心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年07月25日(火) 不具・部落・子供

「宗教なくしては科学は不具であり、科学なくして宗教は盲目である」

というアインシュタインの警句をタイプしようとしたら、ATOKが「不具」を変換してくれませんでした。もちろん河豚(あまり食べたことがない)や不虞(≒不慮)とかは候補に出るんですが、不具は出ないのであります。

そういえば以前「気違い」も変換してくれませんでした。ためしに、めくら・つんぼ・おし・かたわを変換してみましたが、どれも辞書には入っていないようであります。べつにそんな言葉は使う予定はないのですが、意図的に排除されているような気がすると「すごく嫌な感じ」であります。

(これはきっと、ATOKには politically incorrect な言葉を排除するような設定があるに違いない)

そう思ったわけです。それが標準設定だというのは余計なお節介かも知れませんが、気に入らなければ設定を解除すればいいだけの話です。そして僕はATOKの設定を隅々まであたってみました。
が・・・、そんな設定はどこにもなかったのです。

要するに意図的に単語が排除されているわけで、「これだからATOKは、だめだめなんだよな」とつぶやいて、MS-IMEへと切り替えました。ところが、MS-IMEでも「不具」は変換してくれなかったのです。

別にどんな単語を使おうと勝手だと言っているわけではありません。何も考えずに言葉を使えば、時には人を深く傷つけることもあるのは承知です。言葉には責任が乗っかっていて、知らなかったからと言って免除になるわけじゃありません。
規制についても同じで、たいして考えずに規制を受け入れることは、相手に対する思いやりではなく、自己責任の放棄にすぎないわけで、決してほめられた話ではないでしょう。

新潟中越地震の時のテレビ中継で、被災者の人が自分の集落を指して「部落」という言葉を使っていたのですが、女性レポーターがそれをいちいち「集落」に置き換えているのは、滑稽としか言いようのない場面でした。まあ、ニュースは新潟だけに流れるわけじゃないですから。

生活の中で、部落を集落に言い換えることはありません。もちろん被差別部落のことは知っていますが、それがどこであるか知識も曖昧で、時々誰かの結婚のうわさ話で、年寄りが「昔はあそこへは嫁に行かなかったもんだが」と話すのを聞いて、昔あそこはそうだったんだ、と思うぐらいです。まあ県内、全国均一ではないでしょうが。
○○部落公民館という看板が、○○集落公民館という真新しいのに交換されたのを見るたびに、部落解放運動とはまったく関係のない、単なる税金の無駄遣いとしか思えないのであります。

子供は大人のお供じゃないから、子供は差別用語だとして、子どもと書き換える人もいるのだそうです。子供がATOKの辞書から消えたらさすがにちょっとなー。

病気だとか、障害だとか、出自だとか、そういう差別は言葉の問題じゃなくて、poor な心の問題なのに、言葉の問題にすり替えてしまうのは「臭い物には蓋」作戦。本質の問題を解決するのは面倒くさいので、なにか対策をしているふりをしてごまかす政治手法のようなものでしょう。


2006年07月23日(日) 死因

アメリカ政府の統計によれば、アメリカ国内では2002年に244万人が死亡しています。死因の順番に並べると、心臓(28.5%)・がん(22.8%)・脳血管(6.7%)・肺(5.1%)・事故(4.4%)、以下糖尿病、インフルエンザ、アルツハイマー、腎臓、敗血症、自殺、肝臓、高血圧、殺人、という順番になっています。
昨年はがんが心臓病を上回って、第一位になったというニュースもありました。

アルツハイマーによる死は、別の死因が付けられていることが多く、実際にはもっと割合が多いだろうという注釈がありました。
アルコール依存症という死因は挙げられていないのですが、アルツハイマーと同じことが言えるでしょう。依存症も死亡診断書に書かれる病名ではないわけです。

死因を別の角度から見た統計で、直接の死因となった病気に「なぜその死因にたどり着いたか」を研究したものもあります(こちらの数字は2000年)。
これも多い順に並べると、タバコ(18.1%)・栄養の偏りもしくは運動不足(16.6%)・アルコール乱用(3.5%)・細菌感染(3.1%)・有害物質(2.3%)、以下交通事故、武器による事件、性感染、薬物乱用と続きます。

アルコールの過剰摂取が3番目の死因と言われるのは、ここらへんが根拠でしょうか。alcoholsm is the 3rd great killer.

日本の統計を見てみましょう。第一位はがん(31.0%)、以下心臓(15.5%)・脳血管(13.3%)・肺(8.9%)・事故(3.9%)・自殺(3.0%)、老衰、腎臓、肝臓、糖尿病。
別の角度から見た統計は見つかりませんでした。

アメリカでの自殺率1.3%に対して、日本の3.0%は、いかにも高い気がします。

国別のアルコール消費量 の図を見ると、アルコール消費量の多い国(図でオレンジやピンクで塗ってある国)と、AAの活躍(?)している国とは、だいぶ重なるような気がします。


2006年07月21日(金) 優秀の証

ソフトウェアは「機能よりも思想が良くないと駄目だ」んだそうです。某作家の言葉だといいます。けれど、その例として「NetscapeがInetenet Explorerに敗れ、一太郎がWordに敗れた」という例を挙げるのはどんなもんでしょう。

個人的には一太郎はあまり好きではありません。それは「一太郎が優れていたから、数ある日本語ワープロソフトの中で生き残った」と宣伝していたことによります。それじゃあWordが市場を占めた今は、Wordのほうが優れたソフトだということになります。
一太郎は優れたソフトであります。ただ改良が進んだのは、マーケットシェアを奪って収益が安定してからのことで、良かったから選ばれたというのは因果関係が逆です。現在の一太郎はWordより優れたソフトだと思います。が、仕事で一太郎を使うことが許されなくなった現在、自宅でもWordを選ぶのは仕方ないことです。
「優れたものが勝ち残るとは限らない」
技術の世界ではよくそういうことを言います。

ウィルコム製のPHS W-ZERO3[es] の評価記事を読んでいました。
かな漢字変換エンジンに「ATOKを搭載して使いやすくなった」と書いてしまうと、シャープ製のエンジン「ケータイShoin」のほうが悪いという印象を与えかねません。シャープはこのメディアの大きな広告主だそうで、おかげで<奥歯に物が挟まったような>表現になってしまったのでしょう。
ケータイShoinといえば、誤動作の記事 が流れたばかりです。

SkypeがWi-Fi対応IP電話端末を販売
備忘のため。Skypeが無料でも、端末が2万円したんではなぁ。

航空写真リンク集

国土交通省国土計画局 国土画像情報
http://nlftp.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WF_AirTop.cgi?DT=n&IT=p

国土交通省国土地理院 空中写真サービス
http://mapbrowse.gsi.go.jp/Airphoto/

Yahoo!地図情報 - スクロール地図(ベータ版)
http://map.yahoo.co.jp/beta/

いくとこガイド
http://www.ikutoko.com/

東京空間遊歩人
http://tokio.decore.jp/

Google Map
http://maps.google.co.jp/


2006年07月20日(木) 疲労コンパイル中

いつもは30分か40分の道のりが、3時間もかかってしまいました。
(しかし、30分と40分では平均時速が33%も違うわけですな)。

「ルールはある。メンバーが酔っぱらってミーティングに来たときには、外へ出てもらったり、誰かに頼んで連れ出してもらったりする。しかし、翌日しらふでやってきたら、ちゃんと受け入れる」
〜AAの伝統が生まれるまで〜

酔っぱらいにミーティングを壊されることは、もちろん全体の福利にかなうことではなく、ミーティングから追い出すことが、すなわちAAから追い出すことを意味するわけでもありません。

僕も酔っぱらってミーティング行ったことが一度だけ有ります。その時は入れてもらいました。ただし、年配のAAメンバーに滅法叱られましたけど。結局入院するまで酒は止まらなかったのでありました。


2006年07月19日(水) 日常

出勤しようと高速の入り口まで言ったら、妙に混んでいました。
大型車同士が変な向きでぶつかっていました。そして、遠くから救急車のサイレンの音。「ああこれは、事故か」と思ってしばらく待つものの、いっこうに列が動く気配がありません。
見ると高速のゲートの上のランプは、全部赤く点灯しています。そして、通行止めの文字。事故が関係してるのではなく、どうやら雨のせいらしい。
諦めて市内へと戻り、一般道を通って会社に向かうことにしました。

携帯から会社へ電話してみるものの、誰も出ません。
ラジオをつけてみると、土石流のニュースをやっていました。この分だと、峠を越える一般道も通れるのかどうか。ラジオはなかなか交通情報を流してくれません。
携帯電話から道路交通情報センターに電話してみましたが、話し中でした。話し中というより網が輻輳しているような、いや輻輳を防ぐために網側で切断しているような、素早い切れ方でありました。みんな考えることは同じであります。自分だけ優先してつないでくれというわけにもいきません。
ともかく会社を目指して行ってみるしかありませんでした。

そのうち同僚から着信がありました。塩尻峠は通行止め、善知鳥峠に回ってみたけれど車列は動いていないという情報を伝えてくれました。お互い電波状態は悪くないはずなのに、ガガガとノイズは入るし、声も本人だかなんだか判らないぐらい歪んでいました。渋滞の中で皆が携帯を使っていたでしょう。CDMAは収容ユーザー数が増えるほど音が悪くなるというのは本当のようです。これからはドコモもソフトバンクもCDMAに移行するわけですな。

峠のこちら側に自宅のある社員で連絡を取り合った結果、ともかく高速道路の通行止めが解除されるまで自宅待機することにしました。

おそらく今日の代わりに、金曜日が出勤になるでしょう。すると金曜日に行くはずの医者に行く時間がなくなってしまいます。というわけで医者へ。2ヶ月あまりかけて、抗うつ薬をトレドミンに変更したのですが、結果は良いようです。まあ結論を出すには早すぎますね。

会社へ電話しても相変わらず誰も出ません。そのうち携帯に着信があって、今日は事業所全体(といっても6人しかいない)お休みという、本社部長の結論を伝えてくれました。

休みと決まったころから、雨は小やみになり、空も明るくなってきました。降り続いた雨も上がりましたが、前線が北上して梅雨明けに向かっているわけでなく、南下しただけなので、またぶり返すかも知れません。


2006年07月18日(火) すごい雨降りであります

「私はあなたの思っているような良い人間じゃない。本当の姿を知ったら、きっとあなたは私に幻滅して、嫌いになるだろう」

そんなふうに考えているとしたら、本当の自分は誰にも愛される価値はないと思っているのでしょう。だから良い面だけを見せるようにし、悪い面は見せない、そういう緊張の日々を送っているわけです。疲れるはずです。

その一方で、みんなから愛されたい、認められたい、受け入れられたいという願望も強いはずです。その願望は自然なことかも知れません。けれど、「例外なく誰からも」好かれたいと願うのは強迫観念です。
自分のことを考えてみればわかります。自分が「例外なく全員を」好きであるか、愛しているかと問いかければ、やっぱり嫌いな人間、愛せない相手もいるはずです。「すべての人を愛していると言える人がそれほど多くいるわけではない」とAAの本にも書かれています。だからこそ、博愛は美徳なのでしょうが。
ある人には自分の愛は与えずに、一方で全員から愛を受け取らないと気が済まない。もしくは自分のことを認めてくれない相手の存在が、気になって気になって仕方ない。見下されていると感じると、自分の価値がなくなっちゃうような気がする。
人間関係に悩んで仕事を変えたのに、新しい職場でまた人間関係に悩んでいたりする。どこへ行っても、どうしてもそりの合わないヤツが最低一人はいるような気がする。

10人いて、その10人全員から否定されたら、打ちひしがれない人はいないと思います。
でも10人いて、そのうち9人から認められたら、残りの一人がなんと言おうとも、おおよそ満足できる、それが多数決の論理です。
ところが、残りの一人に否定されただけで、9人の肯定がどこかに吹っ飛んでしまうとしたら、それはその一人の問題ではなく、自分の内面の問題です。身の回りの多くの人の愛を感じる能力を失ってしまっているのです。それは積極的な愛ではなく、消極的な肯定かも知れません。ともかく、それを感じられない、感じてもそれに価値を見いだせない。それよりも自分を否定する人間に、自分を認めさせようと躍起になって消耗しているわけです。

良い人間になろうという努力は必要だと思います。でも、その動機が「認められたい、尊敬されたい」というところから来ているなら、その努力は長続きしないでしょう。仮面をかぶる努力は、息が詰まるだけです。

自分で自分のことを愛していない、認めていない、尊敬してもいない、だからこそ人に完全に愛されねばならないのでしょう。自分ことを愛していない人間が、自力で自分を愛せるようになるのは、実に難しいことです。無条件で愛されることが、その近道なのでしょうが、無条件の愛を人に求めるのも病的であります。

生まれたときから変わらず自分を愛してくれている存在。自分がどんなにひどい状態だったときも、見捨てずにいてくれた存在。そして今後命ある限り一緒に歩んでいける存在。そういう人ならぬ存在に「気がつく」ことが、求められているような気がするのであります。


2006年07月17日(月) 権威というもの

医者には治せない病気というのがあります。
たとえば虫歯です。歯科医は虫歯の被害が広がらないように削り、その場所に補てつ物を入れるのであって、本来の歯を再生しているわけではありません。治療と言うよりは工芸であると、自嘲気味に語った歯医者がいました。
ともかく、人間の治癒能力は歯にはほとんど及ばない、その事実を歯科医も、患者も、「望ましくはないが変えられない事実」として受け入れています。たまに元の歯に戻せといって歯科医を困らせる患者もいるそうですが、それが出来る名医がいるなら僕もかかってみたいです。
それでも日本の歯科医療は進歩しているのであって、多くの国では、歯が痛んだら抜くしかないという治療が行われているわけであります。

依存症にも治癒はありません。
再び飲酒がコントロールできるようになったという話を聞かないこともありませんが、その人本来の寿命までほどほどに酒を飲んで生きた事例が十分な数が集まったという報告は、シルクワース博士の時代も現代にもありません。
元の状態に戻せと行って医者を困らせる人の数は、歯医者を困らせる人の数よりずっと多いでしょう。無論、それが出来る名医がいるなら、僕も一度はかかってみたいです。
依存症の回復は layman に任せられているのであります。

じゃあ依存症の治療に精神科医は不要かといえば、そんなことはないでしょう。
第一に、自助グループがすべての問題を解決できるわけではありません。
たとえば、(数を数えたわけじゃありませんが経験的に)依存症の人が別の精神疾患にかかっている割合は、世間の人と変わらないでしょう。依存の後遺症で一時的にうつが出ている人を除けば、おそらく1割ぐらいがうつであり、1%ぐらいが統合失調症であるはずです。こうした問題について、自助グループの方が精神科医より役に立つとは言えないでしょう。

第二に、医者の権威は layman にはないものです(あったらやだし)。
医者が「自助グループに通いなさい」と勧める以上に効果的なことはありません。これは逆のことを考えてみれば分かります。「自助グループなんか通ったって無駄ですよ、僕が治してあげますから」と言われた患者がどう感じるかです。

第三に、医者に名医とヤブがいて、はたまた患者一人一人と合う合わないの相性があるように、自助グループだって善し悪しがあるし、合う合わないもあります。だめな(と言って悪ければ合わない)自助グループに通うより、医者に通っていた方がよほど安定した断酒が続いている事例は、世の中には山ほどあるはずです。
それに自助グループのない地方も、日本にはずいぶんあります。

医者が不要だった人はたくさんいるでしょうが、だからみんなに医者が不要と言うことにはなりません。第一は常識の問題。第三は自助グループ側の質と量の問題。
でも、権威は医者だとか職業的カウンセラーに任せておいたほうが無難だと思いますね。

依存症者は権威に弱いというか、個人に惚れ込みやすいというか、個人崇拝が得意であります。人にコントロールされることは大嫌いなくせに、自分が尊敬している人の敷いたレールの上を喜んで走っていきます。自分で考えると不安でたまらないので、無闇な安心に浸っていたいのでしょう。
そうして最後には「信じていたのに裏切られた」と言って嘆くのであります。人に依存した自己責任なのに。
その点、良い専門家は過度な崇拝を適当に処置するすべを、経験によって知っている(はず)です。

話は変わって、マット・スカダーの四作目『暗闇にひと月』を読了しました。いよいよAAという単語がちらほら出てくる巻であります。
どうでもいいですが、巻末の解説文が7作目『慈悲深い死』の spoiler(ネタバレ)になっています。しかも spoiler warning もなしのネタバレのおかげで、解説全体の価値が台無しであります。国内の発表順ではなく、原作の発表順に読んでいる人間のことも考えていただきたい。
次はいよいよ五作目『八百万の死にざま』でありますが、たぶん来月でしょう。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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