心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年09月08日(金) ニュース検索

このページ の下の方にあるニュース検索。自作のPerlスクリプトを、cronで4時間おきに走らせています。

検索の対象は、毎日新聞・日刊ゲンダイ・朝日新聞・日経新聞・ヤフー! ニュース・Google ニュース・livedoor ニュース。
読売や産経が嫌いなわけではありません(好きでもないですが)。このふたつは検索にgooのエンジンを使っていて、検索結果に意図しないものが混じることが多かったので、とりあえず最初に見送ったまま、ほったらかしになっているだけです。

苦労したのが、新聞(ニュースサイト)の検索方法や、検索結果の表示が、しょっちゅう変更になることでした。ニュースサイトがどうやって読者に記事を検索させるか、試行錯誤していたのに付き合わされたという感じです。
そのたびにPerlのスクリプトを手直しする羽目になりました。最近では変更されることはめったになくなりました。

複数のサイトを検索しているので、どうしても同じ記事が複数引っかかります。見出しが大体同じで、日付が同じ記事はまとめることにしています。が、「大体同じ」という判断をプログラムにさせるのは難しいのと、新しいニュースは時間単位で違うので、どうしても似たような生地が大量に並んだりします。

検索クエリーも試行錯誤しています。単に「アルコール依存」で検索してもいい結果がでてこない場合があります。たとえばGoogleの検索は「アルコール 依存 OR 中毒 -燃料 -急性 -メチル」でやっています。でも、ブラジルなどでガソリン代わりに自動車に使われているアルコールの話と、景気が何か(アメリカ国内の消費とか)に「依存」しているっていう経済記事が引っかかったりします。

ギャンブルは、「ギャンブル 依存 OR 中毒 -プロクター」。
プロクターという言葉をはじいているのは、プロクター・アンド・ギャンブルという名前の会社の記事を除くためです。日本では「P&G」という名前のほうが知られているでしょうか。

年々検索に引っかかる記事数は増えています(統計は取ってないけどそんな気がします)。依存症問題が近年急激に深刻化しているとも考えられないので、病気として、社会問題として認知されてきた結果ではないかと思っています。
あと著名人の依存症に関する記事が増えたこともあるでしょう。

RSS配信など、いろいろ試してみたいこともありますが、手を出せずにいます。


2006年09月07日(木) 「底つき」について

依存症からの回復には「底つき体験」が必要なのだと、良く言われます。
ヘイゼルデンのカタログを見ていたら、hitting bottom という言葉と一緒に、ショックを浴びて何か大切なことに気が付いた人のピクトグラムが描いてありました。

底つきとは何なのか、それぞれの人の、それぞれの体験があって、その人なりの「底つき」への理解があるはずです。何が正しくて、何が間違っているとは言えません。

だから、これは僕の「底つき」への理解です。
底つきとは「気付く」体験なのだと思います。

アルコール依存症は否認の病気なのだと言います。最初の否認は、自分には酒の問題はないという主張です。自分の飲酒はトラブルを引き起こしてはいないし、仮に誰かが迷惑しているとしても、「やめようと思えばいつでもやめられる」んだから、何も問題はない・・・と。
突き詰めて言うと、「飲みたいから飲んでいるのであって、やめられないから飲み続けているわけじゃない」という主張でしょう。

そうは言っていても、人は様々な理由で酒をやめます。
周囲の圧力に屈したからかもしれません。入院したから。一大決心をしたからかもしれません。いろいろです。
やがて、もう一度飲む時がやってきます。
人は再飲酒の理由を考えるものです。なにしろ、まず自分が納得できる言い訳を考えなくてはいけませんから。どうしても飲みたくて我慢できなくて。あるいは、ふと気が付いたらもう飲んでいた。あるいは、状況に流されて飲まざるを得なくなった。
客観的な事実はひとつです。「病気だから酒を飲んだ」

「やめようと思ってもやめられない。やめる能力がない」
そのことに気付くのが「底つき」なんだと思います。
だから、最初の再飲酒のときに「底つき」を感じることもできたのでしょう。でも、僕の場合には、道ばたの石にけつまずいたぐらいにしか感じられませんでした。ああ、アル中の妄想のなんと深いことか。

やがて病気に罹ったことを認め、助力を得て、酒をやめる人もいます。
酒をやめることは大切です。まず酒をやめてみないと、第二の底つきはやってこないですから。
第二の否認は「自分には酒以外の問題はない」というやつです。
いろいろとトラブルはあるけれど、それも何も「酒を飲んでいたのがいけなかった」という理由付けがあって、今後飲まなければ物事は良い方に進むはずだと信じているのです。

実は何年飲まないでいても、苦しさが和らぐことがなく、相変わらず生きるのが辛かったりします。飲まないでいるって素晴らしいと自分に言い聞かせながら、本当はそれは嘘だと感じているのです。

対人関係で、不安になったりイライラしてみたり。自分の境遇にいつも不満を持っていたり。何をやっても面白くなかったり。どこの職場に移っても、必ず一人はやな奴がいたり。
こういう自家製の不幸について、格好の言い訳があります。
「自分の悩みはありふれているのだ。世の中に悩みのない人間などいない」

酒を飲んでいた頃は、世の中の大半の人は酒飲みであると信じたかったわけです。実際には、毎日飲む人は少数なんですが。第二の否認にも同じ言い訳がでるにすぎません。

やがて、いつか気が付く=底を突くときがくるでしょう。
酒をやめたくなかった本当の理由は、生きるのが辛かったからだと。飲み出す前も、飲んでいる頃も、止めた後も。

第一の底つきで「酒をやめたい」という願望が生まれたように、第二の底つきでは「幸せになりたい」という願望が生まれるはずです。
最低限の金銭や、最低限の身の安全がなければ、幸せはとても難しくなります。でも、それがあっても不幸なのは、もはや「誰か」とか「世の中」のせいではないよね。
お金はいくらあっても困らないけれど、どれだけ酒を飲んでも飲み足りることのなかったアル中が、どれだけ金を手にしても足りないですよ。

自分には幸せになる権利なんかないんじゃないかと、疑ってませんか?


2006年09月06日(水) 掲示板の話

8月のトピックというと、新掲示板システムへ移行したことが挙げられます。
旧掲示板にはうんざりするくらい広告書き込みが多かったのでした。国内から手動で書き込まれている件もありましたが、ほとんどが海外からのものでありました。
アクセス元のIPアドレスは逆引きできないケースが多く、そのIPアドレスをAPNICのwhoisで調べると、たいてい韓国へとたどり着きました(一部中国本土)。そのたびに、ネットマスク込みでアクセス禁止リストへ追加していくのですが、所詮はいたちごっこでした。
韓国人がやっているのか、それとも韓国のサーバーはセキュリティが甘くて踏み台にされやすいだけで他国人がやっているのか。本当のところはわかりません。

世の中には、APNICのデータから韓国に割り当てられているアドレス群をリストし、それを使って韓国からのアクセスを全部禁止した人もいます。暇人ですね。
2ちゃんねるも、逆引きできないアドレスからの書き込みは禁止になってしまいました。一部国内でも巻き添えを食った人もいるでしょうが、このほうがスマートです。

新掲示板に移行してからは、1件広告書き込みがあっただけです。世界でひとつしかない掲示板のために、わざわざ専用のコードを書くスクリプト小僧もいないのでしょう。

まだまだ不都合が隠れていると思いますが、新しい掲示板をかわいがってやってください。よろしくお願いします。


2006年09月03日(日) ぶつぶつ

AAのイベントに出かけようとしたのですが、子供に「お腹が空いた」と言われてしまいました。
ママは起きてきません。冷凍庫に冷凍ピザが眠っているはずです。本来自分の夜食用にと思って買ったものですが、あれは2枚入っているから、1枚は残るか・・・。
と思って開けてみると、知らぬ間にもう1枚食べられていました。
残ってた1枚を電子レンジに放り込んで出発。

オープンスピーカーズの会場にいられたのは1時間半ぐらいでしたでしょうか。
3人のスピーカーの話を聞き、いろんなひとに挨拶し、言葉を交わし、握手をし、色紙に一言書き、少し本を買って帰ってきました。
遅れてくる人も多いし、途中で帰っちゃう人も多いです。
入院していたときの看護師さんに久しぶりに会いました。

午後からは小学校のイベントに。父兄が校庭に模擬店を開き、チケットを持った子供たちが列を作るというイベントであります。授業参観と違って、父親を連れてきている子供が多いので、自分だけ浮いている感じがしなくていいです。親の役目は、ただ子供について回るだけですが。
「パパ、ちょっとこれ持ってて」
「パパ、お金出して」
「うーん、どれにしようか迷っちゃうな」
とほほほほ。それじゃ、男を買い物につきあわせている女だぞう。
待ち時間が長く、すみっこのほうで座って休んでいると怒られるのも共通です。

夜食にピザを食べようと思ったら、もうありませんでした。当然か。
ぶりぶり怒りながら子供のお菓子を食べちゃいました。


2006年09月02日(土) 間違い

たまには土曜日のAAミーティングに行こうと、シャワーを浴び、車を出して、時間がないので高速道路に乗りました。
やがて広域情報の電光掲示板があり、そこには「花火大会混雑」の文字が浮かんでいました。
花火大会・花火大会・・・はて、何かあったような。

そういえば、花火大会で今日のミーティングはお休みなのでした。しまった、すっかり忘れていました。このまま花火を見に行ってしまおうかと思いましたが、帰宅が2時になったら明日の朝困ります。

しかたないので、高速を降り、パソコン売り場でインクカートリッジを買い、スーパーでジュースを買って帰りました。
カートリッジ3本で6千円。

帰宅してカートリッジを交換してみたものの、マゼンタの色が出ず、カラーの印刷をすると、人の顔がぜんぶ黄緑色になってしまいます。10回くらいヘッドクリーニングの手順を踏んだのですが、いっこうに改善しません。
いつもは2〜3回のクリーニングで良くなるのですが、ヘッドが乾いた状態で放っておいたのがいけなかったのかもしれません。

hpの説明書を見ると、そう言う場合には「ヘッド交換」と書かれていました。なるほど、自分で交換しろと言うわけですか。
自分で交換できるのなら、その前に自分でヘッドを壊してしまっても、誰にも怒られないというわけですね。

というわけで、ヘッド交換の手順を踏んで、古いヘッドを取り出しました。インクの吐出口をティッシュペーパーで拭いてみると、マゼンタ色のインクが固まってこびりついていました。ティッシュでごしごしこすって5分後に作業完了。
そのヘッドをもう一度取り付けて、ヘッド交換の手順を終わりました。

ごしごしやったせいで壊れてしまっても、どうせ交換しなければ直らないのであります。プリンターは新しいヘッドを取り付けてもらったと信じて、いそいそと自動調整にいそしんでいます。
それが終わって、テスト印刷すると、見事にフルカラーが復活していました。
印刷された人の顔色も、地球人の顔色に戻っています。

新しいヘッドを買うのは当分先になりそうです。


2006年08月31日(木) 暴走する

アル中を、ブレーキの壊れたダンプカーに例える例があります。
坂の上にダンプカーが止まっている。そこに止まっている限りは害はないのですが、いったん坂を下り始めてしまうと、どんどん加速が付いて止まらない。なにせブレーキが壊れているのですから。何かにぶつかって破壊するまで(トラブルが起きるまで)止まれません。

怒りについても同じことが言えます。
アル中は怒りのブレーキが壊れている場合が多いです。いったん怒りだしたら、どんどん加速していって、「何もかも気に入らねぇ」という状態になり、何かにぶつかるまで止まらないのです。
自助グループの中で(あるいは病院の中で)アル中どうしの感情的いざこざが絶えないのは、当然のことでしょう。みんなブレーキの壊れたダンプカーを乗り回しているのですから、正面衝突しないほうがおかしいです。

でも、怒りはアディクションとはちょっと違う気がします。
なんでそこまで暴走するのか。怒りのエネルギーをため込んでいるからでしょう。ゼンマイをキリキリ巻くみたいに。

怒っちゃえばいいんですよ(たぶん)。
怒ってしまうと、周囲からは「子供みたい」「辛抱が足りない」「わがまま」という評判を頂戴することになります。そうは思われたくないから、我慢している側面もあるでしょう。自分の評判を守っているという。

そのくせしっかりと傷ついていて、後になって「自分は傷ついた」とか「不当な扱いを受けた」とぶつぶつ文句を言うわけです。そうして恨んでいれば、相手が悪くて、自分は被害者でいられるわけです。やがて恨んでいることからも目を背けてしまいます。

だったらなぜその場で怒らないんでしょう。
怒れば相手を傷つけます。でもそれは、自分にだって悪い感情がでてるんだから、当たり前のことです。そうして初めて、自分の怒りの原因(プライドへの固執だとか、安全への過剰なこだわりから来る恐れとか)に目が向けられるようになります。
「子供みたい」「辛抱が足りない」っていう評判だって正当なものです。それを隠して世間様にはいい顔を見せたいと思う方が恐ろしいです。

だから、アル中さんが顔を真っ赤にして怒っていても、本当に目の前のことに対して怒っているのかは疑わしいのです。実はキリキリと巻かれたゼンマイが解き放たれているだけなのかもしれません。

自分は怒りをコントロールできているはずだと思っていれば、祈りだとか棚卸しのようなAAの道具を使ってみようとは思わないでしょう。で、ときどき爆発しては、相手に謝るのを埋め合わせだと思っているわけですな。まず自分に謝らなくちゃいけないのに。

いつもキリキリ巻かれたゼンマイを抱えてるひいらぎが言ってるんだから、間違いないって。


2006年08月30日(水) 八百万の死にざま

とりあえず朝起きて仕事に出かけたのですが、途中で機嫌気分が悪くなって戻ってきてしまいました。妻は不要になった子供服をリサイクルショップに持ち込んでいて不在でした。金にはならず、無料で引き取ってもらうのがせいぜいだったそうです。
これではいつまでたっても仕事上の信頼が・・という焦りもありますが、焦っても仕方ありますまい。

映画『八百万の死にざま』を見ました。

・マット・スカダーは車に乗らず、地下鉄とタクシーと徒歩で移動する。
・マット・スカダーは銃を持ち歩かない。
・マット・スカダーは女にはだらしがない。

そのような設定はどこかに消えてしまい、車を乗り回してカーチェイスを行い、銃をバコンバコン撃ちまくり、女には妙にストイックなヒーローになってました。
酒を飲むトラウマさえ、別の設定に変わってました。

推理小説ファンからはひどい評判をもらっていたので、余り期待していなかったのですが、まあ原作の雰囲気を期待しているとがっかりします。
じゃあ、つまんないかというと、そうでもなく、原作とはストーリィも登場人物も変わってしまってるので、「最後はどうなるのか」期待だけで終わりまで見てしまいました。

この映画、日本語版のDVDは未発売なので、VHSテープを探しました。しかしテープでも安いものが出ていなくて、正札1万何千円のままです。レンタルで借りようかとも思ったのですが、ヤフオクで落札しました。
届いた品物を見たら、レンタル落ちでした。こういうものを見ると、本当にレンタルショップで不要になって処分されたものか、それとも物故品なのか疑ってしまいます。テープならともかく、PDAとかノートパソコンとか、本体だけで充電器もなく(むろん保証書もなく)、届いたものを見るとシリアルナンバーのシールが剥がしてある・・なんてのは明らかに怪しいです。

物故品というのは隠語で「いわく付きの品」のことです。暗に盗品であることを示しますが、盗品故買は犯罪ですから、そうはハッキリ言いません。物故は人が死ぬという意味であり、ぶっ壊れた→物故割れたというシャレ?から「故障品」を示すこともあります。

ヤフオクが盗品現金化の一大市場になっているのは間違いないと思います。
2ちゃんねるとか、P2Pファイル交換ソフトとか、ヤフオクとか、怪しい部分を含んだものが流行るようであります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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