心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年07月11日(水) AOSMみやげ話 4

月・火・水と予定が入っていて早く帰宅できなかったのですが、それも今日でおしまい。明日は早く帰れそうです。体も心もかなり疲れている感じがします。

ソブラエティ1年目に群馬で開かれたラウンドアップに行ったことを思い出します。sその時は2泊3日を終えて帰ってきた午後から、夜まで寝て、翌日月曜日も休んで一日ぐーぐー寝ていました。今は当時より体力が付きましたが、年齢による衰えってものもありますから、疲れは数日引きずってしまいます。

今回わざわざ2泊3日で出かけていったのは、自分の能力を見極めるという目的がありました。AAはミーティングに参加する以外にも、さまざまな活動があって、例えば刑務所を定期的に訪問して話をしている人もいれば、集まってソフトボールやバーベキューをする人もあり、オフィスの運営委員をする人もいます。看護学校や高校で広報活動をする人、12ステップコールの電話を受けている人、定期刊行物の編集やホームページの更新をする人。などなど。もちろん、それに参加するもしないも自由です。
スーパーマンでもなければ、AAの全部の領域に関わることなんてできやしません。だからこそ、自分に何ができて、何ができないか。他の人の方がうまくできるんじゃないか。あるいは、やる人がいないから苦手でもやるしかないか。そういうことを見極めていくことは大切だと思っています。
会場には能力が高い人はたくさんいました。しかし、WSM評議員になるには、能力の他にも、さまざまな「望ましい」をクリアする必要があるので、人材豊富とは言い難いわけですが、みんな回復と成長の途中ですから、先のことを心配することもないでしょう。

AA program is NOT the program for the people who need it, but for the people who want it.

(冠詞の使い方間違ってる?)AAプログラムはそれを必要とする人のためにあるのではない。それを求める人のためにあるのだ。

AAプログラムがあれば、アルコール依存症から回復して酒を飲まない人生を送れる人がたくさんいます。そういう人たちは「AAを必要としている」と言ってもいいでしょう。でもAAは「AAを求める」人のために存在しているのだ、という意見でした。徒労に終わるメッセージ活動に関してのトピックの中の言葉です。AAプログラムを12ステップと読み替えてもよさそうな感じです。

とりあえずAOSMみやげ話は、ここでいったんお終いにします。2泊3日のあいだ、一度も外出せずに自ら缶詰になっていました。それだけ熱中していたわけです。

「こういう場所に来ると、他にも行きたくなりますね」という話をしていた人が今した。それは外国という意味かもしれませんし、他のAAイベントなのかもしれません。あまり行く気はなかったのに、できれば9月に同じ場所で開かれるサービスフォーラムにも来たいと思っている自分を見つけました。

家では妻が「自分ばっかり2泊も遊んできて、おみやげすら買ってこない」とご立腹でありました。やれやれ、これじゃ9月も簡単じゃないぞ。


2007年07月10日(火) AOSMみやげ話 3

場所:
埼玉嵐山の国立女性教育会館(ヌエック)が使われました。オブザーバー費用は2泊6食ぶんで1万2千数百円でした(かな)。会場費用などはゼネラルサービスの会計から出ているので、参加費は取られませんでした。

今回はロシアからの参加がありました。ロシアのウラル山脈から東側はアジアになるので、ロシアAAはAOSMに人を送ることに決めたようです。実際やってきたのは、サハリンのAAグループから英語が少しできる若い人で、結構コミュニケーションにも苦労していましたが、みんな彼を歓迎していました。
モンゴルは今でこそ親日的な国で、AAでもモンゴルと日本はかなり深い関係にあります。しかししばらく前まではソ連の影響下にあり、ロシア語で教育が行われていた国です。もともとモンゴル語には表記文字が無く、キリル文字を使ったりしていて、文化的にはロシアの影響が色濃く残ります。日本の大相撲で、モンゴルやグルジアやバルト諸国出身の力士たちが、ロシア語で会話を交わしている、なんて話もありました。シベリアのAAメンバーは、モンゴルAAのコンベンジョンに訪れていたりするそうで、日本人と違って言葉の壁がないだけに、モンゴルとシベリアのAAの結びつきは、今の日本との関係以上に深まっていくのではないかと思った次第です。

さて、今回のAOSMでは、日本の評議員の発案で、各国の評議員メンバーと日本のAAメンバーとの直接交流の時間が取られました。これはすばらしいアイデアだったと思います。

あるAAメンバーは、「私はスポンサーに従って最初にステップ4の棚卸し表を書いたときに、生まれたときから今までの人生を1年づつたどるライフストーリーを書いたのですが、これはビッグ・ブックに書かれているのとはずいぶん違うやり方です。でも当時はみんなそのやり方をしていたのです。はたしてそれは正しいやり方だったのでしょうか」という質問をしていました。

それに対する香港のAAメンバーの答えは、「あなたのスポンサーは、あなたにはそのやり方が一番良いと思ってそのやり方を勧めたのでしょう。だから、あなたがスポンサーを選んだときに、あなたはステップ4のやり方も自分で選んだのです。それが、あなたのハイヤー・パワーでしょう」というもので、隣にいたオーストラリアのAAメンバーもそれに賛成でした。

「でも当時は、ほんとうにそれしか方法が伝えられていなくて、みんなそうしていたのです」という質問には、「あなたはたった一つしかないやり方を選んだ。それがハイヤー・パワーです」。

またステップ5を書いた後に、棚卸し表を燃やした話も出まして、「それじゃあその表を使ってステップ8の表が書けないじゃないか」という質問に対しては、「古い人生が終わって、新しい人生が始まるんだから燃やしてもかまわないじゃないか」、表はまた書けばいい。しかしあなたのスポンサーが燃やさないように提案したなら、燃やさないのが最善。

ともかくまずスポンサーを選ぶ、そしてスポンサーが最善と思って提案してくれたやり方に従っていく、それがAAプログラムであって、やり方を良い・悪いと比べてみるのは意味がないということであります。

スポンサーとして提案する立場としても、他のやり方の方が良いんじゃないかという不安は常につきまとうもので、「あいつにステップ4を書かせるなんてまだ早いよ」なんて言われると、とたんに自分の提案に自信がなくなったりします。しかし、その時自分が最善と思って提案したのなら、そこにハイヤー・パワーが宿ると信じるしかありません。

少人数のグループに分かれすぎ、通訳の人手が足りなくなったので「ひいらぎさん通訳してよ」なんて言われてしどろもどろでやっていました。別のグループでは下ネタの分かち合いが行われていたそうです。そっちも楽しそうです。


2007年07月09日(月) AOSMみやげ話 2

本社の偉いさんの送別会。会社を大きくするために頑張ってきた人たちが、最後の数年ぐらいは好きにやりたいと退社するのが続いています。それは、前の会社時代から世話になった人たちが会社を去っていくことを意味するので、寂しい気持ちもあります。
週末の疲れも残るだろうからと有給休暇を入れていたのですが、送別会の日取りが他に取れないというので、有休をキャンセルし、送別会の参加者を長野に集めるために行われた会議に出てました。眠い眠い。夕方からの中華料理はおいしかったのですが、会費五千円は痛い、痛すぎるぞ。

さて、AOSM。

参加人数:
議決権を持った参加者が20人ぐらい+通訳の人ふたり。各国の評議員の中には奥さんと来ている人がいて、ひょっとしたら日本のアラノンとコンタクトを取ったかも知れません。host committee(実行委員会)のスタッフが十数人。それから僕らのようなオブザーバーが一番多いときで30人ほど。土曜の夜の集合写真には60人前後が写っています。

さて、AAのプログラムには神とか祈りが出てきます。ただAAは宗教ではないので、こういった要素を spirituality(霊性)と呼んでいます。この霊性に対しては、AAがアメリカで誕生したものだから、キリスト教文化そのものなのではないか、という誤解があり、拒否反応の原因になっています。自分が納得できる神なら、どれでも好きなものを選べばいいということは無視されがちです。

アジアの国々の多くは、(日本のように)現地人だけでAAが維持されるところまで行っておらず、英語を話す国々からやってきた人たちが主になって、自分たちのコミュニティを作り、そこに現地の言葉を話す人を巻き込んでいこうとしている段階です。
そこで「アジアの文化の中でAAを伝えていくのに、このAAの霊性が障害になっていませんか。そうした文化的な壁があるなら、それをどうやって乗り越えていますか」という質問をぶつけてみました。

ニュージーランドは白人と英語の国ですが、人口の十数%はマオリという原住民で、彼らは文化と言葉の壁を越えてAAのメッセージを運ぶことに成功しています。事実、ニュージーランドから二人来ていた評議員の一人はマオリの女性でした。また、オセアニアの島々にメッセージを運ぶ作業も続けています。これはNZ評議員の言葉。

「スピリチュアルなものに対する障壁は、なにもアジア人だけに限ったものでなく、(世界の)すべてのAAニューカマーが体験するものです。成功するAAグループというものは、ハイヤー・パワーについて真正面から取り組んでいるグループです」

AAの神というものはアジア人には似合わないとか、だからそれは脇に置いた方がよいと考えるのではなく、愚直にプログラム通りにやった方が良いってことでしょうか。

しかしタイの評議員は、ビッグ・ブックを翻訳するのにGodという言葉は使えず、supreme(超越者)と訳したものの、その概念はタイの人々が受けてきた教育とは相反するアイデアでなかなか理解されない、と報告していました(それは隣国カンボジアの話か?)。これは暗黙にではありますが、神とかハイヤー・パワーというものを取り除くか薄めたらどうか、という主張を含んでいるように思います。

NYGSO所長のコメントは、アメリカの中でも自分たちのためにビッグブックを変えようという意見もあるが、現在のところビル・Wの文章は変えないことが議決されている。もしビッグブックを変えて欲しいと思うのなら、その国のAAの正式な議決としてニューヨークに送って欲しい。というものでした。

やはりハイヤー・パワーについて、自分のグループや、自分のスポンサーシップの中で真正面から取り組んでいくことが、(少なくとも自分にとっては)ベストであろうと思ったのです。


2007年07月08日(日) AOSMみやげ話 1

時系列に沿って書こうとか、基本的な説明から始めようとすると、筆が進まないので、思いつくままに書いてみようと思います。

英語について:
AAの国際公用語は英語とスペイン語ですが、アジア・オセアニア地域帯ではスペイン語が公用語になっている国は(たぶん)ないので、会議は英語ということになります。

ちなみに僕の英語は、最近ニュースにもなった駅前留学のスクールに1年間通っただけです。職業訓練給付金制度ってのがありまして、その指定のコースに8割以上の出席率で通うと、授業料の8割を補助してくれるという仕組みです。例の報道の後、あそこは給付金制度の指定も取り消されたと聞きますが、受講途中だった人のお金の扱いがどうなるのかはニュースでは伝えていませんでした。

僕の英語はスキルは「ギリギリ最低限の日常生活がこなせるかもしれない」程度です。なので会議や会話の内容は半分ぐらい・・・いや1/3ぐらいしか聞き取れません。もっとも僕は正式な参加者でもなければ、ホスト委員会メンバーでもありません。ただのオブザーバーですから、後ろの席に黙って座っていればいいだけなので、聞き取れないのは個人的問題に過ぎません。分かんなければ分かる人に聞けばいいだけのことです。

現実の世界で話されている英語は、ニュースのアナウンサーや英語の教材のような耳慣れた(?)ものばかりではないという、当たり前の事実を痛感させられました。国によってあまりにも発音が違うのです(英語が母国語の国でさえ)。それは教材だって満足に聞き取れない人間にとっては、あまりにも高いハードルでした。「慣れるしかないよ」と言われたのですが、慣れるチャンスがない生活しかしてませんから。

発言権がないとは言え、休憩時間や食事中、あるいは交流会では別の国の評議員と直接話すチャンスはいくらでもありました。たとえこちらの言葉がたどしくても、そこは忍耐と寛容の精神で接していただいて、こちらとしては相手の回復に甘えるしかありません。ともかく最も高いハードルは、誰かをつかまえて会話を始める自分の勇気の不足なんですが、それは日本人相手の時でも同じことですね。

おかげさまで日頃抱えていた疑問のいくつかには答えやヒントが得られました。サービス会議だからオフトピックもサービス活動関連ばかりってわけでもなく、こちらが尋ねさえすれば、ステップやメッセージ活動やリハビリ施設の話も熱っぽく語ってもらえました。例えばステップ4の棚卸し表の書き方とか、スポンサーシップについてとか、「霊的」ってアジア圏のAAには障害にならないかとか・・・。

もちろん日本人同士でもたくさん話をしたのですが、その中でもある人の言葉がとても印象に残りました。もちろん、正確な言葉ではないですが、

「幅広いバリエーションがあるAAのやり方の中で、ある一部分のやり方だけが日本に伝えられて日本のAAになった。そのやり方が間違っているわけではないが、やはり偏っていることは間違いがない。どれが間違っている・正しいという議論は無用で、やはり様々な方法を持ってくることが日本のAAに必要だと思う」

その言葉を聞いて、僕は自分が漠然と感じていたものが明確な思考になった気がします。僕もそう思うようになった材料や、あまり関係のないことも含めて、思い出せる限りでAOSMの様子をぽつぽつ書いていきたいと思います。

AAの原理はAAの本が伝えてくれる。その原理は時代や国を超えて共通であり、変わることがない。変えようのない本質がそこにある。その一方で、そこに書かれた内容をどう解釈しようが各自の自由であり、メンバー一人ひとりの個人的体験や、スポンサー(や先ゆく仲間)から受け継いだ考え方・やり方も、それぞれ等しく分かち合う価値がある。繰り返し強調されながら、なかなか理解されていないことだと思います。

一つの原理を中心として、メンバーの数だけバリエーションがある。その広がりをそのまま受け入れるのが吉であって、どこかにこだわりを持てば失うものが大きい・・・ということでしょうか。

まあ、具体的な話はおいおい。


2007年07月05日(木) 予備の原稿

最新DATAで見るエンジニアのキャリア事情
http://jibun.atmarkit.co.jp/lcareer01/rensai/career46/data46.html

記事の内容は残業代についてなんですが、目がいくのがこのグラフです。ITエンジニア500人に「平均的な退社時間」を聞いてグラフ化したもの。なかなか7時前、8時前には帰れないのは他社も同様のようです。おまけにプロジェクトが「死の行進」化すると何日も家に帰れなくなったりするし・・。6時前に帰ると、体の具合が悪いのかと心配されたりして。

でもAAミーティングに行く時間が来たら退社します。それは当然です。

別に痛い視線が突き刺さる緊迫した状態でなくても、みんながまだ働いている場所から出てくるのは、気が引けるものです。でも行かなければなりません。

仕事なんかよりAAに行くほうがよっぽど大事だもんね、と自分に言い聞かせることが大切です。AAの時間が迫ってるのになかなか帰れないって状況にハマらないためには、そうなる前に仕事が片づくように気合いを入れて頑張らねばならない時もあります。それでも終わらなくて誰かに仕事を人に押しつけて帰るためには、ミーティングに行かない日にどれだけ周りの人の手助けをして(恩を売って)おくかも大切です。
いざとなったらミーティングが終わった後、また職場に戻って働くという手もあります。

それでも泣く泣く諦めねばならない時も、あるにはあります。

自分が職場のキーパースンになって給料をたくさんもらおうとすれば、どうにも仕事から抜けられなくなる場合が増えるでしょう。それが責任というものです。そしてAAミーティングに行く回数が減り、行けるときでも今日は疲れたから帰って寝ようが重なるようになって、やがて自滅ってことになりかねません。
自分が精神病だってことは忘れてかまわないことなのかも知れません。でもハンディキャップを背負っていることを忘れると痛い目を見ます。人並み以下しか働けないと自分を卑下する必要はありませんが、人並み以上に働いてやろうと我欲を出すと足下をすくわれる病気です。なまじ一度挫折しているだけに、挽回してやろうとか、頭角を現したいとか、そういう欲求に弱いですからね。おまけに断れない人が多いから、人から請われるままに責任を引き受けたりして。

平凡が一番であるとスポンサーは言っていました。玉石混淆。自分が玉だという思い上がりがあるなら、なおさら石の中にいろということか。

2泊3日で出かけてきます。らんざんをあらしやまと読んで恥をかきましたよ。ノートパソコンも持って行きますが、準備が間に合わなければ、日曜日まで更新が止まるかも知れません。いってきまーす。


2007年07月03日(火) メダル

AAのミーティングに初めて行ったときに、黄色いメダルをもらいました。表には「AA」、裏には漢字で「今日一日」の文字がありました。その後1ヶ月と3ヶ月のメダルはもらったのですが、6ヶ月に到達する前にはミーティングに通う頻度ががっくりと下がって再飲酒してしまったため、6ヶ月メダルはもらえませんでした。

ふたたびAAに戻ってきたときには、ワンデイのメダルは緑色の英語のもの変わっていて、表には「Keep Coming Back」(ここへ戻って来続けよう)という文字があり、裏には細かな字で英文の平安の祈りが刻まれていました。その後、赤、紫、金色と順にもらい、9ヶ月からはプラスチック・トークンではなく、ブロンズのメダルになりました。

「なぜワンデイのメダルが、日本語の黄色いものから、英語の緑色に変わったのか」、そういうことを調べていた時期もありました。黄色いメダルは、日本のJSOが頒布していたものでした。メダルの存在はAAメンバーからとても愛されていたものでしたが、メダルという物質的なものは霊的なAAプログラムとは相容れないという意見も根強くありました。WSMでの議論を経て、ニューヨークのGSOから「少なくとも各国のゼネラル・サービスが、メダル(やAAのロゴ入りグッズなど)を販売するのは好ましくない」という強い提案が発せられました。

そこで日本のJSOもメダルの取り扱いはやめたわけですが、メンバーのメダルに対する愛着は捨てがたいほど強く、その要望をかなえるために、当時設立されたばかりの関東のセントラルオフィスがアメリカから輸入したメダルの頒布を始めました。

(登録商標の問題をクリアしていれば)もとよりAAメンバー個人や、外部の団体がメダルを作って売ることには、何も問題はありません。セントラルオフィスで扱っているのは、アメリカのヘイゼルデンのものですが、これがそもそもヘイゼルデンが作っているものなのか、それとも仕入れて販売しているだけなのかは知りません。オフィスが輸入するにも苦労があるようで、個人のクレジットカードで多額の代理購入をしたり、船便で届く前に手元在庫が尽きてしまったり、commercial sample あるいは book として非課税だったのが量が多いので関税が加算されたりとか・・。

ヘイゼルデン以外にもいろんな種類のメダルが使われています。ハンドメイドの$39なんてのもあれば、プレスで作った安いのもあります。安いのもいいんですが、加工の精度が「うーん・・・」ていう感じです。ヘイゼルデンのは金型の精度が高く、一生の記念品にふさわしいと思います。まあ、そんなこと気にしないって人は気にしないでください。

ヘイゼルデンに片面がまっさらなメダルがあります。封筒がついてくるので、メダルを入れ、記念日の年・月・日各2桁を書いた紙を同封して郵便局からエアメールで送ると、10日ほどで日付が刻まれたメダルが返送されてきます。ソーバーの記念日を入れてプレゼントするのに適していると思いますが、相手を選ばないと無駄にされますね。

確かにメダルは物質的なものにすぎませんが、人の手から人の手へ渡されるという「コミュニケーション」を経ることで霊的な価値を帯びると思っています。


2007年07月02日(月) 再飲酒の準備作業

光市の母子殺人事件の差し戻し審。「復活の儀式」うんぬんは他に任せるとして、弁護団の人数の多さです。従来、殺したのが一人なら無期懲役どまり、三人殺せばほぼ死刑、二人の場合は事情による、というのが量刑相場でした。しかし、二審の無期懲役を量刑不当として上告したのが検察側で、最高裁もそれを門前払いせずに差し戻しました。二人でも死刑へと相場を動かそうとするプレーヤーと、ともかくそれを防ぐのが大前提で事実審の中身なんて二の次のプレーヤー(弁護団)。ゲームの傍観者たらざるを得ない遺族が裁判の被害者という感じがしました。

さて、いったん酒を止めたアルコール依存症者が、もう一度酒を飲むためには「準備作業」が欠かせません。その準備の内容とは。

まず、AAメンバーならミーティング(断酒会なら例会)に行かなくなります。毎日あるいは週何回でも自分のペースで出席を続けていれば、そうそう酒を飲むことはできません。中には毎日出ていても飲んでしまう人もいますが、そういうひとは「まだ酒が止まっていなかった」という別カテゴリに入れることにしましょう。

通わなくなると、やがて頭が狂気に支配され、「一杯だけなら飲んでも大丈夫だろう」とか「今度こそ失敗しない」とか「もうどうだっていい、考えるのが面倒くさくなった」などと言い訳をしながら飲み出してしまいます。その瞬間に「ちょっと待て、正気に戻れ」とブレーキをかけてくれる存在からは、自分から遠ざかっているわけです。ミーティングに通い続けていては酒を飲めないから、酒を飲むためにミーティングから遠ざかるのです。これが「再飲酒の準備作業」です。

アルコール依存症は「ブレーキの壊れたダンプカーが坂の上に駐めてある」と形容されます。坂道を下りだしてしまったら、もうなにか(トラブル)にぶつかるまで飲酒は止まりません。断酒会とかAAという自助グループは、このダンプカーに輪留めをしてくれます。つまり正気を保ってくれるわけです。だから、飲むためにまずこの輪留めをはずす作業からとりかかります。

再飲酒から生還した人が、AAに戻って「スリップ(再飲酒)していたので、ミーティングに来れませんでした」と言うことがあります。もちろんこれは因果関係が逆で、ミーティングに来ないのが原因で、スリップが結果です。仕事だとか何とか、いろいろ理由をつけてミーティングの頻度が減ってきたら、この人はそろそろ飲みたくなってきたんだなぁ、と周囲は思うわけです。

通いながらも飲んでしまうのは、まだ酒が止まっていなかっただけなので「再」飲酒(スリップ)と呼ぶのは適切ではないと思います。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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