心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年01月04日(水) 勘違い

子供たちはまだババとそりで遊んでいたかったようなので、一足先に自分だけ実家から帰ってまいりました。

3日と4日に配達された年賀状を見ているうちにびっくりしました。死んだはずの人から年賀状が来ていたからです。確かにこの人の家族から年賀欠礼のはがきをもらったはずなのに・・・。年末に人が亡くなった場合には、故人が先に出しておいた年賀状が配達されるという話は聞いたことがあるものの、欠礼のはがきに書かれていたのは春先の月でした。
そういえば、同じ県で、同じ月に、別の仲間が亡くなっています。はたして奇なる偶然かと思っていましたが、ひょっとして僕の勘違い・・・? でも年賀欠礼のはがきは2枚あったはず・・・。いや、2枚同時に見た覚えはないなぁ。
常識的に考えて、もっともプロバブルな可能性は「僕の勘違い」でしょう。なんだか違うパラレルワールドに迷い込んでしまったようなめまいを感じましたが、僕は自分が激しく勘違いをしていた場合には、「自分は違う可能性が起った時空世界へと迷い込んでしまったのでは」という感慨を常に抱くのであります。
変な噂を流した張本人になってる可能性もあるので、とりあえず急いで用意した年賀状にお詫びを書いておきました。いやはや。おいらは大馬鹿者であります。

郵便局と銀行に寄ってから、ウィルコム(PHS会社)のサービス店へ。本来、僕のデータ通信用のPHSを、(いつもは使っていないからという理由で)、妻に持っていてもらっています。しかし、今回実家に帰るにあたって「使うから」という理由でそれを取上げていったところ、いたくご不満のようでありました。まあ「自分のものだと思っている」PHSが手元になくなれば、面白くないのかも知れません。
そこで、新たにデータ通信用のカード型のPHSを契約するために店舗に持ち込んだのでした。
料金プランは Two LINK DATA という通信先の限定されるもので、そのかわり月の基本料金は980円ですみます。すでに妻用と子供用に合わせて2本PHSを契約している僕は、200円の複数回線割引が効くので780円ですむわけです。
これで、妻のPHSを 定額プラン にしてしまえば、妻のEメール料金に頭を悩ませる必要もなくなるというわけです。

申し込みを済ませ、最近のウィルコムは加入者増で待ち時間が長いので、医者に行ってくることにしました。久しぶりに来た平日昼間の精神科のクリニックは混み合っていました。
やっと夕方になって、サービス店に戻ってみると、「お客様の持ち込まれた端末では、現在Two LINK DATAの料金コースをお選びできません」と断られてしまいました。そんなはずはないから確認してくれと頼んだのですが、どうも押し問答になりそうな気配です。
新しい端末を買えば済むことなのですが、なにも余計な出費をしてまでPHSを1回線増やす必要も感じません。とりあえずその場は諦めて店を出ました。

自宅に帰ってウィルコムのサービスセンターに電話をかけて聞いてみました。案の定古い機種だからといって、料金プランの申し込みを制限していたりはしないそうです。
先ほどのサービス店に電話をかけて、ウィルコムのサポートではこう言っているが、実際のところはどうなんだという話をしました。

1時間後、折り返しの電話がかかってきて、先ほどの話はすべて「申し込みを受け付けるセンターのオペレーター嬢の勘違い」だそうでした。平謝りする相手に、「人間誰しも勘違いはありますから」と言うのが精一杯でした。
というわけで、契約は後日になりました。

バックライトの切れたノートパソコンは、上半身(ふたの部分)の部品が8,900円で手に入りました。これで直ればしめたものであります。


2006年01月03日(火) 就学援助

起きてみるとそとは雪でした。
子供たちは母と一緒に雪かきをし、発泡スチロールの板で雪滑りを楽しんでいたようです。しかしそれでは、あまり滑らないと言うことで、午後から近くのショッピングセンターにそりを買いに行きました。
先日から僕が着ているAAのロゴマーク入りの上着ですが、母に言わせると「みっともない」ということで、そりのついでにフリースの上着を買いました。すでに冬物は処分価格になっていて、3,000円の3割引。さらに5%の値引き券を使いました。
「衣料品が安くなったねぇ」という驚きと、安いものだけでなくかなり高価なものまで中国製になったことで時代の経過を感じました。そして「これでは日本に仕事が無くなるわけだよ」といういつもの結論へと導かれてしまうのでありました。

そりは快調で、普段は平地に住んでいる子供たちも、坂のある暮らしを楽しみました。「坂のところに住んでいていいこともあるもんだね」と母は言っていました。そりは千円余りの安物だったのですが、使い始めて早々にブレーキ(そんなものが付いているのだ)の取り付けの部分が壊れてしまいました。

話は変わって、「就学援助」というのをご存じでありましょうか。
低所得者、いわゆる生活保護家庭と、収入がそれに準ずる家庭(所得税を納めない来年の僕の家庭も含まれる)に対して、小中学生の子供の学用品や給食費を公費で援助するという制度です。保護者に渡すと他のことに使ってしまうので、学校に渡されて鉛筆やノートなどの現物支給というかたちになります。修学旅行の費用なども出るという話であります。
所得税を納めないのは来年一年きりにしようという願いがあるのと、もし我が家で申請しても、他の子供がもらっていないのになぜもらえるのかということの説明がやっかいなので、申請はしないつもりでおります。
で、今朝の朝刊ですが、
就学援助4年で4割増 給食費など東京・大阪4人に1人
というのを読んですこし驚きました。
ひと月に何万円という塾の費用を払って勉強させている家庭もある一方で、就学援助を受けている家庭がそんなにも増えているとは思わなかったからです。

自己責任・能力主義、そういうキーワードで経済生活が語られることが増えた10年ですが、その結果として「子供は人生の最高のぜいたく品」になってしまったのかもしれません。今頃になってつけ刃の少子化対策など講じて、女性に子供を生め生めと言ってみたところで、これでは安心して子供が育てられる社会とはとうてい思えないなあと、そんなことを思った新年でした。

さて、買ってからは4年ほど経つだろうと思われるノートパソコン。この帰省にも持ってきたのですが、ついに壊れました。LCDのバックライトが切れてしまいました。これは兄の使わなくなったCRTを借りて接続して書いております。
ThinkPadもIBMからレボノに事業が売り渡されていますが、サポートなどは引き続きIBMがしてくれるようです。修理に出して・・・とIBMの電話番号を調べたところで、ひょっとして修理代より、ネットオークションで中古品か部品を購入した方が安く付くのではないかと思って調べてみると、案の定数千円〜2万円ぐらいでありました。
自分の持っているパソコンがもはやそんな価値しかないと知るのは、ちょっと残念ですが、まあ修理が安くすめばそれにこしたことはありません。
それにしても新年から物入りであります。


2006年01月02日(月) 実家

子供たちと実家に泊まりに来ています。
雪という天気予報でしたが、気温が高くて雨になりました。
いつもの神社に初詣をし、去年は買わなかった破魔矢を買いました。おみくじは小吉でした。母は中吉を引いたものの、新年早々旅行を計画しているにもかかわらず(今度はトルコだそうだ)旅立の項が、控えて吉と書かれていたので機嫌を悪くしていました。トルコといえばイスラム圏で、宗教施設を観光するにはスカーフを持って行かなければならないのだそうであります。

何年か前から実家もPHSのエリア内になったので、ノートパソコンとPHSでもって、インターネットにダイアルアップ接続をしています。といってもメールのチェックと、自分のサイトのチェックをするぐらいです。昔ならともかく、いまは光ファイバーでの速度にすっかり慣れてしまっています。ですからPHSの64Kbpsの速度では、ページにちょっと大きな画像が貼り付けてあるだけで表示されるのが遅くてイライラしますし、ましてやそれが1分10円の課金がかかると思えば、なおさらであります。

それでも10分で千円。PHSで定額接続を手に入れるには、年間契約で月5千円は支払わなければならないのですから、2泊ぐらいならば従量制の契約のほうがお得であります。

話は変わって、今年の年末年始はAAミーティングに出かけずに過ごしています。年末は月曜日のふつうのミーティングに出たのが最後ですし、年明けも4日の病院メッセージから僕のAAプログラムが始まるということになりそうです。こうなってしまったのは、ただ家族に「年末年始も通常通りにミーティングに行きたい」ということを伝えて納得を得るという作業が面倒くさかっただけです。
家にいるのははっきり言って楽で良いです。でも、家族のほうにそれが当たり前だと思われてしまうと、今度ミーティングに行きたいときに「えー、なんでいきなりそう言う話になるかなぁ」という拒絶反応を見せられてしまうことになり、かえって面倒なことになります。
もっとやさしい、もっと楽な方法をと思ってミーティングを休むことを選んだのに、いざ自分が苦しいときに、ミーティングに行くのに苦労するはめになって、やさしくも楽でもない道であったことを知るわけです。

スポンサーからは、もうそろそろミーティングより大事なものがいろいろ出来てきて当然だろうと言われています(悪魔の誘いだ)。その一方で「例の件から何年も経ったが棚卸しは済んだかな」ときびしいチェックが入っていたりします。
えー、今年もまた棚卸しかよう、という気分になっていたりするのであります。


2006年01月01日(日) 漏水

パソコンのCPUの水冷システムに水を補給するときは、必ず電源を切ってからにしないといけない。何度もパソコン内部を水浸しにして学び取った教訓であり、自らに課している掟であります。
が、大晦日の晩、ビデオファイルの再エンコードを延々と続けていた僕は、この掟を破って稼働中のパソコンのラジエーターに水を補給しにかかりました。結果はポンプがキャビテーションして水流が止まり、CPU温度が127℃の計測限界を超えて上昇し、ウォータージャケットから水蒸気が吹き出しました。
ちょうど年越しそばができたと内線で呼ばれたので、食べにいって、返ってきてからパソコンが冷えたところで再度電源を投入しました・・・起動しません。

吹き出した水蒸気がビデオカードに結露し、回路がショートしていたようでした。実はこんなことはしょっちゅうなので、カードを抜いて温風で乾燥させ、パソコン内部の水分も拭き取って再度挑戦しました。が、2時間ほどの格闘の末、ビデオカードが完全に「おなくなり」になっているという結論に達しました。何度となく水難に耐えたAGPカードも、あわれジャンク品であります。

元旦ネタのホームページを更新しないわけにも行かないので、とりあえず別のビデオカードを出してきてしのぎました。

翌日、つまり元日、秋葉原のパーツショップのオンライン店舗で、ビデオカードを見つくろって注文しました。生まれて初めてカノープス製のビデオカードを買うことに決めました。そのほか、コンパクトフラッシュの無線LANカードと、昨年出張の際に腕時計を落としたので、四千円の電波受信の型を注文しました。

そして送金をしようとして、銀行のオンラインバンキングのページを開いて、銀行決済は正月3が日は休みだと知ってびっくりしたのでありました。

このようにパソコンネタを書くと、難しくて何が書いてあるかさっぱり分からないという人と、いやパソコンネタ面白いからどんどん書くべし、という2種類の反応をいただくことになります。

そういえばもう長いこと秋葉原には行っていません。コミケに最後に行ったのは、まだ晴海でやっていた頃でした。メイド喫茶なんて入ったこともありません。

今年も適当にパソコンネタを交えながらやっていきたいと思います。


2005年12月31日(土) 大晦日

今年は市内にある県立の青年の家が閉じました。
理由は老朽化と利用者減だそうであります。いつかそこでAAのイベントをやりたいという漠然とした願いを持っていたのですが、それも叶わずに終わりそうです。
市内といっても山奥だし、バスで行ける場所でもなく、利便性という点では「何でこんなところに建てたんだ」と疑問が残るものでありました。もしAAのイベントをやったとしても、駅との間の輸送手段に頭を悩ませることになったでしょう。
青年の家という公共施設がなくなってしまうのは残念ですが、あまりに不採算で利用の少ない施設が閉じられてしまうのは、税金を使っている限りやむを得ないとは思います。税金ではないが年金を使って保養施設をたくさんつくり、赤字を垂れ流していたのよりはマシかと思うのであります。

さて今日は大晦日でありますが、妻が寝臥せっていることもあって(というのは言い訳にすぎないのですが)掃除は行われません(毎年のことだ)。
「心の家路」的に今年を振り返ると、最大のトピックはサーバーの移転でありました。訪れていただく方にはほとんど違いがわからない(多少レスポンスが良くなったぐらい?)でしょうが、舞台裏ではPerlスクリプトの書き直しなど、なかなか面倒でありました。
年間6千円のレンタル費用は安くはないと思うものの、自宅にサーバーを設置したら、維持費用は月500円ではすまないでしょう。
テキストブラウザ対応や、携帯電話対応など、やりたいことはたくさんあったけれど、実現しないままに年を越します。ぐずぐずしている間に、携帯電話のほうでフルブラウザが一般化してしまうかも知れませんね。

さて、今年はメールで年賀状を出すという計画を企てています。
今までメールでの年賀状にはかなり否定的な僕でありました。
郵便での年賀状は、受付も1ヶ月ほど前から行われるし、仕分けや配送などもアルバイトを大量に雇ってインフラストラクチャーも整備されて行われます。だから、郵便システムかかる大量の負荷に耐えられる仕組みになっています。
10年以上前にインターネットメールを使い出した頃には、年賀メールを出すというのはまったくの非常識でありました。相手のメールボックスはフロッピーディスクの容量より少ないのが普通でしたから、皆が年賀メールを出せば、メールボックスが簡単にあふれました。年末年始だからといってインターネットのインフラが増強されるわけでもなく(これは今も変わらないか)負荷がかかりすぎれば、人々が休みを取っている間にシステムはダウンし続けるということにもなりかねませんでした。
しかし今やギガビットの通信網が張り巡らされ、サーバーは高機能で大容量になり、たかだか数十キロバイトのメールについて気にしなくてもよさそうな環境が整ったと判断しました。
一方で、住所は知らないがメールアドレスだけは知っている人の数は増える一方です。
というわけで、メールアドレスのリストアップもすまして、年明けを待っている状態です。

一年が過ぎ去っていきいますが、今日一日の生き方に境界はありません。
それでもひとつの区切りとして、皆様の来年が、良い一年であることをお祈りしております。
メールが届く人にも、届かない人にも、感謝をこめて。


2005年12月30日(金) No due or fee

「JSOの財政を支援する会」という組織からお手紙が届きました。
以前からその存在は噂として知っていたものの、入会の勧誘を受けるとは光栄なかぎり(?)であります。しかし義務的に毎月千円ずつ集めるという手法は、長いこと慣れ親しんできたAAのお金の集め方に慣れた人間にとっては違和感があるので、入会はご遠慮することにしようと思います。

今年はバースディ献金もしなかったし、個人献金も多分していないと思う。まあ所得税非課税の状態なので今年は勘弁していただこうと思った次第であります。
僕は買い物をするときに、意識的に500円玉が財布に残るようにしています。それはミーティング場の献金箱に入れるためであります。500円玉がないときは100円玉を三つ入れることにしています。三つないときはあるだけの100円玉と50円玉。献金を入れるのを忘れていることもあるので、「最近献金していないな」と思ったら千円札を入れることもあるぐらいです。
これがAAメンバーの平均より多いのか少ないのかは分かりません。

ただざっくり計算することはできます。JSOを含むゼネラルサービスの予算が四千数百万円。これを全国のざっくり四千人のメンバーの献金で支えているので、一人あたりおよそ年間一万円です。関東甲信越のセントラルオフィスの予算規模が二千万円弱。これをこの地域の二千人弱のメンバーで支えているとすると、やっぱり一人一万円ぐらいです。これに各地域・地区のレベルの活動があり、そして何よりグループのレベルではコーヒー代やらハンドブック代やら、会場費・暖房費などが必要です。地域性もあるし、グループの人数にもよるでしょうから、あとは自分の財布の中身と、霊的進歩というものと、いろいろバランスを考えて自己決定すべきものが献金だと思っています。

さて話は変わって、今日は「心の家路」のリンク集のチェックをしておりました。
たまにチェックをしないと、リンク先が 404 Not Found になっていたりするところがあるからです(案の定ACODAのアドレスが変わっていました)。

今年を振り返って思うのは、アルコホーリクの人のブログがとても増えてきたなという感慨です。ブログというのは新聞の用語によれば「日記式簡易型ホームページ」だそうですが、まあそんなものなのかもしれません。タリウムで母親を毒殺しようとした女子高生がブログを維持していたということがニュースになっていたのが印象に残ります。
HTMLだとか、FTPだとか、そういううざったい話抜きで情報を発信できるブログというのは、一過性のブームでは終わらないかもしれません。
僕の手元にも、AAメンバーやアルコホーリクの家族の人のブログが10以上リストアップされていて、精読が済んだらリンク集に加えようと思っているのですが、なかなか集中力が沸いてこないために、どんどん先送りになっていっています。
「心の家路」を始めた頃は、依存症関係のページを探すこと自体が大変だったので、どんどん情報発信者が増えてくるというのは、隔世の感があります。

この雑記の一年を振り返ってみると、10年前を振り返ってという企画を始めたものの、なんだか尻すぼみになってしまいました。多少遅れ気味でも、来年もなんとか続けていきたいです。


2005年12月27日(火) 薮から棒

「心の家路」へのアクセス数も年末に向かって減り始めました。
まず大学がお休みの期間はアクセスが減ります。これは大学生のアル中さんが読んでいるというわけではなくて、見当はずれのキーワード検索で「心の家路」にたどり着いてしまうのでありましょう。僕が学生の頃はインターネットなどというものは存在していなかったので、いまの学生のキャンパス・コンピューティングライフがどんなものかは想像するしかありませんが、きっと学内LANは光ファイバーで、無線LANの電波が飛びまくっているのではないかと思われます。そういった環境で思うさまnyをしたり、怪しげなキーワードでGoogleったりして、あげくに「心の家路」にたどり着いて、薄気味悪い予言にでも出合ったような気分になっているのかもしれません。
話が変な方に行きました。

今日か明日あたりが仕事納めという会社が多いのではないでしょうか。
僕の会社も明日は大掃除だけで、お昼に寿司くっておしまいであります。ということは、普段は午後出社の僕も、明日は朝一番から出社しないといけないというわけです。明日の朝はチーズトーストをコーヒーで流し込んで出かけることでしょう。
今年は僕は休職をしてしまったわけですが、順調に仕事を続けていた(同じうつ持ちの)同僚の一人は、満足すべき成果を出して先週からリフレッシュ休暇に入っている人もいます。(この一年の間にすっかり差がついてしまったな)と思うとちょっと悲しくなりますが、周回遅れになっても気にしないでペースを守っていくことが大切なんでしょう。
一方、この年末にきて客先でトラブルを発生させている同僚もいて、ひょっとしたらこの時間もまだ会社にいるのかもしれません(いま夜半すぎです)。

毎日知恵熱が出そうなぐらい勉強しても、7年前のCOM技術の本を30ページほど読み進むのが限界です。

正月に実家に帰ったら、親子でイチゴ狩りに行こうと思い、観光農園に電話をかけてみたのですが、「イチゴの収穫は一月下旬から」だと断られてしまいました。

11年前に僕が2回目の精神病院への入院をしたときに、同じ入院患者のとある人物と知り合いました。僕としては大して親しいつもりはなかったのですが、相手が年賀状をくれるので、こちらも毎年出していました。しばらくは比較的近くに住んでいたのですが、(アル中ではないけど)病状悪化して独居できず、実家に帰ったと聞きました。
それっきり縁もなくなったと思っていたころ、EメールのCCで借金の申し込みを受けました。もしくはノートPCを無料で譲って欲しいという趣旨でした。そのうち何回か電話で借金の申し込みを受けたので、つきあいはこれっきりにしようと、賀状を出すのもやめました。

その人物から今日は3回電話があり、用件はつまるところ借金の申し込みでありました。こちらも今年は親から金を借りて暮らしている状態であること、所得税を納める必要のないほどしか収入がないことを伝えて、丁重にお断りしました。

僕は何回かアルコホーリクに金を貸したことがあります。返ってきたこともあるし、返ってこなかったこともあります。でも相手にとって役に立ったと確信できたのは、今年自分も苦しい中から(献金するつもりで)送金した一回だけです。

「良くなりたいという意欲があるアルコホーリクには、俗に言う施しのようなことは必要ないし、本人も望まないだろう」
「しかし、まさにそれが必要だという場合には、私たちはかなりの無理を背負ってでもお互いに助け合う。これは矛盾しているように思えるかもしれないが、私たちはそうは思わない」

もう少し経験を積まなければ分からないこともあるのだと思うのであります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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