心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年06月06日(火) 祈り

昨日は仕事を休んでしまったので、今日は仕方なく出て行きました。
高速道路を運転しながら、途中で帰りたくて帰りたくて仕方がありませんでした。
「はー、やだやだ」
そうは思うのですが、さすがに高速道路を途中で引き返すわけにも行きません。

こういう時はどうすればいいのだろう。と思って、ふと考えると、そうかお祈りをしてみればいいのだと気がつきました。

最初に思い浮かべたのは、同じグループの仲間の顔です。次は、毎朝の祈りの中で僕のことも祈ってくれていると言ってくれた仲間。だんだん仲間の顔を思い出していったので、近所のグループのメンバーだとか、県外のメンバーの顔も浮かんできました。
そういう人達の今日がソーバーであるように、平和であるように。
何十人か思い出すうちに、だんだん面倒くさくなってきました。
「はあ、祈るのも面倒くさい」
もう祈るのはやめだ。それよりも今日の仕事の段取りを考えよう。

あれ、さっきまで仕事のことを考えるだけでも嫌だったのに、どうしてこんなに変わるのでしょう。ひょっとして祈りの効果というヤツでしょうか。まあ半信半疑であります。

考えてみると、通勤の時間はいつもなんとなくぼんやり過ぎていきます。帰りは音楽を聴いてくることもあるのですが、朝はまさにぼうっと考え事をしていることが多いのです。
今度も思い出したらまた祈ってみようかしらん。
まあ、まだ習慣にはほど遠いです。


2006年06月04日(日) 28DAYS

かねてからの子供との約束通り、イチゴ狩りに行きました。
「30分食べ放題」と言われても、焼き肉やピザと違って、ここぞとばかりに食べまくるというわけにはいきません。途中でイチゴを見るのも嫌になってくるだけであります。
やっぱりイチゴは3〜4個を惜しみ惜しみ食べるのがいいようです。

たしか実家のじいさんの従姉妹の家でサクランボを作っていて、子供の頃は毎年そこからザルに一杯のサクランボをもらっていました。サクランボのほうがイチゴより飽きが来ないように思います。でも毎年最後は痛んで腐らせていたと記憶しています。今から考えると贅沢な話であります。
庭にサクランボの木を植えるの夢だと言いながら、いっこうに実現しません。

かねてからの懸念であった、サンドラ・ブロック主演の『28DAYS』のDVDを見ました。
姉の結婚式をめちゃくちゃにし、飲酒運転で事故を起こした主人公が、刑務所に4週間服役するか、それとも4週間依存症のリハビリ施設に行くか選択を迫られ、嫌々ながら施設へ入所する話であります。
最初は、「宗教まがいよ、ぜったい反抗してやる」なんて言ってるのですが、だんだん心を溶かしていくのであります。実は母親もアル中で、主人公が幼いうちに死んで施設で育ったとか、暗いバックグラウンドがあるのですが、そこはコメディ・ドラマですので、終始明るいのであります。

劇中劇として「サンタ・クルーズ」というソープオペラ(昼メロTV番組)がでてくるのですが、これが抱腹絶倒の怪作であります。実はDVDの特典映像としてこのソープオペラが二十数分ついています。主人公がなぜかギャンブル中毒だったり、薬の横流しあり、酒を止めたり飲んだり・・最後はモンティ・パイソンを彷彿とさせる出色の出来、要するにまじめなのが好きなお方にはとうてい承伏しかねる内容だというわけであります。

そのうちホームグループの本棚にいれておきますので。
次の目標は『失われた週末』。


2006年06月03日(土) コーヒー

自分の話ではなく、AAスポンサーの話を書くのはプライバシーの点から問題があるかな。まあ、もう時効にしてもらいましょう。

まだ僕がスポンサーと一緒にAAミーティングをやっていた頃でした。
アルコホーリクの奥さんだという人がミーティングにやって来ました。まだ長野にアラノンのない頃でした。医者からの紹介だったのか、保健所からの紹介だったのか、まあ珍しいことでした。
僕らはクローズドミーティングを急遽オープンに切り替えて(といっても、メンバーは3人しかいなかったので、それは暗黙の了解でしたが)、「かつてどのようであり、何が起きて、いまどうであるか」なるべくシンプルに話すことにしました。

ひとしきり分かち合いがあったあとで、話は雑談に切り替わっていました。
本人を連れてくるなら、できるだけ酒を切ってきて欲しいという話をしましたが、それはどうも望み薄でした。自力で酒が切れないのなら、やはり入院してもらうしかないのではないか。入院するんだったら、あの病院に3ヶ月くらい。自分も入院したことはあって、入院費は社保でこれぐらい・・・などという話をしました。

「お子さんはいるのですか?」という質問に対する答えは、小学校低学年の子供がいるという話でした。

ともかく奥さんだけでもここに通って、この病気がどんなものか知ってみたらどうでしょうか。というような締めくくりで、ミーティングは散会になりました。

スポンサーは自分で飲もうと思って持ってきた缶コーヒーを手にしていました。まだ口を開けていませんでした。そしてそれを、「これをお子さんにあげてください」とご婦人(奥さん)に手渡そうとしました。なにぶんにも田舎のことで、何かを手渡すことで好意を示すのは、ある意味当然のことでもありました。
が、ご婦人は困って僕のほうを見ました。

「○○○さん、子供は缶コーヒーを飲みませんよ」
そう言ったのですが、それでもコーヒーを渡そうとしています。一度おみやげに渡そうと決めたものは、相手が固辞しても簡単に諦めてはいけないのであります。

「小学生はコーヒーを飲みませんよ」
やっとその言葉が通じて、スポンサーも「あ、そうなのか、残念だな」とコーヒーを引っ込めました。
話はこれで終わりであります。

スポンサーにも子供はいるのであります。が、残念なことに一緒に暮らすことはできずにいるのでした。もし一緒に暮らせていたら、小学生が缶コーヒーを飲まないことを知らないわけはないでしょう。が、病気によって人生が大きく狂ってしまった・・それで当然知っているべきことを知らないできたのでしょう。

そうした経験と知識の欠落は、ふつうの社会だったらくすくす笑われる対象になるのかもしれません。が、僕らは(くすくす笑わないと言ったら嘘になるけど)、そうした欠落を笑いものにはせず、「うん、わかるわかる」と受け止めるのであります。
なぜなら、僕らの人生も病気によって多かれ少なかれ狂ってしまったのであり、その過程で当然積んでいるべき経験や、当然学んでいるべき知識を、身につけずにこの年になってしまったのだからです。

ミーティングで話すことだけじゃなくて、こうした前後の交流が、「経験と力と希望」を分かち合いにもなっていたと、今では思っています。


2006年06月02日(金) 予定

昨年の秋に妻が入院した時には、子供はジジババに預かってもらっていました。僕も、食事と洗濯と風呂はやっかいになっていました。

が、僕はAAミーティングに行くので、残業でなくても夜遅くなることがあります。残業で遅くなる時には電話を入れるのですが、ミーティングの時にはいちいち連絡はしません。
妻は、月曜日はここ、水曜日はここ、木曜日は時々ここ、とようなスケジュールを理解していてくれたので、それよかったのです。

が、ジジババはそんなわけにもいきません。
いろいろと行き違いがあったあげくに「予定表を出せ」ということになりました。
次の月一ヶ月のAAミーティング出席の予定をだすのであります。

そんなこと言ったって、メンタルなコンディションの悪い時にはミーティングを増やしたりするじゃないか・・・と思ったのですが、そういう理屈の通用する相手ではありません。
しかたないので、予定表を出して、その予定に沿ってミーティングに出ることにしました。

その習慣が妻が退院した後も続いています。
というわけで、6月の予定を書いているわけであります。
「面倒臭いなぁ、もっと勝手気ままにやらせてくれよ」というのが本心でありますが、まあ、仕方ありますまい。


2006年05月31日(水) 我慢比べ?

最初のころ、グループに人が集まらなくて、ミーティングが開けるか、開けてもちゃんと分かち合いに入れるかどうか微妙な状態が続いていたときは、心細いので「誰でもいいからウェルカム」という気分でありました。

たまたまミーティングをやっていた部屋の隣で「日本語教室」をやっていました。先生役は地元のカトリック教会の神父さんだと聞いていました。生徒は東南アジアや中南米の人が多かったのですが、もちろん中国の人もアメリカの人も東欧の人もいました。
そういう人が時々AAの会場の部屋に迷い込んできました。コーカソイド(白人)の夫妻が自信満々(という雰囲気)で入ってきたりすると、「すわ、こりゃ本場からメンバーが来たか」と思うのですが、すべて勘違いでありました。
外人でもいいから来てくれよ、という感じであります。

ところがしばらくして、メンバーが増えてくると、心に微妙(?)な変化が訪れます。
つまり、メンバーの中には僕とそりが合わない人も現れるわけです。まあ、しらふでは人と一緒に仲良くやっていくことができないのがアル中であり、そんな人たちが無理やりにでも顔をつき合わせて、ごりごり自我を削るのが自助グループでありましょう。
話がそれました。

まあ、「そりが合わない」というのはお上品な表現で、心の奥底では「気にくわねーヤツ、AAから出て行ってくれねーかな。それとも飲まねーかな」と思っているのが本当であります。
そうは言ってもたたき出すわけには行きません。そんなことをすれば自分のほうがたたき出される羽目になるでしょうし、酒の海に浮かんでいる救命ボートを揉め事でひっくり返すのは狂気の沙汰であります。しかたないので我慢するしかありません。

そのうち気に入らない相手が来なくなってしまうと、内心「勝った」とか思ったりなんかしまして。AAは来なくなった人をしつこく追い回したりしてはいけない、と教えられているの幸いに、「来なくなるのは本人の選択だものね」で記憶の片隅に片付けてしまうわけです。

ところが、すごい気に入らないと思っていた相手への評価が3年もたつとすっかり変わっている自分に気がつくことがあります。「くそ生意気だったくせに、いつの間にか信頼して任せられるやつになりやがって」と思うのであります。

優等生的にAAに取り組んでいる人であっても、義務的にAAに顔を出しているだけの人でも、どっちにしろ3年続くという人は少ないのであります。僕が誰かを好ましいと思っても、逆に好ましくないと思っても、どちらでも去っていく人は去っていきます。生き残った相手は、「信じて委ねて」を行動で示したからこそ、残ったのでありましょう。

最近では「気に入らない」と思う人に会うことは少なくなった(ゼロになったわけではない)のですが、そういうときには

「よし、こいつより先にAAから去ってたまるか」

と思うようにしています。
それは、正しい動機ではないのかもしれませんが、自分が長くAAにかかわっていける方向ですし、もし相手も長く居残ってくれるならば、何年か後には信頼を寄せる仲間がまた増えるはずであります。


2006年05月30日(火) 映画の話

仕事に追われているので、まったりと書く暇もなしであります。

というわけで、アルコール中毒の映画の話でも。

酒とバラの日々 - ジャック・レモン リー・レミック
名前だけは知っているという人も多いのでは。最初見たときは、最後涙がでてしまいました。

失われた週末 - ビリー・ワイルダー
これも有名なんでしょうが、まだ見ていません。

マイ・ネーム・イズ・ジョー - ケン・ローチ
amazonに商品なし。VHSのみ?
スポンサーシップってやっぱり大変なんだよね、という話。うまくいかないのもまた人生でなのか。

リービング・ラスベガス - ニコラス・ケイジ
車を運転しながら酒をラッパ飲みしているシーンが目に焼き付いて離れません。

28DAYS - サンドラ・ブロック
中間施設で過ごす4週間という話(らしい)。

男が女を愛する時 - アンディ・ガルシア, メグ・ライアン
これって最後はハッピーエンドでしょ。違う?

日本語になっていないものをamazon.comから。

Clean and Sober - Michael Keaton

Drunks - Richard Lewis (II)
すごい勧めてくれた人がいたので。

Shattered Spirits

My Name Is Bill W (Std Sub) (1989)
むろんビルの話。テレビ映画だったものの復刻版。

以下は薬物中毒の話(らしい)。

Requiem for a Dream - Ellen Burstyn
Fargo DVD - Joel & Ethan Coen
Dead Man Walking DVD - Sarandon/Penn/Prosky/Barry/Erm
Drugstore Cowboy DVD - Matt Dillon
The Boost DVD - James Woods

ちなみにアメリからかDVDを輸入しても、リージョンコードという再生制限があって、日本のDVDプレーヤーでは原則見られません。パソコンなら設定次第です。

ほかにもあったら教えてください。


2006年05月29日(月) 女も辛いけど、男も辛いのよ

DVDプレーヤーの中には、サンドラ・ブロック主演の「28DAYS」が入っているのですが、ゆっくり見ている暇がありません。うつで辛くて寝ていないときには、そのぶん遅れた仕事に追いまくられています。

帰ってくると、子供も妻も寝ています。今朝は僕が遅く起きたので、子供達はもう学校に行った後でした。というわけで、まったく会話をしていません。
これが、子供がまだ寝ているうちに仕事に行き、帰ってくるともう寝ているという日々が続くと、さすがに精神的に滅入って「俺は何をやっているんだろう」という気分になりますが、朝遅いぶんだけ多少楽であります。

マット・スカダーの『一ドル銀貨の遺言』もちっとも読み進みません。

映画の登場人物が酒を飲んでいても、小説の主人公が酒を飲んでも、さすがに自分が酒を飲みたいとは思わなくなりました。
でも、最初の頃は違いました。当時、池波正太郎の鬼兵犯禍町鬼平犯科帳を呼んでいたのですが、鬼平が実に良く酒を飲むのですな。なにか人と話があると元密偵のやっている鶏料理屋なんかに入って、昼だろうが夜だろうが飲んじゃっているわけであります。用がなくても一杯やって暇つぶししているのです。鬼平ってつくづく幸せなやつだなぁと、うらやましくなって、自分も飲みたくなるのでありました。おかげで20巻ちょっと先までしか読んでいません。

年月は酒を人から遠ざけるのでしょう。それはAAのプログラムうんぬんではなく、ともかく飲まないでいれば、酒とは縁遠くなるものだと思います。

しかしながら安全圏に逃げ込んだつもりでいても、また一杯飲んでしまえば、心がどうであろうと、体が次の酒を要求する圧倒的な飲酒欲求に捕まることも確かなのでしょう。

酒を求めなくなっても、酔いを求めなくなるわけではない、というのが病気の本質だと思っています。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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