心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年08月12日(日) Dependence - 依存

ミーティング用お勧めテーマ #6, Dependence - 依存

「人によりかかりすぎると、遅かれ早かれその人は私たちを見捨てることになる。なぜならその人も人間であり、私たちの絶え間のない要求に応じきれなくなるからだ。こうして私たちの不安はつのり、うずくようになる。
私たちが他の人を常に自分の思いどおりにあやつろうとすれば、その人は反感を持ち、激しく抵抗するだろう。すると私たちはますます傷つき、迫害されたと感じ、報復を望むようになる」(12のステップと12の伝統 p72)

AAミーティングで、ある理知的な仲間が「飲んでいるアル中は赤ん坊のようなものだ」と表現していました。

赤ん坊は自分では動けず、お腹がすけばおっぱいを求めて泣き、おむつが濡れれば気持ち悪いと泣き、退屈したから遊んでくれと泣きます。人生の最初の時期にだけ許される特別待遇です。

人はアル中になると赤ん坊と同じことをします。酒がないから買ってこいと喚き、粗相をしたから拭いておけと言い、俺がこんなに飲むのはお前らのせいだと責めます。人生の最初の時期にだけ許されるはずの特別待遇を、大の大人が要求します。

同じ人がこんな事も言っていました。「人間だったら人間関係の悩みを抱えるのは当然のことだ。だが普通の人の人間関係の悩みが、限られた誰かとの間の悩みであるのに対し、アル中である僕らの悩みは、周りの人全員との間に多かれ少なかれ悩みがある」

それこそが、問題を抱えているのは周囲の皆ではなく、自分自身であることの証拠だと言いました。

飲んでいるときも飲んでいないときも、僕の他の人への評価は中間が無く、いつも両極端でした。例えば、あの人はいい人だ、信頼できる人だ、大きな人物だ。だからあの人についていきたい、などと人を尊敬崇拝することがありました。
その良い評価の原因は、その人が僕の意見に賛成してくれたり、僕に何か良いことをしてくれたせいです。つまり僕を大事にしてくれたのです。そのおかげで僕は安心と自信を手に入れる事ができたのです。僕はその人のことを好きになったと勘違いしていましたが、実はその人がくれる自信と安心を好きになったに過ぎません。

相手も人間ですから、僕とは意見の合わないときもあります。そして、僕より大事な人ができることだってあります。そんなとき僕は内心で相手を責めるものの、一応表面は寛容なふりをして相手を許すことができました。

でも僕の許容範囲は狭いので、それが何度か繰り返されただけで、あっという間に僕の評価はプラスからマイナスへと一転し、「あの人はいい人だと思っていたのに裏切られた。だまされた。信じた俺がバカだった」などと陰口を言い出すのです。

そして「世の中バカばっかり」だとか「人間なんて信用ならない」などと、一段高いところから見下ろす態度で自分を慰めるほかありませんでした。

何のことはない。いつも相手が僕の望んだものを与えてくれる特別待遇を望んでいただけでした。赤ん坊がすること、飲んでいるアル中がすることを、飲まなくなった後も別のかたちで続けていただけでした。べったり相手に依存すること、相手が望む反応をするように支配することは、一枚のカードの表と裏のようなものです。

相手が期待した反応をしたときに幸せになるという生き方。果たして、依存症になる前からそうだったから依存症になったのか。あるいは、依存症になった結果、赤ん坊のような生き方が染みこんで抜けなくなったのか。それは僕には分かりません。

僕に分かるのは、アルコールという物質にべったり依存する癖がつき、また人間にもべったり依存する癖がついた人間が、それらの依存を完全に断ち切るのは難しいということです。長年酒をやめ続けた人が、奥さんに先立たれたとたんに飲んだくれに逆戻りした話を聞いたりすると、物質依存さえ抑えれば良いとも言えないと感じます。

どうせ何かに依存しなければ生きていけないのなら、物質や対人依存などの不健康な依存ではなく、AAグループとかハイヤー・パワーなどへの健康的な依存へと切り替えていくしかないと思うのです。


2007年08月11日(土) Contempt prior to investigation - 調べもしない...

Contempt prior to investigation - 調べもしないで頭から軽蔑すること

ミーティング用お勧めテーマ #5, Contempt prior to investigation - 調べもしないで頭から軽蔑すること

<このプログラムの霊的な部分でつまずくことはまったくない。意欲と、正直さと、開かれた心こそが回復に必要な核心である。これらなしに回復はあり得ない。
 「あらゆる情報をはばむ障壁であり、あらゆる論争の反証となり、そして人間を永遠に無知にとどめておく力を持った原理がある。それは調べもしないで頭から軽蔑することである」〜ハーバート・スペンサー> 付録2「霊的体験」P299

湾岸戦争を覚えていますか?
1991年、経済的に困窮してクェートに侵攻したイラクに対し、アメリカを筆頭とする多国籍軍が反攻した戦争でした。そうした事実よりも、「テレビで中継された戦争」として人々の記憶に残されているように思います。

僕は酒を飲みながらその戦争をテレビを見ていました。巡洋艦から(わざわざ反対方向へと)発射され、空中で回頭する巡航ミサイル、そのミサイルに搭載されたカメラの映像。ヘリコプターや戦闘機の照準に橋や建物が合わされ、次の瞬間にそれが崩れ落ちる様子。そして夜のバグダッドの対空砲火。

僕にはその戦争が、ユダヤ・キリスト教国家と、イスラム教国家の間の宗教戦争にしか見えませんでした。宗教の名の下に殺し合っている彼らより、僕の方がまだ幸せだと思いました。そうやって自分を慰めるしかなかったのかも知れません。

前にも書きましたが、当時僕の住んでいた地方は、新興宗教の勧誘がとても盛んでした。その中には後にサリン事件を起こした団体もありました。神や仏について話を聞かされるのに辟易していた僕は、

「神仏に頼るのは、心の弱い人間のすることだ」

という信念を強めていきました。

が、その年の夏に僕は(酒が原因で)手首を切って自殺未遂をします。自分が当事者になるまでは、

「自殺未遂は、心の弱い人間のすることだ」

と思っていたので、図らずも「心の弱い人間」の仲間入りをしてしまった僕は、ひたすらそのことを隠して生きるしかありませんでした。
さらに4年後にAAにたどり着いて、「神」だとか「偉大な力」について話す人々に囲まれたときは、ちょっと前までマトモな生活をしていた(?)自分が、何でこんなところに通う羽目になったんだろう、と内心で嘆いていました。素直になるには、もうすこし酒で打ちのめされなければなりませんでした。

AAに数年通えば見えてくることがあります。しばらく酒が止まったのに、ぼろぼろと脱落していく人間の多さです。そしてある程度長い期間無事にやめている人たちは、多かれ少なかれ「自分より強い力」について語っているという事実です。
もちろん世の中には「神」に煩わされずに(?)飲まないで過ごせる人もずいぶんいるのでしょう。でも、自分がそっちの仲間に入れる自信はもうありませんでした。僕のソブラエティの年数はたいした長さではありませんでしたが、それでも失敗してもう一度やり直すにはもったいない長さでした。だから僕は安全策をとることにしたのです。

断酒の成功と失敗について、その理由を探るのに十分な数のサンプルデータが集まっていました。僕は飲まないで生きるために「自分の理解できる神」「自分専用の神」を探すことにしました。今でもそのころの判断に間違いはなかったと思っています。
僕は科学的な手法が好きだと言いながらも、十分な数のサンプルを集める前に、信仰は役に立たないと決めつけていたのでした。今でもそのことを考えると、恥ずかしさを感じます。

話は変わって、僕より後にAAにつながった女性が、「私は家にいるのが辛いから、AAミーティングに毎日通うのが楽しくて仕方がない」という発言をしていた時期がありました。僕はそれを聞いて「12のステップはAAの中だけでなく、家でも実践すべき事だから、いつまでもそんなことを言うのはいかがなものか」という批判をしてしまいました。
彼女の家にもいろいろと事情があることを、他の仲間から、また本人から聞かされたのは、僕が非難の言葉を何度も重ねた後でした。

「人を批判する前に、その人の靴を履いて長い距離を歩いてみろ」

という言葉が「どうやって飲まないでいるか」の中にあったと思います。
相手の立場に立ってものを考えてみろと、スポンサーから(うるせーよ)と思うぐらい言われていたにもかかわらず、こんな具合です。

自分に対して理知的という理想像を求めてしまうだけに、「知りもしないで批判してきた過去」を思い出すと、なかなかに恥ずかしいのであります。


2007年08月10日(金) Complacency - 自己満足

Suggested Topics For Discussion Meetings #4, Complacency - 自己満足

「どんなに多くの人が、「私は飲まないでいるだけで幸せです。これ以上何を望み、何をするんです? 今の私のままでいいんです」と大胆にも断言したことだろうか。自己満足はいつか幻滅によって中断させられ、必ず逆戻りさせられるという代価を払わなくてはならい。私たちには前進するか後退するかしかない。現状が維持できるのは今日だけで、明日には通用しない。私たちは変わらなければならない。現状で満足してはならないのだ」(ビルはこう思う 25)

AAミーティングに定期的に通い出したころ、AAの人たちがやっていることを見て「あんなことまでするなんて、大変だ」と思ったものでした。

例えば後に僕のAAスポンサーになってくれた人は、毎週二回、コーヒーバスケットを持ってきてその会場を開け、お湯を沸かし、来るか来ないかも分からない人たちを待ち、教会へ払うの会場費を全額負担し、ミーティングの司会をし、そして後かたづけをして帰って行くのでした。
それで何か金銭的報酬を得ているわけでもありません。聞けば隣県のミーティング会場まで足を伸ばしているみたいだし、日曜には精神病院を訪問してもいるらしい。それで何を得ているかといえば「酒を飲まない生活」だというのですから、苦労に見合った報酬だとはとても思えませんでした。

他のAAの人たちも、似たり寄ったりのようでした。感謝状ひとつもらうわけでもないのに、良くやるもんだ。おまけに、ステップだとか謙虚だとか、神(!)だとか。今の僕は酒を止めるのが苦しいから、ここに通ってきているけれど、楽になればおさらばするのは当然だと思っていました。

自分をいじめるのが好きな人たちとはつきあっていられない。と思っていました。

酒が止まらないのが自分の悩みであり、それが止まって、さらに「長期の離脱症状」ってのが抜けてくれたら、もう断酒だ何だという話とは無縁でいたい。その後の人生は、再飲酒という落とし穴にはまらないように、人よりちょっと注意深く生きて行けば大丈夫だと思っていました。

僕の場合は幸いなことに、結果は早く出てくれました。五ヶ月後に再飲酒、一年後に再入院となりました。

AAで自虐的に生きていると思っていた人たちの方が、僕よりも楽しそうでした。彼らより楽しく生きていると思っていた僕は、気がつけば鍵がかかる病院の中です。

僕にとってさらに幸いだったことは、断酒会へ行けとうるさい病院だったので「自分はAAだ」と言い出さざるを得なかったことです。おかげでそのままAAに戻れて、ある晩に勇気を振り絞って「スポンサーをお願いします」と頼めたことです。「あの人たち」の仲間に入る気持ちになれたことです。

当時に思いついて、今でも同じ考えでいることがあります。
大切なことは方向性なんだと。回復の方を向いているか、ずるずると悪い方へ向かっているかです。現状維持で十分などと思っていると、そのうち崖っぷちが近づいてきて落ちてしまいます。良くなろうと思い続けることが大切だと思いました。それは今も変わりません。

うまいこと人生の落とし穴を避けて生きていける自分だったら、そもそもアル中にはならなかったはずです。落とし穴に落ちるたびに酒を飲むことはなくなりましたが、もうすこし落ちる頻度を減らしたいと思います。


2007年08月09日(木) アル中の三大否認

アル中の三大否認とは?

・自分はアルコールをコントロールできている
  →だから断酒は必要ない。

→コントロールできていないことに気づく。断酒の努力が始まる。

・自分が酒をやめるのに手助けは要らない
  →だから病院に行かない。断酒会も行かない。

→自力ではやめられないことに気づく。助けを求める。

・自分はアルコール以外の問題はない
  →だから断酒だけすれば十分だ

→酒は表面に現れた症状にすぎないことに気づく。自分を変える努力が始まる。

それぞれ回復のステージであります。
次のステージに進むには「気づき」が必要です。
本人が気づくように、周囲はいろいろ準備をしてあげることはできます。
けれど「気づく」のは、本人にしかできません。
牛を水辺に連れて行くことはできますが、水を飲むかどうかは牛次第です。ただ、水がないと牛は水を飲めませんから、水を準備してあげることは必要でしょう。

ステップ4とか、ステップ8の表で、憎んでいる相手・恐れている相手・傷つけた相手として「自分」を書くことには、僕は否定的です。
というのも、ステップ4〜12全体が、自分を憎み、自分を恐れ、そして自分を傷つけてきた過去に対して、自分に埋め合わせをしていく作業だと思うからです。明示的に自分に埋め合わせをしようとすると、「俺の生きてきた人生、すごい辛くて苦しかった」という自己憐憫の罠にはまりがちです。だから表を書くときの「相手」の欄は、やはり他者や社会の仕組みなど、自分の外部にあるものに限定すべきだと思います。

どうしてもその欄に「自分」を書きたいときには、その言葉を「神」と置き換えてみるのも案です。自分を辛い運命に導いた神様を恨み、もっと悪くなるかと恐れ、そして信頼を裏切ったということですね。

生き方が自傷行為みたいな生き方をしてきたんだから、それの方向を変えるということが、自分に対する埋め合わせだと思いますよ。


2007年08月08日(水) 書評『ビッグブックのスポンサーシップ』(3)

(続きです)

ジョー・マキューのメッセージが「AAの正しいやり方」だとは主張できません。AAの本来のメッセージは、ビッグブックや『12のステップと12の伝統』に書かれています。しかし、それを読んで具体的なステップの方法が思い浮かんだ人は少ないのではないでしょうか。
ジョー・マキューの本の内容は秩序だって明快であり、方法は具体的、実践的で、スポンサーにもスポンシーにもわかりやすく書かれています。ハウ・ツーが書かれた攻略本と言ってもいいでしょう。もしあなたが、これからAAのスポンサーをやろうとして迷いがあるなら、あるいはAAに長くいてもう一度ステップをやり直そうと思っているなら、はたまたAAにちょっと嫌気がさし始めているなら、これがまさにお勧めの一冊です。
また、アルコール以外の依存症の方にもぜひお勧めします。

この本は著者ジョー・マキューによる経験と力と希望の分かち合い、つまり個人の本で、いわゆるAAの本(評議会承認出版物)とは違います。AAから出版されているわけではありません。だからこそ日本での出版を行ってくれた「依存症からの回復研究会」に感謝を表したいと思います。翻訳はこなれていて読みやすく、年配の人にも若い人にも親しみやすいと思います。
現在は同会から自費出版の形でしか手に入りませんが、そのうちいろいろなところで入手可能になるでしょう。書籍としての完成度は、自費出版の域を超えています。

僕のようなぺーぺーの声ではなく、昔風のやり方を知る本当のオールド・タイマーの声に耳を傾けてほしいと願っています。

来年出版されるという『私たちが踏んだステップ(THE STEPS WE TOOK)』にも期待しています。

(この項お終い)

http://m-pe.tv/u/page.php?uid=krkjimu&id=1
依存症からの回復研究会――回復の力学――

携帯電話からでも読めるようにと、雑記の方にも3回に分けて掲載しました。おかげで、雑記を3日分サボれましたよ。明日からは通常?に戻る予定。


2007年08月07日(火) 書評『ビッグブックのスポンサーシップ』(2)

(続きです)

ひるがえって日本の状況を見てみると、二千数百人までは順調に増えたAAメンバー数も、その後の十数年は漸増あるいは停滞にとどまり、ようやく四千に届いたかどうかと言われるぐらいです。日本AAの創始者の一人、ピーター神父がステップすべてを経験し、伝えるべき明確なステップを持っていたことは間違いありません。それはビッグブック日本語版の個人の物語を読めばわかります。日本AAも始まりは確かにスピリチュアルなものだったに違いありません。
しかし、後年AAをのぞきに来たピーター神父の同僚が「AAからすっかり霊的なものが失われていて幻滅した」とつぶやいたと伝えられます。
AAの現在の停滞は、ステップを行うメンバーが減り、新しい人にステップを伝える能力が失われたからだと、僕は断言します(個人的意見ですからきっぱり言います)。ステップ12までどころか、ステップ4の棚卸しすら行わないメンバーが当たり前になりました。そして「仲間の交流」のフェローシップにばかり熱心な人が増えました。

AAメンバーが増えないのは、多くの飲んでいるアルコホーリクがAAを知らないからで、もっとAAを広報すれば良いという議論があります。それはその通りですが、もう一つの視点があります。多くの人がAAのドアを開けて入ってきますが、同じぐらい多くの人がいつの間にかミーティング場から消えてしまいます。また2〜3年はAAにとどまるものの、その後去ってしまうメンバーも少なくありません。それは現在の日本AAに「ひきつける魅力」がないからでしょう。

新しい人は、ただ飲んでいないだけの人には魅力を感じません。ステップを経験し、スピリチュアルに目覚め、生きる喜びを感じることが「ひきつける魅力」です。AAメンバーが伝えていくべき「このメッセージ」とは、スピリチュアルな目覚めと、そこへいたる手段であるステップのやり方です。この本の翻訳出版ばかりでなく、さまざまな「原点回帰」の試みが日本のAAでも盛んになってきたことを、大変頼もしく思っています。

(明日まで続きます)

ビッグブックのスポンサーシップ――依存症から回復する12ステップ・ガイド――
http://m-pe.tv/u/page.php?uid=krkjimu&id=1


2007年08月06日(月) 書評『ビッグブックのスポンサーシップ』(1)

ビッグブックのスポンサーシップ
――依存症から回復する12ステップ・ガイド――
ジョー・マキュー著
翻訳・発行依存症からの回復研究会
B5版188P 1,500円
http://m-pe.tv/u/page.php?uid=krkjimu&id=1

僕もたかだか10年ちょっとのソブラエティをいただいただけで「オールド・タイマー」なんて呼ばれてしまうのですが、本来オールド・タイマーとは、昔風(オールド・タイム)のやり方を知っている人のことで、20年・30年の時間は必要でしょう。

ジョー・マキューは、もはや伝説とも言える「ジョー&チャーリーのビッグブック・スタディ」のセミナーを継続的に開いたひとりです。彼自身、30年以上もアルコール依存症の治療施設を運営してきたのにもかかわらず、彼は現在のAAの停滞・衰退は、治療施設の影響だと主張します。
治療施設の大半は、28日間の入所期間中にAAの12のステップに取り組むのを基本としています。入所中にどこまでステップを進めるか(ステップ4まで、5まで、8までなど)は、施設によって違いますが、ある程度ステップを実行した後になってから退所してAAに通い出したのです。その結果どうなったのか? 本来、新しい人にステップを伝える役割は、AAスポンサーやAAグループのものでした。それが治療施設によって代行された結果、AAはステップを伝える能力を失ってしまいました。AAスポンサーの役割は新しい人を治療施設に連れて行くことに変わってしまい、ステップを12まで行うメンバーは半数以下になりました。そしてアメリカ政府が治療施設に対する補助金を削減し、治療施設の数が減り始めると、今度はAAメンバー数の減少が始まったのです。以前はAAに来た人の半数が回復していたのに、その率は5%ほどにまで下がってしまいました。

ジョー・マキューは、治療施設を悪として扱う愚を避けます。問題は治療施設の存在ではなく、AAがステップを新しい人に伝える能力を失ってしまったことだと彼は主張します。そして彼は、彼の持っている経験、つまり彼がAAにつながった頃、AAが高い効果を上げていた頃に、彼がスポンサーから受け取ったやり方を現在の僕らに伝えようとしています。

彼はAAのフェローシップ(仲間の交流)が持っている力を否定しません。共感の人間関係は、人に力を与えてくれます。しかしそれはどんな集まりでも持っている力にすぎない、もう一つAA本来の力に気づきなさいと彼は訴えます。それはステップによって人間が変わる力です。

僕は、新しい人の頭がすっきりするまで1年待ってからステップを提案するとか、ステップを一巡するのに3年間を目安とする習慣には、「それは新しい人の苦しみを長引かせるだけでしかない」と思います。ステップには弾みがあり、ステップが次のステップへとドミノ倒しのように連鎖しく勢いがあります。ジョー・マキューは、その弾みを大事にするプログラムを「リカバリー・ダイナミクス・プログラム(RDP)」と名付けました。現在ではRDPを取り入れた治療施設は百を超えています。またAAではビッグブック学習のミーティングが開かれ、AAミーティングの前後にコーヒーショップでビッグブックを分かち合うスポンサーシップが日常のものとなっています。

もちろんその功績をすべてジョー・マキューに帰するのはフェアではありません。そこには無名のヒーローが多数介在したはずです。また、たとえばワリー・Pは、AAオフィスの書庫から1950年代に行われていた教室形式でのビッグブック学習とスポンサーシップを再発見し、『バック・トゥー・ベーシックス』(基本に返れ)という本を出版しました。批判は受けつつも、バック・トゥー・ベーシックスのミーティングは北米全体へ、さらに各国へと広がっています。

このように、AAが停滞しメンバー減少の危機が訪れたとき、AAを愛するメンバーたちはもう一度AAのスピリチュアルな魅力を取り戻そうと努力を始めました。それを「原点回帰」と呼ぶのも、「基本に返る」と呼ぶのも、あるいは「ビッグブック原理主義」と揶揄するのも自由ですが、全体的な潮流が、ビッグブックを道具として使い、スポンサーからスポンシーへとステップを伝えていくことへと回帰しているのは確かです。

(明日へ続きます)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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