心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年09月25日(月) 腹減った

「腹減った」と「テラコッタ」はどこか似ているような気がする・・・。

お腹がすいたので、カップヌードルを食べるためにお湯を沸かしています。
春ぐらいから、夜食をカップラーメンから春雨ヌードルに変更していました。味が薄いものは食べた気がしないので、チゲ(っぽい)味のを主力に、ときどき担々麺(っぽい)味のを食べていました。
まあそれで、200〜300キロカロリーづつ節約できたわけですね。

でもさすがに飽きてきました。やっぱり普通のカップラーメンは美味しいですな。体重も再び増加に転じているかもしれません。

東京のアパートで暮らしていたときは、自炊をしていませんでした。だから、食事は全部外食か、コンビニでした。
夜に家に戻ってくる途中で、食堂に寄って夕食をすませようか、それとも、ほか弁かコンビニで何か食べるものを買って帰るか・・・、そんな思案をしているうちに自宅まで着いてしまうのでした。
24時間酔っぱらっているぐらい毎日飲んでいましたから、食欲なんてものはありません。ただ、空腹感を癒すためだけに食べているのでした。外食もコンビニも面倒くさくなるわけです。

でもアパートの部屋の中で、空腹なのは不快であります。重い腰を上げて、もう一度食事のために外出しようと試みるのですが、もはや尻に根っこが生えて腰があがりません。
そう言う場合にどうしたか・・・、ドライジンをコップに満たして飲むのでありました。すると、空きっ腹に火酒が染みわたって、胃がかっと熱くなってくるわけです。これで元気出して外出しようとするのですが、毎日飲んでいるので酒の回りが速く、すぐに泥酔して「晩飯なんてどうでもいい」気分になってしまうのでした。

翌朝はひどい二日酔いと飢餓感で目が覚め、目の前のコップに残っていたジンを飲み干すのであります。当然朝食なんて食べられたもんじゃありません。重い体を引きずって仕事に行き、結局まともに食べるのは昼食だけでした。
そうやっているうちに、体重は四十数キロまで落ちました。痩せたかったわけではないですが。まあ狂気ってやつですね。

それが今や、お腹に余分な脂肪を蓄えるまでになり、夜食に何を食べるか腐心しているというわけです。根元が見えないし。


2006年09月24日(日) 道州制

新首相は「道州制」導入に熱心ななんだと聞きます。
道州制ってなに? とおっしゃる方も多いと思います。僕もよくは知りません。というのも、道州制とはこういうものだと決まった形があるわけじゃないのです。
ただ、いろんな話に共通しているのは、都道府県を廃止して、それより大きな「道」または「州」という単位の行政単位を作るというアイデアです。
どういうメリットがあるのかよく分からないのですが、新しい税金の使い道を作ろうという意図を感じますね。国も地方も借金をしまくって、もうこれ以上借金はできませんよ、これからは支出を抑えて地道に返済してください、と言われているわけです。そこで新しい行政単位を作って、そこに借金させればいいだろうという考えでしょうか。だとすれば、まるで息子の名義で借金をする父親であります。

それはともかく、道州制では全国を10個くらいに分割します。北海道と沖縄はそのまま道になり、あとは東北・北関東・南関東・中部・関西・中四国・九州といった感じ。東北と九州をそれぞれ南北に分けるかどうか、東海と北陸を分けるか、中国と四国を分けるかで、いくつかバリエーションがあります。

長野県はどこに入るかというと、たいていの案では北関東の仲間です。
茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・長野県という集まりで、埼玉が抜けて新潟が入ったりする案もあります。北関東州の州都はどこになるのか? やっぱ埼玉でしょうか(埼玉が抜けた案では高崎?)。
長野県の北東の方から埼玉に行くのは簡単です。新幹線か関越道でいけばいいのです。でも、中南部から中央線か中央道で行くと、いったん東京に出てから埼玉に向かうことになります。

そもそもなんで、関東がひとつの州にならないのか。経済力で他の州と格差が大きくなってしまうので、分割せざるを得ないのだとか。もっとも、北関東と南関東に分けず、東京とそれ以外という案もあります。

名古屋との結びつきが強い南部を除けば、長野県が「北陸の仲間」だとか「東海の仲間」という意識は薄いです。まして「北関東」という意識はありません。あえて言えば東京圏の最外縁部という意識でしょうか。

いっそのこと、道州制導入時に長野県を分割してしまおうという案もあります。ただし、その場合、北半分は北陸へ、南半分は東海へってことらしいです。

政治家には、もっとほかに考えるべきことがあるんじゃないかと思います。


2006年09月23日(土) リハビリ

日本ではアルコール依存症に対して「リハビリ」という言葉は使いません。

rehabilitation を辞書で引いてみると、to help sb to live a normal life again after an illness, being in prison, etc. 病気、服役のあとで、ふたたび普通の生活に戻るのを助ける、という意味です。

依存症の治療は病院を退院したところで終わりになるんじゃなく、その後も長いリハビリの日々が待っているわけです。なだいなだの本では、それを「養生」と呼んでいます。

養生=病気・病後の手当をすること。

リハビリに失敗すれば、病気が再発する=再飲酒となります。ただ、アルコール依存症は治癒することがないのですから、「再発」という言葉にはいつも違和感があります。完全に治らないのですから「ぶりかえし」と呼ぶ方が合っていると思います。
何年経ってもぶり返す可能性はあって、それは死ぬまで続きます。

だから、AAメンバーが飲まずに亡くなったという話を聞くと、悲しみの感情とともに、「無事に目的地に着いて良かったね」という感情を共有することになります。

アメリカの治療施設には、alcohol rehabilitation center という名前を使っているところがたくさんあります(一般名詞は treatment center?)。ここではランダムに選んだあるリハビリセンターの、一日のプログラムを転載してみます。

午前
  6.30 起床
  6.40 祈り
  7.00 〜 8.00 ヨガ・黙想
  8.00 〜 8.45 髭剃り・風呂
  9.00 〜 9.30 朝食
  9.30 〜 9.50 沈黙の時間
 10.00 〜 11.15 セラピー・セッション
 11.15 〜 11.30 お茶
 11.30 〜 12.45 ステップワーク・内省
午後
  1.00 〜 1.30 昼食
  1.30 〜 3.00 休憩
  3.15 〜 3.30 お茶
  3.30 〜 4.15 考え方と感じ方
  4.15 〜 5.00 オーディオとビデオのセッション
  5.00 〜 6.45 レジャー(ゲーム)
  7.00 〜 8.00 AAもしくはNAミーティング
  8.00 〜 9.00 レジャー(TV)
  9.00 〜 9.30 夕食
  9.30 〜 9.45 テレビニュース
 10.30 消灯

最近、桃や梨や葡萄をよく食べます。子供たちは大好きです。
買ってくる場合もありますが、親戚からもらうものも多いです。なにかお返しをしなくちゃと思うのですが、田畑を耕していないので作物は採れません。どうしたものか。
それにしても、食べ物の贈り物というのは素晴らしいです。食べればなくなってしまうところが素晴らしい。


2006年09月21日(木) Think Think Think

プロ野球のシーズンも終わりに近づいています。
僕が愛する楽天イーグルスは、ここまで129試合を消化して、43勝82敗4引き分け。勝率.344です。一応イチローの打率は上回っています。
残り6試合を全勝しても50勝に届かないですが、ファンとしては満足しています。首位と33.5ゲーム差ってのも、別にパリーグじゃ珍しくないです。
正直言って、58勝ぐらいして欲しかったのですが、岩隈もパワーズもいなかったのだから仕方ありません。去年はこの二人の投手であわせて16勝したのに、今年は岩隈の1勝だけ。差の15勝を足せば58になる計算です。
ふつうこんな成績だったら監督はクビでしょうが、他にやる人もいなそうです。

勝つことだけが喜びであるなら弱小球団の応援などしません。以前の阪神タイガースは比類ないほど弱かったし、千葉ロッテが日本一になるなんてロッテファン以外は信じてませんでした。そゆことです。

ファンとは言っても仙台まで応援に行けるわけもなく、ラジオと新聞とスポーツニュースという狭い窓を通して見ているだけです。今年は長野で対スワローズ戦があって、古田との師弟対決を楽しみにしていたのですが、仕事が炎上して見に行けませんでした。

そういえば、監督ノムラは11月の日米野球の監督を仰せつかっているのだとか。ナガシマは脳梗塞のリハビリ中ですし、オーも癌の手術から復帰していません。人材がいないのでしょうか。ホシノ? 誰でしたっけ? ああ、ノムラの残した資産で優勝した人ね。
今年はメジャーリーグ側も気合いが入っていそうで、今から楽しみです。(だって、日本シリーズ関係ないんだもん)。

話は変わって、今週は月曜日から毎日AAミーティングに出ています(今日は病院メッセージ)。自慢するほどの事ではないですが、最近の自分では珍しいです。まあ、たまたまです。
今頃毎日出たところで、大して変化があるもんじゃありません。最初の1年か2年の心がまだ柔らかいうちに、どれだけたくさんミーティングに出て、どれだけ人に会い、どれだけ話を聞くかが大切なんだと思います。それがその人の資産になって、後々支えてくれるでしょう。

今日の表題は、AAのスローガンなんですが、日本では余り使われません。

「酒をやめるより大切なことがあると思うなら、言ってみなさい」
・・・
「じゃあ、酒を飲みながらそれができるか、考えてごらん」


2006年09月19日(火) 厳罰化

こんな話はニュースサイトの解説記事にいくらでも載っているのでしょうが、まあ雑記もネタ不足なんで。

元来刑法は、故意による犯罪は重く裁き、過失による犯罪は軽く裁く傾向があります。
例えば殺人の最高刑は死刑です。判例では、3人殺せばたいてい死刑、1人なら最高でも無期懲役、2人が境界線らしいです。それに対して過失致死は罰金刑しかないので、刑務所にはいることはありません。
何でこんなに違うのかといえば、刑法が定められたのは明治四十年代。複雑な機械が普及した時代ではなく、日常生活の中で過失で人が死ぬことなんて考えられない時代だったからなのだそうです。

業務上過失致死ってのは5年以内の禁固懲役。業務ってのは仕事に限らず、日常生活で繰り返し行うこと全般が含まれ、車の運転も入ります。なぜ普通の過失致死より、業務上のほうがずっと重いのかというと、危険な機械を日常的に使う人間には、大きな注意義務が背負わされているのであります。
車を運転して人をひき殺してしまった場合は、この業務上過失致死(業過)罪に問われることになるます。

泥酔して車を運転し、事故を起こして人を死なせる事件があっても、最高で5年の刑にしかならないのは「軽すぎる」という意見があって、新設されたのが「危険運転致死傷罪」。こちらは最高刑が20年と、人生を棒に振るには十分な刑でありました。これは過失じゃなくて、故意だよと(準故意犯)。

しかし、この「危険運転致死傷罪」には意外な落とし穴があったのです。
危険運転に問うには、飲酒運転だったことが証明されないといけません。そこで、事故を起こしても被害者の救護なんて行わずに現場から逃走してしまう人間が現れました。そして翌日酒が冷めた頃に警察に出頭します。そのころには呼気にアルコールが入っているわけもなく、危険運転致死からは逃れられるわけです。
業過が5年、ひき逃げが5年。併せて10年になるかというと、そうはなりません。併合罪はいちばん重い罪の1.5倍までですから、7年半が最高刑。20年の約1/3で、ずいぶん「お得」です。

福岡で子供3人が死んだ事件では、犯人は壊れた車で現場から逃走を試み、さらに友人に水を持ってこさせて大量に飲み、飲酒をごまかそうとしました。

こういう「逃げ得」の事実が知れ渡って、結果としてひき逃げの件数がそれまでの2倍、約2万件に増えてしまったのだそうです。

それで今度はひき逃げの罪を重くするんだそうです。8年ぐらいにすれば、業過とあわせて10年ぐらいの量刑が増えるとか。まあ、ひき逃げは故意犯だからなぁ。

それにしても、なんというか「いたちごっこ」であります。救護があれば助かったはずの命が失われた場合だってあるでしょうから、被害者にとっては殺人に等しい行為で、厳罰もやむを得ないのかもしれません。そうして厳罰化のあげくに、やっぱり飲酒事故が減らなかったりすると、今度は全部の車にGPS付きのドライブレコーダー搭載が義務づけられる日がくるのかもしれません。


2006年09月18日(月) 断酒会

病院内での「断酒会」ってものには結構な回数出席しましたが、まああれは病院のプログラムにすぎません。
地域の中でやっている断酒会に出席した回数は5回ほどでしょうか。

地元でAAミーティングを始めるときに、近隣の断酒会に挨拶回りに行きました。3会場だったかな。それから入院中の知り合いに会いに2〜3回、別の会場に行ったこともあります。
男の本人ばかりでしんみりとやっている断酒会もあれば、ほとんどが夫婦者で、奥さんたちがお茶を入れてくれたり漬け物を出してくれたりというところもありました。
AAを始めるんですよと言えば、「そうかお互いにがんばって発展しよう」と励ましてくれるところもありましたし、敵意むき出しってところもありました。まあ、一昔前の話ですから。
おじ(い)さんたちばかりで、女性の本人は少なかったです。まだアメシストの会は存在していませんでした。

人々の話の内容はまったく覚えていませんが、「体験談に始まり体験談に終わる」と言われるとおり、体験談に終始しているという印象だけは残っています。
たぶん毎回同じ話をしているんだろうと思ったりもしました。でも、当時僕が通っていたAAは人数が少なくて一人20〜30分は話したので、人の話を聞いていれば「ああ、またあの話か」「今度はこの話か」と思いながら聞いていたぐらいなので気になりませんでした。
親への恨みを1年間話し続けたというAAメンバーがいましたが、同じ話を1年間続ければ、恨みも何かに昇華してしまうのかもしれません。自分を苦しめている感情とそこまで徹底して向き合っていれば回復もするだろうと思います。ここでも「中途半端は何の役にも立たない」ってことでしょうか。
まあ、どこにでも従順なふりをする人はいるもので、自分を変えたくないのだけど、疎外されるのも嫌なので、とりあえず人と同じ言葉を話している人もいるわけです。それはAAも断酒会も変わらないんでしょう。

断酒会に出席するたびに、大学ノートを差し出され、住所と名前と電話番号を書くように求められました。AAのやり方に慣れた人間にとっては、戸惑うばかりでありましたが、断る度胸もありませんでした。それで何があったわけでもありませんが、翌年正月に知らない人から年賀状が届きました。いったい誰なのかしばらく思案したのですが、たぶん断酒会の会長だろうと結論しました。
自助グループには伝搬性が必要なんだと思います。断酒会にしてもAAにしても、同じような自助グループにしても、福音を広めようという動きがなければ、次第に縮小均衡の道をたどるようであります。その年賀状にそんなことを考えました。

断酒会とAAと似たようなのがふたつあるのが良くないと言われた時期もありました。
断酒会に誘われれば「私には断酒会は合わないのでAAに行きます」と断り、かといってAAに行くでもない人が出始めたのです。(AAのほうには、もう来ませんと断りに来る人は滅多にいないんですが)。AAが断酒会に出席しない言い訳に使われているってわけで、断酒会の人からも、病院の人からも「困ったもんだ」と言われたりしました。やがてそういう言い訳をする人は、元々どっちにも行きたくない、いやそもそも酒がやめたくないんだと理解が広まるにつれて、無用な軋轢も減っていきました。

新潟から長野に来て、また新潟に戻ったAAメンバーが、長野に残した荷物の整理に来ていると聞いて、挨拶もかねて峠の向こうのAAミーティングへ出席しました。
この3年間で、僕に何らかの霊的変化が起こりました。彼との出会いが重要な要素であったことは間違いありません。だから一言感謝と思ったのですが、別れ際に出た言葉は「機会があったら、また会いましょう」だけでした。
新潟市より向こうに行くことは滅多にありません。でも、必要があれば、また会わせてもらえるでしょう。それでいいのだと。


2006年09月17日(日) 10万ヒット御礼

ホームページの最下段に置いてあるアクセスカウンターが10万を超えました。僕がどんな風に力んでみたところで、一人で成し遂げられるはずもなく、これもすべて訪問してくださる皆様のおかげであります。ありがとうございます。

一番下には、ホームページを設置した時に借りた外部カウンターがそのまま置いてあります。そちらのほうは13万ぐらいです。その外部カウンターがまともに動作しない時があったので、業を煮やして自作のカウンターをくっつけてしまったのでした。それから2年半です。

「心の家路」全体からすれば、頻繁に更新されるページは<日々雑記&ニュース検索>ぐらいのものです。そこと掲示板を除けば、他は多くても月に数回の更新、少ない時には2ヶ月更新がなかったりします。

最初にサイトを開いた時に、掲示板と日記(日々雑記)は別の場所に置いてありました。雑記を置いたのは、更新の少なさをごまかすため。掲示板を置いたのは、掲示板とかメールアドレスの公開とか、そういうフィードバックの機能を持たないとヤフーのディレクトリに登録されにくかったからです。

日記はとりあえず1日分だけ本体に取り込んだし、掲示板もなんとかしました。最初の頃に「いつかは統合する」と書いておいたのですが、だいぶ時間がかかったものの、その公約?も実現できたと思っています。
あとは、日々雑記の過去記事を本体に統合したいところです。
しかし実は、それはどうしようか迷っています。

雑記のほうは依存症だとか自助グループのことばかり書いているわけじゃありません。違う話のほうが多いです。そういう文章を大量に本体に混ぜてしまうと、Googleとかの検索エンジンにとってはあまりよろしくないようです。
だから、雑記の過去記事は統合しないで、別の所に置いたままにしておこうと思っています。先月そこのお金を1年分払いました(900円)。

雑記の副題は、今は縮めてしまって「飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常」になっていますが、以前はそれに「自助グループへの諦念混じりのつぶやき」という言葉が続いていました。単に長すぎるから削っただけです。

今後も自助グループがらみのいろんな事にぶつぶつ言って、ドライドランクっぷりを晒していきたいと思っています。よろしければ、今後ともおつきあいください。

日ごろの感謝をこめて。

ひいらぎ拝


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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