心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年08月10日(金) Complacency - 自己満足

Suggested Topics For Discussion Meetings #4, Complacency - 自己満足

「どんなに多くの人が、「私は飲まないでいるだけで幸せです。これ以上何を望み、何をするんです? 今の私のままでいいんです」と大胆にも断言したことだろうか。自己満足はいつか幻滅によって中断させられ、必ず逆戻りさせられるという代価を払わなくてはならい。私たちには前進するか後退するかしかない。現状が維持できるのは今日だけで、明日には通用しない。私たちは変わらなければならない。現状で満足してはならないのだ」(ビルはこう思う 25)

AAミーティングに定期的に通い出したころ、AAの人たちがやっていることを見て「あんなことまでするなんて、大変だ」と思ったものでした。

例えば後に僕のAAスポンサーになってくれた人は、毎週二回、コーヒーバスケットを持ってきてその会場を開け、お湯を沸かし、来るか来ないかも分からない人たちを待ち、教会へ払うの会場費を全額負担し、ミーティングの司会をし、そして後かたづけをして帰って行くのでした。
それで何か金銭的報酬を得ているわけでもありません。聞けば隣県のミーティング会場まで足を伸ばしているみたいだし、日曜には精神病院を訪問してもいるらしい。それで何を得ているかといえば「酒を飲まない生活」だというのですから、苦労に見合った報酬だとはとても思えませんでした。

他のAAの人たちも、似たり寄ったりのようでした。感謝状ひとつもらうわけでもないのに、良くやるもんだ。おまけに、ステップだとか謙虚だとか、神(!)だとか。今の僕は酒を止めるのが苦しいから、ここに通ってきているけれど、楽になればおさらばするのは当然だと思っていました。

自分をいじめるのが好きな人たちとはつきあっていられない。と思っていました。

酒が止まらないのが自分の悩みであり、それが止まって、さらに「長期の離脱症状」ってのが抜けてくれたら、もう断酒だ何だという話とは無縁でいたい。その後の人生は、再飲酒という落とし穴にはまらないように、人よりちょっと注意深く生きて行けば大丈夫だと思っていました。

僕の場合は幸いなことに、結果は早く出てくれました。五ヶ月後に再飲酒、一年後に再入院となりました。

AAで自虐的に生きていると思っていた人たちの方が、僕よりも楽しそうでした。彼らより楽しく生きていると思っていた僕は、気がつけば鍵がかかる病院の中です。

僕にとってさらに幸いだったことは、断酒会へ行けとうるさい病院だったので「自分はAAだ」と言い出さざるを得なかったことです。おかげでそのままAAに戻れて、ある晩に勇気を振り絞って「スポンサーをお願いします」と頼めたことです。「あの人たち」の仲間に入る気持ちになれたことです。

当時に思いついて、今でも同じ考えでいることがあります。
大切なことは方向性なんだと。回復の方を向いているか、ずるずると悪い方へ向かっているかです。現状維持で十分などと思っていると、そのうち崖っぷちが近づいてきて落ちてしまいます。良くなろうと思い続けることが大切だと思いました。それは今も変わりません。

うまいこと人生の落とし穴を避けて生きていける自分だったら、そもそもアル中にはならなかったはずです。落とし穴に落ちるたびに酒を飲むことはなくなりましたが、もうすこし落ちる頻度を減らしたいと思います。


2007年08月09日(木) アル中の三大否認

アル中の三大否認とは?

・自分はアルコールをコントロールできている
  →だから断酒は必要ない。

→コントロールできていないことに気づく。断酒の努力が始まる。

・自分が酒をやめるのに手助けは要らない
  →だから病院に行かない。断酒会も行かない。

→自力ではやめられないことに気づく。助けを求める。

・自分はアルコール以外の問題はない
  →だから断酒だけすれば十分だ

→酒は表面に現れた症状にすぎないことに気づく。自分を変える努力が始まる。

それぞれ回復のステージであります。
次のステージに進むには「気づき」が必要です。
本人が気づくように、周囲はいろいろ準備をしてあげることはできます。
けれど「気づく」のは、本人にしかできません。
牛を水辺に連れて行くことはできますが、水を飲むかどうかは牛次第です。ただ、水がないと牛は水を飲めませんから、水を準備してあげることは必要でしょう。

ステップ4とか、ステップ8の表で、憎んでいる相手・恐れている相手・傷つけた相手として「自分」を書くことには、僕は否定的です。
というのも、ステップ4〜12全体が、自分を憎み、自分を恐れ、そして自分を傷つけてきた過去に対して、自分に埋め合わせをしていく作業だと思うからです。明示的に自分に埋め合わせをしようとすると、「俺の生きてきた人生、すごい辛くて苦しかった」という自己憐憫の罠にはまりがちです。だから表を書くときの「相手」の欄は、やはり他者や社会の仕組みなど、自分の外部にあるものに限定すべきだと思います。

どうしてもその欄に「自分」を書きたいときには、その言葉を「神」と置き換えてみるのも案です。自分を辛い運命に導いた神様を恨み、もっと悪くなるかと恐れ、そして信頼を裏切ったということですね。

生き方が自傷行為みたいな生き方をしてきたんだから、それの方向を変えるということが、自分に対する埋め合わせだと思いますよ。


2007年08月08日(水) 書評『ビッグブックのスポンサーシップ』(3)

(続きです)

ジョー・マキューのメッセージが「AAの正しいやり方」だとは主張できません。AAの本来のメッセージは、ビッグブックや『12のステップと12の伝統』に書かれています。しかし、それを読んで具体的なステップの方法が思い浮かんだ人は少ないのではないでしょうか。
ジョー・マキューの本の内容は秩序だって明快であり、方法は具体的、実践的で、スポンサーにもスポンシーにもわかりやすく書かれています。ハウ・ツーが書かれた攻略本と言ってもいいでしょう。もしあなたが、これからAAのスポンサーをやろうとして迷いがあるなら、あるいはAAに長くいてもう一度ステップをやり直そうと思っているなら、はたまたAAにちょっと嫌気がさし始めているなら、これがまさにお勧めの一冊です。
また、アルコール以外の依存症の方にもぜひお勧めします。

この本は著者ジョー・マキューによる経験と力と希望の分かち合い、つまり個人の本で、いわゆるAAの本(評議会承認出版物)とは違います。AAから出版されているわけではありません。だからこそ日本での出版を行ってくれた「依存症からの回復研究会」に感謝を表したいと思います。翻訳はこなれていて読みやすく、年配の人にも若い人にも親しみやすいと思います。
現在は同会から自費出版の形でしか手に入りませんが、そのうちいろいろなところで入手可能になるでしょう。書籍としての完成度は、自費出版の域を超えています。

僕のようなぺーぺーの声ではなく、昔風のやり方を知る本当のオールド・タイマーの声に耳を傾けてほしいと願っています。

来年出版されるという『私たちが踏んだステップ(THE STEPS WE TOOK)』にも期待しています。

(この項お終い)

http://m-pe.tv/u/page.php?uid=krkjimu&id=1
依存症からの回復研究会――回復の力学――

携帯電話からでも読めるようにと、雑記の方にも3回に分けて掲載しました。おかげで、雑記を3日分サボれましたよ。明日からは通常?に戻る予定。


2007年08月07日(火) 書評『ビッグブックのスポンサーシップ』(2)

(続きです)

ひるがえって日本の状況を見てみると、二千数百人までは順調に増えたAAメンバー数も、その後の十数年は漸増あるいは停滞にとどまり、ようやく四千に届いたかどうかと言われるぐらいです。日本AAの創始者の一人、ピーター神父がステップすべてを経験し、伝えるべき明確なステップを持っていたことは間違いありません。それはビッグブック日本語版の個人の物語を読めばわかります。日本AAも始まりは確かにスピリチュアルなものだったに違いありません。
しかし、後年AAをのぞきに来たピーター神父の同僚が「AAからすっかり霊的なものが失われていて幻滅した」とつぶやいたと伝えられます。
AAの現在の停滞は、ステップを行うメンバーが減り、新しい人にステップを伝える能力が失われたからだと、僕は断言します(個人的意見ですからきっぱり言います)。ステップ12までどころか、ステップ4の棚卸しすら行わないメンバーが当たり前になりました。そして「仲間の交流」のフェローシップにばかり熱心な人が増えました。

AAメンバーが増えないのは、多くの飲んでいるアルコホーリクがAAを知らないからで、もっとAAを広報すれば良いという議論があります。それはその通りですが、もう一つの視点があります。多くの人がAAのドアを開けて入ってきますが、同じぐらい多くの人がいつの間にかミーティング場から消えてしまいます。また2〜3年はAAにとどまるものの、その後去ってしまうメンバーも少なくありません。それは現在の日本AAに「ひきつける魅力」がないからでしょう。

新しい人は、ただ飲んでいないだけの人には魅力を感じません。ステップを経験し、スピリチュアルに目覚め、生きる喜びを感じることが「ひきつける魅力」です。AAメンバーが伝えていくべき「このメッセージ」とは、スピリチュアルな目覚めと、そこへいたる手段であるステップのやり方です。この本の翻訳出版ばかりでなく、さまざまな「原点回帰」の試みが日本のAAでも盛んになってきたことを、大変頼もしく思っています。

(明日まで続きます)

ビッグブックのスポンサーシップ――依存症から回復する12ステップ・ガイド――
http://m-pe.tv/u/page.php?uid=krkjimu&id=1


2007年08月06日(月) 書評『ビッグブックのスポンサーシップ』(1)

ビッグブックのスポンサーシップ
――依存症から回復する12ステップ・ガイド――
ジョー・マキュー著
翻訳・発行依存症からの回復研究会
B5版188P 1,500円
http://m-pe.tv/u/page.php?uid=krkjimu&id=1

僕もたかだか10年ちょっとのソブラエティをいただいただけで「オールド・タイマー」なんて呼ばれてしまうのですが、本来オールド・タイマーとは、昔風(オールド・タイム)のやり方を知っている人のことで、20年・30年の時間は必要でしょう。

ジョー・マキューは、もはや伝説とも言える「ジョー&チャーリーのビッグブック・スタディ」のセミナーを継続的に開いたひとりです。彼自身、30年以上もアルコール依存症の治療施設を運営してきたのにもかかわらず、彼は現在のAAの停滞・衰退は、治療施設の影響だと主張します。
治療施設の大半は、28日間の入所期間中にAAの12のステップに取り組むのを基本としています。入所中にどこまでステップを進めるか(ステップ4まで、5まで、8までなど)は、施設によって違いますが、ある程度ステップを実行した後になってから退所してAAに通い出したのです。その結果どうなったのか? 本来、新しい人にステップを伝える役割は、AAスポンサーやAAグループのものでした。それが治療施設によって代行された結果、AAはステップを伝える能力を失ってしまいました。AAスポンサーの役割は新しい人を治療施設に連れて行くことに変わってしまい、ステップを12まで行うメンバーは半数以下になりました。そしてアメリカ政府が治療施設に対する補助金を削減し、治療施設の数が減り始めると、今度はAAメンバー数の減少が始まったのです。以前はAAに来た人の半数が回復していたのに、その率は5%ほどにまで下がってしまいました。

ジョー・マキューは、治療施設を悪として扱う愚を避けます。問題は治療施設の存在ではなく、AAがステップを新しい人に伝える能力を失ってしまったことだと彼は主張します。そして彼は、彼の持っている経験、つまり彼がAAにつながった頃、AAが高い効果を上げていた頃に、彼がスポンサーから受け取ったやり方を現在の僕らに伝えようとしています。

彼はAAのフェローシップ(仲間の交流)が持っている力を否定しません。共感の人間関係は、人に力を与えてくれます。しかしそれはどんな集まりでも持っている力にすぎない、もう一つAA本来の力に気づきなさいと彼は訴えます。それはステップによって人間が変わる力です。

僕は、新しい人の頭がすっきりするまで1年待ってからステップを提案するとか、ステップを一巡するのに3年間を目安とする習慣には、「それは新しい人の苦しみを長引かせるだけでしかない」と思います。ステップには弾みがあり、ステップが次のステップへとドミノ倒しのように連鎖しく勢いがあります。ジョー・マキューは、その弾みを大事にするプログラムを「リカバリー・ダイナミクス・プログラム(RDP)」と名付けました。現在ではRDPを取り入れた治療施設は百を超えています。またAAではビッグブック学習のミーティングが開かれ、AAミーティングの前後にコーヒーショップでビッグブックを分かち合うスポンサーシップが日常のものとなっています。

もちろんその功績をすべてジョー・マキューに帰するのはフェアではありません。そこには無名のヒーローが多数介在したはずです。また、たとえばワリー・Pは、AAオフィスの書庫から1950年代に行われていた教室形式でのビッグブック学習とスポンサーシップを再発見し、『バック・トゥー・ベーシックス』(基本に返れ)という本を出版しました。批判は受けつつも、バック・トゥー・ベーシックスのミーティングは北米全体へ、さらに各国へと広がっています。

このように、AAが停滞しメンバー減少の危機が訪れたとき、AAを愛するメンバーたちはもう一度AAのスピリチュアルな魅力を取り戻そうと努力を始めました。それを「原点回帰」と呼ぶのも、「基本に返る」と呼ぶのも、あるいは「ビッグブック原理主義」と揶揄するのも自由ですが、全体的な潮流が、ビッグブックを道具として使い、スポンサーからスポンシーへとステップを伝えていくことへと回帰しているのは確かです。

(明日へ続きます)


2007年08月05日(日) Belief in a Higher Power - ハイヤー・パワーへの...

Belief in a Higher Power - ハイヤー・パワーへの信仰

Suggested Topics For Discussion Meetings #3, Belief in a Higher Power - ハイヤー・パワーへの信仰

「飲んでいた間、意志の力に支えられた私たちの知性こそが、自分の内的生活を正しくコントロールし、世間での成功を保証してくれると私たちは確信していた。それぞれに神の役を演じるこの勇ましい哲学は、聞こえはよいが、なお厳しいテストを受けなければならなかった。実際にどれだけそれが役立ったかというテストだ。鏡の中に映し出された姿こそが、充分な答であった」(12のステップと12の伝統 P52)

家にたくさん酒を置くからたくさん飲んでしまうのであって、必要な分しか買ってこなければ飲み過ぎることはないと考えたことがありました。
そこで僕は日本酒一升の紙パックや、焼酎の4合瓶を買ってくるのをやめ、ワンカップ大関を二本買って帰ることにしました。夕食の時に一本(一合)、夜寝る前に一本。合計二本であれば、なにもトラブルは起きないはずでした。しかし僕は当然のように(AAの用語で言う)「アルコールの渇望現象」につかまりました。もっとわかりやすい言葉で言うと「これっぽっちじゃ全然足りねー」ということです。

最初に気になるのは、夜11時で酒の自動販売機が閉まることです。当時の田舎には酒を24時間売るコンビニは滅多にありませんでした。11時を過ぎてしまえば、朝5時に酒の販売が再開するまで待たないとなりません。押すボタン全部に「売り切れ」の赤いランプがついた状態を、何度恨めしく見たことでしょう。
11時前にあわてて買いに行くのもしょっちゅうでしたが、11時に「欲望に負けなかった自分」を自分でほめているときもありました。その場合には、後になってもっと強い渇望現象につかまる運命でした。
不眠でまんじりともできず、朝5時には千円札を握りしめて自動販売機の前に立っているのがお定まりのパターンでした。それから酒を飲むのですから、その日に仕事に行ける方が不思議です。時には朝5時まで待ちきれず、隣町の酒を売るコンビニまで片道8キロを歩いていったこともあります。飲酒運転はしなかったのですが、ラッパ飲みしながら歩いて帰ってくれば、やはり仕事には行けません。
そういうわけで「二本しか買ってこない作戦」は、たいてい大失敗に終わりました。

それは笑ってしまうほど愚かな行いです。でも、僕が最初は「今夜は飲み過ぎないように」という善意から出発したことを忘れないでください。トラブルを起こしたい気持ちは皆無で、逆にトラブルを起こさないように気を使った結果として、翌朝の泥酔が待っていただけです。
じゅうぶんな善意(つまり道徳心)と、それなりの知性を使った結果がこれです。

あるAAミーティングで、こんな話が分かち合われました。

子供がお腹をすかしたので、インスタントラーメンを作ってあげた。具がないのは寂しいし、栄養のことも考えて、そのラーメンに卵を落とした。けれど子供はそれがよほど気に入らなかったらしく、食べてくれない。強情を張る子供に腹が立って、ラーメンは箸も付けずに流しに捨ててしまった。

もちろん僕らはにやにや、くすくすしながら、その話を聞きました。
間違いなくこの話も、善意から出発しています。栄養のことも考えるという知性も使っています。けれど、ラーメンは食べられずに流しに行ってしまいました。

もっと善意でいられるように、自分を道徳的に責めてみました。でも、結果は大して変わりませんでした。もっと知性を使えるよう、本を読んだり人の話に耳を傾けてみました。でも、結果は変わりませんでした。僕はいつも結果に腹を立てていました。

僕は、誰かにやり方を教えられて成功するよりも、自分のやり方で失敗する方を好む人間でした。でも、その失敗が自分の知性にも道徳にも反映されないので、同じ失敗を何度も繰り返すだけでした。わかりやすい例で言えば再飲酒です。

いまはもう少し実利的な人間になりました。結果が良いんだったら、教えられたやり方で不満はありません。教えてくれる相手は「ハイヤー・パワー」です。その偉大な力は、僕を悪い方へ導くわけがない。そう確信しています。
僕に必要なことは、きちんと導きが伝わってくるよう、ハイヤー・パワーとの間のパイプの目詰まりを掃除すること。それと、教えられたやり方を実行に移す素直さです。それがきちんとできていれば、ラーメンが流しに行くこともないはずです。でも、ラーメンは流しが好きなのです。


2007年08月03日(金) Attitude of gratitude - 感謝の心(態度)

Suggested Topics #2, Attitude of gratitude - 感謝の心

「過去の苦しみから学んだ教訓――いまいただいている恵みに導いてくれた教訓をじっくり思いめぐらすと、私は心から感謝しようという気持ちになる。アルコホリズムという苦しみ、つまりアルコホリズムに反抗して自らの高慢さをくじかれた痛みが、幾度となく私を神の恵みへと、そして新しい自由へと導いてくれたことを」(ビルはこう思う 266)

3回目の入院の後、僕は節制して酒を飲むという目標に挑みました。一升瓶に線を4本引き、二合ずつに分けました。一日二合、週に五日、土曜と日曜は休肝日と決めました。一週間で一升なら、誰にも文句は言われないという作戦でした。
夕食の時に一合飲み、寝る前に寝酒で一合飲み・・。もちろんそれで我慢できるはずがありません。すぐに「明日の分も飲んじゃえ」という前借りが始まり、一週間もつはずの一升瓶が二日で空になりました。それでも節制した結果だったのです。

半年後には、どう頑張っても僕には節酒はできないと認めざるを得ませんでした。

僕は怒り狂いながら、自分の部屋の壁を蹴っていました。

父親も酒を飲む。兄も酒を飲む。叔父も酒を飲む。学生時代の友達も、仕事の仲間も酒を飲む。世の中に酒を飲む人間はいっぱいいるじゃないか。
なのになぜ?
なぜ、この酒が大好きな(そう自分で思っていただけでしたが)僕が酒をやめなくちゃならないのか。

もし神様がいるんだったら、神様はいったい何を考えているんだ。みんなの中で僕が一番酒を必要としているのに、よりによってその僕から酒を取り上げようとするなんて、悪意があるとしか思えない。僕に敵意がある奴は去れ!

大学も途中でやめ、仕事もできなくなり、友達は去り、金も失い、精神病院に何度も入り、たっぷり苦しんでいるのに、まだまだ僕は自力で何とかしようともがいていました。

その二ヶ月後にふと決心して「依存症に詳しい」と評判の精神科医を訪ね、その紹介で初めてAAに行きました。まだまだ反抗心が強くて、立派なスリップも経験させてもらいました(おかげでスリップの経験が分かち合えます)。

ともかく、あの部屋で怒り狂っていた日から1年あまりの間に、僕はAAにつながり、スリップして最後の入院をし、スポンサーとソブラエティを得てAAミーティングを開きました。ついでに言えば結婚もして、最初の子供も生まれました。生まれて初めての定期預金も作りました。あまりに多くのことが起こったのです。

最初の頃は「もし〜だったら」の罠に良くはまりました。もしアル中にならなかったら。もし大学をやめなかったら。もし東京に残れていたら。もしこいつと結婚しなかったら。数え上げればきりがありません。

今はそれも少なくなりました。僕がアル中になったことも含めて、すべてが神の計画だったと思えます。もうすこし僕の反抗心が少なかったら、飲む苦しみもAAにつながった後の苦しみも少なかったのでしょうが、それすらも計画に含まれていたと思いますね。
ときどき反抗心がぶり返して、真夜中に冷蔵庫を蹴っていたりすることもありますが、翌日になればそれも笑い話です。貴重なものをたくさん失ったけれども、僕は恵まれた人間だと思います。

平原綾香が「意味のないことなど起こりはしない」と歌うのを聞くと、確かにその通りであると(今は)思います。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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