままの方が都合がよい人々がいたのです。西ドイツは、疲弊した東ドイツ経済を吸収したがために、10年以上低迷しました。しかし、それを乗り越えた後の統一ドイツは、EUの中で大きな発言力を持つ国となりました。

ドイツより国家規模の小さい韓国が、統合による経済の停滞を脱するには10年では足りないでしょう。しかしそれを乗り越えた暁には、現在の北朝鮮や韓国と比較してずいぶん強力な国家が朝鮮半島に誕生することになります。そして、周囲の国々は、その国家の誕生を望んでいないということではないでしょうか。

歴史を通して、常に大陸側からは中国・ロシア、海洋側からは日本・アメリカによって、翻弄され続けてきたのがこの半島の悲劇だと言われています。あらためて「地政学」という言葉を思い出したりしています。日本も中国の東側になければ、ずいぶん歴史も違っていたでしょうね(当たり前か)。

15〜17日まで帰省してきます。一応ノートパソコンとPHSカードは持って行きますが、なにせPHSの基地局から1,200mも離れているので、更新もままならないかも知れません。アイ・ウィッシュ・ユー・ア・ハッピー・ウラバンナであります。


2007年08月12日(日) Dependence - 依存

ミーティング用お勧めテーマ #6, Dependence - 依存

「人によりかかりすぎると、遅かれ早かれその人は私たちを見捨てることになる。なぜならその人も人間であり、私たちの絶え間のない要求に応じきれなくなるからだ。こうして私たちの不安はつのり、うずくようになる。
私たちが他の人を常に自分の思いどおりにあやつろうとすれば、その人は反感を持ち、激しく抵抗するだろう。すると私たちはますます傷つき、迫害されたと感じ、報復を望むようになる」(12のステップと12の伝統 p72)

AAミーティングで、ある理知的な仲間が「飲んでいるアル中は赤ん坊のようなものだ」と表現していました。

赤ん坊は自分では動けず、お腹がすけばおっぱいを求めて泣き、おむつが濡れれば気持ち悪いと泣き、退屈したから遊んでくれと泣きます。人生の最初の時期にだけ許される特別待遇です。

人はアル中になると赤ん坊と同じことをします。酒がないから買ってこいと喚き、粗相をしたから拭いておけと言い、俺がこんなに飲むのはお前らのせいだと責めます。人生の最初の時期にだけ許されるはずの特別待遇を、大の大人が要求します。

同じ人がこんな事も言っていました。「人間だったら人間関係の悩みを抱えるのは当然のことだ。だが普通の人の人間関係の悩みが、限られた誰かとの間の悩みであるのに対し、アル中である僕らの悩みは、周りの人全員との間に多かれ少なかれ悩みがある」

それこそが、問題を抱えているのは周囲の皆ではなく、自分自身であることの証拠だと言いました。

飲んでいるときも飲んでいないときも、僕の他の人への評価は中間が無く、いつも両極端でした。例えば、あの人はいい人だ、信頼できる人だ、大きな人物だ。だからあの人についていきたい、などと人を尊敬崇拝することがありました。
その良い評価の原因は、その人が僕の意見に賛成してくれたり、僕に何か良いことをしてくれたせいです。つまり僕を大事にしてくれたのです。そのおかげで僕は安心と自信を手に入れる事ができたのです。僕はその人のことを好きになったと勘違いしていましたが、実はその人がくれる自信と安心を好きになったに過ぎません。

相手も人間ですから、僕とは意見の合わないときもあります。そして、僕より大事な人ができることだってあります。そんなとき僕は内心で相手を責めるものの、一応表面は寛容なふりをして相手を許すことができました。

でも僕の許容範囲は狭いので、それが何度か繰り返されただけで、あっという間に僕の評価はプラスからマイナスへと一転し、「あの人はいい人だと思っていたのに裏切られた。だまされた。信じた俺がバカだった」などと陰口を言い出すのです。

そして「世の中バカばっかり」だとか「人間なんて信用ならない」などと、一段高いところから見下ろす態度で自分を慰めるほかありませんでした。

何のことはない。いつも相手が僕の望んだものを与えてくれる特別待遇を望んでいただけでした。赤ん坊がすること、飲んでいるアル中がすることを、飲まなくなった後も別のかたちで続けていただけでした。べったり相手に依存すること、相手が望む反応をするように支配することは、一枚のカードの表と裏のようなものです。

相手が期待した反応をしたときに幸せになるという生き方。果たして、依存症になる前からそうだったから依存症になったのか。あるいは、依存症になった結果、赤ん坊のような生き方が染みこんで抜けなくなったのか。それは僕には分かりません。

僕に分かるのは、アルコールという物質にべったり依存する癖がつき、また人間にもべったり依存する癖がついた人間が、それらの依存を完全に断ち切るのは難しいということです。長年酒をやめ続けた人が、奥さんに先立たれたとたんに飲んだくれに逆戻りした話を聞いたりすると、物質依存さえ抑えれば良いとも言えないと感じます。

どうせ何かに依存しなければ生きていけないのなら、物質や対人依存などの不健康な依存ではなく、AAグループとかハイヤー・パワーなどへの健康的な依存へと切り替えていくしかないと思うのです。


2007年08月11日(土) Contempt prior to investigation - 調べもしない...

Contempt prior to investigation - 調べもしないで頭から軽蔑すること

ミーティング用お勧めテーマ #5, Contempt prior to investigation - 調べもしないで頭から軽蔑すること

<このプログラムの霊的な部分でつまずくことはまったくない。意欲と、正直さと、開かれた心こそが回復に必要な核心である。これらなしに回復はあり得ない。
 「あらゆる情報をはばむ障壁であり、あらゆる論争の反証となり、そして人間を永遠に無知にとどめておく力を持った原理がある。それは調べもしないで頭から軽蔑することである」〜ハーバート・スペンサー> 付録2「霊的体験」P299

湾岸戦争を覚えていますか?
1991年、経済的に困窮してクェートに侵攻したイラクに対し、アメリカを筆頭とする多国籍軍が反攻した戦争でした。そうした事実よりも、「テレビで中継された戦争」として人々の記憶に残されているように思います。

僕は酒を飲みながらその戦争をテレビを見ていました。巡洋艦から(わざわざ反対方向へと)発射され、空中で回頭する巡航ミサイル、そのミサイルに搭載されたカメラの映像。ヘリコプターや戦闘機の照準に橋や建物が合わされ、次の瞬間にそれが崩れ落ちる様子。そして夜のバグダッドの対空砲火。

僕にはその戦争が、ユダヤ・キリスト教国家と、イスラム教国家の間の宗教戦争にしか見えませんでした。宗教の名の下に殺し合っている彼らより、僕の方がまだ幸せだと思いました。そうやって自分を慰めるしかなかったのかも知れません。

前にも書きましたが、当時僕の住んでいた地方は、新興宗教の勧誘がとても盛んでした。その中には後にサリン事件を起こした団体もありました。神や仏について話を聞かされるのに辟易していた僕は、

「神仏に頼るのは、心の弱い人間のすることだ」

という信念を強めていきました。

が、その年の夏に僕は(酒が原因で)手首を切って自殺未遂をします。自分が当事者になるまでは、

「自殺未遂は、心の弱い人間のすることだ」

と思っていたので、図らずも「心の弱い人間」の仲間入りをしてしまった僕は、ひたすらそのことを隠して生きるしかありませんでした。
さらに4年後にAAにたどり着いて、「神」だとか「偉大な力」について話す人々に囲まれたときは、ちょっと前までマトモな生活をしていた(?)自分が、何でこんなところに通う羽目になったんだろう、と内心で嘆いていました。素直になるには、もうすこし酒で打ちのめされなければなりませんでした。

AAに数年通えば見えてくることがあります。しばらく酒が止まったのに、ぼろぼろと脱落していく人間の多さです。そしてある程度長い期間無事にやめている人たちは、多かれ少なかれ「自分より強い力」について語っているという事実です。
もちろん世の中には「神」に煩わされずに(?)飲まないで過ごせる人もずいぶんいるのでしょう。でも、自分がそっちの仲間に入れる自信はもうありませんでした。僕のソブラエティの年数はたいした長さではありませんでしたが、それでも失敗してもう一度やり直すにはもったいない長さでした。だから僕は安全策をとることにしたのです。

断酒の成功と失敗について、その理由を探るのに十分な数のサンプルデータが集まっていました。僕は飲まないで生きるために「自分の理解できる神」「自分専用の神」を探すことにしました。今でもそのころの判断に間違いはなかったと思っています。
僕は科学的な手法が好きだと言いながらも、十分な数のサンプルを集める前に、信仰は役に立たないと決めつけていたのでした。今でもそのことを考えると、恥ずかしさを感じます。

話は変わって、僕より後にAAにつながった女性が、「私は家にいるのが辛いから、AAミーティングに毎日通うのが楽しくて仕方がない」という発言をしていた時期がありました。僕はそれを聞いて「12のステップはAAの中だけでなく、家でも実践すべき事だから、いつまでもそんなことを言うのはいかがなものか」という批判をしてしまいました。
彼女の家にもいろいろと事情があることを、他の仲間から、また本人から聞かされたのは、僕が非難の言葉を何度も重ねた後でした。

「人を批判する前に、その人の靴を履いて長い距離を歩いてみろ」

という言葉が「どうやって飲まないでいるか」の中にあったと思います。
相手の立場に立ってものを考えてみろと、スポンサーから(うるせーよ)と思うぐらい言われていたにもかかわらず、こんな具合です。

自分に対して理知的という理想像を求めてしまうだけに、「知りもしないで批判してきた過去」を思い出すと、なかなかに恥ずかしいのであります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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