心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年03月08日(木) 減らない悩み

悩みが減ることが、回復のモノサシではありません。

完全な回復を遂げれば、それこそ修行を積んだ高僧のように解脱して、この世の煩悩から解放され、笑いながら生きていけると信じたくなるのが人情です。でもいかな高僧、聖人といえど、現世的な悩みから解放されることはないはずです。

12のステップを積んでいけば、やがて生きる苦しみから完全に解放される、と期待するのはゴーマンな態度なんだそうです。自分にそれを期待するのも傲慢なら、人に期待するのも傲慢です。
何年ソブラエティを続けても、生きることは相変わらず苦しいままってことは、よくあることです。そこで「何年経っても、自分はちっとも回復しない」と嘆いてみたりします。あるいは、自分より経験の長い仲間が、悩みながら生きているのを見ると「ああ、ソブラエティばかり長くても、この人は回復していない」と見下してみたり、挙げ句には「AAには回復した人なんて、一人もいないじゃないか」と結論づけて、奇妙な自己満足を得てみたりします。

アルコール依存症は治らない病気です。だから、また無事に酒を飲めるようにはなりません。努力しなくても「飲まない生活」が続いていく人は少数派で、多数は継続的な努力を求められます。だから普通の人と違ってしまいます。
治って欲しいと思うのは、また酒が飲める日、あるいは飲めなくても酒の問題に煩わされない日が来ることを期待している態度です。でも、その日は来ません。
治ることが大事なんじゃなく、病みながら生きていくことが大事です。

同じように、悩みがなくなる日を期待していても、その日は来ません。すくなくとも、生きているうちには来ません。
悩まなくなることが大事なんじゃなく、悩みながら生きていくことが大事なんです。

「ステップを使ったって、そりゃバケツの水を耳かきで汲み出してるようなもんだよ、でもそれを続ける」とスポンサーから教えられました。
悩みながら生きていくのが、自分に与えられた役割じゃないですかね。

まあ、若いうちからそんなこと言ってるヤツは気持ち悪いですが。


2007年03月07日(水) 信仰によって生きてきた

人は何かを信じなければ、生きていけないのだと思います。

生まれたばかりの子供は、金銭の価値など知りません。
子供が保育園に通っていた頃、親がお金を使って財布がカラになっても、次の買い物までにはまた財布にお金が入っているのはなぜか? という疑問を持ちました。銀行に行ってお金をおろしてくるから、と言うのが彼女の考えた解答でした。
「みんな、お金が欲しいから銀行に行くんだ。だったら、もっと銀行に行って、たくさんお金を出してくればいいのに」
でもね、銀行はお金をくれるところじゃないんだ。預けたお金を返してくれるだけなんだよ。僕らのぶんを全部出してきたら、もう銀行に行ってもお金はくれないんだ。じゃあ、預けるお金はどこから沸いて来るのか? それはパパが毎日働いて、ひと月に一回お給料をもらっているからなんだ。

「え? パパって、毎日お金をもらうために行ってるの? 遊びに行ってるんだと思ってた」(バレたか)

それから、彼女はお金について、彼女なりに勉強したようです。そして、出た結論は・・・「宝くじ3億円当たればいいのに」だそうです。
お金がいっぱいあれば、欲しいものは何でも買ってもらえる。そして彼女は、父親が「体調が悪い」などと言って仕事を休んで寝ていると、「ダメじゃないの働かなくちゃ」と余計なことを言うようになりました。

そうして彼女は、それまで知らなかったお金の力を信じるようになりました。それを子供っぽいと笑うことはできません。僕だって、大人になってからだって、お金の力を信じてきたし、今も信じているのですから。
お金で何でも買える訳じゃないけれど、たいていのものは手に入ります。逆にお金のない苦しさも(嫌ってほど味わったおかげで)よく知っています。金がないと酒も買えんのですから。

お金の力は、理屈で考えなくても、感じられるものです。そもそも僕にはあまり備わっていない力が、自分の周りから消えてしまわないように願うばかりです。

AAでは「自分より大きな力を持った存在」について考え、その力を信じていきます。お金の力を知らなかった子供が、それを感じるように成長するのと同じで、my Higher Powerを知らなかったアルコホーリクが、感じられるようになるのが成長でしょうか。いままでは、あってもなくても気にしなくて、感じることもできなかった存在が、自分の周りから消えてしまわないように願うようになるのは、確かに成長でしょう。

今はそれが感じられなくても、探求心を失ってはいけないと思います。


2007年03月06日(火) 脳の変化

依存性のある薬物を、動物が好きなだけ自分で摂ることができるようにしておくと、摂取を繰り返す(つまり依存症になる)話は以前に書きました。そのとき、脳の中で起きている変化は、昔ながらの動物に強制的に薬物を与える実験とは異なるものであることも、書きました。

さて、脳の中には「報酬系」という仕組みがあります。報酬系を刺激されると、大変に気持ちが良い(らしい)のです。ラットの報酬系に電極を植え、ラットがスイッチを押すと刺激が加わるようにしておきます。すると、気持よさを求めてでしょうか、ラットは頻繁にスイッチを押すようになります。自己刺激行動といいます。

ラットにコカインを与えて、自己摂取する(人間で言えば依存症)ようにします。その上で、先ほどのスイッチと電極を試させます。すると、前より強い電流が流れないと「自己刺激行動」が起りません。薬物の自己摂取が、脳を変容させ、薬物以外への感度を低下させてしまったのです。

人間の薬物依存症者でも、薬物以外の報酬に対する感受性が下がるとされます。これも他のことに興味がなくなる変化が、脳の中で起きているのです。よくアル中さんが酒をやめるのに、「酒以外のことに興味を持てればいいのだが」と言うのですが、それはなかなかそれが難しいものです。
それは、酒以外のことに対して無感動になっている心の問題だけでなく、脳の中が「酒以外では、よほど強い刺激でないと感じなくなった」せいでもあります。スポーツで発散すれば、と言っても、スポーツから得られる感動が、普通の人よりずっと少ないのだから、無理な話です。

おそらくそういう鈍感さも、年月と共にホメオスタシスによって、元に戻っていくのでしょう。酒をやめて何ヶ月か経過したアル中さんが、「ふと見かけた花の美しさに感動した」というような話をするのも、そうした変化ではないかと思います。

アルコールは数日すれば体から抜けてしまいますが、脳に起った変化が元に戻るには、長い年月がかかるというお話でした。

ラリー・ニーヴンのSF小説に、脳に電極を植えて、自己刺激ばっかりしている未来を描いた場面がありました。リング・ワールドだったかな。


2007年03月05日(月) 雑感(陰口・遊び)

ひとはなぜ陰口を言うのか。もちろん根本には、恨みとかねたみとかあるんでしょうけど、なぜ表面に出てくる陰口を抑えられないか。
心理学の本によれば、「その人を無視できないから」だそうです。

妻のことは愚痴る夫も、遠い親戚のことは愚痴らない。遠い親戚のことは普段忘れているけれど、毎日の生活で妻を無視するわけにはいきません。それは自然なことです。しかし、毎日顔をあわせるわけでもないのに、気に障って仕方ない相手もいます。気にしなければいいのにできず、思わずどこかで陰口を言ってしまうのは、相手の存在が、それだけ自分の中で大きくなっている証拠です。

愛であるか、憎しみであるかはともかく、いずれでも相手に心理的にとらわれているのです。陰口を言ってしまうのは、緊張した心がバランスを取ろうとする、ごく自然な行動です。それを止めるのは現実には難しい。だから、陰口から解放されたければ、まずその「とらわれ」から解放を目指すことから始めるのでしょう。

だが、相手を無視しようとすればするほど、相手の存在が重みを増したりするのは、相手がアルコールの時と同じであります。「ああ、神さまでも何でもいいから、このとらわれから解放してください」と素直にお願いできた時は、少し楽になります。でも、ぶり返しますけど。そんなもんです。

さて、やはり季節の変わり目が前倒しで来ているのでしょうか? 僕も調子が良くありません。注意力不足で、判断力不足。それはいつものことかも知れませんけど。ひがみっぽくなってきております。

地図を見れば、思わずドライブに行きたくなり、「自転車に二人乗りの高校生のカップル」という文章を目にすれば、「俺もそういう高校時代が過ごしたかった」と思わず愚痴が出る・・・。これも、子供の頃、あるいは大人になっても若いうちに、十分遊んでおかなかったツケが回ってきているのでしょうか。

恨みがましいひとを幸せにするのは難しい。まさにそのとおりです。


2007年03月04日(日) アル中的性格

アルコール依存症者特有の性格ってのが、たぶんあるのでしょう。「性格」と呼ぶよりは、「欠点」とか「社会的不適合」のリストとか呼んだ方が良さそうですけど。
まず最初は、アル中さんに多いと言われる自己愛性人格障害の診断基準をひいておきます。

自己愛性パーソナリティ障害

1) 自分の重要性に関する誇大な感覚
(例:業績や才能を誇張する。十分な実績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。

2) 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

3) 自分が“特別”であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちに(あるいは施設で)しか理解されない、あるいは関係があるべきだ、と信じている。

4) 過剰な賞賛を求める。

5) 特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、あるいは自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。

6) 対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。

7) 共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。

8) しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思いこむ。

9) 尊大で傲慢な行動、または態度。

(診断基準は5点以上)

次は、僕が入院した時にもらった依存症のテキストから「アル中的性格」を引用します。

1) 感情的に未熟である。
(例:何でもないことで腹を立てたり、得意になったり。自分の感情を抑える力が乏しい)

2) 依存心が強い。
(強い性格の有能な奥さんが多いのは、アル中夫がしっかりものの妻を選ぶから)

3) 自己中心的な性格。
(他の人が悪い、世の中が悪い)

4) 猜疑心が強い。
(好意を素直に受け取れず、ひねくれて解釈する)

5) 陰気で強情である。
(暗く無気力に見えるが、内面には敵意を隠していて、時にそれが爆発する)

6) 劣等感が強い。
(自信に溢れているように見えても、内面では自信を欠く。失敗すると自分を責め、無能だと思う)

7) 緊張に耐える力が弱い。
(ものごとを適切に処理するのが下手で、笑って受け流せばいいことにも、敏感に反応し、屈辱と受け止めて恨む)

断酒を続ければ、こうした性格は修正されていくとも書いてあります。本来的にその人が持っている性格ではなく、成長過程や飲酒の中で、そういう性格が身に付いたということでしょう。


2007年03月03日(土) ネカマ(その3)

とりあえず僕は、某社のやっていた無料のメールサービスで、仮名のメールアドレスをひとつ用意しました。身元確認の要らないサービスでありながら、メールボックスの容量が2MBというのは、当時としては大容量でした。これで、架空の女性はネット上で存在を始めました。

あとは、架空のプロフィールと、男が喜びそうな文章を5分ででっち上げ、くだんのサイトの女性用掲示板に書き込みました。

やることを済ませて満足感を得た僕は、その晩はひさしぶりに早寝をしたのでした。

翌日、ウェブメールにログインした僕は、目を疑いました。受信ボックスの新着メール数が400を越えていたからです。うーん、これが全部男からか。
とりあえず少し読んでみることにしました。あー、男のメッセージって鬱陶しいくらい暑苦しい。彼らの言うことを信じるなら、世の中の男の1/3は、職業が医者か弁護士ということになります。それが本当なら、医者や弁護士を職業とする人は、異常に出会い系が好きなのだと思われます。それに比べて女は正直です。

読み進めるにつれ、世の中にはさまざまな「女の口説き方」があるんだと、ちょっと感心しました。勉強になったと言いましょうか。さすがに下半身充血した男のメッセージには途中で辟易してしまい、大多数のメールは未読のまま放置されることになりました。

さらに翌日ログインすると、今度はメールボックスが溢れていました。送信元はフォームメールですから、HTMLメールや添付ファイルは届きません。純粋にテキストだけのメールが、2MBの容量を二日で満杯にしてしまうとは・・・。
競争相手は数十人どころか、その一桁も二桁も上でありました。あらかじめこの事実を知っていたら、はたしてそのサイトに引っかかったかどうか。
おかげさまで、そうした出会い系サイトとはそれっきり縁が切れました。

あんなにモテたのは、人生後にも先にもあれっきりであります。まあ相手は全員男ですけど。ぎらぎらした男たちの欲望にさらされて、背筋がぞぞっとしたものです。それを考えると、ネカマが趣味の人たちって、本当に度胸が据わっているなぁと、ちょっと感心したりして。男相手に、愛のメール交換とか、愛のチャットとか、とてもできません。

メールに返信はまったく出しませんでした。メールサービスが有料化される時に、金を払わないアカウントはすべて削除されたそうなので、ネット上にしか存在しない架空の女性は、その時点で存在をやめたことになります。

ともかくこれが、ひいらぎのネカマ体験記の一部始終です。ネカマひいらぎと粘着質地雷男の神経戦を期待していた方、ごめんなさい。

後日、出会い系サイトを使った経験のある女性と話すチャンスがありました。念のため言っておきますが、その女性とは出会い系サイトで出会ったワケじゃありませんし、xAのメンバーでもありません。
そのときにうかがった「女性の側から見た出会いサイト」の話は、また機会があったら書きたいと思います。

はて、シャーラザットはどこへ行ったやら。(この項終わり)


2007年03月02日(金) ネカマ(その2)

普通はシェヘラザードというんですね。バートン版の翻訳ではシャーラザットだったんです。

出会い系サイトというものがあります。どのような「出会い」を求めているかは人それぞれでしょうが、まあ多くのサイトは男女交際の相手を探すのが目的でありましょう。もちろんこれも、ネットの普及とともに現れたものです。それ以前にも、パーティラインやら伝言ダイヤルやら、はたまたテレクラというものは、世の中に存在していたわけですけど。

携帯電話の出会い系サイトを未成年者が利用することが社会問題になっていますが、今回の話はもっと大人の人々、それも既婚の男女が「たまにはパートナー以外の人と情熱的な出会いを・・・」というどろどろした欲望が渦巻くサイトの話です。
回りくどいことを言っていますが、要は不倫浮気系出会いサイトです。

ある時僕は、そうしたサイトのひとつに、ふらふらと引き寄せられてしまいました。まあ、ネット上であれば、人が眉をしかめるような場所へも平気で出かけていってしまう僕であります。
そこには交際相手を求める女性のための掲示板があって、男はその中から選んだ女性にメールを送って求愛する仕組みになっていました。といっても女性のメールアドレスが分かるわけでなく、フォームメールで送る仕組みですから、相手の身元は一切分かりません。女性は届いたメールの中から、気に入った男性を選べばいいシステムです。

そこが有料だったらすぐに立ち去っていたでしょうが、フォームメールを送るのは無料でした。「あわよくば」という妄想を抱いた僕は、何人かの女性にメールを送ってみたのです。

当然のことながら返事なんか帰ってきませんでした。そこで素直に諦める人もいるのでしょうが、僕はすぐムキになるタイプであります。ギャンブルや株にはまる人の気持ちが分かる気がします。
もちろんこの類にはサクラはつきものです。「サクラって何ですか?」という質問は救済できないので、広辞苑でも引いてください。たとえサクラが混じっていても、数打ちゃ当たる・・・と物量作戦に出ました。しかしメールを送るのは無料でも、メールを書く時間がバカにならなってしまいました。

さすがにそれが虚しくなった時、ふと「はたして自分にはどれだけ競争相手がいたのだろうか」という疑問が浮かびました。少ない資源に多くの競争相手が群がっていることが明らかになれば、自分も諦めやすくなるかも知れない、そう思いました。

そのサイトには、交際相手を求める男性のための掲示板もあることは知っていました。が、目が血走った男たちの浮ついたメッセージなど読みたくもなかったので、それまでそこを覗いたことはありませんでした。お前だって目が血走っていたんだろうって? 確かに。
その掲示板を見て、僕は書き込みの多さに圧倒されました。その数はまさに圧倒的でした。

掲示板の記事数を元に、そのサイトの男女比を推定するなら、女性一人に対し、男性数十人。やっぱり男って、こういうことになると・・・。

いやしかし、これはあくまで掲示板の記事の比率にすぎません。これを元に、掲示板に投稿した女性に送られるメールが数十通だとは言い切れません。掲示板には書き込まなくても、メールは送る男は多いかも知れず、また逆に少ないかも知れません。が、残念なことに男である僕には、女性の元に何通のメールが届いているのか、知る手段がないのであります。。

それでも、判断を下すには、正確な事実を知らねばなりません(そんな義務はない?)。そこで・・、僕は女になってみることにしたのです。

「続きは明日の夜」とシャーラザットは言うのでありました。

(まだ続く)。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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