心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2007年02月23日(金) パパと踊ったワルツ

上の子(長女)は、かなり「人の言うことを気にするタイプ」です。家族の誰かが、なにかでプリプリ怒っていると、長女も不安定です。また、がんばりすぎて疲れてしまうタイプでもあります。
下の子(次女)は、どちらかといえばマイペースです。手抜きをしすぎて、後で叱られるタイプと言いましょうか。もちろん子供ですから、親の感情に左右されますが、基本的に「なんと言われても、私には私の都合があるのよ」というオーラを発散させているように見えてしまいます。

たまに大きな夫婦げんかをして「離婚する」とか騒いでいると、本気で心配しているのは長女のほうです。父親か母親かどちらかが、子供を捨てて去っていってしまう可能性を本気で心配しているようです。対する次女のほうは、「そんなワケないじゃん」と落ち着いています。

買い物に外出すると、ついて行きたがるのは長女のほうです。単に外出好きなのかと思っていたのですが、「見捨てられ不安」が強いのかも知れません。お父さん、どっか行っちゃって帰ってこないかも知れないし。次女のほうは、一人で残ってゲームやマンガを楽しんでいる方が好きです。
学級が荒れていたとはいえ、不登校をやったのも長女のほうだし。

というわけで、上の子のほうが生きづらそう、という話を人にしたことがありました。その返答は・・・

「上のお子さんは、ひいらぎさんがお酒をやめてまだ1年2年のころに、赤ちゃんをやっているわけでしょう。それだけ回復していないお父さんの影響を、もろに受けたってことじゃないでしょうか」

子供は二人とも、父親が酒を飲んでいるところを見ていない・・ってのが、心の拠り所になっていたわけですが、それがガラガラと音を立てて崩れていった瞬間でした。
僕が飲んでいなくても、「飲んでいないだけ」の父親であったのは、明らかでした。長女と次女は2才違い。2年の違いが、ちょっとした回復を僕に与え、それが長女と次女の違いとして現れたってことでしょうか。
それとも、単に影響を受けた時間が2年少ないだけでしょうか。

子供は親の影響を受ける。飲んでいないだけのアル中じゃだめだ。ってことは分かるんですけど、でもそれってアル中本人には結構厳しい現実ですよね。


2007年02月22日(木) 選択肢の時代

選択肢が増えている時代だと思います。

たとえば仕事にしても、ありとあらゆる職業から、好きなものを選べばよいと言われる時代になりました。僕らの親の世代には、それほど職業選択の自由があったわけじゃありません。

商品も沢山のなかから自由に選ぶことができる時代になりました。
たとえば家電製品だと、子供の頃には、(ナショナルとか東芝とかの)街の電器屋さんの店頭で見て選ぶか、せいぜいカタログで選ぶぐらいのものでした。僕は中学生の頃、短波ラジオを聴くのにこった時期があり、KHzまでディジタル表示される受信機が欲しかったのですが、親から与えられたのは、兄のお下がりの短波ラジオだけでした。まあ、そもそも選ぶ自由すら無かったというか。

今は、仕事でも商品でも、飛躍的に選択肢が広がっています。
ただ、問題は、その中から何を選んで良いか分からないことです。

ちょっと前までは、選ぶために必要な情報をたくさん与えれば、人は自分で選ぶことができると考えられていました。いままでテレビや新聞や雑誌という「フィルター」を介してしか得られなかった情報が、インターネットによって情報提供者から直接得ることが可能になりました。はたまた、CGMと称して、口コミ情報を集める手法も流行りました。

それが幸せにつながったのかどうか。幸せどころが、みんな選ぶことに疲れているような気がします。よりよいものを選ばなければならないプレッシャーにつぶされているように思えます。

どんなに良いものを選んでも、必ず失敗の要素は含まれています。人生から後悔を取り除くこともできません。

高校時代とか大学時代とか、男女がクラスという狭い枠の中に閉じこめれられている時には、交際相手をクラスメートの中から選べた人が、いざ就職して世間に出ると、膨大な選択肢を前に、結婚相手を選ぶことができなくなる・・なんて話もあったりして。

一度しかない人生なんだから、失敗したって良いじゃないか、と思うんですが。


2007年02月21日(水) お休み

過労性の頭痛で仕事を休みました。ついでにホームグループのミーティングも。
整体にかかってみたものの、あまりに状態が悪すぎるせいか、改善した感じがしません。
まあ、仕事はがんばれば一時的に効率を上げることはできますが、休養はがんばっても効率的に休養することなんてできません。一日の休みに、一日の休み以上の休養を求める病理といいましょうか。

吉野家で牛丼販売が拡大されるのだと、ニュースが伝えていました。
牛丼販売再開後も、まだ牛丼にありつけていない僕の口にも、これでやっと牛丼が届くのかもしれません。
豚丼も悪くないのですが、冷めるとどうも美味しくなくていけません。

さて、僕のほうがあなたよりソブラエティの期間が長いからって、すなわち僕のほうが偉いとか、優れているわけじゃありません。単に、僕のほうが早くAAにつながるチャンスを得られたってだけのことです。誰にチャンスを与えるかは、それこそ神さまの領分でしょうから、本人の資質の問題じゃありません。

僕よりソブラエティ期間が短くても、僕より回復している人はたくさんいます。逆に「先ゆく仲間」でもダメな人もいるに違いありません。だから、人を見る時は、その人の回復度合いを見るべきです。

ただ、残念なことに回復を図るモノサシはありません。少なくとも、みんなが納得できる計り方はありません。ただひとつ皆が納得できる基準があるとすれば、「酒を飲んだか、飲まなかったか」です。そして、人はそれが何日積み重なっているかを比べようとします。それは「変えられないこと」です。

今回与えられたソブラエティを、どれだけ大事にするかは、まったくその人の自由だと思います。ただ、また飲んでしまっても次があるという考え方は、間違っています。次も酒がやめられると限らないのですから。だから、今回のソブラエティを大事にしましょう。


2007年02月19日(月) ゲーム続行

人生は、どんなカードが配られても、楽しく遊べる限り、満足のできるものだということを学ぶ。

これは、ピーター神父訳のステップ12の文章です。現在の訳は「人生がどんな試練を投げかけてきても、真剣に対応して〜」となっています。今回は、どっちが良いという話じゃありません。

さて、『カッコウの巣の上で』という映画があります。
といって話を始めると、まるで僕がその映画を見たことがあるかのようですが、単に人から中身を聞いたにすぎません。

この映画は精神病院を舞台にしているので、出てくるのは精神病患者であります。
あるシーンで、患者同士がカードゲームをしています。
でも、ルールを全然分かっていない爺さんが、何度も何度もルールを破ります。そのたびに、神経質な爺さんが、ルールはこうだと説明するのですが、ちっともなおりはしません。それにいらだち、イライラしてきた爺さんに、別の爺さんがこう言います。
「つべこべ言わずにゲームを続けろ!」

伝聞情報だから、かなり違っているかも知れません。

ともかくそういうことです。配られたカードがしょぼくて、全然勝負になりそうになくても。相手がルール違反ばっかりしていて、まともなゲームになりそうもなくても。ともかく、ゲームは続ける。

何かの不幸に生まれついちゃっても、世の中が全然公正公平じゃなくても、今さら努力してもダメそうでも、そんなことはゲームを投げ出す理由にはなりません。
続けてみれば分かることもあるんでしょう。

ついでにそのゲームが楽しめれば、言うことなしですかね?


2007年02月18日(日) メールの着信音は、Kate Bush の Wuthering Height...

メールの着信音は、Kate Bush の Wuthering Heights (のイントロ)です。
Kate のデビュー曲であるこの歌は、エミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』に着想を得て書かれた曲です。しかし僕は、『嵐が丘』を読んだことも、映画を見たこともありません。でも、『ガラスの仮面』は読んでいるので、劇中劇に出てきたはずですが・・・。記憶にございません。
明石家さんまの『恋のから騒ぎ』というテレビ番組のオープニング曲になっているので、聞いたことのある人は多いかもしれません。

通話の着信音は、なんかテキトーにネットから拾ってきたMIDIで、『Cosmic Fantasy』というタイトルが付いています。以前は、太陽にほえろのテーマでしたが、仕事中に鳴り出すと、どうしようもなく気まずいので変えました。同様に、キャンディーズの『年下の男の子』も、作ってはみたものの、どうしようもなくはずかしいので使いませんでした。

あとは、遊佐未森の『空に咲く花』のイントロと、ROUND TABLE featuring nino の『Let Me Be With You』を特定の人のメール着信音にしています。

ちなみに、自宅の留守電のBGMは遊佐未森の『君の手のひらから』です。

MIDIで着メロを作るのは大変ですが、CDから曲を取り込んで着うたを作るのは、ネット上から無料のソフトをダウンロードしてくる手間があればできます。

自分で作らなくても、携帯電話専用の掲示板を渡り歩けば、いくらでも(海賊版が)転がっていると聞きます。ダウンロードできるようにする(送信可能化)は違法ですが、それをダウンロードするのは違法とは言えないんだとか。それでも、携帯電話の小さな画面でネットサーフィンする気には、どうしてもなれません。

ニュースで、音楽CDの売り上げが6年連続で減少していると伝えていました。CDが売れなくなったのはネットのせいではなく、「余分な曲とカラオケが入った」マキシシングルを千五百円で売ったりする商売がよくないのだと思います。
欲しい曲だけ、iTMSで買う方が満足できますから。
それと、その曲ばっかり延々リピートで聴きたくなるような、そういう曲が少なくなったと感じています。


2007年02月17日(土) カフェインというケミカル

高校生の頃、カフェイン錠を飲むのがちょっと流行りました。受験勉強をするのに、眠くなると困るからです。四当五落なんて言葉もありました。
そのカフェイン錠に効果があったかなかったか、それは分かりません。ただ皆「全然効かねー」と言っていたと思います。

僕はコーヒーは朝しか飲みません。
朝起きて、トイレに行き、顔を洗った次にすることは、コーヒーを入れることです。粉はジャスコで売っている一番安い粉で、砂糖もミルクも入れません。それを飲んで、じっとしていると、次第に目が覚めてきます。カフェインの効果でしょう。それは、平日も週末も変わらない習慣です。別にコーヒーが好きなわけじゃありませんから、カフェイン錠でも代用できるかも知れません。

AAのミーティングでは、ごく薄いインスタントコーヒーを作って飲んでいます。口が渇くとしゃべりにくくなるので、なにか水分が欲しいのです。
いつもホームグループで、コーヒーのコップを洗ってくれる女性陣には感謝しています。男も平等に洗った方がいいと思うのですが、コップの洗えるシンクは女子トイレの中にしかないので、仕方がありません。女性が来なかった回は、男が女子トイレ内のシンクで洗っているか、あんまりコップを洗ってよさそうな感じがしない男子トイレの流しで洗っています。

夜コーヒーを飲むと眠れなくなる、なんて言う軟弱なヤツを、昔は鼻で笑っていたのですが、それは僕がアルコールという強力な睡眠薬を使っている自覚がなかったからにすぎません。

今夜は、アフターミーティングでAA仲間とファミレスに行ったのですが、ついつい出来心でコーヒーを頼んでしまいました。そして2回ぐらい「お代わり」してしまいました。
おかげで、胃がむかむかし、今夜はあまり眠れそうにありません。カフェインには血管収縮作用もあるそうなので、肩こりや腰痛には逆効果なのかもしれません。

9月から土曜日の会場係をやらせてもらい、司会もほとんど人に譲らずに続けてきました。それも来週でお終いです。ということは、同じ頃に引き受けた、任期1年の某MLのオーナー役も、半分終わったことになります。
人の役に立てている自信はありませんが、少なくとも自分の為にはなっています。


2007年02月14日(水) グループ名

AAグループには名前がないといけません。
名前がないと、ほかのAAグループと区別が付きませんから。

どんな名前をつけても自由ですが、どこかの施設の部屋を会場に借りているからといって、その施設の名前をつけるのは止めたほうが良いと、強く提案されています。
○○クリニックとか、○○教会とかの名前を、グループ名にすると、あたかもそのグループが、その施設と提携しているかのような印象を、外部に与える危険があるからです。
それは誰のためにもなりません。

グループが複数の会場を持っていれば、会場にも会場名が必要です。
このときに落とし穴になるのが、やはり施設の名前をつけてしまうことです。グループ名と同じ理屈が当てはまるので、やはり教会の名前とかはつけないほうが良いでしょう。
たとえば地図を見て初めてAAに来る人は、AAが複数のグループに分かれているなんてことは気にしません。どの場所でミーティングをやっているか、いつやっているかのほうが大事です。
そして、ミーティングの雰囲気はどうなのか、何をしているかが一番気になり、不安でもあるでしょう。でも、中の様子を教えてくれる情報は少なく、地図のチラシから得た情報を(会場名でも)元に想像を膨らませがちではないでしょうか。
だから、グループ名よりも会場名のほうが大切だと思います。

話は変わって、公共施設(公民館とか)を借りていると、会場費の減免処置というのがあって、本来一回千円や二千円かかる会場使用料を、「おたくは非営利の団体だし、多少は社会の役にもたっているみたいだから」という理由で、値引きしたり、無料にしてくれたりします。会費を徴収しないAAですから、出費が抑えられるのは大変助かります。
しかし本来払うべき費用を払わないと、そのぶんは公金で補われていると考えることも出来ます。これは外部からの援助を断って、経済的に自立するというAAの伝統から外れるという意見もあります。

キリスト教会を借りたときは、ちゃんと会場費を払っているから良いという主張もあります。ところが、AAが会場費として教会に支払うのはたかだか月に数千円です。いったい、教会のひと月の維持費がどれほどかかるか、ご存知でしょうか? AAの払っている会場費なんて、その1%にも満たなかったりします。

教会は「困っている人を援助する」、つまり慈善の一環としてAAに安く部屋を貸してくれているわけです。そもそも教会はムラの集会場としての役割ももっていました。だから教会は、AAに限らず、他の団体にも便宜を図ります。AAも他の団体と同じだということです。

公共施設利用費の減免処置にしても、それがAAだけに与えられる特権ではなく、他の団体と同等の恩恵であるなら、AAの伝統の精神に反しているとは言えないと思います。判断基準は、AAだけが特別扱いされているかどうかです。

くれぐれも「俺たちゃ金を払ってるんだから客だ」と思い上がらないで、受けた援助に感謝し、汚さないで使って、片付けて帰りましょう。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加