心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2006年04月10日(月) 禁酒は不健康なのか

適度な飲酒の健康効果に疑問

ネタがないときはニュースを取り上げるのであります。

まったくお酒を飲まないよりも、少々飲んだほうが長生きするというのが、定説であります。
もちろん飲みすぎは体によくないわけでありますが、適度ならばよろしいと言うことでしょう。
が、それも迷信(かもしれない)という記事であります。

飲酒習慣と健康状態の関係を調べる疫学調査というのはたくさんあるわけです。
たとえば最近では、少々お酒をたしなむ人のほうが、まったく飲まない人よりも自殺率が低いという調査結果が記事になっていました。
しかし、そうした疫学調査を54調べてみたところ、長期間飲酒していない人を「非飲酒群」とした調査は7つに過ぎなかったというわけです。

逆に言えば、そのほかの調査では、短期間しか断酒・禁酒していない人も「非飲酒群」に含めていたわけです。短期間しか止めていない人には、老齢で健康が衰えて酒を慎んでいる人とか、薬を飲んでいるせいで酒が飲めない人とか、虚弱体質の人とか、ようするに健康に何らかの問題を抱えた人が多い可能性があるということです。
健康上の理由で禁酒している人が混じっている群のほうが、健康的に飲酒している群よりも、長生きするとか、病気の罹患率が低いとか、自殺率が低いのは「当然のこと」であるかもしれません。

長期間飲酒していない人のみを「非飲酒群」とした7つの調査では、非飲酒群と適正飲酒群の間に死亡リスクの差はなかったともあります。

ただし7つの調査だけでは、「適正飲酒は健康にいい=酒は百薬の長」を否定するには、数が十分でないともあるわけです。

ちなみに、ある研究者の話では、「百薬の長と言えるぐらいの適切な飲酒量とは、毎日飲むのだったら日本酒0.5合まで」だそうであります。
もちろん酒造業者御用達の研究者たちは、もっと景気のいい数字を出してくるわけですが。

まあ、酒もたばこも(ギャンブルも)やらずに長生きするよりも、楽しく生きたほうがいいというのなら、それも人生の選択でありましょう。楽しいならね。


2006年04月09日(日) debut

昨日のことになりますが、初めて娘たちをAAのイベントに連れて行きました。
最初は一人で出かけるつもりでいたのです。
最近AAで出かけていることが多かったし、日曜(今日)もでかける予定だったので、「どこかへ連れて行ってくれ」という要求を無視するのは難しかったのです。
「じゃあ、パパと一緒に来るか」という無茶な質問に、「行く」という返事が返ってくるとは思いませんでした。

会場にはすこし顔を出しただけで、あとは会場施設である「少年自然の家」の周辺で親子3人遊んでいました。遊んでいるだけだったら、別に隣県まで出かけなくても良かったかも知れません。

見知った顔には挨拶ができました。この人と初めてあった時は、まだこの子はお腹の中だったんだな、と思うと感慨深いです。

子供たちのAAの感想は、「おじさんたちが集まってお話を聞いているところ」だそうです。

子供の相手をしてくれた仲間、ありがとう。


2006年04月08日(土) 幸せ

満たされない。と不満を言うよりも、満たして欲しいと願うことのできる自分に幸せを感じたいと思う。

僕は欠点の多い人間であります。
その欠点を一生懸命隠して生きていこうとしているのです。
だが、悲しいかなそうした欠点は、よろいの隙間からちゃんと見えてしまっていたに違いありません。
いままでも、ずっと。今も。これからも、ずっと。
そのことを考えると、ちょっと切ないです。

が、自分では必死で隠していた(つもりでいた)欠点が(ずっと)見えていたにもかかわらず、僕の周りにいる人は、僕に対して相当な尊敬と愛情を示してくれていたのであります。

これを見せてしまっては、もう二度と人の尊敬を勝ち得ることなどないに違いない・・・そういう恐れが常につきまとっていたわけです。知られまい、知られまいと思えば、自分を良く見せようと必死になります。実際よりよく見せようと思えば、人は高慢になります。
高慢は人を傷つけるから罪なのでしょうか。
そうかもしれません。しかし高慢は何より自分を苦しめます。

「愛されたい」と思うからこそ虚飾を施すのです。でも、飾るほど、今自分が受け取っている尊敬と愛情を感じることができなくなります。愛されない、尊敬されない自分には価値がないと感じるので、余計に飾るようになって、あとは無限の悪循環です。

いま受け取っている尊敬と愛情を信じることが「少し」でもできれば、今は感じることのできない「残り」を感じることができるのでしょう。

自分はもっと愛される人間だ、もっと尊敬されてるべき人間だという考えは、「気取り」なのだそうです。自分は愛されていない、尊敬されていないと感じるのも「気取り」でしょう。自分はくだらない人間で、愛されるべき人間でも、尊敬されるべき人間でもないと感じるのは、一見謙遜であるようで、実は高慢と少しの違いもありません。心の底では、愛されたい、尊敬されたいと叫んでいるのですから。

今受け取っている愛情を信じるのではなく、求めるだけの愛を得られた時だけ幸せになれるという考えは、人が陥りやすい罠なのでしょう。
よろいの隙間から、つまらない、くだらない自分が見えていたにもかかわらず、自分の予想を超えるものを受け取っていたのです。

「満たされたい」という願望そのものを否定したくはありません。ただ、満たされないから苦しいのではなく、気取って自分の首を絞めているから苦しいのであって、そういうのはやめたいなあ、と思うのであります。

そう思うだけであって、そういう自分になれるかは別問題ですが。
こういう神妙な文章を書いている時は、人に言えないことで悩んでいるだけだったりして。

ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか。ニ・ニ・ニーチェかサルトルか。と歌っていたのは野坂昭如かな。


2006年04月07日(金) 季節の経過

レスリンの量を半分に減らして3週間近くが経ちました。
鼻が詰まって息苦しいのは軽減されてきました。
やっぱりレスリンの副作用だったのか、それとも花粉の季節が私の体の上を通り過ぎていったのか・・・。
でも、最近なんだかうつっぽいです(いつもか)。
それはレスリンの量が減ったからかも知れませんし、単に波なのかもしれません。
本を読む気になれません。眠れません(夜は)。そして昼間は眠いです。ねむねむ。

関係ないですが、ねむの木は「合歓」と書くのですね。
ゴーカンの木と読んで笑われた記憶があります。
閑話休題。

レスリンは抗うつ剤ですが、抗不安効果もあって、飲むとちょっと心が落ち着きます。
そういうものとお別れするのはちょっと、いや「ちょっと」どころじゃなくて、ずいぶん淋しいです。薬と別れるのが淋しいところがアルコホーリクですな。

今日は仕事がお休みの日でした。
お昼ご飯を食べると、いろいろ妻に説明するのが面倒だったので、「オートバックスに行ってオイルを変えてきます」と言って出かけました。
オートバックスに行ったのは4時半でした。別に何時までにオートバックスに着くという目標を設定していたわけではないし、夕方までに交換が終わればマーモンタイ(無問題)であります。
前回オイルを交換したのが、昨年7月の車検の時です。あれから9ヶ月。走行距離も1万数千キロになりました。
僕が車に乗りだした頃は、オイルといえば安いのがSEとかSF、高いのがSGとかSHでした(E・F・G・・とアルファベット順にグレードが上がる)。現在店頭に並んでいるのはSLとかSMとかです。高いオイルを入れる意味はない、安いオイルを頻繁に交換するのが得策・・・と言いながら9ヶ月であります。

4リットル缶ふたつと、オイルフィルター、それと工賃で6千円でした。
毎回思うのは、なぜ4リットル缶しかないのだろうという疑問です。僕の車はオイルフィルターまで一緒に交換するとオイルが6リットル必要です。4リットル缶ひとつでは足りないので、ふたつ買うことになります。そうすると必然的に2リットル余るのです。
余ったオイルは「持って帰りますか」と聞かれるのですが、持って帰っても使ったことはほとんどありません。次に持ってきても、古いのと混ぜるとダメだと言われます。
必然的に、持って帰らずに処分してもらうことになります。
店の方では余ったオイルを次の客に使・・・ったりはしないで、まじめに処分しているのでしょう。
つくづく資源の無駄遣いであり、お財布にも優しくありません。
ディーラーで換えれば、資源の無駄遣いはなくなりますが、お財布にはもっと優しくないし。
え? 自分で交換すればいい? ジャッキとかオイルパンとかいろいろ物いりじゃないですか。

一時間ほど待っているとオイル交換も終わり、出発から5時間後に帰宅した僕を、妻は「なんだかずいぶん遅かったわね」という言葉で出迎えたのでありました。

「うん、今日はメカニックの数が足りなくて、店が混んでいたのだ」

そういう嘘がしれっと出てくる自分がなんだか情けないです。

夕方からPTAの集会。父親は自分一人であります。完全に周囲から浮いています。でも良くしたもので、AAの仲間には同じような経験を持つパパも僕の近くに配置されているのであります。それを偶然と片づけてしまうのも自由ですし、なにか大きな存在が自分に優しくしてくれているのだと考えるのも自由であります。


2006年04月05日(水) まさかこんなものを偽造するとは

精神障害者手帳偽造容疑で男逮捕

いつの間にか「心の家路」も5年目に入りました。ホームページ下部のカウンターも10万を超えています(キリ番とかやらなかったなぁ)。

障害者手帳をもらったのは、すでにこの雑記を書き始めてからだと記憶しています。申請には診断書が必要だったのですが、手帳をもらえば通院医療費公費負担(いまは名前は変わりましたが)の申請に診断書が要らなくなるので、診断書代は損にはなりません。
手帳の発行は都道府県の事務なので、県によって多少差が出てしまうようです。アルコール依存症で手帳をもらったという話も聞きましたし、依存症ではもらえなくてうつ病でもらったという話も聞きました。
手帳の発行実績としては2級がダントツで多いそうです。これは生活保護費の障害者加算を得るためには2級が必要(3級だと取得する意味が無い)ということと関係がありそうです。

身体障害者手帳や療育手帳と違って、精神障害者保健福祉手帳には、人に「ちょっとうらやましいかも」と思わせるほどのメリットはないと思います。交通機関の割引きを受けられるわけでもなく、NHK料金を値引いてもらえるわけでもありません。(ただ、地方によっては独自の施策があり、例えば東京都では都営地下鉄・都バスが無料になります)。
給与所得者だと所得税・住民税の控除ぐらいでしょうか(これは勤務先に知られてしまうので、休職した去年初めて使いました)。あと、携帯電話の割引きと(これが一番大きいかな)、NTTの104が無料になるぐらいでしょう。
僕の住んでいる市だと、市民プールや市の美術館が無料になるのは少しうれしいかもです。

そんな感じで、持っているデメリットも無いけど、大してメリットも無く、誰もそんなものを偽造するとは思いもしませんでした。それはトバシ携帯の契約に使うとは・・・。確かに顔写真は貼り付けてないわけですが。

他の手帳にある顔写真が無いのは、この手帳の制定当時に精神疾患の患者会や家族会がプライバシー保護のために反対したのだそうです。その気持ちもわからなくもないですが、そのおかげでJRが「本人以外に悪用される可能性がある」という理由で割引きの適用を拒否しました。そして、高速道路も飛行機会社もNHKも、JRに倣ったというわけです(なんでNHKまで)。

お札や運転免許証、パスポートなどは紫外線をあてると光る塗料が塗られています。これは顔写真を貼り付けても偽造がなくなりはしない根拠のような気もします。ただ、空港のパスポートコントロールならいざしらず、一般店舗でブラックライトを使って真贋判定をのんびりやっているわけにもいないのでしょうから、不可視インクは意味がなさそうです。

さて、こうなるといずれ精神障害の手帳も顔写真入りになるのでしょう。そうなった暁にはJRも割引きをするようになるかもしれないし、ならないのかもしれません。

ともかく、生物学的には障害が重いほど数がまれになるのが自然で、等級が軽いほど手帳の保持者が増えるのが自然でありましょう。3級よりも2級の所持者が圧倒的に多いという事実が、この制度のひずみを示しているように思われます。


2006年04月04日(火) 諸事

仲間のバースディ・ミーティングに行ってきました。
ビーナスラインから白樺湖へ、さらに女神湖へと向かいました。
蓼科山の山容が残照を浴びて、薄明の空に浮かび上がっていました。美しいというより恐ろしさを感じさせる風景でした。初めて行った女神湖ですが、左に眺めるだけでアクセルを踏み込みます。峠を過ぎると、右に佐久の市街の夜景が広がっていました。それを右に見て、ひたすら北へ。
意外に多くの仲間が集まっていて驚きました。彼もここでミーティングを始めて5年。その努力には頭が下がります。初めてミーティング場を持ったときに、スポンサーから「5年は続けろよ」と言われたことを思い出します。たった数ヶ月のソーバーの人間に、5年は遠い遠い未来であります。でも1年持たないのじゃないかと言われた僕が、ともかく飲まないでいられたのは、スポンサーのきびしい提案のおかげでしょう。

3月上旬に取り上げたOrigamiことUMPCが9万9800円で発売になりました。10万円を切る価格に「がんばった」という声が出ていますが、もう少しがんばって欲しかったです。
この値段の中にはOfficeとかのソフトの値段は入っていないわけで、2台目のノートPCとして使うには、相当の出費を強いられそうです。
東芝Dynabookの初号機を買ったときの感動や、WorkPadを手にしたときの感激のように、「小さくてもすごそう」と感じさせるものがいま一歩ありません。でも、今後バッテリーの駆動時間が延びたり、ワンセグが見られるようになったり、ナビゲーションが可能になったりすれば、面白くなるかもしれません。

iTMSで買った曲を、CDに焼いて聴いてみました。同じ曲をCDで買ったものと比べてみると、AACでの劣化が分かります。CDと同じ音質を期待しても無理であります。が、これは比べるから分かるのであって、別に悪い音でもなく、最初からiTMSで買えば「そういう音」だとしか思わないのでしょう。

iTMSでアルバムを1枚買うとします。そうするとそれをCDに焼くことになるでしょう。CDを買ったのならCDは譲渡できますが、iTMSでアルバムを買っても焼いたCDは古本屋には売れません。
それはともかくアルバムをCDに焼くと、CDにレーベル印刷をしたり、ケースの表紙を印刷したりしたくなるものです。
CDのレーベル面は、1万6千円ぐらいのプリンターで印刷することが出来ます。というわけでプリンター買い換えになりそうです(iTMS泥沼ともいう)。


2006年04月03日(月) ひいらぎの半分は何でできている?

ノートパソコンのハードディスクを入れ替えました。
このノートPCは2000年のモデルを翌年にアウトレットで買ったものです。(なので、標準搭載のOSはWindows 98SEだったり)。

よく5年も壊れずにもったものだと思いますが、さすがに昨今の高性能PCと比べると遅さが際立ってきました。でも買い換える余裕はありません。もはや仕事では使わなくなっているので、20万近く出して新しいPCを買う言い訳がありません。
今年の正月には、液晶が写らなくなりました。あわてて上半身だけ中古部品を買いました。もうパソコン全体でも2〜3万円ぐらいの相場なので、上半身だけだと1万円しません。が、分解してみたらただの接触不良だったので、手に入れた部品はすぐに売り払ってしまいました。
が、1ヵ月後にまた液晶が写らなくなり、また上半身だけ手に入れて、今度は交換しました。

記憶装置であるハードディスクドライブは、中で円盤が回っています。その円盤を受け止めている軸受けは、以前はボールベアリング、現在は流体軸受けが主流です。流体軸受けの良いところは音が静かなところです。ボールベアリングも悪いとは言いません・・が、さすがにボールとボールが接触しているので、磨耗して玉が小さくなると、軸受けから音がするようになります。
その音がだんだんうるさくなって、ある日「ガガガ」という大音響とともにハードディスクがお亡くなりになる・・・というのがパターンであります。ま、普通そこまで使い込まないでしょうが。

夜中にノートPCを使っていると、ディスクの音が気になるぐらいになって、もうずいぶん時間がたちました。電源を切り忘れて寝てしまうと、夜中にディスクの回転音がうるさくて目が覚めてしまうこともありました。
こいつは古いからボールベアリングです。そろそろ寿命を感じさせます。先延ばしにしてきたのですが、ノートパソコン全体を買い換えるほどの(我が家の)経済復興はまだ先のようです。あきらめてドライブだけ買い換えたのでありました。送料込みで14,000円でした。

新しいハードディスクは速いです。Windowsの起動時間が2/3になりました。

話は変わって、最近成分解析というソフトが人気であるようです。ためしに「ひいらぎ」の成分を解析してみました。

ひいらぎの成分解析結果 :

ひいらぎの28%はむなしさで出来ています。
ひいらぎの27%は食塩で出来ています。
ひいらぎの24%は大人の都合で出来ています。
ひいらぎの13%は黒インクで出来ています。
ひいらぎの6%はやらしさで出来ています。
ひいらぎの2%は税金で出来ています。

会社の同僚を解析したら、59%が毒電波でできていました。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加