心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2006年08月13日(日) 雑記

秋の資格試験の申し込みをしました。
参考書代もいれると、1万円以上かかっているので、これで受けに行かなかったら大損です。いや、過去には当日風邪をひいて行けなかったことも一度ありました。

今回受験する資格は、実は5年ほど前に一度取得しています。じゃあ、なんで再度取る必要があるのか。日進月歩のこの業界、試験の内容も毎年変わっていきます。それなのに(例えば)10年前に取った資格と、去年取った資格が同じ価値であっていいはずがない、という流れであります。
以前はそんなことは言いませんでした。しかし、資格受験者が減ってきたので、この試験を管理している団体(経産省の天下り先)が、突然「古い資格には意味がない」と言い出したわけです。その尻馬に乗っている自分であります(シリウマライダー)。

この業界の技術者であれば、この資格に仕事での意味が無いことは知っています。でも、技術者でない人が、技術者の技能を評価しなくちゃならない時に、資格の有無はひとつの判断基準になるという話であります。

「幸せが指針」ブータン
たとえば、日本の国勢調査に「あなたは今幸せですか?」という設問を設けたとしたら、とてもこんな数字にはならないでしょう。

空腹感が好みの女性のタイプを決める
腹が減ってくると「それどころ」じゃありません、僕の場合。
「女性は食欲が満たされると性欲は減退する」という話も出ています。そうか、食事を先に済ませるのは、デートの戦略としては失敗なのか。
光源氏も原作(?)ではでっぷりと太っているのに、現代の日本で描かれるのは・・・。

今年も、ペルセウス座流星群の時期がやってきました。いやもう極大は過ぎてますが。

月曜・火曜と実家に泊まってきます。パソコンは持って行きますが。


2006年08月12日(土) 花火

久しぶりに土曜日のAAミーティングに行きました。
ここのところ仕事が忙しく、いつものミーティングにも行けずじまいが多かったのですが、一段落付いたので「ミーティング数だけは帳尻あわせしておこう」と考えました。

ひさしぶりに見る仲間の顔もありました。土曜日に行っていなかったら、会えなかったかも知れません。

夏の間は、8時40分から20分間、湖面から花火が上がります。15日の夜はずっと盛大なのですが、すごく混むので見に行ったことはありません。ミーティングの終わりにささやかな20分の花火を見るだけです。

教会の表の階段に陣取って、花火を見上げていました。
そういえば、初めてAAにつながった年だったか、その次の年だったか、何年か先ゆく仲間と一緒に階段で花火を眺めた記憶があります。
何を話したのか、憶えていませんが、一緒に花火を見たことだけは良く憶えています。夏場に顔を合わせると、あの花火を一緒に見たことをお互いに思い出したりします。会う機会も少なくなりました。もとより、あの時、あそこで会ったのが、偶然を越えた何かだったのかも知れません。

日系ブラジル人の人たちが、教会のホールで集会をやっていました。おかげで、花火が終わっても、僕の車は駐車場から出せませんでした。ともかく集会が終わるまで待ってみることにしました。何しろ信徒の人たちは、教会を金銭的に支えています。僕らAAの人間は、その好意にあずかって、部屋を安く貸してもらっているわけであります。だから、あまり権利の主張をするのはどうかと思うのです。
集会が終わっても、出てきた人たちは、外で楽しげに談笑を続け、なかなか車を動かしてくれそうにありません。

仕方ないので、車をどかしてもらえませんか、と頼みに行きました。
リーダー役らしい女性の人が出てきて、どの車をどければいいか確認してくれました。
「教会の関係の人ですか?」と聞かれたので、「あの部屋を週2回お借りして、AAをやらせてもらってます」と言ってみたのですが、残念ながらその人はAAのことを知らないようでありました。
花火の間は、湖畔の駐車場が閉鎖されるので、教会の駐車場を無断利用する人がいます。そういう輩だと疑われたのかも知れません。
一緒にお菓子とお茶でもどうかと誘われたのですが、これから何か話を始めるにはあまりにも遅すぎたので、お断りして帰りました。

今月は、これでやっと3回目のミーティングであります。


2006年08月11日(金) 一緒にやること

ステップ12は「他の人と一緒にやること Working with others」であります。
もしAAプログラムが、本を読んで、それを実践することだけだったなら、おそらくAAミーティングは不要になるでしょう。一緒にやることは、AAプログラムの核心なんだと思います。

AAメンバーは、お互いに仲がよいから一緒にやっているわけじゃありません。一緒にやることがAAプログラムだからこそ、一緒にやっているのでしょう。一緒に活動していれば、いずれ信頼関係が生まれることもあります。が、それは結果です。
信頼できる人でなければ(尊敬できる人でなければ、安心できる人でなければ)、一緒にやれない、というのなら、自分の回復に自分で上限を決めているのでしょう。友人を選んでいるのとは、わけが違うのですから。

でも「こいつとは一緒にやれないな」と思う時も正直あります(しょっちゅう)。一緒にやることがストレスという感じです。そういう時に自分は、一緒に出来ない理由を「相手の性格的欠点が原因」という形で、相手に押しつけて終わりにすることも、ままあります。相手も霊的な病気なんだからと、祈って許してお終いってわけです。
でもよく考えれば、一緒に出来ないのは、自分に「一緒にやる能力が欠如している」ことが真の原因であって、それで良しとしていたら、やっぱり自分で回復の上限を決めていることになるのでしょう。

AAは上意下達の意志決定システムは持ちません。規則もありません。物事をひとつ決めるにも手間がかかります。そんな中で一緒にやるのは面倒です。相手の話に耳を傾けること、自分の意見が通らないからとスネないこと。そういうことが大切なのは、なにもAAに限りません。
面倒なことは嫌なので「自分一人でやり始める」人もいます。そういう人はAAの中で一匹狼になります。場合によっては、人を惹きつけて何人かの集まりになっていることもあるでしょう。
そういう人の話を聞くと、別に間違った話はしていないのであります。それどころか、たいてい「正しい」意見を持っています。そして、自分の正しい意見を曲げてまで、人と一緒にやるのは嫌だったのだろう、と僕には思えます。やっぱりそれも、「一緒にやる能力が欠如」なんでしょう。

正しいと言っても、それはその人の考える正しさにすぎません。もしくは、その人の仲良しの賛成できる正しさと言いましょうか。その正しさにこだわってしまうところに誤謬があるはずです。

最近、自分の力が及ぶ範囲のことだけやって満足している自分がいます。もっと「ままならないもの」とつきあわなければならないと思います。回復の上限を決めているのはたいてい自分自身なのでしょう。


2006年08月10日(木) occupied

心の家路のサイトを開設した時は、JANISという長野県の農協のやっているプロバイダーのサーバーにページを置いていました。そのうちJANISを解約することにしました。当然別のプロバイダーと契約したんですが、そこへ移転するというのはちょっとためらわれました。
そうやってプロバイダーを乗り換えるたびに、ページのURLも毎度変えていくのは、どんなもんだろう、と思ったわけです。

そこで、独自ドメインを取得しました。jpドメインは高かったので、ieji.com と ieji.org を取得しました。そのうち、ieji.org のほうは今でも使っていて、.com のほうは、一年でリリースしてしまいました。

なんで ieji.com を使わなかったのか。
ひとつには、「家路どっと混む」というと、なんだか満員の通勤電車を思い起こしてやな感じしたからです。もしくはお盆の高速道路とか。
もうひとつは .com ドメインは営利企業が使うドメインだという感覚がまだ残っていました。今ではそうした傾向はすっかり薄れていますが、会社でも結社でもない個人サイトが .com を名乗るのは気が引けたのです。

その後、ieji.com は空いていたのですが、先日「誰かが使っているのかなー」と確かめたら、こんな感じ になっていました。
意味のあるサイトではなく、たんにドメイン名を占有しているだけなんでしょう。
そして、そのドメイン名を使いたいという人が現れたら、高く売りつけるという商売だと思われます。

.com ドメインの占有はお金がかかるんじゃないの? と思われるかも知れません。けれど、悪名高き(つまり高い)Verisignでも、9年ぶん前払いすれば2万円ですみます。その9年の間に、そのドメインが欲しいといった人間が出てくればもうけものなんでしょう。

一応 .com ドメインも確保しておこうかと思ったのですが、法外な金を支払うつもりはありません。彼らがそれを手放した時のために、ドメインの予約は入れてありますが、需要があることを示しておけば、彼らも手放さないでしょう(商売のチャンスがあるわけだから)。

本名の名字+.com ドメインも、すぐに使わないドメインに金を払うのがもったいないと思って取らないでいたら、いつのまにか人に取られていました。.netも.orgもです。全部料亭ですが。仕方ないので、.name ドメインを占有することにしました(使わないのに)。だって、おなじ名字の人はたくさんいるんだから、という理屈です。


2006年08月09日(水) お金の話

精神病院への入院費用は、非常に大雑把に計算して、一日一万円というところでしょうか。30日だと30万円。自己負担分が3割だと、およそ9万円。これに食費がプラスされます。点滴だとか保護室を使うと、もっと高くなるはずですが。
収入にもよりますが、高額医療費の対象になるでしょう。

僕が入院した頃は本人負担率は1割でしたが、食費1万8千円が自己負担になっただけでも「高けーよ」と文句をたれていました。大体一月5万円ぐらいだったはずですが、貯金は底をついていて、払う金もなかったので、親に借りました。

退院した月は前の月働いてないので給料がありません。おまけに妻の妊娠がわかったりして、この先どうなっちゃうんだという心境でした。

「金がないんですよ〜」とスポンサーに相談したら、「家計簿を付けろ」というご託宣をいただきました。収入は増やせない、だから家計簿を付けて、無駄な出費を抑えろと言うわけです。

子供の頃からお小遣い帳すら満足に付けたことない僕が、毎日家計簿を付けました。
集計項目の中に、「AA関係の出費」という項目がありました。

たとえばAAミーティングへの往復のガソリン代、高速道路を使えばハイウェイカード代。会場献金。イベントの参加費用。宿泊費。それに交通費。
そういったものを合計すると、毎月4万円を越えていました。もちろん会場献金なんて、その一割以下です。

それが収入の何割だったかという数字は、ちょっと(情けなくて)ここには書けませんが、食費に次ぐ、いやときには食費より大きな項目でした。

「これさえ無ければねぇ」と文句を言われたものですが、僕にとっては必要欠くべからざる治療費でした。飲んでしまって、また入院することを考えれば、そう高くはない保険であります。

今、同じだけの時間と金銭をつぎ込もうとすれば、それは単なる横紙破りにしかならないでしょう。あの時だからこそ出来たのだと思っています。
将来時間とお金に余裕が出来たら、もっといろんなAAに行ってみたいという抱負を語る人は多いです。しかし実際にはそれは難しいようです。
あの時は貯金は出来なかったけれど、お金では買えないものをもらったのでしょう。その時の(霊的な)貯金を食いつぶして生きている。そんな気がします。


2006年08月08日(火) Restore us to sanity

2000年に行われた「12のステップ」の翻訳改訂。というか、ビッグブック全体の翻訳改訂があって、12のステップや12の伝統も、当然のように文言が変わりました。
それまで慣れ親しんでいた言葉が、いきなり変わったのですから、それに対する反応も強かったと記憶しています。

多く言われたことは、ステップ1の「生きていくことがどうにもならなくなった」が、「思い通りに生きていけなくなった」になった違和感でした。
ただ、僕はそれほど違和感は感じませんでした。life had become unmanageable 〜人生が・生活が unmanageable になっていたというのは、どうやっても据わりの良い日本語にはならないような気がします。
個人的には、生活がすっかり行き詰まっていたという感じであります。

それよりも、僕が違和感を感じたのは、ステップ2の「正気に戻してくれる」が「健康な心に戻してくれる」に変わったことでした。正気も健康な心も同じじゃないかと言われれば、確かにそうかもしれません。
正気でないといえば、狂気だということです。心が健康でないというなら、心が病気だってことでしょう。心の病気だって言われると、なんだかちょっと違う気がするのは、「狂気」のステップ2に親しんだからでしょうか。

例えば、努力することについてです。
一生懸命努力して、もうほとんど限界まで努力しているのに、不安でたまらないわけであります。もっと努力しなければ失敗してしまうのではないかと。別に失敗したっていいじゃないかという考えは浮かびません。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるように、どんなに努力しても失敗する時は失敗するのであります。正気の人間というのは、自分が失敗することもあることを受け入れています。限界があるということが分かっているから、失敗しても自分の価値が減らないことを知っています。
ところが、不安な人間は、失敗する自分を受け入れられないのです。自分は失敗しないはずの人間だし、失敗してはいけない人間だと思っています。失敗は自分の価値を台無しにしてしまうから、成功を自分に義務づけるのです。だから、どんなに努力しても満足できず、失敗におびえてなくちゃならないのです。
成功して初めて、自分は優れた人間だと証明できるわけです。なぜそんな証明をしなくちゃならないのか?

逆に、なんの努力もしなくても、人と同じものが手に入るはずだと信じていたりします。要するに自分は特別だと思っているわけです。ここでも、自分は人より優れているからという前提があります。

限界まで努力しているのに不安でたまらない。いつも息が詰りそう。苦しいのに、その生き方から抜け出せない。そういう生き方を僕はしてきたわけであります。それが狂気でなくてなんだというのでしょう。

無力を認めて酒さえやめれば、生活はふたたび manageable (管理できる・手に負える状態)になるはずでした。ところがやめてみても unmanageable なままでした。それは自分の考えが歪み、狂っていたからでした。
僕は自分の manager を手に入れる必要があったのです。
manager は、僕は人より優れていないこと、だからそれを証明する必要はないこと、人と同じように失敗すること、特別扱いは期待してはいけないことを、教えてくれました。それはたぶん、少しは正気に戻してくれたということでしょう。


2006年08月07日(月) 心の家路

人生は旅をしているのと似ているよ
迷ったり
誰かと一緒だったり
別れがあったり
それぞれ目的地は違うけど
終われば家に帰る

家路を辿りながら旅であった事を思い出す
・・・
楽しい思い出を思い出しながら帰るんだ
だからジェシィ
心配しなくて大丈夫

〜遠藤淑子『心の家路』より

ミーティングをご一緒したのは、この10年で2回だけでしたね。
あなたの心の家路の、安からんことを祈っています。


5月に更新するはずが、すっかり忘れていた 安曇野グループのミーティング会場変更

それと、こちらも5月にリンクするはずが、のばしのばしになっていました。
ぷみらさんの もう一つのブログ をリンク集に加えました。
It's strongly recommended.


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加