心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年08月28日(月) 感想

以前リサイクルショップで買った、hpプリンターのインクカートリッジ(ジャンク品)。いよいよ前のカートリッジが空になったので、ジャンクだけど使えるか使えないかドキドキしながら取り付けてみました。
結果はプリンターがエラーを出して使えませんでした。でもインク残量のインジケーターはフルになってるのに・・・。あちこち調べてみると、インクカートリッジにも賞味使用期限が設定してあり、あまり古いインクを取り付けると故障の原因になるので、拒否する機能があるんだとか。
ふと疑問、プリンターに時計積んでるのか? あいや、Windows側のドライバーがプリンターに日付を教えているのか。
カートリッジ代2千円は高い授業料でありました(まとめ買いしなくてよかった)。

amazonから本が届きました。『図表で学ぶアルコール依存症』(星和書店)。もし書店で実物を手にとって中を見れたなら、おそらく買いはしなかったでしょう。立ち読みすることなく買うamazonだからこそ、買ってしまう本があります。諦めるしかありません。

もう一冊、朝日新聞の書評の踊らされて買った本。『ママと踊ったワルツ』 (保険同人社)。アルコール依存症の母親を持った娘たちの癒しの物語と副題があります。中を開いてみると、活字が細かいです。老眼ではない僕にもちょっと辛いぐらい細かいのです。しかし、活字を大きくしたら、本が分厚くなって、値段も3千円越えてしまうでしょうか。

本の訳者はなんとなく覚えのなる名前でした。ああそうだ、JSOの所長だった山本さんです。略歴をみると、1999年までアルコホーリクス・アノニマスの日本ゼネラルサービスオフィスの所長を務め、AAの書籍の翻訳出版にも携わったと書かれています。
ええっ! 山本さんはAAのメンバーだったのに、履歴にそんなこと書いちゃっていいの? とびっくりしたのですが、よく考えたら山本さんはノン・アルコホーリクの職員だったのです。

AAは依存症本人だけの集まりです。しかし、そんな中にノン・アルコホーリクが混じるケースがふたつあります。ひとつは常任理事会のA類理事。これは正気の人間が必要なのと、実名で活動できる人間が必要(広報など)だからです。
もうひとつはオフィスの職員。オフィススタッフはアルコホーリクである必要は全然ありません。

A類理事は無給のボランティアですし、オフィススタッフの給与だって世間一般より高いとは言えません。そういう人たちにAAが報いることができるとすれば、経歴の一部にAAの名前を使っていただくことぐらいではないかと思います。


2006年08月26日(土) 降れば土砂降り

午後一時半まで寝ていました。
夕方も一時間ぐらい寝てから、シャワーを浴び、そして仲間のバースディミーティングにでかけました。

晴れていたはずですが、シャワーを浴びている最中に土砂降りになりました。ドライヤーで髪の毛を乾かしたつもりですが、戸口から車まで走る間にずぶぬれになってしまいました。
高速道路も視界40メートルほど。前の車のテールランプを追いかけているだけです。走るうちに、雷雨のエリアを突き抜けて、乾いた路面になりました。途中のパーキングエリアで、ラーメンを食べたのが夕食の代わりです。

この会場で1年のバースディミーティングをするのは、何年ぶりかが話題になりました。1年に達した人はいるものの、バースディミーティングはせずに過ごしたりしていたので、5年、いやもっとさかのぼらねばならないかもしれません。

ミーティングが終わって、ラーメンを食べに行こうという話になりました、さすがにそれは勘弁してもらって、メンバーとお茶しました。

ビッグブックを回復の中心に据えるという考え方は、今の日本のAAでは目新しい、異質なものと取られるのかもしれません。しかし、ビッグブックしかAAの本がなかった時代のやりかたを踏襲しているという意味では、革新的というより超保守的と呼ぶべきだと思います。


2006年08月25日(金) 勉強

仕事でセミナーに行きました。今回はお昼ご飯は自前でした。
そうそう free lunch にはありつけないということですね。

外へ出て歩いていても、うっすらと汗ばむぐらいで、日陰で風が通るところにいると涼しいです。やっと夏も終わりに向かいだしてくれました。お盆過ぎぐらいから、これぐらい涼しくなって欲しかったのですが・・・。
まだまだクーラーがありがたい季節は続きます。

教会の一室で汗を拭いながらミーティングをし、窓を開けているんで花火が始まると、うるさくて仲間の話が聞こえない。そんな経験をしたものですが、今月行った教会でのミーティングは、すべて空調が効いて快適でした。涼しい部屋の中で、花火を見ながら仲間の話を聞いていました。

最近「お願いの祈り」について、学びました。
お願いの祈りは、○○が欲しいという実に分かりやすい欲望を、神さまにお願いすることです。例えば、大学に合格したい、お金が欲しい、男が(女が)欲しい・・・。大人になっても、お願いはなくなりませんね。
でも、ただお願いするだけで、あとはサンタクロースがそれを届けてくれるのを待っているだけでは、欲しいものは手に入りません。それは、みんな分かっているわけです。
なので、「私も一生懸命努力しますから」という約束もついでにします。
しかし、努力をしたからといって、欲しいもの全部が手にはいるようには、世の中できていません。

人間の努力を越えた部分は、何か超越的な存在にお願いする。これは日本人がとても親しんできたやりかたです。赤ん坊が生まれればお宮参り、七五三、年が明ければ初詣、結婚する時も神さまの前。自分で何でもできると思っている人には、神さまも仏様も不要です。限界を知るからこそ、幸せをお願いするのでしょう。
人が亡くなった時も、お坊さんをお願いします。人知の及ばない、この世ならぬ場所での幸せをお願いします。
なるほど、日本人は超越的存在が大好きな民族なんでしょう。

大切なことは、努力して、そこから先は神さまにお願いして、やることはやったのだから、結果が悪くても恨まないという約束だそうです。

努力する約束・お任せする意志・恨まないという約束。この3つが揃って「お願いの祈り」として完成するというお話でした。

努力すると約束をしたものの、あんまり努力しない。中島らもに言わせれば、本来もっと努力できたはずと思うのは幻想で、そこまでしか努力できない能力の限界なんだそうです。そうかもしれません。
そうなると、かなり手前のとこから、お願いすることになります。

でも、恨まないという約束は、いつもできてない気がします。要するに自分は幼稚だってことなんでしょう。

努力できなかったことも後悔せず、欲しいものが手に入らなくても恨めしく思わないような人がいたら、その人にはお願いも超越的存在も不要なんでしょう。そんな人には会ったことありませんが。


2006年08月24日(木) 半日休み

朝起きると頭が重く感じました。目と肩が疲れている感じでした。
いきなり話が脱線しますが、肩が凝っていると思ってあんまや整体にかかると、実は一番凝っているのは背中だったり、腰だったり、足だったりします。自分のことを知るのは難しいことです。

仕事に行こうと思えば行けましたが、行っても中身のある仕事はできないでしょう。それでもパソコンのモニターを見つめている振りはしていないといけません。それが辛く感じられました。
半休をもらって、午後から仕事に行こうと決めました。子供たちは夏休みが終わり、妻も今日は医者へ行く日です。午前中は布団で寝ていようと思いました。
しかし僕の職場は9時にならないと誰も来ません。連絡を入れるまでは二度寝をするわけにもいきません。

寝ないように、ローレンス・ブロックの『八百万の死にざま』の続きを読みました。9時になって電話をすませ、さあ寝ようと思ったのですが、続きが気になって仕方ありません。お昼になる頃には数十ページを残し、後ろ髪を引かれる思いで仕事に出かける羽目になりました。

帰宅してから読了。続きの二冊と、アルコール関係の書籍二冊を注文しました。

he can be content as long as he plays well whatever life deals him.
人生は、どんなカードが配られても、楽しく遊べる限り満足できるものだ。

ピーター神父訳の12ステップの本をいただきました。味わい深い訳で、これが好きな人(ファン)がいるのも頷ける話です。


2006年08月22日(火) 健康診断

健康診断にいってきました。「生活習慣病予防診断」という名前が付いてます。
検便提出、採尿、視力、血圧、採血、聴力、問診、胸部レントゲン、心電図、胃カメラ、栄養指導。これで2万数千円。2/3は公費で、残りの1/3は個人負担ですが、これは会社が肩代わりしてくれます。
幸いなことに、りーまんをやっているこの十年余り、ほぼ毎年健康診断を受けています。残念なことに(いや幸いなことに、か)何か病気が見つかったことは一度もありません。ただ、一度胸部レントゲンで肺に影が写ったことがあり、念のため病院でCTスキャンを受けました。CTの結果を待つ間に、内科医に「タバコやめたほうが良いですよ」と強く勧められたのでした。なんか肺が病気だったらどうしようと、すっかり気弱になっていた僕は、言われるままに禁煙外来の診察予約をしてしまいました。
もちろん、CTの結果は問題なしでした。

前の日に問診票を書いていて、ふと検便を取っていないことに気が付きました。しかも容器は二日分もあります。うーん、ヴィレッジ安曇野に容器持参で行かなければならなかったのか。しかし、今さらこんな容器に出てきてもらっても困るのであります。どんなにがんばっても、出ないものは出ないし。
こういう場合に「出なかった」と言って提出しないでおこうとすると、「じゃあ出たら改めて持ってきなさい」と面倒なことを言われます。
自宅の近くならそれも良いのですが、なにせ会社よりさらに遠いところです。朝、仕事に遅刻した言い訳に、「検便出してきました」というのは、どうでありましょう。
最善の策は、容器に名前だけ書いて出してしまうことです。どうせ潜血の検査だけなんだから・・・。

結果は(γじゃないほうの)GPTが高かったです。酒をやめてすぐにγは下がり、高かったGOTも3年後には下がりました。その後肝臓の異常値はなかったのですが、昨年からGPTが高止まりです。
アルコールで弱った肝臓は、あたかも良くなったように見えても、服薬と労働という二重の負荷を課せば馬脚を現してしまうのでありましょうか。

去年は平常値だった中性脂肪が高くなっていました。「食べ過ぎに気をつけてください」と言われてしまいました。最近痩せてきてるんですけどと訴えてみたものの、栄養指導の看護婦さんは、「量は少なくても栄養過多ってことはありますから」とにべもないのでありました。

まあ、どちらも治療の必要はない程度の数字なので、来週には忘れてしまっているでしょうが。


2006年08月20日(日) 終わった

あいにく安曇野はこの夏一番の暑さでありました。

準備不足が祟って、どたばたの二日間でありました。
大量の汗をかいていました。暑かったのも理由かも知れませんが、館内は冷房が効いているのにであります。最近発汗量が増えたのかも知れません。
脱水症状を起こさないように、自動販売機のペットボトル飲料を買って飲んでいました。何本買ったか覚えていません。烏龍茶、炭酸ジュース、ミネラルウォーター、緑茶、スポーツドリンク・・・。
緊張していたのでしょう。でも、汗をかくほど緊張していても、それで物事がうまく運ぶわけでもありません。

あまりゆっくり話はできなかったのですが、それで構わないという気がします。
「共通の解決方法」という紐帯で結ばれているならば、多くの言葉を聞くことも、多くの言葉を話すこともオプションに過ぎないと思います。だから、残念だったとは思いません。

自分はまだまだ回復していない、というか「回復したいと望んでいない」部分がたっぷりあることに気付かされます。それで当たり前だという思いもあります。だって、なんとなく飲まないでいることが、これまで続いて来れてしまったのですから。
これまでの延長線上でいいじゃないか、それで大丈夫だと。今さら何を始める必要がある?

自分のことを考えている時は、その理屈はしごく真っ当に思えます。
しかし同じ事を誰かがしゃべっているのを聞くと、こいつは言い訳をしてやがると感じるわけです。まだ飲みたい人が「自分は酒をやめる必要がない。だってこれまでだって、自分は十分うまくやって来れたんだから」と言っているのと、同じ類の言い訳なのだと。
自分の理屈も言い訳に聞こえているでしょう。

自分が受け取りそこねている物を、誰かに贈り物として差し出すことはできない。実に耳の痛い話です。

今後もなかなか進歩はできないでしょうが、回復したいという願いは持ち続けたいです。それにしても「直感とか、虫の知らせ」ですか? うーん、それはちょっと馴染めないですねぇ(6章)。

ひとつ終われば、次の企画の話が始まっていますが、僕の役目は今回で一段落です。

来てくれた皆に感謝。


2006年08月18日(金) 養生

お昼まで寝ていたので、午後も遅くなってから眼科へでかけました。
緑内障がみつかったのは、ほんの偶然からでした。メガネを作り直しても、なかなかよく見えるようにならない時期がありました。視力の検査(レンズの選定)は、それまでメガネ屋でやってもらっていたのですが、そういう所で測っても不正確なんじゃないかと疑って、眼科で測ってもらうことにしたのでした。
検査だけしてもらって、メガネの処方箋をもらって帰るつもりだったのですが、診察室に呼ばれ、眼圧が高いから緑内障の疑いがあるから、視野検査を予約するように言われました。
視野検査をしてみると、視野の中に「見えない」部分があることがわかりました。完全に緑内障になっていたのです。それまで「見えない」ことすら気付いていなくて、ただなんとなく見えにくいのが加齢のせいだったら嫌だなと、思っていたくらいでした。

東京のアパートで連続飲酒をしている頃、いくら目をこすっても、部屋のカーテンの模様がぼやけてはっきり見えないことがありました。虫の行列が見えたり、ピンクの象が見えたりすることはなかったものの、物が変な風に見えることは珍しくなかったので、ぼやけたとしてもそれほど気になりませんでした。
思えばその頃、緑内障が進行していたのでしょう。アルコールの症状が激しかったので、それも異常だとは思わなかっただけの話です。

診断をもらってからは、2ヶ月に一回眼科に行って、眼圧を測り、目薬をもらって朝晩差しています。半年にいっぺん視野検査をして、病気が進行していないか確認しています。

緑内障も、他の多くの病気と同じように、元に戻す(治癒する)ことはできません。ただ、進行を食い止めることができるだけです。

はたして自分が受けている治療が、本当に意味があるのかどうかも分かりません。目薬を差すのをサボって、眼圧が高くなってくると、頭が痛くなったり、肩が凝ったりします。しかし、例え眼圧が低くても、頭痛や肩こりと無縁なわけじゃありません。

僕の緑内障が、飲んでいた頃から着々と進行して今の状態になったのか、それともあの頃に急速に進行して、その後はあまり進まずに来たのか、それも分かりません。もし後者だとすると、今の治療にはそれほど意味はないのかも知れません。
放っておいても、それほど進行しないというケースもあると聞きます。

しかし、治療を中断して確かめてみようとは思いませんね。運が悪ければ目が見えなくなります。治療に意味があるのかどうか、失明という代償を支払ってまで、確かめなくてはならないとは思いません。

「病気になって知る健康のありがたみ」という話は多くの人から聞きます。
失明してから目の見えるありがたみを知っても、後悔するばかりでしょう。
同じように再飲酒してからAAのありがたみを知る、ってことにはなりたくないです。人生の終わりに、「AAのために使った時間を、もっと他に使えば良かった」と後悔するかも知れません。しかし、精神病院の保護室で、「もっとAAに時間を使っていれば、ここにいなくて済んだのに」と後悔するのは、二度としたくないというだけのことです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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