心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年03月03日(土) ネカマ(その3)

とりあえず僕は、某社のやっていた無料のメールサービスで、仮名のメールアドレスをひとつ用意しました。身元確認の要らないサービスでありながら、メールボックスの容量が2MBというのは、当時としては大容量でした。これで、架空の女性はネット上で存在を始めました。

あとは、架空のプロフィールと、男が喜びそうな文章を5分ででっち上げ、くだんのサイトの女性用掲示板に書き込みました。

やることを済ませて満足感を得た僕は、その晩はひさしぶりに早寝をしたのでした。

翌日、ウェブメールにログインした僕は、目を疑いました。受信ボックスの新着メール数が400を越えていたからです。うーん、これが全部男からか。
とりあえず少し読んでみることにしました。あー、男のメッセージって鬱陶しいくらい暑苦しい。彼らの言うことを信じるなら、世の中の男の1/3は、職業が医者か弁護士ということになります。それが本当なら、医者や弁護士を職業とする人は、異常に出会い系が好きなのだと思われます。それに比べて女は正直です。

読み進めるにつれ、世の中にはさまざまな「女の口説き方」があるんだと、ちょっと感心しました。勉強になったと言いましょうか。さすがに下半身充血した男のメッセージには途中で辟易してしまい、大多数のメールは未読のまま放置されることになりました。

さらに翌日ログインすると、今度はメールボックスが溢れていました。送信元はフォームメールですから、HTMLメールや添付ファイルは届きません。純粋にテキストだけのメールが、2MBの容量を二日で満杯にしてしまうとは・・・。
競争相手は数十人どころか、その一桁も二桁も上でありました。あらかじめこの事実を知っていたら、はたしてそのサイトに引っかかったかどうか。
おかげさまで、そうした出会い系サイトとはそれっきり縁が切れました。

あんなにモテたのは、人生後にも先にもあれっきりであります。まあ相手は全員男ですけど。ぎらぎらした男たちの欲望にさらされて、背筋がぞぞっとしたものです。それを考えると、ネカマが趣味の人たちって、本当に度胸が据わっているなぁと、ちょっと感心したりして。男相手に、愛のメール交換とか、愛のチャットとか、とてもできません。

メールに返信はまったく出しませんでした。メールサービスが有料化される時に、金を払わないアカウントはすべて削除されたそうなので、ネット上にしか存在しない架空の女性は、その時点で存在をやめたことになります。

ともかくこれが、ひいらぎのネカマ体験記の一部始終です。ネカマひいらぎと粘着質地雷男の神経戦を期待していた方、ごめんなさい。

後日、出会い系サイトを使った経験のある女性と話すチャンスがありました。念のため言っておきますが、その女性とは出会い系サイトで出会ったワケじゃありませんし、xAのメンバーでもありません。
そのときにうかがった「女性の側から見た出会いサイト」の話は、また機会があったら書きたいと思います。

はて、シャーラザットはどこへ行ったやら。(この項終わり)


2007年03月02日(金) ネカマ(その2)

普通はシェヘラザードというんですね。バートン版の翻訳ではシャーラザットだったんです。

出会い系サイトというものがあります。どのような「出会い」を求めているかは人それぞれでしょうが、まあ多くのサイトは男女交際の相手を探すのが目的でありましょう。もちろんこれも、ネットの普及とともに現れたものです。それ以前にも、パーティラインやら伝言ダイヤルやら、はたまたテレクラというものは、世の中に存在していたわけですけど。

携帯電話の出会い系サイトを未成年者が利用することが社会問題になっていますが、今回の話はもっと大人の人々、それも既婚の男女が「たまにはパートナー以外の人と情熱的な出会いを・・・」というどろどろした欲望が渦巻くサイトの話です。
回りくどいことを言っていますが、要は不倫浮気系出会いサイトです。

ある時僕は、そうしたサイトのひとつに、ふらふらと引き寄せられてしまいました。まあ、ネット上であれば、人が眉をしかめるような場所へも平気で出かけていってしまう僕であります。
そこには交際相手を求める女性のための掲示板があって、男はその中から選んだ女性にメールを送って求愛する仕組みになっていました。といっても女性のメールアドレスが分かるわけでなく、フォームメールで送る仕組みですから、相手の身元は一切分かりません。女性は届いたメールの中から、気に入った男性を選べばいいシステムです。

そこが有料だったらすぐに立ち去っていたでしょうが、フォームメールを送るのは無料でした。「あわよくば」という妄想を抱いた僕は、何人かの女性にメールを送ってみたのです。

当然のことながら返事なんか帰ってきませんでした。そこで素直に諦める人もいるのでしょうが、僕はすぐムキになるタイプであります。ギャンブルや株にはまる人の気持ちが分かる気がします。
もちろんこの類にはサクラはつきものです。「サクラって何ですか?」という質問は救済できないので、広辞苑でも引いてください。たとえサクラが混じっていても、数打ちゃ当たる・・・と物量作戦に出ました。しかしメールを送るのは無料でも、メールを書く時間がバカにならなってしまいました。

さすがにそれが虚しくなった時、ふと「はたして自分にはどれだけ競争相手がいたのだろうか」という疑問が浮かびました。少ない資源に多くの競争相手が群がっていることが明らかになれば、自分も諦めやすくなるかも知れない、そう思いました。

そのサイトには、交際相手を求める男性のための掲示板もあることは知っていました。が、目が血走った男たちの浮ついたメッセージなど読みたくもなかったので、それまでそこを覗いたことはありませんでした。お前だって目が血走っていたんだろうって? 確かに。
その掲示板を見て、僕は書き込みの多さに圧倒されました。その数はまさに圧倒的でした。

掲示板の記事数を元に、そのサイトの男女比を推定するなら、女性一人に対し、男性数十人。やっぱり男って、こういうことになると・・・。

いやしかし、これはあくまで掲示板の記事の比率にすぎません。これを元に、掲示板に投稿した女性に送られるメールが数十通だとは言い切れません。掲示板には書き込まなくても、メールは送る男は多いかも知れず、また逆に少ないかも知れません。が、残念なことに男である僕には、女性の元に何通のメールが届いているのか、知る手段がないのであります。。

それでも、判断を下すには、正確な事実を知らねばなりません(そんな義務はない?)。そこで・・、僕は女になってみることにしたのです。

「続きは明日の夜」とシャーラザットは言うのでありました。

(まだ続く)。


2007年02月28日(水) ネカマ

あんまり真面目な話ばかりだと肩が凝りますから、たまには軽い話を(いつも軽いか)。

ネカマとは、"ネ"ット上のお"カマ"の略です。「おかまって何ですか?」という質問は救済しようがないので、広辞苑でも引いてください。

ネットは進化したとはいえ、いまだに文字主体のコミュニケーション手段です。だから、相手の顔を見えないし、声も聞こえません。だから、男が女のふりをするのは簡単なことです。字面だけ女っぽくすれば良いだけですから。相手が女だと思って鼻息荒くチャットに熱中していても、実は通信回線の向こうにいるのは鼻毛を伸ばした脂っこいキモオタなのかもしれません。恐ろしいことです。

ネカマの存在は1980年代前半から指摘されていましたが、やはり数が増えたのはインターネット時代になってからでしょう。ネットで検索すれば、ネカマを楽しんでいる人がたくさん見つかります。
女のふりをして何が楽しいのか? ネカマ道を追求する人には、ほぼ共通の楽しみがあるようです。話を盛り上げて、相手の男がその気に(どんな気だ?)なった時に、おもむろに「実は俺男なんだ」とカミングアウト(?)し、男が狼狽する様子を見て楽しむ・・・。あるいはその様子をネットに公開する。そんなところでしょうか。まあともかく、彼らはネカマ道を極めるべく、日々研鑽にいそしんでいるのです。

お前はネカマに引っかかったことはあるのか、ですか?
もちろん、ありますとも( ̄^ ̄)えっへん。ネット歴二十数年ですから。
いや威張ることじゃないですね。まあ、初めて引っかかった時は、満員電車の中で痴漢されたのと同じぐらいショックでしたが。パソコン通信の時代のことです。

そういう僕も一度ネカマをやったことがあります。
いや、男をからかって遊ぼうと思った訳じゃありません。もちろん真面目な目的じゃありませんので、これも威張れた話じゃありませんが。

なんか話が長くなりそうです。

「もう眠くなりましたから、続きは明日の夜にしましょう」とシャーラザットは言うのでした。

(明日へ続く)


2007年02月27日(火) 一番古い記憶

思い出せる限り一番古い記憶は、3〜4歳ぐらいの頃のものです。実家の御上(おえ)と呼ばれる広い部屋で祖母と遊んでいる記憶です。それは直接の記憶ではなく、小学生の頃に「その場面を思い出した」ことを記憶しているだけです。

直接の記憶として残っているのは、4歳ぐらいで、実家の裏の道で遊んでいたことです。今はコンクリート舗装されたその道も、当時はまったく未舗装で人通りも少なく、草が茂っていました。自分の背と同じぐらいの高さの枯れススキの中で、誰かとかくれんぼをして遊んでいた記憶です。
でも、これも記憶を記憶しているのかもしれません。

AAでは過去のことを掘り起こす作業をするのですが、人生全体から見ればごく一部を取り出せるに過ぎません。残りの部分は平々凡々の日常が続いていたわけでもなく、思い出せた部分より意味が軽いわけでもありません。だとすれば、飛び飛びの記憶から紡ぎだした自分の人生のストーリーは、本来の中心線からずいぶんずれているものなんでしょう。

一度憶えたことを忘れることが本当に出来るかは知りませんが、想起されない記憶は不活発になっていきます。ようするに思い出せなくなるってことです。

子供の頃のことが茫洋として思い出せないように、飲んでいた頃の記憶もあいまいになってきました。AAミーティングでしゃべる体験も、過去に話したことばかりです。記憶を記憶しているわけです。だから、最初の1年・2年・3年の頃に、飲んでいた頃の自分を思い出す作業をしておかないと、後からその作業をしようと思っても、脳みそがそれを許してくれません。

病院メッセージで飲んでいた頃の話をするときは、なんだか中身が定型化してしまっている次第です。


2007年02月26日(月) Bluetooth熱

今回はエレキネタです(というか電波ネタか)。
昨年の1月に突如自分の中で Bluetooth 熱が高まりました。

自動車を運転中に携帯で通話するには、ハンズフリーキットを使うべしと法律で定められています。車載用のちゃんとしたキットは数万円するのですが、そんな投資をするほど運転中に電話したいわけじゃありません。そこで、携帯用の安いキットを買いました。イヤホンの途中にマイクが付いていて、シャツにクリップで留めるような商品です。
が、実際に使ってみると、イヤホンのケーブルがとても邪魔で邪魔で、我慢なりません。また、使うためには携帯電話のイヤホン端子にケーブルを刺さないといけません。が、車に乗るたびに、ケーブルの抜き差しをするのは面倒で面倒で、ますますイライラしてしまいます。

そこで、イヤホンマイクと携帯の間を無線でつなぐ・・という当然の解決方法を探す事にしました。世の中には Bluetooth という無線の規格と製品があります。まず最初は、Bluetooth のイヤホンマイクを買いました。そして携帯電話のイヤホン端子には、Bluetoothの無線アダプタを取り付けます。しかしそれでは「車に乗るたびにイヤホン端子に、何かを接続する手間はちっとも減らない」ことに、なぜ自分は気が付かなかったのか・・・。

携帯電話本体の中に Bluetooth 機能を備えた機種もあります。で、さっそく機種変更。イヤホンマイクの出来が気に入らなかったので、ちゃんとしたヘッドセットを購入。これがなかなか便利で、携帯本体がポケットやカバンの中に入りっぱなしでも、ヘッドセットさえ身につけていれば、発信も着信もできます。調子に乗って、パソコンで Skype 通話するときも、このヘッドセットが使えれば便利だろうとパソコン用アダプタを購入。さらに自宅の電話も Bluetooth 対応に・・・。すっかり泥沼で、何万円使ったか忘れました。
そんなふうに熱が入ったわりには、あまり無線ヘッドセットは使いませんでした。

だって、電話あんまりかかってこないんだもん。

機種変更した携帯電話は使いにくくてたまりませんでした。そして、待ちに待った13ヵ月。やっと機種変更できる時期がやってきました。もうデカくて重い端末はこりごりです。ワンセグも要らないし、ニュース配信も要りません。小説もマンガもケータイじゃ読まないし、音楽も聴きません。だいたい、一日の大半を、パソコンの前に座って過ごす人ですから。


2007年02月25日(日) ネットって本当に匿名なのか・・・。

僕はここでは「アル中のひいらぎ」としか名乗っていません。
(少なくともこのホームページ内では)実名や、住所や、電話番号は公開していません。だから、匿名で活動していると言われれば、それは否定できません。でも、匿名だから言いたい放題のことが言えるかといえば、そんなことはありません。

同じアドレスで4年余り活動し、駄文を書き、よそのサイトにも出入りし、それなりの人間関係も出来ています。オンライン(ネット上)の人間関係は、オフライン(リアル)の人間関係とは違うかもしれませんが、ネットにはネットなりの社会があって人間関係があるわけです。
友人知己は大切にしたいものです。

もちろん、それらをかなぐり捨てて、固定ハンドル名も使わず、匿名プロキシサーバーを通して、没個性の一人として発言することもできます。そういうのはあまり好きじゃありません。「ほらみろ、お前だって完全匿名社会は嫌じゃないか」と言われれば、そのとおりであります。

新聞記事は、わずかな例外を除けば、たいてい匿名記事で、誰が書いたのかわかりません。
どこそこで交通事故が起きたというような雑報にまで署名を入れて欲しいとは思いませんが、「好ましい」とか「好ましくない」という意見を挟んだ記事を書くなら、署名記事にしろと言いたいです。別に記者の実名を公開しろってんじゃなくて、ペン・ネームでいいから載せたらどうかと思います。そうすれば、新聞社と言う会社が記事を書いているんじゃなくて、記者という個人が書いていることが明確になりますから。
そうならないうちは、新聞こそ「匿名メディア」じゃないかと。

PJとかオーマイニュースという「市民記者によるネット新聞」が不振だそうです。
原因は、読者が期待したほど市民記者のレベルが高くなかったことに尽きます。レベルの低い(つまり思い込みの強い)記事に対して、「脳内妄想」などといった中傷が(匿名で)浴びせられて、市民記者のプライドが傷つき萎縮して撤退→さらにレベルが落ちるという悪循環でしょう。それでもがんばって書き続けて欲しかったと思うんですが。

ネット上で何らかの意見表明をすれば、好意的な反応がもらえてうれしいこともあります。けれど、反対意見の人からの反応も、ダイレクトかつ即座に、おまけに長期的にやってくるものです。そこが紙のメディアと違うところです。

ネットを使えば作品を配布するハードルは低くなりますが、その作品に批判的な意見の配布も同じように簡単です。情報発信者だけを特別に守ってはくれない、公平だということなんですけどね。


2007年02月24日(土) 「強制的に」と「好きなだけ」

ちくま新書で廣中直行という人の本を読んでいます。
その本の話は、別の機会にするとして。

ある薬が人体にどんな影響を及ぼすか、という実験をする時に、薬を人間に飲ませた後で、脳を切り刻んで確かめるというやり方はできません。仕方ないので、動物を使って実験します。
ところが、動物は薬を飲みたがりませんから、実験のためには、餌に薬を混ぜるとか、注射をするとかして投薬をします。この投薬は「強制的に外部から管理」されています。動物実験は、ずっとそのやり方でした。

アルコール・モルヒネ・アンフェタミン(覚醒剤)・ニコチン・カフェイン。こうした薬物依存の研究をするにも、動物実験をします。人間のアル中患者と同じにするには、動物が自分で薬物を摂るようにしないといけません。でも動物は酒を飲みたがりません。そこで静脈や胃袋にチューブをつなぎ、ボタンを押すと少量のアルコールなどが注がれるように仕組みます。そのボタンは、動物が好きなだけ押せるようにしておきます。
すると、「自分で好きなだけ」薬物を摂取して、依存症になります。

最近になって、前者のように強制的に薬物を与えた場合と、自分から求めて摂取した場合と、脳の中で起きる変化が違うとされるようになりました。

薬物を管理しながら与えると、依存症になりにくい、というのは、昔から経験的に知られたことです。毎日一合の晩酌を続ける人は、酒狂いにはなりにくいわけです。
自分で量を増やしたり減らしたりするのが、依存症への近道であるようです。

精神安定剤には、ある程度の依存性があります。朝昼晩毎食後に安定剤を飲む必要が
ある人もいますが、きちんと服用してれば処方薬依存にはなりにくいものです。もちろん、量を減らしたり、やめたりする時には、リバウンド(離脱)があるのは仕方ないことです。
危ないのは、効かないからと自分で量を増やし、調子が良いからと自分で量を減らすことです。上の動物実験の例で言えば、前者(管理下)から後者(欲しいだけ)に、いつのまにか変わっているわけです。

睡眠薬を切りたい人で、「昨日は眠かったので飲まなかった」と言う人がいます。そういうやり方が依存症者には危険だということは、なかなか理解してもらえません。「自分で量をコントロールできるから大丈夫です」と言われてしまいがちです。
自分でコントロールすること自体が危険だし、コントロールできていると思っていても、いつのまにか、そうでなくなっているものです。

お酒の時だって、自分は(飲む量が、時間が、場所が)コントロールできていると、自分に言い聞かせ続けた何年間があったはずなんですが。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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