心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年03月17日(土) アイ・サレンダー・トゥー・ユー

よく使われるミーティングでのテーマ(ようこそAAへ)の中に「無条件降伏」ってのがあります。これは英語のsurrender(サレンダー・降伏)を訳したものです。

なんで日本語に「無条件」がついたのか知りませんが、おそらく太平洋戦争で日本が連合国に無条件降伏したことが影響しているんでしょう。
僕は戦争の時は生まれてもいなかったので、当時の時代の気分は分かりませんが、想像するに「もう負けました。何でもいいからもう戦えません。どうとでも好きにしてください」という感じだったのかもしれません。そして、鬼畜米英に乗り込まれて、これから日本はどうなっちゃうんだろう? という不安に占められていたのかもしれません。でも、日本は焼け野原から復興を遂げました。
いつまでも、国の誇りにこだわって戦い続けたら、こうはならなかったと思われます。

だから僕らも、つまらない(役に立たない)プライドは捨て、酒と戦うのをやめ、自分以外と(も自分とも)戦うのをやめ、「どうとでも好きにしてください」とハイヤー・パワーに申し出るのが良いんでしょう。日本国民が、戦時下の情報統制の中で英米のことを何も知らなかったように、僕らもハイヤー・パワーのことなんて何も知りませんでした。知らないものに身をまかせるのは、不安でしかたないものです。

でも「神さまは悪いようにはしない」と聞かされますし、さまざまな意味で復興を遂げた先ゆく仲間の姿が、それを証明してくれます。だから、どーんと大船に乗った気持ちで、この身を委ねてみるしかないのでしょう。

もちろん戦後日本の復興は、日本人の勤勉さに支えられていたでしょうから、僕らのステップ3にも、その後のステップに取り組む「やる気」が求められているのは当然です。降伏した後、だらだらしてちゃいかんよと。

もちろん現在中東で起きていることを見れば、戦争に負けることが良いことだとはとても言えません。やっぱり人の集まりは神になり得ないし、変わってもしまうものであります。まあ、最近AAのミーティングで「無条件降伏」というテーマが出てくるのを聞いたことがないのが不安であります。

アフターミーティングで仲間と話した中に、以前と比べてAAにやって来る人の軽症化が進んでいるという話題がありました。たとえば、禁断症状の中で幻覚幻聴を体験した話は、以前はありふれたものでしたが、最近はあまり聞きません。底つきの底を浅くしようという、いろいろな人の努力は、確実に実を結んでいます。
しかし、受け入れる側にとっては、以前の方法論が通用しない面もあります。状況に合わせて自分が(自分らが)変わっていかなければならないのは当然でしょう。

ispired by a post on big foot net meeting mailing list. thanks :-)


2007年03月16日(金) お祭りではなく日常がプログラム

僕はそんなに頻繁にAAミーティングに通うタイプではありません。

AAに来て最初(スリップ以前)は、現在のホームグループに週一回と、地元で月一回やっていたミーティングに出ていただけでした。再飲酒して、精神病院から戻ってきて、現在のソブラエティが始まるのですが、それでも月・水・土と週に三回のミーティングが基本でした。

「当時の長野県ではAA会場が少なかった」という理由は言い訳ですね。事実その頃、毎日ミーティングに参加している人もいました。月=松本、火=篠ノ井、水=上田、木=佐久、金=更埴、土=諏訪、日=信濃病院という組み合わせだと聞きました。
僕は妻のお腹の中に子供がいたり、お金がなかったりという理由で三回でした。退院してすぐに仕事を再開したのも理由のひとつでしょう。
現在は、基本的にホームグループの週二回しか出ていません。

最初の一年は、AAのイベントにはまったく行きませんでした。でも、病院メッセージには月に1〜2回行っていました。だから知っているAAメンバーの数はいっこうに増えませんでした。でも、うつが酷かったので、たとえたくさんのAAメンバーと出会ったとしても、彼らと心の触れあう交流なんてできなかったでしょう。
こつこつと自分のルーチンワークをこなしていた、それがかえって良かったと今では思えます。

二年目からは、毎月第四土日に皆で泊まるイベントに、毎回参加していました。経験の長い仲間の話を聞き、同じぐらいの時期の仲間と青臭い議論を朝までしたりしました。その頃から少しずつ週末のAAイベントへの参加が増えていきました。でも、せいぜい年に数回です。毎月どこかに出かける人や、ほとんど毎週出かけている人もいて、うらやましくもありましたが、僕には家庭の事情もあって、それほど家を空けるわけにも行きませんでした。

最近すこし子供が大きくなってきたので、ちょこちょこ出かけています。昨年を数えてみると、1月、4月(3回)、6月、7月、8月、10月、12月と出かけています。泊まったのは8月の安曇野だけですが、意外と多いですね。そういう時期なのでしょう。

でも、AAで出かけても、あまりAAプログラムをやっているという感じはしません。AAプログラムは、ミーティングで仲間に会うのが1/3、一人で取り組む部分が1/3、霊的な目覚めを伝えていくのが1/3だと思っています。真ん中が抜けている人が多いような気がします。真ん中が抜けていれば、最後の1/3もどうだか怪しいし。

行けば楽しい。しかし行くだけで満足してしまうのが、恐ろしい気がします。イベントから帰ってきた日常のほうが、AAプログラムでしょうから。
イベントに行くためにミーティング場を休止にしてしまう神経が僕には理解できません。それってチェアマンが飲んでミーティング場を開けられない事態と、同じじゃないですか。ああ、だから別にそれでもいいのか。なんだそうか。気にすることはないか。


2007年03月15日(木) 飲酒によるストレスの拡大再生産

恋愛している時の、天にも昇るような幸福感は、いずれ消えていきます。大切な何かを失った悲しみも、時間と共に薄れていきます。

なぜなのか?

人間の体には恒常性維持(ホメオスタシス)という仕組みがあります。中学か高校で習ったはずです。たとえば体の水分が不足すれば喉が渇いて水を飲み、水を飲みすぎればおしっこがたくさん出るようになっています。こうやって体の中身を一定の状態に保っています。

人間の心にも同じような仕組みがあると考えるのが「相反過程説」です。恋愛の多幸感も、喪失の悲しみも、脳にとっては大変なストレス状態で、それを平穏な状態に戻そうとする働きがあるという考え方です。
ストレスがあると、脳の中である種のホルモンが分泌され、それが体をストレスに対処できる状態に調整します。このホルモンは同時に、人の気分を不安や憂鬱に導きます。

面白いのは、依存性のある薬物を体に入れると、この「ストレス対処のホルモン」が分泌されるというのです。薬が体から抜けていくことがストレスであるようです。酒を飲んで気持ちよくなっても、酒が抜けていくと気持ち悪くなるという経験は、誰にでもありますね。要するに、薬で気持ちよくなると、脳は気分が悪くなるように自己調整するわけで、相反過程が上手く説明できます。

気分が憂鬱である、あるいは仕事でストレスを感じているとします。
それを、酒を飲んで気分を晴らすことにします。
いったんは気持ちよくなりますが、やがて酒が抜けてきて、ストレス対処のホルモンがでて、憂鬱あるいはストレスが強まります。酔いは短時間でなくなりますが、ホルモンは長いこと出続けますから、飲む前より状態は悪くなり、気が晴れず、ストレスも強く感じることになります。
そこで、次回はもっとたくさん飲んで、沈んだ気分を盛り上げようとします。
たくさん飲んだぶんだけ、もっと憂鬱になります。
そうやって、デフレスパイラル的に、どんどん悪化していくわけです。

憂鬱な気分やストレスを解消するために酒を飲むと、依存症になりやすいのです。そして、依存症者が「ストレス解消のために飲む必要がある」という言い訳を用意したとしても、そのストレスは実は自らの飲酒によって拡大再生産したものに過ぎないのでしょう。

前の日に具っする眠れて気分が良く、ストレスも感じていなくて体調がいい休日・・・そういう時を選んで酒を飲んでいれば、依存症にはならなかったかもしれませんね。


2007年03月14日(水) 問題飲酒者に共通の性格

いわゆる典型的アルコホーリクの特徴は、自己愛的自己中心的な核であり、万能感に支配されていて、どんな代償を払ってもその内的完全さを保とうと熱中していることである。
(略)
ジルマンは次のように報告している。彼は、問題飲酒者に共通の性格構造のアウトラインを識別できると言い、この一群の性格を名づければ「挑戦的反抗的個性(defiant individuality)」と「誇大性(grandiosity)」というのが最も合っていると言う。私見では、これは正確な表現である。内面ではアルコホーリクは、人からであれ神からであれ、どんなコントロールも我慢できない。彼はみずからの運命の主人であり、そうでなければならない。彼はこの位置を守るために最後まで戦うのである。

このような性格特徴が多かれ少なかれ持続的に存在することを認めれば、その人にとって神と宗教を受け入れることがいかに困難なことかは容易に理解できる。宗教は神の存在を認めることを個人に要求するが、そのことはアルコホーリクの本性そのものに対する挑戦となるのである。

しかし他方では、ここがこの論文の基本点なのであるが、もしアルコホーリクが自分より大きな力(Power)の存在を真に受け入れることができれば、彼はまさにそのステップによって、自分の最も深い内的構造を少なくとも一時的に、おそらくは永続的に修正することになる。これを恨んだりもがいたりすることなしに行うならば、その時には彼は典型的アルコホーリクではなくなっているのである。

そして不思議なことに、アルコホーリクがこの受け入れの内的感情を持ち続けることができると、以後の人生を飲まずに過ごすことができるようになる。

友人や家族から見れば、彼は宗教に入信したことになる! 精神科医から見れば、彼は自己催眠なりなんなりにかかっていることになろう。アルコホーリクの内部で何が起ったにせよ、彼は今や飲まずにいることができる。

「アルコホーリクス・アノニマスの治療メカニズム」ハリー・M・ティーボー博士
(AA成年に達する〜より)

自分の人生の主役は自分自身ですが、脚本は誰かが書いているんでしょう。いいじゃないですか、主役なんですから。脚本まで書きたがることはないですよ。主役なりにがんばれれば十分では?


2007年03月13日(火) 12個のステップを一言で表す

ということを考える人は、結構いるのでしょうか。

これは英語のメダルに書かれていたものです。

1. Powerless - 無力
2. Believing - 信じること
3. Surrender - 降伏
4. Inventory - 棚卸し表
5. Admitting - 進んで認める
6. Readiness - 準備が整う
7. Humility - 謙虚
8. Willing - やる気
9. Amends - 埋め合わせ
10. Continuing - 継続
11. Meditating - 黙想
12. Awakening - 目覚め

ステップの文章そのままって感じですか。でも、ステップ3は「降伏」。
もうひとつ別のメダル。

1. Acceptance - 受け入れる
2. Faith - 信仰
3. Surrender & Trust - 降伏と信頼
4. Honesty - 正直
5. Courage - 勇気
6. Willingness - やる気
7. Humility - 謙虚
8. Forgiveness - 許すこと
9. Freedom - 自由
10. Perseverance - 根気強く
11. Patience - 忍耐
12. Charity & Love - 思いやりと愛

こちらもステップ3は「降伏」です。日本語は適当に辞書を引いただけですので、あまりアテにしないように。

話は変わりますが、僕がAAに最初にやってきてから、酒が止まるまでに1年と2ヶ月かかりました。その間に、僕が「お前はもう来るな」と言われて追い出されていたら、僕は今AAにはいなかったでしょう。飲まなくても迷惑な存在だったでしょうに。
ただ、「酔っぱらってくるのはもうやめてくれ」とは言われましたけど。
新しい人に不寛容な自分を発見すると、昔を思い出して恥ずかしさが募ります。

「AAの12の伝統」が教えてくれることは、私たちAAメンバーは、その規範を守れていないということです。

下りのエスカレーターを逆に上っている例えは、なにも個人の回復(ステップ)ばかりじゃなく、グループ(伝統)にも言えることですから。立ち止まると下ってしまいます。


2007年03月12日(月) ホリゾン

妻は大学病院に通って、たくさん薬をもらってきます。白いプラスチックバッグ(スーパーでくれる袋と同じヤツ)を2〜3袋かかえて帰ってきます。病院の中で婦人科やら精神科やらはしごしていると、薬が増えてしまうようです。

というわけで、我が家には精神安定剤も眠剤も、売るほどあります(売らないよ)。僕はオーバードーズしたくなれば、いつでも出来る環境の中で暮らしているのです。

最近うつが酷くて眠りが浅く、仕事の効率が落ちています。がんばればがんばるほど効率が悪くなり、うつも悪くなっていく悪循環です。頭痛もするし、目も痛みます。肩や腰も痛み、手足は血行が悪くなって冷たいままです。
僕も眠剤を処方されているので、もっとぐっすり眠れる薬に変えてもらってもいいのですが、そうすると朝起きられなくなったりします。
季節が変わるのを待つように、うつが軽くなるのを待つしかありません。

ふと見ると、妻の薬がテーブルの上に出しっぱなしでした。ホリゾンと書いてあります。ホリゾンを調べてみると、成分名はジアゼパム。抗不安剤、精神安定剤です。
ジアゼパムというと、むかしセルシン錠にお世話になったことがあります。5mg錠を朝昼晩寝る前と一日に合計20mg処方されていた時期もありました。数時間おきに、セルシン飲みながら暮らしていたわけです。そのとき、眠くなったり、気持ち悪くなった記憶もありません。逆に「大して効かない」という感じも受けました。

たいした効果はなさそうだけど、5mgを一錠もらって飲んでみるかと、手を出しました。

服用数分後、背中がぞわぞわし、気がつくとパソコンの前の椅子に座ったまま寝ていました。布団を引いて、5時間ほど寝たのですが、体がだるくて仕方ありませんでした。不安が少し取れて気持ちよくなるかと期待したのですが、結果は気持ちの悪い眠りを数時間もらっただけで、翌日はさらに調子が悪くなりました。

思い出してみれば、セルシンを飲んでいたころは、酒を飲んでいたころと重なります。酒といい、薬といい、体がダウナー漬けだったわけで、マイナートランキライザーの効果が感じられなかったのもうなずけます。
そういえば、以前母が内科医から安定剤を処方された時に、だるくて気持ち悪く寝ていただけだったと言っていました。それが普通の感覚なのかもしれません。自分では、うつの苦しさは減っていないように感じていても、医者が「安定剤も、よく眠れる薬も不要」と判断するだけの改善は、知らずのうちに積み重なったのでしょうか。

さて、ちょっと出来心で薬に手を出してみたけれど、気持ち良くならなかったから、僕はハマらない、大丈夫! という自信は持たないように気をつける必要があります。

思い出してみていただきたいのです。

初めて吸ったタバコは、ただ煙いだけじゃなかったですか? でも、今はわざわざ喫煙室にでかけて吸うほどハマっていませんか?
初めて飲んだコーヒーは苦いだけ、日本茶や紅茶も渋いだけ、でも今は「お茶やコーヒーの代わりに」白湯が出てきたら、物足りなく思いませんか?
初めて飲んだビールは苦いだけだったのでは? 日本酒は臭く、ウィスキーは咳き込むほど刺激が強すぎだったのでは? そして、気持ち悪く、頭痛くなりませんでした? ところが、何年か後には、おもいっきりハマっていませんでしたか?
覚醒剤だったら、最初から気持ちよくなるだろうって? あれは、ヤったあとセックスするのが気持ちいいのだそうです。

みんな、気持ちよくないものを、苦労してトレーニングして、依存していくのです。セックスやギャンブルもそうかもしれません。人間の行動は不思議です。だから、薬も気をつけることにします。

壊れているなら修理(薬)も要るかも知れませんが、「壊れていないものは修理しない」のが原則。


2007年03月10日(土) 10 years ago (14) 〜 手遅れだと言われても、口笛...

10 years ago (14) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃

明け方まで仕事をしていたので、土曜午後の断酒会の研修会に行くかどうか迷ったのですが、体力的に無理しても行くことにしました。水澤都加佐先生の講演「親子を考える」です。
さすがにプロの話は分かりやすいですね。

お恥ずかしい話ですが、僕はいままでずっと「水澤先生は女だ」と思ってました。だってほら、つかさって女性の名前でもあるでしょ。だって、写真を見たことも、声を聞いたこともなかったんですもん(言い訳)。

男女共用名とでも言うんでしょうか、例えば「かずみ」とか「まこと」とか。中学の同級生には和美(♂)がいました。「まこと」は女性の場合には字がたいてい真琴ですね。でも大学時代下宿の隣人は真琴(♂)でした。話が逸れました。

で、行って良かったか? 良かったですよ。
NO INPUT, NO OUTPUT です。入力がなければ出力がない、とでも訳しましょうか。NINO(ニーノ)は創造性について「刺激を受けないと、アイデアも出ない」という意味で使うんでしょう。でも、いろいろなものがNINOです。
お金を稼がないと、使うお金がない。ご飯食べないと、出るもの出ない。コンピューターも入力がなければ、ただの箱。そして、自助グループだって、人の話を聞かなければ、自分の話はできません。愛された経験があって、愛する能力が育つってこともあります。

すくなくとも、僕はAAだけでは用が足りません。実際には、なかなかAA以外のところには行けませんが、不足があることだけは忘れないでいたいものです。いくら肉が好きでも、野菜も食べないといけません。
適切な導き(インプット)がなければ、行動(アウトプット)も変わってくれません。そう思います。

もっとも、講演が終わったら、酒害体験発表が始まる前に帰ってしまったので、言動不一致と言われても仕方ありません。夕方からはAAミーティングでした。

「10 years ago 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃」
というシリーズものを書いていたのですが、13話で止まってしまい、1年以上ほったらかしでした。続きを書く前に、これまでのインデックスを掲げておきます。

(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
(9) (10) (11) (12) (13)

さて、10年前(正確には11年前)、僕ら夫婦は新婚旅行中でありました。

南の島の滞在を終えて、僕らはシドニーに移動しました。3週間酒を断って、そこそこ体調も良くなっていたはずなのに、結婚式から始まった数日の飲酒で、またあの「体のだるさ」と「何をやるのもしんどい無気力」が戻ってきてしまいました。

そんな状態にもかかわらず、妻は僕の「日本に帰ればきっぱり酒をやめる」という約束が守られると信じていたのでしょう。いや、何もかも台無しにしたくなければ、そう信じるほかなかったのかもしれません。

タバコにはすごい税金がかかっていて、日本円にすると一箱500円以上でした。おまけに妻の立ち寄る店はどこも灰皿が置いてなくて、炎天下の歩道で人目を気にしながら吸う羽目になりました。汗がだらだら出るのですが、それが例の気持ち悪い汗なのか、単に暑いだけか、もう区別がつきませんでした。

日本に帰りたくないと、強く思いました。

理由は二つあって、ひとつは帰りの飛行機の旅です。またあの狭いエコミークラスの座席に押し込まれ、今度は心身の不調にも耐えなければなりません。来る時にすら、機内サービスのビールとワインでは足りなくて、乗務員に追加を頼んでいるくらいです。すでに禁断症状の始まった帰りの旅では、きっとあてがわれる酒では足りなくなるでしょう。はたして十何時間も耐えられるものかどうか。

もうひとつは、なんとか日本に帰れても、その先ずっと酒をやめていけるかどうか。

ああ、ほんとに日本に帰りたくない。後先考えず、妻を残して、このままシドニーの街の中に一人で消えてしまおうかと何度も思いました。

ふと、シドニーがこれだけ大きな都市なら、きっとAAの会場もたくさんあるに違いないと思いました。思えばAAで酒をやめた時期もあったのに、どうして自分はまたこうなってしまったのか。こんな状態では仕事ができそうにないし、酒をやめるにはまた精神病院に入院するしかなさそうでした。
さすがに新婚早々、精神病院に入院するわけにもいかないでしょう。連続飲酒やら、父の死やら、結婚の準備やらで、仕事もずいぶんと遅れていますから、そちらも休めません。でも、仕事の効率は、これからも果てしなく落ちる一方でしょう。

入院するなら、その前にまず日本に帰り、挨拶回りを済ませ、仕事を片づけて、あきれる周囲を説得して・・・少なくとも3〜4ヶ月は必要と思えました。そのひとつひとつのハードルが、とても高すぎて越えられそうにありません。

八方ふさがりで、どうすればいいのか?

最後の晩、ホテル最上階のバーに行き、さらに部屋のミニバーのボトルを全部空けました。妻との約束では、これが最後の酒になるはずでした。もちろん、そうならないことは、僕が一番よく知っていたのですが。

(そのうち続きます)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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