心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年08月05日(日) Belief in a Higher Power - ハイヤー・パワーへの...

Belief in a Higher Power - ハイヤー・パワーへの信仰

Suggested Topics For Discussion Meetings #3, Belief in a Higher Power - ハイヤー・パワーへの信仰

「飲んでいた間、意志の力に支えられた私たちの知性こそが、自分の内的生活を正しくコントロールし、世間での成功を保証してくれると私たちは確信していた。それぞれに神の役を演じるこの勇ましい哲学は、聞こえはよいが、なお厳しいテストを受けなければならなかった。実際にどれだけそれが役立ったかというテストだ。鏡の中に映し出された姿こそが、充分な答であった」(12のステップと12の伝統 P52)

家にたくさん酒を置くからたくさん飲んでしまうのであって、必要な分しか買ってこなければ飲み過ぎることはないと考えたことがありました。
そこで僕は日本酒一升の紙パックや、焼酎の4合瓶を買ってくるのをやめ、ワンカップ大関を二本買って帰ることにしました。夕食の時に一本(一合)、夜寝る前に一本。合計二本であれば、なにもトラブルは起きないはずでした。しかし僕は当然のように(AAの用語で言う)「アルコールの渇望現象」につかまりました。もっとわかりやすい言葉で言うと「これっぽっちじゃ全然足りねー」ということです。

最初に気になるのは、夜11時で酒の自動販売機が閉まることです。当時の田舎には酒を24時間売るコンビニは滅多にありませんでした。11時を過ぎてしまえば、朝5時に酒の販売が再開するまで待たないとなりません。押すボタン全部に「売り切れ」の赤いランプがついた状態を、何度恨めしく見たことでしょう。
11時前にあわてて買いに行くのもしょっちゅうでしたが、11時に「欲望に負けなかった自分」を自分でほめているときもありました。その場合には、後になってもっと強い渇望現象につかまる運命でした。
不眠でまんじりともできず、朝5時には千円札を握りしめて自動販売機の前に立っているのがお定まりのパターンでした。それから酒を飲むのですから、その日に仕事に行ける方が不思議です。時には朝5時まで待ちきれず、隣町の酒を売るコンビニまで片道8キロを歩いていったこともあります。飲酒運転はしなかったのですが、ラッパ飲みしながら歩いて帰ってくれば、やはり仕事には行けません。
そういうわけで「二本しか買ってこない作戦」は、たいてい大失敗に終わりました。

それは笑ってしまうほど愚かな行いです。でも、僕が最初は「今夜は飲み過ぎないように」という善意から出発したことを忘れないでください。トラブルを起こしたい気持ちは皆無で、逆にトラブルを起こさないように気を使った結果として、翌朝の泥酔が待っていただけです。
じゅうぶんな善意(つまり道徳心)と、それなりの知性を使った結果がこれです。

あるAAミーティングで、こんな話が分かち合われました。

子供がお腹をすかしたので、インスタントラーメンを作ってあげた。具がないのは寂しいし、栄養のことも考えて、そのラーメンに卵を落とした。けれど子供はそれがよほど気に入らなかったらしく、食べてくれない。強情を張る子供に腹が立って、ラーメンは箸も付けずに流しに捨ててしまった。

もちろん僕らはにやにや、くすくすしながら、その話を聞きました。
間違いなくこの話も、善意から出発しています。栄養のことも考えるという知性も使っています。けれど、ラーメンは食べられずに流しに行ってしまいました。

もっと善意でいられるように、自分を道徳的に責めてみました。でも、結果は大して変わりませんでした。もっと知性を使えるよう、本を読んだり人の話に耳を傾けてみました。でも、結果は変わりませんでした。僕はいつも結果に腹を立てていました。

僕は、誰かにやり方を教えられて成功するよりも、自分のやり方で失敗する方を好む人間でした。でも、その失敗が自分の知性にも道徳にも反映されないので、同じ失敗を何度も繰り返すだけでした。わかりやすい例で言えば再飲酒です。

いまはもう少し実利的な人間になりました。結果が良いんだったら、教えられたやり方で不満はありません。教えてくれる相手は「ハイヤー・パワー」です。その偉大な力は、僕を悪い方へ導くわけがない。そう確信しています。
僕に必要なことは、きちんと導きが伝わってくるよう、ハイヤー・パワーとの間のパイプの目詰まりを掃除すること。それと、教えられたやり方を実行に移す素直さです。それがきちんとできていれば、ラーメンが流しに行くこともないはずです。でも、ラーメンは流しが好きなのです。


2007年08月03日(金) Attitude of gratitude - 感謝の心(態度)

Suggested Topics #2, Attitude of gratitude - 感謝の心

「過去の苦しみから学んだ教訓――いまいただいている恵みに導いてくれた教訓をじっくり思いめぐらすと、私は心から感謝しようという気持ちになる。アルコホリズムという苦しみ、つまりアルコホリズムに反抗して自らの高慢さをくじかれた痛みが、幾度となく私を神の恵みへと、そして新しい自由へと導いてくれたことを」(ビルはこう思う 266)

3回目の入院の後、僕は節制して酒を飲むという目標に挑みました。一升瓶に線を4本引き、二合ずつに分けました。一日二合、週に五日、土曜と日曜は休肝日と決めました。一週間で一升なら、誰にも文句は言われないという作戦でした。
夕食の時に一合飲み、寝る前に寝酒で一合飲み・・。もちろんそれで我慢できるはずがありません。すぐに「明日の分も飲んじゃえ」という前借りが始まり、一週間もつはずの一升瓶が二日で空になりました。それでも節制した結果だったのです。

半年後には、どう頑張っても僕には節酒はできないと認めざるを得ませんでした。

僕は怒り狂いながら、自分の部屋の壁を蹴っていました。

父親も酒を飲む。兄も酒を飲む。叔父も酒を飲む。学生時代の友達も、仕事の仲間も酒を飲む。世の中に酒を飲む人間はいっぱいいるじゃないか。
なのになぜ?
なぜ、この酒が大好きな(そう自分で思っていただけでしたが)僕が酒をやめなくちゃならないのか。

もし神様がいるんだったら、神様はいったい何を考えているんだ。みんなの中で僕が一番酒を必要としているのに、よりによってその僕から酒を取り上げようとするなんて、悪意があるとしか思えない。僕に敵意がある奴は去れ!

大学も途中でやめ、仕事もできなくなり、友達は去り、金も失い、精神病院に何度も入り、たっぷり苦しんでいるのに、まだまだ僕は自力で何とかしようともがいていました。

その二ヶ月後にふと決心して「依存症に詳しい」と評判の精神科医を訪ね、その紹介で初めてAAに行きました。まだまだ反抗心が強くて、立派なスリップも経験させてもらいました(おかげでスリップの経験が分かち合えます)。

ともかく、あの部屋で怒り狂っていた日から1年あまりの間に、僕はAAにつながり、スリップして最後の入院をし、スポンサーとソブラエティを得てAAミーティングを開きました。ついでに言えば結婚もして、最初の子供も生まれました。生まれて初めての定期預金も作りました。あまりに多くのことが起こったのです。

最初の頃は「もし〜だったら」の罠に良くはまりました。もしアル中にならなかったら。もし大学をやめなかったら。もし東京に残れていたら。もしこいつと結婚しなかったら。数え上げればきりがありません。

今はそれも少なくなりました。僕がアル中になったことも含めて、すべてが神の計画だったと思えます。もうすこし僕の反抗心が少なかったら、飲む苦しみもAAにつながった後の苦しみも少なかったのでしょうが、それすらも計画に含まれていたと思いますね。
ときどき反抗心がぶり返して、真夜中に冷蔵庫を蹴っていたりすることもありますが、翌日になればそれも笑い話です。貴重なものをたくさん失ったけれども、僕は恵まれた人間だと思います。

平原綾香が「意味のないことなど起こりはしない」と歌うのを聞くと、確かにその通りであると(今は)思います。


2007年08月02日(木) Acceptance 受け入れる

Suggested Topics #1, Acceptance 受け入れる

「もしあなたが、私たちのような深刻なアルコホーリクなら、もはや中途半端な解決方法はない。私たちは、自分の人生が自分の手に負えなくなった状況まで、人間の意志では決して戻れないところにまで踏み込んでしまっていた。残された道は二つしかなかった。耐えられない状況に目をつぶって行き着くところまで突き進むのか、それとも霊的な助けを受け入れるかだった。私たちは受け入れた」 P39

4回目の精神病院の入院の時には、僕は自分の将来の人生がおおむね予測できました。多くの人たちが、僕と同じ人生行路を歩いていました。つまり、依存症がひどくなって精神病院に入院し、もうここへは戻ってこないと自分に言い聞かせるのですが、遠からず病気がぶり返して病院に戻ってくるというサイクルを繰り返している人たちです。

先を歩いている人も、後から付いてくる人も、たくさんいました。なかには病院内で飲酒して保護室行きなんて人もいましたが、たいていの人は入院中はマトモな人のふりができているようでした。朝退院して、その日の夕方再入院してくる人がいる一方で、入院と入院の間隔が何年も、十何年もあく人もいました。でも、サイクルがどうであれ、世間で暮らし続けることができない人たち、という点ではまったく同じでした。

僕はもはや「もう同じ過ちは繰り返さない」と自分をだますこともできなくなっていました。どこかに、まだ自分の知らない素晴らしい解決方法がある、という盲目的な期待も失っていました。

僕にできるせめてもの抵抗は、ベッドに横たわってヘッドホンで音楽を聴き、古本屋で買ってきたマンガを読むことぐらいでした。つまり「耐えられない状況に目をつぶる」ことです。

この先も、退院したり入院したりを繰り返して生きていくしかないのか?

もう病院から退院できなくなってしまった人たちも、ずいぶんいました。
「退院できなくなる」という言葉を使ったら、誰かが混ぜ返しました。「人は皆、入院すれば必ず退院する。ただ、その時生きているか死んでいるかの違いがあるだけだ」と。

なにも、そんなに悪くなるまで意地を張らなくても良かったのですが、僕はAAの霊的ってやつが嫌いだったのです。神も、ハイヤー・パワーも、祈りも黙想も、ついでに言えば棚卸しも埋め合わせも、毎週毎週同じ時間にミーティングに行く生活も、嫌で仕方なかったのです。

精神病院の中でも人は死にます。満床で動かす先もなく、家族が迎えに来る翌日までベッドに寝かされた遺体。あるいは来るのが葬儀屋だけだったり。

自分がそうなるのは何とか避けたかったのです。助かる手段がありさえすれば良かったのです。その手段が霊的かどうかなんて全く問題ではありませんでした。

あの時の僕は本当に<助かりたかった>。ただ、当時はそんなことを口に出して言うほど素直じゃありませんでしたから、「お前らに俺を助けさせてやるぜ」というぐらいの態度でしたでしょうけど。

受け入れるのを意固地に拒んだ時間だけ、苦しみが長引いたわけで、それは他の誰のせいでもありません。


2007年08月01日(水) AAの仲間から贈られた言葉を、今でも大事に憶えて...

AAの仲間から贈られた言葉を、今でも大事に憶えています。

「アル中は、人のやることが気にくわない」

つまり、自分の思い通りにしたいのです。
家庭でも、自助グループでも、職場でも。

「こういうことをするヤツが気にくわない」
「俺のことを気にくわないと思っているヤツが気にくわない」
これの連鎖です。

それが「気に入らねえんだよ」という言葉と一緒に出てくればまだしも、人の道だとか、常識だとか、一見まっとうそうに見える理屈にすり替えられて出てくるわけです。が・・本心は、ただ気にくわないだけだろう、ってことが透けて見えることも、ままあります。

気に入らないのは、相手の問題ではなく、自分の問題です。

AAの12の伝統は、ルールではありませんが、グループを律していくために必要なAAの基本原理の一つだとされています。伝統によってグループが守られ、その中のメンバーが守られます。つまり、守るための道具です。

ところが、自分の問題が片づいていない=ステップをやっていない状態で、伝統を使うとかえって問題を抱えることになりがちです。本当は相手のやっていることが気に入らないだけなのに、「お前のやっていることは伝統違反だ」という正論へと巧妙にすり替えてしまいがちです。こうなると、伝統は相手を攻撃するための武器になってしまいます。
けれど、そのことにはなかなか気づけません。

AAの中に何年もいる人ならば、伝統を武器として振り回してしまった恥ずかしい経験が何度もあるはずです。最初から回復している人なんていないですからね。たぶんこれからもやるでしょう。

だから伝統について相手を諭す場合には、自分の動機をチェックしなければなりません。相手を攻撃する剣として使いたいのか、グループやメンバーを守る盾として使いたいのか。

そして自己欺瞞が起きていないか、誰かのチェックを受けることも必要でしょう。

自分をチェックするという習慣は、ステップを実行することによって身につけます。ステップ4・5・6・7・10・11あたりです。


2007年07月31日(火) 宗教の勧誘

一人暮らしのアパートで飲んでいた頃、良くやってきたのが宗教の勧誘でした。当時の多摩地方では、えほばやものみやまひかりなどが熱心に活動していました。まあ、たいてい僕は「間に合ってますから」と、新聞の勧誘を断るのと同じ言い訳でドアを閉めていました。

ある時、下北沢の居酒屋で3人で飲んでいたときのこと。メンツは僕と、僕のプログラミングの導師、それから北陸出身のパンクロッカーだったと思います。そこはよく行った店で、板さんにも、店長にも顔を覚えられ、つまみ類もお任せで頼んで飲んでいました。
その時も、終電の時間が過ぎて、たいていの客が帰った後も、僕らは飲み続けていました。すると、隣のテーブルで残って飲んでいた二人組が、「一緒に飲んでも良いですか」とこちらのテーブルに移ってきました。
しばらく世間話などしていたのですが、そのうち二人組が宗教の勧誘をはじめました。どうやら仏壇を売るところらしい。どだい3時間も酒を飲み続けてきた人間を相手に、さらに飲みながら布教しようと言うのだから無理な話です。
こちらはおたく3人組だから、相手の話を聞かずに自分たちの好きな話をするだけでした。おたくってそういうもんでしょう。その時も、布教の話はお構いなしで、共産圏のSF作家の話から、カルピスこども名作劇場の話へ、そしてヨーロッパのプログレッシブロックの話、ふくらはぎと太ももの太さの比率論などへと変遷していきました。
ますますこれは救済しなければならない魂だと思ったのか、大学生二人の勧誘は熾烈を極めましたが、残念ながら閉店の時間が来てしまいました。

勘定を済ませて店を出ようとした僕らに、おたくにあしらわれたのが気に入らなかったのか、なおも食い下がろうとする二人。「常連さんに迷惑かける客は出入り禁止」と言い出した板さんと、「うるせー俺たちゃ客だ」と言い出す二人組との間で口論が始まったようでしたが、僕らは店を出されたので、その後どうなったのか知りません。

その後は、小田急OXで酒を買って、導師のアパートで朝まで飲み直したんだと思います。

そう言えば兄が家を新築した頃、おばさん二人組が宗教の勧誘で訪れたという話もありました。兄は玄関先で焼酎を飲みながらおばさんたちの話を二時間聞いたそうで、4号瓶の焼酎が二本空いたそうです。もちろん、おばさんたちは迷える魂を救済することはできませんでした。

ともかく、酔っぱらいに布教するのは無駄だと言うことです。


2007年07月30日(月) 道徳的になる前に

AAの十二のステップには、自分の過ち、性格上の欠点、短所という言葉が出てきますし、埋め合わせ(謝罪、賠償)という言葉も出てきます。

だから、ステップを見た人たちの中には、AAは道徳的なプログラムで、品行方正になるのが目的だと思う人がいます。そのことを大いに励みにする人もいれば、それを嫌う人もいます。

でも、ちゃんとしたAAスポンサーならば、スポンシーが「ともあれ道徳的に」生きようとしたら、まずそれを止めるでしょう。

僕らの多くは、アルコールが生活に及ぼす害が大きくなってきたときに、もっと道徳的に生きようとしたはずです。中には、酒のことをとやかく言われたくなかったからこそ、トラブルが起きないようにとりわけ気を使ってきた人もいるでしょう。
でも、どうであれ道徳的に生きることはできなかったからこそ、AAにたどり着いてしまったのです。これは認めざるを得ないでしょう。
「自分を道徳的に律する力がある」という幻想はまず捨てないといけません。

道徳的である前に、まず自分自身であらねばなりません。自分は本来こういう人間だというイメージに沿って生きることです。

しかし、ここで気をつけなければならないのは、「自分は本来こういう人間だ」というイメージは、実は他者から「あなたはこういう人間であることを目指しなさい」と押しつけられたイメージである可能性です。
たいていは、子供の頃に親に押しつけられたものがあります。
僕も、僕の親は普通の愛情ある親だったという自己欺瞞が長くありました。その押しつけられたイメージどおりに生きられていたら苦しまなかったのでしょうが、能力が足りなかったか、はなから絶対無理な目標を背負わされたか、その通りには生きられなかったのです。

だから、それも取り除いて、自分自身であろうと努めます。誰かを満足させるためではなく、本当に自分のしたいことに時間を使うよう努めます。

ところが、そうやっていろいろ取り除いていくと、本当に自分のしたいことが見つからず、自分自身が空っぽであったりします。そんなときには、「自分探し」で時間を費やしたりせず、とりあえず目の前にあることをこなしていけば良いと思います。それが僕の場合、仕事だったり、家事手伝いだったり、AAの共同体だったり、そのほかあまり道徳的でないいろいろだったりします。

とりあえず足下に転がっているガイダンスに従って行けば、そのうち道徳的に生きられるんじゃねーかな、という感じです。

AAは清く正しく美しく生きるためのプログラムだ! なーんて言葉を聞くと、登山初心者がヒマラヤに登ろうとするのに似た危うさを感じます。


2007年07月29日(日) 日曜

長野のAAには日曜集会というのがあります。第五日曜日がある時には、その日に地区委員会と、合同ミーティングをやります。日ごろ地区委員会には無縁な人たちにも、オブザーバーとして委員会に参加してもらい、委員会の様子を知ってもらうのもひとつの目的です。
それから、都道府県を面積の広い順番で並べると、北海道、岩手県、福島県、長野県となります。長野県も結構広く、県内でAAが地理的に広がって行くにつれて、同じ地区のメンバーなのに滅多に会わず、一緒にミーティングをしたこともないという人が増えてきたので、交流のための合同ミーティングをしています。
これがあるおかげで、かろうじて顔と名前を覚えている相手もいますから、僕は大変助かっています。

今日は久しぶりに人数の多い日曜集会でした。少々疲れて帰宅すると、妻と子供も市民プールに行ってお疲れでして、夕食を作る責任を押しつけ合ったりすると、さらに疲れが増しそうだったので、回転寿司に行くことにしました。
早々に風呂を済ませて出かけると、児童センターの前で交通整理をしています。そういえば今日は投票日だと気が付きました。いつもは投票の整理券の葉書が届くと冷蔵庫に貼り付けておくのですが、今回は家族の誰も葉書を受け取った覚えがありません。きっと誰かが我が家の郵便受けから葉書を抜き取って、かわりに投票してくれたに違いない、という結論に達して、そのまま寿司へ向かいました。

行儀良くしたくないのに、行儀良くさせられている子供は、行儀良くしない別の子供が気に入らなくて仕方ないのだ、と心理学の先生の本に書いてありました。子供時代に十分に好きなことをして遊んだ子供は、大人になって労働がそんなに苦痛だとは思わないわけです。
子供時代から「何かをさせられている」と感じている子供は、大人になっても働いたり家事をする事が辛くてたまりません。そういう人は、仕事をさぼったり、家事をさぼったりしている人間を容赦なく責め立てます。世の中の人間は、皆が辛い労働に耐えているのだと思っているのですから無理もありません。
働くことに喜びがある、というのは建前であると信じてるのでしょう。

AAの中には生活保護で暮らしている人たちもいますが、そういう立場の人に対して必要以上に辛く当たる人ってのは、自分が働くのも生きていくのも辛くて仕方ない人たちなのでしょう。

AAミーティングも行きたくないのに、いろんなしがらみで行かざるを得なくなっている人も、ミーティングをさぼる人間を責め出すと容赦がないです。

ミーティングに行って仲間やハイヤー・パワーと交われば、生きることが楽になるのに、サボってわざわざ辛い人生を選ばなくてもいいのにね・・・てのが、回復した感じ方なのではないかな、と思ったり。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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